俺は高校を卒業してニートをやっているが、なんだか途端に空っぽになってしまった気がする。毎日に張り合いがなくなり、なにをやっても面白くなくなってしまった。
それは多分、学校的な空間が好きだったからだと思う。毎日出掛ける場所があるということ、そこで顔を合わせる友達がいるということ、受験という目的があるということは結構ラクだったんだなと失ってから気づいた。就職して会社に入ればそれに近い環境に引き続きいられたのかもしれないが、一度レールから外れてしまったら「リズム」というか、「流れ」というか、なんかそういうものがずれてしまって、元に戻ることにものすごくハードルを感じるようになった。これがニートのはじまりなんだと思う。
ニートになって分かったが、ニートになるのにも才能がいる。正確には、ニートを楽しむのには才能がいる。毎日出掛ける場所もなく、顔を合わせる友達もなく、受験とか仕事のプロジェクトとかの目的もない人生を楽しむことが俺にはできない。
俺は割とインドアな趣味を持っていて、一人で本を読んだり映画を観たりするのは好きだが、それはあくまでルーティンな生活があるからだ。ルーティンのなかで生活にメリハリが生まれるからこそ、時間が有限に感じられ、一人の時間にハリが生まれる。
ニートの毎日は言ってしまえば完全なる平坦だ。メリもハリもない。そこでは時間は無限に感じられる。だからいくらでも自由に過ごすことができるのだが、それに反して気持ちはとても不自由になる。
無限であること(終わりがないこと)、自由であること(軛がないこと)は今の世の中では素晴らしいこととされているが、しかしニートになって思う。そんなことは絶対にない。平坦で、果てしない、宙ぶらりんな日常は他人が思うよりずっとしんどいものなのだ。
学校にいた頃は学校なんてクソくらえ、早く出て行ってやりたいといつも思っていた。だけど、失って初めて、その不自由が尊かったのだと気づいたんだ。ニートなんて、いいもんじゃないぞ。
将来の不安はあっても、ニート生活最高だわ。 暇なら勉強したり、芸術に挑戦してみりゃいいのに。
有限 ハイ論破