はてなキーワード: 探偵小説とは
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
アガサ・クリスティーの探偵小説を改訂、不快な可能性のある表現削除
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.cnn.co.jp/style/arts/35201796.html
これ本当に望ましくて、アガサ・クリスティーといえばミステリーの女王だけど、彼女の作品には差別表現が何か所もあるというのは有名な話だ
現代でいうとJ・K・ローリングなんかもそうなんだけど、どんなに名作と呼ばれる作品を残した人でも女性作家に起きうる問題なんだよな
その時々の社会の男性が差別的な態度を示していると、女性作家は抵抗できずに毒気にやられて、自分でも差別的な言葉を使うようになってしまう
だからこそ今回のように、死後だったとしても周りの人がちゃんとした表現に修正してあげるのが大事なことなのよね
黒人が使用人として使われていた歴史的事実を書くだけでNGらしい。実写で昔の時代を撮るときは白人を使用人役にして、黒人は主人にでもするのかな?
こういった主張も保守的なファンから出がちだけど、昔と今とでは客層が違うのよ
人種だけでいっても白人だけでなく世界中のあらゆる人種が作品を読むようになった
アメリカのディズニーのスプラッシュマウンテンが廃止になったのと同じで、特定の人種の人が読んで傷つくような描写は歴史的事実がどうであれ無くしたほうがいいのよね
誰だって自分の人種が下僕や召使みたいな扱いを受けている作品は読みたくないでしょ
不快なノイズがあるせいで読まれなくなるし、永遠に読まれ続ける作品と言うのは、時代によって左右されるノイズ要素を極力排した作品なので、一手補助するだけで永遠になれるのなら、そっちのがいいだろうしね。
まさにこの通り
マーダーミステリーとは、ミステリとTRPGを融合させた全く新しい体験型ボードゲーム。
ゲームによって与えられた役を演じ勝利条件を満たすためにお互いを出し抜きあう最新型のロールプレイングゲーム。
逃げ切りたい殺人犯・真犯人を探す探偵・探偵を出し抜かねばならない警察・どさくさに紛れたい盗人・時効が迫った過去の事件の犯人黒幕とも言える殺人教唆犯・特ダネ目当てのジャーナリスト、そして盤面の管理者ゲームマスター、それぞれの役割が与えられそれぞれが目標を目指す。
与えられたトリック、埋め込まれたギミック、プレイヤーはみなエゴイスティック、それぞれの結末がドラマチック。
紙で読んで探偵に先を越されて、犯人と作者だけが知っている情報に踊らされる時代はもう終わり。
テレビ画面の向こうで続けられる推理「わかったぞ。謎はすべて解けた」解答編で突然出てくる最後の証拠、そんな馬鹿げた謎解きが有るか。
全ての手札は与えられている。
目の前の犯人との知恵比べがそこにある!
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒はくばいけんという、行きつけのカフェで、冷しコーヒーを啜すすっていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ廻りをやる位が、毎日の日課だった。この白梅軒というのは、下宿屋から近くもあり、どこへ散歩するにも、必ずその前を通る様な位置にあったので、随したがって一番よく出入した訳であったが、私という男は悪い癖で、カフェに入るとどうも長尻ながっちりになる。それも、元来食慾の少い方なので、一つは嚢中のうちゅうの乏しいせいもあってだが、洋食一皿注文するでなく、安いコーヒーを二杯も三杯もお代りして、一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、ウエトレスに思召おぼしめしがあったり、からかったりする訳ではない。まあ、下宿より何となく派手で、居心地がいいのだろう。私はその晩も、例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓の外を眺めていた。
さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形きくにんぎょうの名所だった所で、狭かった通りが、市区改正で取拡げられ、何間なんげん道路とかいう大通になって間もなくだから、まだ大通の両側に所々空地などもあって、今よりずっと淋しかった時分の話だ。大通を越して白梅軒の丁度真向うに、一軒の古本屋がある。実は私は、先程から、そこの店先を眺めていたのだ。みすぼらしい場末ばすえの古本屋で、別段眺める程の景色でもないのだが、私には一寸ちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合になった一人の妙な男があって、名前は明智小五郎あけちこごろうというのだが、話をして見ると如何いかにも変り者で、それで頭がよさ相で、私の惚れ込んだことには、探偵小説好なのだが、その男の幼馴染の女が今ではこの古本屋の女房になっているという事を、この前、彼から聞いていたからだった。二三度本を買って覚えている所によれば、この古本屋の細君というのが、却々なかなかの美人で、どこがどういうではないが、何となく官能的に男を引きつける様な所があるのだ。彼女は夜はいつでも店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店中を、といっても二間半間口の手狭てぜまな店だけれど、探して見たが、誰れもいない。いずれそのうちに出て来るのだろうと、私はじっと目で待っていたものだ。
だが、女房は却々出て来ない。で、いい加減面倒臭くなって、隣の時計屋へ目を移そうとしている時であった。私はふと店と奥の間との境に閉めてある障子の格子戸がピッシャリ閉るのを見つけた。――その障子は、専門家の方では無窓むそうと称するもので、普通、紙をはるべき中央の部分が、こまかい縦の二重の格子になっていて、それが開閉出来るのだ――ハテ変なこともあるものだ。古本屋などというものは、万引され易い商売だから、仮令たとい店に番をしていなくても、奥に人がいて、障子のすきまなどから、じっと見張っているものなのに、そのすき見の箇所を塞ふさいで了しまうとはおかしい、寒い時分なら兎とも角かく、九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一あの障子が閉切ってあるのから変だ。そんな風に色々考えて見ると、古本屋の奥の間に何事かあり相で、私は目を移す気にはなれなかった。
古本屋の細君といえば、ある時、このカフェのウエトレス達が、妙な噂をしているのを聞いたことがある。何でも、銭湯で出逢うお神かみさんや娘達の棚卸たなおろしの続きらしかったが、「古本屋のお神さんは、あんな綺麗きれいな人だけれど、裸体はだかになると、身体中傷だらけだ、叩かれたり抓つねられたりした痕あとに違いないわ。別に夫婦仲が悪くもない様だのに、おかしいわねえ」すると別の女がそれを受けて喋るのだ。「あの並びの蕎麦屋そばやの旭屋あさひやのお神さんだって、よく傷をしているわ。あれもどうも叩かれた傷に違いないわ」……で、この、噂話が何を意味するか、私は深くも気に止めないで、ただ亭主が邪険なのだろう位に考えたことだが、読者諸君、それが却々そうではなかったのだ。一寸した事柄だが、この物語全体に大きな関係を持っていることが、後になって分った。
それは兎も角、そうして、私は三十分程も同じ所を見詰めていた。虫が知らすとでも云うのか、何だかこう、傍見わきみをしているすきに何事か起り相で、どうも外へ目を向けられなかったのだ。其時、先程一寸名前の出た明智小五郎が、いつもの荒い棒縞ぼうじまの浴衣ゆかたを着て、変に肩を振る歩き方で、窓の外を通りかかった。彼は私に気づくと会釈えしゃくして中へ入って来たが、冷しコーヒーを命じて置いて、私と同じ様に窓の方を向いて、私の隣に腰をかけた。そして、私が一つの所を見詰めているのに気づくと、彼はその私の視線をたどって、同じく向うの古本屋を眺めた。しかも、不思議なことには、彼も亦また如何にも興味ありげに、少しも目をそらさないで、その方を凝視し出したのである。
私達は、そうして、申合せた様に同じ場所を眺めながら、色々の無駄話を取交した。その時私達の間にどんな話題が話されたか、今ではもう忘れてもいるし、それに、この物語には余り関係のないことだから、略するけれど、それが、犯罪や探偵に関したものであったことは確かだ。試みに見本を一つ取出して見ると、
「絶対に発見されない犯罪というのは不可能でしょうか。僕は随分可能性があると思うのですがね。例えば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。ああした犯罪は先ず発見されることはありませんよ。尤もっとも、あの小説では、探偵が発見したことになってますけれど、あれは作者のすばらしい想像力が作り出したことですからね」と明智。
「イヤ、僕はそうは思いませんよ。実際問題としてなら兎も角、理論的に云いって、探偵の出来ない犯罪なんてありませんよ。唯、現在の警察に『途上』に出て来る様な偉い探偵がいない丈ですよ」と私。
ざっとこう云った風なのだ。だが、ある瞬間、二人は云い合せた様に、黙り込んで了った。さっきから話しながらも目をそらさないでいた向うの古本屋に、ある面白い事件が発生していたのだ。
「君も気づいている様ですね」
と私が囁くと、彼は即座に答えた。
「本泥坊でしょう。どうも変ですね。僕も此処ここへ入って来た時から、見ていたんですよ。これで四人目ですね」
「君が来てからまだ三十分にもなりませんが、三十分に四人も、少しおかしいですね。僕は君の来る前からあすこを見ていたんですよ。一時間程前にね、あの障子があるでしょう。あれの格子の様になった所が、閉るのを見たんですが、それからずっと注意していたのです」
「家の人が出て行ったのじゃないのですか」
「それが、あの障子は一度も開かなかったのですよ。出て行ったとすれば裏口からでしょうが、……三十分も人がいないなんて確かに変ですよ。どうです。行って見ようじゃありませんか」
「そうですね。家の中に別状ないとしても、外で何かあったのかも知れませんからね」
私はこれが犯罪事件ででもあって呉れれば面白いと思いながらカフェを出た。明智とても同じ思いに違いなかった。彼も少からず興奮しているのだ。
古本屋はよくある型で、店全体土間になっていて、正面と左右に天井まで届く様な本棚を取付け、その腰の所が本を並べる為の台になっている。土間の中央には、島の様に、これも本を並べたり積上げたりする為の、長方形の台が置いてある。そして、正面の本棚の右の方が三尺許ばかりあいていて奥の部屋との通路になり、先に云った一枚の障子が立ててある。いつもは、この障子の前の半畳程の畳敷の所に、主人か、細君がチョコンと坐って番をしているのだ。
明智と私とは、その畳敷の所まで行って、大声に呼んで見たけれど、何の返事もない。果して誰もいないらしい。私は障子を少し開けて、奥の間を覗いて見ると、中は電燈が消えて真暗だが、どうやら、人間らしいものが、部屋の隅に倒れている様子だ。不審に思ってもう一度声をかけたが、返事をしない。
「構わない、上って見ようじゃありませんか」
そこで、二人はドカドカ奥の間へ上り込んで行った。明智の手で電燈のスイッチがひねられた。そのとたん、私達は同時に「アッ」と声を立てた。明るくなった部屋の片隅には、女の死骸が横わっているのだ。
「ここの細君ですね」やっと私が云った。「首を絞められている様ではありませんか」
明智は側へ寄って死体を検しらべていたが、「とても蘇生そせいの見込はありませんよ。早く警察へ知らせなきゃ。僕、自動電話まで行って来ましょう。君、番をしてて下さい。近所へはまだ知らせない方がいいでしょう。手掛りを消して了ってはいけないから」
彼はこう命令的に云い残して、半町許りの所にある自動電話へ飛んで行った。
平常ふだんから、犯罪だ探偵だと、議論丈は却々なかなか一人前にやってのける私だが、さて実際に打ぶっつかったのは初めてだ。手のつけ様がない。私は、ただ、まじまじと部屋の様子を眺めている外はなかった。
部屋は一間切りの六畳で、奥の方は、右一間は幅の狭い縁側をへだてて、二坪許りの庭と便所があり、庭の向うは板塀になっている。――夏のことで、開けぱなしだから、すっかり、見通しなのだ、――左半間は開き戸で、その奥に二畳敷程の板の間があり裏口に接して狭い流し場が見え、そこの腰高障子は閉っている。向って右側は、四枚の襖が閉っていて、中は二階への階段と物入場になっているらしい。ごくありふれた安長屋の間取だ。
死骸は、左側の壁寄りに、店の間の方を頭にして倒れている。私は、なるべく兇行当時の模様を乱すまいとして、一つは気味も悪かったので、死骸の側へ近寄らない様にしていた。でも、狭い部屋のことであり、見まいとしても、自然その方に目が行くのだ。女は荒い中形模様の湯衣ゆかたを着て、殆ど仰向きに倒れている。併し、着物が膝の上の方までまくれて、股ももがむき出しになっている位で、別に抵抗した様子はない。首の所は、よくは分らぬが、どうやら、絞しめられた痕きずが紫色になっているらしい。
表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラと日和下駄ひよりげたを引きずって行くのや、酒に酔って流行唄はやりうたをどなって行くのや、至極天下泰平なことだ。そして、障子一重の家の中には、一人の女が惨殺されて横わっている。何という皮肉だ。私は妙にセンティメンタルになって、呆然と佇たたずんでいた。
「すぐ来る相ですよ」
明智が息を切って帰って来た。
「あ、そう」
私は何だか口を利くのも大儀たいぎになっていた。二人は長い間、一言も云わないで顔を見合せていた。
間もなく、一人の正服せいふくの警官が背広の男と連立ってやって来た。正服の方は、後で知ったのだが、K警察署の司法主任で、もう一人は、その顔つきや持物でも分る様に、同じ署に属する警察医だった。私達は司法主任に、最初からの事情を大略説明した。そして、私はこう附加えた。
「この明智君がカフェへ入って来た時、偶然時計を見たのですが、丁度八時半頃でしたから、この障子の格子が閉ったのは、恐らく八時頃だったと思います。その時は確か中には電燈がついてました。ですから、少くとも八時頃には、誰れか生きた人間がこの部屋にいたことは明かです」
司法主任が私達の陳述を聞取って、手帳に書留めている間に、警察医は一応死体の検診を済ませていた。彼は私達の言葉のとぎれるのを待って云った。
「絞殺ですね。手でやられたのです。これ御覧なさい。この紫色になっているのが指の痕あとです。それから、この出血しているのは爪が当った箇所ですよ。拇指おやゆびの痕が頸くびの右側についているのを見ると、右手でやったものですね。そうですね。恐らく死後一時間以上はたっていないでしょう。併し、無論もう蘇生そせいの見込はありません」
「上から押えつけたのですね」司法主任が考え考え云った。「併し、それにしては、抵抗した様子がないが……恐らく非常に急激にやったのでしょうね。ひどい力で」
それから、彼は私達の方を向いて、この家の主人はどうしたのだと尋ねた。だが、無論私達が知っている筈はない。そこで、明智は気を利かして、隣家の時計屋の主人を呼んで来た。
「主人はどこへ行ったのかね」
「ここの主人は、毎晩古本の夜店を出しに参りますんで、いつも十二時頃でなきゃ帰って参りません。ヘイ」
「どこへ夜店を出すんだね」
「よく上野うえのの広小路ひろこうじへ参ります様ですが。今晩はどこへ出ましたか、どうも手前には分り兼ねますんで。ヘイ」
「物音と申しますと」
「極っているじゃないか。この女が殺される時の叫び声とか、格闘の音とか……」
「別段これという物音を聞きません様でございましたが」
そうこうする内に、近所の人達が聞伝えて集って来たのと、通りがかりの弥次馬で、古本屋の表は一杯の人だかりになった。その中に、もう一方の、隣家の足袋屋たびやのお神さんがいて、時計屋に応援した。そして、彼女も何も物音を聞かなかった旨むね陳述した。
この間、近所の人達は、協議の上、古本屋の主人の所へ使つかいを走らせた様子だった。
そこへ、表に自動車の止る音がして、数人の人がドヤドヤと入って来た。それは警察からの急報で駈けつけた裁判所の連中と、偶然同時に到着したK警察署長、及び当時の名探偵という噂の高かった小林こばやし刑事などの一行だった。――無論これは後になって分ったことだ、というのは、私の友達に一人の司法記者があって、それがこの事件の係りの小林刑事とごく懇意こんいだったので、私は後日彼から色々と聞くことが出来たのだ。――先着の司法主任は、この人達の前で今までの模様を説明した。私達も先の陳述をもう一度繰返さねばならなかった。
「表の戸を閉めましょう」
突然、黒いアルパカの上衣に、白ズボンという、下廻りの会社員見たいな男が、大声でどなって、さっさと戸を閉め出した。これが小林刑事だった。彼はこうして弥次馬を撃退して置いて、さて探偵にとりかかった。彼のやり方は如何にも傍若無人で、検事や署長などはまるで眼中にない様子だった。彼は始めから終りまで一人で活動した。他の人達は唯、彼の敏捷びんしょうな行動を傍観する為にやって来た見物人に過ぎない様に見えた。彼は第一に死体を検べた。頸の廻りは殊に念入りにいじり廻していたが、
「この指の痕には別に特徴がありません。つまり普通の人間が、右手で押えつけたという以外に何の手掛りもありません」
と検事の方を見て云った。次に彼は一度死体を裸体にして見るといい出した。そこで、議会の秘密会見たいに、傍聴者の私達は、店の間へ追出されねばならなかった。だから、その間にどういう発見があったか、よく分らないが、察する所、彼等は死人の身体に沢山の生傷のあることに注意したに相違ない。カフェのウエトレスの噂していたあれだ。
やがて、この秘密会が解かれたけれど、私達は奥の間へ入って行くのを遠慮して、例の店の間と奥との境の畳敷の所から奥の方を覗き込んでいた。幸なことには、私達は事件の発見者だったし、それに、後から明智の指紋をとらねばならなかった為に、最後まで追出されずに済んだ。というよりは抑留よくりゅうされていたという方が正しいかも知れぬ。併し小林刑事の活動は奥の間丈に限られていた訳でなく、屋内屋外の広い範囲に亙わたっていたのだから、一つ所にじっとしていた私達に、その捜査の模様が分ろう筈がないのだが、うまい工合に、検事が奥の間に陣取っていて、始終殆ど動かなかったので、刑事が出たり入ったりする毎に、一々捜査の結果を報告するのを、洩れなく聞きとることが出来た。検事はその報告に基いて、調書の材料を書記に書きとめさしていた。
先ず、死体のあった奥の間の捜索が行われたが、遺留品も、足跡も、その他探偵の目に触れる何物もなかった様子だ。ただ一つのものを除いては。
「電燈のスイッチに指紋があります」黒いエボナイトのスイッチに何か白い粉をふりかけていた刑事が云った。「前後の事情から考えて、電燈を消したのは犯人に相違ありません。併しこれをつけたのはあなた方のうちどちらですか」
「そうですか。あとであなたの指紋をとらせて下さい。この電燈は触らない様にして、このまま取はずして持って行きましょう」
それから、刑事は二階へ上って行って暫く下りて来なかったが、下りて来るとすぐに路地を検べるのだといって出て行った。それが十分もかかったろうか、やがて、彼はまだついたままの懐中電燈を片手に、一人の男を連れて帰って来た。それは汚れたクレップシャツにカーキ色のズボンという扮装いでたちで、四十許ばかりの汚い男だ。
「足跡はまるで駄目です」刑事が報告した。「この裏口の辺は、日当りが悪いせいかひどいぬかるみで、下駄の跡が滅多無性についているんだから、迚とても分りっこありません。ところで、この男ですが」と今連れて来た男を指し「これは、この裏の路地を出た所の角に店を出していたアイスクリーム屋ですが、若し犯人が裏口から逃げたとすれば、路地は一方口なんですから、必ずこの男の目についた筈です。君、もう一度私の尋ねることに答えて御覧」
「一人もありませんので、日が暮れてからこっち、猫の子一匹通りませんので」アイスクリーム屋は却々要領よく答える。
「私は長らくここへ店を出させて貰ってますが、あすこは、この長屋のお上さん達も、夜分は滅多に通りませんので、何分あの足場の悪い所へ持って来て、真暗なんですから」
「それも御座いません。皆さん私の目の前でアイスクリームを食べて、すぐ元の方へ御帰りになりました。それはもう間違いはありません」
さて、若しこのアイスクリーム屋の証言が信用すべきものだとすると、犯人は仮令この家の裏口から逃げたとしても、その裏口からの唯一の通路である路地は出なかったことになる。さればといって、表の方から出なかったことも、私達が白梅軒から見ていたのだから間違いはない。では彼は一体どうしたのであろう。小林刑事の考えによれば、これは、犯人がこの路地を取りまいている裏表二側の長屋の、どこかの家に潜伏しているか、それとも借家人の内に犯人があるのかどちらかであろう。尤も二階から屋根伝いに逃げる路はあるけれど、二階を検べた所によると、表の方の窓は取りつけの格子が嵌はまっていて少しも動かした様子はないのだし、裏の方の窓だって、この暑さでは、どこの家も二階は明けっぱなしで、中には物干で涼んでいる人もある位だから、ここから逃げるのは一寸難しい様に思われる。とこういうのだ。
そこで臨検者達の間に、一寸捜査方針についての協議が開かれたが、結局、手分けをして近所を軒並に検べて見ることになった。といっても、裏表の長屋を合せて十一軒しかないのだから、大して面倒ではない。それと同時に家の中も再度、縁の下から天井裏まで残る隈くまなく検べられた。ところがその結果は、何の得うる処もなかったばかりでなく、却って事情を困難にして了った様に見えた。というのは、古本屋の一軒置いて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今し方まで屋上の物干へ出て尺八を吹いていたことが分ったが、彼は始めから終いまで、丁度古本屋の二階の窓の出来事を見逃す筈のない様な位置に坐っていたのだ。
読者諸君、事件は却々面白くなって来た。犯人はどこから入って、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からでは勿論ない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙の様に消えて了ったのか。不思議はそればかりでない。小林刑事が、検事の前に連れて来た二人の学生が、実に妙なことを申立てたのだ。それは裏側の長屋に間借りしている、ある工業学校の生徒達で、二人共出鱈目でたらめを云う様な男とも見えぬが、それにも拘かかわらず、彼等の陳述は、この事件を益々不可解にする様な性質のものだったのである。
「僕は丁度八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌を開いて見ていたのです。すると、奥の方で何だか物音がしたもんですから、ふと目を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子の様になった所が開いてましたので、そのすき間に一人の男の立っているのが見えました。しかし、私が目を上げるのと、その男が、この格子を閉めるのと殆ど同時でしたから、詳しいことは無論分りませんが、でも、帯の工合ぐあいで男だったことは確かです」
「で、男だったという外に何か気附いた点はありませんか、背恰好とか、着物の柄とか」
「見えたのは腰から下ですから、背恰好は一寸分りませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細い縞か絣かすりであったかも知れませんけれど。私の目には黒無地に見えました」
「僕もこの友達と一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じ様に物音に気づいて同じ様に格子の閉るのを見ました。ですが、その男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、真白な着物です」
「それは変ではありませんか。君達の内どちらかが間違いでなけりゃ」
「決して間違いではありません」
「僕も嘘は云いません」
この二人の学生の不思議な陳述は何を意味するか、鋭敏な読者は恐らくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気附いたのだ。併し、裁判所や警察の人達は、この点について、余りに深く考えない様子だった。
間もなく、死人の夫の古本屋が、知らせを聞いて帰って来た。彼は古本屋らしくない、きゃしゃな、若い男だったが、細君の死骸を見ると、気の弱い性質たちと見えて、声こそ出さないけれど、涙をぼろぼろ零こぼしていた。小林刑事は、彼が落着くのを待って、質問を始めた。検事も口を添えた。だが、彼等の失望したことは、主人は全然犯人の心当りがないというのだ。彼は「これに限って、人様に怨みを受ける様なものではございません」といって泣くのだ。それに、彼が色々調べた結果、物とりの仕業でないことも確められた。そこで、主人の経歴、細君の身許みもと其他様々の取調べがあったけれど、それらは別段疑うべき点もなく、この話の筋に大した関係もないので略することにする。最後に死人の身体にある多くの生傷について Permalink | 記事への反応(0) | 22:40
私はまだ三十にもならぬに、濃い髪の毛が、一本も残らず真白まっしろになっている。この様ような不思議な人間が外ほかにあろうか。嘗かつて白頭宰相はくとうさいしょうと云いわれた人にも劣らぬ見事な綿帽子が、若い私の頭上にかぶさっているのだ。私の身の上を知らぬ人は、私に会うと第一に私の頭に不審の目を向ける。無遠慮な人は、挨拶あいさつがすむかすまぬに、先まず私の白頭についていぶかしげに質問する。これは男女に拘かかわらず私を悩ます所の質問であるが、その外にもう一つ、私の家内かないと極ごく親しい婦人丈だけがそっと私に聞きに来る疑問がある。少々無躾ぶしつけに亙わたるが、それは私の妻の腰の左側の腿ももの上部の所にある、恐ろしく大きな傷の痕あとについてである。そこには不規則な円形の、大手術の跡あとかと見える、むごたらしい赤あざがあるのだ。
この二つの異様な事柄は、併しかし、別段私達の秘密だと云う訳わけではないし、私は殊更ことさらにそれらのものの原因について語ることを拒こばむ訳でもない。ただ、私の話を相手に分わからせることが非常に面倒なのだ。それについては実に長々しい物語があるのだし、又仮令たとえその煩わずらわしさを我慢して話をして見た所で、私の話のし方が下手なせいもあろうけれど、聞手ききては私の話を容易に信じてはくれない。大抵の人は「まさかそんなことが」と頭から相手にしない。私が大法螺吹おおぼらふきか何ぞの様に云いう。私の白頭と、妻の傷痕という、れっきとした証拠物があるにも拘らず、人々は信用しない。それ程私達の経験した事柄というのは奇怪至極しごくなものであったのだ。
私は、嘗て「白髪鬼」という小説を読んだことがある。それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみを嘗なめた為ため、一夜にして漆黒しっこくの頭髪が、悉ことごとく白毛しらがと化した事が書いてあった。又、鉄製の樽たるの中へ入ってナイヤガラの滝たきへ飛込とびこんだ男の話を聞いたことがある。その男は仕合しあわせにも大した怪我けがもせず、瀑布ばくふを下ることが出来たけれど、その一刹那せつなに、頭髪がすっかり白くなってしまった由よしである。凡およそ、人間の頭髪を真白にしてしまう程ほどの出来事は、この様に、世にためしのない大恐怖か、大苦痛を伴っているものだ。三十にもならぬ私のこの白頭も、人々が信用し兼かねる程の異常事を、私が経験した証拠にはならないだろうか。妻の傷痕にしても同じことが云える。あの傷痕を外科医に見せたならば、彼はきっと、それが何故なにゆえの傷であるかを判断するに苦しむに相違ない。あんな大きな腫物はれもののあとなんてある筈はずがないし、筋肉の内部の病気にしても、これ程大きな切口を残す様な藪やぶ医者は何所どこにもないのだ。焼やけどにしては、治癒ちゆのあとが違うし、生れつきのあざでもない。それは丁度ちょうどそこからもう一本足が生えていて、それを切り取ったら定さだめしこんな傷痕が残るであろうと思われる様な、何かそんな風な変てこな感じを与える傷口なのだ。これとても亦また、並大抵の異変で生じるものではないのである。
そんな訳で、私は、このことを逢あう人毎ごとに聞かれるのが煩しいばかりでなく、折角せっかく身の上話をしても、相手が信用してくれない歯痒はがゆさもあるし、それに実を云うと私は、世人せじんが嘗かつて想像もしなかった様な、あの奇怪事を、――私達の経験した人外境じんがいきょうを、この世にはこんな恐ろしい事実もあるのだぞと、ハッキリと人々に告げ知らせ度たい慾望もある。そこで、例の質問をあびせられた時には、「それについては、私の著書に詳しく書いてあります。どうかこれを読んで御疑いをはらして下さい」と云って、その人の前に差出すことの出来る様な、一冊の書物に、私の経験談を書き上げて見ようと、思立おもいたった訳である。
だが、何を云うにも、私には文章の素養がない。小説が好きで読む方は随分ずいぶん読んでいるけれど、実業学校の初年級で作文を教わった以来、事務的な手紙の文章などの外ほかには、文章というものを書いたことがないのだ。なに、今の小説を見るのに、ただ思ったことをダラダラと書いて行けばいいらしいのだから、私にだってあの位の真似まねは出来よう。それに私のは作り話でなく、身を以もって経験した事柄なのだから、一層いっそう書き易やすいと云うものだ、などと、たかを括くくって、さて書き出して見た所が、仲々なかなかそんな楽なものでないことが分って来た。第一予想とは正反対に、物語が実際の出来事である為ために、却かえって非常に骨が折れる。文章に不馴ふなれな私は、文章を駆使くしするのでなくて文章に駆使されて、つい余計よけいなことを書いてしまったり、必要なことが書けなかったりして、折角の事実が、世のつまらない小説よりも、一層作り話みたいになってしまう。本当のことを本当らしく書くことさえ、どんなに難しいかということを、今更いまさらの様に感じたのである。
物語の発端ほったん丈だけでも、私は二十回も、書いては破り書いては破りした。そして、結局、私と木崎初代きざきはつよとの恋物語から始めるのが一番穏当だと思う様になった。実を云うと、自分の恋の打開うちあけ話を、書物にして衆人の目にさらすというのは、小説家でない私には、妙に恥しく、苦痛でさえあるのだが、どう考えて見ても、それを書かないでは、物語の筋道すじみちを失うので、初代との関係ばかりではなく、その外の同じ様な事実をも、甚はなはだしいのは、一人物との間に醸かもされた同性恋愛的な事件までをも、恥を忍んで、私は暴露ばくろしなければなるまいかと思う。
際立きわだった事件の方から云うと、この物語は二月ふたつきばかり間あいだを置いて起おこった二人の人物の変死事件――殺人事件を発端とするので、この話が世の探偵小説、怪奇小説という様なものに類似るいじしていながら、その実甚だしく風変りであることは、全体としての事件が、まだ本筋に入らぬ内に、主人公(或あるいは副主人公)である私の恋人木崎初代が殺されてしまい、もう一人は、私の尊敬する素人しろうと探偵で、私が初代変死事件の解決を依頼した深山木幸吉みやまぎこうきちが、早くも殺されてしまうのである。しかも私の語ろうとする怪異談は、この二人物の変死事件を単に発端とするばかりで、本筋は、もっともっと驚嘆すべく、戦慄せんりつすべき大規模な邪悪、未いまだ嘗かつて何人なんぴとも想像しなかった罪業ざいごうに関する、私の経験談なのである。
素人の悲しさに、大袈裟おおげさな前ぶればかりしていて、一向いっこう読者に迫る所がない様であるから、(だが、この前ぶれが少しも誇張でないことは、後々あとあとに至って読者に合点がってんが行くであろう)前置きはこの位に止とどめて、さて、私の拙つたない物語を始めることにしよう。
私は年間40~50冊の本を読みます。
この数字を見た時に、読書家だとたまに言われますが、まるでそうではありません。
ざっくりとですが、各月の内訳は以下の通りです。
月 | 読んだ本 |
---|---|
1月 | 1冊 |
2月 | 0冊 |
3月 | 0冊 |
4月 | 0冊 |
5月 | 1冊 |
6月 | 0冊 |
7月 | 0冊 |
8月 | 2冊 |
9月 | 1冊 |
10月 | 0冊 |
11月 | 0冊 |
12月 | 40冊 |
中央値でいえば、月0冊です。
長期休みの移動時間や待ち時間、そしてスマホ疲れしているときに手を出すものを自覚しています。
私は長編やSFの場合、まず人物の名前と組織、世界設定を理解するまでに4か月くらいかかります。
今、1巻の最初のあたりを睡眠薬代わりに読んで10ページ単位で行きつ戻りつしながら12月に向けて導入の段階です。
おそらく、私は読書家としては大成しないでしょう。(する意味も必要もないが)
読書に対して助走が長すぎます。そして読み終えた後は、リーダーズハイというか活字を漁ります。
純文学、探偵小説、児童文学、ライトノベルでもなんでも、寝食をまるで無視してただただ読み漁ります。
皆さんは、どのように読書の秋をお過ごしされている事でしょうか。
J.K.ローリングが探偵小説シリーズの新作『Troubled Blood』で、事件の犯人のキャラクターとして「女性を殺害するために女装をして犯罪を繰り返すシスジェンダー(異性愛者)の男性連続殺人犯」を登場させたことが話題になり、
「#RIPJKRowling(J.K.ローリングよ安らかに眠れ」)」というハッシュタグがツイッターでトレンド入りしたらしい。
J.K.ローリングは以前からTERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)として批判されていて、今回の件があったわけだが、
これ受けて女性やフェミニストの人達はどう思っているのだろうか?
私はその小説を読んでいないのでニュースの情報しか手がかりは無いが、「これでアウトなの?」と思った人も居るのでは?
件のニュースのブコメでも見たが、性別を誤認させるトリックはよくある。ネタバレになるので言えないが、かの叙述トリックの金字塔や、確か金田一少年の事件簿にもそんなエピソードがあったはずだ(便座の蓋を上げてた事で男だと見破られた、とかだった筈)
そういうものを書く自由もないのか、普段TERFとして批判されているから?しかも「RIP」だなんて、菊の花を置いて暗に「死ね」と言ういじめのようじゃないか。
そう思う人も居るのではないだろうか?
私は表現の自由戦士として、当然J.K.ローリング氏の表現の自由を支持する。
そしてツイッター上での運動は彼女の表現の自由を侵害する不当な運動だと思う。
ならば、これを機に表現の自由戦士と(一部の)女性、フェミニストは手に手を取り合えるのではないか?
一部、表現の自由よりもTERF叩き女性叩きを優先させてしまっている表現の自由戦士たちが居るのは残念な事だが、
もし女性やフェミニスト達と和解できるなら考えを改める者も出てくるかもしれない。なにしろ、私達は実の所、あなた達が怖いのだ。
どう怖いか、それはあなた達が今感じている恐怖と非常に似ている。「こんな事もアウトなのか」「これも差別だと言われるのか」「差別だと思われたらこんな仕打ちも正当化されるのか」「あれも批判されるかもしれない」「これからもっと厳しい基準で批判されるかもしれない」
その恐怖の中で、表現は委縮せざるを得ない。J.K.ローリング氏もこれからの執筆活動に支障を来すかも知れない。
そういう事は不当だ。表現の自由は守られなければならない。「ツイッター上の運動は一般人の行いだから、表現の自由の侵害には当たらない」なんて、彼女が実際に陥っている危機を無視している。
そう、思う人も居るのではないか、なら、
ここでいう終末思想は「安全な場所から人が死んでいくのをエンタメとして楽しむ」くらいの意味だ。
その他諸々、何処か遠くの国名も聞いた事のないような地で起こる、テロや紛争や事件。
それらを僕たちは常にエンタメとして楽しんできた。コーヒーを飲みながらワールドトレードセンターが崩れ落ちるのを見たり、東北の町が濁流にのまれて消えていくのをベッドに寝転がりながら眺めたりしていた。
この世界では、老いも若きも悪人も善人も関係なく無慈悲に命を奪われてしまうのを学んで、ほんの少しの畏怖を世界に対して覚え、自らの安全と幸運を確認してきた。
これまでは。
そう2020年、ついに終末が僕らの街にもやって来たのだ。新型コロナウイルスの名とともに。
シャッターの並ぶ繁華街、乗客のいないバスが道を行きかい、誰一人いない広場をデジタルサイネージが青く染める。
たまにすれ違う人は皆マスクを付けていて、顔色は窺い知れない。その眼は一様に虚だ。
だが、どこか変だ、と君も思ったはずだ。これは違う、と。僕もそう感じている。もう気付いてしまった、いや最初から分かっていたのかも。これは僕たちが待ち望んだ終末ではない。
武漢が閉鎖された一月末から、イタリアの死者数が一万人を超えた三月末までは確かに僕もワクワクしていた。アジアの片隅で生まれたこの新型コロナウイルスが鉄壁に思われたヨーロッパを陥落し、医療保険の脆弱な合衆国で猛威を振るい、灰色の平和が未来永劫続くかのようなこの国にも混沌をもたらしてくれるのではと、そう真面目に考えていた。
もちろん僕にも君にも生活と仕事があり、巻き込まれれば僕自身無事では済まない。しかしそれ以上に、日常が破壊される快楽に身を委ねる喜びへの期待が大きかった。台風を待ちわびる子供のように、後先も考えずただ非日常へと連れ去ってくれる大きな力を望んだ。
でも終わってしまった。すべて解ってしまった。タネの明かされた手品のように、読み終えた探偵小説のように、ただ歴史だけがそこに残った。
こんなのは終末ではない。パラダイムシフトですらない。すべてが元に戻るだろう。やがて国境は開かれ、人々は移動を再開するだろう。しばらくはマスク着用が常識となって、誰もがソーシャルディスタンスとやらに勤しむだろう。変化に対応できない企業は消えていく。平時も同じことだ。
世界大恐慌以上の不況がやってくる?今のところ株価はそう言ってないようだ。無人店舗やデジタル化が推進される?僕たちはすでにそっちの船に乗ってるんだ。何を今更言ってるのか。
城平京先生、虚構推理のアニメ化おめでとうございます! 雨の日も神様と相撲をのコミカライズも楽しみです!
相沢沙呼先生、medium霊媒探偵城塚翡翠のなんか目出度いランキング一位おめでとうございます!
いやあ、こんな超絶面白ミステリ作家の作品が四作品も載っているマガジンRはさぞかし売れているんだろうなあ。
まあ、時勢といえば時勢なんでしょうが、なんだか先行きが不安になりますね。
そこで、少年マガジンRにもう十人ミステリ作家を追加して、最強漫画雑誌にしましょう。
以下、ミステリ作家を集めるための餌です。
日曜は憧れの国を、きららな感じでやれば割とマジでアニメ化狙えると思う。
賢者の贈り物って知ってますか? あれをこちらで御膳たてすればいいのです。
アフタヌーンが十角館ならこっちは時計館やれば作品の完成度的に勝てるに決まっている。
賢者の贈り物って知ってますか? あれをこちらで御膳たてすればいいのです。
そういうことです。
バクダンハンダンもこちとら発売日に買ってるっちゅう話ですので、バクダンハンダンをコミカライズしましょう。
女性が書いたか男性が書いたかで作品の評価は何も変わらないし、まったくその情報意味なくない? と本屋で「女性作家の棚」という概念を見かけるたびに首を傾げていました。
ですが、Jの神話を女性が書いたと思って読み返すと、読み味がなぜかとても変化したので、今からでもマジで北村薫を女装させてグラビアとかとってみませんか?(もしくは愛川晶)
当然、乾くるみの最高傑作は、嫉妬事件以外ありえないので、嫉妬事件をきあい猫とか椎名波とか野晒とかにコミカライズさせましょうよお。
(嫉妬事件のコミカライズ作家を決めようのコーナーは後日また書きます)
兼業作家(Pとミステリ作家と副業)でお忙しいのはわかります。わかりますが、現在のミステリ界を牽引する彼がいないことには、マガジンRは成り立ちません。
なので、コミカライズで大いに稼いでもらい、本業(ニコマス作成)に全力を注いでもらいましょう。
これ書いてから気づいたんですが、大山誠一郎を呼ぶための餌なのか、今村昌弘を呼ぶための餌なのかわかりづらいですね。
どっちもにしましょう。ついでに小林立も呼んで、小禄心IT社長への道! も連載させましょう。
全然関係ないんですが、ポッピンQ大好きおじさんのツイッターを開いたら「フォローしている椎名波さん、xxxさん、他70人にフォローされています」と出てきて、なんでミステリ作家のコーナーしてるのに、椎名波の話が二回も出るんだよ! と面白くなりました。
なんか気づいたらすっかり人気作家ですが、講談社ノベルスの頃のあの尖りに尖った作品群から作風は変わってるんですかね?
探偵小説のためのゴシックが面白すぎて、自分の中でもうまほろんは殿堂入りでおしまいでいいやと思ってしまい手をつけていないんですが、また読んでみようかなあ。
ぐじらさんでもよいです!
いっしょにすんなって怒られるかもですが、僕は早坂吝先生の作品を読むたびに「石崎幸二先生…… あんたの目指した道はこれっぽっちも間違っちゃいねえし、今もこうして後進がうまれてんだぜ…… また何か書いてくれねえかなあ……」と涙がこぼれます。
私はもともと自ら進んで本を読むタイプではなく、現代文の授業も退屈に全く聞いていなかったので、何だか難しそうである日本近代文学というものも全く知らずに生きてきました。文学部とは反対に、実益に価値を置く商学部においてこのような人は多いと思います。それにも関わらず本講義を受講したのは、就活という制約のために労力をそれほどかけることができないという条件に合致し、次に近代文学に触れる可能性のない人生というのは少々勿体無いのものではないかと考え、何か読み始めるためのきっかけになるかもと興味が得られたためです。
この授業はそういう文学初心者には丁度いいものだったように感じます。扱う題材も文豪たちの探偵小説からということで、ある程度プロットがしっかりしていて初心者にもとっつきやすいものでした。また先生もそういう人たちに配慮して少しでも興味を持てるように工夫して授業を行なっていたように思います。大量のパワポの準備や、足を使って村を訪れるなど、手を抜かないところも好印象でした。作品や作者に対する解説や解釈も一歩踏み込んだものが多く、ここまで深い読みがあるのかと感心することも多かったです。
そのおかげか、小中高とあれだけ現代文の授業を毛嫌いしていた私にとっても、この講義は面白く興味深いものとなりました。と同時に、ある小説の一篇を長時間かけて解説させられる普遍的な現代文の授業スタイルがますます害悪のように思えてきました。
またレポートを提出させ、優秀なものをプリントにして共有するというのも良かったです。私の字数を埋めただけのようなレポートに比べて、同じ学生でもなんて中身のあるレポートを書くのかと刺激を受けることもありました。特に氾の妻についてのプロ顔負けの自作小説には驚きました。私も一度くらいプリントに載るようなレポートを書いてみたい気持ちもあったように思いますが、そもそもこれまで二回しかレポートを提出できていないので気のせいだったかもしれません。
そういえば最近、私は講義を受けていなかったらまず読んでいなかった春琴抄を非常に面白く読み進めています。どうやら講義を受けるにあたって近代文学を知るきっかけにしたいという思いは気のせいではなかったようです。あとは単位さえ得られれば当初の目標をほぼ完璧に達成することができそうです。よろしくお願いいたします。
提出日時:2012/01/30 00:27
『宇宙の戦士』
多くの人型ロボット物の生みの親となった作品。日本産じゃない事とSF小説というジャンルの立ち位置が影響してガンダムや鉄腕アトムに親権を奪われ続けてきた。正直このまま放置すると歴史に埋もれてしまうので、もういっそロボットアニメとして現代に蘇らせてしまうべきだろう。
謎の評価が高まりすぎた探偵小説。作者自身もなんでこんなに売れているんだろうと悩むレベルで何故か売れてしまっている。今見るとビビるレベルで陳腐なトリックも多い癖に、読まずに持ち上げてる老若男女が多数いる。小説を読めないというなら映像作品にしてその粗末な内容を突きつけてやろう。
『惑星のさみだれ』
変な逃げ方してないでさっさと作れ。3クール用意するんだぞ。2クール+日常回を特典やOVAに回す方向でもギリギリ何とかなるかなあ……。
日本ミステリ史をまとめようとしている人を見たので自分でもやってみようと思った。
箇条書きでも大体分かるだろう。あと本格中心なのは許してくれ。
◆探偵小説輸入の開始
http://fuboku.o.oo7.jp/e_text/nipponbungakukouza_19270530.html
・神田孝平訳「楊牙児奇獄」1877
・須藤南翠『殺人犯』1888(『無惨』に先立つ創作) "まづ未成品で、単に先駆的なものとしか見られない"(柳田泉)
◆黒岩涙香『無惨』1889 "日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云うなり"
・「探偵叢話」連載開始(都新聞) 1893 ……探偵実話の流行
・谷崎潤一郎「秘密」1911「白昼鬼語」1918 「途上」1920 日本探偵小説 "中興の祖"(中島河太郎)
・『中央公論』「芸術的新探偵小説」企画(谷崎・芥川・佐藤春夫・里見弴)1918
・当初は翻訳を重視
・横溝正史(1921)、水谷準(1922)、甲賀三郎(1924)、小酒井不木(1925)、大下宇陀児(1925)、夢野久作(1926)、海野十三(1928)など登場
・乱歩「二銭銅貨」1923 "これが日本人の創作だろうか。日本にもこんな作家がいるであろうか"(森下雨村)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001826/files/57173_58183.html
◆戦前探偵小説最盛期 "第二の山"(乱歩)"第一の波"(笠井)
・『ぷろふいる』創刊 1933
・蒼井雄『船富家の惨劇』 1935
◇「本格探偵小説」
http://d.hatena.ne.jp/mystery_YM/20081205/1228485253
・甲賀三郎「印象に残る作家作品」1925 が初出 http://kohga-world.com/insyouninokorusakukasakuhin.htm
・小酒井不木「当選作所管」1926 (「本格」「変格」使用)
・当時の「探偵小説」という語の広さ……「本来の」探偵小説detective storyとそれ以外を区別
・"理知的作品"と"恐怖的作品"、"健全派"と"不健全派" 1926(平林初之輔)
・本格・変格論争 1931(甲賀、大下)
◆戦時下の中断
◆戦後のミステリ復興 "第三の山"(乱歩)"第二の波"(笠井)
・横溝『獄門島』1948
・『宝石』第一回公募 1946(香山滋、飛鳥高、山田風太郎、島田一男)
・『宝石』第四回公募 1949(鮎川哲也、土屋隆夫、日影丈吉)
・清張『点と線』1958 (表紙に「推理小説」https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAVVEU)
・講談社「書下ろし長編推理小説シリーズ」1959-1960?
参考…
・甲賀三郎『音と幻想』1942 http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007753808-00
・"探偵小説を「お化屋敷」の掛小屋からリアリズムの外に出したかった"(清張)
◇「本格冬の時代」?
・謎解きの興味の強い作品は絶えていない……『本格ミステリ・フラッシュバック』
・清張は謎解きを排斥していない。「新本格推理小説全集」1966 "ネオ・本格"
・「現実離れ」の作品が世に出にくかった……らしい https://togetter.com/li/300116
・風俗を描いただけの謎解きの要素の薄い作品が氾濫していた……らしい?
"社会派ということで、風俗小説か推理小説かわからないようなものが多い。推理小説的な意味で言えば水増しだよ"(清張、1976)
◇複数の対立軸? http://d.hatena.ne.jp/noririn414/20070314
・「おじさん」――「稚気」
・都会・洗練――土着
・歴史ミステリ、ハードボイルド、エスピオナージュ、「冒険小説」、伝奇小説、SF、……
◆「新本格」以前の非・サラリーマンリアリズムの系譜 "2.5波"(笠井)
・桃源社「大ロマンの復活」1968- (国枝史郎、小栗虫太郎、海野十三、久生十蘭、香山滋……etc)
・雑誌『幻影城』1975-1979(泡坂妻夫、連城三紀彦、栗本薫、竹本健治……etc)"探偵小説復権"
・江戸川乱歩賞の青春ミステリ……小峰元『アルキメデスは手を汚さない』1973、梶龍雄『透明な季節』1977、栗本薫『ぼくらの時代』1978、小森健太郎『ローウェル城の密室』(最終候補)1982、東野圭吾『放課後』1985
・「新本格」の公称は『水車館の殺人』から……講談社文三によるブランディングの側面
・鮎川哲也賞 1990-
・『競作 五十円玉二十枚の謎』1993
・『本格推理』1993-2008
そういうのを割と日常的に見てる男にはあんまり分からないんだけど、多分普通の男からBLを見たみたいなもんなんだろう そりゃキモい
レイプもあるし酷い結末のやつとか、実際にやったら大変なことになるやつも沢山ある でもシコれるから皆見てる それがキモいんだろう
実際痴漢とか性被害を受けた女から見たら耐えられないのかもしれないし、女ってだけで色々暮らしづらいこともあったんだろう そんな状態でコンビニに置いてあるエロ雑誌を見るのは嫌だろう そりゃそうだ
ただ、それでなんで今シコってる連中とか絵を描いてる連中に突撃しようと思うのかがわからない 俺は当然痴漢したことないし、セクハラしたこともないし、女の楽しんでるものをキモいって言ったこともない このキャラクターはあんたらとは何の関係もない、ただの絵だ 探偵小説を読んで「殺人事件の遺族がどう思うと思ってるんだ!」って言えるんならそうしたらいい
俺はエロコンテンツが性教育に役立つとかは微塵も思ってないけど、今の性教育で何にもセックスのことがわからないことの方が問題だし、今起きてる性犯罪を防ぐのが先だと思ってる
あんたらと何の関係もない、実在すらしないもので性的欲求を満たしてる所に睾丸破壊の画像送られて「クソジャップオス」「犯罪者」「レイプ魔予備軍」って言われるのはもう嫌だし、憎しみを向けるなら実際にあんたら女を貶めてる連中をどうにかするのが先決だろう それには協力できるってキモオタも沢山いるはずだ 男も女も、SNSで相手を性器呼びして罵倒し合うことで何か問題が解決できると思ってるなら永遠にやっとけ
俺はもう男の性欲が憎いし、男ってだけで性欲まみれだと思われるのも女ってだけで性欲の対象として見られるのもクソだと思うけど、男女が暴言吐いてお互いに「男/女はやっぱりダメ」って言うことが良い結末に繋がるとは思わない
マジでもう嫌なんだ