「エゴイスティック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エゴイスティックとは

2017-07-31

https://anond.hatelabo.jp/20170731172344

んなこと言ったらアンタ、同性愛に限らずフィクションラブストーリーなんて現実恋愛エゴイスティックで泥臭くて品のない部分を全部取っ払ってその隙間に小奇麗なロマンスを注ぎ込んだようなものじゃない。

2017-03-25

何が正しいかからない

非常にエゴイスティックな悩みかもしれないが、

近所に、扁平上皮癌の野良猫というか地域猫みたいなのがいる。

画像検索したらわかるが非常に痛ましくて、治療も難しい病気だ。

気が付いたときには、もう鼻もなくて、目元まで病に侵されていた。

常に傷口から血がでて、見るからに弱ってて素人目にも長くないことはわかる。

でも、痛みだけでもやわらげられないか動物病院にでもつれていこうとした。

が、ここで。ふと思った。

「同じだけのお金を出せば、もっと多くの猫が救えるんじゃないか?」と。

1匹の猫を見殺しにすることで、そのお金もっと多くの猫が助かる治療避妊手術なんかもできるかもしれない。

自分一人にできることなんか限られている。

それがわかっているなら、最も効率的なことを行うべきなんじゃないかと。

でも割り切れない。死が目前の猫に少しでも安らかな死も与えてあげたい気も大きい。

どうしたらいいんだろう。

2017-03-18

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-02-06

舞台「孤島の鬼」2017版を観劇して

※私の答えが見つかったので、現在最終解答を書いています

ですが、この初見感想も非常に重要でしたので、是非お目通しいただいて推理の参考になさってください。

※表に出した最新考察と印象はこちら。初見感想の次にでもどうぞ

http://anond.hatelabo.jp/20170209222825

http://anond.hatelabo.jp/20170212024356

夜明けて昨日の話。

推しの握手会が思いの外さっくり終わり、通りすがりのご夫婦に推し布教も楽しくできて、気力と時間が余ったので当日券でレッドシアター行ってきた。

とても面白かったのだけど、なんかこうすごくもやっとする原因を掴みたくて、江戸川乱歩原作の方の感想を漁り、こちらのブログに辿り着いた。

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

こちらを拝読してめっちゃスッキリしたので、スッキリしたこと前提に感想を書く。

ネタバレしまくるし、恐らく原作既読でも舞台観劇の方は先に舞台観た方が絶対面白いだろうから観劇予定のある方は読まないでくださいね

まず私がもやっとしたのが、「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」ということ。

こーゆー考察甲斐のあるタイトルや、善悪、美醜、世間自分の解離みたいなモチーフが出てくる作品だと、どうしても「果たして鬼とはなんだったのか?」と邪推してしまう。

そこでまず強烈に思い浮かぶのが主人公であるはずの『私』。

『私』役・佐藤永典さんのお人形のような美貌と、書いて字のごとく鬼気迫るお芝居、そして聞き慣れない失われた昔の日本言葉は、あまりにも『我々観客と同じ存在である共感し難い。

そもそも、主人公目線で語られる物語は、主人公感情移入させて物語に没入させることが狙いのひとつだろうに、全然『私』=箕浦感情移入できない。

ネタバレにならないことを祈って例を挙げると、演劇で観たことがあるミステリーだと『罠』『スリル・ミー』などが思い出される。)

これは『私』が作品の『語り部』であるため、強制的に観客が『聞き手』の役割を担ってしまうからでもあるかもしれないけど……

それにしたって、締めの内容からしても物語の本題が「『私』と諸戸道雄」の関係に集中してしまってならず、

そうすると、田中涼星さん演じる諸戸の執着心のおぞましさに沿ぐわない清廉でどこか儚げな美しさが、彼の一途な愛を健気で尊いものに感じさせてきて、その愛情を受け入れない『私』が何か恐ろしいもののように思わざるをえなかった。

でも、それっておかしくね?って思って。

ホモフォビアを受けることへの同情というか、同性愛差別への嫌悪感も逆手に取られているような気がする。「理由はどうあれ女の子は泣かせちゃいけない」みたいな、ずるい構図が仕組まれているように感じる。

自分が恋をしてフラれた時のこと・恋されてフッた時のことを参照すると、

いくら思わせ振りだったとしても応えてくれない相手の方が悪者だなんて絶対に思えないし、

どんなに周りから薦められてもどうにも受け入れられない相手はマジほんと無理。

目線だって絶対許せない地雷カップリングというもの実在する。

から「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」であるとは、理性的には到底思えない。

でもじゃあどうして「『私』が鬼」だと感じるような作品に仕上げてしまったのか?

これが冒頭に書いた「『私』が鬼のように見えすぎやしないか?」というもやもやの詳細。

この感情原作に対して正当なのか? 舞台版という二次創作であるが故の解釈押し付けなのか?

という部分が気になって、ググって辿り着いたのが先ほどのブログ

http://edogawamy.hatenablog.com/entry/2015/12/05/160636

Wikipediaに書いてあった、「陰獣」みたいな新作をとリクエストされて執筆されたのが「孤島の鬼」らしいというエピソードから勝手妄想して、

江戸川乱歩=諸戸目線で「創作された箕浦」が『私』なのではと解釈し、舞台版にめちゃくちゃスッキリできた。

諸戸道雄の死で物語が終わるのもさもありなん。

観客は真の主人公である江戸川乱歩(諸戸)に感情移入させられて、「諸戸の愛を受け入れない『私』は鬼」だと錯覚してしまうのではと。

田中涼星さんの白木蓮みたいな美しく一切の嫌悪感を感じさせない諸戸は、きっと江戸川乱歩ブロマンス結晶として大正解

対する『私』がエゴイスティックに語れば語るほど、それは作者(江戸川乱歩であり諸戸)の恋の哀しみの深さ、恋情の深さを伝えてくる。

女性に執心する姿がなんか気持ち悪く見える・描かれるのも作者による悋気からだろうし、諸戸に対して残酷過ぎる描写は傷付いた作者本人が語らせてるからだろう。

『私』が歪であればあるほど、「箕浦にもどこか諸戸(作者)を愛する部分があってくれ」といった願いの叫びに聞こえる。

(観ていると「箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑が浮かんでならないのだけど、『白髪になってしまうほどの生理的な恐怖・嫌悪』という動かぬ証拠は、容疑を否定してならず、この辻褄の合わないミステリーももやもやの一つだった。)

メタ推理として「陰獣」を出したのも、江戸川乱歩自身による己の殺害物語カタルシスにあるように感じられたから。自身を不幸の中で殺すことで、遺された人間へ爪痕を残すという側面も含めてね。

(愛を願いフィクションを書き綴るのに成就させず永遠片想いとして殺す……って、個人的めっちゃ萌える。)

作者による「ぼくが考えた最高に美しく残酷箕浦永遠に愛してる)」ってやつ。考えたというか、「恋愛疑心暗鬼の中で見えていた箕浦」。

しかしそれが本当に『箕浦』のすべてだったのか?

舞台「孤島の鬼」(2017)では、語り部の『私』と『箕浦』を別の役者さんが演じている。

私は原作未読であるため、同一人物であるはずの二人を別々の人間が演じるということが奇策なのか妥当なのかわからない。

でも、配役を知ったとき

美少年役もまだまだできそうな童顔の佐藤永典さんが30代で老人のような白髪姿になった『私』で、

佐藤さんより身長も高く年上にだって見えかねない美青年石田隼さんが20代箕浦過去の『私』」を

演じることが疑問だった。

いくら『私』は外見が変わってしまったといえど、あまりにも二人の外見が似ていないこともあってね。

「もう一人の自分」みたいな表現が出てくる演劇はいくつか観たことがあるはずだけど、原作未読とはい観劇前に違和感を持ったことはなかったように思う。(まあ大体そういった存在物語の核心中の核心に触れるので、配役表から対の存在公表されてることは少なそうだけども。)

しかし『私』を『諸戸が想い描く箕浦』とすると配役がまあしっくりくるし、『本物の箕浦』と役者を分けたことが大発明のように感じられる。

舞台上には二人の箕浦が同時に立ち、シーンによって他者とのコミュニケーション表現担当者が変わるのだけど(どっちが台詞を言うか、みたいな)、

諸戸と出会い親交を深めた学生時代箕浦はずっと『私』(佐藤さん)が表現し、

諸戸と別離大人になり恋人の初代との出会いから箕浦石田さん)は登場する。

石田隼さん演じる箕浦は、佐藤さんの『私』と同一人物のはずなのに、鬼なんて印象もなく何故か善良な青年に感じられていたのだけど、『私』の方が諸戸(江戸川乱歩)の色眼鏡認識された箕浦なんだと思えばこの対比はすごくいい。

 

「『私』は諸戸目線で見えていた認知の歪んだ箕浦であるため、『私』の歪さから箕浦も実は諸戸を愛していたのではないか」という容疑を持ってしまうが、

事実として『箕浦』は諸戸に迫られることに身体変調するほどの生理的な恐怖・拒絶を示している。

(皆さんは自分の体が深層心理拒絶反応で意のままに動かせなくなったことがあるだろうか。私はある。手から全身が痙攣してゆき、これしきのことで動じるな止まれ意識しても震えがまったく止まらない。だから私は生理的な拒絶は動かぬ心の証拠だと考えている。)

箕浦』は諸戸の性愛を受け入れることはできなかった。

しか性的に愛されないことが、『愛されていない』ということなのだろうか?

必死に求めるあまり諸戸からは見えなくなっただけで、性愛ではないけれども某かの情が、性愛にも決して劣らない尊い愛が『箕浦』にもあったのではないか

そういった諸戸の盲点が、諸戸が『私』と会話し夢中になっている時の『本物の箕浦』(石田さん)にあったのではないかと、舞台演劇となり二人の箕浦が居ることで私は考え至った。

物語としての「孤島の鬼」の作者は諸戸(江戸川乱歩)だという解釈は私が勝手にしてるだけなので、舞台版が諸々の采配をこの解釈で行ったかはわからないけど、改めて『私』と『箕浦』の登場場面の違いを確認しながら観劇したら面白そうだなぁ!

より妥当なところの分裂理由として「箕浦二面性」はあるだろうし、じゃあそれぞれの境界線舞台版ではどこだと考えられているか読み解くのも面白い

作中に登場する双生児は境目が見えたけど、二人の役者に分けられた一人の人物のメスは何処に入ったのか。

うろ覚えだけど、諸戸の告白以降は『私』が箕浦として生きているから、舞台では箕浦と諸戸は一緒に天国に行けたのだ、な~んて解釈ハッピーだよね。

(どちらかというと、諸戸が悋気を持たなければ、欲を出さなければ、あるいは悪い男になれていたら、箕浦と一緒に天国に行けたかもしれないのに諸戸が鬼の箕浦を生み出してしまった…って自己破滅エンドの方が私は好きかな。まさに疑心暗鬼を生んだ、的なね。)

(報われず自分に追い込まれ破滅した美しい男性テーマ舞台大好物なんです。)

延々と箕浦組について語って夜が明けてしまったけれども、他の役者さんや演出表現もとても良かった。

諸戸の父親最期に対して、主人公である箕浦』の感情が語られず『諸戸道雄』の感想セリフとして発せられたのも、諸戸の父親を演じていたのがまだ30前半と『私』に近い年齢の美しい河合龍之介さんで妖しい男の色気を放っていたのも、「諸戸の主観こそが語り部の『私』」であったとするならよりしっくりくる。

父親の変貌は、絶対他人箕浦よりも諸戸の方がショックな出来事だ。

父親越えなんてテーマもよくあるほど、子供から見た方が親はより巨大さ恐ろしさを増すし、親が壊れる様というのは「自分にも起こり得る恐怖」と「自分があれほど巨大に感じていたものとは一体何だったのかという虚無」感がぱない。私も父親経験たからわかる。

河合さんの怪演は本当に感じるものが多くあった。

舞台というもの面白いもので、同じ現実を同じ密室複数の人々と同時に別々の目線位置角度(物理的な意味で)から観測するものから

書籍映像物語を鑑賞する以上に「他者が見ていない『自分視点』」が感想を述べる際にものすごく意識される。

たとえ自分複数人居たとしたって、観劇した感想は同じにならない。

演出による印象操作完璧に同一にはできない。(それをぶち超えるクソチート暗殺者が『音楽』だと私は考え重要視しているけど、それはまた別の話)

から舞台は観るだけでも楽しいし、感想を言うのも聞くのも他メディアの何倍も楽しい

そんな訳でこれらの感想はすべて《私》の主観しかなく、原作者スタッフキャストが込めた意図真相はわかんないんですけどね。

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」、とてもよい観劇でした。

2016-12-04

日本死ね擁護って結局ポジショントークっしょ

日本死ねって発言はどう考えても過激エゴイスティックで歓迎できない

日本死ね比喩だし・・・」みたいな擁護してる人たちは

なぜかリベラル側に多いようなので当てつけで書くけれど

国粋主義者が「日本多民族で汚れ、武士道精神もなくなり、

堕落してしまった。日本死ね」と言ったら「お前の個人的

思想日本を巻き込むな」とブチ切れていたのでは?

結局、日本死ねという発言の良し悪しは判断してなくて

ポジションメッセージ性で無理やり擁護してるだけなんじゃない?

そういうことしてるから政治の話ってほんとくだらないんだよね

右も左もポジショントーク判断を捻じ曲げるから

2016-05-23

人間なんてみんな嫌なやつで欲望丸出しでエゴイスティックで醜悪などろどろした部分を持っててだからこそたまらなく愛おしくて積極的に関わり合いたくなる

フォルダ分けで言うと『愛すべき観察対象』『愉快な仲間たち』って感じかな。

http://anond.hatelabo.jp/20160523004107

2015-07-17

少年ジャンプ

死にかけのそいつ特殊事情を解決するための

妄想主語になってる凄まじくエゴイスティック

そういう特殊事情のない人間から見ると読むに耐えない

最悪な作品な訳だがこんなものがあることを察知して日本

どんだけエゴイスティックで浅ましいのか察知しないバカ死ねよ。

面白い云々以前の問題だろ。

2015-05-28

老人には無条件で席を譲るべきという記事について

山移 玲という人が書いたこ文章

http://allabout.co.jp/newsdig/c/83419

山移 玲の駄文を信じて疑わない人間は以下のページを読むといい。抜粋しておく。

http://tspsycho.k-server.org/ent/ent043.html

自己中な人間ほど我慢を美徳と思う

本当に優しい人は、「我慢してあなたのため」とされることをあまり快く思わないでしょう。

自分で頼んでもいないことを苦しい思いの中で「あなたのため」と言われてされたら、かえって困ってしまます

優しい人が多い社会では、このような「美徳」は無用です。

他方、人を踏みにじってでも自分利益を得ようとする人ほど、「私は我慢して貴方のために」として差し出されたものを喜ぶことになります

実際この「美徳」は、現代社会では悪徳商法でよく利用されてしまます

「こんなに時間をかけて説明したのに、どうしてくれるんだ!誠意を見せろ!」と脅すわけです。

「我慢が善」という感覚が身にしみついている人は、「しかたないか」と必要もないもの契約してしまうわけです。

これでは、本人に損であるだけでなく、悪徳商法をはびこらせるのを助けているようなもので、とても「善」ではありません。

まるで、「人に良くするのは善」は、エゴイスティックな人のためにある美徳であるかのようですね。


日本道徳矛盾した「愛情強制である

真摯宗教としての姿を失った日本道徳は、実はその実体は「愛情強制」と言えるものになっているように思われます

そしてその「強制」において、実は人を愛していません。

ここに大いなる矛盾内包されることになります

「~のためには~しなさい」という話の筋を失った情緒道徳は、実は、「私に気に入られたければ」「皆に嫌われたくなければ」と暗黙の中で脅していることになります

子供は、親に愛されたいから、皆に愛されたいから、「良い子でいよう」と思うのです。

子供にとって、愛されることは生死にかかわるような重大なことなので、愛されるために親の言うことを何とか自分自身に取り込もうとするのです。

ところが、この「道徳的しつけ」が「~しなきゃ駄目でしょ!」という怒りを伴うにつれて、実際には子供を愛していないことの表現になってきます

怒りは、相手を破壊するための感情です。

大人は「それも愛情だ」と言うかもしれません。それは大人の言葉世界では通用するかも知れませんが、子供には通用しません。そして人間の心のメカニズムには通用しません。

怒りは、どんな言葉で飾られようとも、破壊なのです。

子供は、親に愛されようと、必死になって親の言うことを聞こうとします。

しかしその親の言うことが、子供を愛していないということです。そして親の言う通りにしても、愛されません。そもそも愛が欠けているからです。

「良いこと」をすれば愛されるということは、現実ではありません。愛と善はあまり関係なく、強さと関係します。

現実は、道徳が言う世界とは違うのです。

2014-11-24

http://anond.hatelabo.jp/20141124221022

違う

人間とはエゴイスティック存在であり

契約は力を持つ側が有利になるように設定されるのが自然

ここに既に能力(もしくは成果でも仕事量でもよい)と利益アンバランスが生じている

まり自然な状態では無能ほど能力に見合った利益が得られないのだ

それでは社会が成り立たないから富の再分配機能がある

余剰が生じている状態は明らかに過剰な偏りであり

再分配機能がきちんと働いていないことを意味している

2014-08-10

子供が嫌いなだけでなく、子供を持つ親のあの図々しく自分の子供ばかり優先させるようなエゴイスティックな態度が嫌いなのだ

自己中心的他者を顧みない人間ほど、子供を持ちたがる気もする。自分遺伝子によほど価値があると思っているらしい。

自分さえよければいい、自分の子供さえ喜んでくれれば他はどうなっても知らない、そういうの見ると本当に気持ち悪いと思う。

2014-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20140518150636

今の小学校だって「いい生徒」は教師や親が求めるように回答するじゃん

小学生なんて動物エゴイスティックから自分の望むままの回答したら

そりゃ目も当てられない自分勝手ものになるだろ

小学校教育では「社会で軋轢を生まないふるまい」を刷り込むっていう側面も必要

んでこのDQN教育でも今の学校教育と同程度に社会で軋轢を生まないふるまいを身に着けられると思う。

ベクトルは違うが

まあ”同程度”なら俺はおとなしいガキの方が好きだからやめてほしいけど

2014-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20140228030755

ブックマークで沢山コメント頂いていたので

星が多かったものから返信を。

feita まず長く一緒にいられるのは良い人を見つけたからって発想の時点で間違ってる。お互いに悪い点もありつつ、そこを我慢しあったり譲りあったり助けあったりするから長く一
緒にいられるんだよ(童貞談)

初期条件で相手に満足できていれば、その後の生活で生じるもろもろの問題にも我慢しやすいんじゃないでしょうか?

特に性格あわん人とずっといるのはしんどいと思います

serio 「費用も手間もかけたくないが、いい女性出会いたい」ワロス結婚するとなったら出会いにかける手間なんて問題にならないぐらい費用と手間がかかるんだから出会い
それらを惜しんでいる時点で結婚は無理。

費用と手間をかけるなら確度の高い方法がねぇかなぁ とは考えています

kane_to_onna 素直に「彼女欲しい」って言えばいいのに。こいつの場合はなーんかめんどくさそうな男の臭いがするんだよな。育ちがどうとか出会い系の女がどうとか。まずはその偏
狭なもの見方をどうにかするべき

面倒でさーせん。素直に、良い結婚相手と出会いたい と言ってるつもりでしたが。

無条件で「俺と結婚してくれるなら誰でもいい」とは考えられなかったので。

でもこれって普通だと思うんですが、ずれてる?

atama_ii atama_ii 出会い系真剣に探してる人も多いの。バカにしないでほしいの。

出会い系の方が真剣に探されているのを否定する意図はありません。

ただ売れ残り性格に問題のある方、高齢者が多いイメージはあります

kaerucircus てか、モテる人って異性の良い所を見つけるのが上手いんだよ。好きなタイプの子を探すよりも、近くに居る子の良い所を見つけるから好きになれるし好きになってもら
えるの。出会いが無い人は他人に興味が無い事が多い

理論的には好意の返報性というやつですね。よかった探しはしてみようと思います

近くにいる子がいないので、そこをどうするかですが。

toaruR 「出会い系で男を探すような女性」が嫌いなら、合唱なり演劇なり、なんかはじめて「接点」を増やすのが真っ直ぐだよね?(・ω・) 「棚ぼた的に紹介してもらえるとか思っ
てる男性」として嫌われたくないなら。

趣味サークルに参加しての接点増加は検討してみようと思います

真面目に活動している方に「出会い厨ウゼー」と申し訳ないことになる可能性はありますが。

miyuking4649 結婚しようと決めた彼氏がこんなこと考えて付き合ってたんだって思ったら吐き気がする。商品物件として見られているとか引くだろうな。

親の介護子供教育、今後の人生プラン  

人は色々考えて動いていると感じるのですが

配偶者選ぶだけ何も考えずフィーリングという方は少ないのではないでしょうか。

kisiritooru はてな匿名ダイアリー その打算的な考えをを捨てたときにやってきます、とか言って考えを捨てたまま80才になったらごめん。

相手を搾取して幸せになってやろうというのではなく、相互幸せな家庭を築きたいので打算的とは何か違うと思いますが。

良い相手と出会いたいという考えを捨てるだけでは、出会い自体は増えない気がしますが。

uma666 残り二割の人が集まりそうな場所で問題を投げかけるより、既婚者たちを見て、既婚者たちに聞いた方がいいと思います

リアルじゃこんなエゴイスティックなことはなかなか言えんのです。

あと同種のこと考えてる人もいるはずなので、どうしているか知りたかった。

kei52588 こういう人って「出会いがない」んじゃなくて「出会いに気付かない」って場合が多々あるね。あと、条件厳しすぎたり。結婚したいなら条件なんか一切考えない方がラク

フィルタリングしてしまってるということでしょうか。

しかし、一切条件のない結婚想像がつかないのですが、手当たり次第に求婚するということでしょうか。

2013-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20131206142748

戦争準備であるという意見の一つとしては、この孫崎享インタビューhttp://wpb.shueisha.co.jp/2013/11/19/23215/)が幾つかの見方を示している。

私はこの記事全体や孫崎享の普段の言動全てに賛同しているわけではないけれど。

リンク貼って終わりというのもなんなので、門外漢ではあるが私なりの言葉で説明してみる。

1:アメリカ(など)の起こす戦争に巻き込まれる恐れがある

特定秘密保護法案を後押しする背景には色々あるけれど、アメリカ意向に従うためというのは大きな要素の一つだという見方がある。

上で貼った孫崎享インタビューはそれを強調した例だが、たとえば比較的中立そうな(という私の言葉鵜呑みにするべきではないが)この郷原信郎の記事(http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/post_6356_b_4388670.html)でも、

今回、この時期に、急いで法案を成立させようとしている背景に、アメリカ意向が働いていることは否定できないであろう。現在の、日本外交政策の下で、外交防衛に関する秘密管理厳格化することは、「対米追従」を一層進め、アメリカとの軍事同盟を強化することにつながる。

という風にある。

相手はアメリカに限った事ではないと私は思うのだが、結局、情報セキュリティレベルを上げないと、世界各国から情報面で信用してもらえず、安全保障上で有用情報提供してもらえない、というのがある。この法律によりセキュリティレベルを上げることでそういう情報をもらいやすくするというのはあるだろう。その、便宜を図ってくれそう・守ってくれそうな中心はやはりアメリカであるが。

しかし、当然外交は、情報をもらって「あざーっす」ではすまない。こちらからもお礼をしなければならない。それが問題だ。

安全保障情報提供してくれるというのは、やはり軍事的な繋がりを強くするということになる。

そして軍事的に強く連携した諸外国日本に何を求めてくるか考えてみれば、それは自国の参加する戦争日本も、自衛隊も参加してくれということだ。

私は、アメリカなどとの軍事的繋がりが強化されるという所までは間違いないと思う。ただ、果たしてこの、戦争日本の武力を提供することを要求されるかという最後の部分はよく分からない。そうだ、とも違う、とも判断しきれない気がする。あいつら、何考えてるか全然わかんねーもん。ただ、懸念としては一理あるとも考える。

ここは、各国と連携を強めることで日本戦争テロ被害を回避する能力を手に入れるメリットが大きいと考えるか、連携に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないデメリットが大きいと考えるかである

そこに正解はあるのだろうか。


2:政府自分に都合の悪い情報――たとえば戦争準備を進めてるとか――を恣意的特定秘密に指定しうる

法案の修正案(http://www.asahi.com/articles/TKY201311260565.html)の最後の方に、『別表(第三条、第五条第九条関係)』として特定秘密に指定可能な情報が列挙されている。

この辺りについて、曖昧恣意的秘密指定ができてしまう、という批判が多い。

戦争を危ぶむ人は

イ 自衛隊運用又はこれに関する見積若しくは計画若しくは研究

ニ 防衛力の整備に関する見積若しくは計画又は研究

なんかに危機感を持つだろう。政府自衛隊防衛力について目論んでいることが、およそほとんど特定秘密に指定しうる。防衛力、言い換えれば軍事力を過剰に増強して戦争準備をしても、国民はそれに気付けないということだ。

また私としては、

イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究

ロ テロリズムの防止に関し収集した【国民生命及び身体の保護に関する重要情報】又は外国政府若しくは国際機関から情報

辺りにも注目したい。

テロ悪用されうる情報特定秘密に指定しうる」ということだが、考えてみれば、悪用した際にテロリズムに結び付かない情報などあるだろうか。国に関する情報というのはほとんどが悪しきものの手に渡れば日本国ダメージを与える事態が想定しうる。つまり、どんな情報だってこの項目に当て嵌めて特定秘密に指定するよう理屈はつけられる。政権に不都合な情報恣意的特定秘密にできる。

もちろん、まともな政府なら、こっそりと極端な防衛力強化などしないし、特定秘密指定の濫用等しない。だが、自民党でも民主党でも他の党でもそうだが、今から未来に渡っての政府に対して常にまともであることを期待するのは、リスクが大きすぎるのではないだろうか。

人は愚かでエゴイスティックだし、権力はいつか暴走するものだと私は考えている。そういう政府権力が生まれた時に、この法案があると危険である

しかし一方で、この特定秘密指定要件は妥当と言わざるをえないとも私は考える。

というのも、安全保障でも外交でも防諜でもテロ防止でもそうだが、それらについて公開するとまずい情報というのは様々なものがあり、ある程度曖昧な要件にして包括的に判断できるようにしておかなければ、この法律を善なる目的のために使おうとした時に困ってしまうからだ。

特定秘密指定は恣意的に出来てしまうが、恣意的に指定する柔軟性がなければ秘密保護有用性を持たないというジレンマがここにはある。

果たしてどうすべきか、多分完璧な正解はない。

ただ、善後策として、あまり秘密指定の濫用がされた場合に、それをチェックする機関を置くという手がある。

だが次項で述べるように、それも不十分であることがこの2の項の不安さを増している。


3:チェックシステムの不十分さ

政府が万一悪用した際に大きな問題が起こる法律でありつつ、その運用のチェック方法が明確でない。

修正案では、

第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。

2 【内閣総理大臣は】、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報保護行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を【聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。】

【3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。

4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣代表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合おいて、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。】

国会への報告等)

【第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。】

ということになっている。

要するに内閣総理大臣がチェック機関の役目を果たすということだ。しかしこれは全然チェックの役目を果たさないのではないか

もし将来悪しき政府や悪しき行政が出現したとしたら、行政トップである内閣総理大臣もその悪の側についている可能性が大きい。なのに内閣総理大臣が適性かチェックするというのは、まるで意味をなさない。

流石にこれだけではまずいと思ったのか、

(指定及び解除の適正の確保)

第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障資するものであるかどうかを独立した公正な立場おい検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。】

ということも追加されているのだが、チェック機関について検討し措置を講ずるというのは、これから講じますけど具体的に何をどうするか決まってないということになる。

まして、政治におけるこのような検討する・講ずるという言い方は、努力目標のようなもので、実際の対応には結びつかないことが多々ある。

真剣に適正さを確保するつもりなら、「検討し、所要の措置を講じた」上でそれを発表して、改めて法案を通した方が広く納得を得られるように見える。だが現在与党は見ての通り強行採決に踏み切り、それが「本気で適正な運用をするつもりがあるのだろうか?」という不安を煽る。


その辺りをつつかれたのか、昨日の12月5日にこういうニュースがあった。情報保全監察室内閣府に設置、とのことだ( http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131205/k10013613641000.html)。

与党側は、5日午前、日本維新の会みんなの党に対し安倍総理大臣内閣官房に設置する考えを示した事務次官級による保全監視委員会とは別に特定秘密の指定の妥当性をチェックする新たな機関内閣府に設置することなどを提案しました。

これについて、菅官房長官は、法案を審議する参議院特別委員会で「法律施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要場合立法により、できるかぎり『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べました。

そのうえで、菅官房長官は、情報保全監察室担当する業務について「独立性の高い第三者機関を設置する必要があると承知しており、各行政機関による個別の『特定秘密』の指定や解除、有効期間の設定や延長を検証・監察し、不適切ものについて是正を求めていく」と述べました。

情報保全観察室、とかいうチェック機関を置く方向を見せてきました。が、それが具体的にどんなものなのかはまだはっきりしていない。この瀬戸際で出された提案なので当然だが、内閣府に置かれたそれが第三者機関として十分に働くかは細部が分からないので何とも言えない。

これについても、真剣に適正さを確保するつもりなら、ある程度情報保全観察室であるなり、独立性の高い第三者機関設置なりの案を煮詰めてから特定秘密保護法案を議論にかければよい。

だがそうしない。不安である

私としてはこのチェック機関についての議論をもっと充実させてほしかった。

が、ここでもやはりジレンマが発生する。

秘密は知る人が少ないほどセキュリティが保たれるので、チェック機関が大がかりであるほど秘密実効性が薄れてしまうのだ。

それならチェック機関を小規模厳密にすればいいかと言えば、そうすると少人数の意思だけで判断されてしまい、容易に偏ったり腐敗したりしうる。

どうしたらいいのか、私には分からない。

まとめ

戦争準備という論点から外れて個人的な懸念も書いてしまったが。

上記1~3をまとめると、特定秘密保護法案戦争準備のはじまりである理由は、

・諸外国戦争に巻き込まれるリスクを増し、

・実際に巻き込まれつつあっても/または日本単独で戦争に向かい出してもそのことを政府隠蔽できる手段を与え、

・そのような政府の悪行を咎める方法が不十分である

という、複合的な理由によるものではないだろうか。

おまけであり根本の問題:政府国民も信用できないのに、信用できることを前提とした法案である

結局のところこれである

権力は腐敗し暴走する。

政治家は必ずしも清廉潔白ではないし清廉潔白でも判断を誤り得る。

私を含め国民は誰もが賢いわけではないし容易に騙されうる。

行政立法司法、省庁、識者、学者マスコミ主権者たる国民右翼左翼ノンポリ、将来にわたり完璧に信用できる人間集団なんてない。

適正に運用されればためになる法律だって解釈を工夫すればいくらでも悪用できる。

から、強力な力を持つ法律システムには可能な限りセーフティロックをかけておくべきだ。

だが、上でつらつら書いたように、セーフティロックが十分だとはとても言えない。

そこがよくないと私は考える。

諸手を挙げて賛成している人たちは、政府や、自分国民を完全に信用しているのかもしれない。

私には強い不信感がある。多分反対する人たちの多くにも不信感がある。

特定秘密保護法案に限らないのだが、この、根本的な、国や人間のものへの信頼意識のずれをすり合わせないと賛成反対の議論はかみ合わないだろうし、実際噛み合っていないことが多い。

ま、議論したところで、与党めっちゃ圧勝するような国会作っちゃったらあんま意味ないんだけどね。

2013-12-05

デモ抑圧はデモクラシーの危機なの?

タイトルだけだと語弊がありそうだけど、

ツイッターで「デモデモクラシーデモであり、それを抑えつけることはデモクラシーの危機だ」

みたいな文章があった。(その人への特定攻撃がこわいので文は若干改変)

そもそも「デモ行進」「デモ活動」みたいな言葉の「デモ」って「デモンストレーション(示す、証明する)」だよね?「デモクラシー民主制)」ではないよね。雰囲気類推解釈して叫んでる人が疑問。

しかに、デモクラシー国民の声によって政治機能させる制度だし、「デモ活動」は政府の方針に反対する人の「民意」なわけだけども、、「間接民主制」じゃん。

選挙によって(「民意」によって)選んだ政党議員がその方針を示してるわけだから、過剰なデモを抑圧する分にはいいんじゃないカナ。

だって、今回の法案反対デモに参加してる人って選挙の時に自民を選択した人もきっと大勢いるんでしょう?なのにあんなにムキになっちゃって変じゃない?

プラカードの中にはものすごくエゴイスティック言葉が書かれてたりするし、そういう人ってまず法案に目を通したのだろうか。選挙ときマニフェストをしっかり確認して投票したのだろうか。

メディアを作っているのは人だし、その個人には思想があるわけで偏向報道するのはもはや前提条件だと思うけど、あきらかにそれに流されて自分自身の意見を持たずにメディアから受けた言葉を「民意」だと思い込んでる人が多い気がする。

法案にしっかり目を通す、わからない文言があったら辞書を引く、それでもわからなかったら賛成派、反対派の意見感情的な論調のものを除いて)両方に目を通して自分なりのロジックを組み立てる。そうやってはじめてデモクラシーが達成されるんじゃないのかな。

民意」が届かない!最低だ!って叫んでる人はさ、民意が直接届いた1933年ドイツを振り返ってみてよ。ツイッターでも感情的に賛否の議論をして白熱してるのをよく見かけるけど、そういう意見の多数者によって物事がどんどん決まっていったらそれこそ衆愚政治になってしまう。

選挙によってフィルターを通し、与党野党さらにそこで議論を行って慎重に決めている現在日本(確実にそうかと言われると疑問だけど)は、直接「民意」が届かないからそれなりの生活ができてるんじゃないかな。

民主制なんて国のリーダーが全部きめるわけじゃないんだから、確実なベストはありえないし国民が冷静に落ち着いて議論しつづければ「そこそこイケてる」国でありつづけると思う。条件反射的に「それはだめだ!あぶない!死ぬ!」とかやめようよ。

2013-12-04

東南アジアに行って子供写真撮る女

周囲にそんな女が2人いる。アラサー独身

日本では生きづらいのか、東南アジアにばっかり行っている。

現地の子ってそんな純粋か?元気をもらえるか?

現地の人を見下してるように思ってしまう。

一人目は、カンボジアに行くと”帰ってきたーって気がする!”と言っている。彼氏カンボジア人だった。

でも日本人彼氏(超いいやつ)と同棲しながらカンボジア人に股開いてた・・・

結局日本人ともカンボジア人とも別れてた。

いつも、うおー!やりきってやる!とか、負けたくないと言っている。何にかはよく分からない。

諦めたくない!全部を手に入れるんだ!と言っている。自称サバサバ系だけどどう見てもネットリ系。

でも本人は、なんでも出来てしまうから可愛げがないんだと言っている。

もう一人は大学卒業後にアート系に目覚めて、よく分からないフリマイベントで変な小物を売っている。

みんなに来てきて!と言っているが多分誰も行ってない。

正直、貧乏っぽい。過度なナチュラル系。放射脳となり周囲にいつも放射能危険性をアピールしている。

でも東京に住んでいる。移住はしない。子どもたちには移住して欲しいらしい。

誰もわかってくれない!こんなに危険なのに!子どもたちを守ろう!と言っている。

いかにも左派っぽいけどイデオロギーの話とかはよくわかってない気がする。

ふたりとも不器用というか馬鹿すぎて見ててイライラする。

30歳前後ってもっと自分を見つめて、自分は何が得意なのか?何なら捨てられるのか?どうやって生きていくのか?

を考えるものじゃないのか?

2人ともあまりエゴイスティックな気がしてしまう。結局は自分世界だけで生きているのでは?

たぶん根本的なイライラの原因は、俺が二人とヤッってしまったということだ。

なんであんなのと寝てしまったんだ俺は。

自己嫌悪

2013-11-25

去年マンション買った

品川まで50分の埼玉県。3400万円 3LDK 72平米

自分33

嫁 27歳

子供 3歳(来年+1確定)

新築大規模マンションから、同じような家族構成の人が山ほど(500世帯以上)いる。幼稚園小学校心配になるくらい。

正直、周りを見ると旦那の年齢はもうちょっと上な気がする。35-40くらいかな。嫁は若い方だと思う。30オーバー基本。

あと3-5年後に買うのが適正年齢なんだろうけど、3-5年後の金利自分貯金予定額、住宅ローン減税を考えると、もう買ってしまった方がいいと思った。

さっさと安定してこれから人生を過ごして行きたい。これから年収も上がっていくだろう。公務員から先は読める。民間より少ないけど、貧乏でもない。

マンションは住んでみてすげー快適だと思った。賃貸には戻れない。基本的な仕様が違うから当然だが。住んで不満はないことと住んで快適ってぜんぜん違うよ。

ネットの持ち家は情弱理論って、人間の欲求段階を無視してるよなーと。まぁ酸っぱい葡萄なんだろうけどさ。

大きな出費はもうないだろうと思う。車ぐらいか。たぶんプレマシーだかフリードだかになるだろう。ファミリーカー上等だ。

僕のパーソナリティとして、自己実現なんてFUCKだと思ってるので、家族のために生きるってのはかなり快適だ。

自分のために生きるのは辛すぎるし、結局エゴイスティックだと思う。

他人のために自分が何ができるか?を考えるのは精神的な段階が1つ違う。大人になるってこういうことだろうきっと。

幸せに生きるためにはどうすればいいか?考えて、今の状況を手に入れたので満足している。

それなりに努力もしたし、受け入れがたいことも受け入れた。その上で自分幸せに生きるための最善策を考えて生きてきた。

さて5:15になったら帰るか。

2013-10-27

ハロウィンが嫌い

注)「ハロウィン」と書くとなんか頭悪い感じがしてハロウィーンまたはhalloween記述したいのだが、一般的ハロウィン記述口述されてるようなのでそれに倣うとする。

タイトルの通りなのだがこの時期になると街中に趣味の悪い、気持ち悪い飾り付けが蔓延る。数年前とは比べものになら無いくらいで、もはや意識せざるを得無い状況にまでなっているハロウィンだが、私はこれが本当に気が狂いそうになるくらいに嫌いである。しかしなかなか周囲に同意してもらえ無い。逆に「そんなことでいちいち文句言うな」とか「まあがんばれ」となだめられ狭量な者と見做される。私にしてみればなんでお前らそんなに受け入れられるのかが不思議なくらいだ。ちなみに筆者はアラフォー男。

クリスマスバレンタインデーと同様に結局は商業主義の賜物。ぽっかり穴の空いたこの時期になんとかして金を稼ごうと言う守銭奴がどこかにいたのだろう。きっかけはアメリカ文化の凝縮された某ネズミの国のように思う。そしてマスコミが「ニューヨークでは」とか言って煽る。B層どもは簡単に靡いて広告代理店の読み通りの結果を出す。日本国民がすぐこういうものに色気を出すのは、我が国がアメリカ属国である証拠である。そして日本の女はヤンキー男に股を開きまくるのだ。日本の女は須く売国奴大和撫子レイプされてこの世から消え去ったのだ。何がなでしこジャパンだ、笑わせるな。

また「ハロウィン大好き♥」とか言ってる女どもは大抵某ネズミの国の狂信的な信者である気もする。男に比して女はハロウィンについての許容が顕著だが、仮装して浮かれてる女を見ると本当にイラつく。本当に殴りたくなる。ネズミ信者の女の言動を見聞きしした時と同じくらい殴りたくなる。血を見るまで殴りたくなる。

近頃神奈川県川崎市でアホみたいに毎年開催されるハロウィンイベント( http://lacittadella.co.jp/halloween/ ) の今年のキャッチコピーはこうだ。「女たちが未来を作る」。は?女たちが?毛唐かぶれのハロウィンで?バカ抜かせよ。日本人としてのアイデンティティの欠片も無いお前らに未来が作れるわけが無いだろ。ただ中国アメリカ侵略されておしまいだ。11月になってシーズンが過ぎたらまた韓流だろどうせ。川崎だけに。

さらに悲しいのが日本人に何の縁もゆかりも無いこの悪趣味イベント子供たちはすっかり慣れてしま違和感なく毎年楽しんでいることだ。その結果世代間に溝が生まれ、日本の子供たちに日本人ゆかり行事に触れ合う隙間が無くなる。まさに文化侵略アイデンティティ破壊、更なる米国隷属への洗脳教育である子供が大人を脅すような口上で菓子をせびるなんて生意気だ。不躾だ。何が Trick or Treatだ、馬鹿の一つ覚えみたいに。馬鹿の子供もまた馬鹿である

それらを抜きにしても飾りの見た目やコスチュームアメリカン過ぎておサムいことおサムいこと。日本人センスでは無い。流血している死体みたな格好などは単純にグロくて不愉快悪趣味、気分が悪くなる。もういっそ爆破テロでも起きて本当の死体をイヤと言うほど見るがいいさ。ボストンマラソンテロ写真でも見たことあるか?だいたいは無いだろう。

知人に聞いてみる。何でそんなに必死なの?

  • 可愛いくていいじゃん
  • 楽しくていいじゃん

相対的な評価しか無い。絶対的なプレゼンが出来無いのか。人生意味とか無駄に考えるくせに行事意味は考え無いのかよ。無知役得と名付けるぞ。

だって日本人に縁もゆかりも無いじゃん。するとこうくる。

はあ。無教養な結論で締めくくられて終わる。反論でき無い、したく無い。同じ土俵に立ちたく無い。なんでも受け入れるなら中国侵略も受け入れるんだな。だいたい日本人無宗教って誰が決めたんだ。無宗教という宗教が一番アブねえわ。

もっといいよ聞き飽きた。何俺メタル知ってるぜ風吹かしてんだよ。そうやって議論から逃げてるんだろ?馬鹿男も須く死ね切腹でいいから。

お前らな、長い間田舎で息づいてきたお祭りを大切にしろよ。つまら無いならそれを発展させろよ。無ければ何もしなくていいんだよ。静かに秋を楽しめよ。焼き芋食えよ。紅葉狩りしろよ。毛唐から輸入しただけでドヤ顔して公共に迷惑かけて馬鹿騒ぎしてんじゃねえよ。何がお祭だ。お祭りってのは本来土着的で宗教的なものなんだよ。超越的なものをそこここに感じるものなんだよ。それも理解でき無い無宗教クズどもがただエゴイスティックに享楽してるだけじゃねえか。公共の場で騒ぐなよ。山手線占領するなよ。乱痴気騒ぎや犯罪を起こす不良外人は帰れよ。そいつらの下僕に成り下がってるクズ日本人国籍返上しろ

筆者はもちろんクリスマスバレンタインデーも嫌いであるが、ことハロウィンに関しては数年来、文化の闖入をひしひしと察知していたので特に敵視している。これ以上薄っぺらくて上っ面だけの毛唐文化の輸入は勘弁と、平成18年から警戒していた。戦争はイヤ!憲法9条バンザイ!とは言うのに、仮装何するの〜?とかお菓子くれ無いといたずらするよ♪とかハロウィンについての同調圧力はそれこそ軍国主義(笑)だ。日本人なら、ハロウィーンにNOを。

2013-02-14

僕はエゴイストです。

僕にとって、別段所属する組織だの隣人だのがどうなろうと、本質的にはどうでもいいです。

欲しいものが得られ、ねぐらと腹を満たすものがあり、先の見通しが立てば後は野と成れ山と成れ。

ただ、目に付く範囲で他人が苦しんでると、自分の中に不快感情が発生します。

自分はともかく、他人に不幸をもたらした原因は解消しないと心に引っ掛かりを得てイライラします。

また、他人の不幸の片棒を、自分が担いでいたと知ってしまうと更に不快です。

特に自分の知識なり能力が不足していた為に、他人に不幸をもたらしてしまった事、

そしてその事を知ってしまった時の不快感人生に支障を来たすレベルです。

そして性質の悪いことに、僕の感情はすぐに振る舞いや表情に現われてしまうようです。

自覚はあまりありませんが、他人が観察する分には極めて明瞭なのだそうです。

自覚が無いのは、自分を第三者視点で見る能力が、年齢に比較して明らかに乏しい為だと思われます

から、僕はエゴイスティックでありながら、他人に支配される愚鈍で緩慢な人生を送り続けるのでしょう。

軌道修正を掛けようとしていますが、なかなかうまくいきません。

2013-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20130114071904

俺は男だが、人前だろうと泣きたい時は泣くよ。

40に近くなって、涙腺はゆるくなった。

悲しければ泣けばいい。

笑いたければ笑えばいい。

欧米人であろうと、大切な相手なら、感情に寄り添おうとしてくれる。

ちきりんてのは、冷静で客観的なふりをしながらエゴイスティック

相手が自分と異なる価値観だと、はなから見下す。

支配欲の強い女性だ。

でも、知識や立場自分より上で、支配出来ないと、若い時は泣きわめき、今ではヒステリックに騒ぎ立てるのだろう。

それが相手に見抜かれて、立ち去られただけなんじゃないのか。

ちきりんはその時、女性の涙をすべて否定したが、否定すべきは彼女さもしい価値観だ。

「泣く」という行為をすべて否定する必要はなかろう。

増田も、もっと肩の力を抜いたらどうか。

友達の前で、感情をあらわにしてみたらどうだろう?

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん