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はてなキーワード: 鼓舞とは

2019-09-16

5.0学者 好きなだけヒールしながら火力も出そう

こんちには。

ここではヒールワークについては触れず、他のベーシックな部分だけを取り上げます

それでは好きなヒールをして頂いて、それでも今より火力向上させていきましょう。

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スキル回し

蠱毒法→死炎法×n→蠱毒更新→死炎法→…

簡単

お好きなヒールワークをしていいと約束していますから

死炎法の部分は士気とか鼓舞かに置き換えてもいいんじゃないでしょうか。

大事なのはGCDを絶やさず回し続け、ヒールしていない間はちゃんと殴る・Dotを更新すること。

できてますか?

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■ルインラを減らす

基本のスキル回しにルインラが含まれていないことからも分かるように、

死炎法が撃てるの状況でルインラを撃つと火力が落ちます

滑り撃ちを練習してください。ギミック処理の際にもできるだけルインラを減らしましょう。

どうしても移動に必要なルインラは残りますが、できるだけ減らすんです。

ヒールワークを変えろとは言っていません。好きなだけヒールしながら、殴れるところではあなたの最大火力を出して下さい。

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■火力の落ちないヒール

ヒーラーヒールしたら火力が落ちると思われがちですが、学者は火力を維持しながらある程度までヒール可能です。

蠱毒法→死炎法×n→蠱毒更新→死炎法→…

この蠱毒法の更新は30秒に1回あるわけです。ここでヒールアビリティを使いましょう。

そしてギミック処理にどうしても必要なルインラも残っていますよね。ここでヒールアビリティを使いましょう。

どの攻撃に対してどんなヒールをするかは自由に決めればいいですけどアビリティを使うために無用なルインラを増やさないよう意識してください。

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エナジーレインについて

フローが余ったらエナジーレインが使えます

このエナジーレインを撃つタイミングですが、死炎法が撃てるタイミングでは撃たないでください。

死炎法の威力:280

ルインラドレイン威力:350

死炎法が撃てる棒立ちタイミングで撃つドレイン威力70しかないわけです。シナジーが乗ってようが基本撃つべきではありません。開幕転化が悪手になりやす理由でもあります

エナジーレイン威力150で撃てるのは上述した蠱毒法の更新タイミングと移動に必要な削れないルインラだけです。

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信仰

ヒールワークを変えないまま上記実践するとMPが足りなくなるかもしれません。

まり信仰を積んでください。あなたヒールワークには信仰以外を積む余裕がありません。

MPが足りなくて死炎法が撃てないのであれば信仰を高めて撃てるようにしてください。

これはあなたプレイにはクリティカル意思DHよりも信仰の火力貢献度が高いことを意味します。

もしくは、MPが余りすぎる場合には信仰を減らしましょう。

マテリアだけでなく、装備の選択も変わるかもしれません。

必要の無い信仰は穴あき装備と同じです。

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おしまい

ヒーラーの火力について言及すると荒れます

PTメンバーは誰もヒーラーに火力を出せとは言えない空気があります

でも同じようにコンテンツクリアできるなら火力の低いヒーラーを選ぶ理由はなんでしょうか。人柄とか大事ですよね。

もしあなたが火力に自信のあるヒーラーでない場合には努力して火力を向上させるか、人に優しくしましょう。

2019-09-12

anond:20190912162746

弱い立場に置かれている民族鼓舞して活躍を促すことは、アファーマティブ・アクションの一手段として認められているのではないか

日本民族主義が批判され、韓国民族主義が推進される理由

2019-08-03

この喧嘩日本の負けだ

ここ最近日韓の攻防、これは日本の負けだ。

何故なら、今回日本の取った措置は、報道の通り実際には韓国に大した影響を与えず、国民反日感情だけは(予想外に)鼓舞することが出来たからだ。

その為に日本への観光客は激減。日本製品の不買運動は広がり、対日貿易赤字は減るだろう。

そしてこの先、韓国政府は景気が悪ければ「日本のせいニダ」それほど悪くなければ「我々は勝った!ニダ

で通すだろう。

文在寅の勝ちだな。

2019-07-30

anond:20190730190550

本物の戦争させたい連中が、両国火遊び好きを鼓舞してさ…

宿敵は、身内や味方側になりすましていたりするからなあ。

2019-07-28

5.0になってから下手な学者が増えてない?

例えば常に鼓舞を貼り続けて不屈や活性未実装エーテルフローは常に満タンな人とか

そういう人が極にくるせいでクリアできないのにDPSのせいにされちゃって可哀想

2019-06-28

[] #75-1「M型インフルエンザー」

パンがなければケーキを食べればいいじゃない」なんて、マリー・アントワネットは言っていなかったらしい。

なんで彼女セリフとして広まったかというと、“あいつなら言いかねない”からだ。

俺たちはそんなフンワリとしたイメージだけで信じてしまえるわけ。

冷静に考えてみれば、そもそも本人に確認を取っていない情報を信じるなって話ではあるけれど、そんなこと言い出したら歴史上の人物ほとんどがそうだろ?

誰が言ったか、本当に言ったかなんて、俺たちには分からない。

いや、今でも似たようなものかも。

俺たちは信じたいものを好きなように信じて、気をつけて使うべき階段を踏み外して怪我をする。

階段を使うことを決めたのも、気をつけなかったせいで怪我をしたのも自分のせいだけど、そのことについて反省しない。

「踏み外すような階段を作った奴が悪い」って思ってるからだ。



…………

その日の俺も深く考えないまま、学校の階段を一段とばして上っていた。

朝のチャイムが鳴る前に教室に入っとかなきゃいけないから急いでたんだ。

言い訳をしておくと、寝坊したわけじゃない。

登校だとかの面倒くさい日課ギリギリまでやらないことがモットーなのさ。

「よっ、ほっ、はっ」

階段を上るたび、背負っている鞄がユサユサと揺れる。

その振動で体のバランス不安定になりやすく、ちょっと危なっかしい。

さっきの例え話とかけるなら、俺はここで階段から転げ落ちるんだろう。

けど、あくまで例え話は例え話で、フィクションフラグなんて存在しない。

俺は自分教室があるフロアまで駆け上がった。

後は廊下を駆け抜ければ俺の教室だ。

経験上、チャイムが鳴るまで残り十数秒。

ここまでギリギリなのは初めてだ。

やばいやばいやばい

こんな余裕のないことをしておいてナンだけど、俺だって遅刻したいわけじゃない。

焦るものは焦る。

からといって、ここで走ってはいけない。

先生に「廊下を走るな」と止められる可能性があるからだ。

実際、それで遅刻しかたこともあるので、ここで走るのは危険を伴う。

急いで歩くことが求められる。

「急げ、急げ、急げぇ~」

そう呟きながら自分鼓舞しつつ、競歩選手並にクネクネしながら教室へ向かう。

スピード的には走っているようなものだったけど、常に足のどちらかは地面に接しているので問題ない。

だけど、それでも残り数秒あるかどうか。

頼む、間に合ってくれ。


――――キンコーンカンコーン

朝のチャイムが鳴り響く。

その音を俺が聞いた場所は……自分教室内だ。

「イエイ! 時間ピッタリ!」

これまでにないほどバッチリタイミングだったので、思わずガッツポーズをした。

客観的に見れば、ただ遅刻しかけただけなのに。よくそんなに喜べるな」

そんな俺に、クラスメートのツクヒが冷や水ぶっかけてくる。

「偉そうなこと言うなよツクヒ。遅刻しなかったのも、遅刻しかけたのも同じ。つまり俺とお前に何の違いもないんだ」

そんな冷や水にお礼を返すのも日常

取るに足らないやり取りだ。

しろ俺が気になっていたのは、仲間のタオナケ達が珍しいネタで盛り上がっていたことだった。

「私、今朝『マスニュース』みたんだけど、あなた達も観た?」

「う、うん……みた、き、きいた」

「僕も観たよ。いやー、とうとうここまで大事になったか

俺たちガキにとって、ニュース占いとかミニコーナー目当てに観るものだ。

それにつけても、朝から話題にするようなことじゃない。

だってニュースの話で朝から盛り上がるなんて、イキってるみたいじゃん。

から話題になっているということは、よっぽど気になるネタがあったってことの裏返しでもある。

次 ≫

2019-06-11

社会人5年目になって久々にCLANNADリトルバスターズ!を観た

初めて増田になりました。

学生の頃にCLANNADアニメを観て、それは大層泣きました。

シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語演出してみせたと思う。

あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。

しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。

いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。

働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。

多分この日記を開いてくれた人はCLANNADリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。

私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。

卒業後にプーだったことを負い目に感じていた主人公は、自分仕事をみつけ、住む場所をみつけ、愛する人の5年目の高校生活を支える。

その18歳の岡崎朋也がなんともいじらしく、可愛く、行動してみせた自分がどこか誇らしく瞳が輝くも、あっという間に現実を突きつけられてしまうのだ。

新居に渚を迎えて浮ついた気持ち職場の先輩の芳野と初めて車で現場に向かったときに、すれ違った家族を窓越しに見送った時の未来を期待する表情。

それがもうたった一日の労働で、家に帰ったら愛する渚の話に耳を傾けられないほど疲れ切ってしまうのだ。

学生時代にはその細やかな描写に気が付かなかった、まったく印象に残っていない。

改めて視聴した今回は、汐をめぐる物語以上に、朋也が働き続ける姿が目に焼き付いて離れないのだ。

本人も作中で話してはいるが、学校生活では友人たちの悩みを解決し、手を差し伸べてよい方向へ導いてきた朋也が、

人を導くことができるという自惚れが、働き始めたことで一瞬で瓦解する。

労働とは、そりゃ楽しいこともあるかもしれないけれど、大多数は生きるために嫌々行っているものだ、

でも朋也は渚との生活を守るために必死で食らいつく。

学校が楽しくないからと不良のような生活を送っていたあの朋也が、逃げ出さずに仕事と向き合う姿は、まさしく日本という社会で生きるためには組織所属して労働しなくてはならないという現実を突きつけてくる。

古河だって流行っているパン屋ではないことから、渚や朋也の目にみえないところで重いそろばんをはじいているのだろう。

渚との生活を守るために、仕事をしている。

朋也は渚を失ってから仕事をしつづけた。本人はそれを汐からの逃避だといったが、生きるためにはお金必要で、庶民は働かないと生きていけない。

どれほど傷ついても生きることから逃れられないのなら、仕事をしたり、人とかかわって生きていかないといけない。

汐の治療のために仕事をやめた朋也は、汐が亡くなってしまったら、もう死のうと心のどこかで覚悟していたのだろう。(原作描写あったっけ…)

から生き続けるための仕事をやめて、それを察した芳野は戻ってくるようにと声をかけた。

5年目に触れたCLANNAD家族っていいなとか楽しい友達が欲しいな、とかCLANNAD人生とかそういうことも感じたけれど。

傷ついた人間もその傷が癒えずとも前を向いて生きろと、そんな空をつかむような悲しいエールを受け取ったのだ。

そして急にリトバスRefrainアニメがみたくなった。

リトバスこそ、そのような物語なのだ

いっき割愛するが、リトバス主人公親友たちを一度に失うという大きな傷を負う。

そして彼らが死ぬ運命は避けられぬのだと、その痛みを抱えてまでも生きろと言われる。

物語を通してハートが強くなった理樹は喪失をも受け止めて強く生きようとする。

まあ最終的にはうまいこと物語が展開してハッピーエンドになるのだけれども。

だーまえは何かとプレイヤーたちに強く生きてほしいと願っている気がする。

書を捨て街に出よう、じゃないけれど傷ついても現実逃避せずに真っすぐ生きてね、という応援

幸せになる番という歌なんて最もたるものだ。

ビジュアルアーツ20周年のイベントで配布された曲なのだが、わざわざイベントに来たような熱心なファンに「僕はもう大丈夫から 今度はそう、きみが幸せになる番だよ」なんて語りかけてくる。

オタクなんて大小あれども、傷ついて生きてきて、エンタメにそれを救われているような人間ばかりなのだ

そんなオタクたちに、現実に立ち向かえとスパルタ的に奮い立たせようとする。

あと多くのkey作品現実から逃げるとBADED行きなのだ、智代ルートなど非常に印象に残っている。

そこまでして、どうして生きていかねばならないのか、、、なんて思う。

俺たちは人生主人公なのだから現実から逃げずに、居心地のいい環境を作って、ささやかながら生きがいをみつけて、VAにお布施して生きろと。

才能もない、とりえもない、頭もよくない、覚えも悪い。

ぐずぐずに崩れた自尊心を取り戻す手助けをしてくれる渚や朋也、恭介や理樹、そんな存在は周囲にはいない。

そんな現実から目を背けるなということなのだろう。

久々にCLANNADを観て、そりゃあもう想像外の感想を抱いたのだ。

現実をまっとうに生きている人々が圧倒的に多い世にこんないじけた文章を残せるのなんてここしかない。

自室に引きこもっていたようにみえた恭介だって、実は虚構世界四苦八苦していた。己の失敗に落胆してはいても、決して行動をやめていたわけではない。

生きることとは行動なのだと、布団の中でスマホを触るオタク作品を通して鼓舞している。

もしもここまで読んでくれた人がいたらありがとう

サマポケ面白かったから買ってプレイしてね、プレイし終わってたらFD発売か京アニアニメ化することを一緒に願おうね。

あとVAにできることは、だーまえ後継者必死に探して育成することか、keyを畳んで新たな才能で作品を作るか、だーまえ治療費を全額出してあげてkeyブランドを守るかだ。

2019-06-02

anond:20190602032107

まり自殺ありきの殺人」ではなくて「殺人ありきの自殺」とみる。

加害者生活背景とかを鑑みてなぜか前者で考えてる人が多いけど、殺害対象子供って時点で世に訴えるべき何のメッセージ性も感じられない。あと遺書もない(報道してないだけかもしれんけど)。

一方後者で考えると、わざわざバス待ちの自分より弱い子供を狙っている点で、反撃の恐れがなく、できるだけ大量に殺そうという目的が見て取れる。

「ぶっ殺してやる!」って叫んだらしいけど、これもなんか「(社会に対する怒りをお前らにぶつけて)ぶっ殺してやる!」って想像しがちだけど、ただ単に今からすることに対して自分鼓舞するためとか、相手のおびえた顔が見たかったとかも考えれるんだよな。

しかしたら自殺願望もあったのかもしれないけど、それよりも殺人願望のほうがあったんじゃないんですかね。

まあもしかしたら殺人自殺も両方が目的でなく、引きこもり続けて頭のおかしくなったコミュ障最後に見せた何のメッセージ性もない家の外の人間に対するクソ迷惑コミュニケーションの発露だったのかもしれないけど。

2019-05-24

生理が重い

初めて生理が来た日から10年以上経ったけどずっと重い

世界に私より苦しんでる人はごまんといるだろうけれどとにかく重い

まず普通に腹が痛い(女性の方はわかると思うけど通常の腹痛とは位置と痛みの種類が違うので生理が来たらすぐ分かる)

もう頭の中が痛い痛い痛いしか考えられないくらい痛い

気休めに貧乏ゆすりをする これは割と効く気がする

痛みは無くならないけどほかの何かに気を持っていくといくらかマシ

でも行儀は悪いと思われるだろうしもし机とかが揺れる状況だったら不快に感じる人も居るだろうからどこでも出来るわけじゃない

下腹部をさするのもよくやる わりと何処でもやる

摩擦で火傷しそうなぐらいさする 貧乏ゆすりもそうだけど生理痛を上書きするような感覚でやっている 貧乏ゆすりは足が疲れるくらいやる

人前でもするんだけど純粋に痛みを忘れるためにやってるのでアピールしたいわけじゃない

お腹痛いの?」って聞いてくれる優しい人 ありがとう

「そんなに痛いならトイレ行ったら?」と言ってくる(まあ男性に多い)もありがとう

私はそういう時はよく「大丈夫、いつもの事なんで。」と言います 遠回しでごめん

夜は眠るというより痛みによる気絶を繰り返して朝になる

生理痛が痛くて…。と言うと「薬飲んでないの?」と言われたこともある

もちろん飲んでるよ

その人は薬が効かない人も居るってその時初めて理解してくれた もし貴女が薬が効くタイプの人で、みんな一様に効くのだと思っているのだとしたら、どうか効かない人が居ることもわかって頂けると有難い

あと量も多い

油断すると一瞬でキャパオーバーする

外出時は常に夜用(オムツタイプ私もやってみようかな)

服、ソファとかベットを汚した回数なんて頭が痛い

生理中どうしても熱くて綺麗な一番風呂に入りたくて入らせて貰ったけど血の池にしてしまってお湯をため直す羽目になったこともある

小学生の時30分くらいソファに座ってたらもう汚してて、

姉(生理痛は痛いが量はそうでも無い)に汚すなんてありえない!ナプキンの付け方がおかしいんだ!って責められてショックだったな

生理の重さの厄介なところは

そりゃあ男性理解するのは難しいけど

女性千差万別女性から理解出来る訳では無いってとこよね

あの頃は2人とも子供だったししょうがないけど

家だったらこまめにトイレ行けるし 大学の授業は一時退出自由なのでそろそろヤバいなと思ったらいつでもトイレ行ったらいいけど

小〜高はなんで授業中トイレ行くのに許可がいるんだ 恥ずかしいからなるべく毎回の小休みの時に言ってたな

中学生くらいまではナプキンを変える音(バリバリって音がすんだよ)を聞かれたくなくて職員トイレ使ったりしてたな

高校の時模試当日に生理になって問題どころじゃなくて一通りマークしたらずっと貧乏ゆすりしてた

勿論めちゃくちゃ点数悪くて先生にどうした?って言われたけど(ガリ勉だったから)返却日は別に生理じゃなかったし笑うしかできなかった

女になんか産まれなかったら良かったってベタセリフ祖母に向かってわんわん泣きながら言ったこともある

遅れるタイプ生理不順なのが逆に嬉しいくら生理が嫌い

環境の変化から高校に入って半年くらい生理来なかったけどラッキ〜〜〜って正直思ってた

来ない月はラッキー

大学生になって薬も全く効かず寝ることも起き上がることもできないほどなことが続いたか治療を受けようと思った

自分のこと月経困難症って言っていいのか分からなかったけど

これだけ生活に支障が出てるならいいかなって

Twitter月経困難症で治療することへの偏見について描いた漫画をいくつか読んだ事があったから逆に堂々と行った

その漫画みたいに20代産婦人科にくることをうるさく言う人とかは居なかったか

なんかもう全てが初めて

最終月経開始日?そんなん記録してないわ…(通ってた間はする事にした)

腹に謎のジェル エコー検査

先生は男の人だった「あーなんかここのこれがアレで痛いのかもね」(もうちょっとちゃんと言ってた)

でも、生理痛に確実な治療法はないと言われ

とりあえず初めてルナベルを飲むことになった

(ピルについての副作用血栓?の説明ちゃんと受けたよ)

ひと月飲んで すごい!ほんとにピッタリのタイミング生理が来た!

…が。

生理痛は全く変わらず。

まだ初月だから効果が現れてないだけかも!と2ヶ月飲んでみた。

けど、改善の様子なし。なんならきっちり生理来る分損な気がする。

家が使ってたのがそうだったから薬はずっとイブ

効く時もあるし飲まないより飲んだ方が精神時に楽なこともあるしずーっと飲んでたけど、

この時イブじゃなくてロキソニンSが歯痛にめっちゃいたこともあって浮気してたけど、飲みすぎたのか有り得ないほど便秘になったので現在は怖くて使えてません…。

で、2ヶ月飲んでも改善しなかったことで絶望しながら再び病院相談したら薬が変わった。

ジエノゲストになった。

こっちはめちゃくちゃ効いた。

生理痛がない!ない!全くない!(ちょっとはある)

代わりに副作用説明をされたとおり不正出血があり、毎日経血があるような状態ナプキンは外せなくなってしまったけど、生理痛があるよりマシ!わぁい!

で数ヶ月元気に過ごせた。

ただ、薬がひと月分で4000円くらいで、貧乏学生には辛かった。(歯医者も通ってたしコンタクト乱視ドライアイ用の高めの買ってたのでタイミングが重なると地獄)

数ヶ月の間にあれだけ痛かったことを忘れて、「純粋毎日血が出てるの嫌なんですけど…」と気持ちが動いて行った。

はいつまで続ければいいか、辞めたら治ってるかとかも分からないと言われた。

しかしたらもう治ってるかもしれない、と薬を辞める決断をした。

お薬手帳を見たらちょうど薬を辞めて1年。

辞めてから生理痛は毎回少しずつ痛くなってきて、あの時よりはすこーーーしマシだけど、またあの時みたいに痛くなるのが怖くて最近また通おうかなと思い始めている。

でもせめて薬がもう少し安ければなあ。

生理痛の重さは人それぞれだけれど、さすがに不公平な気がする。

友達沢山フォローしたTwitterでは生理痛について呟いたことないけど、小学校の頃から友達2人だけフォローしたなんでも呟ける所謂アカ(じっさいは初めて取得した垢)では生理が来る度に生理痛が痛い痛いって呟いてた

別にその2人に聞かせるためじゃなくてただの愚痴のはけ口なんだけど

ある日1人が私の「生理痛なのにバイトして偉い!」って言う自分鼓舞する意味の呟きに(1人で呟く位許してネ)リプをくれた

「ちょう偉い」

って。

「私何年かに1回酷い月あるけどこないだそれで仕事どころじゃなかった、毎回これとか大変お疲れ様

って。

そしたらさあ。

涙がポロポロ出てきたよ。

生理と共に生きて約10年、親も友達も(たまに理解の相違はあるけど)生理痛については優しい対応を受けてきた 母も重い人だったし

少なくとも私の周りには生理について心無い発言をする人はそんなにいなかった

それでも、痛さとか汚した時の虚無とか結局は誰とも共有できないし

生理で何かを出来なかったり休んだりする被害自分にかかってくるし

生理って不公平だよ

Twitterでボソボソ愚痴言うしか出来ない

友達その一言だけでなんだか救われた気がした

繰り返しますが私より生理が重い人は沢山いるだろう

毎回辛いですよね、私も重いと言っていいと思うけれど、重かろうが軽かろうが、結局その辛さを理解できるのは自分だけ

生理に苦しむ人。それを乗り越えて日々頑張る人。

偉いぞ。

偉いぞ、私。偉いぞ、あなた

今日生理になって嫌すぎて3000字も書いちゃったよ。

たぶんないと思うけど「友達」、これを見ても茶化さないでね。本当に救われたんですよ。

追記

予想外に沢山かつ暖かいコメントありがとうございます これが優しい世界

オススメして頂いたもの、出来るものから試してみようと思います〜そういえばタンポンはなんとなく敬遠してました この際挑戦しま

ない!(ある)については勢いのまま書いてしまいましたスミマセン(笑)

なんて優しい方々 お付き合い下さりありがとうございました

2019-03-28

出版社サイドから意見だよ?

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889012856/episodes/1177354054889013851

ぎゃはは。

これあるあるだと思うよー。所属明かさないでずるいと思うけど言わせて。

■初作品が、タイミングがよかったとか装丁最高だったとかタイトルがよかったとか、いろいろ偶然が重なって割と売れる。

会社から次回作つくってもいいよ指令が出る。

■とりあえず作家鼓舞するために動かす。担当編集次回作会社も期待してますアニメ化だって夢じゃない! 書いてみてちょ」

作家アニメ化ですと?」 かくしてノリノリでプロット送ってくる(ドヤ顔)。しかし、手垢のついたネタオンパレード。展開・人物描写テンプレ祭りそもそも文章下手。

編集者ここで気づく。こいつ、物語を編みたいんじゃなくて、ただ作家になりたいだけのやつや(前から気づいてたけど)。こいつに期待すんのは無理やからトレンドにオンさせて、なんとか金にする方向探るか。幸いいまは時間あるし、作家さんに寄り添ってベストセラーにしてやんぜ!(この時点ではやる気ある)

■というわけで、プロットに変更を加えるのを打診する。「とりあえずケモノにしときます?」みたいな。

■このやりとり、意外と上手くいかず、そもそも作家を目指すようなやつは合理的に物を考えられない文系芸術脳やから、あえて指示に従わなかったりする。それでも編集者はモチベを保たせるため「いいですねー」なんて褒めながら進行。

編集者、やりとりに疲れる。こいつどんだけ勘所悪いんだよ。もちろん作家も疲れる。

編集者は忙しいので、かまってられなくなる。てか、いまの編集者は本だけやってるってのはレアで、映像やったり、ウェブやったり、イベントやったり、できるやつほど仕掛けてるから、できない作家さんの作文教室をしてる場合じゃなくなる。

■連絡が滞りがちになり、作家キレる。「どんだけ直させんだよ。編集者に合わせたのにひどい。クリエイターをなんだと思ってるんだ。リテイク代出せよ! アニメ化ってウソつきましたね!」

編集者、心から謝罪する。しかし心の中で思う(いやでもさ、オーダー通りのものもらえてないんだよな。。。そもそもこいつ才能ないし、関わんなきゃよかった)。

作家、怒りが収まらず、SNS出版社の悪行を暴露する(作家視点から偏った見方の)。賛同する声集まる。出版社なんて滅びればいいのにの声多数。

俺がこういうトラブルを経てたどり着いた結論は、そもそも本作りはお金にならないってことを繰り返し伝えることかなと。

期待がでかいんよー。まじで金にならないから、物書くの好きでたまらない奴以外目指さないでほしいわ。

たまにすごい才能には出逢えるけど、ほんと一握り。

それ以外はほんと、上記みたいな、作家になりたいだけのやつばっか。

2019-03-11

fripside爆音でかけながら高速を走る

と眠気も疲れもふっとんだ気になるよ

まり

fripsideの曲 = カフェイン

ほんと脳内麻薬出てる感じがする

なんかいいんだよな

まず、正統なる90年台サウンド継承者って感じがして新曲を聞いてもずっとノスタルジーに浸れる

つぎにさ、歌詞がほんとに心に刺さるんだよ

消えそうな心が孤独なまま震えたり、真紅に染められた世界に君の優しさを探し続けたり、「舞い上がれ乙女の翼よ」って鼓舞したりと抽象的でいいんだよね

なんか意味からないけど暗い気分になって悩んで病んでたり突然ハイな気分になって世界を全肯定したくなってた大学生ときぽいんだよね

悩んでさ、眠れなくて深夜の街を意味もなくブラブラしてコンビニ立ち読みして帰ってきたら少し気持ちが楽になってたみたいな清涼感が曲を聞き終わったあとあるんだよ

まあ、何が言いたいって、fripside最高なんだよ

2019-02-19

マッサージ好きが明確なビジョンを打ち出す新井浩文のインシデントについて

意識の高いおれはマッサージがアグリーだ。いわゆるメンエスと読み取れるやつな。

電話リザーブしてコンドミニアムの一室に働き、女性が出迎えてくれる。

お茶とかだしてビジネス成功させてくれたり、世界中の貧しい子供たちをいつか助けようと思ったりしてな。

そして、定時で退社した後シャワーを浴びてマッサージする。

足掛かりとしてはうつぶせハイヤーアイビー・リーグからだ、温かいオイルバーニッシングし、カルフを撫でる(笑)

そのバッチ処理もも。内ももを触り、Macを広げ、ビジネス書を読みながらカーソルアスタリスクアリーを撫でる。

現在の情勢におけるあとは”グルヌイユ足”だ。これメモっといた方がいいよ。足をまげてセラピさんが腕とパームを使って鼠径カンパニークリーンアップしてウェイストする。

手がアソコに当たるか当たらないかグレーゾーンのTRIZを駆使して導き出したところ。既にビンビンにコンセンサスを得ている───。

そのペンディングは四つん這い。四つん這いのコンディションで後ろからハンドツールを回してくれて鼠径協同組合を流す。

息が荒く携わるのを止められない。はぁはぁ日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。

漸く仰向けだ日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。日々成長。

ここ(西海岸)で「ある」場合と「ない、それに私はこんな所でくすぶる気はない」場合が起こりうるんだ。

そのときまで欧米では通用しないと思うよ、それはわからない。

ジョブズに倣えば「雰囲気ある」場合に「より非常に意味がある…ここまではいいよね?」オケーションがごくまれにある。

この案件スティーブ・ジョブズの体内に潜む俺たちメンエスグリーホームランと言ったり、難病に苦しむ子供たちに頑張るよう鼓舞したりさせて頂きますんだ。

だな、新井浩文あくまでもこのビジネスチャンスは受け身でなければならないんじゃなくて、あえてやらなかったんだ。

しゃべりでの交渉トレンド入りしていいものの、無理やりなんてもってのほか

存在することないこと、メンエスでのMECEはセラピストによってプレゼンしられるものなんだよ。って言ってもわからいか

「ねだるな、勝ち取るな、さすんば与えられん」

弊社がモテるインスタンスモチベーションに溺れ、セラピストに企業合併をもとめるなんてマッサージマッチングの風上にも置けないよ。

大いに反省、というか自己嫌悪してエラーを償って下さりますようお願い申し上げます

2019-02-12

はーーーーい、面倒くさいオタク匿名じゃないと怖くて言えないか匿名ダイアリーに書き捨てる内輪ノリ持ち出しクソ学級会はーーーじまーるよーーーー!
お聞きのお代はうんちとパンティー、キモい金無しオッサンでも大歓迎!聞くだけ聞いてってね!聞かなくてもいいけど!

作品名は出さない(どうせバレるが)けどね、このオタク増田、いくつかとあるソシャゲをやっております
ソシャゲなぞ池沼が好む金の無駄と言ってくれるな、そんな事はあっしが一番解っております、宵越しの銭は持たぬ、課金して一夜の夢を見よ

さてさて、美少女動物園じみたゲームじゃもはやお馴染みの要素に「人気投票」ってェもんがございやす
対人作品じゃなくても自動的に対人化する魔のイベントネット蠱毒の壺、性能論と股間論のぶつかり合い、人気が無慈悲ランク化されるギッスギスのギッスギイベントでつね

ヘイ、戦争ですね、なにせ愛が課金額と張り付いた時間タップクリックプッシュ回数で示される様なモンっスから
右も左もマウント合戦!飛び交う罵声レッテル貼り、「そんな不人気に投票するガイジなんているの?w」、「あのキャラファンは頭がおかしい、工作DA!」なぞ言うわ言うわの言葉の殴り合い!ここは何だ地獄でやんすか

嗚呼、この増田は惨めにもキモくて金の無いオッサン予備軍、しかしわかっちゃいても画面内で輝く◯◯たんの為に今日も周回ブヒブヒ
イベが終わりゃァサア結果発表だ!ここ一番の荒れどころですよ!

マイハニーが一位ではない!あの不人気は最下位ザマァw!そして始まる大戦争!愛と愛の殴り合い!!

パトラッシュ、もう疲れたよ、あっ待ってパトラッシュ逃げないで

こんな風に自分落語家演出家みたいに勘違いするクソみたいなイキり文章書いて無理やり鼓舞してるけどさ、好きなキャラアンチだらけだと辛いんですよね
自分の愛するものをこの世の人間全てが好きなわけじゃないのはわかってるんだけど、罵声を聞くのは辛い
から俺は人気投票イベントが嫌いなんだよ

好きなキャラマイナー寄りなら不人気だの空気だの言われ、人気で上位常連ならゴリ押しだの工作だのアノキャラ好きはガイジだの
辛いよ

はぁ~うんちうんち、うんちっち、お後も便通もよろしいようで

anond:20190212174435

ラブライブは全体的には光属性鼓舞される作品だけど、ちょいちょい泣かしてくるから見るのに元気の蓄えが要る

2019-02-10

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

2018-12-16

ふれたかったのは君らしさ

彼の住んでいるらしい町に降り立つのはもう10回目以上だった。この1年、私は自分実家がある町よりも彼の町に足を運んでいる。私の住んでいるところから彼の町なんて新幹線でも3時間半かかるというのに。彼の町に行ったところで彼には会えないけれどそんなことはどうでもよかった。

彼が、彼の人格をきっと形成した場所に、今日は初めて行った。私はものすごく寒がりで、冷え性で、体力もなくて、暗いところも嫌いで、でもいつか彼とデートするときに着たいななんて試着室で思ってカードを切った膝上丈のマーキュリーデュオワンピに履いてないも同然の薄いストッキング、8センチヒールブーツで、駅から20分私は歩き続けて、彼の痕跡今日も辿った。

野球グラウンドに降り立つの人生でも初めてだった。彼と出会う前もなかったから、初めてをまた彼に捧げられた気がして、嬉しかった。私はたくさんの初めてを彼に捧げてきたけど、彼はそのどれも、私が初めてだったことさえ知らないんだ。

グラウンドに踏み入る前、少し緊張した。一呼吸してから一歩踏み出した。数歩歩いたところで、公園電気が全て消えた。どうやら夜10時で消灯するようだった。あまりにも暗くて、ケータイライトで足元を照らしたがあんまり意味はなさなかった。

10月の末に、この公園の外から野球練習をする少年たちとコーチ大人を眺めたことがあった。彼は、野球を辞めてからもう4年が経つのに、今も野球がきっと大好きだし大切だ。そういう彼も好き。YouTubeで見た彼の声の出し方と、この時見たキャッチャー男の子の声の出し方が同じで、また彼らしさに触れられた気がして、嬉しかった。

真っ暗だし、一塁や二塁のベースも置いてなくて、でも彼の位置まで歩いた。途中、少し盛り上がってるところがあって、ここがピッチャー位置か、この前わたしキスされた彼の元相棒は、ここから彼をずっと見ていたのか、など考えた。

キャッチャーの、位置についた。なんと呼ぶのかもわからない。ホームベース、でいいのだろうか。ただ、絶対に数年前彼がいた場所だった。彼は、ピッチャーを勧められたこともあったけど真剣な顔のバッターと向き合うと笑ってしまうからだめで、オレはマウンド全体を眺める方が好きだった、と以前話していたことを思い出した。グラウンド、初めてこんな位置から見たけれどすごく広く感じた。ここで、彼はグラウンドに響き渡る大きな声を出し続けて、チームメイト鼓舞し続けて、成長してきたんだ。

なんとなく目の奥が熱くなって胸が苦しくなった。寒いからだと自分言い訳しながら、一塁ベースがあるだろう方に歩き出した。グラウンドを歩きながら、何人か覚えた彼の元チームメイト達の名前ポジションが頭をよぎった。彼は、私がこんなことまで記憶しているなんてさすがに思ってもいないだろう。

こんなこと彼じゃないとしない。家の中ですら真っ暗なところは歩けないし、中一の時男の人に追いかけられたこともあるし夜道を1人で歩き続けるなんて怖くて仕方がない。でも彼は、やっぱり私にとって特別で、大好きで、なんでもいいから彼を今夜感じたかった。

グラウンドを歩いて、そろそろ出ようと歩きながら、また彼との思い出がありすぎることを思い出した。彼を好きになって、もう2年が経つ。特にこの1年は、私にとっては奇跡運命を感じる出来事ばかりだった。でも、そのどれをとってもきっと彼にとっては運命なんてものではない。その事実が私を改めて苦しめた。だからと言って好きなのをやめる気には全くならない。

なんとなく、彼がそうするんじゃないかと思って、グラウンドを出て、振り返って一礼をした。私の中の彼はきっとそうするんだ。

2018-12-15

恋愛で卑屈にならないための覚書。

最近恋愛系の本とか記事ばっか読み漁ってモチベーション上げてマッチングアプリしこしこやってたんだけど、普通に疲れた

誘う時間とかご飯場所とかもろもろ設定して無難な服着て無難な会話して、、、って繰り返すのクソだるい

少し前のマッチングアプリ増田で、デート相手からメールが来なかったのでそのままフェードアウトって、書いてたの見て、いやいやお前から感想メール送ってたらまた違う結果になるだろうと思ったけど、あれ正しいわ。

ということで、卑屈になりがちな自分鼓舞する意味でこれから文章は書かれます

そもそも、誘ってくれた相手に対してお礼のメール送ってこない相手に脈なんてないんだから、次行ったほうがいい。自分から誘い続けてクソめんどくさいデートのセッティングしてクソ面白くないデート重ねるのは無駄。1回目で楽しくなかった会話が2回目で急に楽しくなるなんてことは、ほぼ無い。

自分コミュニケーション問題が……奢らなかったことに問題が……なんて長々と考える必要なし。相手を楽しませるためだけの会話なんて考えるだけ時間無駄。だいたい、自分が楽しくない関係性なんて続かない。

恋愛指南書に殴られ続けてるととこんな簡単なことにすら気づかなくなるからな。

非モテだろうがなんだろうが、「俺なんて頭おかしくなるくらいの数の女性にサムズアップしないと女性言葉を交わすことすらできないほぼ価値なんてない存在」とか「恋愛市場において女の方が希少価値が圧倒的に高く、おれはその女の前に流れてくるたくさんの回転寿司ネタの一つなんだから美味しいと思ってもらえるよう頑張らないと!!」とか思うのをやめよう。

別に奢る気もない相手に奢らなくていいんだ。端金じゃないんだよ、化粧をして小綺麗な格好をしてきてくれた女性に対して当然払うべき金、じゃないんだよ。自分が働いて稼いだ金くらい自分で考えて使うんだ。払わないと悪いかなと思いながら何となくで出すべき金じゃないんだよ。

ご飯を食べる場所時間もセッティングさせて頂いてるんじゃないんだよ、セッティングしてやってるんだよ。自分がやったことに誇りを持て。自分一生懸命選んだ店だ。運ばれてくる料理に自信を持て。相手の舌に合うかなんて考えなくていい、相手が美味しいと感じてるか反応なんて窺わなくていい。自分が美味しいと思えるかがまず先。

自分ばかり話して自己中なやつと思われないようにしなきゃ、じゃないんだよ。目の前の女が話さないなら、自分が話すしかないんだよ。話が弾まないのは会話を引き出せない自分のせいじゃない。相手が興味のある話題を振れない自分が悪いんじゃない。

自分が話してることに対して、興味を持つそぶりすら見せないやつにそんなこと考えなくていい。

気に入ってもらえるように無理して頑張るのをやめろ。紳士を気取るな。紳士を気取ったとこでつまら草食男子になるのがオチだ。

好きならぐいぐい行くのみ。それで反応が芳しくないなら次に行く。その繰り返し。

以上。

2018-12-08

過労死を出した栄光ゼミナールがどうなっちゃってんのか書いておく

栄光学習塾栄光ゼミナールなど運営)の元従業員だ。

増田ってやつは普段読みもしなければ書いたこともない。読みづらいのは勘弁してくれ。

これは告発でもあるから後ろめたい気持ちがなくはないが、公表することが顧客従業員ひいては公益にかなうと信じて疑わないので書いてしまう。

組織としての栄光以外(つまり今回の事件に直接の落ち度のない個人)に迷惑がかからないように書くつもりだ。

昨日の晩、食後にNHKニュースを見ていたら、「栄光教室長が勤務中に過労死し、労災と認められた」とたまたま目に入った。

それだけなら(まあそういうことも、あの会社なら不思議ではないな)でスルーできたが、

亡くなられたのは俺が勤務していた教室の近隣教室成城学園前)の室長だ、ということなので、さすがにスルーできなくなった。

スルーできないのは、過労死を出すような会社批判したい正義感、とか個人の恨みで栄光憎しではない。

自分の中で罪悪感のようなものを抱えてどうしようもないからだ。「加害者ヅラ」させてほしい。

クソみたいな環境に甘んじていた俺は憎まれるべき悪人で、過労死が起こるような環境を作った責任は俺にもある。


ただ、これを読んでいる人は「栄光がどうなっちゃってんのか」に興味あるのだろうし、

そっちを先に 読んで楽しく をモットーに書いておく。


俺は栄光ゼミナール(集団個別併設)栄光ビザビ(個別専門)両方での勤務経験10年弱ある。

社員だったのではないが、栄光の数少ない美点である社員も上の方の管理職も、バイトになれなれしい(が、風通しがいいというわけでもない)」と言う社風から

管理職そばにいるうちに、内部事情精通して理解するようになったと思ってほしい。

勝手なお願いだが信じてほしい。俺は悪人だが、嘘は書かない。

働いていた10年の間で、ずいぶんと正社員の人手が減らされていくのをこの目で見た。

まず栄光がどれほど顧客(まず未成年だ)と従業員社員バイト含め)をナメているか書いていく。

どれも昨今のナメた企業ではめずらしいものではないのかもだろうが、「これが上場企業栄光HDはすでに上場廃止しているとのこと。ご指摘感謝12/9お詫びして訂正いたします。)の教育業でござい」と言われると、俺は後ろ暗い気持ちを抱かずにいられない。



こんな感じだろう。

では具体的なことを書いていこう。

オーバーワーク、堂々まかり通る

栄光における過労の主要因は、社員1人で担当する生徒の人数が多すぎることだと俺は思う。

今回の事件について

まず、ソースNHKニュースによると、教室過労死の発生したビザ成城学園校の生徒数は180人だそうだ。

これを社員(ようは学生バイト事務パート以外)2人で担当していたそうだ。この生徒180人に社員2人という比率は、

栄光の近年の社内基準から言えば「ギリギリ生徒数が多すぎることはない」というスタンダードものだろう。

後述する「1人教室」に2人目の社員が配置されるかどうかの基準が「在籍数100」とも言われていた。(つまり99人までは1人の社員教室運営させる)

だが(誰がどういった根拠で決めたのか不明な)社内基準OKでも、単純計算で1人あたり90人の生徒、そしてそれとほぼ同数の保護者対応を満足に行うのは無理だ。

現場感覚では50人を越えたあたりから無理が生じ始める。

多くの公教育で1クラス50人が限度なので、この50人というのは経験的に求められた「人間1人あたりが面倒を見れる最大人数」なのだろう。

それをほぼ2倍近く要求する栄光常軌を逸している。

が、在籍数を増やせ増やせ(退塾を減らせ減らせ)と詰められるので、それを粛々となす社員だらけだ。

粛々とこなせなくなってくると、壊れて不正に手を染めだす。

仕事が多すぎることの問題に社内の誰も(社員バイトも)手をつけずに、むしろ率先して長時間労働を維持する方向に行ってしまたことが、

今回のような取り返しのつかない結果を招いたと言える。

なぜこのような腐った風土なのかは文字数に余裕があれば後述する。

コンプライアンスって何?法に触れなければ、触れちゃっても訴えられなければ道義なんて問題じゃないぜ!

社員が常時2人以上いる教室はまだ生徒の安全面に影響が少ないからマシだ。おぞましいのは社員が1人または1.5人の教室だ。

生徒の在籍人数が100人以下の教室は、ここ10年で社員2人から社員1人に人手が半減された。社員教室長1人だけの教室を、

そのままだが1人教室と呼んでいた。(1.5人教室は2人目の社員が他教室と掛け持ちである

俺は「2人教室」→「1.5人教室」→「1人教室」と、なし崩し的に人手が減らされる現場にいたが、

社員人手不足に対するフォローIT活用や勤務時間の融通など)は皆無であり、

学生バイト事務パート採用拡大の権限教室長にはなかった。

社員週休2日だ。しか教室は月曜から土曜まで毎日開ける。

もうおかしいのがわかるだろう。

週休2日を維持しようと思えば週1日は「教室社員が一人もいない日」を設定しなければならない。

まり、「社員が休むあいだ、バイト教室の全責任を負って教室を開ける日」を設けるのだ。

あなたは「何かあったら誰も責任の取れない(何かあってもなんの権限責任もない大学生が矢面に立たされる)の日が毎週ある教室」にお子さんを通わせたいと思うだろうか?

もしあなたバイトだったら、なんの見返りもなく教室有事(生徒が怪我をしたら?災害が起こったら?)の責任を負わされるかもしれない立場に立ちたいだろうか?

栄光曰く「この状態コンプライアンス抵触しない」ようだ。生徒と従業員安全をなんだと思っているんだろうかね。

教室バイトしかいない?一体誰がそんな酷いことを!?(すっとぼけ)

幸いにも生徒に危害の及ぶ大事件は俺の教室では起こらなかったが、栄光と(おもにオーバーワークで壊され)モメた末に、見せしめ同然に辞めさせられていった元社員教室に討ち入りにくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そんなことはおくびにも出さずに社員のいない教室を毎週開けて、俺は生徒に笑顔で(警備会社通報ペンダントだろうと思われた物体を自ら首からさげ)授業していた。受付も電話番もいない教室にフラッと不審者が来て、生徒にいきなりガソリンでもかけられたらジ・エンドである

だが、こんなことがバイトだけで開けてる日にあった。保護者から電話がかかってきてがバイトでは返答しかるので、会社代表の番号を案内した。

が、間違えて(間違うもなにもそういうときにどうしたらいいか、なにもバイトは聞かされていないので)新規入塾問合せのフリーダイアルを案内してしまった。

その後、コールセンター部署から迷惑だ。なにをしているんだ」と電話口で叱責を受けた。

だがよく聞くと、こちらがバイトだけで教室を1日開けてることも、そこになんのフォローもないことをコールセンター部署はご存知でなかった。

あとで成城学園前(当時は今回の事件とは別)の教室から、「そういうことがあったらうちの教室電話を回してほしい」といまさらのように言われた。

この事件の後、俺は栄光を信用しなくなった。

ヒラのバイトだって気づかれるもんか!ニセ名刺作戦発動。

人手不足を重く見た(ポーズをとった)栄光は、「社員が足らないならバイト社員ぽく見せかければいいじゃない」と思ったか知らないが、

バイト講師に「チーフ教師」なる肩書(とカスみたいな役職手当)をつけて、社員休みの日の責任バイトなすりつけるシステムを開発した。

俺が栄光を辞めた後もこの路線は拡大され、個別教室案内のwebページチーフ教師が「社員です」みたいな感じで、写真付きで紹介されるようになった。

(ちなみに社員バイト写真で見分けるには、スーツに社章がついているかいないかだ。それを悟られないように社章を隠すような写真教室確信犯でやってると思う。)

ここまでならなんの問題もない。

優良誤認寄りの合法で、悪質だが企業努力として理解できる。

だが一部に社内の身分的にチーフではないのに「チーフ教師」と書かれた、嘘っぱちの名刺を渡されて業務をするように命じられたバイトがいる。

俺は、広報活動のため来室した私立学校先生たちにこのニセ名刺を渡し、保護者面談でも(たしか)渡したと思う。

渡された人たちがどう思ったか知らないが、栄光はなんの非もないバイトを通して取引先を、つまらない見栄のために騙し騙させた。

それに唯々諾々と従っていた俺にも非がある。

儲けるための違反は見ないふり。え?揉めてる?隠蔽だ!

まず俺のニセ名刺顛末を記す。

簡単に言うと、退職後にニセチーフとして働いたぶんの役職手当を全額栄光請求した。

きちんとしたフォーマット請求書を作成し、証拠のニセ名刺本社の人事宛に送付した。

栄光の人事責任者(だったと思う)から連絡があり、本社事情を聞きたいと言うので本社に出向いてやって、ありのままを話した。

そこで話をした人事担当者は、このニセ名刺作戦にどれくらい噛んでるのか、俺は知らなかったし知りたくもなく、相手も探られたくはないだろうと思って聞きはしなかった。

「送付した請求書は、高校同級生弁護士相談したうえで、送付させてもらった(大嘘)」と言ったところ、それにビビったのか栄光は即座に和解を申し出た。

「ただ働き分の金は払うからニセ名刺一件は黙っていろ」と、和解とタダで口止めさせる、非常に虫のいい提案がなされた。

俺はひたむきな栄光従業員たちに思いを馳せ、彼らの幸せ免じて、タダ働きされた分のお金栄光とは手切れだってことにして、

いろいろと許せないことはあったが、寛大な心で(体面上)ことを荒立てずに和解に乗った。

俺は以前に、「これは間違いなく警察or訴訟沙汰だろうなぁ」と思っていた社内不祥事を、鋼の意志示談もしくは泣き寝入りに持っていき、隠し通す栄光の体質を十分知っていた。

知っていたはずだが、栄光を1秒でも早く忘れたく、穏便にことを運ぶことを選んだ。

が、それはいま思えば、栄光隠蔽体質の片棒を担ぐ最低の判断だった。

今回の過労死の件も社内では1年もあったにも関わらずたいして共有もされず(教室長たちを管理する役職もついていたことがある、他県の教室長が「よく知らない」と仰天発言したのを、俺が昨日のうちに直接本人から電話で聞いたから確実である)、

栄光は今後なんの反省改善もしないだろう。

労災認定のプレスリリースも、目の届きにくいところにひっそり佇んでいる。

社員のやる気をいたずらに鼓舞してしまう生徒たちの笑顔スーパースペック塾講師たちに甘える社員

ここまで読んでいただいた方は、「そんなにひどい栄光でなぜ社員たちは悪いことをしてでも栄光に忠誠を誓ってしまうのか」と疑問に思われるだろう。

栄光だけではない。このような悲しい過労死事件が起こるたび、当事者でない我々は「どうしてそこまで」と思ってしまう。

最後に、栄光で働くことで、いかにそのような正常な感覚が失われるのかを書きたい。

まず、想像していただきやすいのが、(手垢のついた言葉説明するなら)「やりがい搾取」の構造だ。

栄光は好きではないが、生徒のために頑張りたい」と口にする社員は、俺の周りでは少なくなかった。

生徒と接していると「生徒のために頑張りたい」という気持ちが湧くのはよくわかる。

ただ、冷酷なようだが彼らは「栄光で頑張ること」が生徒のためになる唯一の解決策だと視野狭窄に陥っていたと言わざるを得ない(俺もそうだった)

世の中に塾はたくさんあるのだし、生徒も、働く者も、何もこんな間違った環境にいる必要などどこにもないのだ。

それに気づかなくさせるくらい、生徒を指導して得られるやりがいというもの劇薬である

やりがいのために働くことは美徳だ。

だが栄光で得られる「やりがい」は「他人様の育てた大事なお子さんたちを、タダでダシにした」まがい物だ。

よその会社必死に作り上げている「やりがい」が聞いて呆れるだろう。


ついで社員ダメにしてしまうのが、彼らの部下の「スーパースペック塾講師」の存在だろう。

雇用形態こそバイトだが、

そこらの社員よりも高学歴で授業がうまく生徒からも人気があり頼んだ仕事絶対に断らない人間が(大学生既卒わず)、少なから栄光では働いている。

不遜を承知で言わせてもらうと、(もうここまで読んでわかると思うが)俺がそうだった。

前述した1人教室が潰れないのは、この有能なバイトいるからだというのもある。

スーパーバイトを見て、社員は「バイトがこんなに頑張っているんだから自分だって」と自分明後日の方向に鼓舞する。それが人情ってものだ。

しかし一方でスーパーバイトは腐っている栄光完璧なように取り繕うことができる麻薬だ。

社員0でもバイトだけで教室営業可能

バイトたちに生徒と教室を任せて社員は早上がり可能

入院手術で休まざるをえない社員の穴が、社員で埋まらいかスーパーバイトで代わりをさせる。

・夏期講習中休暇を社員に取らせるため、4日連続バイトだけで教室営業

・講習期間中トラブルがあったら、スーパーバイト休日でも、旅行にいくのをキャンセルにさせて働かせればOK

・突然来なくなったバイトの穴埋めができなくても、急遽電話をかけてスーパーバイトを呼び出せば解決

教室長が壊れて(!)辞めた後始末をスーパーバイトに、最低時給以下の手当を握らせて、やらせ

俺が栄光に見させてやった幻覚を一部書いた。

使いようのいいバイトに甘えた環境が、腐りきった栄光の社風を作っていると俺は考える。

だがおわかりのように、甘えさせた俺も悪い。

バイトに泣きつけばどうにか持ちこたえてしまうなら、問題根本的な解決は先送りされる。

先送りされたツケがどうなったかは、知っての通りだ。そしてこれで終わりではない。

栄光には、自浄作用が働くことはないだろう。

栄光スタンダードとはこういうものだ」

業界の他社も同じことをしている」

「働きすぎるのは自己責任だ」

など甘えきった言い訳から絶対に手を離しはしないだろう。

この文章印刷され、栄光人間が読むことがあるかもしれない。

読む人間は俺が誰だかよく知っているだろうし、俺に腹を立てているだろうが知ったこっちゃない。

お前らは、他人の子供を預かって商売する資格もなければ、人を雇って働かせる資格もない。

俺は栄光を辞めた。この1点でも少なくともお前らより悪じゃない。わかるか?

過労死を出した栄光ゼミナールがどうなっちゃってんのか書いておく

栄光学習塾栄光ゼミナールなど運営)の元従業員だ。

増田ってやつは普段読みもしなければ書いたこともない。読みづらいのは勘弁してくれ。

これは告発でもあるから後ろめたい気持ちがなくはないが、公表することが顧客従業員ひいては公益にかなうと信じて疑わないので書いてしまう。

組織としての栄光以外(つまり今回の事件に直接の落ち度のない個人)に迷惑がかからないように書くつもりだ。

昨日の晩、食後にNHKニュースを見ていたら、「栄光教室長が勤務中に過労死し、労災と認められた」とたまたま目に入った。

それだけなら(まあそういうことも、あの会社なら不思議ではないな)でスルーできたが、

亡くなられたのは俺が勤務していた教室の近隣教室成城学園前)の室長だ、ということなので、さすがにスルーできなくなった。

スルーできないのは、過労死を出すような会社批判したい正義感、とか個人の恨みで栄光憎しではない。

自分の中で罪悪感のようなものを抱えてどうしようもないからだ。「加害者ヅラ」させてほしい。

クソみたいな環境に甘んじていた俺は憎まれるべき悪人で、過労死が起こるような環境を作った責任は俺にもある。


ただ、これを読んでいる人は「栄光がどうなっちゃってんのか」に興味あるのだろうし、

そっちを先に 読んで楽しく をモットーに書いておく。


俺は栄光ゼミナール(集団個別併設)栄光ビザビ(個別専門)両方での勤務経験10年弱ある。

社員だったのではないが、栄光の数少ない美点である社員も上の方の管理職も、バイトになれなれしい(が、風通しがいいというわけでもない)」と言う社風から

管理職そばにいるうちに、内部事情精通して理解するようになったと思ってほしい。

勝手なお願いだが信じてほしい。俺は悪人だが、嘘は書かない。

働いていた10年の間で、ずいぶんと正社員の人手が減らされていくのをこの目で見た。

まず栄光がどれほど顧客(まず未成年だ)と従業員社員バイト含め)をナメているか書いていく。

どれも昨今のナメた企業ではめずらしいものではないのかもだろうが、「これが上場企業教育業でござい」と言われると、俺は後ろ暗い気持ちを抱かずにいられない。



こんな感じだろう。

では具体的なことを書いていこう。

栄光における過労の主要因は、社員1人で担当する生徒の人数が多すぎることだと俺は思う。

今回の事件について

まず、ソースNHKニュースによると、教室過労死発生したビザ成城学園校の生徒数は180人だそうだ。

これを社員(ようは学生バイト事務パート以外)2人で担当していたそうだ。この生徒180人に社員2人という比率は、

栄光の近年の社内基準から言えば「ギリギリ生徒数が多すぎることはない」というスタンダードものだろう。

後述する「1人教室」に2人目の社員が配置されるかどうかの基準が「在籍数100」とも言われていた。(つまり99人までは1人の社員教室運営させる)

だが(誰がどういった根拠で決めたのか不明な)社内基準OKでも、単純計算で1人あたり90人の生徒、そしてそれとほぼ同数の保護者対応を満足に行うのは無理だ。

現場感覚では50人を越えたあたりから無理が生じ始める。

多くの公教育で1クラス50人が限度なので、この50人というのは経験的に求められた「人間1人あたりが面倒を見れる最大人数」なのだろう。

それをほぼ2倍近く要求する栄光常軌を逸している。

が、在籍数を増やせ増やせ(退塾を減らせ減らせ)と詰められるので、それを粛々となす社員だらけだ。

粛々とこなせなくなってくると、壊れて不正に手を染めだす。

仕事が多すぎることの問題に社内の誰も(社員バイトも)手をつけずに、むしろ率先して長時間労働を維持する方向に行ってしまたことが、

今回のような取り返しのつかない結果を招いたと言える。

なぜこのような腐った風土なのかは文字数に余裕があれば後述する。

社員が常時2人以上いる教室はまだ生徒の安全面に影響が少ないからマシだ。おぞましいのは社員が1人または1.5人の教室だ。

生徒の在籍人数が100人以下の教室は、ここ10年で社員2人から社員1人に人手が半減された。社員教室長1人だけの教室を、

そのままだが1人教室と呼んでいた。(1.5人教室は2人目の社員が他教室と掛け持ちである

俺は「2人教室」→「1.5人教室」→「1人教室」と、なし崩し的に人手が減らされる現場にいたが、

社員人手不足に対するフォローIT活用や勤務時間の融通など)は皆無であり、

学生バイト事務パート採用拡大の権限教室長にはなかった。

社員週休2日だ。しか教室は月曜から土曜まで毎日開ける。

もうおかしいのがわかるだろう。

週休2日を維持しようと思えば週1日は「教室社員が一人もいない日」を設定しなければならない。

まり、「社員が休むあいだ、バイト教室の全責任を負って教室を開ける日」を設けるのだ。

あなたは「何かあったら誰も責任の取れない(何かあってもなんの権限責任もない大学生が矢面に立たされる)の日が毎週ある教室」にお子さんを通わせたいと思うだろうか?

もしあなたバイトだったら、なんの見返りもなく教室有事(生徒が怪我をしたら?災害が起こったら?)の責任を負わされるかもしれない立場に立ちたいだろうか?

栄光曰く「この状態コンプライアンス抵触しない」ようだ。生徒と従業員安全をなんだと思っているんだろうかね。

幸いにも生徒に危害の及ぶ大事件は俺の教室では起こらなかったが、栄光と(おもにオーバーワークで壊され)モメた末に、見せしめ同然に辞めさせられていった元社員教室に討ち入りにくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そんなことはおくびにも出さずに社員のいない教室を毎週開けて、俺は生徒に笑顔で(警備会社通報ペンダントだろうと思われた物体を自ら首からさげ)授業していた。受付も電話番もいない教室にフラッと不審者が来て、生徒にいきなりガソリンでもかけられたらジ・エンドである

だが、こんなことがバイトだけで開けてる日にあった。保護者から電話がかかってきてがバイトでは返答しかるので、会社代表の番号を案内した。

が、間違えて(間違うもなにもそういうときにどうしたらいいか、なにもバイトは聞かされていないので)新規入塾問合せのフリーダイアルを案内してしまった。

その後、コールセンター部署から迷惑だ。なにをしているんだ」と電話口で叱責を受けた。

だがよく聞くと、こちらがバイトだけで教室を1日開けてることも、そこになんのフォローもないことをコールセンター部署はご存知でなかった。

あとで成城学園前(当事は今回の事件とは別)の教室から、「そういうことがあったらうちの教室電話を回してほしい」といまさらのように言われた。

この事件の後、俺は栄光を信用しなくなった。

人手不足を重く見た(ポーズをとった)栄光は、「社員が足らないならバイト社員ぽく見せかければいいじゃない」と思ったか知らないが、

バイト講師に「チーフ教師」なる肩書(とカスみたいな役職手当)をつけて、社員休みの日の責任バイトなすりつけるシステムを開発した。

俺が栄光を辞めた後もこの路線は拡大され、個別教室案内のwebページチーフ教師が「社員です」みたいな感じで、写真付きで紹介されるようになった。

(ちなみに社員バイト写真で見分けるには、スーツに社章がついているかいないかだ。それを悟られないように社章を隠すような写真教室確信犯でやってると思う。)

ここまでならなんの問題もない。

優良誤認寄りの合法で、悪質だが企業努力として理解できる。

だが一部に社内の身分的にチーフではないのに「チーフ教師」と書かれた、嘘っぱちの名刺を渡されて業務をするように命じられたバイトがいる。

俺は、広報活動のため来室した私立学校先生たちにこのニセ名刺を渡し、保護者面談でも(たしか)渡したと思う。

渡された人たちがどう思ったか知らないが、栄光はなんの非もないバイトを通して取引先を、つまらない見栄のために騙し騙させた。

それに唯々諾々と従っていた俺にも非がある。

  • 儲けるための違反は見ないふり。え?揉めてる?隠蔽だ!

まず俺のニセ名刺顛末を記す。

簡単に言うと、退職後にニセチーフとして働いたぶんの役職手当を全額栄光請求した。

きちんとしたフォーマット請求書を作成し、証拠のニセ名刺本社の人事宛に送付した。

栄光の人事責任者(だったと思う)から連絡があり、本社事情を聞きたいと言うので本社に出向いてやって、ありのままを話した。

そこで話をした人事担当者は、このニセ名刺作戦にどれくらい噛んでるのか、俺は知らなかったし知りたくもなく、相手も探られたくはないだろうと思って聞きはしなかった。

「送付した請求書は、高校同級生弁護士相談したうえで、送付させてもらった(大嘘)」と言ったところ、それにビビったのか栄光は即座に和解を申し出た。

「ただ働き分の金は払うからニセ名刺一件は黙っていろ」と、和解とタダで口止めさせる、非常に虫のいい提案がなされた。

俺はひたむきな栄光従業員たちに思いを馳せ、彼らの幸せ免じて、タダ働きされた分のお金栄光とは手切れだってことにして、

いろいろと許せないことはあったが、寛大な心で(体面上)ことを荒立てずに和解に乗った。

俺は以前に、「これは間違いなく警察or訴訟沙汰だろうなぁ」と思っていた社内不祥事を、鋼の意志示談もしくは泣き寝入りに持っていき、隠し通す栄光の体質を十分知っていた。

知っていたはずだが、栄光を1秒でも早く忘れたく、穏便にことを運ぶことを選んだ。

が、それはいま思えば、栄光隠蔽体質の片棒を担ぐ最低の判断だった。

今回の過労死の件も社内では1年もあったにも関わらずたいして共有もされず(教室長たちを管理する役職もついていたことがある、他県の教室長が「よく知らない」と仰天発言したのを、俺が昨日のうちに直接本人から電話で聞いたから確実である)、

栄光は今後なんの反省改善もしないだろう。

労災認定のプレスリリースも、目の届きにくいところにひっそり佇んでいる。

ここまで読んでいただいた方は、「そんなにひどい栄光でなぜ社員たちは悪いことをしてでも栄光に忠誠を誓ってしまうのか」と疑問に思われるだろう。

栄光だけではない。このような悲しい過労死事件が起こるたび、当事者でない我々は「どうしてそこまで」と思ってしまう。

最後に、栄光で働くことで、いかにそのような正常な感覚が失われるのかを書きたい。

まず、想像していただきやすいのが、(手垢のついた言葉説明するなら)「やりがい搾取」の構造だ。

栄光は好きではないが、生徒のために頑張りたい」と口にする社員は、俺の周りでは少なくなかった。

生徒と接していると「生徒のために頑張りたい」という気持ちが湧くのはよくわかる。

ただ、冷酷なようだが彼らは「栄光で頑張ること」が生徒のためになる唯一の解決策だと視野狭窄に陥っていたと言わざるを得ない(俺もそうだった)

世の中に塾はたくさんなるのだし、生徒も、働く者も、何もこんな間違った環境にいる必要などどこにもないのだ。

それに気づかなくさせるくらい、生徒を指導して得られるやりがいというもの劇薬である

やりがいのために働くことは美徳だ。

だが栄光で得られる「やりがい」は「他人様の育てた大事なお子さんたちを、タダでダシにした」まがい物だ。

よその会社必死に作り上げている「やりがい」が聞いて呆れるだろう。


ついで社員ダメにしてしまうのが、彼らの部下の「スーパースペック塾講師」の存在だろう。

雇用形態こそバイトだが、

そこらの社員よりも高学歴で授業がうまく生徒からも人気があり頼んだ仕事絶対に断らない人間が(大学生既卒わず)、少なから栄光では働いている。

不遜を承知で言わせてもらうと、(もうここまで読んでわかると思うが)俺がそうだった。

前述した1人教室が潰れないのは、この有能なバイトいるからだというのもある。

スーパーバイトは、社員は「バイトがこんなに頑張っているんだから自分だって」と自分鼓舞するのが人情ってものだ。

それにスーパーバイトは腐っている栄光完璧なように取り繕うことができる麻薬だ。

社員0でもバイトだけで教室営業可能

バイトたちに生徒と教室を任せて社員は早上がり可能

入院手術で休まざるをえない社員の穴が、社員で埋まらいかスーパーバイトで代わりをさせる。

・夏期講習中休暇を社員に取らせるため、4日連続バイトだけで教室営業

・講習期間中トラブルがあったら、スーパーバイト休日でも、旅行にいくのをキャンセルにさせて働かせればOK

・突然来なくなったバイトの穴埋めができなくても、急遽電話をかけてスーパーバイトを呼び出せば解決

教室長が壊れて(!)辞めた後始末をスーパーバイトに、最低時給以下の手当を握らせて、やらせ

俺が栄光に見させてやった幻覚を一部書いた。

使いようのいいバイトに甘えた環境が、腐りきった栄光の社風を作っていると俺は考える。

だがおわかりのように、甘えさせた俺も悪い。

バイトに泣きつけばどうにか持ちこたえてしまうなら、問題根本的な解決は先送りされる。

先送りされたツケがどうなったかは、知っての通りだ。そしてこれで終わりではない。

栄光には、自浄作用が働くことはないだろう。

栄光スタンダードとはこういうものだ」

業界の他社も同じことをしている」

「働きすぎるのは自己責任だ」

など甘えきった言い訳から絶対に手を離しはしないだろう。

この文章印刷され、栄光人間が読むことがあるかもしれない。

読む人間は俺が誰だかよく知っているだろうし、俺に腹を立てているだろうが知ったこっちゃない。

お前らは、他人の子供を預かって商売する資格もなければ、人を雇って働かせる資格もない。

過労死を出した栄光ゼミナールがどうなっちゃってんのか書いておく

栄光学習塾栄光ゼミナールなど運営)の元従業員だ。

増田ってやつは普段読みもしなければ書いたこともない。読みづらいのは勘弁してくれ。

これは告発でもあるから後ろめたい気持ちがなくはないが、公表することが顧客従業員ひいては公益にかなうと信じて疑わないので書いてしまう。

組織としての栄光以外(つまり今回の事件に直接の落ち度のない個人)に迷惑がかからないように書くつもりだ。

昨日の晩、食後にNHKニュースを見ていたら、「栄光教室長が勤務中に過労死し、労災と認められた」とたまたま目に入った。

それだけなら(まあそういうことも、あの会社なら不思議ではないな)でスルーできたが、

亡くなられたのは俺が勤務していた教室の近隣教室成城学園前)の室長だ、ということなので、さすがにスルーできなくなった。

スルーできないのは、過労死を出すような会社批判したい正義感、とか個人の恨みで栄光憎しではない。

自分の中で罪悪感のようなものを抱えてどうしようもないからだ。「加害者ヅラ」させてほしい。

クソみたいな環境に甘んじていた俺は憎まれるべき悪人で、過労死が起こるような環境を作った責任は俺にもある。


ただ、これを読んでいる人は「栄光がどうなっちゃってんのか」に興味あるのだろうし、

そっちを先に 読んで楽しく をモットーに書いておく。


俺は栄光ゼミナール(集団個別併設)栄光ビザビ(個別専門)両方での勤務経験10年弱ある。

社員だったのではないが、栄光の数少ない美点である社員も上の方の管理職も、バイトになれなれしい(が、風通しがいいというわけでもない)」と言う社風から

管理職そばにいるうちに、内部事情精通して理解するようになったと思ってほしい。

勝手なお願いだが信じてほしい。俺は悪人だが、嘘は書かない。

働いていた10年の間で、ずいぶんと正社員の人手が減らされていくのをこの目で見た。

まず栄光がどれほど顧客(まず未成年だ)と従業員社員バイト含め)をナメているか書いていく。

どれも昨今のナメた企業ではめずらしいものではないのかもだろうが、「これが上場企業教育業でござい」と言われると、俺は後ろ暗い気持ちを抱かずにいられない。



こんな感じだろう。

では具体的なことを書いていこう。

栄光における過労の主要因は、社員1人で担当する生徒の人数が多すぎることだと俺は思う。

今回の事件について

まず、ソースNHKニュースによると、教室過労死発生したビザ成城学園校の生徒数は180人だそうだ。

これを社員(ようは学生バイト事務パート以外)2人で担当していたそうだ。この生徒180人に社員2人という比率は、

栄光の近年の社内基準から言えば「ギリギリ生徒数が多すぎることはない」というスタンダードものだろう。

後述する「1人教室」に2人目の社員が配置されるかどうかの基準が「在籍数100」とも言われていた。(つまり99人までは1人の社員教室運営させる)

だが(誰がどういった根拠で決めたのか不明な)社内基準OKでも、単純計算で1人あたり90人の生徒、そしてそれとほぼ同数の保護者対応を満足に行うのは無理だ。

現場感覚では50人を越えたあたりから無理が生じ始める。

多くの公教育で1クラス50人が限度なので、この50人というのは経験的に求められた「人間1人あたりが面倒を見れる最大人数」なのだろう。

それをほぼ2倍近く要求する栄光常軌を逸している。

が、在籍数を増やせ増やせ(退塾を減らせ減らせ)と詰められるので、それを粛々となす社員だらけだ。

粛々とこなせなくなってくると、壊れて不正に手を染めだす。

仕事が多すぎることの問題に社内の誰も(社員バイトも)手をつけずに、むしろ率先して長時間労働を維持する方向に行ってしまたことが、

今回のような取り返しのつかない結果を招いたと言える。

なぜこのような腐った風土なのかは文字数に余裕があれば後述する。

社員が常時2人以上いる教室はまだ生徒の安全面に影響が少ないからマシだ。おぞましいのは社員が1人または1.5人の教室だ。

生徒の在籍人数が100人以下の教室は、ここ10年で社員2人から社員1人に人手が半減された。社員教室長1人だけの教室を、

そのままだが1人教室と呼んでいた。(1.5人教室は2人目の社員が他教室と掛け持ちである

俺は「2人教室」→「1.5人教室」→「1人教室」と、なし崩し的に人手が減らされる現場にいたが、

社員人手不足に対するフォローIT活用や勤務時間の融通など)は皆無であり、

学生バイト事務パート採用拡大の権限教室長にはなかった。

社員週休2日だ。しか教室は月曜から土曜まで毎日開ける。

もうおかしいのがわかるだろう。

週休2日を維持しようと思えば週1日は「教室社員が一人もいない日」を設定しなければならない。

まり、「社員が休むあいだ、バイト教室の全責任を負って教室を開ける日」を設けるのだ。

あなたは「何かあったら誰も責任の取れない(何かあってもなんの権限責任もない大学生が矢面に立たされる)の日が毎週ある教室」にお子さんを通わせたいと思うだろうか?

もしあなたバイトだったら、なんの見返りもなく教室有事(生徒が怪我をしたら?災害が起こったら?)の責任を負わされるかもしれない立場に立ちたいだろうか?

栄光曰く「この状態コンプライアンス抵触しない」ようだ。生徒と従業員安全をなんだと思っているんだろうかね。

幸いにも生徒に危害の及ぶ大事件は俺の教室では起こらなかったが、栄光と(おもにオーバーワークで壊され)モメた末に、見せしめ同然に辞めさせられていった元社員教室に討ち入りにくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そんなことはおくびにも出さずに社員のいない教室を毎週開けて、俺は生徒に笑顔で(警備会社通報ペンダントだろうと思われた物体を自ら首からさげ)授業していた。受付も電話番もいない教室にフラッと不審者が来て、生徒にいきなりガソリンでもかけられたらジ・エンドである

だが、こんなことがバイトだけで開けてる日にあった。保護者から電話がかかってきてがバイトでは返答しかるので、会社代表の番号を案内した。

が、間違えて(間違うもなにもそういうときにどうしたらいいか、なにもバイトは聞かされていないので)新規入塾問合せのフリーダイアルを案内してしまった。

その後、コールセンター部署から迷惑だ。なにをしているんだ」と電話口で叱責を受けた。

だがよく聞くと、こちらがバイトだけで教室を1日開けてることも、そこになんのフォローもないことをコールセンター部署はご存知でなかった。

あとで成城学園前(当事は今回の事件とは別)の教室から、「そういうことがあったらうちの教室電話を回してほしい」といまさらのように言われた。

この事件の後、俺は栄光を信用しなくなった。

人手不足を重く見た(ポーズをとった)栄光は、「社員が足らないならバイト社員ぽく見せかければいいじゃない」と思ったか知らないが、

バイト講師に「チーフ教師」なる肩書(とカスみたいな役職手当)をつけて、社員休みの日の責任バイトなすりつけるシステムを開発した。

俺が栄光を辞めた後もこの路線は拡大され、個別教室案内のwebページチーフ教師が「社員です」みたいな感じで、写真付きで紹介されるようになった。

(ちなみに社員バイト写真で見分けるには、スーツに社章がついているかいないかだ。それを悟られないように社章を隠すような写真教室確信犯でやってると思う。)

ここまでならなんの問題もない。

優良誤認寄りの合法で、悪質だが企業努力として理解できる。

だが一部に社内の身分的にチーフではないのに「チーフ教師」と書かれた、嘘っぱちの名刺を渡されて業務をするように命じられたバイトがいる。

俺は、広報活動のため来室した私立学校先生たちにこのニセ名刺を渡し、保護者面談でも(たしか)渡したと思う。

渡された人たちがどう思ったか知らないが、栄光はなんの非もないバイトを通して取引先を、つまらない見栄のために騙し騙させた。

それに唯々諾々と従っていた俺にも非がある。

  • 儲けるための違反は見ないふり。え?揉めてる?隠蔽だ!

まず俺のニセ名刺顛末を記す。

簡単に言うと、退職後にニセチーフとして働いたぶんの役職手当を全額栄光請求した。

きちんとしたフォーマット請求書を作成し、証拠のニセ名刺本社の人事宛に送付した。

栄光の人事責任者(だったと思う)から連絡があり、本社事情を聞きたいと言うので本社に出向いてやって、ありのままを話した。

そこで話をした人事担当者は、このニセ名刺作戦にどれくらい噛んでるのか、俺は知らなかったし知りたくもなく、相手も探られたくはないだろうと思って聞きはしなかった。

「送付した請求書は、高校同級生弁護士相談したうえで、送付させてもらった(大嘘)」と言ったところ、それにビビったのか栄光は即座に和解を申し出た。

「ただ働き分の金は払うからニセ名刺一件は黙っていろ」と、和解とタダで口止めさせる、非常に虫のいい提案がなされた。

俺はひたむきな栄光従業員たちに思いを馳せ、彼らの幸せ免じて、タダ働きされた分のお金栄光とは手切れだってことにして、

いろいろと許せないことはあったが、寛大な心で(体面上)ことを荒立てずに和解に乗った。

俺は以前に、「これは間違いなく警察or訴訟沙汰だろうなぁ」と思っていた社内不祥事を、鋼の意志示談もしくは泣き寝入りに持っていき、隠し通す栄光の体質を十分知っていた。

知っていたはずだが、栄光を1秒でも早く忘れたく、穏便にことを運ぶことを選んだ。

が、それはいま思えば、栄光隠蔽体質の片棒を担ぐ最低の判断だった。

今回の過労死の件も社内では1年もあったにも関わらずたいして共有もされず(教室長たちを管理する役職もついていたことがある、他県の教室長が「よく知らない」と仰天発言したのを、俺が昨日のうちに直接本人から電話で聞いたから確実である)、

栄光は今後なんの反省改善もしないだろう。

労災認定のプレスリリースも、目の届きにくいところにひっそり佇んでいる。

ここまで読んでいただいた方は、「そんなにひどい栄光でなぜ社員たちは悪いことをしてでも栄光に忠誠を誓ってしまうのか」と疑問に思われるだろう。

栄光だけではない。このような悲しい過労死事件が起こるたび、当事者でない我々は「どうしてそこまで」と思ってしまう。

最後に、栄光で働くことで、いかにそのような正常な感覚が失われるのかを書きたい。

まず、想像していただきやすいのが、(手垢のついた言葉説明するなら)「やりがい搾取」の構造だ。

栄光は好きではないが、生徒のために頑張りたい」と口にする社員は、俺の周りでは少なくなかった。

生徒と接していると「生徒のために頑張りたい」という気持ちが湧くのはよくわかる。

ただ、冷酷なようだが彼らは「栄光で頑張ること」が生徒のためになる唯一の解決策だと視野狭窄に陥っていたと言わざるを得ない(俺もそうだった)

世の中に塾はたくさんなるのだし、生徒も、働く者も、何もこんな間違った環境にいる必要などどこにもないのだ。

それに気づかなくさせるくらい、生徒を指導して得られるやりがいというもの劇薬である

やりがいのために働くことは美徳だ。

だが栄光で得られる「やりがい」は「他人様の育てた大事なお子さんたちを、タダでダシにした」まがい物だ。

よその会社必死に作り上げている「やりがい」が聞いて呆れるだろう。


ついで社員ダメにしてしまうのが、彼らの部下の「スーパースペック塾講師」の存在だろう。

雇用形態こそバイトだが、

そこらの社員よりも高学歴で授業がうまく生徒からも人気があり頼んだ仕事絶対に断らない人間が(大学生既卒わず)、少なから栄光では働いている。

不遜を承知で言わせてもらうと、(もうここまで読んでわかると思うが)俺がそうだった。

前述した1人教室が潰れないのは、この有能なバイトいるからだというのもある。

スーパーバイトは、社員は「バイトがこんなに頑張っているんだから自分だって」と自分鼓舞するのが人情ってものだ。

それにスーパーバイトは腐っている栄光完璧なように取り繕うことができる麻薬だ。

社員0でもバイトだけで教室営業可能

バイトたちに生徒と教室を任せて社員は早上がり可能

入院手術で休まざるをえない社員の穴が、社員で埋まらいかスーパーバイトで代わりをさせる。

・夏期講習中休暇を社員に取らせるため、4日連続バイトだけで教室営業

・講習期間中トラブルがあったら、スーパーバイト休日でも、旅行にいくのをキャンセルにさせて働かせればOK

・突然来なくなったバイトの穴埋めができなくても、急遽電話をかけてスーパーバイトを呼び出せば解決

教室長が壊れて(!)辞めた後始末をスーパーバイトに、最低時給以下の手当を握らせて、やらせ

俺が栄光に見させてやった幻覚を一部書いた。

使いようのいいバイトに甘えた環境が、腐りきった栄光の社風を作っていると俺は考える。

だがおわかりのように、甘えさせた俺も悪い。

バイトに泣きつけばどうにか持ちこたえてしまうなら、問題根本的な解決は先送りされる。

先送りされたツケがどうなったかは、知っての通りだ。そしてこれで終わりではない。

栄光には、自浄作用が働くことはないだろう。

栄光スタンダードとはこういうものだ」

業界の他社も同じことをしている」

「働きすぎるのは自己責任だ」

など甘えきった言い訳から絶対に手を離しはしないだろう。

この文章印刷され、栄光人間が読むことがあるかもしれない。

読む人間は俺が誰だかよく知っているだろうし、俺に腹を立てているだろうが知ったこっちゃない。

お前らは、他人の子供を預かって商売する資格もなければ、人を雇って働かせる資格もない。

過労死を出した栄光ゼミナールがどうなっちゃってんのか書いておく

栄光学習塾栄光ゼミナールなど運営)の元従業員だ。

増田ってやつは普段読みもしなければ書いたこともない。読みづらいのは勘弁してくれ。

これは告発でもあるから後ろめたい気持ちがなくはないが、公表することが顧客従業員ひいては公益にかなうと信じて疑わないので書いてしまう。

組織としての栄光以外(つまり落ち度のない個人)に迷惑がかからないように書くつもりだ。

昨日の晩、食後にNHKニュースを見ていたら、「栄光教室長が勤務中に過労死し、労災と認められた」とたまたま目に入った。

それだけなら(まあそういうことも、あの会社なら不思議ではないな)でスルーできたが、

亡くなられたのは俺が勤務していた教室の近隣教室成城学園前)の室長だ、ということなので、さすがにスルーできなくなった。

スルーできないのは、過労死を出すような会社批判したい正義感、とか個人の恨みで栄光憎しではない。

自分の中で罪悪感のようなものを抱えてどうしようもないからだ。「加害者ヅラ」させてほしい。

クソみたいな環境に甘んじていた俺は憎まれるべき悪人で、過労死が起こるような環境を作った責任は俺にもある。


ただ、これを読んでいる人は、栄光がどうなっちゃってんのかに興味あるのだろうし、そっちを先に読んで楽しくをモットーに書いておく。


俺は栄光ゼミナール(集団個別併設)栄光ビザビ(個別専門)両方での勤務経験10年弱ある。

社員だったのではないが、栄光の数少ない美点である社員も上の方の管理職も、バイトになれなれしい(が、風通しがいいというわけでもない)」と言う社風から

管理職そばにいるうちに、内部事情精通して理解するようになったと思ってほしい。勝手なお願いだが信じてほしい。俺は悪人だが、嘘は書かない。

働いていた10年の間で、ずいぶんと正社員の人手が減らされていくのをこの目で見た。

まず栄光がどれほど顧客(まず未成年だ)と従業員社員バイト含め)をナメているか書いていく。

どれも昨今のナメた企業ではめずらしいものではないのかもだろうが、「これが上場企業教育業でござい」と言われると、俺は後ろ暗い気持ちを抱かずにいられない。



こんな感じだろう。

では具体的なことを書いていこう。

栄光における過労の主要因は、社員1人で担当する生徒の人数が多すぎることだと俺は思う。

今回の事件について

まず、ソースNHKニュースによると、教室過労死発生したビザ成城学園校の生徒数は180人だそうだ。

これを社員(ようは学生バイト事務パート以外)2人で担当していたそうだ。この生徒180人に社員2人という比率は、

栄光の近年の社内基準から言えば「ギリギリ生徒数が多すぎることはない」というスタンダードものだろう。

後述する「1人教室」に2人目の社員が配置されるかどうかの基準が「在籍数100」とも言われていた。(つまり99人までは1人の社員教室運営させる)

だが(誰がどういった根拠で決めたのか不明な)社内基準OKでも、単純計算で1人あたり90人の生徒、そしてそれとほぼ同数の保護者対応を満足に行うのは無理だ。

現場感覚では50人を越えたあたりから無理が生じ始める。

多くの公教育で1クラス50人が限度なので、この50人というのは経験的に求められた「人間1人あたりが面倒を見れる最大人数」なのだろう。

それをほぼ2倍近く要求する栄光常軌を逸している。

が、在籍数を増やせ増やせ(退塾を減らせ減らせ)と詰められるので、それを粛々となす社員だらけだ。

粛々とこなせなくなってくると、壊れて不正に手を染めだす。

仕事が多すぎることの問題に社内の誰も(社員バイトも)手をつけずに、むしろ率先して長時間労働を維持する方向に行ってしまたことが、

今回のような取り返しのつかない結果を招いたと言える。

なぜこのような腐った風土なのかは文字数に余裕があれば後述する。

社員が常時2人以上いる教室はまだ生徒の安全面に影響が少ないからマシだ。おぞましいのは社員が1人または1.5人の教室だ。

生徒の在籍人数が100人以下の教室は、ここ10年で社員2人から社員1人に人手が半減された。社員教室長1人だけの教室を、

そのままだが1人教室と呼んでいた。(1.5人教室は2人目の社員が他教室と掛け持ちである

俺は「2人教室」→「1.5人教室」→「1人教室」と、なし崩し的に人手が減らされる現場にいたが、

社員人手不足に対するフォローIT活用や勤務時間の融通など)は皆無であり、

学生バイト事務パート採用拡大の権限教室長にはなかった。

社員週休2日だ。しか教室は月曜から土曜まで毎日開ける。

もうおかしいのがわかるだろう。

週休2日を維持しようと思えば週1日は「教室社員が一人もいない日」を設定しなければならない。

まり、「社員が休むあいだ、バイト教室の全責任を負って教室を開ける日」を設けるのだ。

あなたは「何かあったら誰も責任の取れない(何かあってもなんの権限責任もない大学生が矢面に立たされる)の日が毎週ある教室」にお子さんを通わせたいと思うだろうか?

もしあなたバイトだったら、なんの見返りもなく教室有事(生徒が怪我をしたら?災害が起こったら?)の責任を負わされるかもしれない立場に立ちたいだろうか?

栄光曰く「この状態コンプライアンス抵触しない」ようだ。生徒と従業員安全をなんだと思っているんだろうかね。

幸いにも生徒に危害の及ぶ大事件は俺の教室では起こらなかったが、栄光と(おもにオーバーワークで壊され)モメた末に、見せしめ同然に辞めさせられていった元社員教室に討ち入りにくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そんなことはおくびにも出さずに社員のいない教室を毎週開けて、俺は生徒に笑顔で(警備会社通報ペンダントだろうと思われた物体を自ら首からさげ)授業していた。受付も電話番もいない教室にフラッと不審者が来て、生徒にいきなりガソリンでもかけられたらジ・エンドである

だが、こんなことがバイトだけで開けてる日にあった。保護者から電話がかかってきてがバイトでは返答しかるので、会社代表の番号を案内した。

が、間違えて(間違うもなにもそういうときにどうしたらいいか、なにもバイトは聞かされていないので)新規入塾問合せのフリーダイアルを案内してしまった。

その後、コールセンター部署から迷惑だ。なにをしているんだ」と電話口で叱責を受けた。

だがよく聞くと、こちらがバイトだけで教室を1日開けてることも、そこになんのフォローもないことをコールセンター部署はご存知でなかった。

あとで成城学園前(当事は今回の事件とは別)の教室から、「そういうことがあったらうちの教室電話を回してほしい」といまさらのように言われた。

この事件の後、俺は栄光を信用しなくなった。

人手不足を重く見た(ポーズをとった)栄光は、「社員が足らないならバイト社員ぽく見せかければいいじゃない」と思ったか知らないが、

バイト講師に「チーフ教師」なる肩書(とカスみたいな役職手当)をつけて、社員休みの日の責任バイトなすりつけるシステムを開発した。

俺が栄光を辞めた後もこの路線は拡大され、個別教室案内のwebページチーフ教師が「社員です」みたいな感じで、写真付きで紹介されるようになった。

(ちなみに社員バイト写真で見分けるには、スーツに社章がついているかいないかだ。それを悟られないように社章を隠すような写真教室確信犯でやってると思う。)

ここまでならなんの問題もない。

優良誤認寄りの合法で、悪質だが企業努力として理解できる。

だが一部に社内の身分的にチーフではないのに「チーフ教師」と書かれた、嘘っぱちの名刺を渡されて業務をするように命じられたバイトがいる。

俺は、広報活動のため来室した私立学校先生たちにこのニセ名刺を渡し、保護者面談でも(たしか)渡したと思う。

渡された人たちがどう思ったか知らないが、栄光はなんの非もないバイトを通して取引先を、つまらない見栄のために騙し騙させた。

それに唯々諾々と従っていた俺にも非がある。

  • 儲けるための違反は見ないふり。え?揉めてる?隠蔽だ!

まず俺のニセ名刺顛末を記す。

簡単に言うと、退職後にニセチーフとして働いたぶんの役職手当を全額栄光請求した。

きちんとしたフォーマット請求書を作成し、証拠のニセ名刺本社の人事宛に送付した。

栄光の人事責任者(だったと思う)から連絡があり、本社事情を聞きたいと言うので本社に出向いてやって、ありのままを話した。

そこで話をした人事担当者は、このニセ名刺作戦にどれくらい噛んでるのか、俺は知らなかったし知りたくもなく、相手も探られたくはないだろうと思って聞きはしなかった。

「送付した請求書は、高校同級生弁護士相談したうえで、送付させてもらった(大嘘)」と言ったところ、それにビビったのか栄光は即座に和解を申し出た。

「ただ働き分の金は払うからニセ名刺一件は黙っていろ」と、和解とタダで口止めさせる、非常に虫のいい提案がなされた。

俺はひたむきな栄光従業員たちに思いを馳せ、彼らの幸せ免じて、タダ働きされた分のお金栄光とは手切れだってことにして、

いろいろと許せないことはあったが、寛大な心で(体面上)ことを荒立てずに和解に乗った。

俺は以前に、「これは間違いなく警察or訴訟沙汰だろうなぁ」と思っていた社内不祥事を、鋼の意志示談もしくは泣き寝入りに持っていき、隠し通す栄光の体質を十分知っていた。

知っていたはずだが、栄光を1秒でも早く忘れたく、穏便にことを運ぶことを選んだ。

が、それはいま思えば、栄光隠蔽体質の片棒を担ぐ最低の判断だった。

今回の過労死の件も社内では1年もあったにも関わらずたいして共有もされず(教室長たちを管理する役職もついていたことがある、他県の教室長が「よく知らない」と仰天発言したのを、俺が昨日のうちに直接本人から電話で聞いたから確実である)、

栄光は今後なんの反省改善もしないだろう。

労災認定のプレスリリースも、目の届きにくいところにひっそり佇んでいる。

ここまで読んでいただいた方は、「そんなにひどい栄光でなぜ社員たちは悪いことをしてでも栄光に忠誠を誓ってしまうのか」と疑問に思われるだろう。

栄光だけではない。このような悲しい過労死事件が起こるたび、当事者でない我々は「どうしてそこまで」と思ってしまう。

最後に、栄光で働くことで、いかにそのような正常な感覚が失われるのかを書きたい。

まず、想像していただきやすいのが、(手垢のついた言葉説明するなら)「やりがい搾取」の構造だ。

栄光は好きではないが、生徒のために頑張りたい」と口にする社員は、俺の周りでは少なくなかった。

生徒と接していると「生徒のために頑張りたい」という気持ちが湧くのはよくわかる。

ただ、冷酷なようだが彼らは「栄光で頑張ること」が生徒のためになる唯一の解決策だと視野狭窄に陥っていたと言わざるを得ない(俺もそうだった)

世の中に塾はたくさんなるのだし、生徒も、働く者も、何もこんな間違った環境にいる必要などどこにもないのだ。

それに気づかなくさせるくらい、生徒を指導して得られるやりがいというもの劇薬である

やりがいのために働くことは美徳だ。

だが栄光で得られる「やりがい」は「他人様の育てた大事なお子さんたちをタダでダシにした」まがい物だ。

よその会社必死に作り上げている「やりがい」が聞いて呆れるだろう。


ついで社員を駆り立ててしまうのが、彼らの部下の「スーパースペック塾講師」の存在だろう。

雇用形態こそバイトだが、

そこらの社員よりも高学歴で授業がうまく生徒からも人気があり頼んだ仕事絶対に断らない人間が(大学生既卒わず)、少なから栄光では働いている。

不遜を承知で言わせてもらうと、(もうここまで読んでわかると思うが)俺がそうだった。

前述した1人教室が潰れないのは、この有能なバイトいるからだというのもある。

スーパーバイトは、腐っている栄光完璧なように取り繕うことができる麻薬だ。

社員0でもバイトだけで教室営業可能

バイトたちに生徒と教室を任せて社員は早上がり可能

入院手術で休まざるをえない社員の穴が、社員で埋まらいかスーパーバイトで代わりをさせる。

・夏期講習中休暇を社員に取らせるため、4日連続バイトだけで教室営業

・講習期間中トラブルがあったら、スーパーバイト休日でも、旅行にいくのをキャンセルにさせて働かせればOK

・突然来なくなったバイトの穴埋めができなくても、急遽電話をかけてスーパーバイトを呼び出せば解決

教室長が壊れて(!)辞めた後始末をスーパーバイトに、最低時給以下の手当を握らせて、やらせ

俺が栄光に見させてやった幻覚を一部書いた。

彼らスーパー塾講師に甘えた環境が、腐りきった栄光の社風を作っていると俺は考える。

だがおわかりのように、甘えさせた俺も悪い。

バイトに泣きつけばどうにか持ちこたえてしまうなら、問題根本的な解決は先送りされる。

先送りされたツケがどうなったかは、知っての通りだ。そしてこれで終わりではない。

栄光には、自浄作用が働くことはないだろう。

栄光スタンダードとはこういうものだ、業界の他社も同じことをしている、働きすぎるのは自己責任だ、など甘えきった言い訳から絶対に手を離しはしないだろう。

この文章印刷され、栄光人間が読むことがあるかもしれない。

読む人間は俺が誰だかよく知っているだろうし、俺に腹を立てているだろうが知ったこっちゃない。

お前らは、他人の子供を預かって商売する資格もなければ、人を雇って働かせる資格もない。

過労死を出した栄光ゼミナールがどうなっちゃってんのか書いておく

栄光学習塾栄光ゼミナールなど運営)の元従業員だ。

増田ってやつは普段読みもしなければ書いたこともない。読みづらいのは勘弁してくれ。

これは告発でもあるから後ろめたい気持ちがなくはないが、公表することが顧客従業員ひいては公益にかなうと信じて疑わないので書いてしまう。

組織としての栄光以外(つまり落ち度のない個人)に迷惑がかからないように書くつもりだ。

昨日の晩、食後にNHKニュースを見ていたら、「栄光教室長が勤務中に過労死し、労災と認められた」とたまたま目に入った。

それだけなら(まあそういうことも、あの会社なら不思議ではないな)でスルーできたが、

亡くなられたのは俺が勤務していた教室の近隣教室成城学園前)の室長だ、ということなので、さすがにスルーできなくなった。

スルーできないのは、過労死を出すような会社批判したい正義感、とか個人の恨みで栄光憎しではない。

自分の中で罪悪感のようなものを抱えてどうしようもないからだ。「加害者ヅラ」させてほしい。

クソみたいな環境に甘んじていた俺は憎まれるべき悪人で、過労死が起こるような環境を作った責任は俺にもある。


ただ、これを読んでいる人は、栄光がどうなっちゃってんのかに興味あるのだろうし、そっちを先に読んで楽しくをモットーに書いておく。


俺は栄光ゼミナール(集団個別併設)栄光ビザビ(個別専門)両方での勤務経験10年弱ある。

社員だったのではないが、栄光の数少ない美点である社員も上の方の管理職も、バイトになれなれしい(が、風通しがいいというわけでもない)」と言う社風から

管理職そばにいるうちに、内部事情精通して理解するようになったと思ってほしい。勝手なお願いだが信じてほしい。俺は悪人だが、嘘は書かない。

働いていた10年の間で、ずいぶんと正社員の人手が減らされていくのをこの目で見た。

まず栄光がどれほど顧客(まず未成年だ)と従業員社員バイト含め)をナメているか書いていく。

どれも昨今のナメた企業ではめずらしいものではないのかもだろうが、「これが上場企業現在上場廃止。指摘感謝)の教育業でござい」と言われると、俺は後ろ暗い気持ちを抱かずにいられない。



こんな感じだろう。

では具体的なことを書いていこう。

オーバーワーク、堂々まかり通る

栄光における過労の主要因は、社員1人で担当する生徒の人数が多すぎることだと俺は思う。

今回の事件について

まず、ソースNHKニュースによると、教室過労死発生したビザ成城学園校の生徒数は180人だそうだ。

これを社員(ようは学生バイト事務パート以外)2人で担当していたそうだ。この生徒180人に社員2人という比率は、

栄光の近年の社内基準から言えば「ギリギリ生徒数が多すぎることはない」というスタンダードものだろう。

後述する「1人教室」に2人目の社員が配置されるかどうかの基準が「在籍数100」とも言われていた。(つまり99人までは1人の社員教室運営させる)

だが(誰がどういった根拠で決めたのか不明な)社内基準OKでも、単純計算で1人あたり90人の生徒、そしてそれとほぼ同数の保護者対応を満足に行うのは無理だ。

現場感覚では50人を越えたあたりから無理が生じ始める。

多くの公教育で1クラス50人が限度なので、この50人というのは経験的に求められた「人間1人あたりが面倒を見れる最大人数」なのだろう。

それをほぼ2倍近く要求する栄光常軌を逸している。

が、在籍数を増やせ増やせ(退塾を減らせ減らせ)と詰められるので、それを粛々となす社員だらけだ。

粛々とこなせなくなってくると、壊れて不正に手を染めだす。

仕事が多すぎることの問題に社内の誰も手をつけずに、むしろ率先して長時間労働を維持する方向に行ってしまったのが、今回のような取り返しのつかない結果を招いたと言える。

なぜこのような腐った風土なのかは文字数に余裕があれば後述する。

コンプライアンスって何?法に触れなければ、触れちゃっても訴えられなければ道義なんて問題じゃないぜ!

社員が常時2人以上いる教室はまだ生徒の安全面に影響が少ないからマシだ。おぞましいのは社員が1人または1.5人の教室だ。

生徒の在籍人数が100人以下の教室は、ここ10年で社員2人から社員1人に人手が半減された。社員教室長1人だけの教室を、

そのままだが1人教室と呼んでいた。(1.5人教室は2人目の社員が他教室と掛け持ちである

俺は「2人教室」→「1.5人教室」→「1人教室」と、なし崩し的に人手が減らされる現場にいたが、

社員人手不足に対するフォローIT活用や勤務時間の融通など)は皆無であり、

学生バイト事務パート採用拡大の権限教室長にはなかった。

社員週休2日だ。しか教室は月曜から土曜まで毎日開ける。

もうおかしいのがわかるだろう。

週休2日を維持しようと思えば週1日は「教室社員が一人もいない日」を設定しなければならない。

まり、「社員が休むあいだ、バイト教室の全責任を負って教室を開ける日」を設けるのだ。

あなたは「何かあったら誰も責任の取れない(何かあってもなんの権限責任もない大学生が矢面に立たされる)の日が毎週ある教室」にお子さんを通わせたいと思うだろうか?

もしあなたバイトだったら、なんの見返りもなく教室有事(生徒が怪我をしたら?災害が起こったら?)の責任を負わされるかもしれない立場に立ちたいだろうか?

栄光曰く「この状態コンプライアンス抵触しない」ようだ。生徒と従業員安全をなんだと思っているんだろうかね。

教室バイトしかいない?一体誰がそんな酷いことを!?(すっとぼけ)

幸いにも生徒に危害の及ぶ大事件は俺の教室では起こらなかったが、栄光と(おもにオーバーワークで壊され)モメた末に、見せしめ同然に辞めさせられていった元社員教室に討ち入りにくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら、そんなことはおくびにも出さずに社員のいない教室を毎週開けて、俺は生徒に笑顔で(警備会社通報ペンダントだろうと思われた物体を自ら首からさげ)授業していた。受付も電話番もいない教室にフラッと不審者が来て、生徒にいきなりガソリンでもかけられたらジ・エンドである

だが、こんなことがバイトだけで開けてる日にあった。保護者から電話がかかってきてがバイトでは返答しかるので、会社代表の番号を案内した。

が、間違えて(間違うもなにもそういうときにどうしたらいいか、なにもバイトは聞かされていないので)新規入塾問合せのフリーダイアルを案内してしまった。

その後、コールセンター部署から迷惑だ。なにをしているんだ」と電話口で叱責を受けた。

だがよく聞くと、こちらがバイトだけで教室を1日開けてることも、そこになんのフォローもないことをコールセンター部署はご存知でなかった。

あとで成城学園前(当事は今回の事件とは別)の教室から、「そういうことがあったらうちの教室電話を回してほしい」といまさらのように言われた。

この事件の後、俺は栄光を信用しなくなった。

ヒラのバイトだって気づかれるもんか!ニセ名刺作戦発動。

人手不足を重く見た(ポーズをとった)栄光は、「社員が足らないならバイト社員ぽく見せかければいいじゃない」と思ったか知らないが、

バイト講師に「チーフ教師」なる肩書(とカスみたいな役職手当)をつけて、社員休みの日の責任バイトなすりつけるシステムを開発した。

俺が栄光を辞めた後もこの路線は拡大され、個別教室案内のwebページチーフ教師が「社員です」みたいな感じで、写真付きで紹介されるようになった。

(ちなみに社員バイト写真で見分けるには、スーツに社章がついているかいないかだ。それを悟られないように社章を隠すような写真教室確信犯でやってると思う。)

ここまでならなんの問題もない。

優良誤認寄りの合法で、悪質だが企業努力として理解できる。

だが一部に社内の身分的にチーフではないのに「チーフ教師」と書かれた、嘘っぱちの名刺を渡されて業務をするように命じられたバイトがいる。

俺は、広報活動のため来室した私立学校先生たちにこのニセ名刺を渡し、保護者面談でも(たしか)渡したと思う。

渡された人たちがどう思ったか知らないが、栄光はなんの非もないバイトを通して取引先を、つまらない見栄のために騙し騙させた。

それに唯々諾々と従っていた俺にも非がある。

儲けるための違反は見ないふり。え?揉めてる?隠蔽だ!

まず俺のニセ名刺顛末を記す。

簡単に言うと、退職後にニセチーフとして働いたぶんの役職手当を全額栄光請求した。

きちんとしたフォーマット請求書を作成し、証拠のニセ名刺本社の人事宛に送付した。

栄光の人事責任者(だったと思う)から連絡があり、本社事情を聞きたいと言うので本社に出向いてやって、ありのままを話した。

そこで話をした人事担当者は、このニセ名刺作戦にどれくらい噛んでるのか、俺は知らなかったし知りたくもなく、相手も探られたくはないだろうと思って聞きはしなかった。

「送付した請求書は、高校同級生弁護士相談したうえで、送付させてもらった(大嘘)」と言ったところ、それにビビったのか栄光は即座に和解を申し出た。

「ただ働き分の金は払うからニセ名刺一件は黙っていろ」と、和解とタダで口止めさせる、非常に虫のいい提案がなされた。

俺はひたむきな栄光従業員たちに思いを馳せ、彼らの幸せ免じて、タダ働きされた分のお金栄光とは手切れだってことにして、

いろいろと許せないことはあったが、寛大な心で(体面上)ことを荒立てずに和解に乗った。

俺は以前に、「これは間違いなく警察or訴訟沙汰だろうなぁ」と思っていた社内不祥事を、鋼の意志示談もしくは泣き寝入りに持っていき、隠し通す栄光の体質を十分知っていた。

知っていたはずだが、栄光を1秒でも早く忘れたく、穏便にことを運ぶことを選んだ。

が、それはいま思えば、栄光隠蔽体質の片棒を担ぐ最低の判断だった。

今回の過労死の件も社内では1年もあったにも関わらずたいして共有もされず(教室長たちを管理する役職もついていたことがある、他県の教室長が「よく知らない」と仰天発言したのを、俺が昨日のうちに直接本人から電話で聞いたから確実である)、

栄光は今後なんの反省改善もしないだろう。

労災認定のプレスリリースも、目の届きにくいところにひっそり佇んでいる。

社員のやる気をいたずらに鼓舞してしまう生徒たちの笑顔スーパースペック塾講師たちに甘える社員

ここまで読んでいただいた方は、「そんなにひどい栄光でなぜ社員たちは悪いことをしてでも栄光に忠誠を誓ってしまうのか」と疑問に思われるだろう。

栄光だけではない。このような悲しい過労死事件が起こるたび、当事者でない我々は「どうしてそこまで」と思ってしまう。

最後に、栄光で働くことで、いかにそのような正常な感覚が失われるのかを書きたい。

まず、想像していただきやすいのが、(手垢のついた言葉説明するなら)「やりがい搾取」の構造だ。

栄光は好きではないが、生徒のために頑張りたい」と口にする社員は、俺の周りでは少なくなかった。

生徒と接していると「生徒のために頑張りたい」という気持ちが湧くのはよくわかる。

ただ、冷酷なようだが彼らは「栄光で頑張ること」が生徒のためになる唯一の解決策だと視野狭窄に陥っていたと言わざるを得ない(俺もそうだった)

世の中に塾はたくさんなるのだし、生徒も、働く者も、何もこんな間違った環境にいる必要などどこにもないのだ。

それに気づかなくさせるくらい、生徒を指導して得られるやりがいというもの劇薬である

やりがいのために働くことは美徳だ。

だが栄光で得られる「やりがい」は「他人様の育てた大事なお子さんたちをタダでダシにした」まがい物だ。

よその会社必死に作り上げている「やりがい」が聞いて呆れるだろう。


ついで社員を駆り立ててしまうのが、彼らの部下の「スーパースペック塾講師」の存在だろう。

雇用形態こそバイトだが、

そこらの社員よりも高学歴で授業がうまく生徒からも人気があり頼んだ仕事絶対に断らない人間が(大学生既卒わず)、少なから栄光では働いている。

不遜を承知で言わせてもらうと、(もうここまで読んでわかると思うが)俺がそうだった。

前述した1人教室が潰れないのは、この有能なバイトいるからだというのもある。

スーパーバイトは、腐っている栄光完璧なように取り繕うことができる麻薬だ。

社員0でもバイトだけで教室営業可能

バイトたちに生徒と教室を任せて社員は早上がり可能

入院手術で休まざるをえない社員の穴が、社員で埋まらいかスーパーバイトで代わりをさせる。

・夏期講習中休暇を社員に取らせるため、4日連続バイトだけで教室営業

・講習期間中トラブルがあったら、スーパーバイト休日でも、旅行にいくのをキャンセルにさせて働かせればOK

・突然来なくなったバイトの穴埋めができなくても、急遽電話をかけてスーパーバイトを呼び出せば解決

教室長が壊れて(!)辞めた後始末をスーパーバイトに、最低時給以下の手当を握らせて、やらせ

俺が栄光に見させてやった幻覚を一部書いた。

彼らスーパー塾講師に甘えた環境が、腐りきった栄光の社風を作っていると俺は考える。

だがおわかりのように、甘えさせた俺も悪い。

バイトに泣きつけばどうにか持ちこたえてしまうなら、問題根本的な解決は先送りされる。

先送りされたツケがどうなったかは、知っての通りだ。そしてこれで終わりではない。

栄光には、自浄作用が働くことはないだろう。

栄光スタンダードとはこういうものだ、業界の他社も同じことをしている、働きすぎるのは自己責任だ、など甘えきった言い訳から絶対に手を離しはしないだろう。

この文章印刷され、栄光人間が読むことがあるかもしれない。

読む人間は俺が誰だかよく知っているだろうし、俺に腹を立てているだろうが知ったこっちゃない。

お前らは、他人の子供を預かって商売する資格もなければ、人を雇って働かせる資格もない。

2018-11-14

[]ボヘミアン・ラプソディ

ボヘミアン・ラプソディ』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

すごいぞなんと140点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんでサントラ買いたいくらいには良かったです。

ただその一方で実はこの映画感想を書くつもりは当初なくて、というのも自分クイーンリアルタイム応援してたファンではないからなんですよね。もちろん日本人普通に暮らしていればCMやら飲食店の店内楽曲クイーンの曲は耳にしてるし聞けば、あああれね! くらいのことは言えるんだけど。

でもどうせファンの人がたくさんレビューを書くと思ってたんで自分が書く必要はねえでしょうと、思ってました。

フィクションでええやないか

んだけど、実際見てみてその周辺の感想とか聞くと、もやもやした気持ちが募ってきたわけです

やはり133分という限られた尺の中では出来事を省略する必要もあったり、感情動線設計エピソードの順序入れ替えなどは行われているわけです。そういう意味でこれはノンフィクションではなくて、エンドロールにも書かれているようにフィクションです。

本国広報プロデューサーもそうフィクションだと発言しているんだけれど、コアなファンであればあるほど史実との違いが目につき、ニコニコ笑いながら(多分なんの悪気もなく)貶すという光景がなきにしもあらず。実在人物フレディ・マーキュリーの伝記的な映画でもある以上仕方ないのだけれど、正解/不正解という視点がついてきてしまう。

オタクオタクであるゆえ仕方がない心性で「かー。しょうがないな、この部分もうちょっとこういう描きを入れてほしかったな。かー」「よくやってるけど30点!(地獄のミサワの顔で想像してください)」的な、本当は大好きなクイーン映画がすごく良い出来で嬉しいのだけれど一言わずにはおれないような。そういう反応多いのです。

気持ちはすごくわかるのだが、ソロで鑑賞にいったこ映画の後ろに行ったカップル男性が「あいクイーンのことになると早口になるよな」とかで、なんか、すごくいたたまれなかったりもする。キミのその愛情彼女さんには全く通じてないし、むしろ映画の感動いまどんどん減らしてるよみたいな。

からこのレビューでは物語フィクション)としてこの映画おすすめします。

若い人もクイーン知らない人もちょっとしか知らない人も寄っといで。これはとても良い映画だったよ。知識なんていらないよ。単体で物語としてよかった。だから観るといいよ。そういうレビューです。

何もないという窒息

映画はフレディがクイーン前身バンドであるスマイルメンバーに声をかけるあたりからまりますデビュー前のフレディは当然まだ若く、瞳だけがギラギラした挙動不審青少年で、当たり前の話だけど何も持ってないわけです。

何も持ってないというのは、金も実績も名声も持ってないし、家庭ではなんだか居心地が悪いし、将来の確固たる保証もないということで、その何も持っていないという閉塞感が初っ端から強烈に描写されます

それがすごく良かった。

それは、この映画ロック界のスーパースター伝説偉人フレディー・マーキュリーを崇める映画ではなくて、何にも持ってないチンピラのフレディから始める映画だっていう鮮烈な意思表示なわけですよ。

野心を持った若者っていうモチーフ映画でも小説でもよく出てくるモチーフなのだけれど、若者は野心を持つってわけではなくて、それは全く逆で、財産らしきものは他に何も持ってないから野心ぐらい持たないと惨めでやってられないってことですよね。

作中で描かれるフレディがまさにそれで、デビュー後彼はすぐさまオレ様キャラを発揮し始めるのだけれど、最初デビュー前のシーンでは内気で繊細な少年なわけですよ。オレ様ってのは虚勢だとすぐわかる。スカウトの前でも音楽プロデューサーの前でもでかいことを言うけれど、それは「いまは何者でもないチンピラだ」ってことを当の本人たちが痛いほどわかってるからにすぎない。

かに伝説バンドクイーンメンバー全員が稀有な才能を持っていて音楽に愛されていたのかもしれないけれど、でもそれは人間的な弱さを持っていなかったことは意味しないし、何も持ってないし、何も確かなことがない。将来何になれるかわからないし、不安だけど、弱みを見せるわけにも行かない。それって、青少年普遍的鬱屈だとおもう。そういう意味で、スクリーンの中のフレディは、たしかに観客席と地続きだと感じました。

生存戦略としての虚勢

から無駄に見栄を張り無駄喧嘩を売ってオレ様は天才なので何をやっても大成功なんだぞー! と嘘でも吠えなきゃならない。それは文字通りの意味で虚勢なのだけど、フレディはその意地を張り通して段々とスターへの階段を登っていくわけです。

生存戦略としての見栄と意地で、それがある程度以上に通用成功する。

からこそフレディは問題解決する手法として去勢音楽しか持たないわけです。下手に成功しちゃったから。そして、バンド内で揉め事が起きても、スポンサー揉め事が起きてもこのふたつで解決していくしかない。他のノウハウはびっくりするほど何もない。

でもその問題解決手法アーティストとして成功するために最適化されているために、フレディ個人内面の寂しさや煩悶を癒やす役には全く立たない。

溝ができつつある恋人であるメアリーとの間をなんとかつなぎとめようとするフレディのやり方は、小学性みたいに真っ直ぐすぎて、純真ではあるのだけれど多分恋愛検定で言うと偏差値43くらいでとてもつらい(っていうかお前隣り合った家の寝室の窓から明かりのオンオフ相手確認するとか昭和少女漫画クラスやぞ)。

バンドメンバーとの関係傲慢ワンマンが過ぎてギクシャクしていくが、こち解決傲慢&虚勢に仲間に対する甘えをトリプルでどん!! しているわけでお前よくこんなんで空中分解しないな?(とおもってたら分解した)という感じで、これまた辛い。こっちは偏差値41くらい。素直でない分2低い。つらい。

全体的にコミュ力中学生レベルでしょう(つらい)。

自分性自認ヘテロなのかゲイなのかで悩むフレディは、その鬱屈がたたって恋人メアリーとは距離を置くことになってしまうし、それをきっかけとして私生活が荒廃していくわけです。周辺に金をばらまき、ドラッグ乱交パーティーに溺れていくけれど、それで内面の寂しさは癒せない。

そもそも音楽&虚勢という生存戦略アーティストとしてのし上がることに特化しているので、私生活を豊かにするには役に立たないわけです。それどころかスターダムにのし上がればのし上がるほど、マスコミの下世話な視線に晒され、心無い詮索で私生活崩壊していく。仕事音楽)に逃げ込もうとするその弱い心が、事態を決定的に悪化させてしまう。

バンド危機だし、フレディは仲間からも「キミって時々本当にクズ野郎になるよね」といわれてしまう。スクリーンを見ながら「せやな」と言わざるをえないわけですよ。

フレディは、フレディの才能に殺されつつあるわけです。

でも、やっぱり、救いはある

この映画ふたり大好きな登場人物が居て、そのひとりはバンド精神的なリーダー?であったブライアン・メイ(演グウィリムリー)。この人の演技が、めちゃくちゃ良かった。特にセリフにならない表情の動きみたいなもので、映画の深みを何層も掘り下げてくれました。

喧嘩をした直後に浮かべる「仕方ないなあ」というような許容の表情や、ラストライブシーン中の「言葉にしなくてもわかってるよ」とでもいいたげなさりげない承認の表情など、どんだけバンドが砕け散りそうでも、メンバー音楽に対する愛を、演技だけで表現してのけた。ぶっちゃけすごい。

朴訥な、言葉は悪いけれど垢抜けない田舎者風のキャラ構築だけど、静かな思いやりと知性が感じられるっていう難しい役だったのにね。

もうひとりはジムマイアミハーバー。このひとは、当初クイーンというバンドプロデューサーから紹介された弁護士として登場します。契約面でクイーンを支えるためのスタッフのひとりでした。

出会ったその最初のシーンで(ヤング傲慢な)フレディからジムという名前はつまらないんでマイアミに変えろ」くらいのことは言われて笑いのもととなり、つまりコメディキャラ位置づけです。

でも物語中盤、フレディは誤解と癇癪からマネージャーであるジョン・リードを一方的にクビにしてしまうわけです。そしてフレディは、後任のマネージャーを「次のマネージャーはきみだ」のひとことで、その場に居たジムマイアミハーバー押し付けちゃうわけっすよ。

そんなの嫌でしょ。自分なら引き受けたくないです。だってクイーンの連中は音楽やってるとき以外は飲んだくれてるか喧嘩してるか女といちゃついてるかで、偉そうだし、わがままだし、人の話聞かないし、どう控えめに評価しても糞ガキ(主にフレディ)だもの

でも、ジムマイアミハーバースタジオ演奏しているクイーンを見て、引き受けてしまう。「わかった、やるよ!」といってしまう。それがすごく胸に詰まるシーンでした。

だってさ、たしかクイーンは(主にフレディ)は人の迷惑を考えないクソ野郎だけど、音楽の才能は本物で、それ以上に音楽と観客に対して真摯なのは見ててわかるんだよね。そこだけは本気で一切手抜きしないで、いいものを作ろうとしてるのがわかるのだ。

ジムマイアミハーバー弁護士としてのキャリアもあるし、こんなワガママ集団のお守りなんかしなくても十分生活できるはずでしょ。一方、クイーンマネージャーを引き受けるっていうのは彼らのツアーもついていくだろうし、各方面からの問い合わせやスケジュール管理もしなきゃいけないわけでしょう。それは控えめに言って、人生を捧げるってのとほぼイコールですよ。このわがまま集団を守って、彼らの盾になり続けるという意味だ。

立派な大の男の人生進路変更させてしまう、クイーン音楽のちからってのは、別段彼らの業績を知らないスクリーンこちらの素人にも、やっぱり分かるんですよ。そこで迂闊にもホロリと泣けてしまった。

(あとで調べて、彼ジムマイアミハーバー本人は最後までマネージャーを続けて、この映画制作にも関わったことを知って二度泣けました)

チャンピオンは誰だったのか?

フレディは前述の通り、性自認問題やら持ち前の癇癪から疑心暗鬼になって、「家族」とまで思っていたバンドメンバーを遠ざけて孤独になり、その孤独がつらくてより酒におぼれて生活がぼろぼろになっていく。

でもそういう最悪の時期を、元恋人メアリーの助言で断ち切ってバンドメンバーのもとに戻るわけです。

そこから映画クライマックスへ、復帰のための厳しいレッスンから1985年のライブエイドに向かっていく。自分HIV罹患していて余命がいくばくもないこと。でもそれでも「同情はゴメンだ。俺の望みは残りの人生音楽に捧げることなんだ」とフレディは仲間に言うわけです。

それに対する仲間のアンサーが「お前は伝説だ」と。

でもフレディは「俺たち全員だ」と応えてライブへとつながってゆきます。幾つもの和解があって、ライブ当日、フレディは素晴らしいパフォーマンスを見せる――というのがクライマックスの展開なわけです。そこで立て続けに流れる名曲の数々ですが、やはりひときクローズアップされているのが"We Are The Champions"という楽曲です。

おそらく誰もが耳にしたことがあるこの曲が名曲だってのはもちろんあるんですが、やはり、この物語の中では、すごく重いです。そして良かったです。

この曲は確か公開当時「傲慢歌詞だ」という批判を受けたはずなんだけど、実際映画館で、物語の中で聞くと、ちっともそういう曲には聞こえないんですよ。歌詞のものは「俺たちはチャンピオン勝利者)だ。今まで色々やってきた結果勝利者になった。敗北者に用はない。俺たちはこれからも挑むんだ」というもので、なるほどそう要約してみれば、傲慢にも聞こえます。とくに大セールスを記録した世界アーティストのそれともなれば、そういうやっかみを受けるかもしれない。

でも、そういうふうには聞こえなかった。

しろ、今まで自分たちがやってきた努力や行動のすべてを自分たちは自分たち自身に胸を張っているけれど、それを周囲には理解してもらえてない、“未だ自分たちは最終的な何かを何も受け取っていない”若者である自分が、自分自身に対して「俺たちは勝利者だ」と励ましているような、自分友達鼓舞するような、そんな曲に聞こえるのです。

しかに名声も金も手に入れたけれど、でもだからといってそれがゴールだなんて思わない。今現在環境は決着ではない、だから敗北者に用はない。もっともっとおれたちは目指す何かに向かって、求めていた何かに向かって手をのばすんだ。そんな歌詞に聞こえてしかたがないわけです。

人間人生の何処かのシーンで、自分を励まさずにいられない心境になるってどうしようもなくあると思うんですよ。

苦境にあっても、自分は間違っていない。今まで歩いてきた道は愚かだったわけではない。それを証明するために現在という試練を超えて、未来で何かを手にしたい。

そんな気持ち世界アーティストであろうともそこらに兄ちゃんおっさんであっても、抱くことはある。むしろそこらのおっさんやおばさんだからこそ、自分応援する必要がある。多くの観衆のそういう内面祈りのような感情を、本人に変わって歌い上げるからこそ大スターになれるんじゃないかと思うわけです。

から"We Are The Champions"という曲におけるWeは、フレディでありクイーンメンバーであり、ライブエイドの観客であり、そしてこの映画を見ている人間でもあるわけです。

それがとても良かった。この映画自分に関する物語として見れることが、とても良かった。

これらのことは別段クイーン情報を知らずとも、楽曲に対する知識がなくてもこの映画を見るだけで十分についていけます

この映画は、伝説バンドクイーンというのが居てその偉業にひれ伏すためのものではなく、かと言って歴史的事実に対して○×クイズをするための出題でもなく、音楽に深い愛を捧げた内気な少年プライドと虚勢を頼りに世界と戦った――そして最後には家族の元へと戻り偉大な勝利を得た。

そういうビルドゥングスロマン映画であって、あるいは中途半端知識のあるファンよりも、何も知らない世代や人々にこそ深く刺さるものだったと思います

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