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はてなキーワード: ホームベースとは

2024-11-22

anond:20241120192330

 「勃たない女」と自分卑下するのは辞めてください。なぜなら、男って「好きだから勃つ」とか「エロいから勃つ」ってほど単純じゃないからです。

 自分風俗童貞卒業したクチですが、好みの見た目&巨乳の娘を予約してめちゃくちゃ興奮しながら挑むのに、いざ本番になったらちんちんふにゃふにゃソーセージ。それを10人弱ぐらい繰り返したかな。

 で、結局初めて行為を完遂できた時の相手は、友達のお母さんにそっくりの、ホームベースみたいな顔した人でした。

 本当に不思議なもんです。なので、「好きすぎて緊張して勃たない」ぐらいに捉えておいた方がよいですよ。

 で、一緒にお風呂入りながらイチャイチャしてもピクリとも来ない、という状況が5回以上続いたら本気で病院検討してください。

2024-11-17

anond:20241115213836

必ず片目をウィンクさせてホームベースみたいな輪郭

めちゃくちゃ思い当たるやつだ。自分のも友達とかのも

そして今描いてもそうなる

2024-11-15

百合好き女オタク人生絶望した話

私は百合好きの女オタクで、自分でも百合作品を描いてXやpixiv最近だとBlueskyやXfolio)に投稿している。私は昔から男に興味を持てず、ずっと肩身の狭さや生きづらさを感じてきた。

子供の頃

私は子供の頃から女の子を描くのが好きで、毎日のようにコピー用紙オリジナル衣装女の子を描いてたのを覚えている。たまに母や妹を描いてプレゼントしたりしていた。その頃は絵が下手で、必ず片目をウィンクさせてホームベースみたいな輪郭を気に入って描いていた(そして最近、昔プレゼントした絵を妹から見せられて下手すぎて悶絶した)。

そして小学校高学年になって、なぜか今更プリキュアにハマる。子供の頃から逆張り気質があったようで、みんなが好きなものを好きなのはダサいプリキュアが好きなんて子供っぽいと子供のくせに思っていた。でも高学年になったら一周回って恥ずかしくなくなったのだ。そしてそのとき、初めて二次創作し始める。高学年とはいえ小学生なのでプリキュアキャラのしょうもないわちゃわちゃを描いたゴミ漫画だったが、この頃から自分百合好きは始まったのだと思う。

地獄中学

そして中学生に上がり、美術部に入ったのだがそこは地獄だった。美術部には大きく分けて二種類の人間がいる。真剣に絵を描きたい子たち、そしてただ騒ぎたいだけのオタク女(腐女子)。私は前者だったが、うちの学校美術部は数人を除きほぼ後者だったのだ。私や他の真面目な生徒が真剣デッサンしたりコンクールイラストを描いてる中、腐女子たちはノート二次元イケメンキャラを描いてぎゃあぎゃあ大騒ぎ。クラスオタクグループにも腐女子や夢女子はいれど、百合好きはいなかったので孤独だった。オタク以外の女子K-POPアイドルジャニーズに夢中で、“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くできない、そんな空気があった。当時の私はこれがすごく辛かった。中学生になっても男に興味が持てず、昔からずっと可愛い女の子が好きだったからだ。昔は一緒に自由帳で女の子の絵を描いていたあの子も、いつしかキャラの絵ばかりようになっていた。保健の授業では、異性に興味を持つことが成長の証かのように教えられる。じゃあ私は成長してないってこと?と聞きたくなった。

そして今

今はSNSを通じて百合が好きな女性と繋がることができたので、孤独感は大分薄れた。でも、創作関連のサイトを見ていると同人女性はBL、男女、夢のいずれかに当てはまるという決めつけを感じてモヤっとしてしまう。やっぱり自分みたいに男に興味のない女は居場所がないのか…。子供の頃は男の子だと戦隊モノ仮面ライダーみたいなカッコイイ男が好きで、女の子だとプリキュアディズニープリンセスみたいな可愛くてキレイ女性が好きで、同性を好きなのがむしろ普通なのに、思春期になったらそれが逆転して男は可愛い女性が、女性はカッコイイ男を好きになってしまう。こう考えると生殖本能本来好きなものが歪められているように感じるのは私だけだろうか?

それと私みたいに“イケメン”というコンテンツを介してじゃないと同性と仲良くなれない空気迎合して、本当は大して男が好きじゃないのに、男が好きなふりをしているという女性も多いんじゃないかと思う。そういう人には、別に男が嫌いでもいいんだよと言いたい。私は自分人生に男は必要ないと思ってるし、それをおかしいとも思わない。

女性のための百合

同時に、百合というジャンルは男が性欲を満たすための道具ではなく、女性のためのものであってほしいと思ってる。最近SNSでも少しずつ百合作品投稿する女性が増えてきているのを感じる。でも、まだまだ「百合男性向け」というイメージは根強くて、性的なシーンを求めるコメントが付くこともある。実際、男作家女性キャラに男の性欲を投影したり、場合によっては男性器も生やして男女の恋愛セックスの真似事をさせている作品も多い。私が描きたいのは、女の子同士の純粋愛情や絆なのに…(もちろん性的百合を好きなレズビアンの方のことは否定しない)。

これから希望

最近は、SNSで「私も実は百合が好きでした」という告白を見かけることが増えた。そういう投稿を見るたびに、心の中でそっと手を振りたくなる。きっと私と同じように、周りに合わせて自分気持ちを隠してきた人たちなんだと思う。

これからは、もっと女性による女性のための百合作品が増えていってほしい。恋愛だけじゃなく、友情姉妹愛など、女性同士の絆を描いた作品ももっと見たい。そして何より「男が好きじゃない」という理由自分を責める必要なんてないということを、もっと多くの女性に知ってほしい。私は今でも可愛い女の子を描くことが大好きだ。そして、それは間違ったことじゃないと胸を張って言える。これは、あの頃の私に教えてあげたかった言葉でもある。

2024-08-21

アジア人の見分け方

日本人・・・目が平行の細目、鼻が低い、丸顔

韓国人・・・タレ目、黒縁メガネホームベース顔、男女ともに色白

中国人・・・ギョロ目、逆三角形顔、浅黒い


アジア人=吊り目みたいなイメージだけど人によるが意外と吊り目は少ない。

2024-07-30

anond:20240730094228

こっちが近いか


審判が「タイム」をかける

審判ランナーの様子を見る

ランナーホームインしたのを審判確認

1点が入る なるほど

2024-07-29

昔、バイト先の店の娘がアイドル志望だった。

正直、ソロアイドルなのに「冗談は顔だけにしろ」と言いたくなるようなクオリティだったので人気はお察し(似ている有名なものホームベース)、Twitterも全件フォロバしてるのにフォロワー1000人もいないような状況だった。

シフト提出する時に休み取る理由聞かれて、某アイドルライブだと素直に伝えたら、店長に俺がアイドルオタクだと知られ、「アドバイスをしてやってほしい。日当を出すからサクラをやってくれ」と言われて、娘が出演するイベントに行った。

知らない女のオリジナルソングなんて誰が聞くんだよ……権利問題とか云々言ってないで、1,2曲めは客層に合わせて赤いスイートピーとかAKBの曲とか歌って、アイドルだと知らせつつ聞き馴染みのある曲で客を集めろ、とか、至極当たり前なアドバイスをした。

そしたら次のイベント結構盛り上がったらしく、サクラの日当も上がったのでしばらく現場に行っていた。

いわゆる地下アイドル現場だけじゃなく、地元お祭りみたいなのにも出るようになって、子どもファンが増えたりして。

リアルアイマスみたいでちょっとしかった節はあった。まあ、育成するアイドルを選べないところは致命的なバグだったけどw

それなのに、ある程度ファンが付いてきた頃、急に辞めたいと言い出した。

俺が日当をもらってたことを知らず、純粋自分を好きで、自分活動応援してくれていたと思っていたそうで、俺が交際相手女性お祭りイベントに連れて行ったのがショックで、裏切られたと思ったんだそうだ。

娘の父親である店主が、娘に謝罪したそうだけど、自分の1番のファン支援者だと思っていた人が、身内の雇ったサクラだったと知ったら、そりゃ悲しいよな。

その上、アイドルがうまくいかなかったら、俺に嫁にもらってもらって家庭に入るつもりだったらしかった……勘弁してくれよw

出演予定だったイベントは全キャンセルとはいえこういう規模のアイドルイベントは、出演者の方が出演料を払うような感じなので特に大きなトラブルもなかったそうだけど。

その頃には3000人くらいになっていたフォロワーも、最初は体調を気遣うリプライを送っていたものの、しばらくすると他の似たようなアイドル推し変していったのか、ジワジワ減っていった。

俺がいなければ、あの子勘違いしたままアイドルの真似事をしていられたのかなと今でも思う。

あと、親の目は本当にフシアナなので、適度に現実見せてやるのも大事だと思った。

ただ……娘って無条件で可愛いから勘違いちゃう親の気持ちも、今ならわかるんだけど。

2024-03-20

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動、最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをアジアアフリカ中南米でしばしばみてきた。

かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

アウェイといえば、ドラマおしん」(1983年)。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じる女性エネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

一方で、男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。逆に成功を収めれば、故郷側が自分をほめてくれる。【故郷に錦を飾る】というのは男性的な価値観だ。

女性はというと、嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

山崎ハコの「望郷」で歌われる故郷は、帰る家もない、戻るに戻れない場所としてうたわれた。これは失敗すれば帰って慰めてくれ、成功すれば褒めてくれる男性故郷観とは対照的だ。これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2023-03-24

野球初心者のためのルール解説(と観戦ガイド)

前文に追記

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追記です。

そもそもストライクボールとか基本的なところもわからない方が多い、とのことなのでそこから説明しておきます

投手ホームベース方向に向かってボールを投げ、それを打者が打ち返して野球ゲームは進んでいくわけですが、投手がどこに投げても構わないというルールなら、バットが届かないところに投げ続ければいい、ということになり、野球は不成立になります

そこで、投手打者が打てるところに球を投げ続けなければならなくなるようなルールがあります

打者が打てないような変なところに球を投げたら、その球は「ボール」と判定され、打者が打てそうな真ん中付近エリアに球を投げるとそれは「ストライク」と判定されます

ボール」は打者が打てないくらい遠かったり高すぎたり低すぎたりする球なので、そんな「ボール」を4球投げたら投手打者勝負する気なし、として、打者は無条件で一塁に進んでいいというルールになっています

これがフォアボール四球です。

対して、打者が打てそうないいところに球を投げ「ストライク」となっているのに、それを3回も空振りしたり見逃したりする打者は出塁する資格なしとしてアウトとなり、次の打者と交代しなければならなくなります

これが「三振」です。

なので、ストライクは3つでアウトとなり、ボールは4球で出塁できます

そしてアウトが3つになれば、その回は終わって攻守交代となります

両チームが9回ずつの攻撃をし終わればゲームは終了です

これが野球基本的な流れです。

では、打てるところ、ストライクとなるゾーンはどこか?というのが次にわからないところでしょう。

投手捕手の間、また、打者のすぐ横に、本塁ホームベース)と呼ばれる塁があります

この本塁の上空を通過することがストライクの条件です。

ただ、高さにも制限があり、低すぎても高すぎてもダメです。

高さの上限は乳首あたり、胸の位置となり、下限は膝の位置となります

まり打者の背丈によってストライクゾーンは変動します。

では、本塁の上空に、膝から胸の高さまでの、本塁型の柱があると想像してください。

この空想上の立体に、投手の投げた球の端がわずかでもかすればそれはストライクです。

それを審判が見て判断し、ジャッジします。

ただし、ストライクゾーンに入らなかった球でも、打者バットを振ればそれはストライクとなります

なので、打ちにくいボール球を振ってしまうのは打者にとってメリットがありません。

ボールは見逃し、ストライクだけを振るのが基本ですが、変化球目の錯覚を利用して、投手ボール球を振らせようとしてきます

ここに駆け引きがあります

また、打者が打った球が、一塁と三塁の間のゾーンを通過しなければ、それはファールとなり、打者は進塁できずストライク扱いとなります

ただし、ファールは何球打っても2ストライクまでしか増えず、三振にはなりません。

ホームベースから一塁に向けて、白線が引かれていると思いますが、基本的にはこの線より外にボールが行けばファールです。

ただし、一塁ベースより投手よりを通った打球がその後ファールゾーンに出ても、それはファールとなりません。

打球が一塁ベースの外側を通ったか内側を通ったかでファールかどうか判定されます

(もちろん三塁線も同様です)

フライ場合は落ちた箇所がファールゾーンかフェアゾーンかで判断され、ホームラン場合フェンス際に立っている黄色ポールの内を通ったか外を通ったかホームランかファールか判定されます

ポールに直撃してもそれはホームランです。

塁(ベース)は4つあり、走者が一塁から二塁、そして三塁へ行き、最後本塁を踏めば1点入ります

走者は塁を踏まずに飛ばしたり、前の走者を追い越したりしてはならず、順番に一つずつ塁を踏んで進塁する必要があります

追記終わり

ーーーーーーーーーーーーーーーー

WBC野球見て盛り上がったけど、いまいちルールわからん?と思った方はいると思う。

野球ってルール難しいよね。

そこで、簡単に、初心者が混乱しがち、というか、いまいち納得できてないようなルール簡単説明しようと思う。

それがわかると走者の動き、守備の狙いなんかもわかるようになるので、ちょっと見え方が変わるかも?

目新しいことや複雑なことは言わないので、野球よく知っている人は、特に得るものはないエントリだと思いますのであしからず

まず、出塁と進塁、そしてタッチアウトフォースアウトの差について説明した後、タッチアウトやケースごとの走者の動きと、それに対応した守備の動きを説明するよ

出塁と進塁

野球の基礎的なルールストライク3つでアウト、アウト3つで攻守交替、走者が本塁を踏めば1点、みたいなのは知っていると思う。

それをもうちょっと深めて考えると、まず走者を塁に出す「出塁」と、走者を次の塁に進める「進塁」という2要素から攻撃が成り立っているのはわかると思います

出塁に関しては多分みんな知っていて、ヒットを打てば塁に出れるし、打たなくとも四球死球エラーなどでも塁に出れますし、これはとても分かりやすいと思います(振り逃げ以外)。

難しいのは進塁のほうだと思うので、進塁についてのルール解説していこうかな。

タッチアウトフォースアウト

走者をアウトにする条件として、基本はタッチアウトです。

ボールを持った野手が、ボールを持った手で走者に触れると走者をアウトにでき、走者を消せます

ただし、走者が塁に触れている限り、走者をアウトにできません。

塁が安全地帯ということですね。

しかし、タッチをしなくとも走者をアウトにできるのがフォースアウトです。

タッチされない限りアウトにならないのであれば、次の塁にすでにボールが送球されているなら、無理せず元の塁に戻ればタッチされず、アウトにならないはずです。

しかし、打った直後の打者走者は一塁に到達できないならバッターボックスに留まる、などはできませんし、一塁に走者がいる場合打者走者が一塁に行かなければならないため一塁走者は一塁に留まることができません。

このように、自分の後ろに走者が飽和していれば前の塁に戻ることはできません。

このような場合ボールを持った野手は走者にタッチせず、ボールを持って次の塁を踏むだけで走者をアウトにできます

これがフォースアウトです。

一番多く見るのが、打った直後の打者走者は、一塁タッチされず、一塁を踏んでいる一塁手がボールを捕った時点でアウトになっているケースで、これもフォースアウトです。

一塁走者がいる場合内野ゴロでダブルプレーゲッツー、併殺)があると思いますが、あれも二塁でフォースアウト一塁フォースアウトとなるため、タッチプレーにならずに速やかに送球されるのがポイントです。

タッチプレーが絡んでのダブルプレーはかなり難しいです。

ここまでが簡単な基本事項のおさらい。

ここからが本番だよ!

進塁していいタイミング

野球初心者のわからないところで一番多いのが、今何で走ったの?今何で走ったらダメなの?だと思う。

結論を言うと、基本的に走者はいいかなる場合でも進塁を試みることが可能です。

しかし、野球の多くの時間では、ボールフィールド真ん中にいる投手が持つため、むやみに進塁を試みてもすぐさま投手ボールを塁に送球するため、タッチアウトにされていまします。

なので走者は基本的には走れません。

そこで、打者ボールを打って転がし、守備ボールを保持しない時間を大きく作れば、その隙に走者は余裕をもって進塁を試みられます

それが打者ボールを打つ意味です。

しっかり打てば大きな時間を稼げるのでたくさん進めますし、しっかり打たなくともとにかくバットに当てて転がせばそこそこの時間を稼げます

その走者が進む時間だけを最低限確保するために、ボールバットに当てる行為が「バント」です。

もちろん隙があれば走者は走れるので、投手の球を捕手が捕りそこなった際にもよく進塁が試みられます

また、捕手から最も遠い塁が二塁なので、投手が投球モーションに入ってから捕手が捕球、それを二塁へ送球するまでの時間を利用して一塁走者が二塁進塁を試みることがあります

これが盗塁です。

もちろん二塁走者が三塁へ、三塁走者が本塁盗塁を試みることもありますが、難易度が跳ね上がります

タッチアップ

いついかなる場合も走者は進塁していい、と先ほど言いましたが、例外があります

それはフライアウトの間です。

打者が滞空時間の長いフライ打ち上げた時も走者が走ってよいなら、打者は滞空時間を競うようになります

そうなるとゲームバグってしまうため、「フライの間は進塁できない」というルールがあり、もしフライの間に進塁してしまっていたら、一度元いた塁に帰塁しなければならない、という決まりがあります

しかし、裏を返すと、野手フライキャッチした瞬間に元の塁に張り付いていたら、野手ボールを捕った瞬間に「進塁しちゃダメルール」が終わるので、また元の「いつでも進塁していい時間」が復活します。

そこで、フライの間は塁に張り付いておき、フライキャッチされた瞬間に進塁するのが「タッチアップ」です。

よく見られるのは無死または一死で三塁走者がいる場合外野フライ打ち上げれば三塁走者がタッチアップでき、本塁に戻って得点になるケースで、これは特に犠牲フライ」と呼ばれることもあります

ポイントは、キャッチした外野から、進塁先の塁が遠いほうがボール到達までの時間が長いので、本塁へのタッチアップが最も簡単で、次にライトフライで二塁走者が三塁へのタッチアップが多く見られます

二塁は外野から最も近いので、一塁から二塁へのタッチアップはほとんど起きません。

得点圏の走者

先ほど書いたように、ボールを捕球した野手と、進塁先の塁の距離は直接、走者が走れる時間に結びつくため、大事概念となります

得点が入る本塁外野から最も遠い位置にあるため、外野から本塁への送球が最も時間がかかります

そこで、二塁に走者がいる場合は、二塁打ほど大きな当たりを打たずとも、内野手の間を転がして抜くようなシングルヒットでも、得点が入るケースが多いです。

そのため、三塁だけでなく、二塁に走者がいる場合も、「得点圏に走者がいる」と言われます

例えば、無死または一死で二塁走者がいる場合外野ボールが抜けると一点入る可能性があります

二死であればあとひとつアウトを取れば交代なので、最も守りやすい基本の守備位置となりますが、無死または一死ならば次のプレーでの交代はまずないので、1点を争う場面だと二塁走者の本塁突入を防ぐ必要があります

そこで内野をぎりぎりゴロで抜くようなヒットで点を入れられないために、外野手は基本の守備位置よりずいぶん前に出て、バックホームで走者を刺せる位置で守ります

これが「バックホーム態勢」です。

バックホーム態勢」は二塁走者を本塁に返さないために有効ですが、外野手の頭を超えて長打となるリスクを持ちます

打球速度の速い鮮やかな外野前ヒットなら、そもそも走者は三塁でとまるため、バックホーム態勢の狙いは本当にゴロで内野を抜いていくヒットを刺す、となります

これが、3点差で勝っているチームの終盤、とかであれば、1点を防ぐより1アウトを確実に欲しいと考えることもあり、バックホーム態勢を敷かないケースもあります

1点差のゲームならまずバックホーム態勢となるでしょう。

フルカウントからの走者スタート

一塁に走者がいて、カウントが3ボール2ストライクの時、ボールならば四球で走者は進塁でき、ストライクなら打つため、打者は必ず投球に対してアクションします。

そのため、打者三振しない限りは捕手が投球をそのまま補球することがないため、一塁走者は少しでも早く次の塁を目指すために盗塁並みのスタートを切ってきます

通常なら走者一塁外野前ヒットなら走者一二塁となりますが、フルカウント一塁走者がスタートを切っており、打球が三塁から最も遠いライト前に放たれた場合、一気に走者一三塁とできるケースが多いです。

走者がぼーっとしてると一二塁で止まってしまうため、このような抜かりのない走塁をする姿勢はとても大切です。

ただ、スタートしても打者三振してそのまま二塁で盗塁死する三振ゲッツーもありますし、内野ライナーで帰塁できずダブルプレーという不幸なケースもありますが、少なくとも通常よりよいスタートを切るのは間違いないです。

これが2アウトならもっとそうで、三振したりライナーだったりするとその時点で交代となるため、走者が飛び出すことにリスクがなくなります

外野フライもそうで、無死または一死なら、外野フライを捕球されると走者は塁に戻らなければならないので、リスクを持ったスタートはできませんが、二死ならフライアウトの時点で交代なので、帰塁にメリットはありません。

2アウトならどんなフライでも走者はスタートを切るので、外野フライが抜ければ一塁走者が一気にホームインすることも珍しくありません。

ちょうどWBCメキシコ戦周東一塁から一気にホームインしましたが、あれは通常は2アウトからしか起きないようなプレーで、捕球されないことを確信した走りを見せた周東判断力が、走力以上に光ったプレーでした。

外野手も逆に、捕球できる素振りを見せれば走者は動けないので、明らかに頭を超えるような球でも、捕球できるように見せるため振り返ったり手を上げたりして走者をけん制しつつ、速やかにクッションボールの処理に移ることもあります

このように、カウントや状況によって走者のスタートがまるで変ってくるので、球場に行けばぜひ見て欲しいところです。

内野手はどこに送球するか?

走者はリードを取ってスタートするのに対し、打者走者は打ってから走るので一番遅いですし、一塁はいいかなる場面でもフォースアウトです。

そのため、微妙な打球の時、最もアウトにしやすいのが一塁への送球です。

そこで、確実にひとつアウトを取る時は、三塁走者の本塁突入無視しても一塁に送球します。

これが基本です。

ただ、走者が一塁にいれば一塁だけでなく二塁もフォースプレイに、走者が一二塁にいれば一塁二塁三塁全てがフォースプレイになりますし、満塁ならば本塁フォースプレイになります

なので、走者がたまると失点のリスクは高いですが、フォースプレイにできる塁が増える分、守りやすさも上がります

走者一二塁の時は、内野手が捕球すれば自分から一番近い塁に走る(投げる)だけでフォースアウトにできますので、送球ミスリスクが下がります

1死二三塁の時、一塁あいているため本塁フォースプレイでなくタッチプレイになりますが、タッチプレイはアウトにできる確率が下がり、ダブルプレーを取りにくくなります

そのため、二三塁の時にあえて一塁を埋め、本塁フォースアウトから一塁アウトを狙える満塁策もあります

特に、同点の裏の回で走者二三塁だと、三塁ランナーが返った時点で試合は終了となりますから一塁を埋めるデメリットはありません。


無死一塁の場面、打者送りバントをすると、打者自体一塁生還するほどの時間はありませんが、スタートの速い一塁走者を二塁に進める時間は確保できます

この時、野手バントを好捕したならば、二塁に送球すれば走者をフォースアウトにできる可能性があります

仮にバントを二塁に送球しアウトにできればファインプレーなのですが、二塁がセーフになってしまった場合、「野手選択」という送球者のエラーが記録されます

それほど一塁をアウトにすることは簡単で、その他の塁をアウトにすることは難しいのです。

よく、1死三塁などの場面で内野ゴロを打つと、本塁に投げても間に合いそうなのに、一塁に投げるケースが多く見られます

それはそのくらい、本塁タッチプレイでアウトにすることは難しく、そのリスク一塁で確実にアウトを取ることと釣り合わないと考えているからです。

野球はどう頑張っても3アウト×9回の27アウトの間しか攻撃できませんので、ひとつのアウトを確実に取るプレーは実はとても大切なことで、そのために1点を差し出すこともいとわないケースもあるものです。

そのあたりの選手の考え方は、野手守備位置を見るとある程度わかります

内野手がベースを結んだ線より投手に近いところにいれば、内野ゴロでも確実に本塁アウトを狙うバックホーム態勢で、通常守備位置なら

2022-12-17

『あの時好きだった子の結婚式』のダメージ、でか過ぎて息ができん

時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老妖精が私の前に現れることも、テーブル芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。

彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である特に女の人生にとって。

女の子は可愛ければ自然友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。

そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色ハーフパンツを履いていた。

私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。

当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身キラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスしか捉えていなかったことにある。

7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。

彼女と遊ぶとき、私はいつも憂鬱だった。

何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女かわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。

好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。

私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女好きな人がいたから、私にも男の子必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイト脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。

咄嗟名前を上げた男の子ホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。

同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。

高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。

彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。

当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオン屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物ダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。

いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。

長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。

その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくら可愛い子だった。

たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女釣り合っている気がした。

彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。

式は、まったく素晴らしいものだった。

私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。

数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。

ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。

ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。

久しぶりに会いたくて、と、彼女電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。

そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会キャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。

"嬉しいときは私より喜んで、悲しいとき自分の事のように泣いてくれる"

名前も知らない友人代表は立ち上がってそう読んだ。

知っている、と思った。

知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなたから、私はあなたを好きになった。

もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。

本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。

名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなた幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女世界一綺麗だった。

性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。

それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。

祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」

大好きだよ、愛してるよ。

高校時代彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。

何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。

2022-11-30

ホームベースからバックストップまでは18.288メートル必要とする

18mでも19mでもないすごい細かい数字だが何か根拠があるのか?

アメリカ規則を訳したものを使っている、60フィート分が18.288メートルなのでそこは絶対にあけなさい

アメリカ規則に基づいてアメリカ法律専門家レベルの読解力で建設されたアメリカ球場はほぼそれを満たしていません

日本規則から日本規則に従いなさい

数字根拠はあるのか?

ルールルールだ黙って従え

はい黙って従います

2022-11-10

何で日本野球場ルールフィートインチ刻みの数字が表れるのか

日本グラウンドはキリがいい塁間30m マウンドからホームベースまで15√2m

などにすべきだろう

日本が決めるべき

2022-11-09

anond:20221109011021

40年近く某県の県立高校教員をやった者だ。全員で手助けして野球を続けたなんて まさに教育の成果だなと感心した。私が最初に勤務した工業高校なんて球技大会のあとの喧嘩沙汰が絶えなかったので、しばらくは野球などを行う球技大会と聞くと憂鬱な気分になったものだ。

さて、私の勤務した県では大概どの学校にも学期末に球技大会があって、その業務の一部を私も分担してきた。生徒たちの球技を長い間見てきて非常に印象深いことがあった。野球ソフトボールものすごく下手になってきたのと引き換えに、サッカーレベルが上がったのだ。

私はもう定年退職してしまったのだが、最後に勤めた学校入試偏差値の低い、いろいろと問題を抱え外国籍の生徒もそれなりにいる高校だったのだが、体育の教員職員室で「バットボールに当たらない、たまに当たっても三塁側に走り出す子がいる」と嘆いていたことがあった。球技大会でも男子ボールがマウンドからホームベースまで届かない子もいた。その学校球技大会種目は野球ではなくソフトボールだったのでボール野球のものよりもやや重ものだったが、それにしてもピッチャーの投げる球がワンバウンドしてしまうのだった。(ピッチャーを交代させれば良いのにと思ったが、おそらくそのチームは全員似たような感じなのかも)

逆にサッカーなどは状況が全然違い。私が教員になりたての頃よりどのチームも格段に上手だった。私が新米教員の頃は、サッカーをやるとなるとほぼ全員がボールとともに動いていたのだった。生徒の集団がゴールとゴールの間を行ったり来たりする感じ。しかし、たしかJリーグが発足した頃からかと思うが、次第に選手たちのポジション取りが明確になって、ボールパスし合う光景がみられるようになった。最後に勤務した学校ではソフトボールものすごく下手くそだったが、サッカーはとてもうまかった。オフサイドトラップなどを仕掛けるチームもいて、私の教員になった頃とは雲泥の差だなと関心したのだった。

いち田舎教員の拙い経験だが、なんとなくこれと似たようなことが全国で起こっているような気がしてならない。あと数十年たつとどうなるのだろうか。

ファイターズ球場公認野球規則の話

えっ!日本ハム球場使えない!? ファウルゾーンの広さ公認野球規則規定に満たず

https://www.daily.co.jp/baseball/2022/11/08/0015789449.shtml

はてブでも盛り上がったこの話、補足が必要そうなので書きます

野球ルール」の話〜Offical Baseball Rules と 公認野球規則

国際オリンピック委員会に加盟している、または加盟を目指すような多くのメジャースポーツには国際統括団体があって、競技規則管理・維持・改定しています

ちょっと特殊なのはゴルフで、セント・アンドリュースゴルフ場を保有するロイヤルアンドエンシェントゴルフクラブという組織国際ゴルフ連盟に変わってゴルフルール管理をしていますが、世界中ゴルフ競技団体から人と意見を集めてルール改定作業をしている、という点では他のスポーツと変わりません。

ところが野球は本当に変わっていて、アメリカ野球規則委員会が定めるOfficial Baseball Rulesは、世界のその他の国の意見とかは聞くこともなく、アメリカの都合だけで改正されますし、他の国がこれを採用するかどうかも一切調整とかはしません。日本野球界は、独自野球ルールを定めることもできるのですが、基本的にはOfficial Baseball Rulesはよくできているので、これを翻訳して1年遅れで「公認野球規則」としてそのまま採用することにしています。つまり公認野球規則Official Baseball Rulesと基本的には同一であるのは、たまたまそうなっているだけであって、本来は全く異なるルールを作っても一向にかまわないわけです。

id:sds-page 本場アメリカでも重視してない規則なんだし誤訳だったら日本側の規則も元の規則に合わせて緩くして終わりじゃねーの

id:HelfardHelfardまり誤訳であり努力規定では?

id:napsucks recommendedを必要とすると誤訳したのが問題だけど、ローカルルールが許されるのであればそっち優先になりそうだな。

追記】ゆえに、日米の野球規則で内容が違っていても「誤訳」ということは理論的にもあり得ないわけです(以下で「私は」誤訳してます。その点はすみません

これが今回の件の前提にあります。なお、そうは言っても公認野球規則Official Baseball Rulesと違うところも多くて、例えばアメリカにはない軟式野球規則公認野球規則には含まれます。また、2020年からOfficial Baseball Rulesはワンポイントリリーフ投手打者1人との対決で交代させる)を禁止しましたが、日本はこれを採用しませんでした。

本塁バックストップ距離努力規定なのか義務規定なのか

さて、今回の件は、エスコンフィールドホームベースバックストップ本塁とその後ろの壁との距離)が、公認野球規則では「60フィート(18.288メートル)以上を必要とする」と定められており、NPB本拠地球場ではすべてこの数値が守られているところ、エスコンフィールドでは15メートルしかない、というものになります

なぜこのようなことになったのかというと、エスコンフィールド設計を行ったのがメジャーリーグの球場設計経験したアメリカ設計事務所で、アメリカでは60フィートよりも本塁バックストップとの距離を短くすることが多いから、ということが言われています。そうだとすると、本工事の施主であるファイターズ球団の不注意責任を問われることは避け得ないでしょう。

さて、なぜアメリカではそうなのか、ということについてThe DIGESTは以下の記事を出しており、これがはてなでもよく読まれたようです。

物議を醸す日本ハム球場ファウルゾーンの広さ」問題。事の発端は野球規則の“解釈”にあった?

https://news.yahoo.co.jp/articles/91f72e956ea44dbeae9df1459f3a7d40ec725646

この記事では以下のように記載しています

It is recommended that the distance from home base to the backstop, and from the base lines to the nearest fence, stand or other obstruction on foul territory shall be 60 feet or more.」

翻訳すると、「本塁からバックストップまでの距離、塁線からファウルグラウンドにあるフェンススタンドまたはプレーの妨げになる施設までの距離は、60フィート(18・288m)以上」までは公式野球規則と同じ。問題は「It is recommended」の部分にある。日本ではこの箇所が「必要とする」になっているが、原文では「推奨される」とあり、必要条件ではないのである

これをもって記事内では「日本誤訳」の可能性まで触れていますが、しかしもう一度立ち止まって、英文を読み直してみましょう。

It is recommended that the distance from home base to the backstop (中略)"shall" be 60 feet or more.

The DIGESTの訳では助動詞「shall」の訳が抜け落ちてます。このshallをどう訳すかということですが、一般的意味義務、つまり「〜しなければならない」という意味で訳してみると、これなかなか難しくなります。つまり

本塁バックストップ距離は60フィートまたはそれ以上でなければならないとrecommmendされる。

という訳になります。こうなると「It is recommended」をThe DIGESTのように「推奨される」とは訳せませんよね?「でなければならないと推奨される」って、それ日本語として通じませんよね。このrecomemendはむしろ勧告する」とでも訳すべきではないでしょうか?そうであるなら、公認野球規則が「誤訳」ではないかというあらぬ疑いは晴れるわけです。

【20221109追記ブコメご指摘ありがとうございます仮定現在、思い出しました!ならば「すべきと推奨する」で問題なさそうです。そうするとやはり、自分としてはこの節、最初から努力規定だったのか、途中で義務規定から努力規定に変わったのかを知りたいのですが、意外と「Ofiicial Baseball Rules」の変更履歴って見つからないんですよね。

ですので、ファイターズとしては、やはり義務規定である公認野球規則を遵守しなければならない立場であったのは確かです。もっともこれは、2023年から公認野球規則改訂してしまえば大きな問題にはならないかもしれません。

野球場の形状の話

ただ、Official Baseball Rulesが、純然たる義務規定としないで、努力規定のようにも解しうる「It is recommended」を書いたことの意味は、一歩進んで考えてみる必要はありそうです。現在メジャーリーグの球場を見て日本ファンが思うのは、「ずいぶんいびつな形をしているな」ということではないでしょうか?左右非対称なのは当たり前、外野フェンスは直線だったり曲線だったり、果ては外野に丘がある球場すらあります

これは別にひねくれてそういうデザインをしているわけではなく、野球というゲーム誕生たころの歴史リスペクトなんですね。最初から野球野球場で行われたわけではなく。街の中の広場なんかで遊ばれていたわけです。当然そういう場所は左右非対称で区画いびつだったわけです。野球の人気が大きくなって専用野球場が作られるようになっても、まだ十分な広さの土地までは確保できない頃は、例えば球場右翼側は十分な広さになっても、左翼側は全然広さが足りない、なんてことは古い球場には普通にありました(例えばグリーンモンスターで有名なボストンのフェンウェイ・パークは、まさにそういう設計であり、それではあまりにも左翼側に本塁打が出すぎるので、あの高く巨大な壁が作られたわけです)。

野球「ゲーム」からスポーツ」に変化する過程で、それではあんまりだということで、左右対称の扇形の野球場が増えていきます。それはそれでスポーツ必要な公平な環境になったとはいえ、今度は「野球ってそういうものだったろうか」という伝統への回帰20世紀末に起こって、それ以降の新設球場19世紀から20世紀はじめの野球場の特徴を取り入れたものになっていきます

実際、公認野球規則でもOfficial Baseball Rulesでも、内野については非常に厳密に定めている一方で、球場の形状を決定する外野規定については驚くほどおおざっぱなのです。以下に公認野球規則を示します。

内野

まず、本塁位置を決め、その地点から二塁を設けたい方向に、鋼鉄製巻尺で、127フィート3と3/8インチ(38.795メートル)の距離を測って二塁の位置を定める。次に本塁と二塁を起点としてそれぞれ90フィート(27.431メートル)を測り、本塁から向かって右側の交点を一塁とし、本塁から向かって左側の交点を三塁とする。したがって、一塁から三塁までの距離は127フィート3と3/8インチとなる。(中略)90フィート平方の内野を作るには、まず各ベースライン(塁線)およびホームプレート(本塁)を同一水平面上に設け、続いて内野中央付近投手板をホームプレートより10インチ(25.4センチ)高い場所に設け、投手板の前方6インチ(15.2センチ)の地点から本塁に向かって6フィート(182.9センチ)の地点まで、1フィート(30.5センチ)につき1インチ(2.5センチ)の傾斜をつけ、その傾斜は各競技場とも同一でなければならない。

外野

本塁よりフェアグラウンドにあるフェンススタンドまたはプレイの妨げになる施設までの距離は250フィート(76.199メートル)以上を必要とするが、両翼は320フィート(97.534メートル)以上、中堅は400フィート(121.918メートル)以上あることが優先して望まれる。

【付記】(a)1958年6月1日以降プロフェッショナル野球クラブが建造する競技場は、本塁より左右両翼のフェンススタンドまたは左右両翼のフェアグラウンド上にあるプレイの妨げになる施設までの最短距離は325フィート(99.058メートル)、中堅のフェンスまでの最短距離は400フィート(121.918メートル)を必要とする。(b)1958年6月1日以降現在競技場を改造するにあたっては、本塁より左右両翼およびフェンスまでの距離を、前記の最短距離以下に短縮することはできない。

多分、本塁バックストップとの距離について多くのMLB球場がOfiicial Baseball Rulesに記載の数値を満たさず、かつ満たさないことが即違反にならないような書きぶりであるのは、この精神尊重のように思うのです。

id:BigHopeClasicでした。

補記:バックストップまでの距離努力規定義務規定、どちらが望ましいか

これは完全な私見になりますが、私は義務規定であるべきだと思っています

本塁バックストップまでの距離野球プレーに与える最も大きな影響は「投手ワイルドピッチ捕手パスボールが発生した後の処理」にあると思っています

最も極端な例として、本塁ダートサークルの直後にバックストップを置くと仮定しましょう。この場合捕手が平均的な能力を備えているとすれば、ワイルドピッチパスボール守備側にもたらす悪影響は著しく減弱するでしょう。

ただ、それでいいのか、という問題はあります。ここで公認野球規則における「野球のアウト」の定義を見てみましょう。

5.09 アウト

(a) 打者アウト

打者は、次の場合、アウトとなる。

(1) フェア飛球またはファウル飛球(ファウルチップを除く)が、野手正規に捕らえられた場合

(中略)

(2) 第3ストライクと宣告された投球を、捕手正規に捕球した場合

 【原注】〝正規の捕球〟ということは、まだ地面に触れていないボールが、捕手のミットの中に入っているという意味である

(後略)

この(2)は「三振」を定義したものになります。これを見てわかるように、三振【による打者アウト(←トラバの指摘を受けて修正ありがとうございます)】は「ストライクを3つ取ること」では達成できず、「3つ目のストライク捕手がノーバウンドで捕球すること」で初めて成立します。そのくらい野球ルールは「捕手がノーバウンドで投球を捕球すること」を重視して、選手にそれを要求しているわけです。だから野球では「ノーアウトまたはワンアウトで走者が一塁にいる」場合を除き3ストライク後の振り逃げルール上認められているわけですし、このシチュエーションでワンバウンドの投球で空振り三振を取ったときは、捕手は必ず打者ボールタッチするか一塁に送球してアウトを取っているわけです。

これほど「捕手正規の捕球」をルール上重視しているのに、本塁バックストップ距離を短くして、ワイルドピッチパスボール守備側に与える影響を減らすというのは、私はルール立法趣旨に反するのではないかと思います。ゆえに私は義務規定であることが望ましいと思っています

2022-09-28

ホームベースってなんで五角なの?

破損したとき、ほかのベース代用できない・・・

桑田福留の顔も五角(PL顔)

anond:20220928183129

2022-08-20

顔が伸びたホームベース状で胸板の厚いわりに臭くなさそうな男がメインメンバーのやたらと目立つところにいると女性作者である可能性が高い。

女性作者は100%そういう男を入れるというわけではない。鬼滅や高橋作品は違うし。)

BLっぽいので男でNotForMeになる人もいると思われる。

谷垣ニシパ・・・は臭そうだったわ。

2022-05-23

小学校の体育授業での野球の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20220522134825

読んで嫌な記憶を思い出してしまったので吐き出す。

 

小学校特にルール説明もなにもなく、チーム組んで野球やりなさいという体育教師からの指示。

野球に興味のない当時の俺にとって「ボール投げて、バットボール打って、打てたら塁に進んで、一周したら点とれる」くらいの知識しかないので(今でも大して変わらない)、

打ったボール野手キャッチされるとアウトになるなんて知らず(知ってる人からすれば「常識」なんだろうけど、野球自体に興味ない小学生なんだから知らねえよ!)

先に運よくヒットを打って塁にいた俺は次のバッターが打ったのを見て走り、野手ダイレクトキャッチされたので戻らないといけない(んだよね?今でもよくわからん)ところ、そのまま次の塁まで走り、なぜか野手が1塁にボール投げたあと2塁に投げてこないのでそのまま次の塁に走り続け(それができるのは知ってた)、ベースまで走り得意げにランニングホームランを果たしたのだった。

仲間からの称賛を期待して皆のいるところを見た俺に向けられてたのは、怒りと呆れの混じった表情と「○○、何やってんだ!」という罵声であった。

その後、相手小学生なので「なんでアウトになったのに1塁に戻らず進んでるんだよ!~~~なんだよ!」とよくわからない説明早口で言われ、何かいけないことをやってしまったのはわかったが何がだめなのかは理解できないままで、その後も「何か野球には俺の知らないルールがいろいろあるようだ」とビクビク戸惑って、塁に出ないようにあえて空振りして終わらせたのだった。

 

なんで体育の球技、座学の説明なしでいきなりやらせるんだろうね。

みな俺と同じレベル幼稚園児なみの知識なら「打って、走って」だけで楽しめただろうけど、俺みたいな興味無し子供と、少年野球やってて知識プロ同等にある子供が一緒にやって成り立つわけねーじゃん。

体育教師ってあほなんだろうか。

あれから高校に至るまで、根本的な球技センスのなさ(運痴)もありずーっと体育の授業の集団競技が嫌で嫌で苦しんできた。体を動かすの自体は嫌いでなかったのでマラソン短距離走なら「今日の体育は当たりだ」と嬉しかったが、中高では体育全体が嫌いになってきた。

高校卒業して大学に入って一番うれしかったのが「もう体育の授業がない!」だったし、就職するとき一番心配だったのが「職場対抗○○大会がないか心配だなぁ」だったくらいだ。

学校の体育の授業がなければこれほど運動嫌いにならず、今もっと体を動かしてただろうなぁと思う。

体育嫌いのきっかけになった小学校野球の一件は40歳になった今でも人生10本指に入る嫌な思い出として残ってて、ホームベースの俺に向けられた友達たちの怒りと呆れの混じった表情はいまでも焼き付いてる。

 

今の体育の授業は改善されてるんだろうか?

子供幼稚園児で、運動センスの無さは遺伝してそうなので、学校の体育で俺みたいな苦しみを味あわないか心配だ。

2022-04-25

anond:20220425114901

まずそもそも野球しろサッカーしろルールには明確に線引きができるものとそうでないものがある

野球ならアウト・セーフは明確に線引きできるがストライクボールはそうではない

ストライクゾーンの定義は、左右はホームベース上という形で明確になっているが、上下打者の体型によって変わるのでそれほど明確ではない

きちんと打者姿勢を測定すれば明確に定義できるだろうが、そもそもストライクゾーンの意味から言ってそうではない

ストライクゾーンはあくまでも「今のは打てた(Strike)はずの球」なので、かなり主観的基準になる

なのでストライクゾーンの球が打者に当たってもデッドボールになる(打てたはずなのに当たっただけだから

そういう意味審判によってストライクゾーンが変わる、というのは別に間違いでは無く、審判に合わせて試合運びをする、というのも選手監督達の重要技術の一つである

野球というのはこういう審判の不確定要素も織り込むからこそ試合展開が読めない面白さというのがある

サッカーにしても同じで

今日審判はすぐにファールを取る」

のであればなるべく接触を減らしてプレッシャーをかけるし、逆に攻めるときドリブル主体になったりする

このように他の競技でも同様だが審判ゲーム構成する一部であることを理解しないといけない

例えば風とか雨とか気温とか湿度とか人工芝天然芝かとかグランド状態とかそういうのも全部同じだ

環境を全て同じにした上でどっちが強いかを決める、というような理系脳にありがちな考えは捨てなければならない

ただ、例えばドーム球場のように雨とか気温とか風とかが影響しないようなことが行われるようになってきている

これはただ単に「興行的にその方が儲かるから」というだけに過ぎない

人間審判員よりもAIによる審判の方が興行的に儲かるのであれば導入されるだろう

サッカーのゴール判定テクノロジー

サッカーでゴールの誤審は流石に醒める」

ということで興行的に導入されているに過ぎないし、他も同様だと思う

ただ全てがAI化されて審判デジタル表示になってしまった未来興行的に盛り上がらないだろうな、とは思う

anond:20220425114901

今年マイナー審判機械化やるらしいけど、同時に先行して導入していた独立リーグ不採用で今年は人間

本来ストライクゾーンはざっくりいえばひざから腹までのホームベース上五角柱なんだけど、機械ではそこまでできないらしくて、身長28~56%で前面のみの「四角」だけの判定らしい

ストレートだけならいいんだけど変化球本来ストライクの物がボール判定されかねない

もっとも、人間でも正確にそこまで判断できるわけではないからどちらの精度が高いのかは諸説になるけど

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