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2022-06-21

anond:20220621120652

>男の「好き」は「ヤりたい」とほぼイコールなので、

これ非モテ偏見だよな、「好き」と「する人」は別なんじゃないか

もちろん「するけど好き」もあるけど「したいから好き」て、中学生じゃ無いんだから

セックスを対価に差し出してやれば

女は男と付き合えるので、恋愛弱者男の恐怖や焦りは理解できない。

男の「好き」は「ヤりたい」とほぼイコールなので、ぶっちゃけ大半の男は元々そう好きじゃない女相手でも、女側から迫られれば割とOKしがち。

ネットとかで、告られたけど好きじゃない女なので断った、めんどくさそうな女なので断った的な話も出てくるが、そこで断れる男はよっぽど消極的(性欲が薄すぎ)でおかしい男か、もしくは恋愛強者(非童貞で女と付き合った過去経験から性欲を理性で制御できる)男である

なので女はセックスを対価に差し出せば、本人がよっぽど不潔だとか、高望み過ぎる場合とかを除いて、基本的に男と付き合おうと思えば付き合える。

それを非難する気は無いし、「セックスを受け入れる意思自由権利」が女側にあるので生物的にどうしようもない。

これが男と女モテ感の違いの原因なんじゃないかな。

男は、女に交際(≒セックス)を断られるという恐怖感・焦りを内心ずっと抱えてるんだよね。

余談だけど、こういう話になるとモテ定義がだいたい曖昧だよね。

女を叩こうとする男目線だと「モテ=誰かと付き合おうと思えば付き合える状態」くらいの意味ではないだろうか。

で、それって前述のとおり、大半の女はセックスを対価にする気さえあれば達成できる状態なんだよね。

でも女の言うモテって「基本的に常に誰かに言い寄られている」「同時に複数の異性から好意を示されている」あたりの意味だよね、多分。

あとセックスを対価にするってのに普通の女はすごい抵抗あるだろうから、そんなんモテとは言わんってのも当然だと思う。

個人的には、童貞拗らせてネットで女叩きするような男は、さっさとソープに行って「なんだ、こんなもんか」となると良いと思う。

追記

女のモテって好ましい人から好かれるとかセックス目的以外の要素高めで好かれるとかだと思うよ

トラバでなんか納得感あったので追記しました

2022-04-28

TDR年間パスポートが二度と復活しなさそうで最高に嬉しいディズニーヲタクです

お前らさ、いい加減にしなさい

コロナ前のパークの惨状忘れたのかっていう

30周年の2013年度以降、2018年度までの東京ディズニーリゾート

毎年年間3000万人超えの異常事態


TDSオープン翌年の2002年から2011年度まではずっと入場者数が年間2500万人程で安定推移したわけです(25周年の2008年度は2800万人)

震災後の2012年度、ここがおかしさの始まりでした

アニバーサリーイヤーでもないのに年間2750万人を叩き出し、以降30周年から3000万人台に一気に水準が跳ね上がりました


色々なメディアに「東京ディズニーリゾート満足度が急低下!」とか

書きたてられてバッシングされていた2010年代半ばの頃を思い出す

その頃のTDRいつ行っても地獄の混雑

OLCも「満足度の向上」的な文言を新施設施設リニューアルリリースを出す度

「何が満足度の向上だよ!バーカ!」とオタクからツッコミされていたことを


それがコロナによって厳格な入場者数制限がなされて

一気に快適なパークに変貌しました

いや、コロナ存在せず、あのままずるずると変わらぬ運営を行っていたら、

ファンタジースプリングスオープンしても

年間3500万人以上にまで入場者数の水準が上がり、混雑低下効果は出ず、焼け石に水だったんじゃないかと思います




それとオタク達!よーく聞け!

パス廃止が何をもたらすかと言ったら腐れ地蔵排除だよ!

お前らパレードルートハーバーの前に陣取って年パスオタク

お前らの存在こそ2000年代後半以降のエンタメ予算削減の大戦犯だよ!


OLCエンタメ予算削減したのは経費削減のため」

と言うけど

地蔵オタクのせいで一般客が見られなくなった」から経費削減したんだよ〜!!!

震災を期に廃止された「カウントダウンパーティ」なんて、駐車場での「難民キャンプ」とあまり危険すぎた、ワールドバザールの開園ダッシュがあったか

辞めるタイミングをずっと伺っていたんじゃない?っていう

何はともあれ、年パス廃止地蔵オタク絶滅してくれるのは最高ですね


OLCは昔から苦慮してたみたいです

一般客が「前に陣取ってる人が多すぎてまともにショーが見られなかった」という苦情は日常茶飯

アメリカディズニー本社から視察してきた人が、城前にレジャーシート敷いて場所取りしている光景見て唖然としたり…


もちろん、OLCもオタ対策を始めたわけです

2002年4月TDLにおいて「場所取り1時間ルール」を策定

「D-POPマジック」開催当時、プラザテラス周辺には1時間になるのを今か今かと待ち構えてるオタ達が集合して殺気立っていたそうですわ


そしてそのD-POPマジック開催期間中に行われた事と言えば「キャッスル・フォア・コート」の開発

シンデレラ城前の円形広場のことです


これによってキャッスルショーの中央鑑賞エリアが大拡大、そしてプラザにおいて、キャッスルショーの鑑賞性が大きく向上

そして翌2003年20周年のキックオフイベントシンデレラレーション」(以降シンブレと表記)から

みんな大嫌いな抽選制度が開始

鑑賞性の向上、抽選によって前列地蔵オタク排除

これでショーパレの諸問題解決する…はずだった


こんなことしても年パスオタクは頻繁にインパするから

抽選にしてもなお結構割合を占めるし、中央鑑賞エリア"外"のいい場所は年パスオタクが埋め尽くすので

やっぱり一般客の不満は変わらなかったり

(マジックキングダムみたいに開始10分前にふらっと城前行ってショーを見られるぐらいにならないかねぇ)



そんなこんなで2006年から徐々にコストカット開始したわけです

この年、クリスマスキャッスルショーが廃止

この時の衝撃と言ったらもう…(※点灯式キャッスルショーではない)

TDLクリスマスキャッスルショーって当時は「伝統芸」みたいな存在になっていて

内容もその性質上、マンネリ気味だったけれど偉大なるマンネリになっていましたね

「お、今年は久々にこの曲使ったか」「この曲を今年はこういうアレンジにしてきたか」そんな具合

とにかくクリスマスキャッスルショーは大好きでしたね、特に3回目公演が(4回目よりも)

シンブレは2003〜2008年の6年連続公演で「ま た 今 年 も シ ン ブ レ か」と、当時多くのDヲタが思っていました、私もです

(言うまでもなくシンブレはTDR歴代最高レベルのショー、この当時の感覚は今振り返ると贅沢極まっていた、#シンブレ復活して)

「フリフリオハナバッシュ」も2年連続公演で(今から思えばとやってくれるだけでありがたい)

でもこの頃は「25周年を豪華にするために今は節約しているんだ…きっとそうだ…」って思っていました


そして2008年、25周年到来

もう「終わった」その一言に尽きる

過去の名ショーレイプの「スターライトドリームス」

クリスマスキャッスルショーの良さの欠片もない「ミッキーのジョリースノータイム

極め付きの「ドリームウィズイン」

ちょっとスターライトドリームスについて語りたい

スターライトマジック」序盤、サン=サーンス作曲の"動物の謝肉祭"に合わせて

シンデレラ城が徐々にライトアップしていくパートリメイクバージョンなのですが、

そこでドナルド達による鍵の奪い合い、"鍵コント"と言うような小芝居を追加し、台無しになってしまったという…

"キャラヲタ"に媚びると内容が糞になってしま

この時期のTDRショーにありがちな悪い癖と言うべきというか…

東京エンタメ部門の質はこれ程までに落ちぶれたのか…」と唖然したのと同時に「わざと質を落としているのでは?」という疑念も生じました 



そしてそれは後年、「D23EXPO JAPAN」におけるTDR演目において実感することができました

「本当はできるんじゃん…」「やりたくでもパークではできないんじゃん…」

という嬉しさと同時に悔しくて歯痒い想いをしました


この25周年に対するDヲタから評価を35周年の時によく見かけたのですが

「最低最悪の周年、財布よ、開けw」という散々な評価

「25周年は最高すぎた…😭あの頃は豪華だったな…」という評価二極化していた、と感じます

その後と言うとイースターワンダーランドという、あの時期としては奇跡的な良ショーも出したりして

なんやかんやで迎えた30周年、期待値ゼロだったので特に何も感じず



そして2014年、キャッスルプロジェクション「ワンスアポン・ア・タイム」(以下ワンス表記)の開始

これこれ!と思いました

プラザの全域で見られるこの満足感、これがTDLにおけるエンタメ改善兆しと当時感じました

2017年のクリスマス期間に開催した「ギフト・オブ・クリスマス」なんて特に琴線に触れましたね

その当時、夏に城前でやっていたショー、雅涼群舞だっけ?

キャラヲタぐらいじゃないか?喜べるのは」と冷めた目線

オタク向けのショーはもはや開き直ってショボく、

全ての層に向けた(オタクも含む!)ショーは予算をかけて豪華に!

それが2014〜2018年頃のエンタメ方針でしたね


35周年、これはとても良かったです

OLCが数年間試行錯誤していた路線結集したなと

TDLアニバーサリーとしては20周年以来に良いと思えました

やることは全てやった20周年が100点

数だけ揃えても全てがお粗末最低だった25周年が20

もはやなにもしない30周年が10

今の出来る範囲で最大限パワーを発揮した35周年は75点と言った所でしょうか


2019年、久々に夏の「キャッスルショー」が復活!

夜の「オー!サマ!ーバンザイ!」では城へのマッピングも融合!

プロジェクションの良いと思う点として、昔のキャッスルショーと違って「遠くからでも楽しめる」これがとても重要

キャッスルショーとプロジェクションの融合

「こんな感じで古き良き時代クリスマスキャッスルショーがまた見て〜!」とか

東京のショーもようやく新時代突入か」と思ったところにコロナがやってきました


これでまたエンタメ小路線へ…と悲観することなかれ

「入場者数のコントロール」「客単価の向上」

そして「ファストパスおよびショーの有料化」の匂わせ…

入場者数制限永続化により

バケパにも限界が出てきたこからいよいよショーの「鑑賞席」有料化可能性が出てきたという吉兆が出てきました


パスを復活、それは入場者数制限撤廃ほぼイコール

90年代後半〜00年代前半のような豪華で質の高いエンタメが見たかったら

パス廃止は喜んで受け入れるのが本当のオタクである、と思います

2ヶ月に一度ワンデーで入って豪華なショー見るのと

毎週年パスで入ってキャラヲタ騙しの安いショー見るの   

満足度が高いのはどちらかと聞かれたら、私は前者だと大声で言えます

(キャラしか興味のないキャラヲタ無視)

これからですよ、これから




TDSについて

季節の中途半端ハーバーショーはいらないか

レギュラーハーバーショーを復活してください!

ポルトやミシカの様な世界中ディズニーオタクが絶賛するようなハーバーショーを…

ハーバー埋め立て後の季節ハーバーショーってキャラヲタが喜ぶだけ

その程度のクオリティだと思っています、まさに虚無

WFPステージョー これは永久に無理だと思います、どうやっても無理な広さです、あきらめましょう

稼働期間8年位ですか 4隅にスピーカータワーを備えた立派なイベント広場ですが

今となっては持て余していますよね、そのうち開発されそうと感じる





東京ディズニーランド

東京ディズニーシー

2022-04-04

TOPリック全然わからん

基本的TFTしかやってなかったんだけど、最近ちょっとサモリフもやり始めた。

TOPときはヨリックを使っている。

リック基本的スプリットプッシュ偏重キャラでレーンを押し込まないといけないという理解なのだが、なかなか押し込めない。

レーンを押し込むということは、ほぼイコールでレーンで対面に勝つということなのだが、ヨリックスキル構成では勝ちにくい。

世間一般ではむしろ「ヨリックはレーン戦で強いから押し込める」ということになっているのだが押し込めない。

リックで対面にハラスするためにはQ3~4回→Eが必要になるが、その間に相手から3,4回ハラス受けることになり良い交換にならない。

ファイターハルブレイカーあたり積めばヨリックじゃなくてもかなりの速度でタワーは折れるし、単発のスキルハラスミニオン処理できるキャラ使った方がレーン勝ち→サイドプッシュの流れ作りやすくないか

2022-03-30

anond:20220330003800

ちょうどはてブ痛いニュース記事あったけど

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/2015184.html

子供がこんなごっつい銃を玩具のように振り回せる事からも分かるように、向こうでは「暴力」と「銃」はほぼイコールなのよ

まりウィル・スミスは、たまたま銃を持っていなかったから殴っただけで、もし銃があったらその場であの司会を射殺していた(はずだ)、と受け止められてる

からアメリカ社会ちょっとヒステリックに反応してるわけ

まあ、仮にあの司会が本当に撃ち殺されていたとしても「彼も銃を持っていたら殺されることはなかっただろう」というのが割と受け入れられてる社会でもあるんだけど

2022-03-11

公式勝手に言ってるだけ」からはじめる文学理論半世紀

最近二次元に魂を奪われ二次創作萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。

歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである構造主義の話はしません)。

すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。

さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石作品批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石意図」に接近しようとした。

これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。

聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である

これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者あなたが「八百屋さんの隣にあるポスト手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。

これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァ世界公式に起きたこと」にアニメ劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダム関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

聖書漱石研究など、ソシュール以前は「世界言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンル議論酷使されすぎだと思う)。

それに対して、「言葉世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回であるソシュールが言ったのはあくま言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまり革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてから文学理論最近半世紀である

それまでの哲学世界観と言ってもよい)においては、言語研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたまのものいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?

よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。

これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しか言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかソシュールいわく言語対象の結びつきは「たまたまである。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。

冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。

もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。

二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズエラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。

しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたし感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。

上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこ言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作アニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観いか正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。

しかしそうした努力にもかかわらず、論理学数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデル不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。

かくして文学研究者らはそうした論理的数学理論縦横無尽闊達自在引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。

しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに自分場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。

から、「公式勝手に言ってるだけ」「原作アニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情想像力こそ、人間発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから

 

最後

これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探していますPythonとかほんの少しできますよろしくお願いいたします。

2022-01-26

anond:20220126170425

年収無能無能の親が作る環境子供に悪影響 までほぼイコールからな。

 

 

まあ傾向の話であって、個々のケースはどこかでイコールが成り立たなくすればいいんだよ。

2021-11-17

anond:20211116202454

マジレスすると、その「好き」の感情は「性欲」とほぼイコールだ。

ルックス含め、性的に好みどストライク相手出会ったのだろう。

ハッキリ言って増田はいまでも恋愛結婚をまったく分かってない。

そういう最初の「ズキューン!」という好きや興奮の気持ちはすぐに色褪せる。長くて数年だ。

結婚ってのはそういうものが色褪せた後に、じっくり愛情を育てていくものだ。

家族愛なんかまさにこれ。

2021-11-16

この世の全ての事業コングロマリット化したら従業員消費者ほぼイコールになるのかな

そもそも指揮系統めちゃくちゃになりそう

2021-10-02

女性向けに特化したVTuberなんて売れるわけない

ホロスターズ見ててつくづく思った話。


そもそもVTuberファンを男女別で見た場合、明らかに男性ファン多数派

その時点で、VTuberとして人気配信者になりたかったら、男性ファンにもバズるのは大前提なわけ。

にじさんじ葛葉だって、他の男性ライバーに比べたら女性ファン多いだろうけど、それ以上に男性ファンも非常に多いと。

からVとして女性向けに特化するなんて、自ら負けに行くようなもの


しかもホロスターズはアイドル売りでしょ?

女性アイドル女性ファンは昔から細々と存在するのに対し、男性アイドル男性ファンは今も昔も皆無という歴史を踏まえると(TOKIOなんて例外中の例外)、

ホロスタがアイドル売りする限り、今後も男性ファンが増える可能性は極めて低い。


というか実際のところ、男性VTuberを好きになりそうな女性という、いわゆる潜在顧客殆どは今やすとぷりに夢中でしょ。

女性向けに特化したVを売るというのは、事実上この牙城を崩す戦略ほぼイコールだと思うんだけど、運営はそこまで考えているんかな。

2021-09-05

売上と所得は違いますって言うサラリーマン

フリーランスエンジニアで単価が70万とか80万の人に対して、売上と所得は違うって言うサラリーマンって頭悪いなって思う

かに売上と所得は違うけど仕入がない商売なんだからそれはほぼイコールになるよね

心の中でこの人算数できないのかな?って思ってしま

かにアパレルみたいに仕入があって例えば原価が30%で店舗も借りてたら売上が高くてもどれだけ儲かってるかはわからない

でも現場に常駐してパソコンも貸与してもらってるフリーランスエンジニアは何の経費もかからいからそれがそのまま利益になる

そんなこともわからないのか?って不思議に思ってしま

あと保険とか年金自分で払わなきゃいけないとか言ってる人もいるけどそれはサラリーマンも同じだよね

君たちは自動で引かれてるけど、フリーランス普通に郵送で振り込み用紙来るからコンビニで払うだけだよ?

というか年金とか保険引いた額は所得じゃないからね

それを言い出すならサラリーマン年収じゃなくて手取り額で語って欲しい

一度自分確定申告しないとわからないのかね

2021-09-03

anond:20210903094508

ほぼイコール青葉みたいな犯人像に修正されて、精神疾患要素は皆無になった

最初からこれで描いていればよかったんだよ

2021-09-01

女だけど女性活躍してる企業絶対応募しない ※追記

女性が働きやすい」「女性活躍中」「女性比率○%以上」「育休取得○%」「女性管理職比率○%」

求人サイトを開くといか女性社員が多いか表記がズラッと並んでることが多いけど、過剰にそこをアピールしてる企業絶対に応募しない。


まず女性の働きやすさ・育休の取りやすさははほぼイコール独身犠牲率なので、独身女性の私は近寄りたくない。そしてそういう企業求人募集しているときは大抵穴埋め要員が足りない時。女性活躍する優しい企業ママ妊婦には優しいけど、独身や子無しには全く優しくない。

そしていつか自分がお世話になる側になってもぶっちゃけ男性社員=抜けにくい穴埋め要員が多い企業の方が取りやすい。


あと女性上司とは正直やりにくい。真っ当な人もいるんだけど年数が長い女だからって理由だけで選ばれた地雷の潜伏率が男性上司より高くて、異常に厳しかったりえこひいきが激しかったりであまりいい思い出がない。

女性社員が多いも同じで、男性が多い企業より空気読みや派閥争いが激しい場合が多くて非常に疲れる。


ぶっちゃけ現代日本においては、有能で気立てがよくメンタルが安定した賢い女性ほど男に頼るという一番便利な手段をさっさと取るし、男もそういう女性結婚相手として手放さない。

その結果有能な女性社員ほど結婚退職したりマミトラに乗って暮らしてたりするので、正直、バリバリ労働して生き残る女性は割と癖のある人が多いなぁと感じる。それが何人もいる職場会社雰囲気レベル感も含めて正直お察し…

そう、会社もそれで、女性活躍を売りにする企業業務内容や商材にこれといったセールスポイントがなく、社員女性が多いことしか誇れない場合結構ある。


まあ大抵の会社特にセールスポイントもないし厄介な男性社員もいるしで、受かったとこで働くかって感じなんだけど、それにしたってコッソリ女性比率を見ているよ、多分想定とは逆の使い方で。というボヤキでした

とはいえ今時女性社会進出やってませんなんて書けないからしばらくは騙し合いやってるんだろうな〜と思う。みんな労働頑張ろうね。



追記

たくさん読まれててびっくりした。

「アットホーム職場です」と同じで本当に雰囲気がいい会社はわざわざ書かないよねって指摘がまさにそれだなと思った。


以前勤めてた会社がまさにママだけ優遇フォロー残業が多くてちょっと滅入ってたんだよね。なのに扱いは「ママなのに活躍!」で独身犠牲は一切注目されないし。

それをネット愚痴ったら「文句会社に言え」「そんなところでしか働けないのが悪い」って言われて、その通りだと思ったから働きやす会社転職しただけ。

お互い様だって思う人は積極的負担を引き受けたらいいし、有能な女性上司に当たった人は上司とその幸運大事にしてね。

みんなそれぞれ向いてる職場が見つかりますように。

2021-08-22

anond:20210820221502

リベンジャーズはトウマンとか言う巨大組織の一員じゃん

ワンピース主人公の属する海賊だって大海シャンクスに認められた」海賊

HXHの主人公もこれまたHH協会という世界支配者とほぼイコールみたいな組織裁量労働

ほぼ体制側と言って差し支えナシ

2021-08-02

企業VTuberキャラクター人質に取られているため辞めづらい

かに今年は御伽原絵良やら桐生ココ、鈴原るるの卒業アイドル部の解散など大手VTuber卒業が目立ったが、

それでも一般的芸能界の退所・卒業引退に比べると比率としては少ないのではないかと思う

キャラクター事務所から借りて活動している身という都合上、前職の人気や実績を丸々引き継ぐのは難しい

有識者によって前世バレし、暗黙の了解としてファンが移動するケースは往々にしてあるが、

キャラクターIP事務所から引き取って別の事務所転向したり個人勢として活動するケースは事務所自体消滅する以外だと難しいようである

他の業界転向しようとしてもVTuber時代活動経歴は表向きにはアピールポイントとして使うことができないため、

結果的卒業活動実績を捨てることとほぼイコールになってしまうのではないかと思う

VTuberを辞めた後隠居生活しながら熱心なファンから支援を受けて活動するケースはちらほら出てきているようだが、

「前向きなVTuber転職」が一般的にならんもんかなあと最近思ってはい

2021-07-14

男性フェミニストリベラルの「フェミニスト原則再確認を呼びかける」共同声明への反応が気になる

私自男性で、フェミニストリベラルのつもりだからだ。

件の共同声明について、女性フェミニストに対して是非を問うたり、踏み絵のように利用する事には抵抗が有る、

何故ならやはり女性現在進行形で強く抑圧を受けている被害者であり(無論、そうした「男性」対「女性」の様な単純な二元論は当の声明批判されていることは重々承知であるものの)

そこにあの声明を突き付ける事が少々酷だと思うからだ。

しかし、男性場合はその様な遠慮は当然働かない。あの声明に対してどう考えるのか、フェミニストとして応答責任があるとさえ思う。

 

まず件の声明は「フェミニズムではなくヒューマニズム」との批判も受けているが、男性フェミニストになる場合女性と異なり、ヒューマニズムを経由する場合殆どである

理由は単純で、そもそも男性フェミニスト女性ではない以上、「何故ほかのどれでもなく、女性差別)なのか?」という問いに応え得ない。

まり女性ではない男性女性差別問題視する動機は、「そもそも差別は駄目だ」というヒューマニズムを経由せずにはほとんど成立しえないのだ。

だとすれば男性フェミニストは件の声明ヒューマニズムであったとしても、それ故にこそ声明の語る内容を拒否しえない。

ここには男性フェミニスト特有の困難がある。

ヒューマニズム根拠自己と異なる属性の人々(女性LGBT障碍者貧困者、セックスワーカー等)へ共感を寄せ、それらの人々が受ける差別や苦難に反対する事は間違いなく正当だ。

しかしだとすればそれらの人々の間に優劣を付ける事は欺瞞ないしグロテスクな加害にさえなり得る、

例えば女性差別に反対する事は間違いなく正当だが、「女性を優先していない」事を理由に件の声明拒否するなら、それはLGBTセックスワーカー等をヒューマニズム対象に含めないという極端にグロテスク差別主義という事になる。

この事情故に、男性フェミニストにとってのあの声明は、女性フェミニストにとってのそれと取るべき対応がかなり異なる。

女性を優先する」タイプフェミニストを自任する場合女性弱者被害者男性強者加害者という構図を採用する事が多いだろうが、そのような単純な二元論棄却しないならば同時にLGBTセックスワーカーに対しても強者加害者とならざるを得ない自己責任を果たさねばならないし、だとすれば声明拒否しえないのだ。

 

「あの声明の内容に問題は無いが、フェミニストの名を冠するのは不当だ」という批判もあるが、これも適当ではないと私は思う。

件の声明が「再確認を呼びかける」ものである事に着目すべきだろう。文脈上、ほぼ確実にあの声明そもそもフェミニストフェミニズムの名の下にLGBTセックスワーカーへの差別偏見蔓延している」現状を前提とし、

そうした現状を憂慮するが故に「再確認を呼びかけ」ている。そうである以上、あの声明は「フェミニストフェミニズム」に対して呼びかけなければ意味がないし、その必然性がある。

 

また声明構成は「➊人権普遍性差別をなくすこと、そして暴力から解放」「❷身体自主性、尊厳作動性、アイデンティティ権利」等のタイトル区分けされ、その前に「フェミニスト原則再確認:」と書かれている。

これは声明に書かれたすべてが「原則」なのではなく、「➊人権普遍性差別をなくすこと、そして暴力から解放」「❷身体自主性、尊厳作動性、アイデンティティ権利」「❸拷問非人間的な扱い、医学虐待から解放」といったタイトルが「原則」であり、そのあとに付される文章はその原則の「応用」「実事例への適用」と読むべきだろう。

LGBTセックスワーカー等への言及はこの「応用」「実事例への適用」に当たり、原則のものにはLGBTセックスワーカー等への言及は含まれていない。

まりLGBTセックスワーカー等への言及ばかりだからこれはフェミニズムではない」というのは声明構成に対する誤読だと私は解釈する。

あくまでそれらは「原則から導いた応用に過ぎないのだ。そして各タイトルフェミニズム原則として違和感のあるものではない。

また、それらが「あまり一般的すぎる」事は、論理的に考えてフェミニズムという思想に対する強い信頼の反映だと考える。

まり「あまり一般的な」普遍的人権に関する原則フェミニズムほぼイコールなのであり、普遍的原則からフェミニズム自明に導けるのだ、という強い主張である

例えばフェミニズムが「女権拡大」の為のもので、女性を優先した原則を掲げなければフェミニズムではないと考えた場合、そのような思想は「女権を拡大すべき」「女性を優先すべき」という命題同意する人にとってしか重要ではないし、従う理由もない。

けれども普遍的人権に関する命題からフェミニズムが導けるならば、普遍的人権同意するあらゆる人はフェミニズム同意しなければ矛盾を抱えていることになる。

まり原則が「あまり一般的すぎる」事はフェミニズム普遍性を支持しているのであってその逆ではない。逆にフェミニズム普遍的人権と切り離してしまう人は、フェミニズムを自ら小さい、意味の無いものにしてしまっている(こうした論理的関係は気付きにくいものなので、そこに気付かないことに特別過失が有るとは思わないが・・・

 

こうした事について男性フェミニスト男性リベラルは真面目に考えることが出来ているのか、声明に応答できるのか、という事は注視すべきことであろう。(勿論私自身を含めて)

弱者性・被害者性を理由女性フェミニスト配慮するとしても、同じ配慮男性フェミニストに向ける理由は全く無いからだ。

2021-06-23

anond:20210623115640

普通に観察してたらわかると思うけど、「俺は弱い人間を狙って殺した卑怯者です」と言え!って主張してるんや。

刑罰が重くなりやすいっていうものあるけど、あいつらにとっては「誰でもよかった」は「別に誰殺してもよかったんだけど、たまたま女子供殺しちゃったんだよね。別に軍人でも格闘家でも誰を殺してもよかったんだけど、たまたまね」とほぼイコールでイキってるように見えるんや。

それが許されへんのやろね。

2021-06-03

anond:20210603114604

スパ焼肉→お風呂入ってモモ肉を食べる

デリヘル→お風呂入ってふともも舐める

ほぼイコールなのに何故これ程価格差があるのだ…?

2021-04-04

anond:20210403233714

そもそもこの手の話に出てくる「公共性」というのはほぼイコールで「道徳性」「倫理性」と結ばれてしまものなので……

 

既存保守的価値観による道徳フェミニズム価値観による道徳かに違いだけでやってることは同じという(正確に言えば後者はそれを社会スタンダードとするためにもやってることではあるけれども)。

2021-02-03

太田光マスク会食をバカにしていたことを反省していたって記事、あれはなんだかブコメでは好意的に受け止められていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/cef26de56983491d69670b563c4297cdca867925

一方で、政治家の会食は何が何でも駄目って感じになっている。もしかしたらマスク会食していたかもしれないのに。

まあマスク会食ではないと思うけど。

なんでもかんでも会食というだけで形態に関わらず批判するのは、外食批判することとほぼイコールになっていて、外食産業ではないけど自粛で割りを食っている自分としては正直嫌な気分になる。

立憲民主党あたりはマスク会食してみた動画とか上げてみたらどうかと思う。立憲民主党でなくて維新がやったらはてなでは批判一辺倒になりそうだから立憲にやってほしい。

マスク会食だって出来るんだってことを示す人がいてもいいと思うし、冒頭の太田光インタビュー記事好意的に受け入れるのであればマスク会食出来るんだって見せることは意義があると思う。

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