はてなキーワード: 高海千歌とは
役者は容姿も選考基準で、職業上の必要により「選ばれてる」のよ。それは正当。だが増田の言う「漫画のキャラ」はいわば選ばれていない一般人の表象で、そこに偏った価値付けをするならその意味は問われるわな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4737852216569483525/comment/Domino-R
「一般人」なんて名前のキャラの話はしてねえよ。高海千歌はスクールアイドルやってるみかんが大好きな子で、宇崎花は胸がでかくて先輩をからかうのが大好きな子で、温泉むすめの皆は人間ですらねえよ。低級な土地神だよ。この子たちは一般人じゃなくて、名前と個性があるキャラクターだよ。名前も個性もあるのに一般人のサンプルなわけねえだろ。偏ってて当たり前なんだよ。逆にこの子たちですら「一般人の表象」たり得るなら、肉体を持っていて戸籍もあって飯を食ってウンコもする美風舞良や梨花ますみや奏乃はるとの方がよっぽど「一般人」に近いじゃねえか。ふざけんなクソが。
大前提として、非実在青少年のころに規制反対の立場でロビー活動をしていた腐女子の人も大勢いた。腐女子が表現規制に無関心だった、とはとても言えない。彼女たちの尽力を踏みにじることになる。
ただ、同時に、「男性向け」表現に対する攻撃の先鋒に立ってきた腐女子の人が大勢いるのも事実だ。
たとえば、これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて、『グラップラー刃牙』のBL妄想が書籍やドラマになったりしてるのに、当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人とか、『BLの教科書』という書籍の中で男性向けエロは「モノ化」だが女性向けBLは「モノ化」ではないという超理論を展開した研究者とか、そういう「BL無罪」を掲げる人が目立ってきた。
もちろんフェミニストと腐女子を兼任している人はあくまで少数派なのだろうけど、男性向け表現を攻撃するツイッターフェミニストのbioを見ると高確率でBL愛好家だったりする現象があるわけだ(まあこれに関しては、ミソジニーを撒き散らす自称弱者男性アカウントもかなり高確率で男性向け表現を愛好するオタクなので、お互い様かもしれないが)。
そして、「男性向け基準なら一発で18禁とされているようなエロさの本が、BLではゾーニングせずに本屋に並べられてきた」という現実があり、現在はBLにも「男性向け」並の基準が適用されるようになってきている。
「公共広告」にしても、たとえば「レイプしてきた相手を好きになる」という展開(当然セックスシーンもある)を描いたBL漫画はアニメ化されただけでなくアドトラックまで走っているのだが、まったく問題にされることはなかった。他方で、男性向けは、セックスなど一度も描かれていないような作品を使った広告が、スカートの皺だの巨乳を強調する構図だの夜這い設定だのを理由に(BL愛好家も含むフェミニストたちから)叩かれてきた。これはあまりにも不平等だ。
もちろん、理想は、男性向けも女性向け並みの「緩い」規制に戻ることだ。これなら、男女平等と表現の自由を両立できる。
しかし、男性向けが「乳揺れ」や「巨乳JKとのラブコメ」程度のものに対して国連やら議連やらを動員した攻撃を受けている状況では、その理想はしょせん理想に過ぎない。過激なフェミニストにも表現の自由があり、彼女たちの攻撃を抑圧することはできないし、大学教授レベルでの攻撃が行われている(=次代のフェミニストたちにもその理屈が継承されている)ことを考えると、そのような攻撃が数年できれいさっぱりなくなるとも思えない。
そうすると、現実的な男女平等を求める人たちは、「女性向けにも男性向け並の規制を」と主張するしかない。しかし、それは表現の自由の理念に背いている。
図示するとこうなる。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
表現の自由 | 男性向けも女性向けもおおらかに(理想論だが実現は困難) | (この立場は想像できない) |
表現規制 | 女性向けにも男性向け並の規制を(女性向けへの規制強化、現実に起こりそう) | BLはよいが男性向けはダメ/男性向けはよいがBLはダメ(ダブスタクソ親父!) |
左上の立場は理想だ。理想だが、近い将来にこれが叶うとはとても思えない。だったら、近い将来に実現できそうな男女平等を目指そう、と考えて規制派に転向する人が出てきても不思議ではない。
増田は表現の自由という理想を信じているし、理想を高く掲げることを重視する理想主義者だ。だから左下のような立場は支持できない。しかし左下に転んでしまった人たちの気持ちもわかる。だって、現実的に左上なんて無理だもの。男女平等を支持する現実主義者は左下に行くほかない。
私たちは表現の自由という遠い理想を掲げてBLなど女性向けの性表現を擁護するか、男女平等という実現可能な目標のために女性向けの性表現への規制を唱えるか、どちらかを選ばざるを得なくなってしまったのだ。
なんか図が変だなと思ったので書き直した。
- | 男女平等 | 男女不平等 |
夢想的 | 男性向けも女性向けもおおらかに(表現規制反対) | 男性向けの消滅/女性向けの消滅 |
現実的 | 女性向けにも男性向け並の規制を(表現規制支持) | BLはよいが萌えはバッシングする/萌えはよいがBLはバッシングする |
こっちの方がマシな図になっていると思うが、改善案があれば聞きたい。
自由の限界は他者の自由の侵害、他者への迷惑をかける地点なので、「(男女)平等でないこと(性別なりなんなりで差別があること」はそれを発生させる「自由」を制限して当然。選ぶも何も、自由の定義でそうなるのよ。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
そのどちらかを選ばないといけないと増田が思うなら、『「表現の自由」を「男女平等」では守れない』し、『「男女平等」を「表現する自由」も守れない』となる。表現と男女性別は必ずしも競合するわけじゃない。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
表現の自由より、男女平等より、比べ物にならないくらい大事なのは「おもしろい」ことです。すべては「おもしろい」に使役すべきと思ってます。「おもしろい以外勝てん」です。
タイトルだけ見て本文読んでないでしょ。
エンタメ業界の労働者・経営層の半数以上が女性+マイノリティーになれば、自然と落ち着くべきところに落ち着くんじゃね?歴史的に制作現場もビジネス層も男社会だったのは事実なんだから、そりゃ男目線になるだろ
これを二者択一にしてしまうと、「女性の自由を奪ってでも男性の自由を守れ」という暴論になってしまうんだが、それでも、問わないと答えが分からないのか?
タイ本読
表自的な意味での表現の自由と、誰も可能な限り傷つけず、そのなかで広く意見を認める表現の自由はまず違う。男女平等があるならおのずから後者は達成されている。
タ本
”これまでBLの路地裏レイプ妄想を楽しんできて(略)当の『グラップラー刃牙』作中での性暴力描写に異議申し立てをした人と” ←フェミ系社会学者金田淳子のこと。少年ジャンプの萌え漫画を18禁にしろと主張した。
左下の実例さんオッスオッス。左下に宗旨替えするのは理解しますけど、だったら規制派って名乗って表現規制陣営に鞍替えしませんか? あなたのような、左下に宗旨替えしたのに自分を表現規制反対派だとアイデンティファイし続けてる人が、フェミ腐女子と同じくらいには現状の分断を加速させてるでしょ。
『乳揺れ・巨乳バッシングは過剰だがどこかに18禁のような線引きは止むなし』みたいな立場の存在が議論の中に見えてこない。勿論増田に言わせれば表現規制派になるのは分かるが一まとめにするのは雑ではないか?
そういう人たちが声を上げた結果、「あれだけ表現規制反対って叫んでた男オタクがBLの話になるといきなり規制って言い出した……表現の自由戦士の男オタクは信用できない!」となって分断が加速されています。
細かいところに突っ込んで申し訳ないが、アドトラックと駅、公共施設での広告とはだいぶ毛色違いませんか?。バニラとか、あれ他県からトラック回して審査回避してるよね。アドトラックはかなりダーティなものでは。
えっ? 公道を走っているという点では誰もの目に触れる可能性があるわけでしょう? たとえば購読者じゃないと読めない日経新聞の広告より全然「公共」の広告ですよね?
先日の『月曜日のたわわ』バッシングでは、広告それ自体だけじゃなく、巨乳JKとのラブコメという程度の内容の原作も、東工大准教授の人が国連女性機関の権威を持ち出してバッシングしてたじゃないですか? 『ラブライブ!サンシャイン』のみかんポスターは、原作にはまったく性行為の描写は登場しないのに、スカートの皺が卑猥、という理由でフェミニズム研究の大家からバッシングされて、一部のフェミニストからはエロアニメ呼ばわりされてたじゃないですか? その基準からいくと、男性に対するレイプ描写が普通にあり、性暴力の被害者が加害者を好きになるという展開のBL漫画の広告が公道走ってる時点で、どんな抑制的なデザインだろうがあり得ないっしょ? 『宇崎ちゃんは遊びたい!』のポスターのときは、ポスターのデザインだけじゃなく原作にまでケチつけてるフェミニストの人が大勢いたんだから、仮にそのバッシングを正当だとするならば、当然、アドトラックだけじゃなくて原作の『抱かれたい男一位に脅されています。』も叩かれないとおかしいっしょ?
いや、もちろん『だかいち』が叩かれる必然性は何一つないし、仮にだかいちバッシングが起きたら反対しますよ。でも、あのトラックに公共性がないみたいな理屈はおかしいし、萌えアニメのポスター程度を問題視してきた連中が『だかいち』に何も言わないなら、「BLは特権階級なのか」という不満を持つ人も出てくるでしょう。簡単な話だと思うんですけど何でわかんないんですか?
このBLのアドトラが問題視されないのはトラックの絵には性的な描写がないからだと思う。作品の内容は公共の場には出てないので広告絵単体の比較。もしチンコを強調した絵なら問題になるはず。
「広告絵単体の比較」ならなんでスカートめくりとか夜這いとかの設定をパネルじゃなくてウェブに書いてた温泉むすめはあんなに叩かれたんですか???
たかだかスカートの皺が、ボタンを持って振り向く少女が、デカいリボンの後ろで微妙に揺れる乳が、大学教授やら国連女性機関やらフェミニスト議連やらが出てくるほどの騒ぎになったのに、なんでこのトラックの絵には何も問題がないことになるんですか???
ゾーニングが適切に行われればほとんどの問題は解決するので、ゾーニングを「規制」って考えるんじゃなくて「自由を守る盾」って考えるように発想を転換することから始めてみればいいんじゃないかなあ。
そもそも宇崎ちゃんポスターも高海千歌のみかんポスターも交通安全啓発のご当地VTuberもたわわ広告もゾーニングの必要なんて存在しない程度の表現だったのにあんなにバッシングされてたし、温泉むすめはパネルに書かずにウェブに書いてた設定をわざわざ検索して文句つけたフェミニストの人もいましたよね。服を着た胸のでかい女子大生が煽ってくる広告やスカートに皺の寄ったJKがみかん持って微笑んでる広告や制服JKがボタン持ってこっちを振り向くだけの表現にまでゾーニングが必要、というのなら、それはもう普通に表現規制でしょ。ゾーニングゾーニングって言う人は結局規制論者じゃん。
増田は一発18禁レベルのBL本をゾーニングせずに本屋に並べて、小学生も自由に読めるようにすべきだという考えなの? 表現規制に反対している人でも、ある程度のゾーニングは必要だという意見が大半では?
本屋が自発的にそうするなら止めませんが、法や条例で陳列方法を強制されるのはどうかと思いますよ。そういう書店があってもいいでしょう。親御さんは書店を選ぶ自由を行使してもらえれば……
性犯罪セクハラ被害への理解が進んで減るなら男性向け規制も本来不要でそっち行くべきなのに行かないなら「男性向けだけ規制」だよ。女性向け放置でも現状の女性が受けてる性的消費ダメージを男性は受けないし
マジでBL無罪って考えてるんだ……じゃあBLは性的少数者をモノ化し彼らへのステレオタイプを助長している性的少数者差別コンテンツだって話する? 性的少数者の人たちを「受け」「攻め」というセックス時のポジションで分類するのは彼らの存在をセクシャライズし彼らの人間性を貶める表現なので、性的少数者への偏見がひどいうちは規制されても仕方ない、って話もしよっか? 少なくとも同性婚すら実現してない国でやっていい表現じゃないよね? 私はもちろんこんな主張には賛成しないけど、あんたらの理屈を敷衍するならそうなるよな?
ところで、容姿端麗な女性しか採用しないと明言している劇団が仮にあったとしたら、女性に対する容姿差別を助長するわけだから、女性差別劇団として攻撃されても仕方ないんじゃないの? 仮にその劇団がBL的な演目をやってたら、それは性的少数者への文化の盗用だから、欧米の基準ではありえないよね? 仮にその劇団が濃い目の肌色になるようなメイクをして『アイーダ』を上演してたら、それはブラックフェイスだからアメリカでは一発でキャンセルされるやつじゃん?
え? その劇団に女性ファンが沢山いればセーフ? ラブライブにも大勢の女性ファンがいたけど焼かれましたよね? 女性ファンの存在はそのコンテンツが女性差別的であることを何ら免罪しないってことでしょ? まして性的少数者からの文化盗用やブラックフェイスは、女性ファンの存在では免罪されないどころか、むしろ他者への客体化だから余計に罪が重くなるんじゃないの?
もちろん私は仮にそんな劇団があったとしてもそれを攻撃するつもりも規制を主張する気もないけど、男性向け文化は有罪だけど女性向け文化は無罪、っていう態度をいつまでも採るなら左下に闇堕ちするぞ。性的少数者のモノ化やブラックフェイスという誹りから女性文化が逃げられるだなんて思うなよ。死なばもろともだ。
巨乳女子大生がウェイトレス姿で注射が怖いのかと煽ってくる献血ポスターが女性のモノ化で女性蔑視、胸元のリボンの後ろでよく見ると胸が揺れてるヘソ出しルックのVTuberは性犯罪の誘発なんでしょ? 仮にそれらの理屈を是とするなら、MSMの人たちをステレオタイプに描いたジャンルであるBLは差別扇動だし、美女ばっかり集めた劇団が濃い目のドーランで『アイーダ』やるのはルッキズムとブラックフェイスの合わせ技でキャンセル一択でしょ?
近年、フェミニストが所謂「萌えキャラ」にクレームをつけて炎上する事が頻繁に起こっている。
それに対して、萌え表現に難癖をつけて表現の自由を侵害するフェミニストが許せないという所謂「表現の自由戦士」と呼ばれる人たちが反発し、フェミニストとの間で激しく対立している。
ちなみに自分は「表現の自由戦士」側ではないことを初めに断っておくが、自分の感覚はオタクでもフェミニストでもない一般人の感覚と近いはずだ。そして、世間の一般人の多くは萌え表現の価値を理解していないし、大して必要な物とは考えていないので、萌え表現が問題になった時の反応としては、フェミニストが騒ぐほど萌えキャラが問題になるようには思えないが逆に「なんでオタクの方も、たかが絵に執着するの?」だったりするのだ。
世間一般のごく普通の人にも大抵は好きなアーティストや作品等があるが、それほど執着が強くないのだ。だから、萌え表現を攻撃されて普段は大人しいオタクが激怒する様を見て「ここまで執着するのは何か怪しい」と思ってしまうし、マスコミ等により植え付けられたオタクに対するネガティブなイメージを思い起こして異様に思ってしまうのである。
自分も全ての「萌えキャラ」炎上案件とその顛末をを詳細に把握している訳では無いが、気づいた事は独立した運営が存在したり既存の作品とコラボした案件では抗議後も運営や作品は続いているという事だ。
表現の自由戦士は萌え表現に対するフェミニストからの抗議を「燃やしに来た」とか「焼きに来た」と言ったり、過去の炎上案件を「燃やされた」とか「焼かれた」と表現するが、運営や作者が修正したりパネルなどの広告を引っ込めれば、それ以上は執拗に追及したり運営や作品の発表を停止に追い込むような事まではしていないのだ。常識的にはフェミニストの抗議よりも国家権力による検閲の方が表現の自由に対しては脅威なのだ。
一方で、炎上の結果コラボレーション撤回に追い込まれてしまったのは「温泉むすめ」のキャラクター「熱海初夏」だ。
「温泉むすめ」を「性差別で性搾取」であると発言した仁藤夢乃氏は無戸籍で学校に行ったことがない女性や小卒で売春以外に仕事がない女性などを保護し就学や職業訓練の支援活動をしているが、保護している女性を連れて熱海に旅行へ行ったことに表現の自由戦士たちが反応し、「熱海初夏」の画像が「嫌がらせ」として大量に貼られる事態が発生し、見かねた熱海の温泉むすめとコラボしている現地の居酒屋店主が表現の自由戦士達に苦言を呈すると、怒った表現の自由戦士達は居酒屋に対する悪質なデマを拡散し、それを反表現規制派で知られる大田区議会議員おぎの稔氏が表現の自由戦士を諫めると、あろうことか味方のはずのおぎの稔氏に対して「フェミを擁護するな」と殺害予告し炎上が延焼する事態に発展してしまった。とうとう営業上の弊害が大き過ぎたのか心が折れたのか当該居酒屋が公認を撤回し「熱海初夏」のパネルを返上。熱海で「温泉むすめ」と提携している施設は当該居酒屋1件のみだったため「熱海初夏」は設定のみ存在するキャラクターになってしまった。
「熱海初夏」を焼き尽くしたのは「温泉むすめ」を守ると言っていたはずの表現の自由戦士なのだ。
自分もラディカル・フェミニズムには賛同できないので、仁藤夢乃氏の主張に全面的には賛同できないが、仁藤氏の活動には頭が下がるし敬意も感じている。世の中の責任ある地位・立場の全てが保守主義者で占められてしまうと救われない人が必ず発生してしまうので、仁藤氏のような人は社会に必要なのだ。
そして、熱海の居酒屋店主が料理人として客に安全で美味しい料理を提供しスタッフを雇用し賃金を払うという経営者としての社会的責任を果たすにあたり、営業ツールとして「温泉むすめ」を利用する事は何も悪いことでは無い。それに対してオタクと同じ熱量で「温泉むすめ」に対する愛情を持てとかフェミニストと闘えとか要求すべきでないし、店主は経営者なのだからドライに割り切った判断をしたとしても責められる理由は一つも無いのである。
宇崎ちゃん、例の献血ポスター1枚でだいたいどういうキャラか分かるんだよね。
あれで胸にしか目が行かない奴、女性を何だと思ってるんだろうね。
「人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?
『宇崎ちゃんは遊びたい!』の主人公である宇崎花も、『ラブライブ!サンシャイン』の主人公である高海千歌も、どっちも人格があるように描かれてたじゃん! 作品中で豊かな感情表現しまくってたじゃん!
キズナアイとか戸定梨香とか、VTuberなんだからめっちゃ人格あるじゃん! 「中の人」の自己表現そのものじゃん!
『ストライクウィッチーズ』の宮藤芳佳も、『ハイスクール・フリート』の岬明乃と知名もえかも、めちゃめちゃ人格あるように描かれてただろ! スト魔女劇場版の「だから何なの!?」は彼女がただの従属的な客体なんかじゃないことを示した名シーンだし、はいふり劇場版ではもかちゃんが武装組織の上層部を手玉に取る能動的な主体として描かれてただろ!
ジェンダーの多様性がどうこう言うなら、イケメンを描いた「公的」ポスターもいっぱいあるだろ! Mマスとかとうらぶとか!(anond:20210929114403; anond:20210927203725)
知らなかったかもしれないが、すべての人に政治的な優先順位というものがあるんだよ。
……でも、この表現をめぐる問題で一致が見られなくても、社会に是正すべき女性差別があるという点で一致できれば連帯していく事が出来ると思う。……今回の件で彼らの影響力が増しても彼らはそれを上記の女性差別の解消には向ける気はないだろうし、そんな人間がフェミニズムの論理でフェミニズム議連を批判し、そしてフェミニズムに興味のない人間からは彼らの方がよっぽどフェミニストだと思われるであろう現状が死ぬほど馬鹿馬鹿しい。
俺は選択的夫婦別姓に賛成だし、中絶に際して父親の同意は必要ないと思うし、医学部の入学試験に際しての性差別は許されざるものだと思う。けれどそれ以上に、オタク差別の方が重要な問題だ。俺は童貞でこれまで彼女がいたことがない(から夫婦の苗字やら中絶やらの問題は切実な問題ではない)し、医学部に入る予定もない。だが俺たちが愛好する文化を理不尽に攻撃されていることは他人事ではいられない。俺が何十回も通っている献血ルームでの出来事だというならなおさらだ。
それらの攻撃がない状態で、フェミニズムとは選択的夫婦別姓や中絶の権利の拡大や入試での性差別に反対する運動です、と言われたら、普通に賛同していたし、なんならフェミニストと名乗ってもいたかもしれない。でももうそうではない。もはや俺にとってフェミニズムとは、俺たちが大事にしているものを傷つけようとする運動だ。
勘違いしないでほしいが、だからといって強制的夫婦同姓や中絶の権利の制限や入試での性差別に賛成するというわけではない。それらには変わらず反対だ。ただそれらへの反対以上に、俺たちを攻撃してくる連中に立ち向かう方が優先順位が高いというだけ。つまりフェミニストと戦う方が女性差別の解消よりも大事ってこと。
職場で窮屈な靴を履かされたくないのはよくわかる(俺も夏場の学会はTシャツに半ズボンで参加してる。早く役場の窓口の兄ちゃんがアロハシャツにサンダルで執務できる世の中になってほしい)。女性の政治家が増えるのもいいことだろう(俺は参院選では吉良よし子議員に投票した)。性的少数者への差別にも反対だ(ただし、差別されるべきでない性的少数者から小児性愛者を都合よく除外しようとする連中については軽蔑している)。それらについてのアンケートが回ってくるならフェミニストと同じ回答をするだろう。
でもフェミニストと同じ陣営には立ちたくないし、立てない。ノーベル賞の解説番組を、献血ルームを、農協のポスターを、そして交通安全の啓発動画を、先に攻撃してきたのはあんたらじゃないか。あんたらにとってそれらは優先順位が低いのかもしれないが、俺たちにとっては真っ先に考慮すべきことだ。個々人にはそれぞれの政治的優先順位があって、あんたらと俺たちとでは優先順位の配分が違うということをまず理解しろ。俺たちにとってのトッププライオリティを踏み躙りながら別の問題で手を組もうなんてのは通らない。あんたらは敵だ。たとえいくつかのイシューで意見が一致するとしても、あんたらと組むなんてありえないんだよ。
greenT 俺もおおよそ増田と同じ意見だが、自分と意見が合う場面であっても他の話題が原因で方向を合わせられないという行動はどうも党派に捕われている気がしてポリシーに合わない
女性差別的な政策を主張する候補や党にわざわざ投票することはないけど(自分の主義主張に反するので)、表現規制問題に熱心だけど女性差別を解消することにあまり関心がない候補や党に投票することは全然ありえますよって話(優先順位の配分の問題)。
元増田は、女性差別の解消に興味がなくフェミニストの足を引っ張ろうとしているとしておぎの議員らを支持できないと書いていたけど、積極的に女性差別的な政策を主張していないなら俺にとっては問題ない。俺たちの側に立ってフェミニストと戦ってくれる議員なら夫婦別姓やら中絶やらKuTooやらの問題にはノータッチでも構わない。そういう問題はそういう問題をトッププライオリティにしてる人たちが頑張ってくれ。オタク差別に与してない候補や党からそういう問題に関して協力を求められたら一票を投じるのもやぶさかでないけど、オタク差別してる連中からそういう問題の解消のために手を貸してくれと言われても協力する義理はどこにもないので(KuTooの提唱者が献血コラボをタコ殴りにしたのは忘れてないよ。職場での服装の自由には賛同するけどKuTooへの協力なんて無理)。
Arturo_Ui 「オタク的な表象だから」という理由だけで無条件かつ無批判に擁護しなければならない、というのも随分と頑迷な姿勢に見えます。その姿勢を貫くなら、個々の作品への好悪や評価を表明することも許されないのでは?
少なくともキズナアイのノーベル賞特番や『宇崎ちゃんは遊びたい!』の献血コラボポスターや『ラブライブ!サンシャイン』のみかんポスターや戸定梨香の交通安全啓発動画にはあそこまで叩かれなきゃならん理由はどこにもなかった。叩く強度もおかしかったし叩いてる理由もメチャメチャだった(献血の対価としてグッズを渡すのは売血に繋がる云々みたいな議論してた連中が同時期にやってたモーターショー会場で献血すると献血車仕様のトミカがもらえるキャンペーンには無言及だった時点で献血の高い倫理だの何だのが嘘っぱちでオタク叩きがしたいだけだったことは明白だし、著名なフェミ学者が「みかんはお母さんが買うもの」という素朴なジェンダーバイアスを振りかざしてオタクに殴りかかってきたのは唖然とさせられたし、初代プリキュア程度の露出度のVTuberに「性犯罪を誘発する」とかケチつけてきた連中が色んな意味であたおかなのは言うまでもない)。
俺は少なくともこれらのバッシングに与した連中については「そういう連中」だという評価を変える気はないし、「そういう連中」から別のイシューで協力を求められてもあんたらとは手を組めませんって返すだけ。それが頑迷なら頑迷ってことでいいよ。どうぞお好きに。「そういう連中」からどう思われようが知ったこっちゃないし。
Windfola オタクコンテンツ(一部演劇やお笑いもそうだけど)は大概インモラルで性差別的で低劣で、だからこそ楽しく魅力的。公共空間へのありのままの進出とか悪手としか思わないし、発禁や流通停止以外で怒る気は無いかな。
キズナアイのノーベル賞解説番組が? 宇崎花の献血コラボが? 高海千歌のみかん販促ポスターが? 戸定梨香の交通安全啓発動画が? インモラル??? 差別的???
あんまりインモラルで差別的なのを公的な場にお出しするのはどうなのか、という一般論の話は誰もしてねーよ。これまでフェミどもに殴られてきたこれらの表現のどこがインモラルで差別的であそこまでの侮辱や誹謗に値するものなのか、って話をしてんだよ。え? それらの表現はどれもインモラルで差別的? 心からそう思えるのならだいぶ認知が歪んでおいでだなぁと思いますね。
baronhorse "俺は童貞でこれまで彼女がいたことがない" 結局これじゃないかと思うわ。所帯やら子供やら持つことで家庭にとってとか子供にとってとか考えて大人になってくわけでいつまでも一人でいるから幼稚な身勝手抜け出せない
松戸市で御当地Vtuberと警察のコラボ企画が、フェミニスト連盟を名乗る集団から抗議されてお蔵入りになったという話を聞いて、大きなため息が出る。同じような経験を私も過去にしたからだ。といっても、私の場合は企画そのものは潰れなかったので完全に一緒というわけではない。だが、戸定梨香さんとそのファンの方、コラボ企画を成功しようと尽力された方々には心底、同情します。ご当地を盛り上げるためにこれからも頑張ってほしいと願うばかりです。
さて、タイトルにもあるように私はライバーという、「ラブライブ」というシリーズ作品のファンです。ライバーとはそのファンの人々を公式での呼び方となります。最近はVtuberのファンの方もそう呼ばれているみたいで、Twitterとか見てるときにごっちゃになって混乱することがあります(所属する会社固有の呼び方なのかもしれませんが、私自身がV関係には詳しくないので間違っていたらすいません。
ご存じの方も多いと思いますが、ラブライブもかつて御当地とのコラボ企画を行い、それがフェミニストと名乗る人たちから抗議を受け、炎上した過去があります。私としては正直、忘れたい過去で触れたくもないのですが、先日このようなつぶやきを見かけました。
https://twitter.com/Rudy_hul/status/1429696603904827392
あまりにもふざけている内容で正直、開いた口もふさがらない、という気持ちなのですが、これに限らずにまるでラブライブという作品を我々が守ってやったのだというフェミニストを名乗る人たちのつぶやきを見かけるのがあまりにも多く、そして松戸市の一件もあり、事の終始をどこかに残しておかないと良いように改竄されてしまうのではないか、と危機感を持ち、この文章を書かせていただきました。
可能な限り中立な立場で書くのが一番、望ましいとは思うのですが先述した通り、私はライバーですので立場的にはラブライブを擁護する側の視点になりますし、正直に言うとフェミニストと名乗る人達に対しても良い感情を持っておりませんので、否定的な意見になりますので、ご承知ください。また、アンチフェミと名乗る方々についても批判的な内容も含まれますので、重ね重ねご承知ください。
長文かつ誤字脱字も多いと思いますが、おおめに見てもらえると幸いです。
まず最初に、多くの人がJAなんすんとのコラボ企画が炎上したと思われていますが、実は違います。最初に事のきっかけを説明したいと思います。
現在、ラブライブには4つのシリーズがあります。シリーズごとに拠点となってる舞台が違うのですが、今回、事件になったのはシリーズ2作品目の「ラブライブ!サンシャイン!!(以下サンシャイン)」になります。他の三つの作品が秋葉原、お台場、原宿と東京に拠点を置くのに対して、サンシャインは静岡県の沼津に拠点を置き、地方色を強めた作風で人気を得ました。2016年から始まったアニメでは地方色を強めるために沼津市からの多くの協力のもと、実際の店舗や建物、風景を取り入れ背景や小物に描写することで、アニメを見たファンが地域や商品を探して見つけるという形で大きく盛り上がりました。件のコラボもこれがきっかけで始まりました。
アニメ1話で主人公の一人、高海千歌がスクールアイドル部の設立のために校門で呼びかけを行うというシーンがあるのですが、そこで彼女が踏み台にしている段ボール箱は、「西浦みかん寿太郎」というブランドのものを使っていました。これをファンが発見し、Twitter等で広がった結果、作中で登場したアイテムを欲しいと思ったファンが西浦みかん寿太郎を注文し始めます。それがきっかけとなって、2017年にコラボ企画としてオリジナルパッケージのみかん10キロ箱が期間限定で販売されることになりました(デザインはこちら http://www.ja-nansun.or.jp/lls/ )。売れ行きも好調であっという間に完売、続く2018年も期間限定で同じパッケージで販売されて完売に至りました。
しかし、これは炎上と無関係です。ファンの間では話題になりましたが、特に問題なく好評のまま終わりました。
続く2020年、パッケージがリニューアルされて( https://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/news.php?id=6243 )再び数量限定で販売されます。今回はみかん以外にもジュースなどのセットが低価格帯で販売されましたが、一番値段が高いはずのみかんが真っ先に売り切れになるという現象が起き、私は笑いながら見ていました。
ここで炎上した、と思われるかもしれませんが違います。事はここから2週間ほどだった2月の半ばに置きます。
20年2月12日、JAなんすんからのオファーを受けて高海千歌がみかん大使に任命されます。これは先述の通りに千歌がコラボのきっかけになったことや、彼女自身が好物としてみかんを挙げていることから任命されたのだと思います。それに伴い、等身大ポスターが展示されることになりました。このポスターこそが、フェミニストと名乗る人たちから抗議を受け、炎上するきっかけになったものでした。
(参照:公式Twitterの告知 https://twitter.com/LoveLive_staff/status/1227422254998392832?s=20 )
コラボ企画の一環として思われている西浦みかん大使ですが、実際にそういった側面が完全にないとは言えませんが、私個人の受け取り方としてはコラボ商品を売るというよりは「売上に貢献してくれたことに対するお礼」という側面が強いように感じました。実際、大使任命が発表されたころにはすでにみかんは完売しており、販売促進という観点からは無意味でした。しかしながら、企画としては完全に別物にも関わらず、同月内での出来事だったので、コラボ企画のポスターが炎上したと勘違いする人が多かったように感じました。
12日から展示されたポスターは炎上されたことで17日には撤去されました。期間としてはたった4日間だけの短いものとなってしまいました。関連するコラボブースも撤去されてしまいました。ただ、これはメインのコラボブースが置いてあったららぽーとから撤去されただけの話で、ほかの場所ではポスターは普通に使われていたようです。ここら辺の話は私が説明するよりも、企画継続のために尽力してくれたおぎの稔議員のブログを見た方がわかりやすいかもしれません( https://go2senkyo.com/seijika/157504/posts/114975 )。また、あくまで展示ブースが撤去されたに過ぎず、みかん大使は引き続き高海千歌が受け持ち、その後も3月いっぱいまで企画などは続いており、現在もJAなんすんとのコラボ企画は続いている。
炎上騒ぎになった結果、さまざまなニュースサイトやテレビ番組にも取り上げられる形となります。個人の観測の範囲にすぎませんが、基本的に大手のサイトやテレビではややフェミニストと名乗る人たち寄りの意見で個人のまとめサイトでは擁護する意見が多かったように感じました。その内容に触れるつもりはあまりないのですが、個人的に気になったのが、
「ラブライブシリーズは女性も安心して楽しめるコンテンツのはずなのに残念です」
といった意見がニュースサイトなどで紹介されたことだ。これについては私が大きく疑問符が付く。まずアニメよりも露出が増えているという指摘だが、まずこれを見てほしい
https://www.youtube.com/watch?v=Sbz9EeyUOIs
動きをつける関係でスカートが長めに描かれているように感じるが、スカートのラインと足の位置を確認すればポスターとそう変わってないのがよくわかるはずだし、何なら初代ラブライブからライブの絵が流用されているが、そこでもスカート幅はたいして変わってないように見えるはずだ。
https://www.oricon.co.jp/news/2095260/photo/13/
また、このサイトでは下部でアニメの切り抜きが見れるようになっているが、そこで高海千歌のジャンプしている画像を見てもらえばわかるが、スカートの丈としてはポスターのものと大きな差があるようには見えない。また、アニメでは深夜アニメではお約束とも言える水着回があり、海の家を手伝うという名目であつまったメンバーが水着に着替えて海の家を切り盛りしつつ合宿をするというエピソードもある。このほか各自検索してもらえれば、アニメでもポスターとほぼ変わらないスカート丈で放送してるのはわかると思う。
当然ののことながら水着なのでポスターよりもはるかに露出が多いし、何なら作中でメンバーの一人である黒澤ダイヤが、メンバーの中でスタイルがいい(というか、胸の大きくて引っ込むところは引っ込んでいる、いわゆるボンキュボン)の松浦果南にそのスタイルを使って客引きをするように指示する場面もあり、同じくどちらかといえば平坦なスタイルの高海千歌と桜内梨子を「砂利」と評して貶めるシーンも存在している(余談だが、そういってる当の本人のダイヤもどちらかといえば砂利寄りのスタイルである。とはいえ、アニメキャラなので全員、普通にスタイルがいいのだが)。
はっきり言わせてもらえばこのポスターよりもアニメの描写の方が露出は多い上に、ポスターを問題視するならばアニメは余計に女性が安心して見られるような作りではないと私は感じるのだが、本当にそのような意見を言った人はアニメを見ていたんだろうか、と疑問に感じる。
また、アニメの外に視点を向ければ雑誌などでアニメやポスターよりも際どいイラストは数多く存在しているし、ポスターなどでも使われている。それゆえに、ファンからすると『何故、このポスターだけ?』という疑問が出るのは道理だと感じる。
さて、上記でも言ったようにポスターが撤去されただけで大使就任はそのままであったし、JAなんすんとのコラボ企画は引き続き行われていた。その上で、こんどは3月に沼津茶とのコラボが行われて新しいポスターが発表される。
http://www.ja-nansun.or.jp/lls/numazucha.html
茶畑で着物姿の千歌がお茶の葉を嗅いでいるという絵なのだが、今度は何故かこれに対していままでラブライブを擁護していた層、いわゆるアンチフェミと呼ばれる層が批判をし始めたのだ。対してフェミニストと名乗る人たちは比較的行為的な意見を出しており、概ね好評であったが、アンチフェミと呼ばれる層の一部がバッシングを始めた。
https://togetter.com/li/1487489
絵柄がしょぼいといった意見ならともかくとして「コラボとして意味がない」といった意見も数多くみられる。また、このまとめでは無かったが「FGOの女主人公に見える」といった意見も出ていたが、これに近い絵柄は過去にも使われており、これが初ではなくライバーにとっては馴染みのある絵柄だと私は思っているのだが、どうにもこれが「フェミニストに日和った」という印象を持つ人も多く、批判する声が少なくなかった。
それまでの状況が一転し、擁護側と批判側がひっくり返ってしまったのだ。これは当時の私も非常に困惑しており、だれが敵でだれが味方かわからなくなってしまった。はっきりと言わせて貰えば、この一件でフェミニストと名乗る人たちに対する嫌悪感が上がったが、同じくらいアンチフェミと呼ばれる人たちに対する嫌悪感も強くなったといえる。
結局のところ、こういった炎上には明確な終わりなど存在せず、いつの間にか忘れ去られてるというのが常々だが、この炎上も同じようにだんだんと人から忘れ去られていった。ただ、炎上としては作品の知名度もあって非常に大きな話題となってしまい、赤十字の宇崎ちゃんと並んで語られる話になり、今でもラブライブがコラボするとフェミニストを名乗る人やアンチフェミと呼ばれる人が数人ほどやってくるのがうっとうしい程度だ。
だが、一番最初に挙げたTwitterのようにフェミニストがラブライブを守った、といった行動はない。沼津茶の時も「これでいいんだよ」という謎の上から目線で納得しただけで、最初のポスターのように積極的に行動することはなかったし、燃やすだけ燃やして満足して帰っていっただけだ。
じゃあ、アンチフェミが守ったかと言われれば微妙で、沼津茶のポスターの際はラブライブを攻撃し始めてきて、いちライバーとしてはうんざりであった。
結局のところ、フェミニストと名乗る人たちとアンチフェミと呼ばれる人たちの喧嘩の土俵にされてぐちゃぐちゃにされただけ、という印象である。
最後に言っておくが、ラブライブが現在もコンテンツとして息が続いているのは断じてフェミニスト様のおかげではなく、炎上した後も暖かくコラボ企画を引き受けてくれたJAなんすんと沼津市のご厚意のおかげと、ライバーが支え続けた結果である。それを自らの手柄のように語ってほしくはないし、今後一切、ラブライブに近づいてくるな、というのがいちライバーとしての思いだ。
以下の一連のTweetで、作家の王谷晶が表現の自由戦士を批判している。
https://twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
王谷晶『バ バ ヤ ガ の 夜』10月23日発売
@tori7810
ちなみに私は「徹底的にゾーニングしてモザイクを外せ」という公権力による性表現の検閲反対派なんだけど、自由戦士系の人で同意見の人あんま見ないね
「ギリギリの線」を狙った(たまにコースアウトしてるものも有り)性表現が公共空間に撒き散らされ、18禁のコンテンツにはモザイクかかってるってイビツでしょう。
表現の自由というより「公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」という状況を欲している人たち、な印象。自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由、他に何かあるかな
これは、偏見に満ちていて甚だ不誠実だと表現の自由戦士である増田には感じられた。また、このTweetに対するブクマも同じような感じのものが多く見受けられたので、批判をする。
王谷は「徹底的にゾーニング」と言っているが、これはどのようなものなのか全く示されていない。ゾーニング対象を設定するレーティング、次にゾーニングの手法があるが、それについて何も示されていない。
と書かれてはいるものの、その内容ははっきりしない。しかし、現状で、明らかに生々しい性交の描写が描かれているような男性向けのポルノは、自主規制である表示図書(いわゆる18禁)として、陳列方法などが条例で規定されてゾーニングされている。王谷は、現状について批判しているのだから、18禁とする敷居を下げろ、あるいは異なる基準にせよという指摘をしていると考えられる。しかし、この基準が示されていない以上、表現の自由戦士は「フェミのお気持ち」と想定するしかないし、実際にそうとしか解釈できないような批判にさらされ続けてきたと、こちらは認識している。
また、ゾーニングの手法についても、疑念はある。現状は、棚の高さや目隠しの大きさなどを規定した区分陳列の手法が条例で規定されているが、当然にこれは、好まない人が絶対に目にしないということを担保できるものではない。また、少なくとも「ここにポルノがありますよ!」という表示は明白にする必要があることから、ポルノそのものに嫌悪感を持つ人たちにとっては、それだけで不快感を与えるであろうことは想像に難くない。また、売上が大きくなれば、当然に売り場が増えたり、宣伝が増えたりして、露出する機会は増えていくだろう。これらをどうにかしようとすれば、厳しい広告制限や売り場の制限などを加えるしかないから、当然に、売上が減少するだろうし、売れない商品は作られないということになるのは想像に難くない。
王谷晶自身がBLを書いていることなどを考えれば、BLを棚に上げているという批判は妥当するだろう。なぜならば、現状で、ゾーニングができていないことで問題になっている(=東京都の指定図書になっている)のはほとんどがBLだからだ。
もちろん、少なくない表現の自由戦士は、現在、東京都で多くのBL作品が指定図書に指定されてしまい、実質的な発禁に追い込まれている現状を憂慮している。しかしこれは、BLが表示図書としてゾーニングしていないから起きている事態である。
対して、男性向け作品はほとんど指定されることはない。これは、差別ではなく、過去、男性向け作品が大量に指定されたことから、グレーゾーンにあったソフトコアポルノ的な作品が淘汰され、ハードコアポルノを中心とする表示図書ばかりになった結果、そもそも指定されない状況になったためである。なお、ソフトコアな作風の作家は、女性向けのTLに活躍の場を移して、やはり表示図書ではない形で出版されている例が散見される。
さて、男性向けに対して、女性向けであるTLじゃBLは表示図書にしてしまうと、明らかなエロ本売り場に隔離されてしまうので、女性が買いにくくなったり、一般の書店で取り扱われ無くなったり、扱いが縮小するために出版ビジネスとして成立しなくなってしまう。なので、女性向けのほうがゾーニングが難しい状況である。
腐女子などに見られる認識で、「隠れる」ということがゾーニングであるという考え方があるように見える。王谷晶も「公共空間に撒き散らされ」と男性向けコンテンツの在り方を批判している。しかし、実際は、ゾーニングというのは「これはポルノである」「ここではポルノを売っている」と、明白に表示する事である。当たり前だ、ポルノが欲しくない人や買ってはいけない人が買わないようにすることがゾーニングだからである。ポルノの存在に気付いて不快に思う人は考慮されないし、考慮されるべきでもない。世の中に自分の嫌いなものが存在するのは当たり前だからだ。
「自慰ができる部屋以外の場所でエロいものを見たがる理由」は単純に、それが目に嬉しいからと考える方が妥当だろう。世の中は、目を楽しませるための装飾や、広告に視線を引くための表現が溢れかえっている。わざわざ、「シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」などというものを仮定して、余計な理屈をつけるほうが妥当ではない。オッカムの剃刀である。
そして、そもそも論として、公共の場というのは、むしろ明らかに害があるものでなければ排除してはならない、という性質の場である。たとえば、天皇制を批判する言説の表現は、少なくない人を傷つけたり、不快感を抱かせる可能性が高い。しかしながら、だからといってそのような表現を公共の場から排除せよというのは妥当ではない。
もしそれでも公共の場から排除すべきと主張するのであれば、公共の場からの何をどういう理由で排除するのか、一貫した理論を展開する必要がある。
当然に、表現の自由戦士は局部修正に反対の人がほとんどである。しかしながら、何か別の規制とバーターで局部修正を解禁しようと言うつもりも無い。
例えば、局部修正が解禁されても、厳しいゾーニングで商業的に成立しなくなるとか、同人誌即売会が公共施設から追い出されるとか、ロリコン表現や侮辱的な表現が禁止されるとか、ポルノではないがフェミニストが批判するような描写を一般誌から排除するとか、そういう条件が付されるならば、当然に許容できないだろう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tori7810/status/1427952640923631616
id:zyzy 自分もこれだが表現の自由戦士たちはチキンレースで悪ぶりながら周囲に嫌がらせするのが目的なので、どうもこれには反対らしいんだよね。
他人の内心を勝手に想像して目的とするのは妥当ではない。そして、あえて言えば、チキンレースは悪いことでは無い。ギリギリの表現を狙うことは、全く自由であるし、それは表現の可能性である。
id:akakiTysqe https://twitter.com/jenaiassez/status/1427970782584467456?s=21 同意見なんだけど、彼らはむしろ刑法175条を守るからゾーニングはいらないという人たちなんだよ。
まず、刑法175条には反対である。しかし、実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。また、ゾーニングやレーティングが全く不要だとは言わないが、少なくとも、その妥当性は厳しく吟味されるべきだし、その範囲は最小限であるべきだと考える。
id:cinefuk (無意識の)加害欲求を度々指摘されてるけど、否認するばかりなんだよな『公共空間に(シスヘテロ男性向けの)エロが巻き散らかされている、シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる』
「(無意識の)加害欲求」があると主張するならば、その存在を証明すべきである。また、よしんば加害欲求があったとしても、加害行為でなければ問題はないと考えられる。
id:nowa_s 公権力に全て委ねるのか、表現の作り手と受け手とその輪以外の人々の合意による自治を図るのか、だよね。/合意形成って、議論は論破ゲームだと思ってたり、「価値観は人それぞれ、以上」の文化で可能かは知らんけど
公権力は素晴らしいとは思えないが、「自治」という名前の学級会で、非道徳的なポルノを楽しむ悪い男子が吊し上げを食らうことが明らかであるならば、そんな人民裁判への召喚状は破り捨てるしかない。
自治や合意形成なるものを、人民裁判に貶めているのは、フェミニストやキャンセルカルチャーの成果ではないのか。
id:HanPanna 表現の自由戦士は「お上の規制なら従う」って態度の人が多くて、公権力による規制を最も警戒する(民主主義のため)表現の自由とは真逆のスタンスなんだよね。彼らが守りたいのは表現の自由じゃなくて権威だと思う。
はっきり言えば、フェミニストよりも「お上」のほうがいくらか信用できる。東京都の青少年健全育成条例は、決して素晴らしいとは言えないが、少なくとも出版側の意見を出す場があり、明確な基準の無いお気持ちで運用されているわけでもない。少なくとも、憲法擁護義務のある公務員は、ある程度謙抑的に振る舞ってくれることが多いが、学級会で吊し上げをやってきたような連中が暴走する様は嫌と言うほど見てきた。
id:tvxqqqq 男女とも同じ基準でゾーニングした上でモザイク外すというのは同意。レーティングは女性向けに甘いと言われてるようだけど(BL興味ないから実際は知らん)、公共の場での表現物についてはヘテロ男性向けだけゆるい。
「ヘテロ男性向けだけゆるい」というのは根拠が薄い。女性向けの欲望に即した広告表現は珍しくないし、具体性に乏しいためにする批判である。
id:quick_past 何を持ってしても、より良い選択肢を目指すより、とにかく相手を叩きたいだけの連中だし、さんざ投げかけられた返答も無視してるからな
その「より良い選択肢」というのが「(フェミニストにとって)より良い選択肢(もちろんクソオスの利益なんかしらん)」と区別ができない。何かしらの提案、特に誰かの自由を制約する提案をするのであれば、自由を制約される側の利益を考慮していることを積極的に証明しなければ、悪意が推認されて当然である。
また、返答は無視していない。理解できないか、理解できても配慮を要するとは考えられないかだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210825220838
id:brightsoda "実際に処罰されるリスクがある以上、従わざるを得ない。" これがアリなら表現規制派に火炎瓶を投げ込まれるリスクがあるから従うでも怪獣がインクの匂いに怒って襲うリスクがあるから焚書でもアリになるじゃん
もし仮に、北朝鮮や中国、アフガニスタン、あるいはシンガポールのような表現規制派が牛耳っているような国に住んでいるならば、多くの人は従わざるを得ないと考えるだろうし、そうするだろう。表現規制派が、時々火炎瓶を投げる程度であれば、少なくとも私にとっては許容可能なリスクなので、従うことはないだろう。また、怪獣は居ないので怪獣の脅威を理由に焚書をすることもないだろうし、もし、怪獣を信じて焚書をする連中が他人の財産を破壊しているならば、警察に通報するだけである。
id:mogmognya おおちょうど良い、増田はちょっと前に話題になった秋葉原のエロゲーム広告はアリと思う?ナシと思う?あと、演者が痛がる様子を笑うお笑いはアリ?ナシ?
話題になった秋葉原のエロゲー広告程度の表現は、「屋外広告として」「法的に」規制しうるかギリギリのラインだと思う。このぐらいの、際どいグレーゾーンに対する公序良俗の判断は、むしろ関係者が納得できる公正な判断の仕組みを担保することが望ましいと思われる。このような表現を批判する側と擁護する側を概ね均等に含む、有識者、利害関係者による付属機関を設置すること、その議事録を公開すること、当事者の異議申し立ての機会を担保する教示をすることなど、そういった関係者が納得できる仕組みを予め用意することができれば良いと思う。
また、演者が痛がる様子を笑うお笑いは、まず、その映像を放送することが、直接に法的に規制しうるものではない。チャンネルを変えることは簡単である。しかし、放送は規制産業であり大きな影響力を持つことから、高度な自主規制を行うことそのものは妥当性があると思われる。その意味で、現状のBPOは完ぺきではないにせよ、それなりに妥当な形で機能しているように見えるので、BPOが慎重に判断していくことそのものは、私は妥当性があると考える。
増田の個人的な考えは、単なるポジショントークだから、「規制に反対」としか言えない。
私の価値観の話をすればお気持ちでしかない。しかし、それは、他の誰もが同じことである。
その上で、ゾーニングをしろと言ってくる以上、その公正さをいかに担保するのか、あるいは担保できるのかということを問うている。
id:HanPanna いや、増田が誰を信頼するかしないかの話はしてないよ。表現の自由は「民主主義の維持」に必要不可欠なものだから他の人権よりも優越的な地位にある。権力と学級会では民主主義への脅威が全然違うのに馬鹿だねって話
実際、その学級会で潰される側から見れば、権力も学級会も大差は無い。
アメリカの権力と、非正規のタリバン、どちらが民主主義にとっての脅威か問われれば答えは明らかだろう。
id:fourddoor おお、レスくれる系増田だ。JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告看板を停車中の電車から見える位置に掲示するとか、小学生レイプ漫画の広告を通学路に掲示するとかはどうですか?なお局部は隠れているものとする。
屋外広告条例は、都市計画や建築の分野になっており、意匠については「景観風致を害する」程度の基準でしかなく、実際に問題になるのは、広告の内容などよりも大きさや派手さ、手続きの話ばかりなので、これといった基準がありません。
が、これは、表現の自由の問題であるとともに、公序良俗の問題であるとすると、基準は「普通人が耐え難いか」程度のものになると思われます。
なので、仮に「JK痴漢エロ漫画の本編抜粋広告」があからさまに痴漢行為、性交又は性交類似行為に及んでいることがわかる意匠、乳首や陰毛が露出しているような意匠であれば禁止されると思われます。また、「小学生レイプ漫画の広告」も同様に、その意匠がそういう意味で問題あるかという判断になろうかと思います。逆に言えば、LOの表紙、あるいはクジラックスの単行本「ろりとぼくらの。」の表紙のような意匠であれば、屋外広告としては問題無いと思われます。TENGAやirohaのような路線の広告も問題無いでしょう。
また、逆に、いくら胸を強調しているとしても、宇崎ちゃんの表紙や、スカートに影できているといってもラブライブの高海千歌のPOPスタンド程度の表現もまた、普通人を基準としてそれほど耐え難いとは思えませんから問題無いと思われます。
でも男女の賃金格差が縮んでも女が下方婚してないのは事実だし、
本文中に書いた通り。女が下方婚をしない? それの何が問題なんだ、男が若い女を好むのと同じだ。統計的に見ると男が年上というカップルの方が多いが、何も問題ない。個人の自由だからだ。給料が安いがゆえにモテないのは女の責任ではない。原因は薄給なことにあるんだから政府や企業を殴るべきなんだよ。
いきづらいと感じている男性がいる というのが弱者男性論の主題なんだが。
そこは否定できないだろ。
そこは否定しないが、だったら何? とも思う。俺の人生も発達のせいでたいがい生きづらいが、それは俺の問題だ。あるいは俺の家族や俺の主治医や俺の上司の問題にはなるかもしれないが、社会の問題じゃない。
本文中でほのめかしたが、伝わらなかっただろうか。「フェミが憎いのはわかる(俺も献血よく行くマンなのであいつらは大嫌いだ)」と書いたはずだが。キズナアイにイチャモンをつけ献血ルームのポスターを指さして暴れ高海千歌ちゃんの宣伝を撤去させるようなクソフェミどもは俺にとっても不倶戴天の敵だ。そいつらに立ち向かうというなら連帯する。
それはフェミニズムのスローガンだろう。俺は本文中でちゃんと「フェミが大嫌い」と書いたはずなのだが……
“女性が上昇婚するのはどう考えても個人の自由” こと女性に関しては「こういう〇〇が社会に影響を与えてルッキズムが〜女性のモノ化が〜性的消費が〜」って散々言ってる口で、これだから二枚舌だと言われるのよ
マジで日本語読めないんだ。すげーな。俺はああいうイチャモンフェミも嫌いだけどお前みたいな日本語読解力皆無のやつも嫌いだよ。
上昇婚については「自由」だとは思うけど、それを謳歌することのジェンダー性から目を背けてジェンダーフリーが実現できると思ってるなら正直「女性の足を引っ張ってる」というお話で、弱者男性関係ねぇよなと
俺はリベラリズムとは「個人に可能な限り多様な選択肢を与える」ことを目指すべきだと思っている。そのうえで言うと、ジェンダーフリーとは「選択肢に色をつけない」ことだと考える。
どういうことか。男の子のランドセルは黒、女の子は赤、これが「規定」として決められてしまっていたら、赤いランドセルを背負いたい男の子や、黒いランドセルが好きな女の子が自分の望む色を実現できない。だが、多くのカラバリの中から女の子が赤やピンクを選ぶぶんには自由ではないだろうか。結果として男の子が全員黒いランドセルを使って女の子が全員ピンクのランドセルを背負っていても、仮にそれが個々のご家庭の自由な選択の結果であるならば尊重し、肯定するべきだ。重要なのはそれを自分で選んだということであり、選ぶことができたということなのだから。
なので、女性の自由な行動の結果としてお金持ちの男性に養われる専業主婦が生まれたとしても、俺はそれを非難しようとは思わない。当人の自由だ。大事なのは、もしも彼女がなろうと思えば医者や銀行員や代議士になれたか? ということであって、実際に彼女がそうなるかどうかはあまり問題ではない。
勘違いをしているようだが、リベラリズムは自由の実現を重んじる主義であって弱者の救済は必要条件ではない。自由な競争の結果ある程度の格差が生まれることは容認する。弱者の救済を必要条件に掲げるのはソーシャリズムとかコミュニズムとかそういうやつだ。ここテストに出るので憶えておくように。
現代のリベラル派が弱者を救う福祉国家を支持するのは、まず物質的な基盤がなければそもそも自由を実現することができないからだ。職業選択の自由があっても、手元に紙とペンすらなければ最底辺の職しか選べない。そんなのは自由な選択とはいえない、というのが現代のリベラル派が弱者救済を訴える際の基盤となる論理構成である。弱者救済はあくまで自由の実現のための手段に過ぎない。
え? 知り合いのリベラル派が自由よりも弱者救済が大事なんだよって言ってた? そんな子はウチの子じゃありません! そんなにソーシャリズムが好きならソーシャリストになっちゃいなさい!(一応言っておくと、社会自由主義という立場はある。俺はどちらかというとこの立場。それでも軸足をどっちに置いているかといえば「自由」の方だからリベラル派って名乗ってるけど)
自由の拡大を支持しているから。具体的には、選択的夫婦別姓の導入、大麻と同性婚と安楽死の合法化、わいせつ物頒布罪・単純賭博罪・常習賭博罪の廃止、賭博開帳図利罪の改正(民営賭博の合法化)、公衆浴場での入れ墨の容認、動物愛護法の改正(虐待罪の廃止)あたり。これらは人間の自由を合理的理由なく制約している。不当に自由を脅かす制度はなくなるべきだ。
虐待罪の廃止と書いたんだから、普通に読めばわかるだろうと思うのだが……俺個人としては可愛い犬ちゃん猫ちゃんをいじめる奴らはサイテーだと思うが、しかし他人の動物ではなく自分で買ってきたりした自分の動物をいじめる分には個人の自由だ。彼らが道徳的非難を浴びるのは仕方ないとしても、他の人間の権利を何ら脅かしてはいないのだから刑罰を受けるべきではない(他人のペットを蹴り殺すような奴は他人の財産を脅かしているので動物愛護法がなくても処罰できる)。
お前が認めたくないことはわかったが、それは他人に刑罰を科す理由にはなりません、って話だよ。俺も個人的には動物をいじめるような連中はサイテーだと思うし、友達だったら縁を切ると思うけど、そいつらが刑務所に入れられたり罰金を取られたりすることには反対するよ。だって、そいつらがいったい他の人間にどんな危害を加えたというんだ?
動物愛護法が守ろうとしているものについてはこちらを。端的に言えば、「身近な動物が合理的な理由なく虐待されているのを知ると苦痛を感じる人が多いから」https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/arikata/h16_02/mat02.pdf
それ、言ってることが「普通の日本人は天皇陛下の写真が焼かれていると苦痛を感じるんです」っていうあいトリ批判派の連中とまるっきり一緒じゃん。虐待の場面を無理やり見せたとかならともかく、そんな不快感程度のものに基づいて人間の自由や財産を奪おうとするのは間違ってる。やっぱ人間の自由を奪う悪法だな。改正すべき。
実在しないものでも消費できます。そして、許可なんていりません。空想なのですから。
> 私やあなたの許可なく勝手に絵描きたちが私やあなたの身体をモデルとして、性的な強調を加えて絵にしている以上、宇崎ちゃんや君野イマ・君野ミライや高海千歌に代表されている萌え絵の問題は、私もあなたも当事者なのです。
大体モデルとなるような自然物はどんなものにでも大概はありますよ、普通は。
でも、もっと言えば、ああいうもの、アレ程に当事者に都合のよく改変された人格や姿かたちはもはや空想の産物というしかなく、そんなものは実在するどれとも一致しないし、そもそも一致させる意味もありません。(きっと、一致したら困るでしょう、現実に引き戻されてしまうので。)
男が萌えキャラを見て性欲を解消しているとき、性的に消費されているのはその美少女キャラクターではありません。なぜならば、そのキャラクターは実在していないからです。
宇崎ちゃんは不特定多数の女性、抽象化した女性、別の表現をするならば"女性”というイデアを元に描かれていて、その中には私もあなたも含まれています。君野イマ・君野ミライや高海千歌も同様です。
私は宇崎ちゃんで、私は君野イマ・君野ミライで、私は高海千歌です。
それだけではありません。この文章を読んでいるあなたが女性であるなら、あなたも宇崎ちゃんで、あなたも君野イマ・君野ミライで、あなたも高海千歌です。
男がAVを見て性欲を解消しているとき、性的に消費されているのは明らかにそのAVに出演している女優さんです。そこに疑いの余地はありません。
そして、少なくともAV女優ならば『性的に消費されるのが仕事』であり、本人の意思で出演しているのならばそこに非難すべき構造はありません。
強要問題があることは知っていますが、私は全てのAV女優が親・夫・彼氏などに強要されて出演しているなどとは思いません。
芸能人の写真集でも、同様のことがいえます。男が都丸紗也華の写真を見て性欲を解消したとき、性的に消費されているのは都丸紗也華さんです。
そしてAV女優ほどではないにしろ芸能人は多かれ少なかれ「性的に消費される」ことも仕事の一部です。
「都丸紗也華の写真集が販売され、それを男が性欲を解消する道具に使っているという事実は、全ての女性に対する尊厳の侵害である」とラディカルなフェミニストが訴えたところで、
当人たちだけでなく世間一般からも「お前は都丸紗也華ではない」と笑われるだけで、実際それは世間が狂っているのではなくラディカルなフェミニストの文句がおかしいだけです。
※なお、『性的に消費されるのは仕事』と言えるのは芸能人のみであり、芸能関係以外の女性有名人(実業家・スポーツ選手など)や一般の女性ならばそこには立派な、本人の意思を無視した性的消費の構造が成立します。
ですが、マンガ・アニメ・ゲームの美少女キャラクターは違います。
男が萌えキャラを見て性欲を解消しているとき、性的に消費されているのはその美少女キャラクターではありません。なぜならば、そのキャラクターは実在していないからです。
宇崎ちゃんは不特定多数の女性、抽象化した女性、別の表現をするならば"女性”というイデアを元に描かれていて、その中には私もあなたも含まれています。君野イマ・君野ミライや高海千歌も同様です。
つまり、私もあなたも、宇崎ちゃんや君野イマ・君野ミライや高海千歌のモデルの1人なのです。
私やあなたの許可なく勝手に絵描きたちが私やあなたの身体をモデルとして、性的な強調を加えて絵にしている以上、宇崎ちゃんや君野イマ・君野ミライや高海千歌に代表されている萌え絵の問題は、私もあなたも当事者なのです。
だが今回の西浦みかん大使のイラストが叩かれた時のオタクやラブライバーたちの反応は、決して俺が期待していた通りの反応ばかりでは無かった。
「これのどこが性的なんだ、そんな描写はどこにもない」という趣旨の反発の声が少なからず存在しており、その一点張りなのだ。
しかしこれは非常にぜい弱な論の立て方だ。
私見を述べさせてもらうと、あのイラストの高海千歌(キャラの名前)の描写で用いられているスカート中央部の影はボディーラインを強調するための技法であり、「セクシーに見せるためのもの」でしか無いのだ。
あれはスカートが太ももやお尻・股間のあたりに密着してるかのような印象を与えるのでキャラをセクシーに見せる技法としてはわりとポピュラーなものだ。
写実的に誤っているかどうかはこのアートの世界では重要ではない。事実アートとしてこの表現技法が優れている事は今回のフェミ方面の反応からしても明白である。効果があるのだ。
これはここ10~20年以内に生まれた技法のはずだと俺は見ている。発祥はアニメ方面ではなくギャルゲ方面なのではないだろうか。
ただし、ラブライブに限らずプリキュアやセーラームーンでもコナンでも何でも良いのだが、ああしたアニメで用いられている塗りはいわゆる「アニメ塗り」と呼ばれるものなので、極度にデフォルメすることを求められるアニメ塗りの世界でそれをやるのはちょっとした技術的挑戦だと俺は思うのだ。
人体のみならず影すらデフォルメされるアニメ絵において、グラデーションという概念は殆ど無いのである。むしろ影の濃度に3~4パターンもあるのは丁寧な部類と言えるのだが、ギャルゲは元々そういう複雑な描写でやってきたジャンルなのでスカートにボディラインを強調させる技法は比較的容易だと言えるのだ。
だけどラブライブの場合はそうはいかない。1パターンの影であれを表現しようとする場合、必然的に高海千歌のあのスカートのような影になるはずだ。もう少し影を分散させればまた話は違ったかもしれないが、それはアニメ塗りの文法としては美しく無いものになってしまうためあれで押し通したのかもしれないのだ。
(「透けている!!」という反応があったのは俺もぶったまげたが)
いずれにせよあれはアニメ塗りの世界にギャルゲの技法を取り入れようとした技術的挑戦の産物だと俺は思ってる。製作者はキャラをセクシーに見せるためにあれを描いたのだ。オタクやラブライバーはイラスト界隈のそうしたトレンドを知った上で、今回はあれを性的だと認めよう。
俺が言いたいのは、オタクやラブライバーが取るべきは「性的ではない」という論ではなく「性的かもしれないが深刻な実害が無い・予想されない以上は潰すな」という論で統一するべきだという事だ。
そこまでムキになって性的ではないと強弁すればするほど不安になる。それってそいつは「性的であれば潰されても仕方ない」って考えてるかもしれないってことよね?
それでは表現を潰したがっている連中には絶対に立ち向かえないのだ。
これは何もエロに限らないよ。BLでも暴力表現でも差別表現でも同じ事が言えるよ。「バイオレンスだが潰すな」「差別表現だが潰すな」が言えないとダメなんだ。そうでないと必ず「市民」や為政者の餌食になるよ。
すみません。女性差別に抗議しつつ、ラブライブ!の一ファンとして説明させてください。他の方のリプにもありますが、今回のキャラがみかんに一応関係性はあるのと、オタクはコラボグッズは買うのは本当です……https://t.co/YpYxjUNjHV— tomo@磁石尊い🧷 (@ifmari) 2020年2月16日
ラブライバーの一人として、フォロワーさんに向けてお伝えします。ラブライブ!サンシャイン‼︎の主人公高海千歌ちゃんの好きなものがみかんなんです。そして、舞台になってる静岡県沼津市の内浦周辺はみかんが特産品。だから今回の「みかん大使就任」は妥当なんです。ちゃんと意味はあるんです。— tomo@磁石尊い🧷 (@ifmari) 2020年2月15日
透けて見える? 絵柄に批判、ラブライブパネル一時撤去 沼津|静岡新聞アットエス
パネルは、アニメキャラクターの高海千歌さんが制服姿でミカンを手に立っているデザイン。同市を舞台にしたアニメでは、高海さんの好物がミカンとされているため、JAは12日、高海さんを西浦みかん大使に任命するイベントをららぽーと沼津で開催し、パネルも展示していた。
いずれ、アンパンマンさんとか、ドラえもんさんとか、ピカチュウさんとかも言われるようになるのかな。それとも、人間以外はさんを付けなくてもいいルール?
(追記)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681707517572036738/comment/daydollarbotch
さんを付けろよ服透け野郎
(追記2)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681707517572036738/comment/sumidan
キャラやコンテンツを批判してるわけではないと言われつつ、こういうところで普通に好きなキャラに対して服透け野郎とか揶揄されたブコメ見るの普通に悲しいし辛いんですけど……結局こうなるんだな
ネタか分からないのでマジレスするが、daydollarbotchさんのブコメはアニメ映画『AKIRA』の有名なセリフ「さんをつけろよデコ助野郎」(呼び捨てにされたことへの怒り)をもじったものだよ。
さんをつけろよデコ助野郎とは (サンヲツケロヨデコスケヤロウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
いま「服透け野郎」と世間から言われてるのは高海千歌さん自身なので、厳密にいえば対応してないけど(「さんを付けろよ服透け野郎(に)」?)、それでもおれは上手いネタだと思ったし、十中八九daydollarbotchさんに高海千歌さんを揶揄する意図はないだろう。
(追記3)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681707517572036738/comment/clapon
「二次元と三次元はまったく別」「単なるイラスト」といいながら、こういうところでは二次元キャラを人として扱うのが矛盾してると思うんだよね。都合よくコロコロ変わる。
俺がリンクしてるのは(特にオタクに肩入れする義理のない)静岡新聞の記事なんだが、もしかしておぎのナントカさんの方と間違えてないか。
ラブライブ!高海千歌さん、西浦みかん大使コラボ展示、ブース撤去に。 - おぎの稔(オギノミノル) | 選挙ドットコム
(追記4)
https://b.hatena.ne.jp/entry/4681707517572036738/comment/monacal
『AKIRA』の有名なセリフをもじっていれば、そのことを知っていれば好きなキャラ、コンテンツが服透け野郎と揶揄されても悲しくならないとでも?
その指摘はたしかにそうですね(「揶揄」ではないだろうとはやっぱり思うけど)
これはまさに、「エロい意図が無ければスカートが透けて(るように見え)る絵を広告にしても問題ないと?」という大元の話と重なりますね(無理やり)
ブログ更新。JAなんすん様に確認しました。とても残念です。
経緯などの説明はリンク先から
ラブライブ!高海千歌さん、西浦みかん大使コラボ展示中止。 https://t.co/5rH2wqBDBX— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属2期目 (@ogino_otaku) 2020年2月17日
ラブライブ!は子供のファンも沢山いただろう。それをこんな風に難癖をつけて、撤去にまで追い込む姿勢が子供にとってプラスになるのか。— おぎの稔_大田区議会議員(荻野稔)無所属2期目 (@ogino_otaku) 2020年2月17日
しっかし何でも自身の気に入らないモノに噛みつきまわり火をつけ回って、それで命の危険が出ようとお構いなく中止や規制ばかりさせたがるフェミニストや一部の加担するLGBTポリコレ界隈の人達と自身が興味がなくてもコラボ等の商業活動をやめさせない様に尽力するオタクや表現の自由戦士とではどちらの方が世間的に建設的で健全的であるかのように思われるかね?
少なくとも何でも規制する動きのせいでその後弊害や問題があったからこそ、フェミニストの問題行動に限らず、ゲーム障害にしろ著作権等にしろ短絡的な規制が毛嫌いされる世の中が形成され始めたのは指摘しておく。
ラブライブ高海千歌ちゃんスカート問題に新たな指摘「晴れ着にまでシワがあるのおかしくない?」
https://togetter.com/li/1469327
絵の批判で、声優やポップ立ててる店にまで凸るのはもはや集団ヒステリーやテロ
https://togetter.com/li/1470089
しかし赤十字の件で恥ずかしい掌返しを披露してから1か月も経たないうちに懲りずに同じ様な騒ぎをしているのだから、フェミニストと言う連中には呆れるね。
ああ、それはそれとして。
俺良い病院知っているんだ。
タイトル通り、これはラブライブが好きな女オタクのただのお気持ち文です。
自分の感情整理目的で書いているのでどれが正しい・悪い・良い・良くないとか、こうすべきだったとかあああるべきとかそういうのは大丈夫です。ノーセンキューです。
私はμ'sのアニメ1期の頃からずっとラブライブが好きで追っかけているオタクです。性別は女性。
ちょこちょこ語られているようにラブライブは女性のオタクも結構いらっしゃって、それは美少女ものとしてはパンチラだのあからさまなお色気シーンが無かったからだの色々拝見しますが、個人的にはそこらへんはあんまり気にしてなかった。あとから振り返ってそういえばそうだったかもなーくらいは思いましたが。
オタク遍歴としては少年・少女漫画も、青年誌もBLも百合もエロも好きだなと思ったものはとりあえず食べる派で雑食なので、そういうのはあんまり気にしてないのかもしれない。
ラブライブシリーズの今のメインストリームのラブライブサンシャイン、Aqoursも初期からずっと追いかけていて、大好きなコンテンツの一つ。ライブめっちゃ行くしそのために円盤CD積むし、ラブライブレード(ペンライト)も家にいっぱいある。アニメも色々言われてるけど個人的には好き。全てが上手くいくわけでは無い現実の中で足掻く(少年)少女は美しい。いいぞ。
で、今話題になってるJAなんすんのみかん大使のポスターの件。
私は上記の通りそもそもとしてラブライブのオタクなので、第三者というか一般人としてのあのイラストを見ての感覚が分からないしその点に関して公平では決してあれないので、それについては言及するつもりはありません。
ただあの描き下ろし絵を見て真っ先に思ったのは「えっ!千歌ちゃんかわいい!かわいい!みかんをそんなお上品に持って!いつもは元気っ子なポーズが多いのに!かわいい!お顔がかわいい!うれしい!」でしかなかったです。(千歌ちゃん推しなので……)
高海千歌ちゃんというキャラクターはみかんが大好きで、イメージカラーもパッと見オレンジ色なんですけど「みかん色」と表記が徹底されてるくらいにみかんという属性が表に出されているキャラ。そして今回みかん大使への就任も声優さん等が、ではなく「高海千歌」というキャラクターとして、でした。それをとてもとても嬉しく思っていました。
けれど、イラストとしての荒が性的消費だと一部の方々に言及され、連日ホッテントリに関連記事が上がってくるくらいに騒ぎになってしまっています。
ぶっちゃけラブライブのアニメ絵一枚イラストはアニメーター原画絵師ガチャみたいなところもあって、ラブライブのオタク私からしてももうちょっと可愛く描いてくれよ!折角の描き下ろしなんやぞオイ!と思う時も多いです。
それでもあの絵を見てスカートが透けて見える、性的に消費されている、と書かれて、正直「???????」でした。
絵が下手だとか皺が変、はまだしも、私自身という一応性別が女性の身からしても性的に消費ってなんだ?ってなってました。まあそれははじめに書いたように私がそもそもラブライブが好きだから盲目的になってしまっているのかもしれないし、それを正確に自身で判断する術は無いとも思うので、これ以上の言及は避けます。すいません。
正直に今の気持ちを言えば、ただただつらい。
私の好きなキャラの名前や、好きなキャラのキャストさんの名前が、良くない方向性の話題でばかり連日目にすることになっている。それもキャラクターやキャストさんは何も悪くないことで。
(これについてイラストを描いた人が、ディレクションをした人がとかコラボ側が良くない、とかそういうのは大丈夫です。そういうことを今冷静に考えられる精神状態ではないのと、これはお気持ち文なので)
1000000000000000000000000000000000000000000000歩譲って高海千歌ちゃんというキャラクターについては耐えられるんです。(いやそれでもめっちゃんがっちゃんにつらいししんどいし悲しいんですけど)
これは私個人の持論ですが、高海千歌ちゃんはあくまで「キャラクター」。実在する人間ではないから、です。
千歌ちゃんが悲しむ、と言ったところで千歌ちゃんは現実には存在しない。悲しんでいるのは「そのキャラを好きな実在する人間」です。つまり私です。
2次元と3次元の区別はきちんとつけなければリアル生活を送りつつオタクをやっていくのは難しいと個人的に思っているし、その一線はきちんと自分の中で線引きしていたいから、耐えるつもりでいました。そうするのが最終的に千歌ちゃんというキャラクターにとっても良いはずだと。大声で騒ぎ立てたって「千歌ちゃんが好きなオタク」の周囲からのイメージが悪くなるだけだとも。
でも今回は、千歌ちゃんのキャストさん、伊波杏樹さんも関わってしまっているから、耐えられず泣いてしまったしこうやってお気持ちクソ長文を書いてしまっています。
今回の内浦みかん大使の就任式には、高海千歌ちゃんというキャラクターの代わりに、千歌ちゃんのキャストさん、つまり声優さんが出席して委任状を受け取っていらっしゃいました。
元々ラブライブはキャラクターとそのキャストさんの距離感が特に近いというか、ステージの上ではキャストさんはご自身の担当キャラクターとして振る舞い、難しいフォーメーションダンスや踊りながらの歌唱をこなしています。アニメーションPVのある曲だと、コマ送りして担当キャラがどのタイミングでどんな動作をしているか、腕や指の角度、ウインクのタイミング等細かくチェックしてキャラクターに全て合わせているのだとか。
そして千歌ちゃんのキャストさんは、ライブの度によく沼津の名前を出してくれていました。
「ラブライブサンシャインを、Aqoursを、沼津をよろしくお願いします!」と、2次元も3次元でもAqoursというスクールアイドルが存在していられるのは地元の方々のご協力があってのものだと常々思ってらっしゃる節がありましたし、沼津の魅力を全世界に届けたいとよくインタビューで仰っていました。
そうしてずっと寄り添ってきたであろう千歌ちゃんというキャラクターが今回内浦みかん大使という大役に就任して、誰より嬉しそうだったのが千歌ちゃんのキャストさんご自身だったように感じます。
千歌ちゃんと違い(というと語弊が生まれそうな言い方ではありますが……)千歌ちゃんのキャストさんは実在する人間です。実在する人間が、自分が大事なものについて色々なことを言われて、大事な場所に(結果的に)迷惑をかけてしまったと思ってしまっていたら、傷ついてしまうのではないか。
それだけではなく、キャストさんに直接リプライを送っているフェミの方もこの目で何人か見てしまいましたし、この騒ぎに便乗してコンテンツそのもののアンチやμ's原理主義(μ's以外認めない的なオタク)も目にするのが堪えないリプライを送ったり、ツイートでサンシャインを貶しているのも見てしまったりもしました。
とはいえご本人がこの件について何か仰っているわけでもない現状、これらも結局私というオタクが勝手にいろいろ考えて悲しんでいるだけだ、とも言えます。それを分かっていても、私は千歌ちゃんも千歌ちゃんのキャストさんも大好きなオタクなので、やっぱり正直に言えばめちゃくちゃにつらいです。
フェミの方やイラストレーターの方がどうこうの前に、ラブライブサンシャインや個人的に何度も訪れた沼津、千歌ちゃんや千歌ちゃんのキャストさんが大好きな身として今起きていることがただただ、つらいし、悲しい。
今はとにかくそれだけです。
で、こんなオタクのクソお気持ち長文にここまで付き合って読んで下さった方がいたならありがとうございました。
お気持ち文を書いたら少しは気が楽になった気がするので、とりあえずまた沼津にふらっと遊びに行ったりしようと思います。
オタクにできるのはマナーやルールをしっかり守った上で、お世話になっている場所に足を運び、お金を落とすことだと思うので。
普通の段ボール梱包にはなりますが、西浦みかん寿太郎(自宅用)5kgは通販でもまだ販売しているようなので是非みんなも買って食べてくれ、私はポチった。めっちゃ皮が剥きやすい上に美味しいんですよコレ↓
https://jaeshop.ja-shizuoka.or.jp/s_63451s001_2576.html
あとちなみに千歌ちゃん、千歌ちゃんのキャストさんが出演されるCYaRon!というユニット(Aqoursの中で3つに分かれたうちの1つのユニット)の単独1stライブが今週末の2/22と2/23に行われるんですよ。
開催場所は福岡なので現地は難しくても全国の映画館でLV(ライブビューイング)が行われるのでご予定が合う方は映画1本見るくらいのつもりで是非見てくれ↓(公式サイトからのコピペ奴)
・発売日:2月15日(土)AM10:00〜
・受付URL:https://eplus.jp/unitlive_lv/(PC・スマートフォン)
あと3/7と3/8にはAZALEAっていうユニットも1stライブするから是非見てね↓
・発売日:2月15日(土)AM10:00〜
ラブライブが流行ったのは、もちろんスクフェスがスマホ音ゲーとして成功した先駆者だったのもあるが、
アニメのもつ思想性、メッセージ力が、オタクというよりは一般寄りの価値観をもつライト層に刺さったからだ。
平たく言うと少女たちの葛藤や成長で視聴者を泣かせる作りが巧かったから。
ミュージカルくさくて飛躍や省略の多い構成が良さを理解できない人を生む原因だろうと思われるが、
高坂穂乃果や高海千歌のような、現実なら叩き潰されるような隙だらけのイノベーター型主人公が、
善良な友人の協力を得て、周囲を巻き込んで、大きなことを成し遂げるというストーリーが、不寛容な現実の息苦しさに対する救いになった。
それのみならず、アニメの中だけでなく現実でも、東京ドーム公演まで漕ぎ着けるサクセスストーリーを演出して、
リアルタイムでファンたちが成長物語に巻き込まれていった。そのオーバーラップこそが一番の肝だと思う。
加えて、キャストの方々が本当に真摯にハードなダンスや体当たりな生番組などに向き合ってくれたこと。
いい歳した声優さん達が、全力で青春を魅せつけてくれたから、ファンは作品にリスペクトを抱けているんだろう。
そういう面ではアイマス作品なども負けていないのだが、ラブライブが独特なのは、「スクールアイドル」であるというコンセプト。
営利企業の支援を受けて、ファンのために輝くアイドル像ではなくて、自分たちの問題意識から発足し、自発的に活動している。
そしてあらゆる局面での選択、決断は、「自分たちはどうなのか」を第一に置いている。
これはもう現代の若者の生き方を問うものだ。悪意に飲み込まれず、善く生きる方法論を描いていると言っていい。
そこがこの作品の粋な部分だ。
そういったラブライブismが、多くの人に、言語化されないまでも魅力として伝わった結果がこうなのだと思う。
そのismをNHKが汲んで後押ししてくれたことも大きいだろうし、純粋に曲や詞が良いのもある。
実際、複合的な要因でないと説明できないのは、スクフェス前までのアニメは特にバズらなかった事からも言える。
自分はアニメが最大要因かのように書いたが、アニメ自体の評価は、展開がアクロバティックなのもあって、
レビューをするような几帳面な人たちにとっては賛否両論となっているのが常で、表面上はアニメがすごいとは言いにくい。