はてなキーワード: 必要条件とは
資源が無くエネルギー自給も不可能で食料自給率も低い日本は戦争しようがない国だからな
何もない日本が糧食に弾薬に燃料をどう調達し続けるつもりなのか、戦争できる(先制攻撃できる)国に変えたところでどう戦い続ける気なのか、占領した地をどうやって維持するつもりなのか
中国の脅威を叫び兵器を購入したところで弾薬が無ければ兵器はただの棺桶でしかなく
何もない日本が改善できるのは食料自給率程度なのに、これすら政府は真逆の方針を取っている
兵器を買って防衛力を高めてもそれを支える基礎能力が国に無ければ無駄なんだよ
順序に理が無いの
その点ロシアはすげーよ
2014年以降に更なる制裁を見据えて食料自給率を上げてきてるからな
ロシアを見るたびに
現実を直視して問題に当たれる事こそが戦争できる国の必要条件なんだなって再確認させられるよ
わーくには問題が出ると税金をいかに吸い取るスキーム構築の道具としか見ず
税金を吸い続けるためにやってる感だけ出して事に当たるもんな
これ→ - (半角ハイフン)を行頭に使うと箇条書き出来るよ。だからなんだ?という話でもないが
例
言いたいことがいくつかまとまりとしてあるので箇条書きの形式でまとめる。
・たとえば乙女ゲーにどっぷりだったりZEROSUM読んだりしてるような分かりやすいオタクが週刊女性とかワイドショーとか見てると思うだろうか?
むしろ彼女らは世間に疎いと言われるぐらいにはそういう井戸端会議のネタになるような、市井の地に足のついた、言い換えれば「夢が微塵もない現実的な情報」は積極的に拒絶してる感じするが。ピーターパン症候群も持ってそうだし。
(むしろそういう二次元系のオタクってピーターパン症候群的な童心が残ってることがそれになってしまう必要条件で、レディコミの生々しい内容を好める成熟した大人とは対極の存在に思える)
・琥珀の夢で酔いましょうが電子書籍サイトでレディコミに分類されているのがなんだうと思った。
「メシヌマ」よりはよほど男でも楽しめる余地ある青年マンガっぽい中身に感じるのだが、なにをもってレディコミなのか
(rentaやbookliveではレディースコミックや女性漫画に括られていて、シーモアやめちゃコミでは少女漫画に括られているので、全会一致というわけでもないが)
・フィーヤンはレディコミといわないという主張があって気になったんだが文句なしのレディコミってどんな作品だろうね。グランマの憂鬱とか認知症になった魔法使いみたいな、おばあさんが主人公の作品はほぼレディコミで確定かね。傘寿まりこは少女漫画と出版社側が言ってるが。
・レディコミには「男が容姿に対して可愛いと思うようなキャラが出てこない」というのが最低条件としてあるんだろうか?
たとえば乙女ゲーで例はひと昔古くて申し訳ないが薄桜鬼やうたのプリンスさまにはヒロインが可愛いという理由で男がヒロインだけ目当てでそういう乙女ゲープレイしてる事例はあった。
しかしレディコミだとキャラが可愛くて男のファンがつく、みたいな魅力がキャラにある作品は(ほぼ)皆無じゃなかろうか。
性的嗜好を刺激するような不細工さというのでもなく、ほんとうにただだぱっとしない売れ残りの女おばさんという感じ。
それはレディコミの定義に関する必要条件みたいなものだからだろうか?またこれにはは意図的に男性をファンから排除しようとする目的もあるのだろうか?
(ほぼ、と書いたのは「アラサー独女シマちゃんのベランダレシピ」)はレディコミならが可愛いヒロインだったから」
・レディコミには今流行りの画風からは外れたひと昔以上前の画風の作品が多い気がする(流行りの絵柄と一致しないのは、逆に画風が流行りにはいままでなかった未来に進んでいるからという場合も想定されるが、そういうわけではなさそう)
とするなら、レディコミを読むのは懐漫を読む感覚を、味わいたい、あるいは懐漫の雰囲気で新作の物語を読みたいからという人も多いのだろうか。
・レディコミや、コアブックスの風刺漫画などが「漫画」という主語で言及される資格を持っている違和感。
たとえばカズオイシグロのようなノーベル賞作家の小説を読む人と、フランス書院のエロラノベ(だけを活字主体の媒体としては)読む人がいたとして、
前者は当然「小説を読むのが好き」というだろうが、後者の人が「小説が好き」とは言わないと思う。
形式的な分類では純文学もエロラノベも確かに「小説」なのだが、あまりにも書き手読み手双方が持つ文化の間では隔たりがある。
そして前者やSFでもミステリーでも大部分はそれを読んでいることに対して、「小説が好き」ということには違和感は感じられないが、エロラノベをもっぱら読んでる人が「小説を好き」といっては、単に媒体だけ共通項の文化圏が他の小説好きの文化圏を侵してるかのような感じになる。
だからこの場合は「小説好き」というのは別に他の「小説らしい小説が好きなわけではない」ことからも自己認識に遭わないから、「エロラノベが好き」というより狭い括りでの言及の仕方になるんじゃないかと思う。
同じことはレディコミ等と他の漫画のあいだの関係にも言えそうで、レディコミはジャンプに比べれば「漫画らしい漫画」というところからかなり遠いところにあるものだと思う。
夢を見せる漫画や不条理をみせるにしてもドラマティックな展開があるのが漫画の多数派ななかで、レディコミは読者投稿に基づいたりするから淡々と現実を描写するだけになる。夢も希望もない。
作者がpixivもやっていてその作品が熱心なファンの萌え語りの対象になるような漫画と、作者がインスタやっててネット記事のおまけコーナーで中年主婦のリアルを描いてるような漫画では、それを取り巻く文化圏は全く相反して交差することもないと思う。
前者は漫画の代表(求心力の中心)たりえるが、後者は漫画のコマ割りや吹き出しや感情の記号化という形式だけを倣っただけの内容面では全然別物を描いてるのにその分類に対して間借りしているだけに見える。
まさに、学習漫画や進研ゼミの販促漫画を読むのが好きだった人が「漫画好き」にあてはまるのかなあ?と同じような感じ。それに対する態度も文化も典型的な漫画好きとは全然異なっていると思う。
あるいは「絵」とは形式を抽象すれば「色の違いによって平面に表現する」ことで、この点で油絵の風景画かラノベイラストレーターも絵描きで、作られたものは絵なのだけども
そこで「絵が見るのが好き」というとき、前者と後者を両方同時に内包し得るのかなあと。両者はその供給も需要もひっくるめて生い立ちの時点で全く異なる文化圏にいるもの同士だろう(もちろん美大出の漫画家レーターもいるっちゃいて前者の文化にもなじんでる人もいるだろうがむしろ例外的)。
そういう意味で、レディコミを読んでる人に向けての「漫画好き」と、少女漫画を読む人に向けての「漫画好き」(あえてレディコミを漫画という総称的用語で言及してよいのならだが)は、言葉が同じというだけで実質別物の意味合いと捉えた方が自然じゃなかろうかと。
・大人にとっては「向け」などないようなものなのに、漫画に対して出版社がいちいち手間かけて性別の年齢で分類するのはなぜか考えたが、まさに子供のためなのだろうと思った。
つまり「少女漫画」は子供の女から読めるが、男の子にはわない。「ヤングレディース」は高校生とか大学生じゃないと楽しめない確率が割とあるし、これまた男の子やその高校生大学生は楽しめない。
そして「レディコミ」は大人になってからじゃないと楽しめないが、逆に大人からみれば少年漫画も青年マンガもルポ漫画も楽しめるという具合。
だからこそ大人の視点でみるとこういう分類ってなんの意味があるんだろうと思えてしまうことがあるが、視点を切り替えればいいのだった。
「子供にとって自分に合うものを探すには便利な目安」なのだと思った。ラノベという分類の定義はほんとうにあってないようなものだが。
韓国の出生率は0.72になったとかでまた少子化が各種SNSで話題になっているが、
みんなどうも根本的なところを取り違えているように思う。
やれ所得が低いからだとか、格差社会のせいだとか、女性の社会進出の弊害だとか好き放題言っている。
つまり所得が上がり、格差がなくなり、女性の社会進出に伴う面倒なあれこれが全て解消されたとしても、
では少子化の原因とは何か?
これだけだ。
もちろん細かくわけていけばいろいろある。
子を持つとしても3人ではなく2人、2人ではなく1人しか産まない女性。
事情はさまざまだけど、産まない、産めない、産むとしても少数、これらの問題はすべて女性が抱えている。
これが大前提なわけだけど、そこをはき違えてしまうと見当違いな提案や意見が出てくる。
たとえば弱者男性。所得が低かったり、男性的な魅力が低く、モテない男性が結婚できないせいで少子化がすすんでいる、だから救済せよという提案。
女性をあてがえ?寝言は寝て言え。パートナーとして望まれない男性と結婚したとして、それがなぜ女性が子供を産む選択をする結果につながると思うのか。結婚はゴールではないし子供を産むための必要条件でもない。
子供を増やしたいのなら、子供を持っていない女性がこの人の子供なら産みたいと思える強くて魅力的な男性と結ばれるように支援する方が効果的じゃないか?
男性目線ではなく女性目線で考えなければ少子化の対策にはならない。
女性が子供を産めるようにするための対策や、子供を産みたくなる、それも1人ではなく2人、2人ではなく3人産みたくなるような対策をすべきで、そこに必要なのは徹底的な女性目線。
「Aかつ¬Aの証明を得ることができる」に対して、「いいや得られない。お前がそのように見せかけているだけだ」おれの計算(記号処理)手続きこそ推論規則に適っているし正しいと、反論されたら?
また、「そもそもここでいう『得る』とは」どういう意味か?と突っ込まれたら曖昧でなく『得る』ということが『得る結果の具体例ではなく』『どういうことか』記述できるのかという話です。
¬¬A→Aという規則に基づいた結果が
¬¬¬¬¬A→¬¬¬(¬¬A)→A
なんだよ!と言い張られる。もちろん常識的にはおかしいと思えますが、いまは突き詰めたことを言っています。
一般には、¬¬¬¬¬Aを書き換えるために、この記号列の一部分¬¬Aに着目して、規則からAと書き換えられるから、この結果を¬¬¬(¬¬A)に代入?して、¬¬¬Aに書き換えられる、という思考プロセスをとるでしょう。
しかしあくまでものとしては、ここで考えているのは¬¬Aではなく¬¬¬¬¬Aなわけです。
規則通りに書き換えられてない、言い換えるなら同じ規則を使っていないという主張に対して、そもそも同じ規則が適用できているということ、規則が同じとはどういうことか自体を定義や公理に組み込むことはできるのか。
矛盾や証明ということはまだその概念を記号列で示す余地があるが、規則が同じかどうかという定義もとい「規則」は厳密に定義可能かということです(無定義語として関係性の定義でもよい)。図形が合同か、みたいな合同の概念の定義など比べてもまたレイヤーが一段メタ的になっていて厄介というか。「違うのは自明じゃないか!」といっても、自明は説明できてこそ自明なのですが、ここでいう同じかそうでないかということについてはそれを根拠だてる定義は原理的に無理なんじゃないかと思えてしまいます。
さきほど『得る』という言葉に突っ込まれたら云々ということを言いました。
ブコメには「自然言語の曖昧さで数学をの厳密さ否定しようとしてるだけだ」というのがあります。
別に私は自然言語の曖昧さを問題にしていません。そこは問題の本質ではないです。
むしろこうした言葉は一般に疑いようなく明らかなものです。「左右」とか「これやあれ」みたいな近称や遠称の概念などもそう思われるでしょう。
しかしむしろこれらの概念には一切曖昧さはないという前提に立っても、これもごく単純な話で、曖昧でないからといって、いままでその概念を持ってなかった知性的存在に対して、「これ」や「左右」といった「概念」を、対面やジェスチャーを使えばいざしらず、記号列を用いて一意に定義できる保証はないよね、ということです。定義の厳密さを担保する必要条件が、記号論理学に基づくということにあるのなら、数学を厳密とのたまうかぎりにおいて、当然対面やジェスチャーではなく、これとか同じとかみたいなもっとも原始的な部類の言葉まで全て記号で一意に定義できることを示せなければならないでしょう。
あとあなたが↓のトラバと同一だと言ってくれたら以降↓の方のツリーに返信書いて一元化するのでそのつもりで
https://anond.hatelabo.jp/20240216215810
ちなみに関連しそうな話題として自分自身ラムダ式を勉強した経験があるけど
2. ラムダ項M, Nに対して (M N) はラムダ項。この形のラムダ項を適用(ラムダ適用)という。
という定義があるんだけど、これに基づけば(x x)というのもラムダ項じゃないのって思ってた。
でもラムダ式で(x x)なんて形のは見たことないし、違うんだろうなと。
でも論理的にはなぜ違うのか全く納得できてないので(納得感が正しさにとって問題じゃないとはいえあえて言うが)(x x)だってラムダ式でしょって胸を張って言い張れる。
分かってる人からみれば、そして俺にとっても¬¬¬¬¬A→Aと同程度にバカげた主張なんだが、そのわかってる人にとっても「この規則ならこういうことが言えると思うのに、なんで正解とされてるのと自分が思ってることが違うの?」ってなることはあるはずで、それはこの世で一番数学ができる人であってもありえること。この世で一番数学ができる人さえ規則を正しく適用できていないらしいとき、そもそも正しい適用とはなんだってなりそうに思うんだが。
お前は9年前の俺か?と聞きたくなるぐらい状況が似てるな。。。
お前なにか世間的に婚活に不利な条件一つ抱えていたりしないか?勤務先に起因するやや辺鄙な居住地とかそういうの。
ちょっと心配になったので解説をしてみようと思う。9年前の事情だから今は変わっている部分もあるかもしれないけど。
結婚相談所にいる女性はザックリ「①私に釣り合う男性が居たら結婚相手として真剣に検討してやってもいい派」と「②私なんかをワイフとして養ってくれる男性がいてくれるならぜひ付き合いたい、でももう騙されるのだけは嫌派」と
「③恋愛にまったく自信が持てないので年齢がスペックになる今のうちに婚活はじめることにしました派」の3種類に分かれてて、共通するのは全員恋愛市場でのヤバいぐらいの弱者だと言うこと。
もちろん男性も恋愛市場での弱者ばかりが集まっているが、男性にありがちな「俺はまだパートナー探しに本気を出していないだけ」的なのは女性では①だけで、残りは過去に叩きのめされた経験がある辺りが違う。全員勝ち点ゼロの集まりかも知れないが、不戦敗を積み重ねてのゼロ点と叩きのめされてのゼロ点は違うし、敗戦ではあっても得点はしたことがある率が男女で全然ちがう。
そうすると何が起きるかというと、全然相手の懐に入っていけないんだよな。
①は容姿もキャリアまたは家柄(このタイプは婿養子募集していることも多い)も②や③より遥かに上位だが、結婚相談所なんかに来ているような男性では基本的にお眼鏡にかなわない。たまたま条件がハマってアリだと思われた場合だけ進展があると思われる。
②は基本的に防衛マインドでやってるので、相手にヒントを出さない。ノーヒントで相手の警戒しているポイントを見抜いて「自分はあなたを傷つけない男性だ」ということをアピールできた場合だけ一気に進展する。
③はオールウェルカムの姿勢でやってきてくれているのだが……これやってる女性は何というか腹を括るだけのことはあるので「自分はそんな点は気にならない」と素面で言える適性問題のクリアが必要条件である。
なのでまぁ、対談に持ち込んでも盛り上がらないのは普通の事だといえる。
根本問題として「相手を惹きつける引力」が弱い者同士が集まっているのだから、くっつく率が低いのは当たり前なのだが、その問題を飛び越えてカップル成立するのは
・②で比較的軽症の(相手を惹きつける力がある程度はある)女性に対して、男性側がそれなりに洗練された態度で接する(テクニックをみがいて臨む)ようにつとめた場合
・②でエスパー推理に成功し、相手の警戒をかいくぐることができた場合
1番目は完全に運なので、まぁ宝くじ感覚でアプローチするしかなさそう。ただ確率はゼロでないのでハマればラッキーぐらいのかんじで。
2番目が相談所が一番プッシュしてくる(トレーニングを薦めてくることが多い)パターンで、正攻法と言える。
3番目はエスパー素養があると自負している人間には割とおススメ。外れても失うものはないのだから根拠レスで推理を積み重ねることをためらう必要は皆無、婚活はクイズであり引っ掛け問題の先を読むべきである。ニューヨークに行きたいかー!?
オレ自身の話をするなら、上記の3番目の戦術が当たって成婚退会した。
ただ、どうも上記のどれかしか成婚のパターンはなさそうだと悟って行動に移すまでに1年半を要した。なお、その試行第一号に(たまたま)選ばれたのが今のワイフである(こちらは入会後大分経っての成婚だが、ワイフは入会後2週間でエスパーの存在を確信する対談を経験したので相談所と言うところは凄い場所だと今でも思っている模様)。
ガンガレ。
非モテはビジネスの上でも信用できないらしく、モテていなくてもいいから年相応の女性経験があるかはそれとなくチェックするとのこと。
実際に欧米のビジネスにおける社交界ではパートナーの存在は必要条件で、異性愛者の独身よりも同性愛者の既婚者の方が信用は上だったそうな。
だから「非モテは仕事やビジネスにも影響するぞ!」って感じで締めてた。
俺は彼女いない歴=年齢の消化器外科医なんだけど、こういう思考の人間って例えば俺が「彼女いない歴=年齢の童貞の僕と違って奥様がいらっしゃるんだから頑張りましょう!」ってもし仮に言ったら「あ、童貞なんですか。じゃあ変えてください」とか言うのかね。
私は「ホテル=性的同意じゃない」派の人間だけど、この意見を馬鹿にしてる人の気持ちはわからんでもない。
「2人でご飯に行く、無防備にお酒もたらふく飲む、ホテルについてくるってことは『そういうコト』だよね?」って思考回路が成り立つのもよく分かる。
私も(性的同意に関してではないけど)そういう勘違いしちゃうことってままあるし。
でもそれって「微笑みかけてくれたから、挨拶してくれたから、この人は僕のことが好きなんだ!」「僕もこの人のことが好きだから、僕達は付き合ってるんだ!」っていうのと変わらないと思うんだよね。
これだと明らか危険思想じゃん?
それに付き合うときだって、脈アリだって確かめて、それでも「好きです、付き合ってください」って言うでしょ?
「性的同意⇒ホテル」であって、「ホテル⇒性的同意」ではないんだよ。
そういう意思があったら一緒にホテルに行くかもだけど、一緒にホテル行く人全員にそういう意思がある訳じゃないんだよ。同じ人だって状況・気分よって変わる。
「ホテルに着いてきてくれたってことは、相手もそういうことをしたいって思ってる」は主観的すぎるよ。
そういう可能性は高いかもだけど、それはそれとしてホテル行ってからいざ!ってときにちゃんと言葉で確認してね。