はてなキーワード: オッカムの剃刀とは
言ってみればフェミニスト(穏当な)に褒められるようなエロ漫画ね。
それでオッカムの剃刀なんだけど
エロ漫画で乱暴なレイプとかNTRとかが多いのってそっちの方が楽だからなんよ。
勿論そうじゃない丁寧なレイプを情熱持って描いてる人だっているけどさ。
脈絡のないレイプか、突然股開いてアンアンいう女の漫画になると思う。
総合的技術やシチュエーションへの妄想力が高くなければどうしてもそうなる。
NTRとか催眠とかも、それに興奮するっていう需要ももちろんあるけど、
自然な会話とか徐々に変化していく人間関係とか描かんで済むじゃん。
もちろんページ数の制約もあるしさ。
だからね、俺も個人的な性嗜好としてフェミニスト(穏当な)に褒められるようなエロが好きだけど
それって多くない。
色んなむずかしさがあるからで、それを全部女性蔑視だからだ、モノ扱いする欲望があるからだ、ってするのは違うと思うよ。
それでそういう方向性のエロ漫画を描く志向があるのは女性作家が多くて
でも昔は女性作家自体が少なくてどうしてもクオリティ低かったんだけど
今は感性的な部分をやれていながら絵的な部分もガンガンにエロいって人達が出てきてる。
人によっては絵的な即物的なエロさでも男性作家以上みたいなね。
だからそういう個人的お気に入り・お勧めのエロ漫画家を紹介して終わります。
学問はフィクションだ。それなのに、無加工なまま偉そうな顔をして現実に居座り続ける「歴史」というものが大嫌いだ。
だって、2次方程式の解が、実数で2個存在するとか存在しないとか心の底からどうでもいい。
虚数と重複度を適切に定義したフィクションの中では、常に解が2個存在するのだから。
つまり、歴史は現実のイベントに引っ張られてしまう。そのイベントの繋がり方は、論理的でも公正でも、ましてや最良でもないのだ。
フィクションであれば、その繋がりを必要な形に変形して、その結果を想像することができる。そこから教訓とすべき事項がわかる。
それなのに、単なる偶然の産物でしかない「歴史」から学ぼうとする奴らは、むしろ、オッカムの剃刀で斬り捨てたいその人名や年号の情報量の多さに比して、与えられる教訓の少なさに不満を言うべきだ。
そういった、こなれてないという点で、歴史はまさに「雑」学であり、学ぶにはコスパが悪すぎる。歴史を学ぶと言わず、歴史を趣味としています、とこれからは正しく呼称すべきだろう。
私が違和感を覚えたのは、こんなに重たいシーンを描きながら、物語のラストにほとんど関係ないことだった。
例えば、「この世界の片隅に」の場合は、天真爛漫なすずさんが…となるのをターゲットにしてその伏線として話が進んでいくが、「若女将は小学生!」では、ラストが成仏する前の幽霊と一緒に舞うというシーンなので、小学生が親が死んだ事故の加害者を赦すというあの重たいシーンは、単なる成長の一挿話としてしか機能していない。つまり、あの重すぎる赦しは、なぜ物語に必要だったかわからない幽霊以下の扱いになってしまっている。
だから私の場合、赦しのシーンそのものよりも、単なる挿話としてあんなに重たいシーンを描いてしまう、そのこと自体に強い衝撃を受けたのだった。「オッカムの剃刀」的に不適切というか、重要度に比して内容が重すぎる。
やあ。通りがかりの名探偵だ。なぜけものフレンズは死ななければならなかったのか?誰が殺したのか?動機は?君たちにもわかるように解説してあげよう。
まず、前提を整理しよう。
これだけだ。2点目は、要するに吉崎観音逆恨み説や、カドカワ内部対立説は除外する、ということだ。公開情報からは、常識外れの愚か者の存在はうかがわれないしね。これを崩せばどのような荒唐無稽なストーリーも成立するが、今回はその可能性は考慮しない。オッカムの剃刀、というやつだね。
ということだ。この場合の「情報共有」ということの内容は曖昧だが、よく言われている、3Dモデルの共有説については除外してよいだろう。3Dモデルの共有というのは、要するにヤオヨロズの関与を減らす、ということだが、たつき監督の重要性はプロジェクトに共有されていたはずで、カドカワ/制作委員会にも、ヤオヨロズにも、ヤオヨロズの関与を減らすことに合理的な理由は見いだせない。
では、たつき監督にとって降板を考慮するほどに共有したくない情報、というのは何だろうか?殺害前にも、制作委員会とたつき監督の不和を示唆する事件はあった。テレビ東京関係者が不快感を示していた、12.1話の作成と承認に関する情報共有だ。ここ増田にも、監督が勝手に公開することで、プロモーション全体の計画に悪影響が出ると怒っている記事もあったね。
さて、いよいよ核心に近づいてきた。なぜ、たつき監督は、情報共有を拒んだのか?ここで、たつき監督が成し遂げたことを改めて評価する必要がある。彼は「声優以外のすべて」を担いアニメを成功させた、と言われているが、それは彼の成し遂げたことの本質とは何も関係がない。けものフレンズアニメが特別なのは、一人で作ったからではない。アニメの質が高かったからでもない。作画、宣伝予算、原作、声優等の標準的なアニメの評価軸で評価すれば、けものフレンズはせいぜい中の下だ。けものフレンズは、ソーシャルで盛り上がり、社会現象になったから、特別なのだ。たつき監督や福原Pとファンとのコミュニケーションが奇跡的にうまくいったから、特別なのだ。
これで、情報共有を拒み、降板に至ったたつき監督の動機が見えてくる。彼が作りたかったのは、けものフレンズアニメによって作られるファンとフレンズのやさしい空間なのだ。ファンとのコミュニケーションをとるために製作委員会に確認するような組織では、その空間は作れない。制作委員会は、彼らなりにたつき監督に残ってもらうよう交渉をしたに違いない。でも、たつき監督が求めるような、フリーハンドのファンとの直接コミュニケーションは、どうしても認められなかったんだろう。原案吉崎観音である、けものフレンズプロジェクトには、たつき監督の希望するやさしい空間を作る余地はなかったのかもしれない。
まとめよう。けものフレンズは、制作委員会との見解の相違から、よいものを作れないと判断したたつき監督により、殺された。監督のツイッターにより引導を渡される、というのは、実に本事件の本質を表しているではないか。
id:Pgm48p 移動して探し回るゲームだから、何かに遭遇したとスマホに表示されたら運転中でも触ってしまう後先考えない人は必ずいると想定して、高速移動中は使用不可にすべきだった。現状放置では被害者遺族が浮かばれない
スター id:augsUK, id:yayoiori, id:yorunosuke, id:VA_AV
id:houjiT いやいやポケモンGO自体の流行とかゲーム性と事故の関係性が無視しきれないこと等々を鑑みれば記事の内容は妥当でしょ。警告は出ても直ぐに消してプレイ続行は可能だし、問題性は消えてない
スター id:mur2, id:yayoiori, id:oasynnoum, id:VA_AV, id:ntnajp605, id:zoomer, id:augsUK
なるほどなるほど。
それなら、いっそのことスマートフォン自体が高速移動中に動作しないようにしたら良いんじゃね?
でも、同乗者はどうするの?あと電車は?
どうやってそれらを判別するの?
え?やり方は知らん?w
その他の同様なコメントたち
id:Torneco ルール違反が一番の問題なのは間違いないけど、ナイアンティックもリスクをより低くする方法を考えて欲しい。お客様や社会のために。もちろんマナーや警察の取り締まりなどナイアンティック以外も取り組むべき。
id:wapa 人が亡くなってるという事実よりも、「ポケモンGoは悪くない」という擁護心が先に出てる人のコメントが多いのが怖い。むしろ轢かれる危険に晒されてる側の人たちだろうに。
スター id:yayoiori, id:yorunosuke, id:pilpilpil, id:mur2
id:hiromo2 ポケGOは位置ゲーなので、他に比べて車の運転に影響あるケースは多いと思う。関係ないとか言ってるのはオッカムの剃刀が鋭すぎか、それこそ恣意的だ。
id:hatebukk ポケモンGO関係なくとかいってる奴はなんなの?今回の事例は完全にポケモンGOのゲーム性に起因した事故でしょ。こういうのはちゃんと報道されてしかるべきでしょ。
id:magi00 ポケモンGOは移動中「でも」やりたいではなく、移動中「だから」やりたいなので、他に比べれば運転中のプレイを助長していると思う。制限だけでなく運転中のプレイが不要になるようなゲームバランスの改善を望む。
独身の人って生きがい何なの?
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
について
追記前の記事を見て「自分は意図するところを理解できたがこれは荒れるだろうな」と思っていたら案の定
予想通りのコメントも多くついていた。
追記も言いたいことを補完するのではなくどちらかというとオッカムの剃刀で除外されるような内容だったのも良くないのかも。
元増田が言いたいことはこうだ
・何が何でも生きていたい、生きていきたいと言う強い信念、生への執着が生じてこない事への事漠然とした不安(消極的自殺願望)
・それが結婚を、そして出産をきっかけに大きく変貌した(強い生への執着が産まれた事への喜び)
・目からウロコの経験をしたことで自己の大きな変化があったが、自分とは別のケースを知りたくなった。
→多分訊き方が悪い
追記部分で気になった、-というか確信に触れたと思った- 部分はここだ。
でも家族が出来て生まれたことに心の底から感謝できるようになった。小学生のころから持ってた上記の”消極的な自殺願望”が消失したのを発見して、ものすご~く嬉しくなった
これ本人はサラリと書いているが、心の奥底、魂の願望、-上手に表現できないが- に「生への執着、基礎的な産まれてきた事への感謝、消極的自殺願望の消失」を願っている自分が潜んでいて、
それが昇華された事に対する純粋な喜びを表現している。元増田が持つ奥深い根本的な願いが成就した幸福感が書かれている。
そして、みんなに訊きたいのは
・同じような境遇(消極的自殺願望を持っていて)で、それが解消されたような事柄が自分に起きたような事例を知りたい。
・そして出来れば結婚や出産をきっかけとしないもの(他例)を知りたい。
無意味に長くなったけれど私の例を。
・それでもちっとも不安(不満)を感じない、焦りを感じない。
・独身38歳、男性、女性にも縁はない、結婚の予定も候補パートナーもいない。
・年収は800~1000万(比較的多いのか少ないのかという知識はない、そもそも金銭にあまり興味がない)
・博愛主義で全くの他人、他国、他生物であっても幸せに暮らしている様子を知り、感情を同化させるような所がある。
・同等に悲しみにも同情してしまう。憎しみは遠ざけよとするタイプ
・解消されていないと書いたものの、それでも焦らない、不満・不安をそれほど感じないのはどこかで自分の命を燃やす日が来ると漠然と考えていて、それを信じているから(多分)