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はてなキーワード: 空気感とは

2024-03-10

自分キリアンお試しがそんなに広がらなかったことを思いつつ

そう思うとセルジュルタンスはけっこう網羅してるし好きの範囲も広がったと思う

本格的に香水にハマって初めてのブランドだったのも、ニッチのうちでは手に入りやすい方なのもあるかもだけど

でもメンズ向け、レディース向け関わらず、どれも好きで使うタイミングがある

そう言われるとブランドイメージというかカラーというか、キリアン陽キャっぽさは合わなさを感じてはいた 香りは好きだけど、なんかこう自分が利用しづらい雰囲気

じゃあルタンスが自分にピッタリ合うとまでは言わんけど、闇属性というか自身内面を問うみたいな香水ポエムも多く、キリアンほどの居心地の悪さはないかなと

まあキリアン店舗行ったことないし知らんけど…

そんなこと言ったらルタンスも資生堂に行ったことがあるだけで、ルタンスの店舗というわけでもないのか

あいいや

タンス、キリアンときて、次はラルチザンあたり攻めてみようと思ったり

ラルチザンは前の2つよりは空気感的には試しやすそうな印象を持ちつつも、手にする機会が少ない

まずは手始めにディスカバリー買おうかと迷っているうちに公式在庫がなくなってしまった

タイミングがいつも悪い

別に香水なんて趣味なんだし広げなくても何も困らないんだけど

私たちは『買われた』」

こんな言い草が通るなら、俺も「酒の味を覚えさせられた」とか言いてえよ。大酒飲みが畏敬の念を集める漫画描写とか、格好よく酒を飲むシーンのあるドラマとか、飲み会は当然あるものかいった空気感とか、酒を奢ってきた上司かによ。肝臓、ガンだった。

2024-03-06

ディティール、そして温度

廃れた町、商店街観光地、尺が短い営利動画では物足りないし、足を運ぶと期待したものではなく、けれどどこかにはあるはずだと探し続けている、何か、空気感のようなもの。短時間滞在、単なる通過者(ツーリスト)の状態自分では享受されないものなのかな。これを伝える言葉が浮かんでこない。

すでに大勢バターになった道の上に立って、誰もが見たものを誰もが見た画角撮影して、という自分客観視。個人的体験の渇望、飢餓感?

2024-03-03

1年ぶりぐらいにYouTubeちゃんと見た。好きだったグループユーチューバーのことを思い出して、そうだ!見よう!って楽しみに見に行ったんだけど、空気感大分変わってて悲しかった…

はっきりギスギス感が分かるんだけど、米欄では仲良すぎて〜とかこの雰囲気が最高〜みたいなのが溢れてて(たまに空気悪いって米もあったけど、じゃあ見なきゃいいとか言われてた)盲目的で正直ひいた。ひいたしすごい悲しくなってしまったわ。

もう自分ターゲットから外れたんだろうと思うけど(それ自体も寂しいのは寂しいもんだね)普通にコミュとしておかしくない?って言い方とか反応がそのまま動画になってるのやばかった。ずっと同じコミュニティにいると、外から見ておかしいってところに気付けなくなるんだろうな。

2024-03-02

話をしてて、「この人、俺に興味がないんだろうな」ってなんとなく感じることあるよね。

実際面と向かって「あなたと話してつまらないです」って言われてるわけじゃないのに、なんかビシビシとそういう空気感ちゃうようなこと。

相手は失礼な態度取ってるわけじゃないし、誰も悪くないんだけど、なぜか嫌な気分になっちゃう。

もちろん、それをこっちが態度に出すことは失礼だけど、もしかしたら相手は「なんかこいつ機嫌悪いな」って俺に思ってるのかも。

そしてお互いこういう腹芸空気はビシビシ感じあってるのかもしれない。

どっちも、表立って攻撃してないし、目に見えて冷たい態度とってないし、敵意むけてないけど、お互いの心の中だけが対立してる感じ。

無理してまで関わらないようにしよう。

2024-02-29

神戸南京町を"中華街"と呼んだら…

地元の人に怒られちゃうイメージだったけど、違うの?

まさか、"神戸中華街"と呼ぶべき?

教えて!有識者!!

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2323442

--

あんまり伸びてないけど追記

例えば、

みたいな、呼び方に対する拘りみたいなものを"南京町"にも(勝手に)感じてたので、実際のネイティブな方々の感覚が知りたかったのでした。

中華街南京町言葉意味とか、南京町情報とかではなくて、

南京町のことを"中華街"と呼ばれたらどう感じるかを教えて欲しいです。

2024-02-28

最近、朝起きてすぐの気分がとても低い

花粉症もあるけど、そもそも春の空気感がイヤなんだと思う

鬱っぽくなる

夢は微妙だった

もう断片しか覚えてないけど、学校のようなところで会う約束してた友人を探してる

携帯で連絡するけど返事がない

そのクラスの子に聞いてみたり

で、起きて、若いうちに事故で亡くなった子だったと気がつく

なんだよそれ…

日差し明るいけどもう鬱どまんなか

目も痒いし鼻水止まらないし

2024-02-26

よく寝た

しかし気分がなんか鬱っぽい

春が近いような空気感が原因のような気がする

もちろん月曜が嫌ってのはあるけど

2024-02-25

アイドルマスター界隈って女性オタク界隈みたいな所あるよな

・(筆者男です)(追記しました)男だけど異常に胸がデカキャラが苦手

ttps://anond.hatelabo.jp/20240208215941

女性オタクの棲む暗い池について

ttps://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5

先日、これらの記事を発端としてインターネットでは何度目かの「女性オタク界隈特有文化に男オタクがたまげる」イベントが開催された。

件の記事がどれだけ性格かは定かではないが、女性と思われる一部のアカウントらの反応を見る限りはそう大きく間違ってはいないように思える。

(私見を述べさせてもらうなら女性オタクにはクレーマー気質人間が多いというよりは男性オタク界隈でもクレーマー気質人間は発生しているが無視されるかボコボコにされるかの二つが殆どでその一方で女性オタク界隈ではそのような人物相手でもまともに取り合ってしまう人が現れてしまうため増長されやすいという構造があるのではないかと考えている。)

本題に入ろう。実はこの手のイベントが開催される度にいつもとある考えが自分の頭の中に渦巻いていた。

自分がいた頃のアイドルマスター界隈にもこういう所があったな」と。

自分は既にアイマス界隈から距離の遠いところに来てしまって久しいため今でもアイマス界隈が当時のままなのかは判りかねるが、当時のアイマス界隈でも所謂「学級会」や「お気持ち表明」と称されるイベントは定期的に起きていた。

ちなみに内容はというと「担当アイドル※の設定が変更されてしまった」「担当アイドルイベントでの出番が少ないような気がする」「一向に担当アイドルCVが決定しない」「担当アイドルSSRが後回しにされている気がする」といった主に担当アイドルの扱いの悪さに対する不満が殆どである

※厳密には異なるのだが概ね「推し」のようなものだと思ってもらって構わない。。

そうしてこの手の話題になる度にアイドルマスター界隈(と女性オタク界隈)の性質について少しずつ考えていたが、この度ようやく考えがまとまったためここにそれを垂れ流すことにした。

といってもそこまで難しい話をするつもりはなく、言葉にすればシンプルな事である結論を先に書かせてもらうと要するに重要なのは「その作品に対してどれだけ『真剣(マジ)』になっているオタクいるか」という事である。「どれだけ深く入れ込んでいるか」と言い換えてもいい。

念の為に予め言っておくがこれに揶揄意図は一切無い。しっかり線引きはしましょうという留保くらいはつけておくが元アイドルプロデューサー自分としてはむしろコンテンツ真剣(マジ)な姿勢で挑む事には好意的ですらある。学校文化だって斜に構えた態度でいるよりも真面目に取り組んだ方がなんだかんだ満足感が高い訳だし。

正直に告白すると、男性オタクよりも女性オタクの方が真剣(マジ)なオタク割合が高そうだという偏見自分にはある。創作経験があるオタク多寡ミーム定型文に頼らない感想の出力。フィクションの展開の影響を受けて実際に体調を崩す。推しと対面して泣く。ライブで気絶する。同担拒否。いずれも(男オタクにもこういう事例が無い訳ではないだろうが)女性オタクによく見られるケースという印象が強い。

アイドルマスター界隈もまた同様に真剣(マジ)なオタクの多い界隈である。(もう一度記しておくがあくま自分が界隈にいた当時の印象と伝聞を元にした話であり今でもそのままなのかは判らない)

何故かというと、それはアイドルマスターリアルフィクションの境目を壊す試みにずっと大真面目に取り組んできたコンテンツであるからだ。ぶっちゃけ異常者の域に片足を突っ込んでいる。

例えばアイマスライブには演者自身が演じているキャラクターを舞台上で「再現」するという文化がある(もしかしたら他の二次元アイドルコンテンツにもあるかもしれないが)。あれは自分に言わせれば二次元上のキャラクターを三次元人間の上に降ろそうとする一種の降霊の儀式だ。声優ネタキャラクターに逆輸入されるかつての風習もその精神性の延長線上にあったものだと自分解釈している。

それになんでも最初アイマスであるゲームセンターアーケード版の時点からフィクションリアル侵食してくるような試みは存在していたそうだ。なんと、しばらく店舗に通っていないとプロデューサー(プレイヤーの事)に見捨てられたのではないか不安になったアイドル達が実際にEメール送信して切実に訴えかけてくるというのだ。今やバンダイナムコ常套手段である女の子」を見捨てられないという男の本能、その脆弱性を突いた卑劣人質商売がこんな早くから行われていたとは、驚きの極みと言う他ない。

当時が全盛期だったニコニコ動画という動画サイトに、原作ゲーム動画編集して制作した担当アイドル自作MV投稿したり、担当アイドル二次創作小説紙芝居(ノベマス)を投稿したりして、それで同志である視聴者コメント交流していていたニコマスという文化も、リアルフィクションの境目を曖昧にし自分はこの子担当プロデューサーであるという自覚、いや錯覚を強める事にきっと大いに貢献した事だろう。残念ながら自分世代ではないため当時の空気感を伝聞や当時の動画を視聴する事で推し量る事しかできないが、自分にはこの時代が「プロデューサー」というロールプレイをするにあたって最も恵まれていた時代だったように思えてならない。

そしてそのリアルフィクションの境目を壊そうとする姿勢は「シンデレラガールズ」(デレマス)にも受け継がれる(デレマス場合商売っ気がやや強すぎる気もするが)。

代表的ものはやはり悪名高い「総選挙システム、そしてそれに端を発する声有り・声無しという概念だろう。初期のデレマス(当時はモバマスと呼ばれていたそうだ)はどのアイドルにもCVが付いておらず、ゲーム内のイベントであるシンデレラガールズ総選挙で上位に入賞するとそのアイドルCDデビューが決定し、それに伴ってCVも決定するという流れがあったらしい。勿論、ここでいうCDデビューとは現実世界でそのアイドルの歌とトークが収録されたCDが売り出されるという意味であり、故にデレマスPにとって総選挙とは「実益」が絡む完全に「現実」の話となる。

そしてデレマス総選挙における「有権者」とは、(奇妙な日本語ではあるが)プロデューサー(ユーザー)の事である。そのため同じ現実人間である同僚プロデューサー達に対して担当アイドルプレゼンもとい演説を行い、投票を呼び掛けるというまるで現実選挙のような活動を行うインセンティブが発生する。その「選挙活動」に端を発する文化として、互いに手持ちの票の一部を相手担当アイドル投票し票交換を行うグループが現れたり広くプレゼンを募って気に入った担当アイドルに手持ちの票を分けるユーザーが現れたりなどがあるが、最も自分の印象に残っているのはやはりプロデューサー自身インフルエンサー化であろう。それもプロデューサー活動の末に自然自分も有名になっていたという結果論ではなく、みんなに担当アイドルの魅力を知ってもらうためにはまずは自分自身が有名になり影響力を持つ存在にならねばという戦略ありきである自分プロデューサーの端くれとして彼らがそうした理由理解できるし感情についても共感はできるつもりなのだが、やはりこの現象俯瞰で眺めた時にどこか滑稽である事は否めない。(こうした現象現実にも存在し、例えば作品宣伝するために自分自身が有名になる事を出版社から求められる作家アカウントなどがある。)

シンデレラガールズとは姉妹のような立ち位置にある「ミリオンライブ」(ミリマス)にもこの選挙というシステム採用したイベント存在する。とはいえミリマスの場合提示された幾つかのテーマにそれぞれ登場する幾つかの役の枠を奪い合うというルールであり、フレーバーとしては選挙というよりはむしろ公開オーディション表現した方が近い。そして当然これも現実CDとして発売されるため、やはりミリマスP達もデレマスP達と同様に戦場に赴く事を半ば強いられている状況下にあると言っていいだろう。

そうはいってもデレマスと違って最初から全員にCVが付いているミリマスでは声有り声無しの格差存在しないぶん比較平和なのではないかと思う人もいるかもしれない。その見方に一理ある事は認めよう。だが、ここにもまたここだけの地獄があるのだ。

ミリマスの選挙イベント最大の特徴はゲーム内の特設ページにてそれぞれの役の得票状況がリアルタイムで確認できるという点だ。端的に言って心臓に悪い。例えば自分担当アイドルが他のアイドルと熾烈なデッドヒートを繰り広げていたりなどしたらもう大変だ。そのうえ対抗馬が主人公自分担当アイドルラスボスであるかのような風潮が界隈に浸透し、ジワジワと追い上げられ始めたりなどすればもう終わりだ。いや、終わった。

ちなみにリアルタイム故に成立するミリマス特有戦略として、特定時間帯に集中的に投票を呼び掛ける一斉投票という戦略がある。逆転の雰囲気意図的に生み出す事で同陣営にはこれだけの数の味方がいるのだという安心感を与えて戦意を維持してもらい、逆に対抗馬にはプレッシャーを与えて戦意の低下を狙い、更には浮動票層の関心を惹いて余った票の使い所をアピールする事もできる、気取った表現をさせてもらえば一石三鳥の戦果を狙う事ができる戦略である。まあ、最も効果があるのは手持ちの票が潤沢な最初の一、二回程度でそれ以降は尻すぼみのように効果が小さくなっていくのだが。ただしこれはあくまで当時の話であり、メタゲームが回りきっているであろう今でもこの戦略有効なのかは既にアイマス全体から離れて久しい自分には最早判りかねる事である

(誤解の無いように書いておくと自分アイマス全体から距離を置くようになったのはこのようなプロデューサー活動に嫌気が差したからではない。むしろこういった選挙イベントアイドルマスターというコンテンツにおける醍醐味の一つですらあると思っている。確かに当事者にとっては入れ込めば入れ込む程苦しくなっていく地獄の催しかもしれないが適切な距離さえ取れればこれほどエキサイティングイベントもそう無い。自分アイドルマスター界隈から離れたのはこの終わりも無ければ変化も無いサザエさんのようなコンテンツに追い続ける意味を見出せなくなったからだ。端的に言うと、ただのマンネリである商業的には到底採算が採れない企画だろうが個人的な願望を言わせてもらえば、リアルタイムで一年の時が経つ毎に作中でも一年の時が経ち、アイドルも一つ歳を取り、そしていつか終わりを迎える。そういうアイドルマスターを今は体験したいと思っている。Vtuberではダメだ。リスナーではVtuberと一対一の関係を築く事はできず、所詮はただの one of them にしかならないからだ。だからアイドルマスターでなければダメなのだ。)

今もう無くなったがある時期までのアイドルマスター界隈の一部(?)には「『担当アイドル』と『推し』は別物だから一緒にするな」という風潮が確実に存在していた。ここまで読み続けてくれた人であればもう理解してもらえるだろうが、当時のアイドルマスター界隈において「担当する」という言葉は「推す」とは異なり相応の責任を負う覚悟があるという意味を含んだ重みのある言葉だったのだ(とはいえそれは無論ロールプレイ範疇に収まる程度のものしかないが)。南無阿弥陀仏とさえ唱えれば誰でも担当プロデューサーを名乗ってもよいとされている時代の今時のプロデューサーからしたら到底理解できない馬鹿げた異常な感覚かもしれないが、これもアイドルマスターがかつて有していた一つの側面だったのだ。運営側人間でもないのに架空版権キャラクターの世間への売り出し方を真剣に悩む、そんなプロデューサーがかつてはいたのだ。そしてこんなに真剣(マジ)だからこそきっと学級会やお気持ち表明も起こりやすいのだろう。

これを読んで「アイマス怖……近寄らんとこ……」と思った方は安心してほしい。運営もも時代にそぐわないと判断したのか今のアイマス比較カジュアルスタイルになっており、そこまで気負わなくても気軽に遊べるようになっている(はずだ)。だから興味があるなら軽い気持ちで手を出してくれて構わない。あとはバンナムが二度とは戻れない深い沼の中へと勝手に引き摺り込んでくれるから

この記事自分が言いたかった事はひとまずこれで全部だ。ここからはほぼ余談になってしまうがせっかくだからシャニマスについても触れておこう。流石にこの時代になると他のアイマスで見られたようなプレイヤー責任感を感じさせるような取り組みは無いのだが、リアルフィクションの境目を壊そうとする点ではシャニマスもしっかりアイドルマスターの一員である。ただシャニマス場合シナリオ中の表現描写演出等によってアイドル達は現実に生きている人間であるとしてその日常の一コマ写真のように切り出そうとするというストロングスタイルであり、自分の語彙ではこれ以上の説明はなかなか難しい。他の取り組みとしては普段アイドル達が使用している靴箱(靴入り)の再現セットの展示、畳まれていたり畳まれていなかったりするジャージが床に置かれているレッスン室の再現セットの展示、ほとんど環境しか収録されていない事務所内の定点カメラ映像を六時間ぶっ続けでYoutube配信するなどがある。どれも意図理解できるがどこか変態所業じみた取り組みばかりになってしまうのは少々困り所だ。

ここまできてアイドルマスター界隈でもあり女性オタク界隈でもあるSideMに触れないのも不義理な気もするが、他のアイマスと比べると中途半端しか触れられておらず界隈の雰囲気についてもあまり詳しくないので正直語れる事があまりない。何か言える事があるとすればせいぜい「いい加減Mアニ二期を制作しろ」という事くらいだ。偉そうなタイトルにしておいて肝心な部分がこの体たらくなのは申し訳なく思っている。本当にすまない。

2024-02-23

児童館やべぇ

※注:年齢表記は推測

 

児童センター児童館と言うのか?しらんけど

から雨で行くところがないから3歳の息子と初めて行った

UR抽選なんてありません」ってCMやってるじゃん、

同じように児童センター自分には無縁のもの勘違いしてた

行政がやってるってのが胡散臭いわね、で、敬遠してたんだけど、やっぱやべーわ

 

まずエロい

入り口にはセキュリティが居るし身分証提示してカード作らないと入れない

施設性質上お家の延長みたいなムード演出してる

お陰でがっつり無防備JSキュロット生足でツイスターやってんの

俺の2m先で

これ撮影したら普通に商品になりますからね、みたいな、ヤバい

親とかいねぇし

 

3歳0歳を連れた父親は0歳をマットにうつ伏せに寝かせて放置してんの

ご丁寧に頭までジャケットかけて、暗くしてやろうって気遣いかしらんが

(シルエットで中に子供が寝てるのはわかる)

ママみたら絶叫発狂するやつ

他のママが「この子の親どこ、大丈夫」つてたわ

父親は離れたところで3歳に夢中でまったく監視してない

つかスマホ見てるし

 

別の所では疲労限界なんだろう、5歳を遊ばせて0歳を抱っこしたまま壁で寝てるママがいる

 

三つ編みの先を脱色させてる子3人連れた元ヤン茶髪ママもいるし

 

アルミサッシの入り口はほぼ開けっ放し

閉めるやついね

ほとんど複数人で来てるから先頭が開けて最後尾は閉めないってのが繰り返される

その度に閉めに行くママ

 

エレクトーン爆音練習してるわ

 

大絶叫でUNOやってるグループはいるわ

 

キッズなんちゃらとか有料商業施設に行くこともあるが、そういうところとは空気感がぜんぜん違うのよ

児童センターは家から近いし緊張感が違うんだろう。

 

雨で客が多かったせいもあるんだろうけどカオス過ぎて笑った

キングダムビジネス書にするな

キングダムってマンガがある。

古代中国春秋戦国時代の秦が舞台の一大歴史絵巻。

もしくは、信という名の下僕のガキが気合根性と拳でトップを目指すヤンキーマンガ

俺はマンガを読んでない。キングダムアニメで知った。


キングダムファンはたくさんいるそうだ。けど正直この作品は俺にはキツい。

5シーズン途中まで全部観たけど、やっぱりキツかった。

何がキツいって、あの半沢直樹とか下町ロケットみたいな浪花節なノリが。

やりがい搾取気合根性強要私怨で動く上司、顧みられない無数のヒラたち。

あと作中で「あいつは見込みが」とか「あいつの将の器は」とか「あいつの成長力は」とか人事評価みたいなセリフが頻繁に出てくる。

なんかこういうのも疲れる。いつも自分評価に晒されてるようなあのめんどくさい空気感

氷河期の俺は、古参でありながら実力も付かず大して出世もしない尾平あたりに感情移入する。

尾平視点であの作品を見るとやっぱりキツいわ。


横山三国志とかそういうキツさをまったく感じずに面白く観れるんだけど。


キングダム文句を言うつもりはない。血沸き肉躍るストーリーだし普通に面白い。

けど「キングダムビジネス書だ」とか言ってる連中には苦言を呈しておきたい。


バカじゃねえの。


キングダム好きな経営者がいる会社は100パーセントブラック企業だ。

こういう経営者キングダムから学ぶのは「いかに部下をこき使って自分が成り上がるか」ということだ。

ただの労働者である俺はこういうブラック上司に飛信隊で最初に突っ込まされる歩兵よろしく潰されるだろう。


「お前がいちばんキングダムビジネス書として意識してんじゃん」と言われるだろう。その通り。

ググったかつべ動画だったか、とにかくどこかで見ちゃったんだよなあ、「キングダムビジネス書だ」って。

それを見ちゃったのを今激しく後悔してる。

2024-02-20

anond:20240220125952

個人的PBM的な空気感とかはラノベでは消えてると思う

読者参加型の「シスター・プリンセス」とか「聖エルザクルセイダーズ」も

書籍ゲームではあの空気は読み取れない

ラノベ文化として話す時に、蓬莱とか聖エルザや、メディアミックス系の作品群はちょっと違う感がある

一側面であるのは確かだけど

2024-02-19

anond:20240219203630

男の集まりに急に女が参加してきた時の正直迷惑だな……って空気感

anond:20240218163247

言うほど2000年代にそんな「俺たちでイベントやろうぜ」みたいな空気感あったか

2024-02-18

ひきこもり業界で有名な人が亡くなった

少し前に、私も知り合いだった人が亡くなった。

40代で、ひきこもり業界で割と有名な人で、ひろゆき議論する番組にも出ていた。

元々引きこもっていた人で、そのうちに支援もするようになった。

SNSの様子からは、亡くなったことは業界人達にとても惜しまれているよう。

私は彼とうっすら知り合いだったけど、深くやりとりすることになったある時期は、3年前。

ひきこもり経験したけどいよいよ親から離れて暮らしてみる事にした時に細かいことをサポートしてもらい始めた。

だけどそうして関わってみると「この人、色々とまずいのでは」と思う部分がたくさん見えてきた。

ジョーク冗談をよくいう彼だったが、その内容がしばしばドン引きするようなセクハラしかないことが多かった。

ハローワークに一緒に行ってもらった時に担当女性のかたに「次回以降〜さんを指名できますか?」とそういうお店かのような言い方でいって、女性はなんとも言えない苦笑いで「できないです」と言っていた。

私はゾッとした。

私とのやり取りで最初は丁寧に優しく接してくれる事もあったが、最後のほうはかなり粗雑に扱ってくるようになり、人前で「こいつ」呼ばわりしてくるようになり、パワーでおしてきてわたしイエスを言わせる方法を取るなどもあっていよいよ信用できなくなってきた。

そういう事もあって私はその彼にサポートされていた形での親から離れる暮らしの話は白紙に戻し別の形を模索した。

彼と関わり続ける事で鬱をぶり返しそうだと思ったのが白紙に戻した大きな理由の一つ。

彼にはそうしたことをどこかで伝えるべきかなとうっすら思っていたら突然死してしまった。

ひきこもり業界は全体的に中高年男性ソーシャルなとこがあって、それが気味悪いので今はいっさい関わらないようにしているため葬儀も何も出ようもなかった。

有志による偲ぶ会なども今後は開かれるようだが彼への高評価や、酷い性格のところを笑える思い出として語るだろうやり取りの場に私は居たくない。

ひきこもり業界になぜあのような彼が姿勢発言を問われずにいられたのだろうかと考えるけど、雑な説明になるが、ひきこもり業界は動けて発言できる経験者が強く大きく重宝され、上役につかせる構造もあるので、問題児だったとしても何か出来ることで見過ごされ見逃されるところが多分ほかのことよりも大きくあると思われる。

彼は発達障害などもあって実際その傾向もあるし、ひきこもり業界は「発達障害なら仕方ない」「個々の発達の特性理解していくべき」という理解の持ち方や空気感も強く大きく、それに支えられていたのだろう。

納得できないまま、それでもみんな大人から、彼の酷さを飲み込んでただけの人がいたのも、見えない事もなかったけども。

だけど今ここに彼によって傷つけられ踏まれ私自身がいるのも間違いないこと。

色々と酷いことを言ったりやったりしながらひきこもり業界構造上見逃される形のまま死んで逃げ切って神格化されやがって……。

などと思うけど、気持ちの悪いひきこもり業界とはもう縁を切っていて今後2度と近づかないから、私には関係ない。

2024-02-14

コインを池に投げ入れる風習歴史はどのようなものなのだろう

その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった

その結果、英語圏歴史解説YouTubeチャンネル発見した

Why Do We Throw Coins in Fountains?

動画字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった

毎年、世界中私たちは噴水から井戸さらにはテーマパーク乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります私たち幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統時代を超えて広まり、その起源古代ローマにまでさかのぼますローマ公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティクコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市観光地収益の一部として寄付されることもあります

要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……

あいいや、元動画見ればわかるし

しか歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない

調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね

あと、この解説アジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている

中国人は願掛けとしてなにかとコインを投げ入れるらしい

その投げ入れる対象対象は池に限らない

中国人が願掛けとして飛行機ジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ

すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ

ひとつ西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパ民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート

もうひとつアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート

二つに分ける意味はあるのか……?

うーん

どうだろう

いか

あるということにして調べよう

映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない

しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする

であれば二つは分けて考えた方がわかりやすいんじゃないか

仮定仮定を重ねていくぅ

あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう

RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した

(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習世界中にありますよ」というもの質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)

キリスト教教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた

そうだよね、非キリスト教的な風習だよね

一神教根付くとこういった民間信仰は排斥されるということか

というわけでイスラム教ユダヤ教コイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね

イスラム教は……情報が全く出てこない

ユダヤ教はなんか出てきた

ラビに「願いを込めて願いの井戸コインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった

解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな

コイン……つまり金属製硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある

貝製の通貨貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域いかな~

パプアニューギニア現在貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった

古代中国だと賽銭貝貨を使っていたらしいけれど

パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない

まあおそらく無さそう

お葬式貝貨精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど…

そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って

ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー

教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった

例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい

いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?

と思って調べ始めたがなかなか調べるのが楽しいテーマだった

そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか

まあまあ、結論を急ぐことはない

もうちょっと調べましょうね

賽銭トレヴィの泉を一括りにして包括的投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない

こんな面白そうなテーマ絶対先行研究あるって

投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな

……といった感じで調べた内容を一旦メモ

日記

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そうだ、キリスト教には守護聖人という概念があるじゃないか

太宰府天満宮菅原道真公のような受験学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること

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全然みつからんな、受験生が守護聖人にお祈りみたいな話

なんか守護聖人がどのようなものか、みたいな認識根本からずれているのかもしれない

いい加減体系的にキリスト教勉強しなきゃ立ちいかなくなってきたのかもしれない

2024-02-12

[]2月12日

ご飯

朝:スナック菓子。昼:なし。夜:ハンバーガー。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。おしごとは、おやすみ

眠い。めちゃくちゃ眠い

睡眠のことしかえれない。

平日はそうでもないから、なんなんだろう、怠惰かなあ。

探偵・癸生川凌介事件譚 泣かない依頼人

携帯電話配信されていたアプリニンテンドースイッチに復刻したADVで、シリーズ化されているものの第十二弾にあたる。

癸生川探偵事務所小学生依頼人が訪れることからまり、幾つかの謎が同時並行的に展開していく。

学校に来ない小学生ウサギ殺害事件、数ヶ月前のプールでの事故死、そして殺人事件

目まぐるしく次々と事件が起きていくが、シリーズいつもの面々が事件解決のために右往左往するオーソドックスシナリオになっている。

小学校中学校が主な舞台になるので、聞き込みの対象も生徒や先生学校関係者が中心となる。

生徒サイドは良い意味で今までのシリーズらしくない、キャラクタの可愛らしさが強調されたパートもあり、この辺は結構好みな展開。

個人的には、ウサギアクセサリーを弄る癖がある北村ちゃん可愛いと思ったのでもっと出番が欲しかったところ。

何故ウサギが殺されていたのか、という魅力的な謎が開幕早々に提示されるので開幕の引きはバッチリ

ただ前作と同様にトリックらしいトリック、興味深い論理の飛躍などはないのは好みが別れそう。

この魅力的な謎も、解決を読んだときの納得感は薄く、腑に落ちなかった。

地に足を付いた聞き込みと証拠から犯人を少しづつ浮き彫りにしていく様はゲームにはなっているが、探偵・癸生川凌介事件譚らしさがあるかと言われると悩ましい。

しかし、トリックロジック以外の、小説的な情緒を語る部分もまた探偵・癸生川凌介事件譚のらしさが映えるポイント

そちらの方面バッチリ決まっていた。

今作は人の身勝手な悪意に文量がしっかり割かれていて、犯人が最低で嫌なヤツだからこそ、憤りつつ読み進められた。

小学校中学校舞台なので序盤は朗らかで可愛らしい雰囲気で進み、殺人事件が起きてもなおどこか優しい空気感がある。

ところが、それらの可愛らしさがとある証拠発見を境に一転するのが恐ろしい。

この人間の底知れぬ悪意を端的な文章で切り込んでくれるのは、興味深く楽しめたポイントだった。

シリーズとしては、シーズン2はこれで終わりで、13作目からシーズン3としてまた別のライターさんが手がけることになる。

前作あねの壁も今作も、ミステリとしてはあっさり目ながら、情緒的な部分で探偵・癸生川凌介事件譚をやろうという気概は感じられて、これはこれで楽しめたシリーズだった。

anond:20240211025850

あーそういわれれば、推し活なんて大っぴらに言える空気って昔はなかったのかも

俳優タレント個人が好きで興行見るのって、趣味の人として下というか

演劇だの舞台だの映画だのショーだの、全体としての作品を鑑賞するのが大人趣味であって

その中の一個人タレントが好きで見る、って、頭の悪い子供の楽しみ方みたいな空気感はあったような

まあそんな中で自分アイドルにハマってたけど、大っぴらに人に言えるようなもんではないと思ってたな

2024-02-11

政治評論家保守系言論人や保守政党手法はとてつもなく有効

政治評論家推している党や政治家スキャンダル炎上しても『皆さん知らないでしょうけどこれ実は全然したことなくて、むしろ普通ことなんです』と笑い飛ばし解説したら、知識のない大衆空気感だけ読んで勝手に納得して叩くのを止めてくれる」


政治評論家「また、対立政党との闘い方に関しては、使命感を持って戦う姿勢を真面目に見せるのではなく、スクールカースト最下層を気軽に揶揄する調子でひたすらからかって笑い者にする姿勢を徹底したほうが対立政党へのダメージが大きくなる。民主党はこの手法によって支持を壊滅的に失った」








この画期的手法平成末期頃からようやく発明されたのはなぜ?

2024-02-10

自分女だけど「ラブホに入った」は「性行為同意」と取られても仕方ないと思う

今さっき高校時代友達と飲んでて恋愛相談とかからラブホに入った=性行為同意」なのかみたいな話になったんだけど、

くらいの空気感だった。

この辺の価値観年代とか属してきたコミュニティによって違うだろうからこれが女性の総意とは思わないでほしいのだけど、少なくともこういう考え方の女はいから

男性諸君に置かれましては、相手価値観を見極めた上で極度に心配せずに誘ってほしい。

以下思ったこ

というか感覚値としてはXのフェミニストみたいな主張を現実世界で声高に叫んでるような女は見たこと無い。インプレッション稼ぎのために極端な主張をしてるだと思う。

一応スペックを書いとくと、自分20代後半。一緒に飲んでた友達は3人で、内二人は結婚済み、もう一人は交際中。一人は宮廷修士まで行って学生結婚。他は宮廷MARCH学部卒。皆働いてる。

学歴煽りをしたいわけじゃないんだが、経験の差っていうのは多少なりともあるんだろうなって思った。大学行けば自然に「あ、こいつ誘ってきてるな」って察知して適切に回避する方法を身に着けられるだろうし。

じゃあ、そういうスキルを得る機会が無いまま社会に放たれた中卒・高卒の人をどう保護するかっていったら、それはまあ教育しかないでしょうと。

家庭科か保健の授業で扱ったらいいのにね。

2024-02-09

女性は総じて自己肯定感が低いのか

男性向け漫画女性向け漫画の違いは何かなーって考えた時、

女性向け漫画の8割が「他者の目を気にしてる」話だと思った。

恋したりもするけれど、それだけだと話が膨らまないか

他人にどう思われるかを気にして、ささいなことに悩み、

諍いが起こったり仲良くなったり。

そういえば妻からもそんな話が多かった。

〜なことしたら訝しく思うママいるかもしれないとか

冗談好きな自分だが、ママ友と話す時に冗談を言うと

あとで「ああいうこと言うのやめて!」おかしな人って思われる!と怒られる。

男性向け漫画他者目線を気にすることがほんと少ない。

悟空とか「他人の目」とかほんと概念すら無い感じ。

強いやつと戦いたい、それだけ。

まわりは結構迷惑してるよな。悟空気にしないけど。

そう考えると女性て生きるのしんどいだろうね。

いろんな社会問題に直接的に問題解決しようとせず、

世間の声を作って空気感解決しようとするのわかる。

結婚してない→他人から結婚しないの?」と聞かれる

→聞かれるな嫌だけど直接反対できない→そう言うこと聞いちゃダメ!ていう世間の声を作る

て感じに動くよね。

「聞かないで」と伝えるだけで解決できるのにわざわざ遠回りする。

他人の目を気にしすぎて不幸になってると思うのだけど

男のようにサラッと生きるのは無理なんかなあ。

anond:20240209074731

俺さ違和感あるんだよね。

小学館編集側のコメントってめっちゃ意訳するけど

私たち意向を伝えた上で、原作者意向にそって脚本をしっかりと全編書き下ろしてもらいました。」

ドラマは全編、原作者の描き下ろしだよ。安心してね。」

違くない?

小学館側がドラマ制作に対してしっかりと原作者意向を伝えていれば、そもそもこんな事にならんでしょって具合で。

制作が持ってきた脚本原作者に何度も書き直しさせて、結果脚本原作者意向を反映させる事で100%仕事をしたんですって事でしょ。

でも、その書き直しが原作者疲弊させた訳で、それって小学館テレビ局同士のネゴシエーションの不備で発生した問題じゃん。

なんで、小学館側が私達は仕事をしたんです…みたいな空気感になってるのか、問題がどこなのかわかってなさそうでマジで怖いんだけど。

anond:20240209021355

案外騒がれないよ。

かにそっと見てるだけになる。

オープンスケベキャラで売ってるやつも謎に特に何も言及しないみたいな変な空気感になるだけ。

anond:20240209024920

原作を借りている身なのに、手を加えられて不愉快に思うことがそもそも間違いなんだけどね。まあ躾のなっていない犬が可哀想なのと同様に、著作者人格権理解しないでなあなあでやってこれた空気感被害者とも言えるんだけど。

anond:20240208233948

読んでいたらベリーダンス描写原作者に苦言を呈されるほどひどくはならなかったと思う。過去にも脚本家原作読んでいないことを自白したケースもあるし、それでいいっていう空気感なんじゃないのかな。

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