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2024-10-06

なにわ男子結成6周年によせて

10月6日

この日が巡る度、毎年思い出す。

しんどかったな~って笑


ハッシュタグの飛び交う中、嬉しいのに純粋に120%この日を喜べない思いを消化し、きちんと喜べる日にしようとこの日記を書きました。

そもそも何故なにわ男子の結成日が『6日』なのかと言うと、Duet、POTATOWink UP所謂『3誌』の発売日だからである

なにわ男子の結成は上記3誌で発表された為、発売日の2018年10月6日と相成った。

どこのユニットもほぼそうだと思うが、結成日と言いつつ正確には結成『発表』日である


2018年10月5日

早売り情報が流れて来たり、見ない様に流れて来ない様にしたりの毎月であるが、この日この情報を見なかった関ジュオタクはいないと思う。

関ジュに新ユニット『なにわ男子』』。

メンバー西畑大吾大西流星道枝駿佑高橋恭平長尾謙杜、藤原丈一郎大橋和也

今と同じ7人である


メンバーが発表されたことで、この短文の情報がありとあらゆる関ジュオタクに混乱をもたらせてしまった。

·MAIN活動していたのは西畑大吾向井康二大西流星室龍太の4人だったのに4人中2人の名前が無い。

関ジュMAINの2人が。

年齢的にオタクも焦っていたと思うので、下から下克上を起こされ、省かれた様な空気が流れた。


·藤原丈一郎·大橋和也公式ユニット加入も、Funky8と言う屋良朝幸くんの作ってくれたユニット事実上自然解散を思い知らされない訳にはいかなかった。

ちゃんFunky8の赤なのだから

『リューン』の時に丈ちゃんが言っていた『3列目の逆襲』が本格的に始まったのである


·当時の関ジュ結構明確に下記の序列があった。

西畑大吾

⬇️

向井康二

⬇️

大西流星·室龍太

⬇️

高橋恭平·道枝駿佑·長尾謙杜(信号トリオ)

⬇️

正門良規·小島健(もんビバ)

⬇️

西村拓哉·大西風雅·嶋﨑斗亜·岡﨑彪太郎·當間琉巧(ちび5)

⬇️

藤原丈一郎·大橋和也·林真鳥·古謝那伊留·朝田淳弥·今江大地·末澤誠也·草間リチャード敬太

⬇️

※は場合によって入れ替わっていた様に思う。

此処のもんビバを飛び越えてしまたことにより、もんビバ担にも衝撃が走った。

こじけんは兎も角、この年はれんれんのデビュー年でもあり、当時の関ジュからするとユニットもないのに『デビュー』なんて言葉が思いついている訳もなく、同期の正門くんも『早くデビューしてほしい』どころか『やめないで』と言った不安気持ちが何処と無く漂っている時期であった。


そんなこんなで、なにわ男子と言うたった7人のユニットが結成されたことにより、ほぼ関ジュオタク全員をゆるがす大事件となってしまった。


当時私は関ジュ担のTwitterに住んでいたが、あの日の凍った空気は忘れられない。

オタク同士のTLなので激昂する様なヤバいはいなかったが、

·なにわ男子以外の担当ツイートできない。

(今後の自担が何も見えていない中でとてもじゃないけど『おめでとう』等言える心境ではない)


·なにわ男子担当ツイートできない。

(そんな空気の中でとてもじゃないけど喜べない)

正に文字通り突然地獄の様なTLとなった。

私は当時からなにわ男子メンバー担当であったが、例に漏れず誰からも『おめでとう』とは言ってもらえなかったし、自分自身も何も発信出来る空気感ではなかった。

(兄組の担当さんはまた違ったのかもしれない)


色々書いたが空気的にはやはり『康二くんは?』と言うみんなの思いが1番強かった様に思う。


そんな一夜にして訪れた問題の数々をオタク解決出来る訳も無く、私達にはその時『Fall in Love』と言う梅芸公演が迫っており、常に目の前に見えていながらその問題は一旦見ない、と言った本当に無理矢理な方法で終わった。


勿論なにわ男子に入る入らないで関ジュオタク同士がお互いを好きになる訳でも嫌いになる訳でもなく、複雑なその問題は受け止めつつ華麗にスルーする運びとなった。


関西Jr.バリバリサウンド、略して関バリと言うラジオ番組は当時藤原丈一郎·大橋和也·正門良規·高橋恭平の4人がレギュラーメンバーとして放送されていた。

丈くんの面白さ、正門くんのフォロー、橋橋のおバカ加減が絶妙バランスで、この中に担当がいない私も当時は毎週楽しみに聴いていた。

メンバーを見てお分かりのことと思うが、4人中3人がなにわ男子となった。

此処もまた地獄絵図である

生放送だったので同じ時間軸で進んでおり、なにわ男子が結成されて初めての放送を固唾を飲んで聞いていた。

挨拶は変わらず、『関西ジャニーズJr.藤原丈一郎』『大橋和也』『正門良規』『高橋恭平です!』で始まった。

ユニット名を名乗らないどころか、その日の放送ではなにわ男子が結成された話は1mmも出なかった。

こんな大きなニュース近年の彼等に無かった筈なのに。

彼等もまたオタクと同じ様に、『なにわ男子を一旦スルー』することを、なにわ男子も、なにわ男子以外も、選択していた。

彼等もきっと、苦しんでいた。

私は、『あの大らかそうな正門くんでもこんな空気になってしまうのか』とことの重大さを改めて思い知ることとなった。


一方で、その頃丈くんは『タイヨウのうた』と言うふぉ~ゆ~辰巳くん主演の舞台にも出演していた。

当時なにわ男子は勿論関ジュも今みたいな爆発的人気はなかった為、この舞台も当日券で、大阪初日観劇することが出来た。

そこには、最後カーテンコールで『なにわ男子藤原丈一郎です。』と挨拶をする丈くんがいた。

『僕、今初めてお客様の前で『なにわ男子』って言いました』と嬉しそうに言っていた。

関西ジャニーズJr.が他に誰もいないこの空間で、初めて丈くんは何にもとらわれず自由に『なにわ男子』を出すことが出来ていた。


話は戻るが、SNSでの反応が芸能人に届かない時代でもなく、恐らくなにわ男子自身が1番反対されている空気感を感じ取っていた(SNSでは応援より批判の声が常に大きいしね)。

それが梅芸初日に立ってみて『応援されていることが分かって安心した』と言う様な彼等の当時の発言に繋がっていたと思う。


梅芸が終わり、クリパが終わり、序列が変わったことをオタクは口に出さずに徐々に受け入れて行くしかなかった。


そんな時にまたしても大事件が勃発する。

それが、『向井康二Snow Manへの加入』である


2019年1月4日18時公演。

私は入っていなかったが、同日に3公演もあり、それぞれを観ていたオタク10人近くと夜に打ち上げと言う名の新年会をすることになっていた。

終演後、出て来たオタク達は精神状態がかなりボロボロであった。

ROTでも取り上げられているし、素顔4でも発売されたが、公演があんな状況であった。

マイドリでみんなが泣いている。

楽しくみんなで呑む筈が、まるでお通夜である

今迄ああ言う時の関ジュは誰かが辞める時であり、『この人が辞める訳では無いと思う』『こっちかなぁ?』『何だったんだろう?』と解散する迄ひたすら答えの出ない議論が繰り広げられた。


そこから約2週間後、私達は涙の意味を知ることになる。

康二くんのSnowMan加入は彼に残された最後のチャンスであったことは誰の目にも明らかであり、喜ばない人はいなかった半面、あんなに関西を愛して来た彼が何故東ジュにならないといけないのか。

しょおれんのトラウマもあり、またなにわ男子は叩かれた。


そんな中、希望が見え始めたのが『Lilかんさい』の結成である

私はユニットが『なにわ男子』だけでなくなったことに心底安堵した。

元々『ちび5』として非公認ながら5人でいることが多かった為、こちらは誰も増えず欠けず、すんなり受け入れられた様に思う。


そして『Aぇ!group』の結成。

Funky6の行方が知れない中での末澤·草間、そして間にいたもんビバの活動保証されたことで、なにわ男子担的にも自担の長年のツレが多いユニットであり、『良かったね』と言う雰囲気であった。

立て続けのユニット結成であり、非加入組担にも既に『関ジュは変わってしまった。仕方がない』と言う空気も流れていた。

こうして、『一方的に叩かれ続けたなにわ男子』はこの辺でふんわりと歴史を閉じることとなる。


その後、龍太くんも俳優専業となり、真鳥くんも振付師への転向朝田くんは3月の春松竹で退所と、徐々にみんなの道が決まって行った。


夏の8·8で、康二くんは加入から7ヶ月でデビュー組への階段を昇ることが決まり、同じく夏にAぇ!groupはなにわ男子より先に単独関西ツアーを回ることになった。

なにわ男子デビュー発表はそこからおよそ2年先である


何だ、普通にお互いちゃんとしたライバルだったんじゃん。

(しかも結果康二くんにはデビュー、Aぇには単独で負ける)

叩かれたのは何だったのか。

Aぇが出来たことによりこれで叩かれなくて済む、と言う安堵感と、モヤッと感と。

そこから何年も経ち、なにわ男子が出来てからファンデビューしてからファンがもりもり増え、何のしがらみもなく純粋に喜ぶ人が沢山増えた。


10月6日は、私にこの1年弱の色々な感情を思い出させる日にちなのであった。

数年のもやもやを書ききって浄化させたので、これからは私も幸せ気持ちだけでお祝いしたい。


読んでいただきありがとうございました。

 
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