はてなキーワード: 入団とは
twitterで、ロリコンの権利向上を訴える人に向かって、子供と大人は権力構造があるから云々と的外れな非難を浴びせ、それに反差別・リベラルを掲げる面々が賛同のリツイートしまくってたのが気味が悪くて限界だった。もうほんとおめーらのそのロリコン差別意識をどうにかしろよ。
実在の子どもとセックスするのは(たとえ子どもの「同意」があっても)犯罪。オーケー。異存はない。
実在の子どもを被写体にしたポルノは取り締まられねばならない。オーケー。別件捜査の口実になるとかそういう運用上の懸念はあるが、単純所持の禁止それ自体に異論はない。
(個人的には2回目までは廃棄命令で済ませて3回目以降はじめて送検するというスリーストライク方式でもいいんじゃないのと思うが、それは処罰のやり方への異議であり単純所持禁止そのものには賛成する)
ゆえにロリコンに冷たい目が向けられるのは仕方ない。これは差別ではない。ホワット? ちょっと何言ってるのかわからない。
ロリコンだろうがゲイだろうが成人に欲情する異性愛者だろうが、子どもとセックスしたり子どもを被写体にしたポルノを持ってはいけない。この主張は明瞭でまっとうだ。
なのに、なぜそこにロリコン差別を混ぜ込む必要があるんだろう?
子どもをレイプした男が「いや俺には同年代の妻がいるし、学生時代も同年代の人とばかり付き合ってきたから、俺はロリコンじゃないんだ!」と言ったら罪を軽くすべきとか思うの?
小児にしか欲情できない、というのは、異性にしか欲情できないとか、同性じゃないと性愛の対象として見れないとか、どんな人をも性的欲望の対象にできないとか、そういったものと同じ、単なる性指向の一種にすぎない。
その属性をまとめて蔑視し、彼らの権利向上に反対するのが差別じゃなくてなんなんだろうか。こんな主張が反差別・リベラルの側から流れてくるというのは、反差別を掲げるリベラリストとして地獄感がある。
「ゲイは対等な相手と恋愛/セックスすることが可能だけど、ロリコンはそうじゃないからゲイとは違う」という議論もある。
えっ? ゲイの人たちが求めてたのって「好きな相手と堂々と恋愛/セックスする権利」だけだったの? 違うでしょ?
ゲイであるからといって社会的に差別されない、ゲイ向けの表現をゲイ向けであるという理由で排斥されない、ってのもゲイの権利向上で、ロリコンがそれらの権利を求めることはまったくおかしくないよね。
それこそゲイの中にも非モテとか結婚する気のない人とかはいるだろうけど、だからといって彼らは同性婚には縁がないんだからゲイの権利向上を訴える理由はない、なんてわけがない。
もっと言えば、仮に実際のロリに手を出したやつだったとしても、ロリコン差別に怒っていいんだよ。男をレイプしたゲイだってゲイ差別に怒る権利があるのと同じ。
なぜなら、そいつらの罪はレイプしたことであって、ロリコンであることやゲイであることじゃないからだ。
そいつらは性犯罪者として刑務所に入れられるべきだが、誰もロリコンやゲイであることを理由に投獄されるべきじゃない。
ペドファイルの権利とゲイの権利は切り離せないんだよ。ロリコンを変態と蔑視していいなら、伝統的価値観からいえばゲイだって変態だろ。で、ゲイを差別するその伝統的価値観は間違ってるよな?
子どもを性的に見るなんてこわい、という主張をする人も見かけた。悪いが、ゲイの入団を認めたらロッカールームでケツ掘られる! とかわめいていた連中のことを想像してしまう。
中学校の頃、近所の公園はゲイのハッテン場だから気をつけろ、と言われて、夜に通るときなんかはビクビクしていたが、冷静に考えたらあれは差別だよな。
こわいと思うのは仕方ない、生理的反応だもの。それこそ、ゲイを見てうわキモッと内心で思ってしまうことまで止めることはできない。
でもそれを公共圏に持ち出して特定の集団を差別していいはずがない。
というか公共圏じゃなくても、差別的な反応は内省した方がいいし、内省しないにしてもせめて表に出さない方がいい。もうちょっと自由主義的にいうなら、出してもいいけど、出すなら差別者だと馬鹿にされることを覚悟してね。
何度も言うけど、実在の子どもへの性虐待とか、もっと広範に、立場が上の者、権力を持っている者からの虐待やハラスメントは積極的に罰していくべき、あるいは重罰を科すべき、という主張なら賛同する。
ウケるわ。
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TEL 03-6436-0035 FAX 03-6436-0851
創業者理事 松永 昭弘(現 株式会社ペアレンツ 代表取締役会長)
理事 阪口 富左雄(現 株式会社ONETOPJAPAN代表取締役)
理事 川口 英幸(現 株式会社グローバルキャスト 代表取締役社長)
特別顧問 碓井 誠(現 株式会社オピニオン代表取締役、現 京都大学 経営管理大学院 特別教授)
特別顧問 中村 幸雄(元 損保ジャパン株式会社 代表取締役専務執行役員)
特別顧問 桂 照男(現 企業年金連合会 コンプライアンスオフィサー)
スペシャルサポーター 香川 真司
資本金 1000万円
主要取引先 株式会社 三越伊勢丹ホールディングス
AXELERATA Co., Ltd
及川真一朗
住所
事業内容
合同会社officeYAMAMOTO
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷5−21−7第五瑞穂ビル4階
Address: Harju maakond, Tallinn, Kesklinna linnaosa, Narva mnt 5, 10117
E-mail: contact@coin-otaku.com
社 名 株式会社Vuetech
住 所 〒169-0072 東京都新宿区大久保1丁目1-11
顧 問 ART会計事務所
特に首都圏では多くのアマチュアオーケストラがあります。4月からの就職、進学、転勤等で活動の場が変わった人は新しい団体を探す人もいると思います。
また、楽器を習っていて始めてアマチュアオーケストラを始めたい、と思う人もいると思います。
知り合いに直接紹介してもらうという手も無いわけではありませんが、特別な理由(紹介してくれた人と活動したいなど)がなければ自分で探すことをお薦めします。
まれにHPがなかったり、更新が滞っているところもありますが。
こういう団体はHPのメンテナンスが出来ないほど人不足か、募集をしていない(内輪だけで活動したい) のだと思います。募集をしていないような団体であれば知り合いのつてがなければ入団は不可能でしょう。
アマオケの人不足は技術力不足と鶏と卵の関係にあります。人不足だけど技術力は高い団体があれば、それはもっと大きな闇を抱えているに違いありません。
例えば、指揮者が横暴であったり、一部の中心人物が牛耳っているなど。
さて本題の、自分にあった団体の見極めかたですが、まずはHPで過去の演奏会の履歴を調べます。これによりだいたいの団体の規模(人数)が分かります。大きく分けて2管編成なのか4管編成なのか。
次に曲の選び方として弦楽合奏があるかないか、協奏曲があるかないか、協奏曲のソリストは団内か否か。
どのような曲が多いか?ロシア系ばかりを取り上げている団体、北欧系ばかりを取り上げている団体などもあります。
年に何回の演奏会があるか?
練習回数はどれくらいか?半年程度の期間で20回程度の練習が組まれていると多い方で、少なければ4~5回という団体もあります。
演奏会を見に行きましょう。
観点は、エキストラの割合。プログラムのメンバーリストに記載されている場合があります。記載されていない場合は動態調査しかありませんが、慣れていないと難しいでしょう。
次に演奏の方向性。これは好みになります。演奏の雰囲気が気に入るかどうかです。
次に問い合わせをします。
まず募集があることを確認して、入団を検討しているという意思を表明し、質問します。
一回の演奏会あたりの費用。チケットノルマの有無。その他必要となる費用。
その他としては、団費といったり、合宿費であったり遠征費であったりします。
本来、これらをすべてひっくるめて演奏会費だとおもうのですがね。
一回の演奏会の費用が引っくるめで3万円を越えるとかなり高い方だとおもいます。安いところでは2万円以下です。
しかし、高いところは有名指揮者が来ていたり、高額なソリストを使っていたりするならばありえます。
ホールの使用料は似たり寄ったりです。東京ではサントリーホールが飛び抜けて高い以外は。
これが曖昧な答えしかこなかったり、先に見た演奏会と辻褄が合わなければ、怪しいです。
見学といっても弾かされることが多いです。こちらが団を選ぶように、団側もあなたを査定します。
これで(見学で)お断りされることは滅多にありません、オーディションでなく。私は一度経験がありますが。
見学に行った時期が次の演奏会の時期と比較して、完成度がどのようであるか?を見ると仕上げかたの方向性が見えます。このとき演奏会を見に行って完成度を確認してあることに意味が出てきます。しかし、ほとんどの団体が練習期間によらず、最後の2週間程度で一気に仕上げます。
その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体へ所属することが確定していました。
宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教がダメな理由、自分の生まれた理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。
端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。
子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。
問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。
小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親へ電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。
でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから、大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。
私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています。
子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手のモノマネをしながら弾き語りをしていました。
ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いから歌手になれるぞ」と言いました。
ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。
両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。
その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。
「死にたいと絶望していた時、あなたに出会えて私は生まれ変わった」
「こんな奇跡が起きるなんて」
というような恋の歌にしました。
作曲は最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音でおかしい」と言われました。
その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音を効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。
でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないからもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。
とても綺麗な音でした。
私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。
「何でそんなことがあんたに分かるんだ」
「あんたに私の何がわかるんだ」
「これは私の曲なのに」
それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。
それからは母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。
市のコンクールに応募した時も、音楽事務所にデモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。
それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情が自分の中でどんどんどんどん育っていきました。
負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。
そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメな人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。
団体の創設者へ懺悔の手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者へ手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)
しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。
今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます。
そんな体験があっても、友達に団体の勧誘をすることはやめませんでした。
と言われました。
ついに言われてしまいました。
薄々気付いてはいました。
両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体に出会い、入団し、救われました。
しかし、私は生まれた時からその団体に所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。
「救われた」という経験が無いのです。
もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって「幸せだ」と感じたことなんて無いのです。
「あなたに出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。
沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。
吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。
私は歌手を目指してるのに。
あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかったから。
お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから。
私は本当に歌手になりたいの?
そう言えば最近お父さん家に居ないな。
お母さんも不機嫌なこと多いし。
「幸せって何だろう…?」
気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。
彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。
その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。
音楽の先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。
作曲は自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。
結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学にAO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通の勉強が分からず中退。
その後父親が団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。
母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイトで資金を貯めて一人暮らしを始めました。
団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔の手紙を10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。
そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。
一人暮らしをするようになると、団体の運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。
納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界を幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。
他にも行事とか諸々でお金がガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。
家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人を勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。
母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。
特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣に登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。
(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)
団体への納金以外にも家賃・光熱費・食費・保険料・市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。
恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。
彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。
「勧誘する為に俺に近付いたのか」
「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。
そんな時、久々に大学時代の音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。
彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います。
色んな話をしました。
音楽仲間なのに、私は主に仕事の愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。
とても心が安定した心地良い時間でした。
その後も何度か誘われ、正式に結婚を前提にお付き合いすることになりました。
彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。
そして、彼の家に転がり込むような形で同棲がスタートしました。
彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。
意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体に所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白をしました。
彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。
止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。
同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体や母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。
→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。
「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観。
→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?
最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観。
「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。
団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。
彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、
アホみたいに思えて、
最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。
母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。
あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。
彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣の仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています。
それは彼が音楽関係で仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。
「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います。
ああいう特殊な団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。
子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分も母親と同じように子どもに無意識に何か押し付けてしまいそうで怖い。
団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます。
昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。
仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。
何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は
と、思うってことです。
身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません。
バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。
長々と読んで下さってありがとうございました!
ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。
でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。
夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーのパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間。
なのに終演後、幸せな気持ちで1人帰路につくとき、無性に虚しくなる瞬間がある。
彼女たちは美しい。
美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。
これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体は完璧じゃないことも多い。
入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?とズッコケることもある。
それも含めて宝塚。我々は完璧な舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たちが応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。
夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたものを披露し、大きな拍手を貰っている。
勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女達はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。
私には何もない。
私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。
宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。
でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。
私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。
私は全てを諦めた。
そして就職した。
ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。
「最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画「カイジ」の作者、福本先生の漫画である。
中年の冴えない土木作業員の日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。
だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。
主人公・黒沢が、仲間たちとテレビでサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢は日本の勝利に歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である。
「感動などないっ…!
オレが求めているのは……
オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮
オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!
どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!
いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」
今になって、あぁこれだなぁ、と思った。
私の感動ではない。
証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。
ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校を卒業しなければならない。
そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?
新しい夢を見つけられただろうか。
黒沢はどうしたんだったっけ?
みんなのお弁当にアジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。
私も、私だけの感動があればいいのに。
ドチクショウ。
私は福岡ソフトバンクホークスのファンで、王監督の就任の頃から応援しているので、もうかれこれ22年ほどホークスファンだ。
斉藤和巳は96年のホークスが弱小の頃に高卒で入団してきて、2000年くらいから本格的に活躍し始めたと思う。
2003年の優勝への貢献度合いは凄まじく、一気にエースにのし上がったのはとてもかっこよかった。それまでホークスのエースは工藤不在以降はどうも小粒で。若田部健一、星野順治、田之上慶三郎、ブレイディー・ラジオあたりがエースで。ロドニー・ペドラザ、吉田修司、篠原貴行、岡本克道といったリリーフ陣が踏ん張っていたと思う。
そんな時代を終わらせたのが斉藤和巳だった。2003年〜2005年の強いホークスの象徴が斉藤和巳だ。
それからいろいろあったけれど、とにかくマウンドにいるとワクワクする、夢のあるピッチャーだった。
なのに、本当に何なんだ、あの解説は。
もう2〜3年我慢しているが、いよいよ言う。
斉藤和巳の解説は、日本の解説者の中で圧倒的に最悪のレベルである。
斉藤和巳はとにかくホークスファンに人気がある。そのせいで霞んでいる。
福岡ローカルTVQの「Super Stadium」と題する野球中継でよく解説をしているため、全国の人には知られないが、とにかくひどいのだ。
《実例》
斉藤和巳「え〜〜〜〜〜、そうですねー。8回で5点差というと、え〜〜〜〜〜〜厳しいような感じもするんですが、オリックスのリリーフ陣、ホークスの打線ということを考えるとですね〜〜〜、まだ諦めるような点数ではないかなあ、というところもありますんで、え〜〜〜〜〜あと2回の打線のつながりというものが、非常に〜〜〜ですね〜〜〜〜〜〜、大事になってくるかなぁー、というところですかねぇー。」(ピッチャー、その間に球投げちゃって、実況何も言えず。)
①ホークスファンならみんな知ってることを、時間をかけて言う。
②野球のルール知ってたら誰でもわかる事実を、時間をかけて述べる。
③結論がない。(どのようにせめていくか、というところですかね〜〜〜〜〜、など。)
④「え〜〜〜〜」とか「非常にですね〜〜〜〜〜」みたいな、全く意味のない言葉が長い。(その間にプレーが進む)
斉藤和巳「非常に、一点がほしいばめんでしたので、この一点は大きいですねー」
斉藤和巳「打者は7回失敗できるという点もありますからねー、まあ、それだけ打者は難しいということですねー」
本当にこういうことばっかり言う。本当に。④は純粋に不快で、これが原因で副音声の球場音声のみにすることが多い。
選手時代からあまり間がない人の解説って、臨場感があって、試合を盛り上げる。
最初に聞いたときは、ショックで言葉を失った。呆然。放送事故かと思った。
大げさかな。分かる人いれば嬉しいです。
コナー…アメリカのアサシン←クソゲーのアサシンというならまだわかる
シェイ…離反のアサシン←わかる
アルノ…(最終的に)アサシンではない←こいつ何がしたかったの?入団の動機が恋人の父を殺されたからそれに関与したヤツ全員殺すって完全にサイコパスのそれだし、貴族出のいいとこのおぼっちゃまが何をしてるんだよ。しかもアサシン教団を追放されるわテンプル騎士倒すのが目的ではないわ肝心の恋人は結局死ぬわで、単にフランス革命の混乱をよりグチャグチャにしただけじゃん。ゲーム自体もフランス革命にほぼ絡んでなくて一体何がしたかったのかが不明。アサシン教団追放されたのに終盤マスターアサシンなってるのはどういうこと?エデンの剣の力か?暴れまくってた点ではエツィオに共通するものはあるがこいつは信念もなく行き当たりばったりで人殺しまくるサイコパスだったじゃん。何も共感できるものがない。
Jリーガーだった。
つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。
山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕は落ちた。普通に落ちた。
田舎の中学校に進学した。小さな中学校にはサッカー部はなかった。陸上部に入った。1年生の時に、走り高跳びで県大会入賞した。それでもサッカーをしたくて、1年で陸上部を退部した。放課後は親に車で迎えに来てもらい、片道1時間かけて市外のサッカークラブで練習をしていた。中学校を卒業すると、県内一のサッカー強豪校に一般入試で入った。
サッカー部の部員は100人を超え、県外から入ってきたエリートが沢山いた。僕がかつて落ちたジュニアユース出身で、ユースに昇格できずに入部してきたやつもいた。サッカー部も寮生活も上下関係が厳しかった。4人部屋の寮は、自分以外先輩だった。朝は先輩よりも早く起きた。目覚ましの音で先輩を起こしてはいけないので、目覚まし時計を抱えながら寝て、アラームが鳴って1秒で起きた。6時にはグラウンドに行った。掃除や雑用もこなした。なぜか女子マネは雑用をほとんどやらなくて、1年生が雑用係だった。授業が終わるとダッシュでグラウンドに行き、全体練習の後も居残りをして20時過ぎまで練習をした。100人を超える部員の中で埋もれていた。1年生の秋、部内の身体能力体力テストのとある項目でダントツ1位を取った。テスト全体でもかなりの好成績だった。これがきっかけで、監督が少し目をかけてくれるようになった。
3年生が引退したあと、2軍チームに入るようになった。そのあとすぐに1軍チームのメンバーに入った。高校サッカー選手権予選にはプロクラブのスカウトも来ていた。チームのメンバーで声がかかった人もいる。僕は声がかからなかった。3年生になってすぐ、自転車で転んで手首を骨折した。休んでる間に、期待の1年生にポジションを奪われてメンバー落ちした。最後の全国高校サッカー選手権はスタンドで応援した。目立った活躍もできないまま卒業した。
大学生になって一人暮らしを始めた。プロになることは諦めていた。一応サッカー部に入った。サッカーが好きだったし、就職のことも考えて部活はやっておいた方が良いと思ったからだ。自主練はしなくなり、休みの日は日雇いのアルバイトをした。楽しかった。意識が変わったのは、高校時代の1学年上の先輩の近状を知ってからだ。その先輩は高校3年生当時、就職も進学も決まってなかった。卒業後は地域リーグのクラブとアマチュア契約をしていた。その先輩が地域リーグで活躍し、J2のチームとプロ契約をしたと知った。自分にもチャンスがあるかもしれないと思った。サッカーに真剣に取り組むようになった。3年生の時に、部活の顧問のコネであるJ2チームに練習参加をした。全く練習についていけず、邪魔だから帰れと言われた。なぜか翌年、そこからまた練習参加の打診が来た。手ごたえはあった。これでダメならもうあきらめがついた。そして僕にプロ契約のオファーが届いた。
C契約とよばれるランクの低い契約で、1年契約だった。そのクラブは、J2リーグの中でも資金力がなく、歴史も浅く、リーグ下位のチームだった。当時そのチームは、大学から新加入選手を大量に獲得していて、僕もその1人だった。年俸は詳しく書けないけど200万台だった。そこから税金や年金を払うことになる。そんな待遇だけど、一応Jリーガーとなった僕に周りはチヤホヤしてくれた。両親や恩師はすごく喜んでくれたし、ずっと連絡のなかった地元の知り合いや親戚からいきなり連絡が来たし、サインを頼まれたし、1度も話したことのない大学の女の子から告白されたりした。
ガラガラの会議室で入団会見をして、住み慣れない土地で寮生活を始めた。Jリーガーはチャラいイメージがあるかもしれないけど、田舎だし車もないしで、サッカー以外やることがなかった。チームメイトの車に載せてもらい練習場まで通った。ここから華やかなプロ生活の話でもしたいけど、僕はほとんど試合に出れなかった。僕がプロとして公式戦に立った時間は、2年間で合計100分に満たなかった。100試合じゃなくて100分。遠くから親が試合を観に来てくれたことがあるけど、結局1回しか試合を見せることができなかった。その時の出場時間も6分くらいだった。僕は2年で退団をした。トライアウトも受けたけどプロ契約のオファーはなかった。そしてサッカー選手を引退した。引退した時は冷静だった。自分よりも、両親の方が落ち込んでくれた。
プロをしていてうれしかったことは、社会活動の一環で小学校を訪問したことだ。子どもと一緒にサッカーをした。その時に一緒のグループでサッカーをした男の子が、僕の所属するクラブチームのファンだった。その子は僕の名前も顔も知らなかったけど、それ以来僕の背番号のユニフォームを着て応援に来てくれるようになった。全く試合に出ない僕の背番号のユニフォームで応援やイベントに来てくれた。
引退したサッカー選手はただの一般人だ。僕は所属していたサッカークラブからの斡旋で、某民間企業のインターンシップを半年間受け、その後正社員になった。入社した時期は本当にきつくて、こんな仕事すぐにやめてやろうとか、他にやりたいことを探そうとか思ってたけど、なんだかんだで続いている。サッカーは全くやらなくなった。飲み会で、新しく入ってきた会社の後輩に「ここの会社に入る前はJリーガーをやっていたよ」と言ったら冗談だと思われた。サッカーのことは忘れようとしていた。
昨年末に母が亡くなった。4年ぶりに実家に帰った。実家の片付けをしていたら、母が保存していたスクラップブックが出てきた。小学生の時に県選抜に選ばれた時の広報、高校時代のチームの結果が載った新聞記事、サッカー部員として大学のパンフレットに載った時の写真、入団が決まった時の記事、Webで配信されたニュース記事を印刷したもの、僕の試合を観に来てくれた時のチケットの半券、試合のチラシ、とにかく何でもスクラップしていた。今までのサッカー人生と、母の思いに涙が止まらなくなった。たった2年間でも、プロとしてユニフォームを着れたことを誇りに思っている。
偉大なる元増田様 ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052
キャッシュ(ttp://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ttp://anond.hatelabo.jp/20170117145052)
http://anond.hatelabo.jp/20161223021717
・この頃にやる夫が出てくる
・「ニコニコ大会議2008」が行われる。
※現在行われている超会議とは違い、Appleの新製品発表会のような形式だった。
・ぼっさん消える
・iPhone 3Gがソフトバンクモバイルにより日本で発売
・流行:「あなたとは違うんです」「ローゼン麻生」「ゆっくりしていってね!!!」「毎日変態新聞」「いいえ、ケフィアです。」「●●はわしが育てた」「ビッグウェーブ」
https://www.youtube.com/watch?v=ayPUF-AnoxQ
・「なんJ大虐殺」発生。野球ch住民によりなんJが侵略され、今に至る。
・長島☆自演乙☆雄一郎がK-1初参戦
・流行:「お口の中がたかゆきでいっぱいだよお…」「裸で何が悪い」「白いクスリ」「※ただしイケメンに限る」「私女だけど彼氏の財布がマジックテープ式だった 死にたい。。」
・韓国から2chへのDoS攻撃が頻発。不幸にもデータセンターに米国政府関係のサーバが同居しており、CIAキレる
・改正著作権法が施行。違法なインターネット配信による音楽・映像を違法と知りながらダウンロード(複製)することが、私的使用目的でも権利侵害に。
・流行:「エルシャダイ」「イカ娘」「本田△」「〜なう」「んでんでんでwww」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12664125
https://www.youtube.com/watch?v=pj2WS_vZJoY
https://www.youtube.com/watch?v=tKhbJNSX3UI
・地震でネットや電気が寸断されたせいか、2chのニュー速から東北の県名が名前に入ってた人が消える
・ジョブズ死去
・「ぽぽぽぽ〜ん」「まどマギ」「セシウムさん」「乗らなきゃこのビッグウェーブに」「スーパーで水を発見して喜んだら大五郎だった」「ひなた!膣内(なか)で出すぞ!」
https://www.youtube.com/watch?v=kB1Z-OAxD4g
・虚構新聞の記事「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」に釣られた人たちが原因で騒動に
・流行語:「ステマ」「アドセンスクリックお願いします」「嫌儲」「ホモォ」
https://www.youtube.com/watch?v=B66CU71Bf7A
・47氏死去
「2ちゃんねる個人情報流出事件」が発生
・ニコ動の歌い手が未成年女子と淫行で逮捕。「やばいと思ったが、性欲を抑えきれなかった」
・元NSA職員エドワード・スノーデンがNSAの個人情報収集手口を告発
・「今でしょ!」「倍返しだ!」「駆逐してやる」「にゃんぱすー」
・Jimがひろゆきを追い出す
・「2ちゃんねるお家騒動」発生。字幕.inを運営する矢野さとるによりopen2ch、2chを追い出されたひろゆきにより2ch.scが作られ、以降2ちゃんねるは三つ巴の戦いになる。
・「がんばれ♥がんばれ♥」
・例の紐
・東京オリンピックエンブレムパクリ疑惑に関連し、「ネット民」という単語がTVのニュース番組で取り上げられる
・オイルマッチ炎上配信。翌日消火器などの防災用品が飛ぶように売れる
・はてな匿名ダイアリーが発端で「保育園落ちた日本死ね」が話題に
珍しい(?)ユースサッカー漫画
主人公は感性のプレイヤーで直情的なワンマンと思いきや実は俯瞰能力があってときどき鋭いプレーをするタイプ
中学最後の試合で相手にチームメイトを馬鹿にされて切れちゃって負けちゃったところを、ユースの監督に見初められてユースの入団試験受けに行く
ぐいぐい読ませる漫画だね
曽田正人とかとベクトルが似てる気がする漫画ですごく漫画としてうまいなと思った
作者全然しらんけど
なんか監督見ててジャイアントキリングのたつみ思い出したな―
凄い選手だったけどケガしちゃったっての
サッカー全然興味ないけどそれでもぐいぐい読ませるのすごいなー
カペタとかジャイキリ、昴、アイシールド21とかと似た感じだな
フットボールネーションも面白かったけど個人的にはこっちのほうが好きだな
もちろんこっちも理論は一応あるけど
語らずに表情や絵でみせる漫画ならではのよさがこっちのほうがある気がする
あっちは理論のオマケに絵がついてる感じ
扉絵を地味に楽しみにしてた
想像してみて欲しい、プロ野球で、選手が全員外国人登録(日本人選手も)で、試合出場4人までの制限が無く、シーズン中どころか毎試合でも自由に移籍可能な状態を。(つまりドラフトとか関係無く自由に入団し自由に移籍できるって事ね)
これに近いフリーランスの天国状態が実現されているのがプロのアニメーターだ。
プロ野球の1軍は12球団しか無いけど、アニメ会社は野球よりもサッカーのJ1・J2・J3に張り合えそうなくらいの数はあるし。
それで全国に数千人?くらいのプロアニメーターが、移籍の超流動性による人材プールを形成している。
現状は、アニメーター側から見れば仕事は選び放題。上手い人順というヒエラルキーはあるが。
発注側(雇用側)から見ると、番組作る為にはとにかくアニメーターの人数確保が大切。だが強い引き留めは諦めてる状態。どうせみんな掛け持ちで仕事してるから。(保険も掛けて分割発注する結果、番組にクレジットされる原画の人数が増える増える)
会社に社員として所属する事による労働法制的な保護こそ無いが、国家が保護している訳でも無いフリーランスの集団が市場経済的にこんなに強い立場なのは凄い事だと思う。海外アニメ会社とCGアニメ会社、という新興勢力の存在で仕事の単価こそ青天井という訳にもいかず抑えられてはいるが。
この環境に問題点が有るとすれば、上手いアニメーターにとっては天国でも、入ったばかりの新人が仕事を選べるレベルにまで成長するのは大変な事と、アニメ制作会社にとっては新人をプロにまで育てるインセンティブというか利点がほとんど無いという事だ。
結局育てても育てても上手い人から順に上記人材プールに入ってしまうので。
現在新人アニメーターを育てる余裕のある会社は、定着率の低さに目をつぶる余裕のある会社とほぼ同義だ。
それでも採用する会社が有るのは、社員アニメーターも若干名は必要な事とか、業界に貢献したいとか色々動機は有るかと。社員にしても社会保険が有っても、辞めるときには辞められちゃうのですが。
個人的には新人の育成なんて、給料がゼロで食住だけ会社が面倒みる徒弟制度でいいだろう、とも思うのですが、アニメーターも成果物を納品する製造業でありその労働者でもある、という性質上難しいのでしょうか。同じ理由で移籍とか保有とかのプロスポーツの仕組みもちょっと使いにくそうです(あれも選手を労働者と思うと凄い仕組みですが)。
新人が会社入ってから苦労しない為には、大学や専門学校がプロ原画レベルまで仕上げてから会社に送り込んでくるのが一つの案ですが、たぶん学費が高くなるのと、脱落のふるいにかかるのが学校の中とか入試に移るだけなんじゃないかという問題も。
これ、アニメーターに限らず高度な知識と技能を持った人材を欲しい業種はみんな抱えてる問題なのではないか。医師なんかは、就職後の収入も養成学校の学費も高いのが社会的に許容されてる訳ですけれども。マンガ界はpixivや同人誌で、学校教育よりもアマチュアの集団の蓄積が非常に大きい事が人材供給源として機能しているので、アニメ界も学校の部活やネット上のUGCを支援するといいのかなー。
・自営の人が少なく、いざというときに動ける人がいない。
昔は自営や地域で働いている人も多く、火事や災害時に割と自由に身動き取れたと思うが
今は遠方に勤めているようなサラリーマンも多く、呼び出しがあってもなかなか自由に動けない。
また大会前の練習なども仕事の関係で出れない人が多く、なかなかうまく回らない。
自分の場合は、会社があまり消防団に対して理解がないのでつらいところ。
・入団者がいないためやめられない。
昔は10年程度で上がることができたようだけど、今入る人たちは20年コースが見えている。
・幽霊部員
部員の定員が決まっているため、新入部員が入ってこない場合、幽霊部員をやめさせることができない。
うちの部は連絡網が携帯電話からLINEになってしまった。LINE簡単すぎて・・・
ただいざと言う時は携帯電話でも連絡できないとまずいのでLINE使ってばかりもよくないかなと思う。
あとは連絡網自体は携帯と固定電話両方書かれたものが存在するけど、固定電話は携帯電話以上に使われてない。
そして固定電話持たない家も出始めている。
・大会めんどくさい
操法や規律訓練自体は興味ないけど、上が命令出して、下が従ってなど、指揮系統を機能させるための訓練だと思っているので受け入れます。
あとは大会前にポンプなどが動くかどうかのチェックしたりするので、機材チェックのための大会とも思ってます。
あとは他地域の消防団員の顔を覚えられたりするので、災害時に他の隊と連携しやすくなるかなとか。
部員同士が横のつながりを持つために必要だと思ってます。あとは連絡網の確認にもなってるので仕方ないなと。
うちの場合は、大会2週間前から平日のみ、夜1時間だけ練習してる。
とくに気合い入れてる人もいないので、本番失敗しなければいいよねという空気。
うちのところは、大会成績のトップとビリが上の大会へ進むと言うシステムなので
ビリをとらないようには気をつけている。
・酒飲みすぎ
私は酒好きなので気になりません。
あとは練習に参加できない人も多いので、大会後の慰労会などがないとコミュニケーションとる機会がない。
うちの消防団だと呼ぶ場合は忘年会などで、年に1~2回あるかどうか。
元エントリでは案の定田舎disになっとりますが、消えたとされる分は出てきてる団員の腹の中に収まった後(消化後)だろうな~とw
ブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20161001165535 に答えて、
id:comzoo “ポンプやらホースやらの機材整備の費用は自治会持ち” 消火栓とホース格納箱についてはそうですけど、ウチの市はポンプ車両・可搬とかは自治体(市)の備品で整備費ガソリン代も市が負担してくれていますね。
こっちだと、調達(入札)、調達時の補助金、車検・自動車保険、機材運用費(年間定額ガソリン代とかオイル代用)が自治体担当。
調達時の機材選定、機材費、制服費、故障対応とかの保守費用は自治会(集落)持ち。
入ってきた機材は自治会の物品で、それを消防団の人間が使うという建前な枠組み。
自治会もお金無いので、修理できんとか機材更新できんとかで、40年選手な機材が動くか毎回ヒヤヒヤというのもあるある。
id:hyakuni 操法大会についてどう思ってるかが気になる。参加してる人のブログを読む機会があったが、これがかなりの負担らしいので。
id:hilda_i うちの地域では人数合わせに役場職員を入れすぎなのが問題になってるわ。災害時に役場か消防団が機能しなくなる。自営業の衰退でサラリーマンの団員が多いから、昼間出動が難しいし長時間労働+訓練で皆疲弊してる。
id:kvx id:hyakuni 個人的に大会は消防団という組織を維持するために必要なのかなと思ってます。大会自体はおまけで、練習時に連絡回したり、団員同士のコミュニケーション増やして生きた組織にするために重要なのかなと。
操法大会の練習は毎年5月6月頃に3週間。20時から2時間。練習休みは週1+お天気具合次第。
「みんな勤め人ばかりなんで、それぞれできる範囲でベストめざしましょう」ぐらいの意気込な分団なの
で「仕事なんぞ辞めて練習に専念しろ」って脳筋なことは無いのが救い。
構成員の大半は一般サラリーマンなので、連日参加になる選手は勤め先が近場か消防団の活動に理解ある企業に
行ってる人に限られるので、その条件に合う特定の団員に負担が集中してしまう問題もありますし、条件が厳しい
遠方だったり夜勤あったり会社が無理解だったりする人に選手が回ったときは、練習と仕事との板挟みで、
当人も同部の団員も体力的にも精神的にもかなり疲弊することになります。
さらに「仕事なんぞ辞めて練習に専念しろ」って地域だと、大会の半年前から走り込みとか筋トレとかの基礎トレ
始めてたり、ロープワークの練習してたり、ミスったらOBにどやされたり死ぬまでそれをネタにされるとかで相当
大変みたいですね(人口減少がキツイ地域ほどこの傾向が……)。
操法大会そのものは、ポンプ運用法の確認になるのでメリットが無いでは無いですが、採点方法が不透明だったり
するので、少なくともそれぞれの採点基準の明確化とその基準の存在意義の説明は欲しいかと。
(やみくもに型が決まってるのでその型に合うようにやれ、だと意義が薄い。 Why -> How の解説が欲しい)
大会の成果が実際の現場で役にたつか、という面ではポンプ操作とホース連結についてはやってないよりマシ、
でしょう。
ただ、現場に応じて臨機応変に対応できるか、というのは現場に出た当人それぞれの素養に依存する要素が大きい
かと。
大会対応以外では、大体月一どこかの休日で集まって、伝達や機材チェックや掃除やらの1時間程度動いて、缶コー
ヒー飲んで解散の流れなので、地域の同世代の顔合わせって感じで悪い話じゃないですね。
災害出動の際は、昼間に出る分には遠方サラリーマンとかは呼び出しせずに近場勤務で集まれる人だけ集まる体制
なので、逆に出られなかった人が心苦しく感じるようです。
夜間だと全員出てこいになるんですが、当然翌日の仕事には響きます。
夜間活動後なんでしゃーないんですが、それで上司やらからグチグチ言われたりするとアレなので、行政が消防団
という仕組みを維持したいのであれば、企業側の理解を得られるような政治的広報や施策は欲しいところですね。
id:kunitaka 期末毎に部の総会で会計報告されている。知らないのは総会にすら参加してない幽霊団員。活動してない幽霊団員が手当を貰うのは詐欺に等しい。ただ頭数に応じて手当が支給されるから、対応が難しいんだよな。
入団をお願いする際に、頭数のために入って。と言って入って貰ってる場合もあるでしょうから、対応が難しい
ところで。
今回の件もこのパターンかなぁと……。
会計報告はやってるところもあれば、やってないところも。。でしょうね。
id:Expway 消防団自体は今までと同様では立ち行かない状況になりつつあるのは間違いないので(世情的にも人情的にも)、どういう切っ掛けでも議論が深まるのは良い事だと思う。
地方部の年齢構成見ても人口動態みても、近く崩壊するのは間違いないでしょうなぁ。
そもそも、基本になる20代層が払拭していて、新規加入者が見込めない状況。
定数の都合もあるから引退もできず、所属20年(あらふぃふ)のおっさんとか当たり前になりつつ。。
特に厳しい地域だと、新入団員については自治会の責任で若いの入れさせますってところも出てきてるけど、たぶ
ん逆効果でその世代が村の外に出て行って終わりだろうなーとか思ってます。
id:guriuripop なんか消防団と聞くと、頭に浮かぶのは「コンパニオン」の単語。笑
好きな人は好きですねぇ。それ(酒&おねーちゃん)があるから入ってるんや言う人もいるし。
おねーちゃん苦手な人にとっては苦行に追い銭だったりするので、辛いところではある。
そんなのに用は無いって高尚な人ばかりならいいんですけど、企業とかと違って、各層関係なく地域単位で集まるので
だからといって、ここらの懇親会的部分を絞りきると士気というかモチベーションが瓦解しそうという危険性も感じら
れるので、懇親会とか禁止とすると組織崩壊を早めるだけでしょうね。
現状でも制服での店舗出入りは禁止とされてますからねぇ。。休憩時にコンビニ行ってコーヒー買ってくるってのもできないので。
今後の選択肢としては
といったところでしょうか。
いま思い返してもただただ悲しくなるが、
きっかけは、親が強制的に少年野球チームへ入団させたことだった。
野球そのものは好きだったが、ああいう「集団で何かをやる感じ」とか、
「ノリを求められる雰囲気」とか、とにかくああいうのが大嫌いだったんだ。
少年野球への入団は当時の自分にとって相当な精神的ダメージとなり、
周囲に大きな壁を作り始めた。
チームのやつらとは当然口を聞かなかったし、
なんかやばい気がしたんだ。
喋らなくなるとそれはそれで厄介な状況になる。
「無口」「無口」「無口」
周囲に罵られる日々。
表情もなかったし、あれは軽度の鬱だったろう。
小3まで遊んでいた友達とも疎遠になっていった。
ある日、ひとりだけいた友達と話しているところをクラスメイトに見られてしまった。
それでまた心を閉じてしまう。
まさに八方塞がりである。
それでも小学校卒業を迎えるころになんとか立ち向かおうと奮いたち、
中学校卒業を迎えるころには、高校ではもっと話せるように頑張ろうと奮起し、
相変わらず友達は少ないながらもまともに会話できるようになっていった。
今でも飲み屋で馬鹿騒ぎしたり旅行にでかけたりできるくらいの大切な親友ができた。
彼女もできた。
社交性を取り戻したといったけど、正直なところ今でも
人に壁を作る癖は治っていなくて、心を開くのに最低2年はかかる。
「グループ」に属するのも慣れなくて、
数人の心許せる同期と飲みにいくような具合である。
そろそろオチをつけたいわけだけど、
鬼監督には罵られるし、先輩にはボロカスに言われるし、
後輩には馬鹿にされるし、同期ともノリについてけなくて孤立して、
あの雰囲気はどうしても好きになれなかったけど、
野球は好きで、ずっと続けた。
そのおかげで半端ない体力がついたし、
高校野球をそれなりに厳しい環境で耐え抜いたみたいなところは、
なんの取り柄もない自分を評価してもらえる唯一のポイントになったりもしてる。
親も、息子にまともな社交性を身につけさせたいと思って入らせたらしい。
というわけで、今は親にも野球にも誰にも恨みもなにもなくて、
結局は自分の生来のネガティブな性格が根本的な問題なんだと思う。
ひん曲がった性格だけど、こんなんでも付き合ってくれる友人にはとても感謝している。
いま同じように学校で周囲に馴染めない子やもしかしたら話すこともできない子も
いるかもしれないけど、こんな自分でもまともに社会でやってけてるわけだからいまは耐えよう。
見てみれば、それぞれちゃんと楽しめる。
ただ野球だけは見ない。
チケットがあると誘われても、観戦したことは一度もない。
そこで疑問に思った。
野球は見ない。ちゃんと見たことは一度もない。
それなのに「つまらない」のだ。
あれ、なんでだろう?
そうだ、ドラゴンボールだ!
かめはめ波は、ついに打てなかった。
そんなベタな小学生だったので、水曜日の夜七時はすごく待ち遠しかった。
と思ったのに、テレビがマウンドを映す日があった。
光る雲を突き抜けると思ってたのに、ラッパの音が聞こえるわけだ。
うわっ、野球の日かよ!
ナメック星が、あと何分かで爆発するのに。
一週間、ずっと楽しみにしてたのに…なんで野球なんだよ!
そう認識したまま育ってきたようだ。
もちろん、実際は邪魔していたわけじゃないのは知ってる。
間を入れないと、連載に追いついてしまう。
大人になった今ならね。
あと、時代も悪かった。
でも、結局入らなかった。
ちなみに友だちも入らなかった。
親にねだって読売ヴェルディのユニを買ってもらって、クラス中でミサンガを作っていた。
願いをこめたミサンガを、いたずらっ子に外されて大泣きしていた奴もいた。
その後、犯人は学級会で吊るし上げられていた。
ビジュアル系バンド目指す奴と、カリスマ美容師目指す奴に囲まれながら学校を卒業して。
あったのかもしれないけど、自分には届かなかった。
そんなこんなで、野球に対する悪感情を払拭できないまま今日に至っている。
息子と遊ぶならサッカーだ。
キャッチボールは、きっとしないだろう。
でも、ドラゴンボールは全巻読ませたい。
原因について、色々と言われているようだけれど