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2019-12-12

ライブチケットが1万円だった。

立場自分ブログに書けない愚痴を聞いてほしい。これから話す業界仕事をすることが多く、こんなこと実名で書けないし飲みながらの愚痴でも言えないのだ。

先日オリジナルメンバーでPRESENCEというバンドワンマンライブをやると発表があった。

このバンドベースは後にジュディーアンドマリーというバンドをやるし、ボーカルの奥様は多田かおるという漫画家なので有名は有名なのだメジャーデビューのあと三枚しかアルバムを残さずに解散した程度のバンドである。(というか、ものすごいライブバンドだったのでインディーズでの音源デモテープ一本しかない。)

当時のバンドブームデビューは割とできるが、売れなきゃ解散するというのが当たり前だった。

ここ10年ほど、この時代のいわゆる「ジャパメタ」と呼ばれるジャンルバンドの復活ブームではある。

あの当時のロッキンFに載っていたようなバンドはだいたい一度解散して復活している。

それは先程言ったように当時は「売れないか解散」みたいなのが当たり前だったので別にロックバンドありがちな不仲による解散みたいなものが少ないのだ。(実際不仲なメンバーもいるがそれは仕事が上手く行かなくてギクシャクしてる…みたいな不仲で恨みつらみの不仲ではなく、時間解決してくれる不仲が多かった。)

もしくは訃報が多くなってきてみんなが集まる機会がふえたりして同窓会がてらセッションをやったりしてたのだ。

人が死ぬと人が集まり新しいものが生まれるというのは不思議ものである

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長い前置きが終わりここからが本題。

今回のPRESENCEのワンマン公演のチケット代がべらぼうに高いのである

なんと一万円、一万円ポッキリだ。(よく調べたらポッキリじゃなかった。)

どんな大きなホールでやるのかと思えば

東京は2公演、場所高田馬場CLUB PHASE

キャパティ300人程のライブハウスだ。

できて20年ほどなので古くもなく新しくもないライブハウスである

ここのライブハウスのチケット代の平均は

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平日の何バンドも出るようなイベントで2500円

週末(金土日)のイベントで3500円

平日のワンマンで4000円

週末のワンマンで5000円

(すべて会場で500円のドリンク代がかかる)

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が大体の相場ライブハウスである

この、ライブハウスのチケット代というもの企画者がいなければほとんどがバンドに支払われる金額である

なので一つのバンドしか出演しないのであればそのバンドが、企画者がいるのであれば企画者がチケット代を決めるのだ。

出演するバンドライブハウスにノルマだったり機材費だったりホールレンタル料だったりを支払ってライブをする。

バンドがお客さんを呼べなくてもライブハウスは一定お金をもらっているしドリンク代の売上があるので正直関係ないのだ。

ライブハウスのオーナーに「もっとお客さん呼んでよ」と小言を言われるのはいわゆるライブハウス企画ライブで、ライブハウスによっては近年一切やっていない。メリットがないし昔のようにライブハウスがバンドを面倒見る時代ではない。)

さて上記チケット代は平均である

説明のようにチケット代は自分で決めれるので自分もっと価値があると思えば別にいくらにしてもいいのだ。

所謂大御所と呼ばれるジャパメタのおじさんたちは平気でライブハウス規模のライブで7000円8000円のチケット代を提示する。

もちろんそれでも会場はそれなりにいっぱいになるのでその値段でもいいのだろう。

来るお客さんの年齢層が40代以上というのも関係していると思うがはっきり言って7、8000円のライブ代なんて外国から来るアーティストである

プレゼンスの1万円で言えば、あと5000円足せば世界的有名なKISS東京ドーム公演が見れるのである。(ちなみにこのKISSライブも今回は1.5万、2万、2.5万のチケット販売で高かった。)

プレゼンスメンバーにはミュージシャンとして生活をしているメンバーも居る。その「ジャパメタ」と呼ばれていたバンド出身人達にはそういう人たちが結構多いのだ。

有名な人で言えばLAZY影山ヒロノブMAKE-UP山田信夫(共にアニソンシーンで有名)だったり専門学校講師をしている者、母体バンドが数百人お客さんを呼べるからとほそぼそとセッション活動地方ソロ公演(所謂ドサ周り)で生活する者、完全に裏方で楽曲提供レコーディングだけで生きている者、母体バンドよりも楽曲提供のが有名な人など様々なんとか皆が当時のまま音楽で食べていこうと今まで続けているのだ。

CDが売れない今、ライブによる収益というのは彼らにとってとても重要収入源ではある。

だがしかし、この一万円というチケット代は絶対自分たちの首を締めることになるのだ。

ミュージシャンのギャラが上がれば、いずれはどこからも呼ばれなくなり、自分たちで何かをするしかなくなる。

はっきり言ってジャパメタなんてシーンはただでさえ日本では小さなシーンであるHM/HRシーンの中の物凄く小さなさなシーンである

その価値があると思っているのはもう数千人しかいないのだ。その数千人もほとんどが40代以上となるともう無くなっていくしかないシーンなのである

大御所と呼ばれるメンバーたちはまだ50代~60代だ。まだまだミュージシャンとしては引退するには早い。

ファンとして、死ぬ寸前までステージに立てとは言わない。年齢やキャリアとともにギャラが上がるのも当然である

だけどもその一万円は違う。見る側、ファン立場で言えば30年ぶりにツアーをする彼らに一万円の価値がないとはこれっぽっちも思わない。

仕事上のお付き合いで言えば、はっきり言って自分たちの首を自分たちで締めてるだけにしか思えないのだ。

それぐらいお金を取らなきゃこのバンドをやりたくないのであればやるべきではない。

今のミュージシャン収入源の殆どライブ収益だ。大事収入源を減らすことはしちゃいけない。

企画する側、彼らに仕事を作る立場としては、はっきり言ってその価値はないのだ。

ローディー根性丸出しの人たちが企画する地方ライブだって君たちのギャラで常に赤字なんだ。

ただで働けなんてこれっぽっちも言わない。そんなことは自分がさせない。でももっと全員が幸せになれる方法はあるはずだ。

一人のジャパメタオタクとして、ジャパメタファンとして本気で悲しくなった出来事だった。

2018-05-01

大学時代から人生を転がり落ち続けてきた大馬鹿者のはなし

これから書く記事は、以前ここに似たようなものを書いたことがある。だから本当は違反行為に近いのかもしれないけれど、前の記事妄想だと受け取られてしまって、どうしても納得できなかったからもう一回書かせてもらうことにした。妄想だと思われたのはおれに非があって、たぶん時系列錯綜した書き方が無用な混乱を与えることになったのだと思う。だから今回は単調かもしれないけれど、時系列の古いものから、つまり過去から順番に並べるやり方で行くことにする。ようするに自分語りなわけだけど、タイトルにあるようにとにかくおれが馬鹿なので、「おれの人生はこいつに比べたらだいぶマシだな」と思ってもらえる効果はあるかもしれない。

話は13年前にさかのぼる。おれは入試方式多すぎるやろ!とツッコミを入れたくなる関西の某マンモス大学意気揚々入学するも、出だしからいきなりつまずいてしまう。クラスで友人が1人もできず、桜が舞うころに開かれたコンパでは、桜の下でぼっち飯するおれは教育係の先輩から情けで声をかけられるありさまだった。

自然、人恋しさからおれの足はクラスから離れサークル活動に向かうことになった。そのサークルの同じくコンパで、スパゲティ屋で食事をしているとき、「どこ出身ですか?」と声をかけてくれる男がいた。それが1年前あまり行動を共にすることになるXだった。Xとはしょっちゅうカラオケに行ってガンダムの曲を一緒に唱うなどしたいたのだが、当時おれはカラオケで98とか出るのをいいことに(そんなやつはゴロゴロいるのに)、プロ歌手になれるんじゃないか勘違いして、レコード会社デモテープを送ったりした。しかもその曲が倉木麻衣Secret of my heartときていたのがもう・・・・・・。当時、おれは自分中性的女性的な魅力があると勘違いピンクの服を着るなどし「3次元クラピカ」を自称していたのだった。そんなうぬぼれたふわふわした気持ちもあり、授業からはどんどん足が遠のいていく。1年時の前半にとった単位は4くらいだったと思う。秋になるとサークルもやめ、もっぱらXとつるむようになる。毎晩のように親から仕送りお金レストランでの食事につぎこみ、Xが行きそびっているときはおれがXの食事代も出すようになっていった。そのうちXは交換条件のように、「食費を出してくれるなら(レストランに)行ってもいいよ」と言ってくるようになった。でもおれはじゃぶじゃぶ出した。1人自分の部屋で食べるということが考えられなくなっていたのだ。結局のところ、Xとの関係はおれにとって、1人暮らしさびしさや心細さを埋めるものしかなかったのだと思う。1年たった頃には1人暮らしにも慣れてきたのか、それまでスルーしていたXの1人よがりなあつかましさが目に余るようになっていた。「おまえには社会経験がないかバイト必要だ」とか、「おまえは友達が少ない。友達もできないやつに彼女ができるはずがない」とか、そんな自分意見一方的に押しつけて反論をさせない態度を受け流すことができなくなったおれは、ある日意を決してメールを送る。これまで一緒にいてくれたことに対する感謝を述べたうえで、しか性格根本のところで合わないところがあり、それはどうしようもないからもう関係を終息させたいと。すると笑いながらの電話がかかってきて、「彼女に言ったらありえんって言っとったよ。恋人が別れるときに」するような行為やって」と鼻で笑われ、おれたちの関係は終わった。

さんざんな顚末とはいえ、1歩引いて見るなら人生はまだまだこれから、おれに必要なのは地歩を固めるための1歩を踏み出すこと、つまり授業に出ることだった。しかしおれの人生はここから急速に転がり落ちていくことになる。

授業に出ようとするものの、1時間半受け身の状態で座りつづけるのが耐えられず、教室を途中退出して図書館に行くことが増え、そのうちもっぱら図書館に籠もるようになった。そして図書館PCルームネットに耽溺するようになるのもあっという間だった。友人のいない1人暮らしさびしさを埋めるためではなかったと思うけれど、おれはネットにほのぼのとした暖かいものを求めていた。もっといえば居場所を求めていた。そのことがあって、あるいは元々のどうしようもない性質のせいかもしれないけれど、おれはちょっとした冷やかしやスルーに対してキレて粘着するようになった。糞コテと呼ばれるまでそう時間はかからなかった。活動していたのは2ちゃんと某有名大学の掲示板で、ある日そんなおれの傍若無人ブーメランになって返ってくる。ある日、おれの使っていた数々のコテを1つにまとめた上におれの本名を記したレス2ちゃんに書き込まれしまった。本名検索するとすぐにそのレスが出てくるようになり、おれは事の重大さを悟った。特定された理由は、おれが調子にのって掲示板のEメールリンク先に本名を書いたからだけど、それをコテの数々と一緒にして晒されるなんて思いもしなかった。

そんな惨状にあってもおれは能天気なところがあって、ネットからは遠ざかりつつあったものの相変わらず授業には出ずにぶらぶらする生活を続けていた。いまだに自分を「3次元クラピカ」だと思いつづけていて、そんなキャラクター気分でいるからか、最後自分の思うようになるみたいな根拠のない楽観的気分でふわふわしていて、青春の倦怠を気取って、19世紀の文学作品をかじったりひとカラに行きまくってソファーに寝そべりながらアニソンに浸ったりしていた。食事はさすがに1人買ったものを部屋で食べたり学食を利用したりして落ち着いていたものの、食材を買いに行く店の人に「おひさしぶりですね」と笑顔で言われてこのお姉さんおれに気があるのかなと勘違いしたり、ナンパブログを真に受けてふるえる声で街を歩くお姉さんに声をかけてガン無視されたり、アニメキャラみたいなスタイルのお姉さんの後ろをつけつづけて感づかれて、店の男に告げ口されて男ににらまれたりと奇行が出始めていた。努力むなしくもちろん成果はゼロ、友人もゼロの極寒生活のなかだれつづけ、単位10程度のまま4年生、留年が100%決定していた。親に説得され、なんとか授業に出ようとするも、今度はマイクの音がうるさくて耳が痛いという症状に悩まされる(あれだけカラオケ行ってたのに)。どうしても苦しいなら耳栓するなりすればいいのにみみせんのみも思いつかず、といって親に相談することもなくずるずると授業から逃げつづけ、気がつけば5年生になっていた。5年生のしばらくたった夏ころ、もう単位をとれる見込みはないと親に電話し、退学させてほしい旨を伝えた。そのときも親からも1言も耳栓案が出なかったのは不思議だが、いまさらそんなことを言ったって仕方がない。

退学して田舎実家に帰ったおれは、今度は公務員学校に行き始める。でも相変わらず奇行はおさまらない。電車のなかで見かけたセクシー女子大生をガン見しまくり、友達と一緒に笑われていた。大学中退なのに、ほとんど大学卒業者が受験する地方上級を目指したものの、ここでも根気がつづかず授業に出なくなり、電車に乗って百貨店ケーキを食べて帰ってきたり大型書店で延々と立ち読みして帰ってきたり、もう何をしに行っているのかわからなくなっていった。

公務員学校をやめひまをもてあますようになったおれはまた馬鹿をやらかす。リアル顔をうpして知恵袋評価を聞くという暴挙に出た。しょうゆ吹きそうな顔だったから予感はしてたけど、超ブサイクって返ってきたときはおれのなかでクラピカが音をたてて崩壊していくのが聞こえた気がした。

実家2年目くらいからは聴覚過敏がひどくなり半狂乱になってきて、家の前を車が走るたびに「うるせーっ!」とか「コラぁ!」とか怒鳴るときもあるようになっていた。対人的にも過敏になっていて、母と折り合いの悪い父方の祖父が母に陰険な感じに当たったりすると、祖父がいなくなった後にわめき散らしたりしていた。

3年目のある日堪忍袋の緒が切れたようになって、実家を飛び出すようにして大阪で1人暮らしをはじめた。頭が常に高揚しているような状態大学掲示板演説調の文章をかきなぐり、もはやネット上でも誰ともまともなコミュニケーションをとっていなかった。1人暮らしをしたらすぐアルバイトをするという父母との約束もやぶり本屋立ち読みしまくっていた(図書館のとも思いつかず)。それでも勇気を振り絞って、わざわざ女性募集と書いてあるところに申し込んだら、面接中にひじをついてキレられた。

ある日スマホ書店に忘れて2日後に戻ってきたのだけど、なくしている間に何かをされたらしく、なにも押していないのに勝手意図しない操作をされるようになっていて、そんなのすぐにスマホを破棄するの1択なのにずるずると使いつづけて、結局それから2年くらい使っていた。

そのストレスがあったのかどうか、また実家に戻ってすぐに興奮がおさまらなくなり、精神科に行くと発達障害と言われてエビリファイという薬を出された。

いまはそれを最低量のみながらアルバイトに行っているけれど、アルバイト先に1日数回、2回のコールで切れるいたずら電話がかかってくる。アルバイトに行くまでは実家にかかってきていて、まず同じやつ(ら)の仕業だと思う。悔しいけれど、ネットで暴れていた自分自業自得でもある。いまだ友人はいない。もちろん彼女もいない。でも1日1日生きていくしかない。

2018-02-05

宗教自分の夢が分からなくなった話

身バレしないよう多少のフェイクを入れています

数年前、25年所属していた某宗教団体から脱退しました。

その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体所属することが確定していました。

幼少期から学校とは別に沢山のことを教えられました。

宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教ダメ理由自分の生まれ理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。

端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。

子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。

問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。

小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。

でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。

私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています

子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手モノマネをしながら弾き語りをしていました。

ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いか歌手になれるぞ」と言いました。

ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。

両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。

その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。

直接的な表現ではなく、入団すると意味が分かるように

死にたい絶望していた時、あなた出会えて私は生まれ変わった」

あなた出会えて幸せ

「こんな奇跡が起きるなんて」

というような恋の歌にしました。

作曲最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音おかしい」と言われました。

その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。

でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないかもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。

とても綺麗な音でした。

まだ最後まで楽譜を書き終えていない曲でした。

私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。

「何でそんなことがあんたに分かるんだ」

あんたに私の何がわかるんだ」

「これは私の曲なのに」

それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。

それから母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。

市のコンクールに応募した時も、音楽事務所デモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。

それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情自分の中でどんどんどんどん育っていきました。

負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。

そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメ人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。

団体創設者懺悔手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)

しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。

今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます

そんな体験があっても、友達団体勧誘をすることはやめませんでした。

高校生になり、彼氏が出来ました。彼氏も勿論勧誘しました。

幸せになれるって言うけどお前全然幸せそうじゃないじゃん」

と言われました。

ついに言われてしまいました。

薄々気付いてはいました。

両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体出会い入団し、救われました。

しかし、私は生まれた時からその団体所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。

「救われた」という経験が無いのです。

もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって幸せだ」と感じたことなんて無いのです。

あなた出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。

沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。

吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。

私は歌手を目指してるのに。

そもそも何で歌手を目指してるんだっけ?

あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかたから。

お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから

私は本当に歌手になりたいの?

そう言えば最近お父さん家に居ないな。

お母さんも不機嫌なこと多いし。

幸せって何だろう…?」

気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。

彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。

その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。

音楽先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。

作曲自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。

結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学AO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通勉強が分から中退

その後父親団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。

親権母親が持って、私は母親と二人暮らし

母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイト資金を貯めて一人暮らしを始めました。

団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔手紙10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。

そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。

一人暮らしをするようになると、団体運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。

納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。

他にも行事とか諸々でお金ガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。

家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。

母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。

特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。

(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)

団体への納金以外にも家賃光熱費・食費・保険料市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。

恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。

彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。

勧誘する為に俺に近付いたのか」

と言われましたが、それは自分感覚とは少し違いました。

「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。

そんな時、久々に大学時代音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。

彼は朗らかで穏やかで、父親に似ています

彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います

色んな話をしました。

音楽仲間なのに、私は主に仕事愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。

とても心が安定した心地良い時間でした。

その後も何度か誘われ、正式結婚を前提にお付き合いすることになりました。

しかし、団体の話を彼にすることがなかなか出来ませんでした。

彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。

そして、彼の家に転がり込むような形で同棲スタートしました。

お金問題がなくなって、色々と考える余裕が出て来ました。

彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。

意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白しました。

彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。

止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。

同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。

まず「団体所属していなければ幸せではない」という価値観

→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。

団体の話を広めなくてはならない」という価値観

上記理由でその必要性を感じない。

「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観

→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?

最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観

→これは私が金欠の時にデートに誘われて断ろうとした時、

「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。

団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。

彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、

ただ他から植え付けられたものだったんだと感じて、

アホみたいに思えて、

気付いたら本部で脱退する書面にサインしていました。

最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。

母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。

父親とは堂々と会えるので楽しいです。

あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。

彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています

彼と生活をする中でもう一つ気付いたことがありました。

それは彼が音楽関係仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。

今も自分がやりたいことが何なのか分からないんです。

「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います

あい特殊団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。

ピアノは弾けるけど、自分から何か弾きたいとも思わなくて。

子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分母親と同じように子ども無意識に何か押し付けしまいそうで怖い。

団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます

昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。

仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。

何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は

幸せならそのまま継続して、

しんどかったら一旦離れてしまった方が良いんじゃないか

と、思うってことです。

身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません

バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。

長々と読んで下さってありがとうございました!

2016-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20161221235554

追記↓

ただ、だからと言って隠れていた才能が見つけやすくなったかというとそうとも思えないんだよな

有象無象カオス空間になった感じ

センスのいい動画はちまん何倍もの平々凡々な歌ってみた動画が溢れている

ボカロでも結局、ニコ動の中の流行りのスタイルみたいなものが出来て似たような曲で溢れていた

コミュニティが狭いぶんトレンドができていくのが速かった感じ

多様性はないぶん移り変わりが激しかったけれど

この前イカ天があった時代ライブハウス演奏してるミスチル映像見たんだよね

メジャーデビューする1、2年前の

面白いところもあったけどわざわざ聴きたくなるようなかんじではなかった

このバンドを数年かけて成長させていったコバタケってすごいんだなって改めて思った

宇多田ヒカルの「First Love」に関わった河野圭もそう

のちに秦基博の「ひとなつの経験」という曲を手がけるんだけど

これがなんとなく「DEEP RIVER」のころの宇多田ぽいんだよね

初期の宇多田らしさを形作っていたのはこの人なんだなって

ごく初期には多分鼻歌程度のデモテープにこの人や西平彰杉山晋一郎が肉付けしていくこともあったんじゃないかとすら思う

スピッツもやりたい放題に3枚アルバムを出したら行き詰まってしまって笹路正徳を頼った

規格外の才能にやりたい放題させるのもいいけど

多くの若いアーティストはとりあえず大人がお膳立てしてベースを作っていくことも必要なのかもしれない

http://anond.hatelabo.jp/20161221204555

2016-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20161221204555

確かにアマチュアはせいぜい8chのカセットMTR持ってるレベルだったんだよな、20年くらい前までは

中村一義が全部自宅でファーストアルバムレコーディングしたってだけでロキノンが騒いだ時代

DTMという言葉すら全く浸透してなくて宅録とかベッドルームミュージックとか言われてたんでしょ

レーベルに送られてくるデモテープなんてラジカセの録音機能を使って一発撮りなんてザラだったわけだ

そんでもってパソコンmp3もなくてCDに焼くってどゆこと?っていう感覚から

レーベルという業者を通さなければ自分の曲が入ったCDなんか作れなかった


それが今はパソコンオーディオインターフェースマイクがあればそれなりのデモが作れちゃう

やっすい値段でCDプレスしたりブックレット印刷してくれるサービス

素人でも扱いやすECサイトがあるからレーベルさなくても自費出版で一応、アルバムは作れちゃう

そもそもハイスタブレイクする前だからインディーズ活動するという道筋20年前ではあまり浮かんでこなかっただろうな

ももアルバムプレスするということにすらもう価値が薄れてきてるよな

レコーディングしてみんなに聞いてもらいたいっていうならYoutubeSoundCloudにアップすれば事足りる時代


レーベルやハコっていうプラットホームの上で結果出さなくてもミュージシャンとしてやっていけるようになったってことだから

大衆性を過度に気にするような、

まり25歳までにメジャーデビューすることを目標に掲げ

定職につかずライブハウスノルマ楽器代のためにバイトに明け暮れ

レーベルから声がかかったあとは、やりたくもないタイアップソングの依頼をこなしたり

年3,4回のペースでリリースされるシングルキャンペーンテレビに出たりして

その合間に行われるツアーを抜いた僅かな時間で年一枚のペースでフルアルバムを量産するような

そんな活動はしなくても良くなった


新人だろうがなんだろうが納得するまで曲作り時間をかけてもいいし

出たくないならテレビも出なくていい

興味のなかったアニメ主題歌を突然3日後までに作れと言われて

スタジオに缶詰状態のなか「キャンディキャンディ」のイメージでむりやり作詞するような真似もしなくていい

そんなマイペースさが許される縛りのない柔軟な時代になってきていると思う

2016-10-03

http://anond.hatelabo.jp/20161002222925

http://anond.hatelabo.jp/20160703222908

この増田の言う通りかな

ラジオテレビ、有線から聞こえてきただけでその歌手だってわかる

そういう強い個性必要なんだろう。

デモテープをワンフレーズ聞いた、ライブをちらっと見に行った、

オーディション適当に1分くらい歌ってもらった、、、

そこでレーベル芸能事務所担当者の印象に残って

そして年単位の育成を施す価値があると判断された奴がデビューできる訳だから

個性請求力がなくては話にならないのだろう。

それは見てくれや経歴を含めたトータルで判断されることだから

パフォーマンス力だけで決まるわけではないかもしれないけど。

あとカラオケ名人って曲を消化しきれてないよね。

思い入れがあるから丁寧にとか演歌から癖つけてみたとか

曲にたいしてそんぐらいしかコメントできないものかと。

採点機能優越つけるような企画はもはや音ゲーから仕方ないとしても

聴いている側からどう見られてるかとか

曲の構成アレンジの工夫、詩の世界観とかに関心もって聴いてないんだろうなって。

2015-08-02

その自信はどこからくるの

最初その男を「底辺」だと思っていた。

学歴高校中退漏れ聞こえてくる話だと仕事しょっちゅう辞めていて、

大体いつもニュースに対して愚痴というか野次飛ばしている。

内容は「このニュースに対してこういう意見を持っている奴はおかしい」という人格批判ばかり。頭悪い。

口癖は「俺は将来大きな事を成し遂げる」で、年齢は30代中盤。

なんだよ「大きな事」って、ちょっと夢見がちじゃないかなと失笑していた。

彼は歌が好きだ。「周囲からも歌が上手いって言われるんだ」と話していた。

自分でそういうくらいだからよほど上手なのだろうと思っていたのだけれど、デモテープを聞かせてもらった感想としては……あれ、もしかして俺のほうが上手い?と思うくらいだった。

しかし彼はコンクールとかにがんがん参加し、バンドメンバーも集め、自分自身活動に勤しんでいる。

彼が歌手を目指したのは(おそらく)最近の話ではないはずだ。

それまでの間、何度もコンクール落選し、プロへの道を絶たれていたはずだ。

なのに全くめげていない。

自分なら学歴だけでも「どうせ俺なんて」と拗ねそうな勢いなのに、どうしてこの男はこんなに堂々と「俺高校中退!」と言えるんだろう。

最近、この男の自信がいったいどこから来ているのか、知りたくてしょうがない。

周囲に、彼をけなす人がいなかったのかもしれない。

けなされても「相手が悪い俺は悪くない」と思って相手にしなかったのかもしれない。

まり自分正義だと思い込むのはどうかと思うけれど、大して何もできないのに堂々としていて、かつ誰からもツッコまれないポジションは羨ましい。

自分は何をやってもすぐ貶される。自信を付けたい。

2015-06-09

http://anond.hatelabo.jp/20150609212732

一発逆転でなく四発か五発くらいでどうでしょう

頑張った日が実働10時間として、疲れはてて脳がウニになるようなら、一日2時間くらい頑張る時間を四日か五日続ければよいのです。

実働10時間ラノベ小説なら40-50枚くらい、漫画なら下書きから完成原稿までが3枚くらい、音楽なら短い歌の作曲からデモテープの簡単な調整までできるかどうかでしょうか。でもそれを一日でなく四、五日に分けるということで意外と「仕事」が見えてくるような気がするから、やらないよりはやったほうがいいです。

つまんなかったら元に戻せばいいし。何事もええ、経験なんです(音楽ミキシングはやったことないけど)。

2014-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20140504044325

ググらないで記憶だけで書くので、たぶん事実誤認甚だしいだろうけど

90年代っていうと、おニャン子クラブ斜陽アイドルブームにとどめを刺して

ついでにゴールデンタイムから歌番組も消えた

そんな歌番組冬の時代でマスに曲を届けようとすると

CMドラマタイアップを取るしかなくて

ビーイング社長が何百パターンの15秒CM用のサビだけのデモテープ

営業まわって、タイアップ取れてからフルの曲を書かせてたそうで

アニメもそれまでのタイトルや技名を連呼する生管絃のクソ熱い曲がなりをひそめ

本編内容ガン無視雰囲気すら合ってるのかどうか分からないタイアップばかりになる

もう、自称音楽好きは洋楽ロックくらいしか音楽好きのアイデンティティを満たし

聞いてて飽きないクオリティのはなくなる

今思えば、当時の洋楽ロックも行き詰ってて、MTVブーム以降のまずビジュアルありき

潤沢な予算を使ってアーティストキャラクターとサウンドがプロデュースされた

商業音楽だったんだけど、まあ金かかってるから、まずポップさに捕まれて

何度も聞くと実は小難しいこともやってるので飽きない

そういう行き詰った、よく言えば爛熟したロックを取り入れたJ-ROCKがそろそろ出始めて

ジュディマリ自分の中ではそういう箱に入ってるんだけど

こいつらがタイアップ取ってポップシーンにも食い込んでくるようになって

素人歌にカスカスの打ち込みに辟易していたJ-POPだんだんマシになってきた

この前佐久間正英氏が亡くなってはじめてこの方がこいつらの多くをプロデュースしてたの知って

あなたが神か。ありがとう。知らなくてすいません。と思った

で、この辺の90年代後半辺りからJ-POPでサウンド的に面白いことをやってるのを認めるかどうかってのが

音楽好きの中の優越感ゲーム踏み絵になってて

なーんか「俺は音楽好きだぜ」みたいな人たちから馬鹿にされがちみたいなところある気がするんだよね。それってさ、つまり音楽好き」の文化レベルが低すぎるんじゃないの?????お前ら「マウントポジション」取ることにしか興味なくて、本当は音楽に興味ないだろ。

うそう、こんな感じ。

お前ブランドだけで判断してるだけだろ

楽曲まったく聞いてないだろ、耳腐ってるんだろ

いねえ。すごく懐かしくなったので長々書いた

でもこんな感じのコードボイシングアナライズで、お、面白いねって曲は

最近ボカロ曲でも普通にやってて恐ろしい世の中になったなあと思う

2011-02-28

http://ameblo.jp/kenokun/entry-10813902114.html

えらくはてブがついていたので何の話だったかと読み直した

けれど、どうにもしっくりいかない。

だってこれ、誰でも名前を知っている(もしくは曲を聴いたら聞いたことがある)御大が言っているんだもん。

説得力ないよ。

コンペの「アーティストにとっての」害悪は分かったけど

じゃ、御指名でが「確実に売れる」「ネームバリューがある」アーティストにばかり行ったらどうなるのよ。

テレビがどのチャンネルを見てもジャニーズだった一時期と同じで

嵐とAKBが上位を占める市場になるだけじゃないか

あと、技術屋だからかもしれないけれど

そして、このコンペの酷いところは、曲が採用にならないとそのデモテープに対して

一銭のお金も出ない所。

つまり、採用されないと、ただ働きと言う事なのです

この感覚唖然した

アーティストっていうのは、デモやコンペという行為ですら、

金がもらえて当たり前の世界なのか。

採用(すら)されなければタダ働き”が当たり前だと思っていた。

この感覚で言うと、結局確実にご指名が来るまでの無名時代の売り方が非常に限定されてくる

誰が無名の、売れるかわからない作品のデモなぞに金を払う?

金を払うようなことがあるとすれば、それはコネという名の信用取引だ。

ご指名でなければやる気は出ませんよ

デモやコンペみたいなタダ働きしたくありません

そう言えるような立場の人間は、それらから退くという選択はないんだろうか

そして、下手すればタダ働きのような場には、指名をもらえないような新しい人が出ればいい

勿論、タダ働きになろうが、この仕事はどうしてもとりたい、とる自信がある、という人もいるだろうし

http://ameblo.jp/kenokun/entry-10815131527.html

を読んでさらに釈然としなくなった。

自分は売れているから言う権利がある。

若い人は他のアプローチがありますよ。

俺は真逆から言うべきではないと感じたんだが

ほとほとアーティストとやらは分からない。

2010-08-25

声優岩男潤子さんについて

2ちゃんねるで見かけたコピペ

13歳

 歌手を夢見てオーディション合格し親元離れ単身上京。

 しかし実際は養成所に通わせられる、資金集めの為の勧誘だった。

14歳

 伯父さんの家から養成所の寮に移る。

 先輩達がセイントフォーとして華々しくデビュー

 中学に通いながらレッスンの日々。

15歳

 セイントフォーの妹分として前座で歌うなどする。

 実家を出る時はオーディションから即デビュー家族には言っていたのだが。

16歳

 セイントフォーメンバーチェンジにより追加加入する。

 しかしもうグループレコード発表やテレビ出演の仕事はなく

 地方の営業回りだけの、一年間で解散が既定路線

17歳

 セイントフォー解散。人間関係のゴタゴタも絡み実家に連絡すると、

 実は両親が今まで大金を払わされていたことを知らされ、愕然となる。

18歳

 石井光三オフィスに所属し、石井社長と「ねぇお父さん」デュエット発表

 この曲を桂三枝西川きよし桂文珍笑福亭仁鶴らと一緒に歌う経験も。

19歳

 一人暮しを始め、高校通いながら社員食堂ウェイトレスをする。

 宮内タカユキ氏の仕事についていった「宇宙英雄物語」の収録現場声優体験。

 大学夜間部を薦められるが、夢へ邁進するため断る。

20歳

 カゴメ劇場ミュージカル出演はじめる(カゴメ劇場の先輩は篠原恵美)。

 派遣会社OLになる。

 レコード会社デモテープを送ったりしだす。仮歌やコーラス仕事

 子供用のCM仮歌を幼な声で吹きこむと、スポンサーが「この人でイイです」。

 用意される筈の子役から仕事を奪ってしまう。岩男の年齢知って先方ビックリ

21歳

 この頃、セイントフォーメンバー週刊誌写真集ヌードになる。

 岩男のところにも話が持ちかけられる

 「有名になりたいんでしょ?芸能界ガンバッてるとこ見せたほうが良いよ」

 有名になりたいわけではなく歌手になりたいだけそれだけは譲れない、と固辞。

 「君も脱ぐんでしょ?」「いつ脱ぐの?」

 社会の周りの男性の視線から男性不信症になり、ストッキング屋へ職場を替える。。

 土・日は子供ショーの司会のお姉さんとして各地のデパートを回る。

22歳

 NHK教育理科番組一年レギュラーを務める(先代お姉さんは渕崎ゆり子

 童謡歌手としてビクターなど多数の童謡CDで歌をたくさん歌う。

 田中星児赤坂東児などと仕事を重ねる。しばらく童謡歌手が肩書となる。

23歳

 新聞配達キオスクデパートで売り子など、生活に追われる。

 移籍した事務所で声優オーディションを薦められる。

 上京から10年経っていた。これに落ちたら実家に帰ろうと支度していたら朗報が。

 なお声優所属先が81プロデュースに落ち付いたのは、

 ミュージカルやいろんなステージでの共演者に81の人が多かった縁で。

24歳

 モンタナジョーンズのメリッサ役でデビューし、以後ここからが声優スタート

そして現在

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100824/enn1008241548008-n2.htm

2009-11-29

なんでボカロ厨はボカロの曲をほめるときに「この曲はボカロしか歌えない」とか言うんだろうなあ

結局ボカロなんてデモテープ以外の何物でも無いじゃん

曲が流行ったらどんな曲も「歌ってみた」化するんだから うp主もそれを望んで作ってるんじゃないのか?

あの界隈はわけがわからん

2009-11-04

INNOCENT。(PRIMEVAL BREAKER)

近頃はJAZZに傾倒したとは言え、ROCK嫌いは自称しないのも、

ホワイトトラッシュ」なんて呼ばれているであろうクズ共が大好きなせいだろう。

「不幸な事に不幸な事が無かったんだ」とみうらじゅんは言っていたけれど、

まぁ、今は不幸な事なんてフツーに起こっているから、ホンマもんがその内出るだろうとは思っている。

それにしてもカート・コバーンがM.J.のコスプレをしてMTVに出てたってのは目から鱗のネタなんだけど、

まったく彼らしい皮肉だろうね。「成りたく無い自分にどんどん成ってしまう」ってウジウジしてた奴だから。

M.J.だって何故に「自分白人なんだ!」って言い出したのか...。

もう知る由は無いけど、どちらにせよ選べなかったんだろうとは思う。

著作権は死ぬまで保証されるべき物だとは思うけれど、墓に入ってまでついてくるってのはどうかと思うぜ。

彼が密かに隠していた日記も、デモテープもみんな売りに出されちまったのはつい6年程前だ。

「売れたく無いのにケツの毛まで売れちまった。」って多分彼は言う。

                           〜T.H.

2008-11-06

デジタルアナログの違い

アナログレコードが消えてデジタルCDが登場したり

アナログフィルムカメラが消えてデジタルカメラが登場したり

アナログハガキが消えて電子メールになったり

その都度言われる「アナログの頃はよかった」っていう論調はいったいなんなのだろうか、と。

アナログの方が性能がいいという主張は、まぁ理屈は分からなくもない。

ところがそういう連中に限ってデジタルに録音された音楽アナログで聞いていたり

しかも再生アンプ真空管使ってるわけでもなく、完全にデジタル意図して作られてたりするわけで

お前ら本当に性能のこと分かってるのか、と。聞き分けられるのか、と。

CDが出たばかりの頃の感覚のまま今まで来ているんじゃないか、と。

で、結局のところ多くの主張は「アナログの方が味がある」とか「心温まる」という意見だったりする。

確かに俺もレコードに針を落として「ブブブ・・・」っていう音が入ったりするのは凄い好きだ。

録音状態が最悪なデモテープなんかを聞くのもすごく好きだ。

ただ、だからといってアナログの方がデジタルよりはいいと思わない。

それは別の話だからだ。

つまるところ、アナログの方がよかったなんていう論調は

「あの頃はよかった」なんていう過去の栄光にすがる気持ちであったり

最近の奴らはよくわからん」なんていうジェネレーションギャップだったりする気持ちを

アナログ代弁者にして象徴化してるだけなんじゃないか、と。

素直に「時代の流れについていけない」とか「今の音楽は分からない」とか言えばいいものを

アナログよもう一度」なんて言ってしまうのは心の弱さじゃないのか、と。

もう10年ほどすれば

クラウドじゃない頃はよかった」

なんていう人が出てきたりするのかもしれない。

2008-01-10

変態

先月Napster適当新譜をかけていたら、たまたま見つけたアルバム長澤知之の「P.S. S.O.S」asin:B000U5HW5Q。今までにない感じで森山直太郎Coccoを合わせたような声・曲。最初は気持ち悪くてすぐに曲変えたんだけど、Ipodで聞いてるうちにはまり出す。歌詞も面白いし曲も新鮮なんで最近では3日に1回聞くようになった。

それで、他のアルバムも聴いてみたいよな、と思いwikipediaを見てみると

甲高いアシッドボイスで孤独哀愁を歌う。18歳のときにデモテープオーディションでその才能を認められ、ライブ活動を開始。2006年7月に「YAMAZAKI MASAYOSHI in Augusta Camp 2006」のオープニングアクトに出演し、注目を集める。2006年R and Cよりメジャーデビュー2008年1月3日女性への窃盗容疑で逮捕された。wikipedia:長澤知之

ヽ(・_・;)ノドッヒャー!

http://www.daily.co.jp/newsflash/2008/01/04/0000790248.shtml

なにこのVIPPER的なオチw

天才と狂気は紙一重なのか…。

2007-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20070325191839

天使たちのシーン聴いた。確かに凄い曲。素晴らしい詩。

ただ小沢孤独だったの?なんというか、デモテープみたいなアレンジと歌だったよ。

この曲を肉体的に具現化する仲間が全然いなかったんじゃねえの?って邪推しちゃったよ。

いずれにせよ、撮り直すべきだよ。カバーすべきだよ。オーケンよりもっとセンスがよくて歌上手い若い人が。

もったいない小沢氏全然歌の練習してないに違いない。ポップスとはいえ、トレーニングは不可欠ですよ

もったいないっすよなんか。

 
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