はてなキーワード: 入団とは
人間というのはいつの間にか年をとってしまい、それから段々当たり前だった日常が変化していく
「僕は将来おもちゃ屋の店員さんになる!」、「学校に行って友達と話すのが楽しいな!」
しかし、そんな日はもう来なくなるのだ
中学までは義務教育でその先は受験で選択する場所がもっと広くなる
そこで様々な人との出会いが待っていると思うが自分にはできなかった
高校は私立の方に親の威圧もあり渋々入ることになったが、もう当時の記憶などあまり覚えていない
まるで空白の3年間のような感じであった
その理由としては母方の両親や親戚が東日本大震災で亡くなったことと祖父の死が同時期に起こった事である
家族の悲しい表情を眺めていてもその人達が帰って来ることはない
「その時に立派な職に就いていなければならない」、「当たり前のようにただ学校だけ行っていいのだろうか」とそんなことだけが脳裏に浮かんでくるばかりだった
自分の能力なさに情けないと感じるが、それ以上に日本はどうして基礎教育だけを重視してその他のことは教えないのか未だに考えている。
最近中学の同窓会の誘いがあったので行ってみたところ、やはり皆何かしらの成功者になっていた
ある人は大学のサークル活動に熱心になりながら頑張っていたり、プロの野球団体の入団テストにいけるまでの力を身につけた人まで様々であった
劣等感に浸りたかった訳ではないが、やはり人間の人生というのは出会った数の分だけ成長できるのかもしれない
その時危機感を感じてはいたが、自分は他人に自慢するための職を選ぶべきか、それとも本当に夢として追っていた職に就くべきかを迫られたような気持ちであった
こんな所に書き留めても何の解決にはならないと思うが、自分としては年齢は20代でも精神的には16、17歳程度に成長したと思っている
基本的な教養を十分に身につかず学校を出てしまった自分に責任はあるが、同時につまらないと感じるようになってしまったのは、これまでの日常が消えてしまったからと考えている
【MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base
多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからとイチローを認めていない。
あとご存じの通り彼はMLBをNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチローに安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。
実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。
それにMLBはシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートだから、
国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。
賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。
イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。
日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。
イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。
NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打。王貞治は世界記録の868本塁打を打ったが2786安打。
755本塁打のハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打のベーブ・ルースは2873安打。
そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手のレベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンやルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。
MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順で試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLBで打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。
松井は日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代のキャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。
したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。
日米の単純な野球のレベル差というのも議論の余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。
ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすいNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアやボンズが日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。
実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後の打数で40本台に減っている。
日本だと試合数が少ないしさらに勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。
また、MLBのトップなら誰でも日本でMLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。
オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。
現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。
彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコ、シェーン・マック、元西武のフェルナンデスなど。
1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。
彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナルな活躍をしたかというと、そういう例は少ない。
特にフランコはMLBで首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラスの選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。
本拠地が千葉マリンのロッテに所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。
シェーン・マックは来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBとMLBそれぞれの通算長打率やOPSを見てもあまり差がない。
それらの成績を見るとNPBがMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。
また、マックは彼以外の日本で成功する外国人選手の共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。
野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手の成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。
その姿勢の問題でよくネタにされるグリーンウェルもバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。
日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。
日本から帰国後にMLBで最多勝を獲ったガリクソンや帰国後にMLBで本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国で活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。
井口や城島、福留、西岡などは故障や衰え、メンタルの問題などでMLBを去った後も日本で活躍したといえるのだが、しかし日本での全盛時に比べると物足りない。
岡島や五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家やマック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。
日本に出戻りではないが韓国のパク・チャンホも衰えていたとはいえ日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである。
あとは中島や松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本で簡単に活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本や韓国では1流以上というわけでもないようである。
今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。
マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガーが来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。
恐らく最もNPBのレベルが相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。
故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。
バース、マートン、ペタジーニ、カブレラ、ラミレス、ロバート&タフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本でレジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、
逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。
日本でいえばMLBでも通用した田口壮や新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋や中島裕之以上の打者といえるのか…など。
歴代最強助っ人のバースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本で適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。
一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田や江川の勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。
強打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。
もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。
落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。
MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本の専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。
そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合はメジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。
その際、イチローが「メジャーに自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、
落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。
日本人や韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本や韓国では大したことなくてもMLB で成功する打者が現れるのではないか。
既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国のチェ・ヒソプはMLBでレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらにレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓の数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。
もちろん、主に内野守備や球場など、総合的なプレーのスケールや文化のレベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。
韓国人選手はNPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプの打者が多いように感じる。
イ・スンヨプやキム・テギュンはNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合は環境への適応も課題だが。
実際に今年は韓国人野手が何人もMLBに移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打、イ・デホは起用が少ないながら10本塁打で打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打。
あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンがMLBで奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。
日本でも落合や清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者はMLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜も日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。
また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。
しかし関西出身野手のアメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原もメンタル的に微妙だったかもしれない。
つまるところ、全てのリーグで活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBでナンバーワンになった選手がNPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである。
もしかしたらマグワイアやソーサ、ボンズらはNPBでは松井や中村紀、カブレラやローズらより打てなかったかもしれないし、松井や中村、小笠原、松中らはKBOではイ・スンヨプやイ・デホよりも打てなかったかもしれない。
最近キューバのトップクラスの打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。
グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手がMLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。
じゃあキューバの打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。
グリエルやデスパイネの成績から考えるとキューバと日本の投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまり、MLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。
ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。
推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。
だからこそ、NPBとMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチローは現代野球では歴史上唯一といっていいくらいケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。
また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである。
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
それに、松本はDeNAとの外れ一位の競合でくじ引きにより巨人入りが決まったわけで、くじの結果によってはDeNAに入団する可能性もあったわけだ。
巨人入団→野球賭博の因果関係を仮に認めるとしても、直接的には「日ハムが菅野を指名したせい」じゃなくて「くじ引きのせい」ってことになるよね。
NHKに元巨人の松本竜也という今話題の野球賭博やらかしてクビになった奴が出ていた
私が気になったのは彼が巨人に入ったいきさつだ
巨人は最初、菅野智之という当時の監督である原辰徳の息子を1位で指名、菅野自身も巨人以外はメジャーと公言し、入団拒否の意思を表明していた
そういう経緯もあって他球団から菅野の指名はないものと思われていたが、あろうことか日本ハムが菅野を強行指名し、しかもクジで当ててしまったのだ
巨人は仕方なく代わりの人間を1位指名。この時外れ1位で指名されたのが何を隠そう松本竜也だった
結局、菅野は浪人して巨人に入ったが、今でも日本ハムは何がしたかったのだろうと疑問が残る
その後は皆さんもご存知の通り、ドラフト制度のせいで貴重な20代を一年棒に振った菅野は今もなおハンデに苦しみながらも球界のエースとして目覚ましい飛躍を遂げている
一方、松本竜也は一軍に一度も上がることなく不祥事とともにプロ野球界を永久追放されることになった
私は皆さんに言いたい。菅野を巨人が外して喝采した愚かな大衆どもに言いたい
若者の希望と才能を大人のおもちゃにしてはいけない。町内会のような老害の論理で若者を束縛しないであげて欲しい
さっきめちゃイケ見ててふと思ったんやけど、めちゃイケって本当最悪、早く終わればいい、三中くんもふつうに就職した方がいいよって感じ。ツイートする、で終わってもよかったけど、一応補足。
今夜のめちゃイケの中身というのが、メンバー唯一の素人三中くんが番組の企画として、みちのくプロレスに入団させられて、苦しい練習のあまり逃げ出してしまうというもの。
それを呼び戻すため、メンバーが逃げるんじゃないだの、プロ意識だの、みんな大変だのと言って叱咤激励して、結局プロレスに戻されてしまう。でも、結局また逃げちゃう。
それでまたメンバーに囲まれて、甘えるな。わがままだ、と集中砲火を受けるもの。そして、逃げた理由は芸人をするためというもので(確かに三中くんは芸人を志望していた)
逃げたわけではないというが、メンバーはそれならば、今後は素人ではなくプロとして扱う、と一気に突き放すというもの。そもそも、素人として扱う、プロとして扱うの線引きって何よ?
とりあえず。はっきりさせておきたいのが、三中くんは「希望してプロレス行っていない」というもの。そして、番組内のメンバーが言うように彼は素人であるということである。
確かにテレビに出ている以上は多少は体を張らないといけないかもしれないが、給与も他のメンバーと比べると相当低い、それは彼が素人であるからである。
しかし、給与が低いのも彼が素人であり、プロじゃないから、というのは理由にならない。実際、体をはって彼も番組のコンテンツを作っている、貢献度が他の芸人に比べて低いから給与も低いのは
仕方ないというのだろうか、もしくは彼はまでプロダクションも所属しておらず、当然マネージャーもいなかったため、ギャラ交渉もできなかったためなのか・・・とりあえず、素人ということで給与は
安くて、ドッキリという名前で、道で不良に絡まれたり、ハニートラップにかけられたり、重いものをぶつけられたりしていたわけだ。それも本人が好きなら許されるというわけか。よくわからん。
確かに三中くんも芸人になりたい、お笑いが好きでこのめちゃイケのオーディションに志願して受かっているわけだから、めちゃイケメンバーとしていられるのが幸せなのかもしれない。
しかし、今回のように突き放されて、果たして彼の居場所があるのだろうか、むしろ、意図的に外そうとも見える。それが優しさ、獅子が子供を谷底に落とす親心なのか、純粋芸人どうしの闘争本能なのか
よくわからんが、今まで仲間だった人間を、「嫌いになる見えなくなる」というよゐこ浜口の発言をしない。
ある時はプロとして扱い、ある時は素人と扱う。まさにご都合主義である。要は三中くんはメンバーから舐められていたわけである。
めちゃイケ批判は、ネット上に多くあって、早く終われ、打ち切りか、などと書かれていて、僕の知っているころのめちゃイケは面白かった記憶があったので、そんなことはないとおもったけど、新メンバーが加入したときから
だんだん疎遠になり、中嶋Pがいいともにいって、ますます見なくなり。気づいたら、素人を囲んで集団で責めたてるお説教リンチ番組になっていた。社会は甘くない。芸人はもっと甘くない。うん、正論。だけど、これバラエティだよね。
確かにめちゃイケはこういういい話、お涙頂戴が時々あってうざかったけど、今回は特にひどい。TBSのガチンコか。視聴者はこれをみてどう思うだろうか。少なくとも10代、20代、三中くんと同じぐらいの世代はこれをみて何を思うだろうか。
めちゃイケメンバーは三中君を見る目が変わるといったが、少なくとも私の見る目は変わったなあ。よゐこ浜口は嫌いになると見えなくなるといったが、私の好きな番組からもめちゃイケは見えなくなりました。
俺の変態な部分を俺として曝け出させてくれるような寛容さをどうしても求めてしまう。
俺は己のあらん限りを露出し、
そして何が恥かもわからないほどにプリミティブな新人類へと召喚するのだ。
恥も外聞もなくただただ無邪気な顔でシンプルな論理からシンプルに感情を吐露し
それほどまでに真白な純朴さをもってしても、
いや純朴さ故に逆に浮き彫りになる変態性欲という俺のアイデンティティーよ。
俺は自らのアイデンティティーを掌握したい。
掌握することでもって自分という存在は耽美主義の何某かにメタモルフォーゼすることができる。
自らの倒錯した性的嗜好に対する不潔感にじりじり侵食されてバイキンマンになってバイバイキーン☆。
バイキンマンもそれはそれで変態で素晴らしいが俺はバイキンマンになるのがやっぱり怖いんだ。
俺という変態を、例えば何の変哲もないドアノブのようなものだと捉えるような世界観をもった人間の寄せ集めのなかで暮らしたい。
だから俺は俺の変態を受け入れはしたいが、俺と似たような変態が集まって兜合わせするだけの集団に入団することは望んでいない。
変態兜合わせ協会は恐怖を与えるだけの脅威だ。皆で仲良くお手々を繋いで南無阿弥兜合わせ。
南無南無南無南無と彼らは、ミサイルを打ち、原爆を打ち、テレビ番組に苦情を入れ、街中にサリンを撒き、アムウェイの説明会案内と聖書を軒先で見知らぬ人に押し付ける。
そんな奴らに関わってしまったら俺は幸せに変態になることができなくなってしまう。
みつどもえのKinky,Love&Peace.
清原和博が覚醒剤容疑で逮捕された。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
今の若い人で「球界のアイドル清原」の時代を知る人は少ないだろう。入団の経緯もあり、計算高そうで表情の起伏に乏しい桑田との対称で、清原は喜怒哀楽が素直で純朴、というイメージが一般には持たれていた。また球界を代表する投手のウィニングショット(例えば山田久志のシンカー)を簡単に流し打ちでスタンドに運ぶ打撃など、野球ファンに抱かせる将来への期待という点でも計り知れないものがあった。日本球界で、最もバッティングの能力が高かった選手は誰かと言われれば少し迷いつつ「落合博満」と答えるが、素質や潜在能力については迷わずに「清原和博」と答える。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しく、意外に精神的に不安定な選手であるという認識はあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン半ばに走塁中の肉離れで一月弱ほど戦線を離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
そう、消防団だ。
おそらく増田の中に消防団活動に加わっている人は少ないだろう。
でも僕は参加している。
あまり人の知らない話しをたまにはしてみよう。
コンパニオンを呼んで税金で放蕩三昧みたいな話しをネットで見る。
僕は十年以上消防団に在籍しているが、そんな目に遭ったことはない。実際に聞いたことも見た事も無い。
しかし、そんな事があり得ないかと言われれば、断言はできない。
最近は自治体の財政改革に伴って、地区団は市町村消防団に統合されている。
僕の住む自治体では、消防団本部があって、その下に各地区団本部ある。
一般的に消防団活動と言うと更にこの下、単一から複数の行政区を守備範囲とする『消防分団』の活動のことを指す。
呼び名は『分団員』で、これが有機的に消防団を構成する細胞を言うのがわかりやすいか、ヤクザで言うところの三次団体構成員と言うのがわかりやすいか。
消防団は制度としては他分団や他消防団への移籍も認められているが、実際問題としてほとんどの人は最初に加入した分団以外に所属しない。
だから、隣の分団や上の地区本部等がナニをしているか、さっぱり解らないのが実情なのだ。
○○市消防団の××地区第△分団に所属する僕が語れるのはこの第△分団の中身だけだ。
各家庭の長男は原則的に消防団に入団を求められるのが現状である。
僕らはボランティアで年間を通じて消防活動に従事するんだけど、制度としては定額で年間1万6千円ちょっとが貰える。
年間で20日程は訓練や災害出動、夜警、機械整備で手を取られるんだけど、この金額は平団員の報酬である。
分団長など偉くなるともう少し報酬は増えるが、更に手を取られるので、出世は誰もしたくない。
ちなみに、出動すると出動手当が貰えるが、これは分団が受領して運営費に組み入れられるので僕らが貰うのは基本の報酬だけである。
所属する分団で機械班などになれば、休日に消防自動車でドライブを楽しむことができる。しかもガソリン代は消防本部持ちなので分団員に負担はない。
ただし、縄張りから遠く離れれば緊急時に対応できない為、十㎞ほどを行って帰ってくるだけである。当然、目立つために買い物などには行けない。
普段、まったく動かさないと消防車のバッテリーが上がってしまうし、ポンプや発電機などの機械も定期的にエンジンを掛けないと壊れてしまうのだ。またガソリンや機械油も残量チェックしておかないと、突然起こる火事場が長く続いたときに活動できない。
緊急出動時に消防車が動かなかったという他の分団の話しはたまに聞くが、人命が係る場面も多いために笑えない。
3.酒を飲ませてくれる
いよいよ、この辺に興味がある人も多いだろう。
活動費というものが分団ごとに支給され、たとえばヘルメットを買い換えたり、手袋を買ったりするのに使用される。
この一部が飲食費に利用されるのだけど、缶の発泡酒をのませてくれる。
たとえば分団会とか、訓練の後などで。
ただし、予算がないために、格納庫(消防車の車庫)の詰め所で、割り当ては一人三本くらいまでである。
つまみは乾き物で、一回当たり千円分くらいの駄菓子か柿ピーを十人程度で分けてたべる。
これが、飲食店で酒を飲むなどの話しになると、確かに楽だしおいしいのだけど予算の関係から手出しになるので、三年に一回、飲みに行くかどうかである。
最近は、飲酒運転の厳罰化から、飲酒自体をしない人も増えた。飲酒直後に運転は当然しないが、翌朝の検問で引っかかるのが恐ろしいのだ。
無理に酒を勧めることも減った。
ただし、皆が酒をすごく飲むときもある。
火事場で、燃える炎を見ると、自分か仲間の誰かが死ぬかも知れない危険に近づくと、神経が高ぶって落ち着かない。
うちの分団はまあ、だいたいこんな感じだ。
しかし、先に言ったように隣の分団でさえも活動の詳細は知らない。
毎月訓練をするところもあると聞くし、夜警をしないところもあるらしい。年間報酬を全額積立に回して、酒を豪勢に飲むところもあると言う。
また、何年か積み立てて皆で旅行に行くところもあるらしい。
うちは過疎の田舎だけど、繁華街を縄張りにしているところは商店会などからのカンパで活動資金が豊富ところもあるかもしれない。
だから、うちはピンクコンパニオンとは残念ながら無縁だけど、他は知らんとしか言えないのだけど、まあ、これを読んだ皆さんは今年も火元に気をつけて火事と無縁の年になるといいですね。
なんでも実況J板には、実は唐澤弁護士への集団ストーカーが始まる以前から、それを許容するような「空気」が存在していた。プロ野球選手の「ネタ」化である。特に、歴史的に傲慢無礼に振る舞い、他球団の選手を金にあかせてかき集め、有望な新人選手を強引に入団させ、アンチを大量に生み出してきた某球団の選手は、ほぼ自動的に「ネタ」にされる運命にあるといってよい。「巨人小笠原」に代表されるそれらの「ネタ」は、選手のゴシップなどが誇張され、あるいは全く事実無根の罪を犯したことにされていた。そして、この「ネタ」化は、ネトウヨのデマなどとは違い、端からそれを他人に信じさせる気などなく、ただ「面白いから」「憂さ晴らしで」行われているのである。
また、なんJは、いわゆる「淫夢」というミームの発信源の一つでもあった。野球選手のゲイ向けAVへの出演が発覚したことがこのミームの起源なのだ。何年も一般人をおもちゃにし続ける「淫夢」も、唐澤弁護士への攻撃に非常に似ている。「巨人小笠原」、そして「淫夢」も、その「文化」が非常に長く継続しているという特徴がある。嫌儲・VIPに由来する「文化」が基本的に一過性であることとの差は顕著である。私見ながら、それはプロ野球の選手寿命が長いことに起因するように思われる(淫夢は、すでに発端の選手が話題の中心に居ないが)。
要するにこの「実在する人物(仮に社会的地位の高い人物でも、あるいは全くの一般人であっても)を容赦なく、そして長期的に『ネタ』にする」という空気を持った場所に、認識も脇も甘い弁護士が登場してしまったことが不幸であった。
余談ながら、こういった「ネタ」化の過程で、検索エンジンにおけるサジェストの汚染という現象はすでになんJの住民に把握されていた。それを能動的な戦術に変えたのが、唐澤弁護士への攻撃だった。
特にイケダハヤトなんかに影響を受けたような、意識高い系(笑)の若者はIターンなんかしないほうが賢明である。絶対に後悔することになるから。
首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。いや、厳密に言えば選ばなければ仕事ある。
例えば介護、ホテルや飲食、建設土木業などはどんな不景気な地方都市でも仕事はあるし、年間休日80日のブラック営業なんかの仕事はいくらでもある。
しかし意識高い系のやるような仕事、WEBとかIT系の技術者や広告代理店などはもちろん無いし、電機や自動車メーカーの工場の現地採用は給料のやすさの割に競争倍率が高く、とても就けるものではない。
あなたがまだ第二新卒でMARCHか駅弁大学を卒業したぐらいの学力の持ち主でコネがあれば、市役所や県庁、あるいは地方銀行や地方紙、ローカル局などに潜り込めるかもしれないが、それらがないならやめておいたほうがよい。大卒でも東京の高卒初任給レベルの給料で使われるのが落ちである。
イケダハヤトはクラウドソーシングなどを活用してフリーで仕事をとれというが、残念ながら東京の発注主は東京近郊在住のフリーランスにしか仕事をよこさない。あったこともなければ、いざとなった時にあうのに莫大なコストがかかる人物に仕事を頼むほど、世の中のクライアントは甘くないのだ。
さて、ある程度妥協してそれなりの仕事についたとして、今度は職場に不満を持つことになるだろう。こう言っちゃなんだが、地方というのは全体的に仕事のレベルが低い。
例えば仕事外部に発注するときに優先するのは、単価でもクオリティでも納品スピードでもなく、地縁やら血縁やらコネやらまず人間関係が優先される。たまに地方都市でコピー機やら光回線やら広告枠やらを飛び込みで売っている営業マンを見かけるが、彼らは首都圏の2/3ほどの給料を首都圏の1.5倍の苦労をしなければ稼げないのである。
そんな調子なので、仕事をしている連中のレベルも低くなる。地方のエリートが集まっているはずの地銀やローカル局ですら、いわゆる「都落ち」みたいな連中が多く、やたらエリートぶって威張るくせに仕事ができない連中がのさばっている事が多い。
「都落ち」以外では、いわゆる一度も地元から出たこともないような、本格的な世間知らずも多く、こいつらもはっきり言って仕事のレベルは低い。レベルが低い上に、他人の足を引っ張ることに情熱をす注ぐので、ますますレベルが下がっていく。彼らにとって仕事は何かを作るとか、何かを成し遂げるとか、そういう目的ではなくただ時間だけいて給料をもらう行為なのである。
エリートどころか、そこら辺のショップの店員のレベルもはっきり言って低い。注文したものを何日も連絡もされず放置されたり、間違えられたりなんてこともよくある。おかげでネットでしか買い物をしなくなるのだが、今度は配送員のレベルの低さに悩まされることになる。
Iターンを目的とする連中は、東京で疲れたとか田舎でのんびりとかそんな理由なんだろうけど、はっきり言って地方は給料が安い上に休みも少ない。下手すれば労基に引っかかるような求人がまかり通っていたりする。
あなたがもしIターンを画策していたなら、Iターン先のハローワークの求人をネットで見ることをおすすめする。一例として、とある県のバス会社の求人情報をここに引用してみよう。
求人広告内容 ・乗合路線バスの運転業務・就業時間内での6時間前後の運転(バスの運行時間により出退勤時間が変ります)*大型2種免許がない方でも養成いたします。*正社員登用あり(採用時45歳以下の方で、約1年半の期間を経て審査となります)※大型2種免許養成期間(9日~3週間)の賃金は時給675円となります
募集資格 保有資格:普通自動車一種運転免許(AT限定可) 経験について:不問 学歴:不問
勤務地 **県**市、**県**郡**町、**県**郡**町
勤務時間 変形 1ヶ月単位05:30~01:30の間の7時間程度(残業月10〜20時間程度)
休日 5働1休を基本とした勤務割*有給休暇は、入社2ケ月後より付与となります 年間休日:66日
給与 日給月給 a 基本給(月額平均)又は時間額150,400円~150,400円
b 定額的に支払われる手当a + b150,400円~150,400円
c その他の手当等付記事項拘束手当他20,000円~60,000円
勤務待遇 加入保険:雇用 労災 健康 厚生 通勤手当:実費支給 上限あり 月額:6,500円 マイカー通勤:可会社敷地内に無料駐車場あり 定年制・再雇用:なし 育児休業取得実績:あり 入居可能住宅:
上記の求人は大体月の休日が平均5〜6日(良くて隔週、下手をすれば週休1日)で、月の労働時間が残業が有った場合250〜260時間、手当を含めても手取り20万行くか行かないかというところである。ちなみにこのバス会社は去年事故連発で行政処分を何回も食らっている。
こういう、ウンコ見たいな求人が当たり前のように転がっているのが地方都市である。年間120日休めて、手取り300万円を超える仕事はないと思った方がいい。イオンに入っているようなショップで、年間休日105日で、手取り200万円代といったところか、これでもマシな方である。
もっとわかりやすい話をすると、北東北の県庁所在地のファストフードの時給は680円、東京都中央区のファストフードの時給は1200円である。
「そうは言っても物価は安いだろ」と思うかもしれないが、安いのは家賃と生鮮食品だけである。イケハヤなんかは一戸建てが1万円で借りられるぞとアジっているが、築60年で上下水道なし、10年ほど前に老夫婦が他界して以来空き家でほとんど廃屋なんて家にあなたは住みたいだろうか?そういう家に住もうとしてらリフォームが必要になるし、浅築物件だとせいぜい東京より2割安い程度の家賃になる。
更に地方は自動車必須になるので、自動車本体とその維持費がかかる。走行距離も伸びるので、保険料・タイヤ代・オイル代で大体年間40〜50万円ほど、もちろん車本体は別である。そのせいか、東京じゃまず見かけない2代目マーチや初代デミオ、5ナンバー時代のカローラやすでにモデル自体が生産されていないサニー、車検が通るかどうかも怪しい軽トラ軽バンが走っていたりする。
更に東北や北陸などの場合は、光熱費がかかるので結局家賃や食料品の部分で浮いた部分を引いても、生活費は東京と変わらないぐらいとなる。
イケハヤが「近所の人が野菜をくれる」なんて嘘を言っているが、よそ者にくれる野菜などもちろん無い。秋田県には上小阿仁村という、よそ者の医者を老害がいびって追い出し続けている、絵に描いたようなクソ田舎の無医村があるが、はっきり言って首都圏以外近畿圏以外の地方都市はあれよりマシという程度の排他性である。名古屋や京都ですらあやしい。
あなたが豊臣秀吉や田中角栄や水無灯里級のコミュ強で、地元の消防団に入団したり、知らないばあさんを病院へ送って行ったり、知らない爺さんの葬式に出たりすることが苦痛でなければやっていけると思うが、意識高い系には無理だろう。地元の消防団はマイルドヤンキーみたいなのがゴロゴロしてるし、ジジイやババアは不条理な存在である。
ちなみにドラゴン桜の三田紀房も、岩手県へのUターンに一度失敗し漫画家デビューして再上京している。
よく「何の能力もない人間は東京になんかこないで地方でおとなしくしてろ」的な言説を見かけるが、むしろ逆である。バカとブスは大げさかもしれないが、平凡な人間こそ首都圏で仕事して生活するべきである。確かにブラック企業や倒産寸前の零細企業の労働条件は、日本全国どこでもいいものではないだろう。それでも、首都圏では地方都市に比べればそういうハズレ会社に当たる確率は大幅に低い。少なくともウンコみたいな労働条件で、事故と行政処分を連発するようなバス会社は、東京では存在すら許されないのだ。
何も東京都港区や千代田区で生活しろということではない。埼玉県所沢市でも東京都町田市でも、神奈川県藤沢市でもいい。大都市圏にいる人は頑張ってそこで生活すべきだし、駅弁大学の若者は一度大都市圏で生活してみるべきだし、大学から首都圏に出てきた若者は、そのままそこで就職したほうがよい。国は地方再生など諦めて、都市化をもっと進めるべきである。
結構気合を入れて書いたのに、全然トラバもブコメもつかなかくてがっかりしてたらいきなりホッテントリ入りしてびっくりした。
いやいや、お前のほうがいい加減だろ。こっちは地方のハローワークの求人状況と家賃相場と公共交通機関のダイヤとか、人口動態統計ともろもろの地方経済統計データとかを調べながら書いたのに、そんな特殊な成功例を2個あげられてドヤ顔されても困る。島根県海士町とか徳島県神山町とかDMMとかそういう「地方で成功した企業」とか「成功した町おこし」の裏には、ウンコみたいな地方零細企業と失敗した役所の町おこしの屍が山のようにつまれてるんだから。
ちなみに県庁所在地レベルならITの仕事もなくはないが、技術レベルがアレなSIerか東京に本拠を置くWEB系企業のオフショアセンターみたいなのになる。もちろん薄給激務。技術も身につくかどうか微妙。そういうのも含めれば、無くはないといえる。
最近清原和博をめぐるニュースが、薬物疑惑、DV、劇太り、後輩の離反、仕事の激減、離婚などなど、あまりにひどいものばかりだ。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しい選手ではあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン後半に走塁中の肉離れで長期離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
久保康友。
松坂世代最後の大物として、社会人からロッテに入団。トレードで阪神へ行き、FAで今年から横浜。
成績と言えば地味の一言。
先発としての登板が多いがシーズン勝利数や投球回数は微妙。10勝以上は二度だけ。
これと言ってとくに特徴のないフォームからチェンジアップやフォークを投げ込む。
そんな地味な久保が、3球団目の久保が、何故か今年最多勝を狙える位置にある。
2005年に新人王を取った久保も今年34歳。ベテランと呼ばれる年になった。
足を挙げるタイミングをずらして打ちづらくする老獪な工夫をしている久保。
ここまで地味ながらもチームに必要とされて1軍で登板していた久保。
一花咲かせる時が来た。
頑張れ。
元海外組
・玉乃淳 アトレティコ・マドリードY→(トップが降格、EU外枠ルールの関係で帰国)→ヴェルディユース→ヴェルディ、徳島、
横浜FC、徳島、草津→引退→カナダで語学の勉強、帰国時に「Foot!」出演など
・高野一也 エスパニョールY→(ホームシックで帰国)→清水Y、大学進学後バルサキャンプの通訳・指導。『サッカーキング』、『ワールドサッカーキング』など
・篠田悠輔 エスパニョールY→(腰を痛め帰国)→清水Y、富士常葉大学
・松永祥平 シャルケ04Ⅱ(ドイツ4部)→浦和・水戸・甲府の入団テスト不合格→愛媛入団、半年で解雇→ペルシブ・バンドン→グレシック・ユナイテッド(インドネシア)
・沓澤曙 プリマスY(イングランドFL1部)→流通経済大 [読み:くつざわ あきら]
・宮川類 アトレティコ・マドリード・カデーテ(U14-15)→同地域の他クラブ(16歳~19歳のチーム)→日本に帰国、流経柏高に編入
・金城クリストファー達樹 (JFAアカデミー福島→)フォルトゥナ・デュッセルドルフU-19→福岡
海外未遂組
・田中裕人 リーズ・ユナイテッドJYのオファー蹴る→ガンバY、関西大→磐田
・比嘉厚平 バルセロナのオファー蹴る→U-19カタール国際で中国人に破壊される→柏U-15,18,トップ昇格→秋田→山形
現海外組
・富田平 (JFAアカデミー福島→)シャルケU-17→シャルケU-19→オーバーハウゼンU19→清水練習参加→オッフェンバッハⅡ(ドイツ5部)
・古山瑛翔 (JFAアカデミー福島→)ボルドー(ユースでプレーもプロ契約できず)→トゥールーズ、ディジョンとも契約できず→ディジョンBチーム
・湊幸輝 ブレシア(ユース)(将来的な獲得を視野に、15歳がメドか?)→不明
・内田将志 サラマンカ(スペイン2部)、ペニャロールB(ウルグアイ)、ラージョ・マハダオンダ(スペイン4部グループ7)等所属の噂→その後、消息不明
・古川頌久 ブレシアB(ユース)→川崎ユース→ナシオナル・モンテビデオB(ウルグアイ)
・久保建英 バルセロナ・アレビンC→アレビンA
・タルハニ在哉 エスパニョール・アレビンB
・中井卓也 レアル・マドリード・アレビンB
・野中望 (JFAアカデミー福島→)ボナーSC(ドイツ5部)→SCブリュール(ドイツ5部)→ベルギッシュ・グラートバッハ(ドイツ4部)→?
・佐藤令治 (JFAアカデミー福島→)モレリアU-20(メキシコ)→トップデビュー
・亀倉龍輝 ポルト(U19?)→ポルティモネンセ(ポルトガル2部) ※代理人テオ・コンスタンティンの息子
特に有望なの
自分にとって、強く入団を希望する最も理想的なアマオケは、とてもシンプルだ。
即ち、弦が強いオケ。
演奏が下手でも運営がgdgdでも一向に構わないので、あらゆる場面で弦楽器奏者の発言力が強大で、弦楽器を中心に回っているオケが最高。
なぜなら、オケは音楽面でも人口比でも弦楽器奏者がマスだから。
民主的運営として、最大多数の最大幸福を追求すれば絶対こうなる。
一方で管楽器と打楽器に望むのは、どんな場面でも黙って弦楽器のフォローに徹する、職人的ポジションでいてくれること。
身の程を弁えろとも言う。
それこそ、弦がやるより管打の人のが早く済むこと以外は、手出し口出し一切無用ってことで。
でもアマチュアでは少ないだろうなあ、そういうオケ。残念すぎる。
あったらぜひ紹介して欲しいけど。
楽天・田中投手のポスティングによるメジャー挑戦を楽天が認めない方向、という話が報道されていますが、実際にポスティングが球団側に拒否された場合、今後期待の若手が手を抜くという問題が発生する可能性があります。
今回の問題は、田中投手ほどの選手をポスティングによる補償の上限額である20億円で手放さなければならない、という点。つまり、メジャーに挑戦したい選手の場合、球団側に20億円以上の価値がある、と思わせてはいけないのです。
じゃあ選手側はどうすれば良いのかというと、それほどの価値がないように手を抜けば良いわけです。手を抜いて多少年俸が下がったとしても、メジャーに行って活躍すればばその分はすぐに取り戻せます(例:ダルビッシュ有投手は日本では球界最高年俸レベルの5億円をもらってますが、メジャーでは6年で5600万ドル(約56億円)+出来高という、倍近い年俸になってます)。
ダルビッシュ投手は最初から鳴り物入りで入団した特別な選手としても、たとえば野茂投手の場合、1年目は年俸980万でしたが、翌年は3年430万ドル(4億3000万)、またメッツ移籍後は1年292万ドル(2億9000万)で契約しています。つまり、多少手を抜いて日本での年俸が減っても、米国で活躍できれば日本と同レベル以上の年俸が期待でき、そこで簡単に取り戻せるのです。
現在、将来のメジャー挑戦が目されている選手としては、カープの前田健太選手や日ハムの大谷翔平選手などがいます。特に大谷選手は高卒から直でのメジャー挑戦を当初は表明していたくらいですから、将来メジャーに行きたいという意思は強いでしょう。今回の田中選手のポスティング問題を見て、「20億円以下の価値のプレイしかしない」となってもおかしくはありません。今後のメジャー志望選手の動向に期待です。
レイシストたちの直接の被害者であるのはコリアンの人々だから、彼らがしばき隊に入団するのは素朴な感情でいえば当たり前に思えるし、むしろ彼らにこそ抗議する資格があるのだと思えるんだけど、やはりレイシズムに関する争いにはレイシズム的排外主義の態度を取って当該人種の人間を除外して争った方が良いのではないか。
もしも日本人のレイシストVS日本人のアンチ・レイシストの構図だったらこの争いの間においてはレイシズムの要素が無くて、争いの焦点をレイシズムの是非についてのみに絞ることが出来るけど、アンチ・レイシストの陣営に非差別人種の人間が入るとなると少しきな臭いムードになってくる。つまりレイシスト陣営もアンチ・レイシスト陣営もお互いにレイシズム的感情に則って相手を敵と見做してしまう。こうなると建設的な議論をするなんてことは不可能であり、互いにヘイトスピーチをぶつけあうだけで、更なる反発感情を生み出すだけだ。
学位取得後に環境も生活も考えも大きく変わるし、経済的なものも大きく変わるし、思った通りにならないもんだよ。
結局のところ考えても無駄というかさ。
今望んでいるものに対して最短を考えて不安がっているんだろうけど、
いま望んでいるものとそもそもまったく違う未来がやってくるし、そんな未来を望むようになるんだと思う。
それが人生の常というか。
俺は彼女も変わったしな。
スポーツチームでも、この若手選手が入団したから、このチームは10年安泰だ、とか言ってたものの、
故障や移籍や伸び悩みや、もっとすごい選手の入団なんかで全然思ってたチームじゃなくなるって、めっちゃよくあるよね。
そんなイメージかな。
なんJ PRIDE : 歴代プロ野球レジェンドベスト10選ぶとしたら http://blog.livedoor.jp/rock1963roll/archives/3650792.html
この手の記事は定期的に立っては基準がわからずにいろいろ意見が出て結論が出ない。まあ、それがこの手の記事の醍醐味でもあるんだけど、俺個人としては「この人がいなかったら日本のプロ野球史は語れない」という観点で考えてみた。さほど詳しい訳ではないので、突っ込みどころありまくりだろうけど、そう言うのがあったら教えてちょ。
2011年10月23日、我々は日本サッカーの未来を託して見送ったはずのある男が日本に帰ってきていること、
彼がプロサッカー選手となって初のゴールを奪ったことを同時に知った
(もっとも、多少Jリーグに関心があるものは、2010年6月に彼と水野晃樹が帰ってきたことを知っていただろうが)。
有名高校生プレイヤーとしてJリーグ発足後初、国内クラブを経由せずに直接海外クラブとプロ契約した男の遅すぎるゴールだった。
2011年、10月23日というその日まで伊藤翔がなかなかゴールを奪えないでいる頃、我々は違う若武者に快哉を叫んでいた。
宮市亮、アーセナルの練習生ではないベンゲルに認められた若武者、正所属の上でフェイエノールトにレンタル移籍がなされあっという間に
欧州主要リーグの日本人最年少得点記録(2011年2月12日、18歳1カ月29日で記録)を決めた若武者にであった。
さて、このエントリの目的は、有名高校生プレイヤーとしてNPB発足後初、国内球団を経由せずに直接海外球団とプロ契約しようとする
大谷翔平が"翔"なのか"亮"なのか当ててみようということではない。甲子園に出れなかった防御率がそこまで低くない「球速160km」の投手、
日米親善高校野球で藤浪晋太郎にエースの座を触れさせてももらえなかった彼は、
確かに、「和製アンリ」という話題のみで実態が分からなかった"翔"と似ている。
しかし、海外挑戦前の"亮"だって、50m5秒台らしいものの、テクニックの不十分さは指摘されていたし、宇佐美貴史のような国際試合での
圧倒的な実績がある訳ではなかった。現時点で、"翔"なのか"亮"なのか当てることはあまりに不毛だろう。
重要なのは、"亮"の為には、"翔"が必要であったという事である。直接に、宮市が海外挑戦する際、伊藤を参考にしたことを示す資料はない。
しかし、ほぼ確実に宮市あるいはその周囲の判断において、先輩(実際同じ高校のでもある)伊藤の顛末が一番の教訓として機能していただろう。
リップサービスにのせられてはいけない、若手を教育する気がない海外クラブにはいってはいけないなど、学んだことは多かったはずである。
"翔"があってこそ、"亮"があるのだ。そして、"亮"があるからこそ、未来の日本人スタープレイヤーが生まれるだろう
もちろん、スタープレイヤー誕生には、Jリーグを一回経由することが重要と言う結論になることだってありうる。
しかし、その結論を出すためには、"亮"の未来、あるいはそれに続く直接海外クラブ契約する選手たちの行く末を見る必要があるだろう。
(高校生以下の育成については久保建英君の将来を見よう。しかし、久保君にも玉乃淳という見本がいたことを忘れてはならない)。
野球の"翔"のメジャーへの挑戦も、野球の"亮"を生み出し、そして、未来の日本人スタープレイヤーを生み出すだろう。
"翔"の挑戦は、日本野球界に貴重な経験を与えるだろう。もしかしたら、NPBの重要さを改めて認識させることなるのかもしれない。
誰かが捨て石になる可能性を覚悟してやらなければならなかったことなのだ。
であるから、大谷翔平よ、全ての誉れと怨嗟を受け止めながら、翔び立ってほしい。
そして、野球ファンは少なくとも"翔"が帰国して仮に日本のどこかの球団に入団して、1年は成績が悪くてもかつての挑戦者を見守って頂きたい。
もっとも、2年目も成績が悪いのなら、本拠地で彼にブーイングで浴びせようとそれは自由だろう。