はてなキーワード: 携帯とは
大阪も2万人を超えたらしい。
日々の感染者数など気にも留めていない私でも、この数字を知っていた。
携帯を開けば、この数値が目に入り、友人と話せば、この数値が耳に入った。四面からコロナの歌が聞こえてくるみたいに感じる。
コロナ感染者は全人口の20%程度。友人を見渡せば、5人に1人はコロナに罹った経験があることになる。実際、感覚は近い。
私は陰謀論者ではない。先に断っておきたい。その上で思うのは「今回の感染爆発ほど胡散臭いものはない」
もし、自分が独裁者のRPをしていたなら、都合が悪い出来事が起こった際にコロナを使って騒動掻き消すのはどれ程便利か考えるだろう。
コロナウイルスを人為的に発症させることが出来るとは考えてはいないが、そう見えても仕方ないとは思わないか?
連日のように安倍氏を取り上げれば、いずれ統一教会を深く取り上げることになる。だからコロナに視点を変えた。ロジックとして些か自然すぎて、陰謀論めいた思考が働いてしまう。
山上の安倍殺害は褒められたり崇められたりする行動からは180度ズレているが、一つの真実を全国民に示したと考えている。
どれだけ馬鹿でも、どれだけ情弱でも、どれだけ無能でも「統一教会ってヤバいカルトがあって、自民党と繋がっているんだ」となんとなく記憶には残ったはずだ。私がそうだった。
しかし、弔い合戦のような参議院選。なにより若者の投票率も自民党が優勢だったことに愕然とさせられた。かくいう私も大学生だが、未来が暗い。
メディアの情報操作なんて、こんなに簡単なんだなとつくづく思う。森友も家計も桜の会も、掻き消せばなくなるものだと私も理解した。
政府が有事の際に、またコロナが増えたとしたら?不都合なことがあったんだなぁと、その時私は思うのだろう。陰謀論に片足を突っ込んでいる気持ちは嫌々に感じつつも、至極真っ当なことを言っている気持ちも片方に感じる。
私:3回接種済み。3回目接種は2月末。
妻:3回接種済み。3回目接種は2月末。
息子、今思えば、少し咳き込んでいた気も。
頭が痛いという。咳、咽頭痛もあり。体温をはかると37.5℃。様子見。
体温が38.2℃と上がり、頭痛も変わらずひどい。かかりつけの小児科に連絡。
そこはWeb予約をしているが満杯。電話をすると、待てるなら来てくださいという。
PCR検査なら今検査するが結果は日曜夕方、抗原検査であれば明日朝一で検査しすぐ結果が出ると。
息子、抗原検査を受ける。陽性。いまは自宅療養しかないとのことで、説明を受ける。
本人は7/26(火)いっぱい自宅療養。症状が重くならなければ7/27から通常生活に復帰可。
濃厚接触者となる同居家族(私と妻)は、今日は外出可、明日から7/23(土)いっぱい健康観察期間で外出不可。7/24から通常生活に復帰可。
健康観察中、7/20と7/21に自宅抗原検査キットで連続陰性であれば、二日短縮して7/22から通常生活に復帰可。
ただし抗原検査キットは品薄で、小児科最寄りの調剤薬局でも売り切れていた。
東京都の「濃厚接触者となられた方のための検査キット申込サイト」で、無料抗原検査キットを夫婦二人分申し込む。
ただし、配布は一人1回分なので、観察期間短縮を狙う場合はどちらか片方が二人分使うことになる。
HER-SYSから自動音声電話がかかってきて、プッシュボタンで体温や症状を登録する。
勤務先に事情を通知。一週間テレワークとなると告げ了承をもらう。
週明け火曜日の業務でどうしても必要な機器が職場に置いてあるため、
外出可能期間であるが、極力人との接触を避け、休日中の職場に車で取りにいく。
普段子供と一緒に寝てるので、半ば物置と化している部屋を急遽整理して布団を敷けるようにし、寝る部屋を分ける。
息子の症状はほぼ収まっている。36.9℃くらいの微熱と、少しの咳くらい。夫婦は症状なし。
うちさぽ東京からの支援物資が届く。大き目の段ボール2箱+ミネラルウォーター1ケース。内容はほぼ先のリンク先にある写真に近い。
写真と比べてカップ麺が少なく、レトルト白粥とウイダーインゼリーが大量に入っていた。この量が翌日に届いたのにはびっくりした。
HER-SYSからの自動音声電話がかかってくる。面倒になったので、My HER-SYSアカウントを登録し、Webで体調登録をすることにする。
息子の症状はほぼ収まっている。熱も平熱に。夫婦は症状なし。
小学校に報告し、欠席となると告げる。夏休みの宿題や荷物などは7/25(月)以降に受け渡す方向で調整しましょうと言われる。
私はテレワーク。症状がなくなった息子も当然在宅なので、なかなか落ち着いて仕事ができない。
息子、夫婦ともに症状なし。
抗原検査キットはいつ届くのかと思ってたら、郵便受けに入っていた。いつ来たのか不明。
7/22(金)にどうしても外出しなければならない用事はないので、7/21に夫婦で検査することにする。
息子、夫婦ともに症状なし。
息子、夫婦ともに症状なし。
3人で一週間外出なし、自宅内でもマスク、食事別はけっこうツライ。
寝込んでるわけじゃないから楽といえば楽だが、別のつらさがある。
待機期間明けで外出(休日出勤)。久々の外出で、たいしたことしてないのに妙に疲れた。
息子と妻は相変わらず自宅にこもりっきり。
本当の父親は他の女と出て行ったらしい。
だが父親代わりに居候していた男がいた。あくまで居候で、家に収入は入れていなかった。
母からも同じような臭いがしており、私はそれがあまり好きではなかった。
たまに気が向いたり、私がミスをすれば怒鳴りつけられ、殴る蹴る、また踏みつけられたり罵ってきた末、
反省を促す名目でベランダに収集日に出すまで置いていたゴミ袋たちと一緒に立たされ、一晩中起き続けることを強要する男の何がいいのかと思っていた。
助けてくれない母に絶望するのは、早かった。
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私はあまり出来の良い子ではなかった。
兄が2人いたが、長男は心に病を抱え、次男は多様な才能に恵まれていた。
私は宙ぶらりんで、何にも興味を示せず、かといって何でも中程度は出来ていたつもりではあったが、
だが母は満足が出来なかった。
なまじ次男が多才なので、私は長男を反面教師に、次男を比較対象に、親たちから圧迫の日々を過ごした。
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たまに夜に2人の嬌声が聞こえるが、幼かった私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って震えていた。
ある日母が妊娠し、妹が出来た。
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初めての保護対象。
最初は嫌悪しかなく、意味が分からぬままただ漠然と突きつけられただけ。
その子を抱え、服を握られた時
何にも興味がなく、怠惰で愚暗な日々で、強いて言えば唯一取柄と言えることが惰弱さな自分に、何かが芽生えた。
そんな気がした。
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しばらく先、ある朝居候の男は酒におぼれ暴れ、母も荒れていた。
長男は入院し、次男は他県の大学へ行っており、家には私と妹だけだった。
一騒動の後、男は家を出て行った。
妹は何が何かも分からず私の服の裾を赤子の頃のように掴んでいた。
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それ以来母はよく泣き、そして苛立ちを自分らに向け、
より一層の支配欲に飢え、私や妹にその矛先は向き、ヒステリーさが加速していた。
妹へ向かぬよう先立って私は母と対峙する日が増えていった。
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大学へ進学するのだろうと漠然と思っていたが、ある問題が発生した。
金である。
母は次男の大学費用の為に無理をして金を捻出しており、私の為の分はないそうだ。
実父から送られてくる毎月の養育費は、ほぼ次男の為だけに私の分まで使われていた。
何なら母のタバコと、ネトゲのオンゲ課金から、ネトゲ中に食べる菓子代に消えていた。
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「大学へ行くのなら自費で生活費を稼ぎ、奨学金を借りながら独力で行け」
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母にそう言われ、私は推薦入学を受けようとしたが、悲しいかな私は求めていた大学への推薦は叶わなかった。
就職・通常の試験を受け希望大学を目指す・ランクをいくつか落とした大学への入学・実父へ直談判する・母に頭を下げ素直に支配され支援を受ける…そして果てには自殺まで。
本当に本当に思い悩み続けた。
だが、結局は進学をしようとなり、1年浪人期間を設け、貯金の時間を作る事とした。
実家暮らしで1年の浪人をし、その間働いて大学の初年度費用と、当面の生活費を稼いでから進学しようと。
その話を母にし、母も了解したが、しかしその後続く母の言葉に目の前が真っ暗になった。
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「家に毎月5万は入れてくれるのよね?もちろん食費や衣服も自腹よね?
大学を目指したいと言うけれど働きながらなんでしょう?もちろん払ってくれるわよね?」
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足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥った。
呆れた、が正しいかもしれない。
怒り、とも違う、胃に何キロもの鉄アレイを捻じ込まれたかのような感覚だ。
ただの高校生上がりが、毎月5万家に入れて、食費を稼ぎ、参考書や塾、対策試験の受講、その他諸費を賄えるか。
計算したが、当時の最低賃金は今よりも低く、困難極まる事は火を見るより明らかだった。
そう考えるのも仕方のない事だったのかもしれない。
その頃の私は、母を母と思えず、嫌悪にまみれ、見るだけで憎悪が湧くようだった。
炊事、洗濯、寝具から衣服、携帯代まで確かに当時自分のバイト代である程度賄っていたが、
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その時、私は子供の浅慮な考えながら独り立ちを決意した。
1.
割ととんとん拍子に話が進んで、駅前で待ち合わせしてたんだが、
とんでもないデブが来た。
顔を合わせてしまったので覚悟を決めてカラオケだけは行ったが、会計の時の男店員の憐れむような眼が印象的。(とんでもないデブをたずさえて俺が全額払った。)
2.
割ととんとん拍子に話が進んで、駅前で待ち合わせしてたんだが、
前回の失敗をふまえて少し離れたところで様子見していた。
予想通りのとんでもないデブその2が来たので、そっと携帯の電源を落として帰宅した。
3.
セックス前提で募集してたが割ととんとん拍子に話が進んで、池袋の交番前で待ち合わせしてたんだが、
とんでもないデブその3が来た。
これも経験だと覚悟を決めてホテルに入ったが、手マンが限界だった。
バックの姿勢でケツと呼んでいいのかわからん巨大な何かを向けられ、無心で30分ぐらい手マンしてた気がする。
裸を見る前は(ワンチャン挿入まで頑張れるか?頑張れ俺!!)と思ってたけど無理だった。
キスはしてないです。
今にして思うと、「アレってカルトだったのかも…」となったから当時の思い出を書くことにする。
当時の俺は、就職に失敗して、なんとか契約社員としてゴミみたいな工場に潜り込んだ男だった。
とにかく最悪の人生を過ごしていたと言っていい。
まあ偏差値は50後半くらいで、イキってそこそこの大学に行ったけど、コミュ力なくて落ちぶれたパターンのやつな。
大体エスポワール号に乗る前のカイジをイメージしてくれればいい。髪型とかマジであんな感じだった。
そんで、ある日、工場の同僚が「たまには遊びに行きませんか?」と言ってきたので、友達もいなかった俺は嬉しくなって夜勤明けの日に街に繰り出した。
で、一緒に飯食ってる時に、夢の話になった。「やりたいことないんですか」的なアレだ。
俺は嘘をついた。「実は輸入業とかやってみたいと思っている」と。
実際は輸入とかには全く興味はなかったが、フェアトレードがどうたらこうたら、それっぽいことを言うと同僚は何だか、色んな言葉を駆使して俺の事を褒めてくれたのを覚えている。
「今度、そういうの応援してくれる集まりがあって、友達に誘われてるんだけど、独りじゃ心細いから一緒に行きません?」と誘われた。
実のところ全く俺は他人を応援する気はなかったが、褒められてうれしくなっていたので、二つ返事で「行く」と答えて、連絡先を交換した。
その週の終わりには、俺は近所の市営の集会所に呼び出されていた。同僚と、その友人を名乗る色黒、細見の眼鏡がいた。
大体10人くらい?の人が集まっていて、まず、名前と住所、仕事を書くことになっていた。
俺は嘘をついた。安アパートに住んでいるのが恥ずかしかったので、実在する地名に、適当なマンション名を書いたのだ。
ということで、会はスタートした。優しそうなおじさんとおばさんが主催する会で、「普段は地域でクリスマスパーティとかお楽しみ会をやってるんだよ」的なことを言って、チラシを見せてくれた。
「実のところ、履歴書に書くこと目当ての大学生の人も多いと思うけどさ」とおじさんが言うと、笑いが起きたので、学生もいたのだと思う。
話は大体、みんながどういう人間になりたいか、的なことだった。最初はみんな、シャイな感じだったのだが、おじさん達は優しく合いの手を入れてくれた。
俺も気持ちよく輸入業を目指す青年という大嘘を突き通すことができた。言いながら(輸入ってなんだよ)とか考えながら、なんかよくわからんがマレーシアから絹を仕入れるんです!的なことを言っていた覚えがある。
そもそもマレーシアって絹取れるんだろうかとか、まあ、わかりゃしねえよって気持ちだった。
同僚は不安げで、「なんか怪しい宗教みたいじゃないですか?」的なことをそれとなくツッコんだら、周りの人間も笑った。
「まあ、お寺とかは正直付き合いあるよ」とおばさんが微笑んだ。
まあ、俺も幼少のころ、近所のキリスト教会の集まりに呼ばれて、大福などを作って食った覚えがあるので、そんなもんだろうと思ったが、
同僚は「うーん」とか言いながら、こちらをチラチラと見てきた。俺は「まあ、宗教って根ざしてるからね。地域に」と言って知見を示すと、同僚は笑顔になった。
夢をキラキラした目で語っていたガリ褐色眼鏡は、、同僚に対して、「俺さんもこう言ってるし、怪しいところじゃないでしょ」とかなんとか笑っていた。
そんな感じで、一回目の集会ではやはり大福が出てきて、茶を飲んで終わった。同僚は、不安げに「来週も着いてきてもらっていい?」と聞いて来たので、
頼られていると感じた俺はやはり二つ返事で「いいよ」と答えた。
2回目の集会では、親子関係というか、家族とは何か、的な話をしたと思う。それで、親の仕事について話す機会もあった。
俺は嘘をついた。
「親が丸紅に勤めてて、三人兄弟の末っ子の俺は落ちこぼれたんですけど、やっぱり海外と取引したくて」と。
親父はゴミみたいな中小企業で働くサラリーマンである。丸紅ってそもそも輸出とか輸入とかしてんのか?まあバレやしねえよという気持ちで俺は親の職業を偽ったのだ。
ちなみに兄弟も余裕でいない。純粋に一人っ子だ。兄弟がいた方がなんかカッコいいかな、と思って嘘をついたのである。
で、3回目の集会にも俺は参加する、と言っておいて、当日になってなんかめんどくさくなったので約束を破った。
そしたら、職場で同僚は「ガリ眼鏡とおじさんが会いたがっている」的なことを言ってきたので、しょうがねえなあ、という気持ちで4回目の集会に参加することにして、
それからもちょくちょく、集会に参加した。お菓子が段々グレードアップしていたし、おじさんとおばさんは俺達をよく褒めてくれていたから、まあ悪い気分ではなかったからだ。
結論から言うと、6回だか7回目の集会で、俺達は仏の彫像と変な健康食品セットを買う事になった。
値段は合わせて5万くらいだったと思う。なんというか、どういう売り文句で買う事になったのか、全く覚えていなくて恐ろしい。
ガリ眼鏡はともかく、宗教に否定的だった同僚も、何やら買っていたので、俺も流されて買ったのだと思う。支払いは現金とローン、どちらでもよかった。
俺は嘘をついた。
「このくらいの値段なら余裕ですね」と。ちなみに当時の俺は貯金ゼロ。だが、まあ別に払えなくてもいいだろ、という気持ちで12回払いのローンを組んだ。
普通に頭金の何千円かはその場で払ったのだが、その後のローンは余裕で無視した。
その次の次くらいの集会で、「あの、ローンってどうなっとる?」と聞かれたが、「すみません、すぐ払います」と言いながら誤魔化していたと思う。
10回めだかそこらの集会で、俺達はビジネスとして健康食品や仏教グッズを売る流れに参加させられることになった。
まあ、読んでる人はわかると思うから言っちゃうが、端的に言ってマルチだった。
「これって絶対もうかるじゃん」的なことを同僚は言っていたのを覚えている。俺も当時は「これって絶対もうかるじゃん」と思っていたので、頑張るぞ、という気持ちになった。
その時、マニュアルを渡された。要約すると、『プロ3人~4人で囲めば、絶対にモノは売れます』的なことが書いてあって、台詞だとかも全部用意されていた。
「サクラを忍ばせて、疑問を投げかけさせます、そしてその人間を説得、納得させると周りも流されます」的なことも書いてあって、これはぜってー売れるな!と俺も安心したものだ。
次の集会で、俺は嘘をついた。
「もう3個契約取っちゃいました」と。正直、契約書の提出とかその辺がガバいのを俺は見抜いていたので、余裕で嘘をつけるなと思ったので嘘をついたのだ。
おじさんはものすごく褒めてくれて、集会が終わった後、こっそり俺にお茶を手渡しながら、言った。
「実は、この集会やるのも高齢化でさ、子供会とかもあんまり回らなくなってきたんだよね」と。かいつまんで言うと、俺になんとかという教団に入って欲しい、的な誘いだった。
俺は嘘をついた。
「ええ、勿論入りますよ」と。なんか当時はすでに俺に嘘をつかせまくるおじさん達に対してイライラする気持ちもあったので、「入るわけねーだろバーカ」と思いながらも、その場しのぎで嘘をついたのである。
おじさんは嬉しそうで、「最近、新興宗教とかみんな不安だと思うから、ご両親に挨拶させてくれ」と言ってきたので、
俺は嘘をついた。
普通に知らない適当な番号を書いて渡した。そもそも実家の家電とか、両親の番号とか、携帯には入っていたが暗記はしてなかったのだが、それを言うのが恥ずかしかったからだ。
その次の集会。
俺はおじさんとおばさん、それにガリ眼鏡と同僚に激ギレされた。
「なんで嘘ばっかつくの!?」と。
なんのことだ、と俺は心の底からビックリした。おばさんはヒステリックにキレていた。
「電話番号も、住所も、全部嘘やん!!!」と。俺は本当に何のことだかわからなくて、興奮しながら置いてあった煎餅を齧った。
「あとさ、ローンも滞納してるし、もしかして前に健康食品売れたってのも嘘だと不安になっちゃうじゃん」と、おじさんは優しいながらもキレてきた。
まあ健康食品が売れたというのは嘘なので不安もクソもないのだが、俺は気が付くと涙を流していた。
「嘘をついたつもりはないんです。言い方が悪かったならごめんなさい」と。
煎餅をひたすら齧りながら、俺はひたすら泣いていた。同僚とガリ眼鏡は、やはりキレてきた。
「いや、伝え方悪いとかじゃなくてさ、お金の話だからさ、そういうの、全部自分に跳ね返って来るぞ」だとか、「自分が輸入業始めた時に嘘つかれたらどう思う?」だとかだ。
ロジハラをかましてきやがった2人に対して、俺はやはり泣くしかなかった。
おじさんは、「まあ、本当、お金だけね。お金の話だから、払うところだけ払ってもらって。そしたら、全部忘れるからさ」と言って、話は決着した。
普通にその後、集会に行くことはなかったし、職場の同僚は会うたびに「金払った?」と聞いて来てうざかったので、1年間俺はそいつとまともに会話をせず、工場を辞めてしまった。
金はないので払わなかった。仕方ないね。
当時こそ、「俺が悪い」という気持ちだったのだが、今回の統一教会の話とかを見ていて、「ああ、俺って騙されかけてたんだな」とようやく感情の整理をすることができた。
冷静に考えると、同僚はその団体と元からグルだったのだと思う。
ガリ眼鏡も、同僚も初めから俺をハメるつもりだったのだ。「団体に疑問を投げかけるサクラ」そのものだったのだ。
俺は、運よくカルト、ないしはマルチだろうか。深みにハマる前に、先方がボロを出してきたので入らずに済んだ。
でも、アレはいかん。本当に騙される。人格や教養に関係なく、人と人が正しくコミュニケーションをしよう、と考える限り、絶対にハマる。
俺の経験がもし教訓になるとしたら、カルトにハマらない方法とは、
金を持たないこと、他人の話を聞かないこと、他人の話に真剣に答えないこと。相手に気を遣ったり、本当のことを言わない事だ。
みんなも気を付けて欲しい。
この連休で東京から北海道へ行く際に予約サイトのAgoda経由で航空券を買ったのだが、かなり疑問の残る手配のされ方だったので詳しい人がいたら色々教えてほしい。
購入時にAgodaで入力した情報と航空会社に渡っていた情報が異なっており、航空券を発券する間でどこかの誰かが2万円を払ってくれてるっぽいのだ。
航空券比較サイトのスカイスキャナーで安い航空券を探して2番目に安かったAgodaを選んだ。一番安かったKiwi.comはクレジットの不正利用があったとか、eチケットが届かないまま勝手にキャンセルされたとかといった口コミが散見されてさすがに手を出せなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20210807214138
なお、日程が決まったのが出発の1週間前という連休の航空券を押さえるにはかなり厳しいタイミングだったので、航空会社の公式サイトから購入するとLCCでも1万5千円くらいから、フルサービスの航空会社だと安くても2万5千円からといった値段だった。
そのKiwiとほぼ同水準の1万2千円で売り出していたのがAgodaで、スカイスキャナーでの口コミはKiwiよりも星の数が少なかった。とはいえ国内のホテルを予約するのに以前Agodaを使ったことはあったし、ネットの口コミでも「(客の都合による)キャンセル対応や問い合わせがダメ」という内容はあっても「航空券が手配されなかった」という話はなかったので思い切ってAgodaで購入した。
ちなみに「本当にAgodaで航空券を押さえていいのか」と悩んでいるうちに、Agoda内での値段は数千円単位で上下していた。一度だいぶ値上がりして再考しようと様子見していたら再び値段が下がって購入を決心した。
Agodaからはすぐに予約が確定するわけではなく、「航空券を発券中」「24時間以内に連絡する」と連絡が来た。航空券が確定するまで宿の手配などは保留していたので若干やきもきしたが、結果的には予約した日の深夜には「予約確定」として航空会社の予約番号が記載されたeチケットが送られてきた。
チェックイン用のQRコードを確保するのと、そもそもちゃんと航空券が確保されているのか確認するのに航空会社で予約を確認した。
そこで判明したのが①連絡先のメールアドレスも電話番号も自分のものではない②しかもメールアドレスはGmailのドメイン、電話番号も携帯の番号でどちらもAgodaのものでもなさそう③航空会社の決済情報では正規の割引運賃の額が支払われている④そのクレジットカードの情報も自分のものではないカード番号のもの――という事実。(国内線なので本来は不要なはずだが)パスポート情報まで渡していたのになぜか年齢が1歳ずれてもいた。
自分がAgodaに払ったのは1万2千円で、航空会社の決済情報に残っていた支払額は3万2千円。差額の2万円はいったい誰が払っているのだ????
一瞬、「3万2千円で買ったのか??」「もしかして二重請求される??」とかなり不安になった。
正規の割引運賃で予約されている(ことになっている)ので座席指定もできるし、空きさえあれば同じ路線の別の便に変更もできる。でも予約を変更したところで、その差額はいったい誰が払う(あるいは払い戻しを受ける)のだ????
さすがに予約を変更するのは怖かったので座席を指定するだけにとどめたが、正直めちゃくちゃ不安だった。
結局、当日はちゃんと乗れたし結果的にはよいのだけど、航空券手配の裏側があまりに不透明で次も使いたいとは思えない。
ふつうの格安航空券は代理店が一括購入して安く仕入れたものに利益分を上乗せして売るというのが一般的だと思うのだが、今回の手配の仕方はそういう感じでもなさそうだ。
口コミでは航空会社のチェックインカウンターで「国際線扱いになっている」と言われたという話もあったが、私が予約したのはスカイマークで今は国際線もないし、コードシェアもしていない。
AgodaはBooking.comやOpenTableを運営しているBooking Holdingsの一部門で、Booking Holdingsはニューヨーク証券取引所にも上場している。クレカや個人情報の不正利用はないと信じたいが、しばらくは警戒するつもりだ。
https://www.bookingholdings.com/
業界関係者などでこうした航空券手配の仕組みやAgodaの業界での評判などを知っている人がいたら教えてほしい。
今のところ「自分である程度対応できる安めの国内ホテルなら使ってもいいけど、海外のホテルや航空券は手を出せないな」と思っている。
初めてエージェント登録して転職活動し始めたけど分からなくなってしんどくなってきた
↓
↓
人が辞めていく
↓
上に加えて、
という感じで1ヶ月ほど前から転職活動してるけど、また自分もアホなことに今月の予定をガチガチにしているものだから、在職中の転職活動がしんどくなってきた
あと、エージェントが居る日の昼でも、こちらから問い合わせ等のメールをしてもまず不在連絡が来る
仕事の都合で今週は無理と言っているのに面接調整の候補に入れてきて催促してきたり、
こないだは何か連絡したかったのか短時間に3,4回着信が入っていたり(仕事中で携帯の確認ができず)
連絡や担当代理からの連絡も含めて、対応がちぐはぐすぎてしんどい
エージェントってこんな感じなの?
大好きな父が亡くなった
60歳代は早すぎる
今は何もかもが惜しい
ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた
容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった
話したかったことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した
ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった
起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした
毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた
息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた
二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ
父と家族の写真をラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター
いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸とオールインワンジェルと常用薬を入れたケース
父が書いた様々なメモ
昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳
ガジェット好きの父からもらったUSBケーブル、タブレット、ポータブルスピーカー、大きなハードディスク、ポータブルフロッピードライブ
硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕
寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計
疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽのジンジャーエールのペットボトル
口が乾くから買ってきてほしいと頼まれたもののハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル
湯灌の時に切ってもらった遺髪
まだまだある
片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい
父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい
父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく
前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい
辛い
東京都福祉保健局の診療・検査医療機関マップ https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/hatsunetsugairai.html
受診できる病院がないので発熱相談センターに相談することに https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/soudan/coronasodan.html感染拡大期にはなかなか受診できないらしく、市販の抗原検査やPCR検査キットの購入を勧められる。
PCR等検査無料化のご案内 https://tokyo-kensasuishin.jp
自宅療養サポートセンター(うちさぽ東京) https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/iryo/kansen/corona_portal/shien/uchisapo_tokyo.html
濃厚接触者となられた方のための検査キット申込サイト https://tokyo-testkit.jp
https://bunshun.jp/articles/-/55855
この発言時私も隣にいて、一瞬水谷さんのことかと思いましたが、続きを聞いたらすぐに違うとわかったので、敢えて打ち消していませんでした。かえって失礼になると思ったからです。
https://bunshun.jp/articles/-/55855?page=1
この「横の男」が神谷事務局長なら、嘘つき確定。どんな内容か知っていたし、それを言っても「いいです」と許可を出している。
(途中から書き起こし)河西「それから1週間したら、いろんな事件が起こったんです。これ言っちゃなんなんですけど。言っていいのかな?」
横の男「はい」
河西「ね。言えないこと」
横の男「いや、いいっす」
河西「あ、そう? 夜回り先生というのがいて、有名な。でこう教頭先生のこんなのかけて。『僕はこういう者です、君は何をしているんですか?』『ホームレスしてるの』『危ないよ! こんな若い子が』『いいの。私が自分の意志でやってるから』『ダメだ!』って言って携帯でいきなり奥さんに電話するんですよ。トゥルトゥルっていって、『うち狭いですけど、良かったら来てください』って奥さん言うんですよ。『いやいやいや、私好んでホームレスしてますから!』『ダメ、来てください。狭いけど』『ありがとうございます』って行くわけですよ。『歩いて10分くらいで着くから』って言って。5分、10分経っても着かないわけですよ。どんどん暗いところに行くわけですよ。どこ行くのかなぁ、『着くんですか?』と言ったら、浜辺に着いて。そこでいきなり押し倒されちゃって。ヤる、ヤらないで、すったもんだしたわけですよ。でも私ね、機転、ひらめいて、『え~、こんな砂場でイヤです。ちゃんとしたとこ、行きましょう』って手を引っ張って行って、そうしたら交番が出てきたんですよ、歩いて10分で。そこに入れて、『この人ね~!』って言ったんですよ。一応取り押さえられました。だけど私はそれでお金が欲しい人って警察に疑われちゃって、すごい職質されたりしたんですけど、ちゃんと事情を説明して、こうなってって言って砂場まで連れて行ったら、ちゃんと争った跡とか、私のここに手形のアザが付いていて、『ごめんね、疑って』っていうことで逮捕されちゃったんですね、その方。あと2カ月で退職金が3000万かな、もらえるのに、結局私が人の人生を巻き込んでしまったということで、すごく反省したんですよ。魔が差しちゃっただけなの。その人悪い人じゃないんですよ。そうやって、世の中助けてた人なんだから。新聞記事にもなっちゃったんだから、私」
銃の使用も携帯も許可されてるけど多くの地域では警官みたいに常にホルスターつるしていつでも取り出して撃てるような状態にしてるわけじゃない
一般人は護身用のちっちゃいやつをバッグに入れてるのがせいぜい
で、護身用のちっちゃい銃をバッグに入れてる女性が乱射事件が発生したとして
とっさに取り出して撃ち返せるかっていうと、まぁ、難しいだろうし
ちっちゃいぶん有効射程が短いので、そんなもん撃ってる暇があったらさっさと逃げるべきだし
自分は典型的な学会2世で、2000年代前半に創価中学・創価高校(創価学園)に通っていた。
いかんせん20年近く前のことなので中学・高校を混同してたり不正確かもしれないけど許して。
地元の5歳ほど上の代に創価中学に合格したひとがいて、それなりの田舎だったこともありレジェンドのように語られていた。
そのレジェンドが通っていたのと同じ地元の塾に小4から通った。創価学会員はこの手の験担ぎが大好きなのだ。
前日に38度の熱を出してしまった。前述のレジェンドも同じようなことがあったなかで合格したらしく、カーチャンは興奮しながら唱題していた。創価学会員はこの手の(ry
当日は携帯ご本尊(お守りご本尊とも呼ばれる)をカーチャンに持たされた。どんなものかはググってくれ。
お決まりの「公共交通機関でお越しください」であったが、トーチャンの車の後部座席に寝ながら向かった。ゲートで係員に止められていたが、後部座席で寝込む俺を見て敷地内の駐車場に誘導してくれた。俺は眠くて寝てただけなのに。
通常の会場とは別室に設けられた体調不良者が集められた部屋で試験を受けた。ポカリ飲み放題で、毛布にくるまって行儀悪く立膝しながら快適に試験を解いた。
俺が受けた年は倍率11倍で過去最高だったとかそのあと聞いた気がする。
創価学園だからといって必ずしも池ちゃんと接触の機会があるわけではないが、俺のいた頃は入学式と卒業式は確定で池ちゃんが来ていた。
普段は会館で見る衛星放送の映像の中にいる池ちゃん(とそのスピーチ)を生で見られるということで、たぶん保護者が一番テンション高かったんじゃないかな。
うちもカーチャンがテンション爆上がりしていて、出席できるのは保護者の片方だけだったがトーチャンは問答無用で蚊帳の外に置かれていた。かわいそう。
ちなみに俺の在校中に池ちゃんが入学式・卒業式に出なかったことが2回ぐらいあって、それまでは皆勤だったから中々の衝撃を学会シーンに与えていたような記憶がある。
あとスピーチ中の池ちゃんはアゲどころで机を手でバンバン叩くことが多く、その少し後に流行ったやる夫AAの「だっておwwwwwバンバン」を見たときに池ちゃんだろこれって悪友と笑ったことがある。
入学式・卒業式ほどじゃない節目イベントのときに池ちゃんからメッセージや差し入れが届くことがあった。
終業式のときなんかに学年主任が「池田先生から差し入れいただきました!」って言って全校生徒にかっぱえびせんが配られるのが定番だった。
コンビニで売ってるようなサイズ感ではなく一回り小さいものだったので「けちくせー」と思った記憶がある。貰い物に文句をつけるな。
何より面倒くさくてウザかったのが、その手のことがあるたびにクラスでA5の便箋が配られて「今回の感想と決意を書いて提出しなさい」と先生から言われたことだった。学会員決意するの好きすぎる。
かっぱえびせんに感想も決意も出るわけもなく、俺は一回も提出したことないがそれで怒られた記憶はない。真面目な生徒は毎回提出していたように思う。
創価学会においては、唱題という行為をすればするほどえらいという価値観がある。本尊にむかってみんなで「なんみょーほーれんげきょー」と連呼するあれね。
校舎の一階に謎の立派な扉があって、その奥に20畳ぐらいの和室と本尊があった。
体育会系のメインストリームなひとたち(サッカー部や野球部)なんかは大きな大会の前になると、朝や昼休みに総出で唱題をしていた。練習すればいいのに。
ほかにも生徒会とかの意識の高い優等生は自発的に空き時間に唱題しに来てた。
ちょっと記憶があいまいなんだけど、誰でもアクセスできる部屋というわけではなく、部活で唱題する人と一緒に応援をしたい人とか、招待制というかクローズドな場所だったような気がする。誰も唱題していない時間に潜り込んで畳の上で昼寝した思い出。
小学生のころ休み時間にサッカーをするのが好きだった。地域のサッカークラブみたいなところにも入りたかったが親に許されず、そのまま下手の横好きで休み時間サッカーを続けていた。
中学に入学してすぐのころ、休み時間サッカーに混ざりたくてそれとなく輪に入ったら横で同級生同士が「なんで増田がここにいんの?プゲラw」と話しているのが聞こえてそれ以降休み時間に中庭に近寄るのはやめた。体育もスポーツも大嫌いになった。
当たり前だが同級生はみんなどこにでもいる普通の思春期10代だった。それまで接した創価学会の大人たちはみんな優しかったので、こんなんだったらこの学校に進んだ意味ないじゃんと思った。
創価学園を語るうえで欠かせないのが愛唱歌の存在で、校歌や寮歌のほかに10種類以上の愛唱歌と呼ばれる歌があった。
昼休みの中庭で、掲揚された三色旗の前で有志で愛唱歌を歌う活動があった気がする。
愛唱歌のうちとりわけ記憶に残っているのは「負けじ魂ここにあり」という歌で、気になる人は歌詞をググってもらえるとわかるけどテンションの上がりそうな勇ましい感じの曲だ。ここぞという機会で歌われていた。
1番から5番まである長い曲で、平時は1番と3番と5番が歌われていた。式典とかの機会だとフルバージョンだったかな。Radio MixとOriginal Mixみたいな。
いわく5番が一番大事だそうで、5番だけが池ちゃんが書いた歌詞だったかな?1番~4番の長い前振りがあって、5番に本命が来る。クラブミュージックか?
これを書きながらググった歌詞を見直したらメロディー覚えてて歌えちゃった。人間の記憶すごい。
創価学会では、学会本部に依頼すると池ちゃんに子供の名前を付けてもらえるサービスがあるのは有名。
池ちゃんネームの割合が結構高かった気がする。クラスに2,3人ぐらいはいた。
中学を卒業してエスカレーターで高校へ進学すると、創価大学への推薦を見据えて学校生活を送る必要が出てくる。
成績に関しては赤点取りまくらなければ大丈夫、ぐらいのラインだったと思う。欠席と遅刻は年間だったか累計だったかで10回まで、みたいな感じだった。
自分は創価大学へ行く気は早々に失っていたので、面倒くさいと思ったら勝手に早退して家でラグナロクオンラインやったりしてた。
成績はボロクソだったが赤点補習をきっちりとこなせば問題なかったので、留年とかそういう問題は皆無だった。なんだかんだで寛容で優しい学校だったと思う。
体育の赤点だけは、夏休みに登校して体育教師が顧問をするサッカー部と一緒にトレーニングをする、みたいな内容でそれが嫌で最低ラインの出席3分の2を維持するハックで乗り切った。
ちなみに一度受けた体育の赤点補習では、俺の休み時間サッカーの件の当事者がサッカー部だったのでそいつが居たが、妙に気遣ってくれたりしてむずがゆかった。あいつ良いやつだったな。
創価学会にはとにかく記念日が多いのだが、記念日の会合で池ちゃんがスピーチをぶると翌日には聖教新聞に全文が掲載される。
総合学習みたいな時間にはその聖教新聞がクラスで配られ一文読みをしていた。ここでもかっぱえびせんのときと同じようにA5の便箋に感想と決意を書かされる。一度も提出したことはないが(ry
池ちゃんのスピーチの全文を読んだことある人がはてなにどれぐらい居るかわからないが、池ちゃんのスピーチって基本的に中身がない(個人の感想です)
「〇〇(歴史上の偉人)は言った、ほにゃららほにゃらら。だから君たちも勉学に努めなさい」一同「ハイッ!」っていうのが池ちゃんスピーチの定番のやり取りで、勉強しろって説法をするときに引用でしか言えないのかこの人、と常に思っていた。
他には「戦争は悲惨だ、最低の行為だ」「いじめはよくない、いじめた人間が100%悪い」みたいなありふれた内容で、何をみんなそんなにありがたがっているのか分からなかった。そのためにはどうしたらいいのか、どうすべきなのか、具体的な方法や理論に言及することが皆無だった。せいぜい本を読めとか勉学に励めとかそれぐらいで、マセガキだった俺の好みの内容ではなかった。
「いついつの会合のスピーチ、めっちゃよかったよね~」と言っている同級生もいたが、松屋と吉野家ぐらいの違いしか俺には分からなかった。
創価学会は独特な語彙やネーミングが多いが、学校にもそれはあらわれていた。
中学のロッカールームは「鳳雛ホール」という名称だった。ほかにも学校内の講堂は「池田講堂」だったり、食堂が「栄光ホール」みたいな名前だった気がする。一番大きい体育館も何か独特の名前があったと思うが覚えていない。俺の卒業後に校舎が建て直されたりしてググっても情報が全然出てこない。
最寄り駅の鷹の台駅から学校までは10分以上玉川上水沿いを歩くのだが、玉川上水沿いの道は「哲学者の道」と呼ばれていた。哲学者の道を横に外れた場所に昔ながらの林があって、そこでエロ本を見つけたことがある。なるほど哲学者の道。
ちなみに近隣の武蔵野美術大学や白梅学園の生徒もここを使って通学していて、妙に大人の女性に見えたなあ。
白梅学園のバス停が前後を創価学園と朝鮮大学校に囲まれている画像なんかが有名だけど、不思議と朝鮮大学校に関する記憶がない。
終業式だか始業式を飛ばして悪友と学校を抜け出して武蔵野美術大学の学祭に遊びに行ったのは楽しかった。
悪友が「創価学園の生徒だけど質問ある?」みたいなスレを立ててVIPで爆伸びしていた。創価系の質問スレはググると結構多いけど、当時2chにどっぷり浸かっていた俺の知る限りでは悪友のスレが元祖だと思う。
校内の写真とかをガンガン上げていて大丈夫かと思った。今でもインターネットで出回る創価学園にまつわる有名画像のいくつかは悪友がアップしたもののはず。
基本的には学会二世しかいないので、典型的な創価学会員の世界観を持っている生徒が多い。
一方俺はネットde真実をゴリゴリにこじらせていたので、普段から池ちゃんや創価学会へ懐疑的なスタンスを公言していたが、それでいじめられたりするようなことはなかった。池ちゃんのいじめを許さないご指導が活きていたのかもしれない。
池ちゃんへのおかしいと思った点を熱心な生徒に話してみたりしたが、全否定されたり人格否定されるようなことはなくまともに議論じ応じてくれたように記憶している。
なにかの学校行事の決意発表大会みたいな学年集会の場で「俺は正直池田大作という人は別に好きではなくて~」みたいに自分の考えを披露したことがあるが(今思うとこじらせすぎている)、それでも「こう考えてる人がいることが分かってよかった。増田の言葉で聞けて良かった」とニュートラルな反応をしてくれた同級生もいたことが印象的。
一方で先生は頑迷な人が多かったように思う。一度英語の先生に「創価学会員はどうして個人なのに人の投票行動に介入するんですか?自分で決めるべきことなのでおかしいと思う」と言ってみたことがあるが、「人は選挙権のほかにも、個人として選挙をお願いする権利もあるんだよ」と答えになっていない返答をされた。いまでも意味わからん。
基本的にあまり好きな先生はいなかったが、現代文のH先生だけは好きだった。
やたらと情熱的な語り口で面白い授業をするひとで、いろんな国へ旅するのが好きで授業の雑談ではその話を臭いぐらいロマンチックに話すので好きだった。
ほかの教科はやる気皆無だったが、現代文だけはノートもしっかり取っていたし、試験前のノート提出もしていた。
あるときH先生に提出したノートを紛失された。丁重に謝罪されてノート点も満点つけてもらった(らしい)が、それ以降H先生の授業へ興味を失った。クソガキすぎる。大人だって失敗するときはあると今ならわかる。
平等や平和を謳う創価学会員もしょせんは人の子なので、スクールカーストは存在していた。
今でいう陽キャは「メジャー」と呼ばれ、陰キャは「マイナー」と呼ばれていた。
ちなみに親が幹部かどうかはスクールカーストには関係なかった。ただディベート大会で全国レベルの成績を残したり、生徒会役員だったりするようなインテリ勢は親が幹部っていうパターンが多かった。そしてインテリ勢はメジャーマイナーの括りにも縛られないアウトサイダー的雰囲気があった。
世は前略プロフィール全盛期、同級生のメジャー勢の女子が前略プロフィール(というかそれに付随するいわゆる「リアル」のページ)で飲酒パーティーの写メ(死語)をアップしていて、学校に垂れ込まれて停学になってた。
停学になったメジャーの女子たちはほとんどその後創価大学へ進学し、銀行員になったり不動産屋になったり売れないクラブDJから水商売の世界に入ったり、様々なよう。
履歴書の学歴の呪いについてのブコメをしている人がいるが、今のところ特に困難だと感じたことはない。
転職もしつつ順当にキャリアと年収を上げて生きてきたけど、「親が創価なんで」の一言でそれ以上深掘りされることも差別されることもない。
最近割と真面目に、退職後の高齢親の生活にどのように関与していくべきか迷うんだよな。
放っておけば詐欺にあうかもしれないし、よくわからない携帯会社と契約してくるかもしれないし、
陰謀論者に取り込まれるかもしれないし、怪しいカルト宗教にのめり込むかもしれない、
じゃあ何もさせないならと家に閉じ込めておけばあっさりボケてうんこを壁に塗りたくるかもしれない。
人を暇にするとろくなことが無いんだよな。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
40歳独身男性。会社員。1年以上、在宅勤務になってる。都市部にある実家にて高齢の母親と同居している(父親は数年前に他界した)。
数日前に自分の体調が悪くなり、熱を測ってみたら38度あった。近くの病院の発熱外来を予約して、診療してもらい、PCR検査を受けさせてもらった。翌日電話が来て、コロナ陽性。
で、考えた。これ、母親に言うのと言わないの、リスクと手間はどうなんだろうと。
当然母親に感染させたくはないのだが、母親はいわゆるテレビばかり観ているタイプの高齢者で、テレビに影響されて「コロナ感染者また何人」とか「若者が感染を広げている」とか本気で言ってしまっている。
そんな中で私がコロナ陽性だとでも知ったらヒステリーでも起こすんじゃないかと思って、そんなことを想像するとげんなりした。
正直いって、私と母親は家のなかでもそんなに会話もしていない。古い家で、部屋数はあるし、私の居室と母親の部屋も結構距離が離れている。私は仕事は自室で在宅勤務しているので、日中ほとんど母親と話すことはないし、もともと食事もほぼ一緒にとらない。
すでにほぼ隔離できているような状況で、あえてコロナ陽性だと言う意味をほとんど見いだせなかった。
会社にも伝えていない。たしかに私は熱はあって風邪のような症状はあるのだが、在宅勤務だし、会社や業務関係者に感染させる可能性はない。頭の働きも、人によっては発症すると頭がぼーっとして仕事にならないという方もいるようだが、私はワクチン3回接種のおかげもあるんだろうが、特に頭がぼんやりしたりすることもなかった。普通に業務できると判断した。
なお、陽性になってたから保健所から来た連絡は、よくわからない携帯のSMSだけだった。何をしてほしいのかよくわからなかったが、特に何もしなくていいのだろうかと思ってしまった。もうこの国ではコロナ陽性は当たり前すぎて保健所も、特に命が別状のない感染者までかまっている余裕はないということなんだろうと思った。
ということで、私はその日における日本のコロナ陽性者の一人として統計上はカウントされたはずだが、家族や同僚には一切知られることのない感染者となった。
私は自分の体験から考えた。日本には、体調不良と感じたものの「コロナ陽性になると日常や業務、人間関係に差し障りが出て面倒だからそもそも検査しない or 検査結果が出ても周りには絶対言わない」という選択をした人がたくさんいるのだろう。私は発熱したので、自然に発熱外来に行く選択をしたけど、そもそもコロナだと分かると身動きがとれない人は、検査すらしたくないはずだ。
事実、私の友人で、1歳児と3歳児の父親である人は、「万一発熱しても絶対にPCR検査は受けない」と言っている。なぜならコロナだとわかって自宅待機や隔離施設行きになると、子供の保育園への送り迎えや、その他のやるべきことが自分ができなくなり、家庭のオペレーションがすべて崩壊してしまうからだと言う。実際、数ヶ月前、熱が出たときも決して検査はしなかったそうだ。
彼は頭のよい人間だし、仕事なんかより命や家族のほうが大事なことはよくわかっている。だが、家族を一番大事に判断すると、結局いまの日本では「コロナだ」と周囲に認識されないことが最善だと結論づけているということだ。
しかも彼は、それをちゃんと自分の妻とも合意しているらしい。仮に彼の妻がコロナっぽい症状になっても、妻も検査はしないし、軽症と判断するなら特に何もしないでお互い日々家事や仕事に務めるという決め事をしているとのことだ。驚くべき。
日本で毎日報道される「感染者数は〜〜人です」という裏にはそもそも怪しいと思っても、日常や家族のためにそもそも検査しない人たちがたくさんいるのだろう。
そして、私のように検査して陽性となったところで、周りの誰にも伝えない人もたくさんいるのだろう。
そのように考えると、私はなんだかんだ日本人が街中でこの暑い中も愚直にマスクをし続けるよう同調圧力を掛け合い続けているのは、それなりの妥当性があると思うようになった。
たとえば「熱中症のリスクがあるからマスクはやめましょう」という呼びかけは合理的なのだが、それはコロナ陽性者または疑わしき症状のある人が誰も出歩かずにちゃんと隔離療養している前提でしか機能しない。
今の私のように、感染したが家族や同僚に知られずにいて、買い物などのために外出している人もいれば、友人のように発症しても検査せずに外に出続ける人がいるのだから。
結局は、コロナであると判明すると面倒になる、という社会である以上は、コロナを隠して出歩く人はいなくならないし、だったら当面屋内や密集空間では全員が一律マスクをしているほうが全体最適なんだろう。