はてなキーワード: 鉄アレイとは
そろそろ
私の街のみかんの花咲く丘公園前駅の前の商店街のお店の定食屋さんが秋刀魚祭秋の祭典スペシャル!を開催すると思うんだけど、
いやハッキリとしたことはよく調べてないけど、
なんとなく薄らとした秋刀魚最新情報だと秋刀魚不漁!ってことが頭をよぎりまくりまくりすてぃーで
でもやっぱり今年も不漁なのかしらね?
あるところには秋刀魚があるのよ。
そんで
秋刀魚祭の秋の祭典スペシャル!が開催されると同時に私もスタートダッシュでアレを決めなくちゃいけないのよ!
秋刀魚って言うと
野球の優勝を意識しすぎてその名称を言うと選手が緊張するからアレって言う戦法や論法や文法とまったく一緒の仕組みね。
私もアレを決めるべく
取り分け秋刀魚を食べるぐらいで体操なんていらないわ!って思ったわ。
でもさ、
不漁や高くなってもあるってのはやっぱり豊かな証拠なのかしら?よくそこのところの仕組みが分からないけど、
本当にないなら
私の小さな街には秋刀魚は行き渡らないはずだしガソリンだって買えないそんな世の中はポイズンよ。
だからあんまり秋刀魚秋刀魚!とかガソリンガソリン!とか言うと世の中の人に気付かれちゃうから、
ここはやっぱり「あれ」って言ってるべきだと思うし、
私も秋刀魚祭楽しみのいや秋刀魚とは言ってはいけないので「あれ」と呼ぶわ山脈に向かってヤッホーって叫んじゃうほど「あれ」を連呼するかもしれないわ。
あれ山脈に!
「あれ」の「あれ」の「あれ」ってなると
大名があれのあれをあれするぞ!っていって
その若い女の人の着物に付けてある帯をグルグルに巻いて独楽みたいに回しながら剥がすとき
その若い娘は「あれ~お戯れを!」って言うじゃない。
きっとあれの元祖よ。
だから尼崎商店街も「あれ」が飛び交って「あれ」が売れまくって「あれ」が「あれ」になっているのよ!
入店したお客さんが、
あの体力を鍛えるときに使うあの重たいやつ名前はよく分からないんですけど「あれ」です!って
鉄アレイのことを「あれ」って言っちゃって
トランペット少年がお店の外から憧れて眺めていていつか自分も手に入れたいと思っている鉄アレイを食い入るように見て欲しがっているけど
そのショーウィンドーを店主に指さして「あれですよ!あれ!」って
なんかもう半分鉄アレイの正解が出ている感じない言い方が誤魔化しきれない鉄アレイのことを「アレ」って言っているお客さんに思わず半笑いかもしれないわ。
アレですね!って店主は察しが良いから
鉄アレイのことをアレと言われても決してリーグ優勝のことだとは悟られないように
筋肉鍛える番組で出てくる筋肉体操で有名な大学の教授的な人が筋肉を鍛えるときの鉄アレイを持ち上がる回数を10回あって
残り回数あと5回!って言うときに
いやいやあと5回もできますよ!ってニッコリしてアレを持ち上げるのよ。
でも今日私が欲しい今日のお祭りの「あれ」はその「あれ」じゃなくてあれの「あれ」よ!
秋刀魚祭の「あれ」よ。
一青窈さんのええいあもらい泣きの歌の曲の題名ド忘れちゃったけどあれの歌詞の一節の
甘いのは「タレ」です!って
私なら凄い強火で調理して味付けして弱火にしてからお客さんに味見させるわ!
うふふ。
あれね!
お店の朝のラストワンの鮭おにぎりで最後の1つだったことがラッキーだわ!
あれよ!
久しぶりに柑橘搾り器を出してみて
そんな本なかったっけ?
無ければ書けばいいのよ書けば。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、
歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、
「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、
血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、
最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……
要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
以前ネットで慶応大学野球部の就職先が凄いみたいなのが話題になってて見たけど、うちの学校の同級生連中のほうが良かった。
中高一貫のくせに「現役で早慶受かったら凄え」程度のレベルでしかない学校だったのにもかかわらず、明白にウチのほうが良かった。
1億積まれても入れたくない。
鉄アレイで殴り続けるやつ思い出した
鉄アレイを頑張って持ち上げてると思ったら、ティン・パン・アレーでした、チクショー!!!
本当の父親は他の女と出て行ったらしい。
だが父親代わりに居候していた男がいた。あくまで居候で、家に収入は入れていなかった。
母からも同じような臭いがしており、私はそれがあまり好きではなかった。
たまに気が向いたり、私がミスをすれば怒鳴りつけられ、殴る蹴る、また踏みつけられたり罵ってきた末、
反省を促す名目でベランダに収集日に出すまで置いていたゴミ袋たちと一緒に立たされ、一晩中起き続けることを強要する男の何がいいのかと思っていた。
助けてくれない母に絶望するのは、早かった。
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私はあまり出来の良い子ではなかった。
兄が2人いたが、長男は心に病を抱え、次男は多様な才能に恵まれていた。
私は宙ぶらりんで、何にも興味を示せず、かといって何でも中程度は出来ていたつもりではあったが、
だが母は満足が出来なかった。
なまじ次男が多才なので、私は長男を反面教師に、次男を比較対象に、親たちから圧迫の日々を過ごした。
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たまに夜に2人の嬌声が聞こえるが、幼かった私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って震えていた。
ある日母が妊娠し、妹が出来た。
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初めての保護対象。
最初は嫌悪しかなく、意味が分からぬままただ漠然と突きつけられただけ。
その子を抱え、服を握られた時
何にも興味がなく、怠惰で愚暗な日々で、強いて言えば唯一取柄と言えることが惰弱さな自分に、何かが芽生えた。
そんな気がした。
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しばらく先、ある朝居候の男は酒におぼれ暴れ、母も荒れていた。
長男は入院し、次男は他県の大学へ行っており、家には私と妹だけだった。
一騒動の後、男は家を出て行った。
妹は何が何かも分からず私の服の裾を赤子の頃のように掴んでいた。
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それ以来母はよく泣き、そして苛立ちを自分らに向け、
より一層の支配欲に飢え、私や妹にその矛先は向き、ヒステリーさが加速していた。
妹へ向かぬよう先立って私は母と対峙する日が増えていった。
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大学へ進学するのだろうと漠然と思っていたが、ある問題が発生した。
金である。
母は次男の大学費用の為に無理をして金を捻出しており、私の為の分はないそうだ。
実父から送られてくる毎月の養育費は、ほぼ次男の為だけに私の分まで使われていた。
何なら母のタバコと、ネトゲのオンゲ課金から、ネトゲ中に食べる菓子代に消えていた。
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「大学へ行くのなら自費で生活費を稼ぎ、奨学金を借りながら独力で行け」
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母にそう言われ、私は推薦入学を受けようとしたが、悲しいかな私は求めていた大学への推薦は叶わなかった。
就職・通常の試験を受け希望大学を目指す・ランクをいくつか落とした大学への入学・実父へ直談判する・母に頭を下げ素直に支配され支援を受ける…そして果てには自殺まで。
本当に本当に思い悩み続けた。
だが、結局は進学をしようとなり、1年浪人期間を設け、貯金の時間を作る事とした。
実家暮らしで1年の浪人をし、その間働いて大学の初年度費用と、当面の生活費を稼いでから進学しようと。
その話を母にし、母も了解したが、しかしその後続く母の言葉に目の前が真っ暗になった。
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「家に毎月5万は入れてくれるのよね?もちろん食費や衣服も自腹よね?
大学を目指したいと言うけれど働きながらなんでしょう?もちろん払ってくれるわよね?」
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足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥った。
呆れた、が正しいかもしれない。
怒り、とも違う、胃に何キロもの鉄アレイを捻じ込まれたかのような感覚だ。
ただの高校生上がりが、毎月5万家に入れて、食費を稼ぎ、参考書や塾、対策試験の受講、その他諸費を賄えるか。
計算したが、当時の最低賃金は今よりも低く、困難極まる事は火を見るより明らかだった。
そう考えるのも仕方のない事だったのかもしれない。
その頃の私は、母を母と思えず、嫌悪にまみれ、見るだけで憎悪が湧くようだった。
炊事、洗濯、寝具から衣服、携帯代まで確かに当時自分のバイト代である程度賄っていたが、
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その時、私は子供の浅慮な考えながら独り立ちを決意した。