40歳独身男性。会社員。1年以上、在宅勤務になってる。都市部にある実家にて高齢の母親と同居している(父親は数年前に他界した)。
数日前に自分の体調が悪くなり、熱を測ってみたら38度あった。近くの病院の発熱外来を予約して、診療してもらい、PCR検査を受けさせてもらった。翌日電話が来て、コロナ陽性。
で、考えた。これ、母親に言うのと言わないの、リスクと手間はどうなんだろうと。
当然母親に感染させたくはないのだが、母親はいわゆるテレビばかり観ているタイプの高齢者で、テレビに影響されて「コロナ感染者また何人」とか「若者が感染を広げている」とか本気で言ってしまっている。
そんな中で私がコロナ陽性だとでも知ったらヒステリーでも起こすんじゃないかと思って、そんなことを想像するとげんなりした。
正直いって、私と母親は家のなかでもそんなに会話もしていない。古い家で、部屋数はあるし、私の居室と母親の部屋も結構距離が離れている。私は仕事は自室で在宅勤務しているので、日中ほとんど母親と話すことはないし、もともと食事もほぼ一緒にとらない。
すでにほぼ隔離できているような状況で、あえてコロナ陽性だと言う意味をほとんど見いだせなかった。
会社にも伝えていない。たしかに私は熱はあって風邪のような症状はあるのだが、在宅勤務だし、会社や業務関係者に感染させる可能性はない。頭の働きも、人によっては発症すると頭がぼーっとして仕事にならないという方もいるようだが、私はワクチン3回接種のおかげもあるんだろうが、特に頭がぼんやりしたりすることもなかった。普通に業務できると判断した。
なお、陽性になってたから保健所から来た連絡は、よくわからない携帯のSMSだけだった。何をしてほしいのかよくわからなかったが、特に何もしなくていいのだろうかと思ってしまった。もうこの国ではコロナ陽性は当たり前すぎて保健所も、特に命が別状のない感染者までかまっている余裕はないということなんだろうと思った。
ということで、私はその日における日本のコロナ陽性者の一人として統計上はカウントされたはずだが、家族や同僚には一切知られることのない感染者となった。
私は自分の体験から考えた。日本には、体調不良と感じたものの「コロナ陽性になると日常や業務、人間関係に差し障りが出て面倒だからそもそも検査しない or 検査結果が出ても周りには絶対言わない」という選択をした人がたくさんいるのだろう。私は発熱したので、自然に発熱外来に行く選択をしたけど、そもそもコロナだと分かると身動きがとれない人は、検査すらしたくないはずだ。
事実、私の友人で、1歳児と3歳児の父親である人は、「万一発熱しても絶対にPCR検査は受けない」と言っている。なぜならコロナだとわかって自宅待機や隔離施設行きになると、子供の保育園への送り迎えや、その他のやるべきことが自分ができなくなり、家庭のオペレーションがすべて崩壊してしまうからだと言う。実際、数ヶ月前、熱が出たときも決して検査はしなかったそうだ。
彼は頭のよい人間だし、仕事なんかより命や家族のほうが大事なことはよくわかっている。だが、家族を一番大事に判断すると、結局いまの日本では「コロナだ」と周囲に認識されないことが最善だと結論づけているということだ。
しかも彼は、それをちゃんと自分の妻とも合意しているらしい。仮に彼の妻がコロナっぽい症状になっても、妻も検査はしないし、軽症と判断するなら特に何もしないでお互い日々家事や仕事に務めるという決め事をしているとのことだ。驚くべき。
日本で毎日報道される「感染者数は〜〜人です」という裏にはそもそも怪しいと思っても、日常や家族のためにそもそも検査しない人たちがたくさんいるのだろう。
そして、私のように検査して陽性となったところで、周りの誰にも伝えない人もたくさんいるのだろう。
そのように考えると、私はなんだかんだ日本人が街中でこの暑い中も愚直にマスクをし続けるよう同調圧力を掛け合い続けているのは、それなりの妥当性があると思うようになった。
たとえば「熱中症のリスクがあるからマスクはやめましょう」という呼びかけは合理的なのだが、それはコロナ陽性者または疑わしき症状のある人が誰も出歩かずにちゃんと隔離療養している前提でしか機能しない。
今の私のように、感染したが家族や同僚に知られずにいて、買い物などのために外出している人もいれば、友人のように発症しても検査せずに外に出続ける人がいるのだから。
結局は、コロナであると判明すると面倒になる、という社会である以上は、コロナを隠して出歩く人はいなくならないし、だったら当面屋内や密集空間では全員が一律マスクをしているほうが全体最適なんだろう。