はてなキーワード: 携帯とは
弱者男性がかつて国のトップだった男を倒すって構図がきもてぃ〜
カイジに出てくる「持たざる者の捨て身の怒りが一番恐い」が体現された
地味な非正規男が実は家でエグイ9連装ショットガンを自作しているという意外な有能さもきもてぃ〜
昼行灯の冴えないおっさんが実は有能っていうよくある物語も体現された
銃火器とか詳しくないけど、ミリオタがお悔やみモードを装いつつもペラペラと説明してる姿は「すごいものを見れた」という喜びにあふれていた
「俺もあんなもん作りてえ」「俺もあんなもん使いてえ」そんな願望すらもミリオタから感じた
殺傷力ではより優るそんな武器が押収品として報道された一方で実際には携帯しやすい小型の銃の方を使ったってのもかしこ〜い!
本当は安倍が本命じゃなかったけど憎い宗教の関与者が奈良に来たから好機だとターゲット変更
役所に行っても銀行に行っても医者に行っても薬局に行っても携帯ショップに行ってもマックに行ってもスシローに行っても、番号札渡されて待たされて番号で呼び出されるんだけど、あれこそよっぽど非人間的なんじゃないの?
「名前呼びするとプライバシーに関わる」「名前の読み間違いがない」というメリットはわかるけど、勝手に番号付けられて番号で呼ばれる囚人みたいな扱い受けるのがいつの間にか当たり前になってる。まだウェイティングリストに名前書かされて名前で呼ばれる方が人間扱いされてる感あるけど、これも老害扱いされるのか?
昨日、すっきりと晴れた午前中とは対照的に、ちょうど下校時刻あたりに強い雨と雷が発生する見込みだと天気予報アプリから通知があった
玄関には子どもの傘があり、あれだけ傘を持っていくようにと伝えたのに忘れてしまったようだった
学校に置き傘として折りたたみ傘はあるものの、かなりの強い雨だというアプリの通知に学校まで自動車で迎えに行こうとしていた
ぽつぽつとふり始めた雨の中、まばらな交通量のおかげもあり、想定していた時間よりも早く着きすぎてしまった
正門付近にある駐車場には、同じように数台の自動車が待機していて、あと数分もすれば駐車場は満車になるであろうことは明白だった
駐車場でも少し奥まった位置に停車していた私は、下校時刻まであと20分以上もあることもあって、一旦駐車場から出て近隣の商業施設で買い物をすることにした
「下校時刻に強い雨が予想されているため、児童は学校に留め置きます。下校するタイミングはまたメールにてお知らせいたします。」
通学路に小さな川や、交通量の多い道路があるため児童の安全を第一に考えた末の配慮だろう
私は買い物を続けながら、下校のタイミングを告げるメールを待つことにした
2通目のメールはすぐに来た
「徒歩でのお迎えの場合は教室で児童を引き渡します。自動車でのお迎えは大変な混雑が予想されますのでお控えください。」
自動車で向かうことは控えてほしいとの連絡だった
たしかに小学校の正門へと続く道は一方通行で、並行して走る幹線道路をつなぐ裏道としてある程度の交通量がある
そこをお迎えの自動車で塞いでしまうと、渋滞の車列が幹線道路まで延びてしまったことも過去にあったし、事故発生の可能性が普段よりも高くなるための通達だろう
天気予報アプリではあと30分ほどで雨は小康状態になるとの情報もあり、私は買い物を終え一度帰宅することにした
帰宅途中、小学校の近くを通ったところ、やはり正門付近には自動車が集まっていて、駐車場から溢れ出た自動車で渋滞が発生していた
雨の勢いが落ち着き始めた頃、「あと10分ほどで下校させたいと思います。」との連絡が来た
この程度の雨ならば折り畳み傘でも大丈夫だろうと、私は子どもの帰りを自宅で待つことにした
「どうして迎えに来てくれないの?みんな来てくれてるのに、なんでうちは迎えに来ないの?」と怒っているようだった
学校から自動車での迎えは来ないでほしいと連絡があったし、今くらいの雨なら折り畳み傘でも大丈夫でしょ?と伝えると返事もなく電話が切れた
それから40分後、帰宅した子どもを迎え入れると驚くようなことを言い出した
「クラスで迎えに来なかったのは3人だけだった」「あとの子はみんな車で迎えに来てもらっていた」
子どもの言うことだから多少の誇張はあるだろうが、それでも私が帰り際に見たあの渋滞を裏付けるような話だった
「自動車でのお迎えはお控えください」という連絡を受け、私は学校の真意を「自動車での迎えはNG」だと受け取った
この事実を受け「お控えください」の意味がわからなくなってしまった
昨今、定型文のような婉曲的に配慮をした文章は伝わらないようになっていると感じる
自分に都合の良いように解釈することで相手の真意を作為的に無視して、利己的に振る舞うことが増えているように思う
この一連の話を友人にしたところ「真意や意味が正しいことと大多数が導き出した結論は、それぞれを尊重する時代なのかもしれない」と言われハッとした
解釈の方法や結論に至るまでの道筋は人の数だけあり、それらは尊重される時代なのだと気付かせてもらったが、それでも未だに腑に落ちない
「お控えください」の文化はもう滅ぶのだろうか
程度の差はあれどみんな物忘れするじゃん。
日にちと時間と、自分で消すまでスヌーズで何度もポップアップ通知くるやつ。
病的ではない程度に自分も物忘れひどくて、通知メモを必ずその場で設定するようになってからかなりマシになったよ。
例えば、病院の予約とか、他人との飲み会とかの微妙に先の予定だったら、予定日の2日前から6時間おきの通知を入れたり
明日の朝お土産持ってくみたいなやつは当日の目覚ましの時間から5分おきのスヌーズで通知する。
携帯は流石によく目にするから、スヌーズさえ消さなければ流石に忘れない。
買い物のメモから大切な中長期の予定までビーッシリ通知メモに入れてるよ。
みんなで物忘れなくそう💪
駐車スペースに車止めが無くてバックし過ぎてフェンスに当てた。
「また誰かぶつけやがったなー」とは言われていたらしい。
ちなみに数年後にその車のフロントフェンダーを凹ませたが、どうせ今回もバレないだろと思って黙ってたら本当にバレなかった。
めっちゃ怒られた。
でも言い訳はあって、元々別の部門の担当役員で、いつもその部門の女子事務から案内が回ってたのよね。
その女子が退職したら、役員への案内が引き継がれていなかったらしい。
めっちゃ怒られた。
これは純粋に忘れてた。
常勤扱いのくせに一切会社に来ない人だったので脳内で非常勤と同じ扱いをしてしまっていた。
すみませんでした。
なんとか修正してもらえたんだけどめっちゃ大変だったらしく、普段ものすごく愛想よく対応してくれていた他社担当者がマジ切れな雰囲気で
「二度とやらないでくださいね」
間違えて多く貰ってたのを返すわけで、会社に損害を与えたわけではないが、それなりの金額だったので上司からめっちゃ詰められた。
単純に自分のミスだったがその上司のチェックを経て役所に提出していたので、あんたも連帯責任じゃねーかと思った。
会社のとある箇所が雨漏りしてて、俺は業者呼んで天板外して調査したかったんだけど、上司が
「金がかかることをやるより、まず自分で何とかしてみろ!」
という人だったので、一応思いつく限りのことはやってみた。
が、改善しなかったので、もう一回業者に頼みたいと申し出たのだが却下され、めんどくさくなって放置。
上司に超詰められたがぶっちゃけアンタの指示のせいじゃねーかと思っていた。
社宅に住んでた従業員が退職することになったので退居手続きをしていたのだが、なんか実際にいつ退居可能かをちっとも連絡してこないので、なんかおかしいなと思って、念のため現地を見に行って良いかと上司に相談したら
「そんなん一々見に行かなくていいだろ」
と却下された。
数週間後、やっぱり不安だったので休みの日に自分で見に行ったら、素人になんとかするのは無理なレベルで荒れていた。
諸事情で退居日を後倒しするわけにはいかず、その従業員が手持ち現金がほぼ無いと言うし、上に相談したら会社は金を出さないと却下され、致し方なく諸々の退居費用(50万円くらい)を個人的に立て替えた。
なんとか回収できたから良かったけど、最初に現地確認しに行きたいと相談したタイミングで行けてたらもっと色々やりようがあったので上司を恨んだ。
別の上司から「お前が最初からその不安感をもっと真剣に訴えれば良かった」と言われたが、そもそも不安じゃなかったら見に行きたいとか相談しないわけで、その上司も恨んだ。
たぶんこの土日月は大変なことになっていただろうが、俺は相見積取って資料作っただけでau一本化を決済したのは上司と取締役である。
でも多分、めっちゃ俺のせいにされて文句言われてたんだろうなあと推測。
とある商品が届かず、先方に確認したら、発送済なので宅配業者の都合じゃないかとのこと。
偉い人が「今日届かないと困るのにお前何やってんだ!」と激怒。
しかし元々お届け日を指定できないもので、それは報告していた。
つれえなあと思った。
諸事情で期日までに実行しないといけない案件があったんだけど、上司に言わせれば
とのことで却下されまくって嫌になって先送りにしてたらギリギリになった。
まあ一応間に合ったんだけど業者に迷惑かけて本当に申し訳なかった。
なお上司の認識としては「ギリギリのところで今回も俺がお前を助けてやった」だったらしいのだが、ぶっちゃけ俺の当初プランどおりじゃねーかと恨んだ。
上司が「俺が頼んだ仕事が終わってないくせに俺より先に帰るな!」というタイプの人で
でも資料作って相談しては却下されまくるのが本当に嫌で、定時後に上司が帰るまで1~2時間仕事するフリしてた。
これでこの上司の下で働くのもう無理だなと思って転職活動した。
俺、元々朝は普通に起きられるし休みの日も特に長く寝るってこともなかったんだけどさ。
ある時期から、ホントにギリギリまで寝てたし、休みの日も半日とか寝るようになってたのよね。
あれって、今にして思えば「起き上がれなかった」んだと転職してから気付いた。
元々普通に寝起きできる人が寝られなかったり起きられなかったりするのは異常だから皆さん早めにメンタルクリニックへ行くべき。
てか、あの頃お世話になれれば鬱で休職してたと思うんだけど、鬱の診断ついてたら住宅ローンの団信が通らなかった疑惑なのでどちらが良かったかは自分でもわからない。
今回の騒動で分かったと思うけど真の底辺職は携帯ショップの店員
土日仕事は当たり前
日々契約ノルマに追われながら老人と無知の相手して隙を見て要らない契約をさせる
特価スマホ出たら乞食と対峙して通信障害が起きたら罵倒されるマジモンの底辺職
高卒でなるならともかく借金抱えて大学行ってそんな所にしか就職出来ない奴がゴロゴロ居る業界
例の就活サイトで底辺職と挙げられた介護職やゴミ収集員の方々は居ないと困るし感謝もされるけど、携帯ショップ店員が居なくなっても携帯は契約出来るし全く困らんぞ?
30歳が見える年になっても好きがなんなのか分からない
多少のフェイクあり
この前までお付き合いしていた人がいた
その人は私よりも2歳年上で、お互いに適齢期と言われるような年齢で、なんだかこのまま過ごしていたら流れで結婚するかもなあ、という予感があった
その人は県の端のあたりに住んでいて、私は県の逆側の実家がある町に住んでいて、中間地点のあたりの市なら住んでもいいよとは言われていた
でもその人はその人の現在の居住地のそばでこれからもずっと働く仕事で、私は県内転勤のある仕事で、一時間以上かけてその人が通勤するのは私にとっては現実的じゃないなと思っていた 私が移り住んだほうが合理的だなって
私にとって初めてお付き合いした人だった
恋人のことをちゃんと覚えておくために、デートしたときに相手が不意に言った好きなものや苦手なものを携帯のメモに書き溜めていた
でも、本当に好きな相手なら好きなものも嫌いなものもメモしなくたって覚えているものだとは気付いていた
いつの頃からか私は会話の中で結婚の話題が出ないようにばかり考えていた 今その話題を出されても私は良い返事を返せないと思った
そんなことを考えてる時点で終わりだと思ったし、相手にそれが伝わっていたのかもしくは私と結婚する気はなかったのか、具体的な話はついぞ出ることはなかった
友人から聞いた「夜遅くからでも一目でいいから会いたい」「遠距離になっても毎日電話してる」「浮気されてすごく怒って異性の連絡先全部消させた」「遠距離の彼の家に行って家を掃除してご飯を作ってあげる」みたいな、好きな人に全力で夢中って気持ちとはずいぶん違うなと思っていた
相手が浮気したら、もしくは別の人と付き合ったら私は悲しく感じるのかずっと考えていたけど、私よりも相手に合う人を見つけて幸せになってくれてよかったなあって気持ちしか想像できなかった 別れた今も他の人と幸せになってほしいと思っている
短くない期間付き合っていたけど一度も怒ったところを見たことがなかった 別れる時もそうだった
二人きりになった瞬間にぎゅっと抱きしめてくれるところが好きだった 優柔不断な私に、自然と提案をしてくれるような人だった とびきり大事にしてくれていた
ただ、大事にしてくれるところが好きって理由で結婚まで行ったら、大事にしてくれなくなる瞬間は必ず来るはずなので、私が全力で夢中で好きって思える相手じゃないと厳しいんだろうなと思った
お互いに時間を無駄にしていい年でもないので別れを告げた でも別れてから相手はこの食べ物が好きだったなあとか、このお祭り去年告知を見た時に来年は一緒に行きたいと思ったなあとか、今ごろどうしてるかなあと思ってしまう 全部恋じゃなくて感傷なんだろうか
https://yururito-sengoku.com/sengoku9/bushinikushokuji.html
『腹は減っては戦はできぬ』という言葉があるほど、戦国時代の武士にとって食事は大切なもの!
食事をとらなければ力がでない!
力がでないという事は動けない!
動けないという事は戦に勝てない!
そう、食事は戦に勝つ為のパワー!
食事を怠れば死、あるのみ!
それなのに、なぜか戦国時代の武士達は肉を食べるという事をあまりしていなかった?!
なぜなのか??
戦国時代、肉を食べるという事はどういう事だったのでしょう??
そもそもの話…、
戦国時代より昔から、日本人は仏教の影響で肉食文化にあまり馴染みがなかったようです。
とはいってもまったく肉食文化があったわけではなく、これにいたっては身分の高い人がその傾向にあったようです。
歴代の天皇は『肉食禁止令』なるものを出していたそうで、公家などの貴族なんかはこのお触れを守り肉を食べる事をしなかったそうです。
『肉食禁止令』なんかがあるくらいだから、肉食は普通に行われていたと考えられるわけですが、
ってな感じで魚が副食の定番となっていったそうです。
ちなみに鯉や鯛なんかが高級食材だったらしい。
そんな武士達の食事の常識を変えたのが、キリスト教文化を日本に広めに来た宣教師だといいます。
日本人ってなんで肉食べないの?
肉、美味しいんだよ?
首回りのピラピラした衣装やマント、動物の毛皮なんかの南蛮アイテムは流行に敏感な武士達に多大なる影響を及ぼしました。
食うしかねぇだろ。肉!
戦国時代になると南蛮文化の影響を受け、肉はなんか食べちゃダメという感覚が薄れていったといいます。
動物であれば猪、豚、ウサギ、狸なんかが食べられていたそうで、鳥であれば雉や鶴、小鳥なんかが食べられていたそうです。
基本的に、食べられるものは何でも食べちゃうというスタンスであったそうな。
しかし、意外にも現代では超メジャーな牛肉は食べなかったそうです。
牛は農耕に使う生き物。
食べるもんじゃない。
という常識があったんですって。
ちなみに馬も食べなかったそうです。
牛同様に、
という感じだったそうな。
ちなみに猫や犬、猿なんかのペット系は現代と同じで「食べるもんじゃない!」という感覚がちゃんとあったんだって。良かった…。
豊臣秀吉、虎の肉食べてたらしいよ。
豊臣秀吉は虎の肉を好んで食べていたそうです。
戦国時代で虎といえば『加藤清正の虎退治』が有名ですが、朝鮮出兵では秀吉のご機嫌を取る為、他の武将達もこぞって虎を討ち取ったと言われております。
武将達は討ち取った虎の肉を塩漬けにして日本にいる秀吉の元へ送ったそうですが、あまりの量に秀吉は
もういらない…。
とウンザリしていたそうな。
ちなみに虎の肉は滋養強壮に良いとされていたそうです。
その味やいかに・・・。
雉や鶴、小鳥なんかは食べられていたと言われていますが、実はこれまた意外にも鶏肉を食べていた記録はないらしいです。
鶏は昔から日本に存在する鳥、手軽かつ美味しいのになぜ昔の人は鶏肉を食べなかったのか…??
白く美しい体に映える真っ赤なトサカは『日の出』を連想させ、日本の『旭日信仰』に通じるものがあるからというのと、
毎朝正確な時間に鳴いて日の出を告げるのが、当時の人々には凄く不思議で神秘的に感じていたそうです。
鶏様は神の使いに違いねぇ!
鶏様を食べたら天罰がくだる!
という事ですね。
こんな感じなので、鶏の卵を食べていた記録なんかも見当たらないそうです。
肉が普及しだしたとはいえ、戦国時代の武士の普段の食事はと比べると極めて質素でありました。
しかし、それには…
長期戦になればなるほど兵糧の確保も大変なわけだし…
数日間食事がとれない状況になったとしても大丈夫なように、1日2食で体を慣らしておくのだよ。
このような理由があったと言われているようです。
とは言ってもその1日2食の食事量は凄まじく、1回の食事で2合半のお米を食べていたそうな…。
ちなみに米は米でもそこらの武士は玄米を食べていたんですよぉ。
ちなみにおかずは、魚や大根や芋の煮物、菜物入りの味噌汁なんかがあったそう。
玄米と漬物だけという質素なメニューの時も多かったらしいので、その時の経済状況や食料事情、それぞれの地域で結構格差がありそうですね。
世界各国から様々な食料を輸入してる現代とは事情が違うもんね。
日本国内だけじゃなかなか賄えないし、食糧難とかもあるよねぇ~。
ちなみに、いざ戦が始まると白米のほうが玄米より早く炊けて消化も良いとの理由で足軽たちも白米を食べていたんだとか。
白米に味噌やネギや野菜を混ぜ、雑炊にして食べる事が多かったよ~!
兵糧がん
そば粉に酒やはちみつ、すり胡麻を混ぜて蒸し、それにきな粉をまぶしたもの。
みそ玉
煮干し
干し飯