大好きな父が亡くなった
60歳代は早すぎる
今は何もかもが惜しい
ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた
容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった
話したかったことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した
ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった
起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした
毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた
息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた
二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ
父と家族の写真をラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター
いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸とオールインワンジェルと常用薬を入れたケース
父が書いた様々なメモ
昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳
ガジェット好きの父からもらったUSBケーブル、タブレット、ポータブルスピーカー、大きなハードディスク、ポータブルフロッピードライブ
硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕
寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計
疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽのジンジャーエールのペットボトル
口が乾くから買ってきてほしいと頼まれたもののハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル
湯灌の時に切ってもらった遺髪
まだまだある
片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい
父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい
父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく
前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい
辛い
読むだけで泣けてきた。ご冥福をお祈りします。