本当の父親は他の女と出て行ったらしい。
だが父親代わりに居候していた男がいた。あくまで居候で、家に収入は入れていなかった。
母からも同じような臭いがしており、私はそれがあまり好きではなかった。
たまに気が向いたり、私がミスをすれば怒鳴りつけられ、殴る蹴る、また踏みつけられたり罵ってきた末、
反省を促す名目でベランダに収集日に出すまで置いていたゴミ袋たちと一緒に立たされ、一晩中起き続けることを強要する男の何がいいのかと思っていた。
助けてくれない母に絶望するのは、早かった。
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私はあまり出来の良い子ではなかった。
兄が2人いたが、長男は心に病を抱え、次男は多様な才能に恵まれていた。
私は宙ぶらりんで、何にも興味を示せず、かといって何でも中程度は出来ていたつもりではあったが、
だが母は満足が出来なかった。
なまじ次男が多才なので、私は長男を反面教師に、次男を比較対象に、親たちから圧迫の日々を過ごした。
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たまに夜に2人の嬌声が聞こえるが、幼かった私は耳を塞ぎ、布団を頭から被って震えていた。
ある日母が妊娠し、妹が出来た。
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初めての保護対象。
最初は嫌悪しかなく、意味が分からぬままただ漠然と突きつけられただけ。
その子を抱え、服を握られた時
何にも興味がなく、怠惰で愚暗な日々で、強いて言えば唯一取柄と言えることが惰弱さな自分に、何かが芽生えた。
そんな気がした。
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しばらく先、ある朝居候の男は酒におぼれ暴れ、母も荒れていた。
長男は入院し、次男は他県の大学へ行っており、家には私と妹だけだった。
一騒動の後、男は家を出て行った。
妹は何が何かも分からず私の服の裾を赤子の頃のように掴んでいた。
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それ以来母はよく泣き、そして苛立ちを自分らに向け、
より一層の支配欲に飢え、私や妹にその矛先は向き、ヒステリーさが加速していた。
妹へ向かぬよう先立って私は母と対峙する日が増えていった。
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大学へ進学するのだろうと漠然と思っていたが、ある問題が発生した。
金である。
母は次男の大学費用の為に無理をして金を捻出しており、私の為の分はないそうだ。
実父から送られてくる毎月の養育費は、ほぼ次男の為だけに私の分まで使われていた。
何なら母のタバコと、ネトゲのオンゲ課金から、ネトゲ中に食べる菓子代に消えていた。
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「大学へ行くのなら自費で生活費を稼ぎ、奨学金を借りながら独力で行け」
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母にそう言われ、私は推薦入学を受けようとしたが、悲しいかな私は求めていた大学への推薦は叶わなかった。
就職・通常の試験を受け希望大学を目指す・ランクをいくつか落とした大学への入学・実父へ直談判する・母に頭を下げ素直に支配され支援を受ける…そして果てには自殺まで。
本当に本当に思い悩み続けた。
だが、結局は進学をしようとなり、1年浪人期間を設け、貯金の時間を作る事とした。
実家暮らしで1年の浪人をし、その間働いて大学の初年度費用と、当面の生活費を稼いでから進学しようと。
その話を母にし、母も了解したが、しかしその後続く母の言葉に目の前が真っ暗になった。
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「家に毎月5万は入れてくれるのよね?もちろん食費や衣服も自腹よね?
大学を目指したいと言うけれど働きながらなんでしょう?もちろん払ってくれるわよね?」
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足元が瓦解し、暗い穴に落ちる感覚に陥った。
呆れた、が正しいかもしれない。
怒り、とも違う、胃に何キロもの鉄アレイを捻じ込まれたかのような感覚だ。
ただの高校生上がりが、毎月5万家に入れて、食費を稼ぎ、参考書や塾、対策試験の受講、その他諸費を賄えるか。
計算したが、当時の最低賃金は今よりも低く、困難極まる事は火を見るより明らかだった。
そう考えるのも仕方のない事だったのかもしれない。
その頃の私は、母を母と思えず、嫌悪にまみれ、見るだけで憎悪が湧くようだった。
炊事、洗濯、寝具から衣服、携帯代まで確かに当時自分のバイト代である程度賄っていたが、
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その時、私は子供の浅慮な考えながら独り立ちを決意した。