はてなキーワード: 誰にも言えないとは
でも、吐き出したくて、どこかの誰かに聞いてほしくて、これを書く。
リビングにいる娘にお風呂に入るように伝えて、私は寝室で下の子を寝かしつけていた。
下の子が寝たので寝室からリビングに行くと、娘が慌ててお風呂に向かった。
「まだ入ってなかったの?」と言うと、
「別に、ダラダラしてただけだよ!」と答えるその姿が狼狽しているようで、
何か怪しいとピンと来た私は、そこに置かれたままになったスマホをチェックした。
(スマホを持たせる際、これは親のものをあなたに貸与していること、親がチェックすることがあることを伝えていた。)
数ヶ月前、どうやって赤ちゃんができるの!?と不思議で仕方なかった娘に、
性教育は自分を大切にすることだと考えていたので、ごまかさずきちんと伝えたくて、性教育の本を使いながら、あなた達はパパとママが愛し合って、心から望まれて産まれたんだよと、伝えたところだった。
驚いた娘は、「びっくりしたけど、パパとママはラブラブなんだね!嬉しい!」と喜び、
そんな返事が微笑ましくて、
このまま自分を大切にしていってほしいなと、
きちんと伝えてよかったなと思ったところだった。
そんな想いが、成人漫画に全て踏みにじられた気がして、悲しくてショックでたまらない。
恋愛漫画の延長線上の、愛し合った恋人同士が信頼関係を築きながら、
お互い愛を深めあったその先にベッドシーンがあって...というストーリーがあれば、
まだ全然許せた。
でもこれは全く違う。
ただただ快楽のための、
十分成人してる私が見て思わず目を背けたくなるような、エグい、グロい、カラーの絵。
これを娘が見たのかと思うと、
そしてその記憶はもう消せないのかと思うと、辛すぎる。
性行為は、心から愛する人と、あなたを本当に大切にしてくれる人とするものなんだよと
教えたところだったのに。
うん、うん、とじっくり話を聞いてくれていたのに。
全て、無駄にしてくれた。
ちゃおコミや小学館の漫画サイトで少女漫画を読んでいたことは知っていた。
お友達に教えてもらったんだーと言っていて、
にチェックを入れていたので、油断していた。
コミックシーモア、ピッコマ、めちゃコミ、レンタなどの漫画サイト。
きっと何かの拍子で目にしてしまい、そのまま興味本位で見ていたのだろうと思うけど、
まさか、明らかに18禁の成人向けのエロ漫画に、誰でも簡単にアクセスできるなんて。
なんで。なんで。
年齢認証されていないの。
法規制されていないの。
小学生の告白シーンに「キャー!」とはしゃぐピュアな子なのに。
性的嗜好に少なからずとも悪影響があるのではないかと、そんな不安が拭えない。
取り急ぎ、ファミリーリンクで【承認済みのサイトのみ許可する】に変更し、上記の漫画サイトをブロックした。
あとは、きちんと娘と話さなくては。
決して娘を責めることなく、冷静に、落ち着いて。
話し合いの前に、この今のグチャグチャな気持ちを整理したくて、吐き出したくて、ここに記す。
お願いだから、
18禁の漫画は、身分証明書をアップロードしないとアクセスできないような、
そんな仕組みにしてほしい。
成人漫画をなくせと言ってるわけじゃない。
幼い子どもの目に触れさせないような努力をしてほしいだけなのに。
そんなことがどうして出来ないの?誰が困るの?
はてな匿名ダイアリーって「言いたいこと言える」って感じの場所だよね。書きたいことを匿名で書けるから、普段言えない本音とか、愚痴とか、悩みとかが大量に投稿されてる。それ自体は悪いことじゃないし、むしろみんなが気軽に発信できる場って貴重なんだけど、法的な立場から見ると、やっぱりいくつか気になる点があるんだよね。
まずは誹謗中傷とか名誉毀損のリスク。匿名だと気が大きくなって、つい他人を批判する内容を書いちゃうことがあると思うけど、たとえ匿名でも、特定されて責任を問われることはあり得るから注意が必要。たとえば、「あの会社の〇〇は最悪」とか、「〇〇って人がこうした」みたいに特定の個人や組織について悪く書くと、それが証拠として残っちゃうし、場合によっては訴えられるリスクがあるんだよね。匿名だからって何書いてもOKってわけじゃないんだ。
あと、デマや誤情報の問題もある。匿名だからこそ事実かどうかの確認が難しい情報が拡散しやすくて、たとえば「〇〇がこうらしい」とか「こんな事件があった」みたいな投稿があっても、それが本当かどうか誰もわからないことが多いんだ。これで誤った情報が広がっちゃうと、無関係の人が迷惑を被ったりするケースもある。実際に、はてな匿名ダイアリーで発信されたデマが他のSNSに広がって、混乱を招いたこともあるし、発信にはやっぱり責任が伴うってことを忘れないでほしい。
さらに、機密情報の漏洩も結構気になる。例えば、会社の内情とか内部の事情を暴露するような内容もたまに見かけるけど、これも本来守るべき秘密を漏らしちゃってるケースがある。職場の機密を無断で公開すると、その内容によっては法律違反になったり、勤務先とのトラブルの原因になることもあるんだよね。だから、「これは誰にも言えないから匿名で」と軽い気持ちで書いても、後々面倒になることがあるってことは覚えておいた方がいいかも。
まとめると、はてな匿名ダイアリーは自由に本音を吐き出せる貴重な場所だけど、そこにも法的なリスクが潜んでいることを意識してほしいな。結局、匿名でもインターネット上での発言は誰かの目に触れるわけだから、書く内容には最低限の責任が伴う。自由に発言することと、他人や社会に迷惑をかけないこと、そのバランスを意識しながら活用してもらえたらいいと思うよ。
東京ではあまり見ないようなワイドショー御用達芸人があまりにも芸風が古くてパワハラセクハラ的な笑いしかとれないのも原因だと思う
タレントの反応もしょうもないし知識もなくて一般人いじりで下らない笑いを取るのが仕事みたい
アナウンサーやキャスターは好印象な人が多いのにローカルタレントたちが本当に低レベル
笑いの本場だからさぞ面白いんだろうと期待してたのも悪いのかもしれない
さらに番組の途中で通販が入るのがお昼の定番だが、あまりにも長い
ネタがないなら東京の番組でも流してろよと思うくらい同じ通販ネタを見せられる
安いを売りにするけどリピートするほどのお店が少ない
おいしさもそこそこで地元民に人気のお店で特別美味しいことはめったにない
京都と比べると圧倒的に京都がレベル高いと思ってる(個人的に)
チャリって歩道走らないと死ぬの?灯火するとリンチでもされるの??飲み会の時にチャリでこないとえ〜?って反応なのなに?飲酒運転多すぎだろ
歩行者もぶつかりそうになった時お互いにちょっとずれれば避けられるのに絶対に避けない人が多すぎる
ついでに歩くのがめちゃくちゃ遅い 遅い人がいても誰も抜かさないので心は優しいかも
観光客のが歩くの早いだろと思うくらい遅い 突然止まるな改札の前を横切るな
自分の行きたい方向だからって今まっすぐ歩いてる人間の前すれすれを通るな
大阪以外ではみんな後ろを通るんだがなんで前に行きたがる しかも歩くの遅いので結果まっすぐ歩いてるこっちが避けないといけない
題名まんまだ
まぁそりゃそうなんだよ
でもとっくに覚悟がキマっていると思ってたんだもん
その赤ちゃんを見てる目よ
こちとらXで流れてくる「義理の姉」アレルギー的なヤツにおびえて近づけもしないのに
(まだ義理の姉じゃないってか、籍入れてないもんな)
「ずっと笑ってるよ!」ってこっち見て言うなよ。
知ってるわ。釘付けだわ
ご厚意で抱かせてもらった時も、ずーっと笑ってるの
人見知りってまだしないのかな、生まれたばっかりだと。
子供産まないと決めた時からその辺の情報シャットアウトしてたからわかんねーや
こっちみて笑って、抱っこ変わってってして
こんなの、私も、やりたかったにきまってるじゃん
匿名にかこつけて話させてくれ
治すのに3年かかったかな
元より完治する病気じゃないから、薬を飲みつつ症状抑えてまぁ生きていきましょやって感じ
まぁ薬も飲んでるし、
何個か飲んでる薬の1つは妊婦には飲めないらしい
要は子供を産みたければ「その1つ」を代用の効くほかの薬に変えてからね~的なヤツ
母子ともに健康に生まれてくる可能性は、ほかの元気な女性より低いわけ
(これ私がもし体調を崩したら、また何年も入院して治療するの…?)
がよぎるわけ
振り切って自分が優先されたの
だから医者にも「子供は産まないので、考慮されなくていいですよ」って伝えてる
どうしてかかるのか分からないわけよ
おばあちゃんはもう60を超えて、だったけれど
「元気になったけど、ごめん。ひ孫は抱かせてあげらんねーわ!ハハッ」って言った
初めて見たよ、おばあちゃんの涙。おじいちゃん死んだときも「涙出んわ」って言ってたのに
ひたすら、ひたすら
「ごめんね、ごめんね」って謝られた
その涙をみて、私が子供を産まないことがこの涙への答えだと思った
楽しい思い出も、社会人としてのキャリアも!目指しちゃおっかな!ガハハハッ」って思ってた
その医者の話を聞いた帰りにお母さんに言われた
「この人の子供を産みたいと思った時が、一番つらい時だよ」って言葉が今でも刺さってて
そんなときがいつ来るんだろうか~なんて吞気に思ってたら
突然の雷バチコーーーーンとんでもねぇなこりゃ
もうぜーーーーーーーんぶ思い出した
クラスのランキング的なのに恰幅がいい、という理由だけで「大家族になりそう」ランキング
堂々の1位だったこととか
そもそも子供大好きなくせに子供嫌いって言って自分をそう思わせていたりとか
母性本能強いことは知ってたけど、自分の心には嫌いだよってずっと言ってた
そのはねっかえりがあの2時間に詰まってた
今ならまだ間に合うのかな
まだ産める歳だもんな
私は、産んだ私を許せないと思う
私が子供だったら、謝られたって、許せないと思う
こんな堂々巡りばっかりしてずーっと泣いてるの
「妹の子を見て笑う姿」が「自分の子を見て笑う」姿が見れたのかなって
産まない決意をして10年近く経つけれど
こんなにつらいのは初めてだ
でもこんな話、だれにも聞かせられないからさ
ネットの海に垂れ流して、どうにか薄めさせてくれ~って思ってる
今日、Kindleのセールで『ブルシット・ジョブの謎』って本が安くなってた。
"クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか" ってタイトルが、なんだか妙に胸に刺さったんだよね。
休憩時間に少し読んでみたら、案の定、私の中でふつふつと湧き上がってきたものがあった。
もしかして私の仕事ってブルシット・ジョブなんじゃないか?って。
その瞬間、コロナにかかって数週間休んだときのことが頭をよぎった。
自分がいないと仕事は回らない、そう信じて疑わなかったし、それが私の存在理由だと思ってた。
会社に迷惑かけてるんじゃないかとか、私がいないせいでプロジェクトが滞ってるんじゃないかとか、そんなことばっかり考えてたんだ。
でも、コロナから復帰してみたら、何のことはなかった。職場は普通に回ってたし、私がいなかった間に何か大きな問題が起きたわけでもなかった。
もちろん「おかえり」とは言ってもらえたし、みんな優しかった。
でもそれだけで、別に私がいなくて困ったという話は一切出なかった。
あの時、私はハッと気づいた。ああ、そうか、別に私がいなくても仕事はちゃんと回るんだって。
私は、私がいなければ成り立たないって信じてたけど、実際にはそうじゃなかった。
代わりはいくらでもいる。
誰がやっても結果は変わらないような、あってもなくても大して影響のない仕事なんだって。
そんなことに気づいてしまったら、なんだか自分がすごく小さく、無意味に感じた。
その後も仕事をしているけど、どうしても頭の片隅にはその感覚が残っている。
私の仕事はブルシット・ジョブというやつなんじゃないか? そんな思いが昼からずっと消えない。
誰でもできる仕事。効率化すればいらなくなるかもしれない仕事。
もちろん、私がやっていることにも意味はあるんだろう。たぶん。
毎日何かしらの結果を残しているし、私が担当していることが少しでも誰かの役に立っているかもしれない。
でも、代わりはいくらでもいる。私がいなくても何も変わらない。それに気づいたとき、私は本当にどうしたらいいか分からなくなった。
今、これを書きながら、泣いている。
誰にも言えないこの気持ちを、どうやって整理すればいいのか分からない。
もしかしたら、これは誰にでも起きることなのかもしれないし、私だけが特別に感じていることじゃないのかもしれない。
でも私にとっては今この瞬間がすごく苦しい。
もうどうしようもない。
どうしよう
涙が止まらない
大学時代にパチンコパチスロで作った借金さっき返済し終わったから書く。書き殴りの駄文だからそこはすまん
元々チー牛趣味なので好きなアニメの台を打ちに行ったのが始まりだった。
ビギナーズラックってほんとにあるんだなと今になれば思うけど、1000円が1万円になった。
そっからは転がるように転落。
気がつけばサンドに万札突っ込むのは躊躇わないのに晩飯に500円出すのを渋るようになった。
バイトと親の仕送りでどうにかギリギリ…って時に新台で10万負けた。
5万以上入れてからは正直記憶がないし、単発で10万入れて1000円ちょっと返してもらうという馬鹿な時間を過ごした。
最近は決済アプリで金借りが出来たりする。学生で扶養ギリギリまでバイトしてたから30万まで借りれた。消費者金融避けて実態は消費者金融のとこで借りてるんだから笑えるよな
人は借金すると限度額まで借りるって聞いてて、正直そんな人を馬鹿にしてました
簡単に30万限度額まで借りてました。ほんとに怖い。
俺は依存症じゃないし笑とか思ってたけど、講義サボって打ちに行ったり、大学の研究すらやらない時期もあった
手元に5000円しかない時に1パチで増やそうともした。
親に嘘ついて金もらって打ったこともあったな。いまだに言えないけど、早いとこ親孝行でなんかして気持ちだけでも返したい。
せいぜい30万の借金で〜〜って思われるかもだけど、誰にも言えない恥ずかしい借金って情けなくなるしほんと恥ずかしいよ。辛いよ。しんどいよ
パチンコパチスロ打つ友達との会話とか並び打ちとか確かに楽しいけど、絶対他のことした方がいいぞ。
レア役確率とかモード推測できて何になる?パチ屋以外でなんか役に立った?
パチスロとか演者とかになるならともかく、その時間バイトしたほうが期待値高くない??
ぶっちゃけたまたまスロで勝ちまくって奇跡的に返済できた依存症脱出出来てない新卒だけど、まず学生はパチ屋入るな。近づかな。
入ってもいいけど毎日行くのやめろ、途中で金下ろすのもやめろ。天井狙いする立ち回りならそもそも打たねえ方がマシな場合多いぞ。
生活を削るな
今も打ちたい台とかあるし、SNSで流れてくる勝ち報告見ると明日行くかーとも思うよ
でもあんなの一握りだぞ
おんなじ日に何万人とやってたまたま上澄み引けた人が自慢してるだけだぞ。お前がそうなれる自信はどっから来てんの?
遠隔とか店長スイッチとか信じてないけど、賭け事は基本胴元が勝つように出来てるんだから辞めとけ
社会人になって自分で稼いで突っ込んでるならともかく、親に何か施されてる間は賭け事なんてしない方がいい
俺みたいになるな
俺も最初3万とか借りて限度額まで借りたんだぞ
親に言えねえ金の使い方はするな
これ読んだ賭け事やってる学生が少しでもマシな道を歩めるように祈ってる
ららぽーとで女子トイレに入ろうとしたら授乳室から乳児の泣き声が聞こえた。
ふと授乳室の入口に目をやると、20代後半くらいの夫婦が生後数ヶ月の乳児の世話をしていた。
(今思うと授乳室の入口からなんで中が見えたんだろ、しかも授乳室って男性が入っていいのか?)
育児エアプの人間がいわゆる泣き声として想像するような「えーーーん、えーーーん」じゃなく
「ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ、ウウェェ」みたいな感じの、細切れの騒音。泣き声というより鳴き声。
赤ちゃんの泣き声は、2,000Hz以上の高い周波数で、それは人が不快に感じやすい周波数である、というのを何かで見たが本当にそうなんだと思う。聞いたの一瞬だけどまじで不快だった。
あれが家にいるってヤバすぎる。普通に嫌だなと思ってしまった。
しかも不定期に泣き出して、泣き声を聞きながら世話しなくちゃならないって、育児まじ苦痛すぎる。
小さな命に対してこんな感情を持ってしまったことは誰にも言えない。
私は昨年結婚して、夫とは近い将来に子どもを持つ方向で話をしているし、周りの友達も子どもが生まれたり大きくなったりしているから、「乳児の泣き声まじ不快で苦痛でキツい」なんて社会的に言うべきではない。
私みたいな人間も、自分の子どもであればあの泣き声に耐えられるのだろうか。耐えられる気がしない。泣き出したらすぐに耳栓を装着している自分が想像できる。耳栓を突き抜けて不快だろうけども。
誘われてなんとなく始めてみたけれど
大学があるから、短い時間でお金が稼げるのが魅力で続けていた。
でも、周りの誰にも言えない。
社会人になった今も、お給料に満足出来ず週に数回だけ出勤している。
彼氏は1つ年下。
そのうち一緒に住みたい、結婚したい。
遠距離だから、お互いに引っ越して、お互いに新しい職を探す予定。
頑張らなくちゃいけない。
でも働きたくない。
今でさえ、正社員にはなりたくなくて、なれなくて。
働くのなんて嫌で、何もしたくなくて。
せめて出来るのが夜のお仕事。
そんなことで悩んでいた矢先、たまたまガールズバーのお客さんに気に入られた。
私が出勤するたびに通いつめて、毎度高額伝票を叩き出してくれる。
私の倍の年齢なのに、私と結婚したいらしい。本気で惚れられてしまった。
その人と結婚したら、働かなくても遊んで暮らせるだけのお金が手に入る。
私は長年鬱で、気づいたら何も出来なくなっていた。
高校生1年生までは、毎日朝起きて嫌な顔せず学校に行っていたのに。
休むなんてこと考えたこともなかった。
いまなんて仕事の日以外、外に出てない。
仕事の日も動きたくなくて休むこともある。
でも、父親くらいの歳の腹の出たハゲについていけば、遊んで暮らせる。
友達を遊びに誘える。日々が充実する。
わかんないや全然。
地方の高校を卒業してなんとなく地元の農業法人に就職するも、仕事がきつすぎて1週間で腰を壊して就業困難になり退職。その後数年間は実家に寄生し、申し訳程度の日雇いバイトをこなしてなんとなく生活を維持していた頃。東京に進学した仲の良い同級が成人したのを記念にささやかな同級会を開くというので、なけなしの貯金を叩いて東京に向かった。
初めての東京はゴミゴミしていて、人ごみをかき分けて進むだけで気分が悪くなりそうだった。日付の変わる前に同級会は解散し、俺はあてもなく新宿歌舞伎町をひとり歩いていた。その日の宿は決めてなかった。計画性がなく、なんとなくひとりで東京を歩いて感じてみたいと思ったのだ。
当時の歌舞伎町は路上で様々なキャッチが横行しており、風俗・キャバクラ、怪しげなバー、陽気に突然握手を求めてくるやたらとガタイのいい黒人。今となっては怖いし近寄る気持ちも起きないが、当時の俺には全てが新鮮だった。酒も入って陽気になっていたし、ひとりで大都会をしかも深夜に歩いているという田舎者特有の謎の高揚感もあった。次々と声をかけてくるキャッチに逐一応対し、世間話なんかもした。
「お兄さん、AV女優とヤりたくない?」とひとりの紳士が言う。
どんな娘がいるのか聞きただすと、様々な女優の名前を挙げ、ここだけの話売り出し中の◯倉まなちゃんも在籍しているのだとか。
親切で礼儀正しい紳士は、俺に3万円ポッキリでAV女優とヤれて、そのまま泊まって行ってもいいと言った。
俺はなかなか良い話だと思った。そう、俺は馬鹿だったのだ。そしてあまりに世間知らずで、童貞だった。
気前よく紳士にその場で3万円を渡し、程なく歩いた雑居ビルに案内され、どうみてもヤクザにしか見えない受付の男に場所代を請求された。キャッチの人間にすでに支払ったことを伝えたが、何かと理由をつけて支払わなければ部屋に通さないと言う。すでに3万円支払って引けなくなっていた俺は、まあそういうこともあるのかなと思い渋々現金を支払った。何より早くヤりたかった。
通された部屋は、二畳分くらいのスペースにネカフェ同然の仕切りにシャワーが付いているだけの構造で、部屋というにはあまりに粗末であった。無論寝具は無くとても泊まれる場所には思えなかった。その時点でだいぶ不安を覚えたが、AV女優とヤれるという一筋の希望を胸にドキドキしながら嬢を待った。
程なくなかなかに年期の入った嬢が登場した。化粧が濃くて部屋の暗さも相待ってよくわからない。少なくともその時点で自分の思い描いていた理想とはほど遠い状況に置かれているのは疑いようが無かった。
言われるままに服を脱がされ、シャワーを浴びさせられる。女性の裸を見ることもおっぱいを触ることも初めての経験だったが、自分の置かれた状況が不安すぎてよく覚えていない。嬢は床にストレッチに使うマットのようなものを敷き、プレイを始める前にとんでもない金額を請求してきた。確か15万円(税別)くらいだったような気がする。
俺は混乱し、キャッチの人間にも受付の人間にもお金を支払ったこと、入店する前にキャッチに払った金額にプレイ代も宿泊代も含まれているとの説明を受けたこと、そしてそんな金は持っていないことを全裸のまま半泣きで話した。嬢は、しょーがねーなという感じで「うちは高級店なんです。お兄さんも悪いのに捕まっちゃったね。」といったニュアンスのことを言ったと思う。
初めての東京で、暗い雑居ビルの一室で、全裸で床に正座しながらマット越しに全裸の女から法外な金額を請求される。部屋の外にはどうみてもヤクザの男が受付にいて、ゴネたら何をされるかわからない恐怖。俺は自分の運命を呪った。
田舎の最低賃金で地道に働き、初めて得た自分の金。プー太郎の自分を気遣って、育苗ハウスのビニール掛けのバイトを紹介してくれたおっさん、畑の草刈りで3,000円くれた近所の爺さんの顔が走馬灯のように頭を巡り、彼らが汗水垂らしてコツコツと働いた金が最悪の体験と共に泡となって消えていく現実。暗い雑居ビルの一室で、全裸で涙を流し、どうすることもできない自分が悔しく、たまらなく情け無かった。
その後のことはよく覚えていない。プレイは口でしてもらったはずで、セックスはできなかった。プレイの後は一刻も早くこの地獄のような部屋から脱出したい一心で、帰り際の受付のヤクザにクレカできっちりと請求された金額を支払った。
という教訓を得たが、高すぎる授業料だった。
この一件で懲りたと思いきや、セックスへの憧れを捨てきれない俺は性懲りなく上京するタイミングで何度か試みた。しかし、総じてあまり良い思い出がない。事前によく調べて優良店を選択していれば、もう少しマシな体験ができたのだろうか。
数日前に童貞はソープに行けと増田が言っていたので、これを機に誰にも言えない黒歴史を放出してみた。童貞は事前によく調べて、この教訓を生かしてほしいと切に願う。ついでに以前書いて、全然読まれなかった風俗体験記を晒す。どうか俺の後悔と行き場のない童貞の魂を供養してやってほしい。
話題的に綺麗な話じゃない。でも表で誰にも言えないから吐き捨てついでに
とある小説で、毎日食後に必ず出す息子の話を読んで、そんな人がいるのかと子供ながらに驚いた。
それぐらい出ない。体感三日に一回ぐらい。
あまりにもひどい便秘だから、大人になって出たか出ないかでログ付けてた。
一年以上付けてたけど、ひどいと週一で出してる時があった。ほんとひどい。
小食でもなく、人並みに食べてるのに本当に出ない。
学生時代は冬にお味噌汁を飲んで家を出ると、学校に着く頃にはお腹を壊していた。
一度腹部をレントゲンで撮ったことがある。それは体育の授業中勢いのあるボールがお腹に当たって、痛かったため異常がないか見るためだった。
その時にパンパンの腸を指差して医者が「ボールが当たったからじゃなくてコレが原因では?」と言った。
女子の先生が引率してくれたけど、先生も似た意見を言った。とても恥ずかしかった覚えがある。
下っ腹が出ているタイプなので気にはなっていたけど何も出来なかった。
癖になるからと薬に手を出すことはなかったけど、少し前に薬にも手を出した。
でも量の調整が難しく、出る時間も不規則で家に一日いる日じゃないと飲めなかった。
つい最近、転職をした。出社をするため、朝ご飯をヨーグルトにした。
それまでは規則正しく朝食を摂っていたけど、手を抜いた時でもヨーグルトは食べてなかった。
でもそれが、毎日大体同じ時間に、そう多くはないけどヨーグルトを食べた。
そうしたら毎日出るようになった。快調である。しかも大体似たような時間に出るのだ。
びっくりした。連続三日も出たら私にとっては快挙だった。それがどうだろう。かなり出るようになった。
しかも形態も良い。これまでウサギとかが出すようなコロコロしたものが多かったのに、いわゆる「健康的」なものが出るように。
とは言え出ない日もあるし、形態も微妙なものが出ることもある。
毎日少量でも食べるのが大事だと気付いたので、しばらくは毎朝ヨーグルトを食べようと思う。
人によって相性があると思うけど、毎朝ヨーグルト。良ければ試して欲しい。
友人が、どうにもこうにもしんどくて仕方ない。どこにも書けないし、誰にも言えないからここに書き込む。本人や、知り合いがが見たら僕が書いたとバレる恐れがあるので所々ぼかす。
友人・Nは、いわゆる大学の基礎ゼミが同じだったが故に知り合った。基礎ゼミ以外でも後述する理由で近くの席に座ることが多く、なるべくして親しくなったのだ。程々の仲でありたかったのだが。
Nは聴覚障害者である。これを書くことにより彼にバレる可能性が飛躍的に上昇してしまうが、Nの話をするためにはどうしたって省く訳にもいかぬ。ともかく、そうした事情があるので、僕は彼の手助けを出来るだけ心がけている。手話は挨拶程度しか出来ないが、筆談やらLINEやらでなんとか会話をしている状態だ。
これがあることにより、嫌いだ苦手だということが健常者より複雑になるから困る。一歩間違えたら差別主義者と思われかねない。
彼は講義のために文字起こしが必要なため、ボランティアの手をかりている。そのため席は最前にならざるを得ない。そして僕はコンタクトを使用しても視力が弱く、乱視もあるために最前席を取らざるを得ない。だから席がどうしても近くなるのだ。
彼が苦手だ。なんならまあまあ嫌いだ。
ひとつ断っておくが、障害があること自体は理由では無い。あらゆる差別は根絶されるべきものだと思う。つまり、単純にNの言動が嫌いだ。ただし、障害があることにより発生してしまう彼の思考は苦手なため、事態をややこしくしている。
しかし縁を切るわけにはいかない。大学で毎日会うからだ。フラストレーションは溜まるが、耐えてニコニコとし、大切なことは何も言わないようにしている。
N
・二十歳越え
・重度の難聴
僕(K)
・二十歳越え
・耳が聞こえる
█
まず、とにかく話が合わない。というか、話が合わないとかいう次元ですらないのかもしれない。
彼の話はなんとなくスピリチュアルなうえにファンタジックで、その歳の人間が言ってると思うと薄ら寒い。幼い子供が言うならいいけども。そこまでガチモンのスピ系でもないが、割とうんざりする。
一例を挙げる。自宅でLINEのやり取りをした際のNの言葉である。多少の原文はいじっているが、ほぼそのままだ。
僕:そういやサークルの合宿、めちゃくちゃ自然豊かな所行くっぽいよ
N:何故か、時々、深呼吸したくなる。
N:どうしてか、時々、走り出したくなる。
N:なんだか、時々、宇宙と繋がってみたくなる。
N:そんな時、あるよね?
僕:あるかな~笑
あるのかもしれんが、それを僕に言ってどうするんだ。話の脈絡も特にない。無駄な句読点も鬱陶しい。もちろんそれを本人に伝えると面倒臭そうなのであまり触れないようにして流す。
次。その日は移動中にゲリラ豪雨に襲われたという背景を付す。これは対面でLINEしている様を想像してほしい。
N:雨つよすぎ……
僕:明日は晴れるらしいけどね~
N:きっとさ、
N:これは神様が「今日は雨降らそう」とかいう気分でそうしているんだよ。
N:今日は機嫌が悪かったのかもしれない。
N:きっと大きなジョウロを持っていて、それを俺たちに向けているんだ。
これを聞いて、「少年の心を失わないピュアな好青年」でも感じるべきだったのかもしれないが、僕にはそれが出来ない。ナチュラルに宇宙や神様、ファンタジー的な話を持ち出されるのだ。結構辛いものがある。無論、大学生である我らはとうの昔に成人済みの男である。
█
そしてこれがかなり問題だと思うのだが、彼は物事を押し付ける。これは断れない僕も悪いが、Nにも非があることは一目瞭然のはずだ。
僕:Nくんは好きな本とか作家いる?
僕:僕は○○の『△△』が好き
N:あとさ、
僕:?
N:くん付け要らないから。Nって呼んで。俺もK(下の名前)って呼ぶから
僕:ずいぶん急だね
N:Kの初めてってことだ! 呼んでね!
これは特にNに伝えていなかったのでこちらも悪いが、僕は呼び捨てで呼ぶのも呼ばれるのも苦手な方だ。家族や幼馴染くらいしかしない。
しかし、彼にとって友人になったら当たり前、みたいなことなのかもしれないとその時は受け入れることにした。価値観や考え方自体は多様であるべきである。
だが、まだNは友達になっていない人にもこれをやるのだから驚きである。基礎ゼミでグループワークを行う際なども自分への呼び捨てを強要。当然のようにメンバーを男女かまわず呼び捨てる。フレンドリーと言えば美点なのだろうが……僕には、距離感の詰め方が流石にバグっているように見える。
ただし、これは障害があるというハンデがあるからこそ、距離をガンガン詰めて、避けられないように……という彼の生存戦略の可能性もある。僕が価値観の違いで勝手に不愉快になっているだけと考えればまだ許容範囲だろう。
大学主催のボランティア講習(Nのための文字起こしのボランティア)があった時のこと。
N:Kも来るよね? もう、Kは絶対参加だよー。
僕:まぁ行くけど
N:だよね! Kが来ないとかありえないから!
行くのが嫌なのではない。友達なんだから来て当然みたいな雰囲気が嫌だ。ガクチカになるかもしれないし、困ってる人間は助けたい派なので行こうとは思っていた。それにしても、多分Nは僕をガッツリ頼る気満々である。僕と普段から仲がいい(と思っている)ため、頼りやすいからだとは思うが、初めから至極当然のようにアテにされるのは少々不満である。
そして、何より、「Nさんと仲のいいKさんは行くよね?」みたいな周りの目も嫌だ。これで行かなかったら薄情者と思われるのではないかと思ってしまう。
図書館で課題を作成していた時のこと。Nは背後から忍び寄り、いくつか本を手渡してきた。
N:オススメ!
N:俺の私物は借りたくないって言ってたから図書館のならいいかなって。Kって意外と潔癖? 笑
僕:○○の本、前に好きって言ってたな
N:あんまり読んだことないんでしょ? ここの図書館にあるやつだから読んでみて。
僕:さんきゅー。でも、今日はとりあえずいいや笑
N:良いの?
僕:メモはとる
僕:時間ある時読むわ
彼の私物を借りるのがそもそも何となく嫌だった。既に彼を面倒くさがっていた頃のやりとりだ。そこでこのオススメ本の布教に来たのだろう。
今ではない。確実に今やることではない。
僕が今PCをカタカタやってるのが分かるだろう。机の上に資料があるのが分かるだろう。なぜ今渡すんだ?
そして言いにくかったから言ってないが、僕はお前の好きな○○という作家にそこまで強い興味がない。すまないが、どんどん言いにくくなっていた。
読書は趣味だが、お互い好きな方向性が違うじゃないか。触手をのばすのは悪くないが、押し付けられるからどんどん嫌になってしまうとなぜ気付けない。
僕のオススメを聞いても、お前はお前で読まないしな。
N:夏休みってみんなどこ行くのかな?
僕:海とかプールとかなんじゃね?
N:調べてみる(Googleで『大学生 友達と出かける場所』と調べようとしているのを見せてくる)
N:ボーリングとか買い物とかは手軽そうだな~。あと美術館とか博物館とかも面白いかもね
N:Kはどこ行きたい? 八月二十日!
僕:え、二十日???
N:俺と行けば博物館とかそういうの、同行者として割引とかあるよ。無料の場合もある。
僕:僕、同行者としてはあんま役立たんけど? 笑
N:俺がKと行きたい!
知らない間に僕とNが出かけることになっていた。あれは仰天した。僕は一切こちらの予定など告げていない。同行者割引なんぞ要らんから、僕を誘う一言をくれ。予定を確認してくれ。僕はバイトもしている。流石にいただけないだろう。
ちなみに彼はバイトをしていない。障害者がアルバイトをするのが難しいということだそうで、確かにそれは大変だとは思う。思うが、こっちの事情は考えてほしいものだ。実際その日が空いていたのも良くなかった。
結局Nがその日は体調を崩し、なかったことになったため、内心ほっとしてしまった。その後にも何回か誘われたが、バイトやら他の予定やらが入っていたために事なきを得た。
またある時は、
僕:してないけど……した方がいいの?
僕:少し待ってくれる?
僕はTwitterはリア友を通したくない派だ。仕方なく新しい垢を作った。ほとんどその垢にログインしないが、Nはほぼ毎日何かしらスピリチュアルな何かや聴覚障害に関わるツイートをしている。
……もう、これ以上にも思い返せばまだまだあるのだ。僕のバイト先に押しかけて先輩に負担をかけるし、知らん障害者の自伝か何かを手渡して感想を求めるし、飲みの席では健常者同士でも全員筆談か手話で話せと言い放ち、僕の着る服にまで口を出し、挙句には僕の一人称が「僕」であることにすら、幼く見えるからやめたら? などと言う。
いくらでもある。こちらの話を聞かない。事情を考えない。自分の話ばかりする。とにかくゴリ押す。
どうもこの辺りは見ている限り、ろう学校時代に培われたものらしい。というのも、こうした言動をしているのに対し、軽く非難にならない程度に指摘すると、「中高とか、みんな俺みたいな感じの奴らばっかりだったよ」と言う。中高とろう学校に行っていたそうだ。みんなNみたいなのか。しんどそうである。
でも、みんながみんなNのようであれば、意見が通るのが割と当たり前であり、言えば結構色々と叶ったのかもしれない。特別支援学校では、少しでも生徒が不便を感じたら、迅速に対応するべし──これは特別支援教育の講義で学んだことである。
学問上、障害に関する勉強もしているためなんとなくは分かるのだが、彼は障害者の嫌なところの寄せ集めである。
先述のスピ系も同様だ。ろう学校のことを詳しく存じあげる訳では無いが、一般的な学校に比べてこういう考え方が主流なんだろうか? ろう学校内でガラパゴス化しているのか? N本人も、一般的な学校のことはよく分からないと言っていたことがある。
彼はどうも、自分の主張はなんでも通ると思っているフシがある。
耳が聞こえない不便さにより、周りを頼る習慣があるのは良い事だと思う。頼ってくれなければ助けようがないし、どう助けていいのかも分からないからだ。だから彼のためのボランティア講習に僕も参加した。彼に苦手意識はあるが、困っているのなら助けるぐらいの人の心はある。
でもそれはあくまで誰かが厚意・善意でやっていることで、私的なワガママを通していいのとは違うのではないか? 必要な手助けと身勝手な振る舞いの許容は全くの別物だ。
はっきり言って、Nは勘違いしているようにしか見えない。ワガママを言えば誰かが叶えてくれるという傲慢な勘違いだ。そしてNにとってその"誰か"は、大学内においてはきっと僕だ。
これを書いていたら、障害者に関わる機会が職業柄多い母が以前、「障害者は距離結構詰める人いるよ。見えない聞こえない動けない分からないから」と言っていたのを思い出した。だとしたら障害がある故にNはああなったのだろうか? だとすれば僕はそれを疎む差別主義者か?
僕はNを心の中では信用していないので、これらの発言を嫌でも断れない。断ったら面倒なことになるのが目に見えるし、断ったところで彼の態度が変わるとは思えない。
周りは僕を、「Nと仲が良く、Nと普段から行動を共にする人間」「Nに用があるなら耳が聞こえるKを通せばいい」と認識している。Nは他にも大学に友人はいるが、おそらく一番一緒にいるのは僕だ。周りにそこまでゴリ押し危害は及ばないのかもしれないが、だからこそ誰も僕を助けてはくれない。
そして、これらのやりとりは当然筆談やLINEを介する。会話にスピード感はない。更に当たり前だが可視化されてしまうため、Nのカロリー高めの発言を言葉の端に上手く流すことは出来ずに僕に降りかかる。耳を介したやりとりなら、軽く笑ったり「まあまあ」とか言って、上手く話の流れを切り替えられるのに。
会話に少しでもストレスを感じないために手話を習得しようかとも思ったが、申し訳ないがそこまで彼のためにリソースを割けない。彼も本当は僕に手話を覚えてほしいらしいのだが、今は流石に無理だ。NHKの『みんなの手話』のテキストを定期的に貸してくれるが、無理なモンは無理だ。
当時俺は入社二年目で、それなりに大きいプロジェクトに参加することになった。
プロジェクトリーダーは五つ歳上の先輩で、彼女とはまだ年齢が近かったこともあり、仕事終わり飲みに行って愚痴を聞いてもらったり、随分と懇意にしてもらった。
仕事では助けてもらうことも多く、俺は彼女のことを慕っていた。彼女は若く、いつも凛としていて、何より美しかった。
プロジェクトはなんとか無事に終わり、その後は自然と打ち上げに行く流れとなった。
俺と先輩も当然参加することになり、打ち上げでの主役は先輩だった。当時は社内でも最年少のプロジェクトリーダーだったこともあり、彼女への称賛は止まらず、先輩は珍しく照れた様子を見せながら空のジョッキをいくつも作ってみせた。
次第に夜も更け始め、そろそろだろうといった雰囲気が充満するとお開きとなり、その頃には既に先輩は泥酔していた。
半ば眠っているように頭を垂れ、目は瞑り、声をかけても返事はまばらでまともに歩けるのかすら怪しかった。
年配の先輩方がタクシーを呼ぶ中、増田が送ってやれよと声をかけられ、随分と世話になってただろ?と言われると断る理由もない。
分かりましたと二つ返事で答え、最初にきたタクシーを優先して使わせてもらえることになった。
俺は先輩に肩を貸し、歩けますか?と声をかけた。
先輩は空ろに目を開け、増田くん…?と言う。
俺は先輩に肩を貸し、右手は彼女の腰に当て、座敷の店だったので靴を履くのに手間取りながらもなんとか外に出た。
すぐ先にはタクシーが待ち構えており、俺たちの姿を確認すると後方のドアが開いた。
先輩を先に乗せて、まず「大丈夫ですか?」と聞いた。先輩は曖昧に頷き、うーん…と唸っている。
これは少し休憩した方がいいですね、と俺は独り言を口に出し、運転手にも聞こえるように言うと、それから行き先のホテル名を口にした。
運転手は分かりましたと義務的に返事をして、すぐに車を走らせ始めた。
十五分ほど走ると暖簾のように布の垂れた入り口を抜けて駐車場に入ると車は泊まり、左手の少し先には玄関がある。
俺は千円札を数札滑らせるように取り出すと差し出し、釣りはいいからと言ってタクシーから降りた。
先輩は眠っているように静かで、目を閉じ、俺の肩に頭を預けていた。
再び肩を貸すようにして歩き、ホテルに入るとエントランスでは喧しいBGMが流れ、酔いの最中に聞くと苛々した。
タッチパネルで二番目に高価な部屋を選ぶとレシートのようなものが吐き出され、フロントに行ってそれを見せるとスッと鍵が差し出された。相手の顔は見えない。
鍵を受けとると病人を担ぐようにゆっくりとエレベーターに向かい、乗ると三階を押した。
先輩はずっと項垂れていて、身体に力が入っていないように感じられた。
エレベーターから部屋までは幸い近く、部屋に入ると目の前には駐車場にある精算機のようなものがあり、少し驚きながらも靴を脱いで部屋に上がると中央にはダブルベッド。丁寧に先輩をそこまで運ぶと彼女は仰向けのままベッドに倒れ込んだ。
ここで休憩しましょう、と声をかけると先輩はベッドで仰向けになっているのが快いのか表情を緩ませ「うん」と言った。
皺になると駄目ですからジャケットは脱ぎましょう、と声をかけると先輩は「うん」と言ってそのままの姿勢で腕を滑らせ、上着を脱いだ。
俺はそれを預かり、ハンガーを見つけて部屋の隅にかけると、再びベッドに戻った。
俺は彼女の側に座り、じっとその姿を見つめていた。
次第に、その姿を見て滾った。
衝動は止められなかった。
俺は馬乗りするように彼女に覆い被さり、ゆっくりとボタンを一つずつ、外していった。
ベージュ色のブラが目の前に現れ、酔いも半ば覚め、次にスカートへと手を伸ばしていた。
留め具を外し、ファスナーを下ろすと驚くほどするすると脱げた。下もベージュ色の下着で、目にすると息を荒くしている自分に気がついた。
俺は努めて冷静に、やさしく彼女の膝を抱くと立たせ、少しずつ下着を脱がせていった。
やがて彼女の陰部が露になると俺は限界まで勃起していた。臍の下にキスをし、右手は彼女の花弁に触れていた。
ビクン、と先輩は身体をわななかせ、「増田くん…?」とうっすら目を開けた。
俺はなにも応えなかった。
少しずつ唇を降らせていき、蕾に到達すると愛でるような舌遣いで丁寧に撫でた。
先輩はアッ…と吐息を漏らし、少しずつ湿ってくる。お互いの呼吸は荒くなり、一度顔を上げて先輩の顔を見ると目をか細く開いて、顔は紅潮し、戸惑った表情をしていた。
右手はぬめり気を感じ、それは彼女の陰部に目を移すと姿勢を改めて、正常位の形で挿入した。
屹立した茎は何の抵抗もなく吸い込まれるように彼女の内へと入り、途端に押し寄せる快楽に俺は悶えた。
腰をゆっくり動かし、先輩は途切れ途切れにアッ、アッと喘いだ。
一度、ゆっくり、大きく腰を動かすと陰茎がニュルりと彼女から外れてしまい、そのタイミングで先輩はアアンッ!!と淫らな声を叫ぶように漏らすと、膣の側にあるシーツが茶色に汚れていた。彼女が僅かに脱糞してしまったことにそこで気がついた。
俺はそのとき、あまりにアブノーマルな光景を目にして、タガが外れてしまったのだと思う。
酔いのせいもあったと思う。
躊躇や遠慮を捨て、ベッドに膝立ちのまま先輩の胴を掴むと荒々しく引き寄せ、すぐに挿入し直した。
それから激しくピストン。彼女の喘ぎを石炭に、イクまで一心不乱に腰を振り続けた。
いよいよ果てそうになると流石に中で出すのはまずい、といった分別は理性の片隅に残っており、爆発間際の陰茎を抜くと彼女の股に射精した。
俺は力尽きたように身体を伸ばし、先輩と顔を合わせるように横になった。
先輩の顔を目の前で見た。
綺麗だった。
先輩は視線を天井の方に向けていて、それから俺に気づいたみたいに俺のことを見つめた。目と鼻の先には先輩の顔があって、その顔は笑っているでもなく、動揺しているようでもなかった。まるで目を開けて寝ているような、夢を見ているような顔をしていた。
それから俺は目を閉じ、気づいたら眠っていた。
翌日は昼前に起き、俺たちは最低限の会話のみで、昨晩のことには一切触れなかった。
順番にシャワーを浴び、タクシーを呼んで部屋を出ると、会話もなく廊下を歩き、俺は先輩の一歩後ろを歩き、社内に居るような雰囲気さえ感じられた。
ホテルを出るとタクシーに乗り、先輩は俺の存在を無視するみたいに行き先を真っ先に告げ、先輩のマンションの前に着くと俺に五千円を渡し、数秒俺のことをじっと見つめてきた。
その間ずっと無言で、無言のまま先輩はタクシーを降りた。
その後俺と先輩は社内でも疎遠となり、業務的な事柄以外で先輩が俺に話しかけてくることはなかった。
二ヶ月、先輩は会社を辞めた。
直接的な理由は聞いていない。
そしてこういった誰にも言えない経験というのは誰しもがひとつや二つ持っているものだと思っている。これはあくまでもフィクションで、でも本当に身勝手で自分勝手かもしれないが、それでも俺は今でも先輩には幸せでいてほしいと、本心からそう思っているんだ。
もうすぐ結婚する
結婚したいと思っていたし、プロポーズされて嬉しかったし、彼のことも大好きだけど、お盆に彼の家のお墓参りに行ったら「死んだらここに入るのか」と思って急に怖くなってしまった。
特に縁もゆかりも無い土地で(片手で数えられるくらいしか行ったことがない)、死んだらずっと暮らすのかと思うとすごく心細い。義父母もいい人だし、一緒の中に入ることが嫌なわけではないけど自分は実家と仲が良かったら、実家の墓に入れないのはすごくさみしいことな気がしてくる 例えば結婚して2ヶ月後に私が死んでも私はここの墓に入ることになるの?
結婚ってそういうものなんだよなってわかっているけど自分が自分じゃなくなる気がしてくる
結婚して何年も経てば気持ちも変わるのかな わがままなのはわかってるからただのマリッジブルーみたいなものであってほしい 分骨とかあるのはわかるけどそう簡単でもないだろうし今はまだ何も考えられないなぁ
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
リナは「弱者男性サービス」で働くスケジュール管理と計画の達人であるが、彼女には誰にも言えない秘密があった。それは、予知能力とタイムトラベル能力だ。この能力はリナにとって、仲間を守るための最終手段だった。
彼女はこれまで何度も未来を見てきた。その度に、仲間たちの運命がどのように変わるのかを考え、未来を変えることに挑んできた。だが、その代償は大きく、能力を使うたびにリナの命を削っていく。
ある日、リナはチームリーダーのタクミから新しい依頼を受ける。それは、大手企業のCEOの護衛任務だった。CEOは競合企業から命を狙われており、緊張感が漂っていた。
「今回の依頼は難易度が高い。CEOの命を守るために、全力を尽くそう」タクミはチームを見渡しながら言った。
「もちろんだ。いつでも準備はできてるよ」サクラはにっこりと笑いながら答えた。
「美味しい料理も用意するよ!」ユウキが陽気に言い、チームの雰囲気を和ませた。
リナは心の中で決意を固めた。この任務は危険だが、未来を変えるチャンスがある。彼女はこの任務で、何としてでも未来を変えなければならないと思った。
任務の準備が進む中、リナは夜な夜な未来を視ることにした。彼女は、CEOが狙撃される瞬間を鮮明に見た。その瞬間、心に冷たい恐怖が走った。
「どうしよう…このままじゃ…」リナは目を閉じ、何とかして未来を変えようと考えた。
しかし、彼女にはもう一つの選択肢があった。それはタイムトラベルの能力を使い、未来を変えることだ。彼女はそれを実行するために準備を始めた。
翌日、リナは仲間たちに内緒でタイムトラベルを実行することにした。任務の前に、未来を変えるための計画を練り上げ、時間を遡る準備を整えた。
「リナ、最近何か様子が変だよ。大丈夫?」タクミが心配そうに声をかけてきた。
リナは驚いたが、冷静に答えた。「大丈夫、ただ少し考え事をしていただけ」
タクミはその言葉に納得しながらも、リナの目に何か違和感を感じ取った。しかし、彼女が何を考えているのかはわからなかった。
任務当日、チームはCEOを護衛するために、彼のオフィスビルへと向かった。建物の周囲には厳重な警備が敷かれており、緊張感が漂っていた。
「完璧に整えてるわ」サクラが答え、掃除用具を持ってスタンバイした。
リナはスケジュールを確認し、計画通りに進むように指示を出した。彼女は心の中で、未来を変えるための一歩を踏み出す決意を新たにした。
任務が進む中、突然不審な動きをする人物が現れた。それは競合企業のスパイであり、CEOを狙っていることは明白だった。
「弱者男性なんて、ただの飾りだ。こんな場所で何ができるというのか」敵のスパイは冷笑を浮かべながら、弱者男性を侮辱するように言った。
その言葉にリナの中で何かが弾けた。彼女は怒りを胸に秘めながら、決意を固めた。
リナはその瞬間、タイムトラベルの能力を使うことに決めた。彼女は時間を遡り、敵の動きを先回りするための手段を講じた。
「私たちはただの飾りじゃない。未来を変える力がある」リナは心の中で叫び、行動を開始した。
彼女は未来を変えるために、会議室の配置を変更し、警備を強化するように手配した。
敵のスパイが狙撃の準備を始めた瞬間、リナは行動を起こした。彼女の計画通り、タクミとサクラが即座に動き、スパイを取り押さえた。ミカは影からの攻撃を封じ、リョウはセキュリティシステムを駆使して危機を回避した。
「弱者男性を舐めるな!」リナは力強く叫び、仲間たちと共に敵を撃退した。
スパイは驚愕しながらも、リナたちの実力を認めざるを得なかった。
敵の脅威が排除され、任務は無事に成功した。CEOは無事で、会議も問題なく終了した。クライアントからは感謝の言葉が贈られ、チームは大きな達成感を味わった。
「本当に助かったよ。君たちの力は素晴らしい」CEOは感謝の意を表し、リナたちに頭を下げた。
リナは仲間たちと共に笑顔で応えた。「私たちはチームだから、どんな困難も乗り越えられる」
任務後、タクミはリナに近づき、静かに声をかけた。「リナ、お前の力には感謝しているよ。でも、何か隠していることがあるなら、いつでも話してくれ」
リナはその言葉に心が揺れたが、彼女の秘密を明かすにはまだ早いと考えた。「ありがとう、タクミ。でも、今はこれでいいの」
彼女は仲間たちと共に、新たな任務に向けて歩き出した。未来を視る力、そして未来を変える力を持つリナは、これからも「弱者男性」としての誇りを胸に、仲間たちと共に進んでいく。
リナと仲間たちは、どんな困難にも立ち向かい、クライアントの期待を超えるサービスを提供し続ける。彼らは「弱者男性」としての誇りを持ち、これからも多くの人々を救っていくことだろう。
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。
タイトル通りです。三行でまとめると
*金目当て
*墓穴
です。
私は本アカのフォロワー数1000人強、Skeb依頼1か月1件あるかないかのミドサー未婚Twitter絵師(正規雇用歴なし、企業からの依頼実績複数あり)です。
この自嘲が冗談にならないほど後がないことに30歳からずっと焦っていて、でも同人とエロ絵のサブスクで食べていくのは絶対無理なので思想に手を出したら完全に失敗しました。
ちなみに本心ではAI出る前でもクソコラとか無断加工とかデザパクは結構ありましたし、そういった法で裁けない悪が出る度に絵師が注意喚起してスパブロレイドする文化が今も受け継がれているので普通にAIが出ても今とあまり変わらないと思ってます。今もそういう空気は根強いですしオタクは強い。
そもそも私は10年以上Twitterをやっている女オタクなのでAI論争によく似た絵描き学級会を色々見ています。
それこそ、アナログに比べてデジタル絵は温かみがないだとか、液タブ使ったら上手くて当然とか、絵柄パクみたいな今では笑い話みたいな騒動も。
言い訳にはなりますが、スカイプ時代によく作業通話していた絵師が無断転載自演でバズってフォロワー数を増やし、商業作家になったところをかなり近くで見ていたので影響を受けていたのかもしれません。
私は、ミミックが炎上した時に「AIに詳しくはないけど私もこの騒ぎでバズって盲目信者を獲得しよう、そうしたら絵の依頼が継続的に増えるはず」と考え、完全な営利目的でAI規制派として声を上げました。
具体的には
*過激な発言をした直後にAI規制派の人にいいねを付けて回り、RTさせる
*まだあまりバズっていなさそうな生成AI関連の話題を探して広める
*言い返せないマジレスが来た時、言い負かされると界隈の信用に関わるので相手が犯罪を肯定しているということにして感情の話で非難をする
*フォロワー数多くて精神が不安定な規制派絵師と相互になる(皮肉にもこれが一番効果あった)
といった活動をして、フォロワー数を伸ばし、一時の感情で金落としてくれる人を味方につけ、定期的にSkebリクエストを貰ってポトレに出せる実績を作る・・・という算段だったのですが
信 者 は 金 を 落 と さ な い
Skebの告知を何回もしているのに、RTされているのに、バズったツイにリプツリー下げても殆ど依頼が来ない。
だいぶ前にSkeb納品した絵が依頼者の宣伝ツイでバズって、思想とは完全に無関係な方々からたまに立ち絵を依頼されるようになったくらいで、それ以外の依頼が本当にない。
というより、攻撃的な話が苦手からミュートされているのか今まで来ていたタイプのVtuberや版権絵の依頼が殆ど来なくなってしまった。
(版権絵はSkebの二次創作公認が消えたからかもしれないけど、とにかく本当にそういう層からの依頼が激減した)
自称AI絵師から結構な誹謗中傷を受けてるとこを引用で見せても「応援してます!」とか、「負けないでください!」といった同情系の依頼は一切ない。ツイートするだけ。
何なら一回「筆折りそう」って言った時も依頼はなかった。
誤算すぎて、ほんとただ名義汚しただけになってしまってるんですけどマイナージャンル同人と同じくらい撤退が難しそうでもうずっとこのままだと思うとどうしたらいいかわからない。
そもそもこの名義捨てると積み上げてきた実績も捨ててしまうから捨てられなくて。
絵師を守れ!って言ってる人、本当に絵師に筆折って欲しくないって思ってます?
たった3000円も出せないのに?
というか「AIのせいで絵師が」っていう層が多い筈なのに、支部のエロ絵サンプルは見るしいいねするのにサブスク継続支援する人少なすぎません?
フォロワー増えてからPixivのR-18ランキングは前より高い順位に入るようになったけど、ファンボには相変わらずお金が入らず困っています。
というか1回支援登録してすぐ外す人が最近とても多いです、多分これ過去絵遡って閲覧か保存してから消えてますよね?これ絵を盗むAIとどう違うんです?数百円入れるだけマシって事?背景も手描きしてて一枚に最低12時間は掛けてるのわかってやってるんですか?それともこれもAI絵師の仕業なんですか?
結局この人たちの「絵師を守りたい」は「ストーリー性のある絵や漫画を無料公開してくれる人が居なくなると困ります」なんだなぁと思って夜中に病むことが増えました。
ファンボックスの支援者や入りもしないSkeb見なきゃいいだけって言われたらそうなんですけどね、絵師も人間なもので。
手描きで30年本気で描いて、絵以外の全ての人生捨ててるのに月10万行かないってどんな気持ちか分かります?ほんと惨めで陰謀論でもなんでもいいから世界破滅してくれって暴れたくなりますこんなはてなとかいう絶対批判しか来ないことしか知らない触ったこともないサイトの編集画面に6時間も張り付いて怒ったり号泣したり自嘲しながら思ってること全部書いてるくらい。
あと最近は反AIイコール陰謀論みたいな印象がAI云々言ってない界隈でも強くなってきている気配を感じていて、この空気が何とかならないと企業からの依頼がもう二度と来ないんじゃないかという不安もかなりあります。
企業依頼って名前売るチャンスではあるけど結構厳しくて、依頼されたキャラの細かい設定まで完璧に守ったポーズと表情と姿の絵を何個か案出さなきゃいけなくて、グッズ販売までに絵師が騒動起こしてグッズ無くなったら即見捨てて打ち切りみたいな契約結ばされるんです(私は殆どそうでした)
ぶっちゃけ、相当有名でない限り契約したイラストレーターが燃えたところで代わりはいくらでもいる世界です。
だから企業はもう今後どれだけ私が絵のクオリティを高めようとリスクの塊である限り私に依頼しない気がしてます。
自分の軽率な行動で将来が完全に断たれた気がして、本当にずっと後悔しています。
最近フォロワーがAI絵師を先見の明なし!って煽ってましたが、たぶん先見の明は私の方がないです。リスクを何も考えていなかったんで。
AI絵師が手書き絵師を自称しすぎて信ぴょう性がないので、私の絵師としての情報を添えます。
同人や炎上を売名手段に使う絵師はたくさん居ますし、この程度の情報でバレたら逆にすごいのでフェイクは入ってません。
ぜんぶ絵師の人が見たら絵師だと分かる情報なので、これが本当に事実でバカすぎる自滅した高年齢手描き絵師の話だとわかってくれると信じてます。
本当に絵師に筆折ってほしくない人、身近な絵師にお金を払ってください。お願いします。
*ペンタブ:WacomOne(液タブに紙の書き味のフィルム貼ってる。板タブは表面削れて手垢で黄色くなるまで使った)
*使用ソフト:クリスタEX(年額、レイヤーカンプ目当て)。数年前までSAIとGIMP、デジタル最初期はアズペ2
*クリスタのよく使うペン:ちょっぴりえっちな描き文字ペン/主線も水彩も厚塗りも一本でやるry
*今一番欲しい画集:VISIONS2024
*最近一番描くのが難しかったキャラ:フリーレン(横髪が輪郭を誤魔化せないので毛量と長さ増やして描いてた)
*肌と影の間に入れがちな色:オレンジ寄りの赤(細かいストロークで境目をぼかすように)
*好きなSkeb依頼:TRPGや定期ゲーなど創作系の立ち絵で、1つのキャラの服装・表情差分を繰り返し依頼してくれてTwitterで絵師のIDつけて紹介してくれる人
2024/07/25
ペンタブを「WACOM」とメーカー名だけ書いていましたが、そんな書き方するのはおかしい嘘だと指摘されていたので機種名を追記しました。WacomOne、製造年は2022年、右足の内側に製品情報、左足本体側に替え芯3本。後ろがケシゴムじゃないことに最初ちょっと戸惑いました。ペンについてるボタンは間違えて押すので両方オフにしていました。
板タブはBambooコミックの白、イラスタとコミスタが付いていたものです。10年ほど描いているうちに真ん中がどんどん黄色くなり、細かい傷に色が残り、どんなに拭いても取れなくなったのでずっと手垢だと思っていました。
使用していたソフトに「クリスタPRO」と書いていましたが、誤植で、EXなので修正しました。Photoshopを買う金が実際無いのでGIMP使ってました、クリスタを使っている理由はイラスタから入ったため使いやすいのと素材やツールが多いからです。デザイン的な意味ではロゴやフォントに弱いのでイラレがずっと欲しかったです。
絵で一番使う機能にCtrl+Zと書いているのは、規制派界隈にいた時に「AI絵師は絵のこと何も知らないからお絵描きソフトで絵が勝手に作れると思ってる」といったツイートがバズっており、また絵師にとっては当然すぎてわざわざ書かない(AI絵師が他の絵師のツイートを見てこれを書いてたら絶対出てこない)と思ったからです。ある程度分かる人向けだと仕上げにグラデーションマップ・レベル補正を使っていました。昔(カゲプロくらいの時期)は色収差が流行っていたので多用してました。
クリスタのよく使うペンは、文字を手描きする時・デフォルメ落書きに前者、下書きから凡そ全てを後者でやっていますが厚塗りを意識した絵柄だったのでほかのブラシも使っていました。後者のペンはかなり使い勝手が良かったです。どうでもいいですが厚塗りはグリザイユが一番好きで、まず全体を地味な印象に仕上げた後、発光レイヤーなどで目や装飾品など目立たせたいものを誇張した色に煌めかせるのが好きでした。
肌と影の間に入れがちな色、と書いたのは私が無知なため、近年流行りだした「エモい影」以上の名称を本当に知らないからです。水彩境界ではないです。肌を肌色で塗らないことも割とあったのですが、何色を使うにしろ錯覚でえんじ色に感じる色を使うと光の印象が柔らかくなって肌に血色を感じるから好きだっただけです。
私の全ての行動がAI問題に関連している訳ではないですし、PROからEXにしたのは割引があったからです。Twitter検索したら割とよく私のツイートをいいねしてたりリプくれてた人がここを一生擦って叩いてて、私が偏向的な解釈流したり絵の話したらちょっと盲目なくらい同調してたのに、相手が分からなくて自分に都合悪い話だとこんなこと言うんだ、とかなり正気に戻れてよかったです。
そもそもこの話をはてなという今まで触ったことのないサービスに匿名で書いた理由は、本当に自分がインターネット承認欲求に溺れて現実が破綻しているくせに謎目線で他人を見下すキツイ孤独の高齢オタクであることに危機感を抱いているけれど、Twitterで現実の破滅の話をしたところで周りに絵師と擁護してくれる人しかいないので意味の無いヨシヨシ擁護されるだけで現実的な話は返ってこないだろうし、一番困っていた絵でのお金のやりくりの話なんかしたら色んな人から攻撃的な意見を向けられるだけで現実的な知見を得られず叩かれて終わりそうなことが界隈の経験則何となく分かっており、そこまで分かっているのに絵で成功したいという執着が断ち切れずどうしようもなくなったからです。
Twitterでは最後の部分をつついて釣りだ、真の絵師ではない、本物なら絵を見せろと言われていますが、AIとか絵師とかそういう界隈を有利にしたくてこの日記書いたわけじゃなく、そういう界隈に下心で入って後悔してるって誰にも言えない苦しみを吐き出したやつなので、信じたくなければ別に信じなくていいです。こうなったら何言っても嘘松認定なのは界隈でよく見てきましたし、既にそうやって笑いものにされているので個人が特定できる情報を差し出すメリットが私にはないです。
ずっと精神的にしんどくてうまく考えられないのですが、これ書いた時の私はたぶん「現実見ろ、職に就け、泥水を啜る覚悟で現実やれ、甘えるな、自分の責任は自分で持て」という言葉が欲しかったんだと思います。
多少絵を描けるだけで描かない人より偉いという現実離れした認識で生きていくのをやめたいし、小さな批判に耐えられずグチグチ陰湿なことをしたり癇癪を起こしても色んな人から擁護されてきた幼稚な精神を叩き直したい。
一番絵が伸びる時間帯を狙って投稿するとか、版権の人気キャラを知らなくてもとにかく描くといった戦略の延長くらいの気持ちで、AI規制を求める姿を見せ続ければ「私は100%手描きで権利的に問題がないし、私にお金を落とすことはAI規制の声を強める支えになりますよ」というアピールになると思っていました。
危機感を持ったきっかけは年齢が30を超えたこと、仕事以外ほぼ引き籠って絵を描き続けているかTwitterをしていること、自炊がむなしいこと、友達がいないことなどいろいろあったうえで、Twitterで「売れる見込みのない底辺絵師とその囲いほど反AIになる」というような私の現状にかなり当てはまるAI絵師のツイートがフォロワーの引用でたくさん流れてくること、フォロワーたちが「そういうのほど大成する」「絵師をひがんでる」「相手は子供部屋おじさん」などと想像で対抗するという流れが延々続いて、この界隈にこれ以上いると理想論で人生が終わってしまう気がしたからだと思います。ぼんやりしていて本当に思い出せないので後出し孔明かもしれません。こういう後から理由をこじつけて自分を優秀に見せようとする虚栄心もやめたいです。
取り返しがつかないことがたくさんあることは既に理解していて、一生かかっても底辺のままでもいいので今より少しでも現実の社会性を身につけて、今よりましな人間になりたいです。
どうでもいいとは思うが2年くらい前の
追記ここまで
(タイトルの通りでひたすらにきたない話です)
家を出る時には既にうっすら嫌な予感がしていたが
暑さのせいではない汗がダラダラ流れて目に入り
もう無理だ耐えられないと思って途中のコンビニに自転車を停めた時点で
なんか尻があったかい…いやだ…とは感じていた
でも間に合わなかった
パンツ脱いだらべっとりついてた
やらかした…なんか逆に冷静になって
なるべく急いで強く強く手を洗って
でも何にも頭に入ってこなかった
今ノーパンで働いてんだ…ってことで頭いっぱいだった
特級呪物になったパンツは自転車のカゴに見えないように色々した上で置いといたから
勤務中誰にもそこにうんこパンツがあったことには気付いていないと信じたい
コンビニのレジの人にこいつうんこくせえな…って思われていなかったことも願いたい
ハイター漬けにして何重にもくるんで捨てた
もう二度とこんな思いはしたくない
なんか思い出しそうでしばらくカレーも食べたくない
ごめんカレーに罪はないのに