はてなキーワード: 境界性パーソナリティ障害とは
あえて伸びてたのでかわりに答えさせてくれ。
なお、元ネタとは別人で、今付き合ってる恋人は一人いて、付き合った女性は3人程度はいて、ネット経由で4人程度は会ったことがあるし、ナンパも何回かしてメールのやりとりやデートをしたことは3回ほどある。
そのうち一人からは「すごくイケメンで、非モテとはなんなのかよくわかりました(そして、フェミニストにクラスチェンジ)」と言われ、今の恋人から「なんとなくダメ男な雰囲気がしたけど、理由がわかった」と言われた
いわゆる弱者男性
母親は言葉で攻撃しまくるタイプ(ツイッターでやたら攻撃的な言葉を吐く女性がいるけど、ああいう感じ)
『セックス依存症になりました。』にも描かれているが。セックス依存症患者は、「恋愛はゼロサムゲームだ」考えているのよね。だから恋人同士なのに奪い合いになる。理想はプラスサムを考えられる相手なのよね……
セックス依存症は飢えを満たしたいが、その飢えを満たす事は出来ない
(早稲田クリニック 境界性パーソナリティ障害で潜れば理由はわかると思う)
その代わりにマッチングアプリとかネット恋愛やりだして、恋愛は強者総取りクソゲーと知るようなる
そして、そのゲームにかつために見た目や性格を磨き、異性と付き合うが、この手のことをやってる異性は多かれ少なかれ、「奪われたらキモイと言って尊厳を傷つけても構わないクソ野郎」しかいない
なお、普通の人がそうならないのは恋愛市場のことを運良く知らなかっただけだ
そこだけは勘違いしないように
"それを要求されようものなら「これ以上俺から奪うのか!!」と怒り狂ってしまう"←「相手を対等な人間として見よう」をボロカス叩いてたあれか。しかし全てを受け入れて欲しい相手にどう接して良いものやら。
全てを丸呑みする必要はない
半分でも丸呑みして受け入れれば自然も治る
なお、弱者男性の中には境界性パーソナリティ障害の人がそこそこいて、その人との接し方が意外と効いたりする
(早稲田クリニック 境界性パーソナリティ障害で潜れば理由はわかると思う)
いじめっ子の性別は出てきてないが大抵はこういうことするの男なんだけど、肉体的にも社会的にも強い男を憎まず(勝てそうにないから)弱い女を憎んでしまう…そこから負のスパイラルが始まるんだな
女は力がないゆえに集団を操って無視したり、キモイと陰口を叩いたり、学級裁判を開くように先生に要求したりする
むろん、男も誹謗中傷はするけど、女みたいなやり方はしない
その結果、男も女も憎むようになる
漢方ニキの勧めで黄蓮解毒湯を飲んだが、マジ切れにくくなった
「理解のある彼くん」って言葉、最近初めて知ったんだけど、「私」を受け入れてくれる優しい彼氏の事みたい。境界性パーソナリティ障害の妹の歴代の彼氏達がみんなこれだったな。①
妹はその彼の事最初はめちゃくちゃ理想化して、「世界一幸せ」ってテンションだったのに、だんだん不満が溜まりこき下ろしが始まるんだよね。彼がそれに耐えきれなくなって最後は別れるってオチが常だった。②
私はその彼達と話をした事があるのだが、みんな母親との関係に何らかの問題を抱えている人が多かった。母の期待に応えていたり、母を支えていたり、頑張って生きてる人たちだった。高学歴で社会的に立派な人たちだった。自分は母との関係にはケリがついたと解釈してる人が多かった。③
過去は過去と割り切って。でもその欠乏感はまだ残っていて母への未消化の思い残しを、恋愛でリカバリーしているように感じた。得られなかった母からの承認や、愛情を取り戻したい。だからあえて問題のある彼女に接近し、支える役割に徹しようと。でも結局挫折してしまうんだよね。④
いちおうSSRIが過食症に効く薬ってことになってるけど、ぶっちゃけ殆ど効果ないし、摂食障害専門の病院にかかってるっていっても過食嘔吐に対してはあんまり意味なさそう。アルコール依存症と同じく嗜癖(依存症)の側面があるので、自分自身で治すしかないというか。
自分は拒食症(BMI12)→非嘔吐過食(+30kg)→セルフ認知行動療法とマインドフルネスで過食が徐々に治る→玄米菜食にハマって20kg痩せて、そのあと15年くらいBMI15〜17を維持してる。
今は過食なし、運動強迫(過活動)なし。禁止食もなく甘いものもジャンクフードも何でも食べる。
摂食障害になる人って、境界性パーソナリティ障害 or 双極性障害 or ADHD or 統合失調症 or 境界知能 など、衝動制御に問題のある精神疾患なり知的な問題があったりするけど、元増田は摂食障害以外の疾患はないのかな。
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
ネトフェミって自分と他人の区別ができない境界性パーソナリティ障害者ばかりって本当なんだな
高校生の頃に精神をやることが多くて豆腐みたいなメンタルになっていたので心配した保健室の先生か担任かにスクールカウンセラーをすすめられた
ただその場で話を聞いてくれるぶんには良く、うんうんわかるよといってもらう分にはその場ではよかったが、自分は話を聞いてもらっただけで何も変わっていないので問題の再生産が進み、ずっと気持ちが晴れないままだった
解決につながらないのでスクールカウンセラーの申し込みはやめた
大人になってADHDっぽい体質に起因する問題が増えてきたのでメンクリを受診した
結果的にはADHDとは言い切れない、どちらかというと境界性パーソナリティ障害とか愛着障害の傾向があるらしく、
投薬よりカウンセリングの方がいいよとすすめられてカウンセリングを受診した。保険適用外だけど。
カウンセリングにはあまり期待してはいなかったが、自身の問題をどうにかするための方法を教えてもらった。
なんかいける気がする。
おっす。オラ工業高校卒。以前に学力テストについて話をかいてみんなにいろいろ突っ込まれたおかげで知見がすげえ広がってうれしかったぞ。
最近、はてなのスター、シロクマ先生が以下のような記事を書いてたんだ。
https://blog.tinect.jp/?p=85698
こうした認識があったものだから、『安楽死が合法の国で起こっていること』を読んだ私は安楽死の導入に大きな不安を抱くようになった。欧米、とりわけアングロサクソンの国々で安楽死が制度化されるのはまだ理解できる。だが、日本のように自由と責任の建付けの曖昧な国で安楽死が制度化したら、その安楽死はいったい誰の自由意志によるものなのか、その安楽死はいったい誰のためのものなのか、やっぱり曖昧になるだろう。
と、「人権感覚の進んだ欧米では安楽死制度は運用可能かもしれんが、人権後進国の日本では無理」みたいな感じで書いてあったんだ。
でも、この文章のネタ元になっている『安楽死が合法の国で起こっていること』では、安楽死制度を導入した国で起きたエグい問題についての話がガッツリ書いてあって、人権先進国だろうがなんだろうが、とても人間には運用不可能な制度って印象なんだ。
でも、シロクマ先生記事だけ見ると「多少の問題はあるが、人権意識の進んだ国ならおおむね運用可能だし将来の有望な選択肢」みたいに見える。本を読んだオラからすれば、地球人を信用しすぎてないか?って気がするぞ!
シロクマ先生はこのあたりの事件はセンセーショナルすぎて、持論を書くには邪魔になると思ったのかもしんねえ。確かにこういう事件に感情的な反応をする人が多いから、本質的な議論ができなくなるってことはありそうだ!
でもオラは、シロクマ先生が書かなかったことはみんな知っとくべきだと思うんだ!ブコメでもあんま突っ込まれてなかったしな!
詳しくは『安楽死が合法の国で起こっていること』を借りるなり買うなりして読んでほしいんだけど、本で挙げられている「安楽死制度を導入した国で起きたエグい事件」について参考リンクを示しながら書いてみるぞ!
参考:https://www.bbc.com/news/world-europe-49660525
最初に書いておくが、安楽死を担当した医者は安楽死のガイドラインを逸脱はしていないとして無罪となっているぞ!
アルツハイマーを患っていた患者は、以前から「介護施設に入るようになるまで症状が悪化したら安楽死したい」「死ぬ時期については自分で決めたい」と意思表示していて、書面に残していたんだ。
で、実際に症状が悪化して施設に入ったんだけど、患者の状態が悪化していて意思疎通ができなったので、医師がほかの医師とも話し合って安楽死の日取りを決めたんだ。
当日、家族が見守られる中、鎮痛剤入りのコーヒー(これはガイドライン違反)で大人しくして安楽死をさせようとしたんだけど、安楽死用の薬剤を注射しようとしたとき、手を引っ込めちゃったんだ。
どうやら鎮痛剤が効かなかったようだ。そこで医者は家族にその患者を押さえつけさせて、抵抗する中で薬剤を注射して安楽死を行ったんだ!
これが「本人の意思を確認したか」という点で裁判になったんだ。死ぬ直前になって怖がるなんてこといくらでもあるからな!
結果、最初に書いた通り医者は無罪になったぞ!ついでに安楽死前に鎮痛剤とか使って大人しくするのも合法化されたんだ!
うっひょー!そんな死に方はちょっとしたくねえな!
参考:https://www.frontiersin.org/journals/psychiatry/articles/10.3389/fpsyt.2022.933748/full
19歳のときに境界性パーソナリティ障害と診断された患者がその障害の重さから仕事や私生活で苦労し続けていて、大学を卒業してパートナーを暮らし始めて安定したところで、薬物使用とパートナーからのDVとそれによる別れで鬱を発症、なんとかうまく行きかけてた人生で大きな挫折をしてしまうんだ。
もとからあった希死念慮がさらに強くなってたところにセカンドオピニオンで他の医師を受診するんだけど、その医師は安楽死を推進する団体をやっているような人で、患者がアスペルガー症候群であると新しい診断をしたうえで、それの治療を試みることなく、アスペルガーとパーソナリティ
障害が併発していることを理由に安楽死を申請して、認められ、患者を安楽死してしまったんだ。
この件は本だと無罪になったとされているが、現在は遺族が大陪審に上訴して現在も争ってるぞ。
たぶん、
こういう記事をふむふむって読んで知識仕入れてる層は原典どころか取り上げた本すら読まねえから、適当に書いてインプレ稼いだもん勝ちだしどうせバレない。
って思われてるんじゃねえかな?Webで物書いて飯を食うには確かにこのスタンスは強いと思うぞ!でも見習いたくねえな!
ちなみに、本だと
あたりも書かれてる(むしろ、こっちのほうが議論になりうそうな問題が多い)ので、このあたりの知識がない人間が安楽死制度の問題を考えるなら、まず一読するべき本だぞ!
というよりこれすら読んでない人は””制度としての””安楽死の是非についてはあまり語らねえほうがいいと思うぞ!自分が死にたいとか言うのは勝手だけど、他人を殺す基準を作るなら感情ドリブンで話しちゃだめだ!
Amazonのリンク置いとくから、気になったら買ってくれよな!:https://www.amazon.co.jp/dp/4480075771/
男女で枕を交わす――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だと、短絡的に結びつけるのはナンセンスである。
そこらで強引にナンパして、密室に連れ込むなら話は別だが、たとえばお笑い芸人、YouTuber、TikToker、ホスト、はてなブロガーなど、それなりの世界観を打ち出して、ファンを産み出せるようになると、一定の確率で、女性から性的アプローチを受ける。
というよりか、通常の現実界――学校や会社でも、『ハイスペイケメン』『スクールカーストの上層部』『尊敬されるポジション』といった、一定の条件をクリアすれば同じ事が起きる。
もちろんそこには、「寂しさを解消したい」「頭をバカにしたい」「あなたの人生に登場させて欲しい」などの想いも含まれる為、男が持つ性欲とは、少しばかし性質が異なるかもしれないが。
こうした事情を知ってか知らずか、とりま誰かを叩きたいのか、モンキーなのかダチョウなのかは判然としないが、なんでも一足飛びに、「性欲に負けた男が悪い」と鳴き叫ぶ者がいる。
ちなみに今回は、つい先日投稿した記事に対する、一部コメントへの反論だ。
https://anond.hatelabo.jp/20240317193948
普通に考えりゃ分かるはずだが、とある男女が出会い、真剣に向き合うつもりで絡んだが、総合的な相性が悪く、関係性が発展しない……といった事はいくらでもありえる。
そして、初っぱなは、不遇な環境でも、一所懸命に生きる尊い子に思えて、蓋を開けてみると、『自他境界線のぶっ壊れたバケモン』な事がある。
そうした地雷を完全に撤去して、安全なる恋の道だけを歩むには、身辺調査でもやって、親の離婚状況、精神病の罹患歴、知能指数、中卒か高卒か大卒か……など、優性思想的な判断基準でもって、審査せねばならなくなる。
とりわけ、病的にやべぇ奴の中には、異常な環境で育ったからこそ、表面的には立派な職業に就いていたり、情緒を安定させて見せたりと、『まともを偽装するスキル』を獲得していて、すぐには見抜けない事がある。
冗談抜きの話、思いやりに溢れた丁寧な文体が、少しずつポエム調になり、終いには、濁点や句読点の位置がずれ、謎のスペースが空いた怪文書に変わってゆく恐怖は、体験しないと分からないだろう。
そんなこんなで本件――『性的関係を結ぶ=男の性欲由来』だけではない……について、分かりやすい例として、僕の実体験を箇条書きする。
※遠距離ゆえのノリが生じた
■実際に会うとタイプじゃなかった
表情、空気感、振る舞い……波長が合わない
■当然、性的にも乗り気になれない
しかし、女性が化粧直し、お洒落などをして、積極的になっている
そのうえで、2人は密室にいる訳だ
■じゃあどうするか?
雑に断り、傷をつけるのもよろしくない為、カウンターパンチ方式で枕を交わすのだ
たとえば、相手が5%近付いてきたら10%近寄る、10%触れてきたら20%触れる、20%のハグをしてきたら40%のハグを行う……といったやり方で、相手の初動に合わせて倍々ゲームで、『演技の喜び』『演技の行動』『演技の興奮』でリアクションし、その時間を乗り切ってゆく
この方針を貫く事で、「男の方が積極的だった」と思わせ、女のプライドを崩さずに済む
無論、タイプではなく快楽は薄いが、脳の老化を防ぎ、心の健康を保ち、アンチエイジングになるから、そこそこのWin-Winである。
横になりながら関係性の話をしたとき、付き合いに関しては、「友達としてなら大事にしたい系だけれど……」という流れで断った
僕は眠り落ちるモードだった為、受動レベル100%だったが、馬乗りになられてピリオドを打った
――とかなんとか、4年前に地雷を踏んだ僕だが、それから100人前後の視聴者さんと会い、ご飯をご馳走してもらったり、LINE通話配信でも、また別な100人以上と会話したりで、少なかれ経験を積んだ。
ストーカーとは、ある日突然に出現するパターンだけでなく、残念ながら、こちらの対応ミスにより、怪物へと育ててしまう事がある。
とくに女性のストーカーは、境界性パーソナリティ障害――見捨てられ不安が強く、「自己と他者」の境界線を引けないゆえに、妄想と暴走でぐちゃぐちゃになりやすい。
であるから、「絶対に付き合えないけれど、悩みぐらいは聞くよ」など、中途半端な優しさを発揮すると、危険なアメとムチ――親子に近い関係性になり、そこに執着が生まれてしまう。
そして僕が陥ったケースでは、「タイプじゃない」と断った後も、「壮絶な親子関係があった」「身内が自○してしまった」「日々、孤独だ」という、身の上話を聞かせられて、定期的に耳を傾けていた。
それというのも、僕の場合はまた特殊で、動画投稿/生配信をやり続けている為、マッチングアプリなどの出会いとは異なり、僕という存在を深く知ってくれる人が、会いに来てくれる率が高い。
その為、たとえタイプではないにしても、関わりを持ってくれる人には、なるべく幸せな気持ちでいて欲しい。
だからこそ、少々、異常が垣間見えていても、スパっと切り捨てるのではなく、「気持ちは分かるよ」「みんなぶっ壊れる時期があるよ」などと、浅はかながらも寄り添いを継続してしまい、泥沼化させてしまうのである。
――そんな訳で、長々しく書いたが、生きるって大変だ。
しかしながら、僕は社会不適合者歴も長く、とことん開き直って、楽しく暮らしている。
もっと言えば、高い好感度で売っている訳でも、安定を求めている訳でもない為、いつどこで、どんな嫌がらせを受けようと、どんな事を暴露されようと、どんな刃物で刺されようとも、すべてネタにして、熱量たっぷりの語りと文章で――すこぶる叫び続けるのみだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240301085330 で恐喝ビジネス説を紹介していたが、どうやら当たりだったようだ。
今週のFLASHの記事で概要が書かれていたが、「Y社によるA子を使った恐喝ビジネスに最初はX氏が巻き込まれ、ごく最近になってから伊東も巻き込まれた」のが全貌だ。一番のポイントは、最初はX氏とA子の間の示談交渉が行われていたことであり、伊東純也が関与すらしていないことだ。「X氏による性加害案件の示談交渉」だったためだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e788a4a99ddfba20db42cc02ef5041c2acaf702
で、最近になって伊東純也を巻き込んで刑事告訴の形に切り替えたわけだ。
これは非常に構造が複雑で、週刊新潮の第一報とその後のお気持ち記事しか読んでない人達には理解しづらい。
前の増田で「Y社による恐喝ビジネスであるならば伊東純也のマネジメント事務所が伊東に損賠請求をした理由が理解できない」と書いたが、この一言で簡単に説明できる。
『週刊新潮による第一報しか知らない人にとっては直ぐには理解しづらい構造であるため、伊東を悪者にする以外の脳内処理フローしか取り得ない』
だからマネジメント事務所も、JFAも、日本代表のスポンサーも伊東外しに動かざるを得なかったのだろう。代表選手達だけはそうならず「伊東純也と一緒にやりたい」と申し出たが、それは1次会に浅野と前田大然が同席しており、事案構造を理解するためのフォロー役に回れたからだろう。
仮にFLASHや現代ビジネスの記事内容が真実であるなら、X氏⇔A子間の示談交渉から伊東純也⇔A子B子間の刑事告訴に作戦を切り替えたとされる今の女性側弁護士と、それを前提に記事化した週刊新潮の責任は極めて重く、虚偽告訴罪の共犯として捕まるレベルであると思われるが、どういう決着になるだろうか。
意外なオチとして、「A子が双極性障害であり、それによる虚言だった。精神障害によるものであるため不起訴」という決着になる可能性が高いと見ている。双極性障害なら殆どの刑事犯罪は不起訴になるからな。京アニの青葉ですら一時期無罪になりかけていたくらいだ。(あちらはその後、境界性パーソナリティ障害に診断が変わり、一審で死刑判決が出たが)
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
この元増田、精神疾患の病名を正確に書けている点からして、精神医学分野の知識が一定以上ある人であることは間違いなさそう。
この程度のことと思われるかもしれないけど、増田ではこの程度のことすらできない人が殆どなのだ。なので一読の価値はありそう。
ただの勘だけど、書いたのは心理学分野もしくは社会学分野に関係が深い人ではないかと思ったのだけど、いかがでしょうか。
誰が書いたにせよ、
という感じ。
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
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2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
最初に謝っておく
本文ぜんぜん読んでない
B群パーソナリティ障害で、女性は境界性パーソナリティ障害と診断されがち
男性は反社会性パーソナリティ障害と診断されがち
という有名な話がある
ちなみにどちらも最近はあんまり流行ってない病名で、ADHDまたは双極性障害または両方の併存と診断されるケースが増えている(呈する症状がほぼ同じ、もしくは似ているため)
自己愛性パーソナリティ障害は誇大性,賞賛への欲求,および共感の欠如の広汎なパターンを特徴とする。診断は臨床基準による。治療は精神力動的精神療法による。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心の調節に困難を有するため,賞賛および特別な人物または機関との関係を必要とする;優位性を維持するために,他者を低く評価する傾向もある。
自己愛性パーソナリティ障害の推定生涯有病率には大きな幅があるが,米国の一般集団では最大6.2%にも上る可能性があり,女性より男性に多い。
併存症がよくみられる。患者は 抑うつ障害(例,うつ病,持続性抑うつ障害), 神経性やせ症, 物質使用障害(特に コカイン),または他のパーソナリティ障害(演技性, 境界性, 妄想性)を有していることも多い。
NPDの病因
自己愛性パーソナリティ障害に寄与する生物学的因子に関する研究はほとんど行われていないが,発症に関わる有意な遺伝要素が存在すると考えられている。養育者が子供を適切に扱わなかった(例えば,過度に批判的であったり,過度に子供を賞賛,称揚,または甘やかしたりすることによる)可能性を仮定する理論もある。
特別な才能や能力をもっており,自己像および自己感覚を他者の賞賛や尊敬と結びつけるのに慣れている患者もいる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は自分の能力を過大評価し,自分の業績を誇張する。自分が優れている,独特である,または特別であると考えている。患者の自分に関する価値および業績についての過大評価はしばしば他者に関する価値および業績の過小評価を含意する。
患者は大きな業績という空想―圧倒的な知能または美しさについて賞賛されること,名声および影響力をもつこと,または素晴らしい恋愛を経験すること―にとらわれている。普通の人とではなく,自分と同様に特別で才能のある人とのみ関わるべきであると考えている。このような並はずれた人々との付き合いは患者の自尊心を裏付け,高めるために利用される。
自己愛性パーソナリティ障害患者は賞賛を受ける必要があるため,患者の自尊心は他者からの肯定的評価に依存し,このため通常は非常に脆弱である。この障害を有する患者はしばしば他者が自分のことをどのように考えているかを注視しており,自分がどれだけうまくやっているかを評定している。他者による批判ならびに恥辱感および敗北感を味わわせる失敗に敏感であり,これらを気にしている。怒りまたは軽蔑をもって反応したり,悪意をもって反撃したりすることがある。または,自分のうぬぼれの感覚(誇大性)を守るために,引きこもったり,その状況を表向きは受け入れたりすることがある。失敗する可能性のある状況を避けることがある。
NPDの診断
診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition[DSM-5])
自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには,患者に以下が認められる必要がある:
このパターンは,以下のうちの5つ以上が認められることによって示される:
自分の重要性および才能についての誇大な,根拠のない感覚(誇大性)
途方もない業績,影響力,権力,知能,美しさ,または無欠の恋という空想にとらわれている
自分が特別かつ独特であり,最も優れた人々とのみ付き合うべきであると信じている
共感の欠如
傲慢,横柄
また,症状は成人期早期までに始まっている必要がある。
鑑別診断
自己愛性パーソナリティ障害は以下の障害と鑑別することができる:
双極性障害:自己愛性パーソナリティ障害患者はしばしば抑うつを訴えて受診し,その誇大性のために,双極性障害と誤診されることがある。自己愛性パーソナリティ障害では 抑うつがみられることがあるが,他者より上の立場にいたいという欲求が常にあることで,双極性障害と鑑別される。また,自己愛性パーソナリティ障害では,気分の変化は自尊心に対する侮辱によって引き起こされる。
反社会性パーソナリティ障害:自分のために他者を利用することは両方のパーソナリティ障害の特徴である。しかしながら,その動機は異なる。反社会性パーソナリティ障害患者は物質的な利益のために他者を利用するが,自己愛性パーソナリティ障害患者は自尊心を維持するために利用する。
演技性パーソナリティ障害:他者の注意を惹こうとすることは両方のパーソナリティ障害に特徴的である。しかし,自己愛性パーソナリティ障害患者は,演技性パーソナリティ障害患者とは異なり,注意を惹くために気取ったことやばかげたことをするのを非常に嫌い,賞賛されることを望む。
自己愛性パーソナリティ障害の 一般的治療は全てのパーソナリティ障害に対するものと同じである。
基礎にある葛藤に焦点を当てた精神力動的精神療法が有効なことがある。境界性パーソナリティ障害のために開発されたアプローチの一部は,自己愛性パーソナリティ障害の患者用に効果的に改変できる場合がある。具体的には以下のものがある:
これらのアプローチでは,自分および他者を感情的に経験するあり方の問題に焦点を合わせる。
自己愛性パーソナリティ障害患者は,習熟度を高める機会を魅力的と捉えることがあるため,認知行動療法が患者にとって魅力的となる場合がある;患者の賞賛への欲求により治療者が患者の行動を方向づけられる場合がある。自己愛性パーソナリティ障害患者の中には,マニュアル化された認知行動療法のアプローチを簡単すぎる,または自分の特殊な欲求を満たすには一般的すぎると考える。
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TEST YOUR KNOWLEDGE
元々、小中学生くらいの頃からなんか生きづらいなとか人間関係に依存して上手くいかないことが多いなと思っていたんだけど、当時は知識もなくそういったものがあるってことすら知らなかった。なんか他の人と自分は違うなとか他の人が気にしないところで落ち込んだりとか、落ち込みを長く引きずったりとかしてやっかいな性格に生まれてしまったなくらいに思っていた。
学生時代に経験した人間関係(友人、恋人含む)にひたすら疲れ、自分のメンヘラ気質を自己嫌悪し続けていたので、社会人になってからはできるだけ人に期待したり人を信じたりしないフラットな状態を維持するように心がけて生きてきた。他人に入れ込んで気を許してしまうと自分は暴走してしまうのが目に見えていたからだ。
そう意識してからは随分と人間関係が上手くいくようになった。人と適度な距離感を取れるようになったように思う。
ただ、誰かを演じてるような状態や、本来の自分を受け入れてもらえないんだろうというマイナス思考で30代くらいから再び悩むようになってきた。
そうこうしているうちに再び病んでしまい休職。また前みたいに自分の特性を隠して別の人間性を演じるように生きれば社会で生きていくことは楽なんだろうということは理解しているのだけど、そうやって生きていく人生は本当の自分の人生なんだろうかと悩み続けている。
休職中にかかったクリニックで自分には境界性パーソナリティ障害やASDの要素があることがわかり、自分の正体がわかった気がして楽になったような、だからといって生きづらいということを証明されたような複雑な気持ちで毎日を過ごしている。