はてなキーワード: プー太郎とは
地方の高校を卒業してなんとなく地元の農業法人に就職するも、仕事がきつすぎて1週間で腰を壊して就業困難になり退職。その後数年間は実家に寄生し、申し訳程度の日雇いバイトをこなしてなんとなく生活を維持していた頃。東京に進学した仲の良い同級が成人したのを記念にささやかな同級会を開くというので、なけなしの貯金を叩いて東京に向かった。
初めての東京はゴミゴミしていて、人ごみをかき分けて進むだけで気分が悪くなりそうだった。日付の変わる前に同級会は解散し、俺はあてもなく新宿歌舞伎町をひとり歩いていた。その日の宿は決めてなかった。計画性がなく、なんとなくひとりで東京を歩いて感じてみたいと思ったのだ。
当時の歌舞伎町は路上で様々なキャッチが横行しており、風俗・キャバクラ、怪しげなバー、陽気に突然握手を求めてくるやたらとガタイのいい黒人。今となっては怖いし近寄る気持ちも起きないが、当時の俺には全てが新鮮だった。酒も入って陽気になっていたし、ひとりで大都会をしかも深夜に歩いているという田舎者特有の謎の高揚感もあった。次々と声をかけてくるキャッチに逐一応対し、世間話なんかもした。
「お兄さん、AV女優とヤりたくない?」とひとりの紳士が言う。
どんな娘がいるのか聞きただすと、様々な女優の名前を挙げ、ここだけの話売り出し中の◯倉まなちゃんも在籍しているのだとか。
親切で礼儀正しい紳士は、俺に3万円ポッキリでAV女優とヤれて、そのまま泊まって行ってもいいと言った。
俺はなかなか良い話だと思った。そう、俺は馬鹿だったのだ。そしてあまりに世間知らずで、童貞だった。
気前よく紳士にその場で3万円を渡し、程なく歩いた雑居ビルに案内され、どうみてもヤクザにしか見えない受付の男に場所代を請求された。キャッチの人間にすでに支払ったことを伝えたが、何かと理由をつけて支払わなければ部屋に通さないと言う。すでに3万円支払って引けなくなっていた俺は、まあそういうこともあるのかなと思い渋々現金を支払った。何より早くヤりたかった。
通された部屋は、二畳分くらいのスペースにネカフェ同然の仕切りにシャワーが付いているだけの構造で、部屋というにはあまりに粗末であった。無論寝具は無くとても泊まれる場所には思えなかった。その時点でだいぶ不安を覚えたが、AV女優とヤれるという一筋の希望を胸にドキドキしながら嬢を待った。
程なくなかなかに年期の入った嬢が登場した。化粧が濃くて部屋の暗さも相待ってよくわからない。少なくともその時点で自分の思い描いていた理想とはほど遠い状況に置かれているのは疑いようが無かった。
言われるままに服を脱がされ、シャワーを浴びさせられる。女性の裸を見ることもおっぱいを触ることも初めての経験だったが、自分の置かれた状況が不安すぎてよく覚えていない。嬢は床にストレッチに使うマットのようなものを敷き、プレイを始める前にとんでもない金額を請求してきた。確か15万円(税別)くらいだったような気がする。
俺は混乱し、キャッチの人間にも受付の人間にもお金を支払ったこと、入店する前にキャッチに払った金額にプレイ代も宿泊代も含まれているとの説明を受けたこと、そしてそんな金は持っていないことを全裸のまま半泣きで話した。嬢は、しょーがねーなという感じで「うちは高級店なんです。お兄さんも悪いのに捕まっちゃったね。」といったニュアンスのことを言ったと思う。
初めての東京で、暗い雑居ビルの一室で、全裸で床に正座しながらマット越しに全裸の女から法外な金額を請求される。部屋の外にはどうみてもヤクザの男が受付にいて、ゴネたら何をされるかわからない恐怖。俺は自分の運命を呪った。
田舎の最低賃金で地道に働き、初めて得た自分の金。プー太郎の自分を気遣って、育苗ハウスのビニール掛けのバイトを紹介してくれたおっさん、畑の草刈りで3,000円くれた近所の爺さんの顔が走馬灯のように頭を巡り、彼らが汗水垂らしてコツコツと働いた金が最悪の体験と共に泡となって消えていく現実。暗い雑居ビルの一室で、全裸で涙を流し、どうすることもできない自分が悔しく、たまらなく情け無かった。
その後のことはよく覚えていない。プレイは口でしてもらったはずで、セックスはできなかった。プレイの後は一刻も早くこの地獄のような部屋から脱出したい一心で、帰り際の受付のヤクザにクレカできっちりと請求された金額を支払った。
という教訓を得たが、高すぎる授業料だった。
この一件で懲りたと思いきや、セックスへの憧れを捨てきれない俺は性懲りなく上京するタイミングで何度か試みた。しかし、総じてあまり良い思い出がない。事前によく調べて優良店を選択していれば、もう少しマシな体験ができたのだろうか。
数日前に童貞はソープに行けと増田が言っていたので、これを機に誰にも言えない黒歴史を放出してみた。童貞は事前によく調べて、この教訓を生かしてほしいと切に願う。ついでに以前書いて、全然読まれなかった風俗体験記を晒す。どうか俺の後悔と行き場のない童貞の魂を供養してやってほしい。
就活に挫いて適応障害と医者に言われた無職、元気になってきたのでタイミーを始める。
今日は飲食店の皿洗いしてきた。学生時代アルバイトしていた店よりも暇で、あたふたすることがなかった。なんとか3時間働けた。
思えば半年ぶりくらいに労働をした。実家にいるのでなんとかなっているが(プー太郎)、それでも危機感はある。
正社員になることが怖かったのかな、それでもずっと非正規じゃ親が死んだらいきていけないよな。
単発バイトということもあり、パニックになったり、頭が固まったりすることがなかった。
まぐれだったのかもしれないけど、人の目を気にして何も出来なくなるような症状や急に涙が出無くなっただけで、嬉しい。
旅行に行きたい気分あるし
有給が20日あるから少し使わなきゃいけないんだが(病院はフレックスで対応できる
候補が思いつかない
でもどこかにいきたい。
昼は観光して、安いドミトリーに泊まって、その辺のラーメン食べて
買える前に地元の温泉か銭湯にでもよって、最終日だけ少し豪勢なものたべて
・関東:ここ住まい。茨城県ぐらいしか残ってないがここ行く料金で大阪行けるんだよね…
・関西:前回奈良、大阪に行ったけど、まだまだ目的地は設定はできそう。兵庫は神戸しかいってない
・中国:こっから行く難易度が少しあがる。強いて言うならしまなみ海道
・九州:福岡だけいった。飛行機必須の領域になるが行ってみたいところは多いが、車必須なので少し考える
・海外:前回は台湾(3回目)。さすがに避けたいので候補として安いので有力。
タイ、カンボジア、マレーシア、中国(3回)、トルコ、ドバイは行った。
全部楽しかったが露のプー太郎さまのおかげでサーチャージが跳ね上がっておいそれといけない。
あとサクラダファミリアを完成前に見に行くか、完成後に見に行くかで悩み中
というか金のこと考えないなら世界を見てみたいな。
自分は真面目に生きてきた。
本当は専門学校へ通いたかったが、父親の猛反対を受けて四年制大学に仕方なく入った。
(今は大学で良かったと思っている。)
前述した通り、自分は人に優しい。
大学生の時は、じゃんけんで学祭の委員長に選ばれた同級生が泣いているのを見て、可哀想だと思い、自分が代わりに委員長になった。
自分を犠牲にしてでも、他人には楽しく過ごしていてほしいと、大げさではなく思う。
お客様には毎日感謝の言葉をいただける仕事で、とても充実感があったが、安月給に耐えられず3年で退職した。
結婚式の準備は、忙しいパートナーに代わり主に自分が行なった。
月給も悪くなかったが、大手会社特有の空気感に馴染めず1年半で退職した。
その社長のオフィスは、元々住んでいた場所からかなり遠くにあったので引っ越した。
オフィスには、自分の母親の年齢と近い女性が既に働いており、社長とその女性の2名で事業を行なっていた。
1ヶ月でいなくなった。
前提条件と違う、と何度も何度も何度も悩んだ。
(今思えば自己主張が苦手な自分がこんなこと言うなんて、相当だと思った。)
それでも真面目に働いた。
社長の考え方、理想のすがた、事業の未来など全てを理解しようと努力した。
社長は50代。
それでも真面目に働いた。
今までやったことのなかったオフィス事務の作業を1ヶ月で覚えた。
話を分かってくれない客先にも、めげずにメールを返した。
退勤時間が近づいても、「早急に書類作成してくれ」と言われれば、2時間残業した。
本当に全部やった。真面目に働いた。
自分だけでいくつの部署をかけもちしているのかと疑問に思うくらい、全部やった。
仕事の日の朝が起きれなくなった。
仕事中に突然、動悸がするようになった。
気持ち悪くなるまで過食した。
うつ病だった。
うつ病になったのだ。
信じたくなかったが、うつ病と診断される症状9項目のうち8項目に当てはまっていた。
最後の項目、「死にたいと思うか。死ぬ方法を探すか。」は傾向が見られるので△と言われた。
初めの1ヶ月はひたすら死んだように寝た。
食欲も湧かないので、服薬のために食事をするような感じだった。
そして現在、2ヶ月目。
意欲があり、何でも前向きになった。
お出掛けも楽しい。
あまりハイにならないように気を付ければならないと、担当医に言われた。
確かに楽しんだ後は疲れがドッと来る。
どんなに好きで楽しくても、程々にしている。
治療には2年かかると言われているが、自分が自分らしく戻れるのが楽しみで仕方がないので、あまり嫌悪感はない。
早く自分に戻りたい。
最後に。
終わり
思う存分自分語りしても身バレしないし、本音を書けるのがいい。というわけで赤裸々に自分語りと2022年の振り返りをする。
高校卒業して、しばらくプー太郎して、一念発起して大学入って、またプー太郎して中退した。これが2022年の3月。
最終学歴高卒、今年30歳になるのにまともな職歴もなく5月に学生アルバイターからフリーターに転身した。
そこから毎月13万円貯金して、15万円でやりくりして生きてみた。
家賃光熱費などの固定費6.5万、食費1.5万、美容費が2万、現金貯金1.5万、自由に使える現金3.5万
たまに足も出るけど、でも貯金を大きく崩すことはなく、それでいて友達と遊んだり楽しめた
大学を卒業した段階で趣味のウェイトが軽くなったので、趣味の出費がなくなったのは大きいかもしれない
(単純に大学生の頃より労働時間が増えて、趣味に費やす時間と体力が減った)
2022年の12月31日の貯金額は157万円。一年間で73万貯められた。現金貯金はほとんど手をつけなかったので10万ほど溜まった。
大きな出費もあったなかでよう頑張った方だと思う。
趣味で得たスキルを活かした副業も始めたので、今年は200万貯めるのを目標にしようと思う。
それと、自分の将来についてちゃんと考えよう。この働き方もあと10年が限界だろうし、何か正社員になれる仕事を探さなければ・・・。
もうひとつ、体のこと。
大学を中退したのは鬱になって外に出られなくなってしまったからなのだけど、思いっきり休んで少なくとも鬱は寛解した。
ただ長いこと引きこもりをしていたせいで、体重が55→90になってしまった。(身長160cm)
(この一年で、でなく大学に入って途中で鬱になり、頑張る時期と引きこもる時期を交互に繰り返し、数年単位で太った)
自宅のトイレの便座がバキッッ!!!っと音を立てたのをきっかけに痩せようと思いダイエットをスタートした。
結婚願望はない。なぜなら20の時に結婚してすぐに離婚したから。幸いにも子供はいない。
多分一生一人だし、自分のケツを拭えるくらいの貯蓄はあるといいな、と思う。
結婚に焦らないのはメンタルにもいいな。バツイチで結婚は経験しているし、憧れもない。
まとめ
一年間で頑張りたいこと
・もう少し将来のことを考える
(たくさん休んだらまた大学に入ってもいいような気はしてきた)
覚えてたら1月の振り返りもする がんばれ自分!
ちょっと聞いてくれ。
数年前のことだ。うちは日中~夜まで飲食店をやってるんだが、とあるお客さんがいた。今でも記憶にこびり付いている。話させてほしい。気持ちの整理をつけるためにも。お客さんの立場である増田民のあなたも感じることがあるかもしれない。
当時、とある田舎の一級河川沿いのエリアで食事メインのお店をやっていた。おでんに、蕎麦に、刺身に、唐揚げとかポテトサラダとか、野菜のお浸しとか、居酒屋に近い。コの字型のカウンターと、座敷がふたつだけある。
いつもは俺と、アルバイト(男2、女2)のうち最低1人が一緒に働いている。平日は暇なんだが、週末になると忙しい。北にある政令指定都市の方から、会社や学校帰りの人が流れてくる。
それで、店内が八割方埋まって、スーツ姿のリーマンとか、会社名入りの作業服を着てる人とか、数人連れの大学生とか専門学生でわいわいとした雰囲気になる。
うちの料金は安い。はっきりいって安い。鳥貴族に毛が生えた程度だ。元実家の土地でやってるからな。
そんな中で、ひときわ目立つお客さんがいた。最初に会ったのは平日の夜だった。その時間帯は、アルバイトの女子大生に接客を任せて追加分のおでんを仕込んでいた。
格子枠の扉をガラガラと開けて、その人が入ってきた。外身は白っぽい作業服だったかな。時期は初秋で、作業服の下にはシャツとネクタイが覗いていた。銀色のネクタイピンも。
「ん!?」と思って顔を見ると、アァと納得がいった。あなたも人生で何度か見たことがあるのではないか。圧倒的なオーラの持ち主を。その人の目を見ただけでわかった。
ぎらぎらとしているようで、どこかあどけない感じもして、しかし落ち着いている。只者じゃない。修羅の目だ。多くの物事と戦ってきたに違いない。人生の重みは表情に出る。
見た目は30過ぎかなと思ったが、こういうのに年齢は関係ない。繰り返すが、苦難の日々は顔に刻まれる。
アルバイトの女子大生(Nさん)が彼のところに向かっていた。見たことのない笑顔で「いらっしゃいませ」と言っている。屈託のない様子で「初めてですか?」とも。
当時、コロナは流行っていない。その人(S氏)は「どこに座ったらいいですか」と言ってたっけ。Nさんに「お好きな席にどうぞ」と言われて、俺がおでんの仕込みをしているカウンターの前に座った。ほかの客はほぼいなかったと記憶している。
唐突に会話が始まった。
「涼しくなってきましたね」からスタートして、好きなお酒から、好きなアテに、この周辺でおススメの居酒屋に、S氏の仕事の話など。盛り上がった記憶がある。暇な日だったのでNさんも会話に入っていた。ルンルン(死語)な気分でS氏と話をしていた。
やがて、S氏は自分とNさんにそれぞれ1杯おごって、約一時間ほどいて帰って行った。その時はいい人だなぁと思っていたけど、Nさんがいつまでも嬉しがっている様子を眺めていて、ちょっと思うところがあった。
その日の営業が終わって現金を数えている時も、Nさんは心なしか嬉しそうだった。気のせいかとも思ったけど、やはりそんな気がした。
「なあ、今日はうちに寄っていくか」とNさんに聞いたら、「朝から講義がある。ごめん」とだけ返ってきた。
Nさんとは付き合ってまだ半年で、気持ちが通いきっていないのもあった。何かに負けたような気がして悔しい思いがした。
実際、いいお客さんだった。小一時間もしないうちに帰るのだが、その間に最低でも三~四千円は落としてくれる。自分の酒肴以外にも、店員がいたらみんなにジュースやお酒をおごってくれる。
短い時間ではあったが、いろいろ話をして盛り上がったのを覚えている。店の十周年記念の時はシャンパンを空けてくれたっけな。
金持ってるだけじゃなくて、人柄もよかった。今でも思い出す。懐かしい記憶だ。
ある時だった。S氏が初めて来店して三ヶ月くらいか。夜九時頃の店内で、残業帰りのS氏と俺とNさんで話が盛り上がって、S氏のグラスが空いたところだった。「じゃあもう帰ります」ということで、クレジットカードを受け取った。それで、コの字のカウンター卓の奥でクレカを機械に読み込ませていた。
ふと声がして、お客さんの注文かなと思ってホールを見ると、S氏がNさんと携帯電話の番号を交換しているところだった。
「今度、ご飯行こうな」「はい!」という声が調理スペースの方まで響いてきた。そのタイミングで俺は、決済処理を終わらせてふたりのところに向かった。何事もなかったようにしてS氏は、Nさんからコートを着せてもらって入り口に向かった。
普段はスタッフに見送らせているのだが、俺も一緒に入り口へと向かった。S氏を見送ると、彼は歩いて自宅の方に向かった。姿が消えたのを確認した。
「電話番号、交換したんか」とNさんに聞くと、「うん。何度もしつこくって」という返答があった。ご飯、行くのか」と聞くと、「多分いかない」と返ってきた。
訝しい感じがして、でも問い詰めることもできずに、そのまま調理スペースに入ろうとしたところで、ほかのお客さんから注文の呼び出しがあった。
ここまで言ったらわかるだろ。ある程度は。
核心的なところを言うと、それから二ヶ月後だった。S氏とNさんが、お店からおよそ10km離れた政令市にある百貨店の休憩所で一緒にメシを食っているのを見た。ちょうど食べ終わるところだった。
ハンバーガーか、クレープか、たこ焼きか。よく見えなかったが、百貨店内のどこかでテイクアウトしたものだろう。Nさんは綺麗な恰好をしていた。華美ではないけど、暖かそうな秋冬用のワンピース風……あれはなんというのだろうか、女のファッションはわからない。
清潔感のある装いだった。茶色の小さい鞄を肩から下げている。どちらも、俺とのデートで付けているのを観たことはない。いや、鞄の方は多分ある。
それで、ふたりが立ち上がって、時計や宝石を売ってるエリアへと階段を降りて行ったところで、俺はそのまま地下街に向かった。当初の予定どおり、常連さんにサービスする用の特別な食材を買って帰った。
俺がNさんとデートする頻度は、2~3週間に一度だった。あの子は看護の大学に通っていたから忙しかったのもあるし、俺自身がお金を貯めている最中で金欠だったのもある。
セックスはしたりしなかったりだ。割合までは覚えていないが。あの光景を見てから、次にNさんと会ったのは二日後だった。あのワンピースみたいなのは着てなかった。簡素な恰好だ。部屋着というわけではないが。
あの百貨店の近くの河原町通りやアーケードを一緒に歩いて、食事をして、猫カフェに行って、映画を見て、近くにあるホテルに入った。
あの時の俺は必至だったと思う。いや、必死だった。「愛してる」とベッドの中で何度も言った。伝えた。本当は、叫んでいたかもしれない。Nさんもベッドの上でいろんな動きをしたり、いろんなことを言っていた。
でも、Nさんは行為の最中に特別な何かをするでもなく、普通の調子だった。普通のセックスだった。30分で終わった。いや、なんかもうわかっていた。そんな気がしていた。
「別れよう」と言われてはいなかったが、Nさんと会う頻度が落ちていった。次にデートするまでに一ヵ月以上かかることもあった。
S氏がお店に来る頻度も落ちていった。さすがに計測はしてないが。S氏は素直に凄い奴だと思っていた。いい大学を出てるし、いい会社で働いてるし、偉ぶったところもないし、自己中に感じることは稀にあったが、よくいえば決してブレない。
俺は高校を出てない。子どもの頃から勉強が嫌で嫌でしょうがなくて、それで進学から逃げて、17才の頃までは完全なるプー太郎で、親に叱咤激励されて伏見の小料理屋でアルバイトを始めて、滅茶苦茶に厳しい毎日で、それでも料理作るのが楽しくなっていって、中年に差し掛かった頃に両親が死んで、相続した土地と家屋を改装して今の店にした。長かった。
でも、やっぱり真の人格ってものがあるよな。S氏は、スタッフに飲み物をおごってくれなかった日は一度としてない。店員が男だろうが女だろうが、必ず一杯は出してくれた。俺はほかの店に飲みに行っても、可愛げのある女の子の店員にしかお酒は出さない。
S氏は、はっきりいって『上』の人だと思う。Nさんの件さえなければ。これで俺より五つ以上も年下なんだから笑えてくる。
そんなこんなで、半年も経つ頃には諦めがついた。ある日、お店でS氏と話していた。それで、ふいに聞かされてしまった。
「先日、Nさんのお父さんに会ったんですよ」
だってさ。キツイ。当時の俺にはキツかった。Nさんへのデートの打診を3回続けて断られていた。そういうことだったんだな。
俺の中で何かが切れた音がした。少年時代に読んでいた漫画(ジョジョだったと思う)で、「切れた。僕の中の大事なものが……」といった台詞があった。当時は、そんなわけねーだろと苦笑していたが、ジョナサンの気持ちがわかったかもしれなかった。本当に、心や体の『糸』が切れると、抵抗する気すら起きなくなる。ただ、沈んでいくだけ。
Nさんのことは諦めた。
それから二ヵ月くらいか。鬱々とした気持ちで過ごした。どうしようか。悔しい。畜生。どうすることもできない。でも、やっぱり悔しい。畜生だな、本当に。いや、くっそ。悔しいんだよ。でも、感じない。心がマヒしているみたいだ。本当は悔しいって思いたい。
俺の大事な女を取りやがって。くそ、くそ、くそ!! あいつさえ、あいつさえいなければ。畜生!! ○してやりたい。
暗い気分にさせてごめんよ。もうちょっとで終わる。あれは四年と少し前のことだ。初夏の頃だった。大きい台風が迫っていて、すごい雨だったな。うちの店はそれでも営業していた。開店当初から決まっているのだ。どんな雨風が来ても絶対に店を開けてやると。
そういう時にうちに来るのは、決まって大雨対応で疲れ切った近所の人か、ほかの店が閉まっているために流れてきた飲み客だったりする。
土曜日の深夜だった。S氏が疲れ切った様子で店に来た。スタッフはみんな上がらせていて、俺しか店に残っていない。彼は「いや、疲れましたよ。何時間か寝たら、また職場まで出発です~」といったことを告げて、メニューを手に取ろうとしていた。
「増田さん。外の雨、すごいですよ」
「ええ、すごいですね」
「二十年前もこんなんがあったんですよ」
「本当に? 自分、このへんの生まれじゃないんで詳しくなくて」
「大雨の対応って。樋門(※排水ゲートのようなもの)の面倒でもされてはるの?」
「そんなものです。そうだ、せっかくですから一緒に外に出てみませんか。ある意味記念です」
「ほな行ってみましょ」
そんな具合で、店から歩いて一分ほどのところにある鴨川(のさらに南の支流)のほとりまで来た。家屋と家屋の間に雑草だらけの小道が通っていて、そこから川の方を向いた崖地に辿り着いた。
真下を見ると、葦やら雑木やら上流からの堆積土やら、いろんなものが流れ着いている。見た目の悪い場所だった。今は河川の底を拡げる工事が進んで、もっと綺麗になっている。
俺は傘を差していて、S氏は簡易なヤッケを装備している。真っ暗な世界の中で、唯一の明かりが頭上の頼りない水銀ランプひとつだけだった。今は、2人で濁流を真上から見ている。ここから飛び降りたとしたら、数秒もかからないうちにドボンだろう。それほど水嵩が増している。水の色は見えない。
「下流はとんでもないですね」
「ここよりはマシですね。護岸が整備されてるんで」
「こないな時期に大雨の対応はしたくないでしょ」
「はははは。まあそうですね。でもね、しっかりしないといけないんでね。結婚もするんで」
俺は何も言わずに、彼の方に寄った。
「危ないよSさん。下がって」
その時、殴りつけるような雨が降ってきた。風も強い。S氏は、身を屈めるようにして風雨から身を守っていた。すると、ふいに彼が鴨川の方を向いたっけ。しみじみとした寂しい背中だった。
「Sさん」と声をかけると、いまだに彼は増水した河川を見下ろしていた。風がまた吹いてきた。強い風だった。
……数分が経って、俺は雑草だらけの小道の途中にいた。後ろをサッと振り返った。誰もいなかった。雨の音がうるさい。
そのまま、雑草だらけの小道をザクザクと踏み分けて行って、店の方まで戻った。お客さんが来ていないことを確認して、ラジオで大雨情報を聞いて、誰も来ないだろうという個人的な確信が強まっていった。
特にオチがなくて申し訳ない。誰かが悲しい思いをしてるとか、嬉しい思いをしてるとか、そういうことでもない。
お店は今も普通に営業している。あれからすぐにNさんは店をやめてしまったが、そこは腐っても京都府内だ。別のアルバイトに「いい子いない?」と聞いたら、新しい子が面接に来た。幸いにも、Nさんと同じくらい朗らかで明るい雰囲気の子だった。今でもお店で働いていて、辞められたら困る人材に成長している。
ずっと思っていた。苦しかった時期のことを話したいと。あの日を境に肩の荷が下りて、心と体が軽くなって、ゆっくり眠れるようになった。すっきりした気分だった。今ではのびのびと働くことができている。
増田「美人やイケメンやエリートの真似して情報も盗み生活も真似すれば良くなるはず、情報感度も高くして手に入れれば生活も良くなるはず」
→生活が良くなる情報を手に入れたのに無職のプー太郎やこどおじこどおば、日雇いの肉体労働派遣で自己破産か障害者手帳でナマポ貰おうと必死に醜く足掻く毎日
増田が現実逃避して言い訳すればするほどボクチンは悪くないするほど、こいつはどうしようもないクズだと社会は周りは判断するんですよ
本人たちは凄まじい現実逃避でまだ大丈夫ってバイアスかかっているけど
つまり馬鹿が死に追いやられたり気が狂ったり貧困に追いやられるのは自業自得というのである
もう勝負はとっくに着いていて後はどうこれから飢えない程度に食っていくか考えないといけないフェーズに人生入ってるのに
なのに増田ってまだチャンスはあると思っているんだよね
まぁ最終的には統合失調症だよね
本人の頭の中にしかない可能性に縋りそれが現実だと思い込んで認知がさらに歪んで世間に合わせられなくなっていく
あれは私のベンツですけど?
って言われてそうな増田だな
既に統失だろ