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はてなキーワード: 行使とは

2020-07-01

anond:20200701144400

何が「あーーーーーー」だよ

端的に伝えろって何度も言ってるだろ

無駄に一行使ってんじゃねえよ

お前ほんとに仕事できねえだろ 使えねえなあ

2020-06-29

著名人SNSでの誹謗中傷に対して法的措置を取る、と宣言する違和感

例えば柴咲コウなんかが自分の中では不快指数トップなのだが、種苗法改正に疑問を呈すような煽り方を(意識している・しないはあるが)

多くのフォロワーに呼びかけ、結果世論を傾ける呼び水になった。この事象で本人の知名度が大いに影響したこと否定する人はいないだろう。

そういった知名度とセットの行動に対して「ふざけんな」とか「なんて勝手なことをしてくれたんだこの野郎」とか

「これだから赤旗に載っているようなやつは」などとまぁ野次も含めさんざん批判誹謗中傷がきたわけだが、これに対して

法的措置をとるなどと回答するのはアンフェアではないだろか?自分感覚ではここがどうしても理解できない。

知名度活用した活動(韻踏)をするのは好きに行い、その知名度から来る多くの野次に対して

はい悪口言われました~~~~私が何をしている人かは関係なしにいち個人人間性攻撃されました~~~パーソナルな部分を傷つけられたので法的措置とります~~~~~」と言われても、

自分に都合の悪いことだけマジレスして自分言動を改めるつもりは全くないのだな、と思えてしまう。

別に全て品行方正にしろとかそういうことを言うつもりはない。ただ、一方では自分もつ力を行使し、

一方では私だってただの人間なんですから個人趣味嗜好で好きにやります、というのが都合の良いダブスタしか見えなくて物凄く不快だ。

スパイダーマンだってWith great power comes great responsibilityって言っているように、

大いなる力(知名度、影響度、フォロワー数)を持っている人間はその力の振るい方に対して大いなる責任を持たなければいけない、と自分は思う。

そんな考えは古臭いのだろうか。

海外アメリカとかの芸能人はよく政治に対して意見しているようなイメージがあるが、それに返信される本場の誹謗中傷なんかに対しても

いちいち殴られたら殴り返すというようなスタンスをとっているのだろうか。教えて出羽守

2020-06-28

anond:20200628102521

中絶女性の権利、という主張は、胎児人間ではない、を含意しているとなぜ気づかないのか……

この増田ブコメ中絶死産暴行子どもをなくすのとなぜごっちゃにするのか…意味不明というか意味なさすぎ。この三つは全く違うし、そもそも中絶女性の権利なんだよ。そこから勉強してこい

ごっちゃにしてるのは、妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂、とか言ってる側だろ。元増田は一貫してそこは区別してるよ。

仮に胎児人間だとするなら、女性中絶権利なんてあるわけないだろ。胎児人間っていうのは、つまり胎児には5歳児と同等の人権があるということだよ。母親自分の都合で5歳児を殺すことなんて自己決定として認められるわけないんだから、仮に胎児人間なら中絶も認められるわけがない。5歳児が殺された場合母親に殺されようが通りすがりの変質者に殺されようが殺人罪適用されて同列に扱われるんだから、仮に胎児人間なら女性自由意志で選んだ中絶手術もそのへんのおっさんに腹を蹴られるのも同じ行為として評価されないとおかしい。

仮に胎児人間だとするなら、家が貧しいからという理由で殺されてよい5歳児がいないのと同様に貧困による中絶が認められるべきじゃないし、仮に胎児人間だとするなら、父親犯罪者であるという理由で殺されてよい5歳児がいないのと同様に性的暴行を受けて妊娠した場合でも中絶が認められるべきじゃない。

逆に、胎児人間じゃなく母体の一部に過ぎないと考えるなら、美容室で髪を切るのと通りすがりの変質者に髪を切られるのは全然問題であるように、自由意志でクリニックに通って中絶するのとそのへんのおっさんに腹を蹴られて流産させられるのはまったく異なる話になる。前者は自己決定として尊重されるべきだけど、後者他人身体を傷つける悪質な犯罪なので厳罰に処されるべきだ。でも、それは人の命を脅かしたわけではないので殺人未遂に問うことはできない。

そのへんのおっさん妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂だ、と主張する連中は、胎児人間だ、って主張してるんだろ? だったらその論理的帰結にも賛成しろよ。

そのへんのおっさん妊婦の腹を蹴るのは殺人未遂だけど中絶女性の権利、なんて言い草が通るわけないだろ。胎児人間なのか? 人間じゃないのか? どっちかにしろよ。

追記

中絶は許さないってどういうことなん?出産したら大きく体は不可逆的なダメージを負って、しばらく働けず、脳から分泌されるホルモンによって鬱になったりするんだよ。その準備ができていなかったら無理じゃない?

「もしも胎児人間であるなら、中絶は許されない」「もしも胎児人間ではないのなら、中絶女性の権利である」のどっちかを選びましょうって話やで。中絶が許されるって思ってるなら「胎児人間じゃない」って思ってるってことだよね? なら堂々とそう言えばいいんじゃね。

仮にレイプされて出来た子を産んだとして、母親が愛せず虐待に走る事があれば中絶されてた方が幸せだったって思うかもなぁ

私はプロチョイス派だけど、アメリカ中絶反対派はちゃんと望まぬ妊娠をした妊婦のための無料カウンセリングとか里親制度とか孤児院とか整備した上で中絶反対を叫んでるから尊敬できる。

レイプによる妊娠場合胎児レイプ魔の遺伝子が混じっているという当然の嫌悪感という要素も加わってくるので難しいと思います

仮に胎児人間だとするなら、性犯罪理由中絶を認めることは犯罪者の子供というだけで殺されるなんていう非人道的なことを認めることになっちゃうんだよねぇ。親が犯罪者であることを理由に殺されていい人間なんてこの世のどこにもいるわけがない。まあ胎児人間じゃないから親の素性がどうであれ中絶していいんだけど。

胎児人間なのはみんな知ってる。人権よりも殺した方が社会負担が軽いか殺人を許しているだけ。完璧法律なんてないのに、なぜ他人感情論馬鹿にするんだろうね。理論構成しないと気持ち悪いタイプなのかな

社会コストのために殺されてよい人がいるという鬼畜外道理論やばすぎでは。植松かよ。

めわどくせーな。出産が命がけなんだから決定権は妊婦にあるに決まってんだろ。産むと決めたら人間だよ。中絶すると決めたらみんな見てみぬふりをするんだよ。中絶なんてみんなつれーんだからな。分かれよ。

胎児人間かどうかが妊婦の一存で左右されるべきじゃないだろ。仮に胎児人間なら母親の一存で殺していいなんて馬鹿な話があるかよ。逆に胎児人間じゃないなら母親がどう思ってようが徹頭徹尾人間じゃない存在として扱われるべきだろ。

妊婦本人が胎児をどう思っているかという話なら別だけどね。たとえばペット犬猫を「家族の一員」と呼んでかわいがるのは自由だし、友達ペットを「家族の一員」として紹介してきたらまあ「こんにちは」と人間相手みたいに挨拶してみせるのも社交辞令だろう。でもその犬猫を殺しても殺人罪にはならない。

たまに「中絶女性の権利なんだから中絶殺人なわけがない」って意味不明理屈をみかける。合理的ですって顔してたら、周りはその合理性検討する。それは主張に賛成否定する以前の行為なんだけど、理解されない

因果が逆なんだよね。胎児人間ではなく、したがって中絶殺人ではないからこそ、女性自由にやっていい行為女性の権利となるのであって、女性の権利から殺人じゃない、っていうのはまるっきり転倒している。

胎児人格を認めると、お産に際し母体が死亡した場合胎児殺人に問う理屈から逃げられなくなったりして危険なんやけど。あるいは母体と子の関係だけでなく、父親義務も発生するぞと脅したらええんか?

胎児人間だと仮定した場合であっても、お産に際して母体が亡くなっても胎児には殺人故意がないので殺人にはならない(過失がないので過失致死にもならない)。当たり前だよなぁ? そもそも刑事責任年齢以下だから故意があっても刑事責任が問われることはないし。

胎児があるタイミングで突然肉の塊から人間に扱いが変わるの、どう考えても不自然だろ。中絶殺人だよ。

殺人未遂ってまさにブコメした人間だけど、これからまれて人として人生を歩むと想定されてる赤ちゃんが蹴られて死んだら殺人でしょ。中絶の話をもってこられたら、じゃあ中絶殺人、と思うけど、だから?って感じ

私が批判しているのは論理的一貫性の欠如なので、そういう一貫性を持った立場の人については、反対はするけど強く批判する気にはならないんだよな。胎児人間であるという前提条件からはそういう結論自動的に導かれるので、胎児人間だと思う人がそういう結論に到達するのは当然。もちろん私はその前提は間違ってると思うからその主張には反対するけどね。どう考えても胎児人間じゃないでしょ。自分身体の一部をどう扱おうが妊婦自由だよ。

不同意堕胎殺人並みに厳罰化されれば十分。罪名が殺人か、胎児が人かはどうでもよく、妊婦への暴行に対して社会が厳しいメッセージを送ることが本質。法は論理原則のためではなく、目的のために作られる。

胎児人間じゃない。母親にとって時に命より大切な所有物だ。母親中絶自由はある。誰かが壊せばその損害と肉体的精神被害から考えて殺人と同じくらい罪は重い。

こういう主張も、上の「中絶殺人」と同様、論理的破綻していないので問題ないと思う。ただ賛成はできない。現状でも不同意堕胎罪はそれなりに重いから。色んな罪を軽い順に列挙してみるとこんな感じになる。

過失致死罪:50万円以下の罰金

暴行罪:2年以下の懲役 or 30万円以下の罰金 or 拘留 or 科料

器物損壊罪:3年以下の懲役 or 30万円以下の罰金 or 科料

業務上過失致死罪:5年以下の懲役 or 5年以下の禁錮 or 100万円以下の罰金

動物愛護法違反愛護動物殺傷):5年以下の懲役 or 500万円以下の罰金 ←今月から厳罰

不同意堕胎罪:6ヶ月以上7年以下の懲役

傷害罪:15年以下の懲役 or 50万円以下の罰金

不同意堕胎致傷罪:6ヶ月以上15年以下の懲役

傷害致死罪:3年以上の有期懲役 ←不同意堕胎致死罪はこの罪に吸収

強制性交罪:5年以上の有期懲役

殺人罪死刑 or 無期懲役 or 5年以上の懲役

法定刑の上限だけだとそこまで重くないように見えるかもだけど、下限で見ると傷害罪より重い罪なんだよね。たとえば傷害罪有罪になっても罰金刑だけで済むこともありうるけど、仮に不同意堕胎罪で有罪になったら必ず懲役刑が科されることになるし(実刑になるかは別)、胎児以外の母体を傷つけたら一気に不同意堕胎致傷罪に跳ね上がるわけで。

ちなみに、こないだのhagex殺人事件懲役18年です。そう考えると不同意堕胎致傷罪の上限が懲役15年というのは妥当なところだと思うのだけどどうか。不同意堕胎罪単体は、まあ、このぐらいでいいんじゃないかな……これより重くするのはバランスを失しているように思う。でもこれは単なる私個人お気持ちから厳罰化を主張するのは別に論理的おかしいというわけではない。ご自由にどうぞ。

不注意で流産した女性を過失致死で裁くことを考えると22週以降の胎児の扱いも難しいのはわかった。今のところのバランスとしては不同意堕胎罪の罰則強化殺人未必の故意認定あたりか

ちなみに過失致死罪の法定刑は50万円以下の罰金からね。実はみんなが思ってるほど重い罪じゃない(まあ業務上とか自動車運転とかではない純粋な過失致死罪ってあんまり遭遇しないからなあ)。仮に赤の他人をうっかりミスで死なせたら罰金刑のほかに民事損害賠償請求されるから金銭負担もっと大きくなるんだけど、この場合は誰も請求してこないだろうし。

逆に不同意堕胎罪は言うほど軽いか? って感じがする。上限が懲役7年ってことは、器物損壊罪の倍以上で、犬や猫を殺した場合よりも重くて、傷害罪の半分でしょ? 人じゃないものを傷つける罪としては十分に重い刑だと思うんだけど。まあこのへんは個人感覚からもっと重くすべきという意見別におかしいわけじゃない。

あと未必の故意は一律にどうこう言えることじゃないか事件ごとに判断すべきで、外野が「未必の故意があっただろ!」って言うのはおかしいと思う。

単純な興味なんだけど、「胎児人間だけど、殺人手段中絶場合殺人罪にはならない。中絶手段は〜に限る。」ってルールを作っちゃえば言葉だけだと論理的には破綻してないと思うんだけど法学的には穴だらけなの?

anond:20200629022242

それを認めたら、「障害者人間だけど、殺人手段が薬殺による安楽死場合は」「ユダヤ人人間だけどガス室場合は」への歯止めがなくなるんだよなぁ……

人間を殺すことは原則として許されないというのが近代国家ルールなんだから、それに対する例外規定は最小限であるべきでしょ。

現状、国家による殺人として死刑戦争が認められてるけど、死刑は「死刑に値する犯罪を犯したと裁判で確定した」人に対して執行されるもので、戦争武器をとって向かってくる相手を殺すもの胎児犯罪者でもなければ武器を持っているわけでもないんだから死刑戦争と同列に正当化できるとは思えない。緊急避難も、仮に胎児人間だとするなら、中絶しなければ妊婦死ぬという局面に限ってのみ認められるべきという話になるだろうし。

素直に胎児人間じゃないってしといた方がマシじゃない?

胎児人間であり妊婦を殴った犯人殺人罪とするが、女性胎児を所有しているため殺害する権利を有すると考えれば筋は通っている。

所有物である人間は殺してよい理論実践してた人たちの像が今世界各地で引き倒されてるんだよなあ……

中絶というつらいことを減らすために、男にできることをしてよ。避妊だよ。

胎児人間じゃないので中絶女性自由派の私にそんなこと言われても。そもそも私は別に減らすべきとは思ってないし……個々の女性自由意志行使した結果なんだから別に減らそうとする必要はなくない?

ていうかなんで避妊が男だけの責任になってんの? 実際には避妊具をつけてないのにつけたと嘘をついたとか強姦したとかの場合を除いて、避妊セックスする両者が責任を持ってすべきことなんだから男女に平等責任があるでしょ。仮に男に避妊を拒まれたらセックスも拒めばいいんだよ。自由意志セックスしといて避妊は男だけの責任なんて通るわけないだろ。

胎児人間である母体の所有物では無い」は先進的・左派的な響きがあるけど「だから中絶殺人だし基本的ダメ」って保守的右派的な結論になってしまうの、茶化すみたいで恐縮だけど、正直ちょっと面白い

妊娠中絶絶対さなマン、たまに海外ニュースで見るだけだと「頭おかしい」って感じだけど、「胎児人間である」という前提を突き詰めたらこういう結論に至るしかないんだよね。反論する側も、なぜか望まぬ妊娠場合はとか言って話題を逸らしてるし。いや胎児人間じゃないって反論しろやアホか。

日本プロライフ矛盾してないとでも?胎児障害をもっている場合中絶許可する胎児条項70年代生長の家カトリック法制化しようとしたんだぞ?フェミ障害者団体が潰したけどな。

一貫性があるプロライフ派は尊敬できる」とは言ったけど、「すべてのプロライフ派は一貫性を持っている」とも「日本プロライフ派は一貫性がある」とも言ってないな。プロライフ派が矛盾した言行をしてるなら好きに叩けば。

何度も言うけど私はプロチョイス派だからね。筋の通ってない主張をする味方よりは筋の通った敵の方が尊敬できるとは言ったけど、プロライフ派を支持するとは一言も言ってないし、むしろ支持しないと明言してる。ここでは議論筋道の話をしてるんであって、半世紀前の派閥抗争の話にはこれっぽっちも興味ないんですわ。

私には胎児人間だなんて思えないかプロライフ派は支持できないし堕胎自由を支持するけど、同時に、胎児人間だという前提を支持するなら中絶全面禁止という結論になるほかないんだから第三者による胎児への危害殺人と主張しながら中絶権利を主張するやつは同じプロチョイス派であっても思考支離滅裂すぎるので軽蔑に値するとも思うよ。逆に、胎児人間から中絶禁止すべき、という主張はまったく賛同できないけど論理展開は正しいか尊敬すべき敵手だと思う。賛成反対と尊敬軽蔑の軸はまるっきり別なんだよなぁ。

民法721条では胎児でも加害者への請求権が認められてるのに触れないとこ見ると専門外の人なんだろうな。グレーゾーン故に解釈改憲とおなじく運用でカバーしているという単純な話。

元増田論破されてブコメ消したやつがまたデタラメぶっこいてるな。胎児が生まれ場合損害賠償請求権や相続権がまだ生まれてなかった頃にまで遡って適用される民事上の話と胎児に対する危害をどう考えるかという刑事上の話をごっちゃにしてんじゃねーよ。

2020-06-27

まり加重ストレス増田は読解力増田に非常に横柄に当たっている

それは事実だし読解力増田は「横柄だ!」と怒る権利がある

権利はあるが行使しても効果は何もない

読解力増田は怒る権利行使してしまうと怒ってしまって惨めなだけなのであった

可哀想だが哀れむものはただの一人もなく

「お前は異常だから自発的病院警察へ行って対処してもらえ」と煽られるだけなのであった

合掌

2020-06-25

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1548212

ポリコレ持ち出してる人までいて

子育てにも日本義務教育にもポリティカル・コレクトネスは何も関係ないでしょうがシアトルまで出向いたらポリコレ棒で頭でも殴られたのか?

他もここまで極端でないにしろ勘違いしてる人が多いので書いた。

まず法令の話でいうと

親の「義務違反であるかどうかでいえばこの親は義務違反だ。

ただし罰則を実行するかどうかは自治体に広範な裁量があるし、就学させる義務違反することに刑事罰は無い。

就学させる義務

納税の義務

勤労の義務

に並んで憲法に明文化された義務の一つであり

「三大義務」と呼ばれる

でも勤労の義務行使できてない人いっぱいおるやろ?

そう日中からブコメしてるお前らの事だよ

でもだからといって勤労義務違反しても刑罰ねえだろ?そういうことだよ。

以下ブコメから気になったやつを抜粋

親がどうにかしろってコメあるが、義務があるのは親だけじゃなくて、日本大人全てだよね?

からっぽのほうが夢は詰め込めるけど

日本大人全てにそんな義務はありません

から怖がらず地に足をつけて大人になろうな

義務教育相当」の教育を与えれば親の義務は果たされるはずなので、方法学校に限られない。

令和2年時点の日本ではNG

憲法で定める「普通教育」の範囲学校教育法で規定されており、一条校での教育に限る。

ただしICESCR第13条は学校に限ってはいない

また学校教育法は憲法と違って今までに何回も改正されているから、今後改正されんじゃねーの?

しかし、令和2年時点の日本ではやっぱりNG

なお余談だが、日本はICESCR第13条に留保をつけていて、高等教育を受ける機会均等と無償教育の漸進的導入がいまだ未実施

ただし民主党がここに関しては留保撤回済みで 自民党でも国として一度留保撤回したものもとに戻せない(韓国ならやるかもしれんが)

からといって出世払いという借金制度を「高等教育無償化」と言い出した自民党には呆れるばかりである

一応注釈をつけておくとICESCRでいう高等教育大学のことです。高校じゃないよ。

次、親の有する教育権、つまり子供教育を決定する権利の中に

「親の思う教育を施す権利」は一部しか認められていない

例えば親がナチスドンハマりしている人で

ナチス最高」という教育を受けさせたい!

とほざいて子供義務教育をさぼらせ、教育を施す場合子供学習権を保障できなくなるね、だから全面的」な教育権を親には認めていない。

他方、国や地方団体教師にも全面的教育権は認めていない、それぞれに一定権利がある、としている。

まりは親に義務教育"相当"の教育で十分とする権限は認められていない。

なお日本語を読み慣れてない人が

ナチス教育義務教育相当なわけないww」とか言い出しそうだが

線引問題はこの話の本質じゃないから大多数がNGとするであろうレベルを例にしているんだぞ

どんな教育法であれ親の考える教育子供学習権を侵害しないとされるか、合理的方法立法されていない、18歳時に高等学校卒業程度認定試験合格できりゃいいんじゃねえの?ならナチス万歳教育だって高卒認定取れるならOKなっちゃうだろ。いいのかそれで?そして繰り返すがこの点は話の肝じゃありません。

教育義務というのは小学校へ行かせる義務という意味なのかしらん

憲法26条を具体化した学校教育法で以下の通り定める。

第十六条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

第十七条 保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校義務教育学校前期課程又は特別支援学校小学部に就学させる義務を負う

これは大事な指摘で

法令上は小学校に行かせる義務であっている

だが法の精神が唱えるところには足りていない

来させる義務を果たすのであれば叱るのではなく環境改善なりやることやってって話でいいのかな。

コメの中でこれが一番正しい。
子供には学習権を基にした国、教師地方自治体、そしてなによりも親に対して自分学習権の保障要求する権利がある。

子供学習権の保障は「第一義的に親」が行うことになっている、なのでまずは親に要求するのが子の通すべき筋であり、応えるのが親の義務でもある。

もちろん親からさら地方自治体や国に要求するのも権利関係としては正しい、正しいだけで現実的な解は別だけどね

ついでに学習権の要求ができるまで学習権について深く理解自己尊厳を守るための意識発達が行われたならその子供は褒め上げてあげるべきだし、みんなに自慢して良いと思う。

しかしながら「子供には就学する義務は無い」程度の浅薄をほめれるやつがブクマカに多数いて、おつむが中学生と同レベルな事はかわいそうに思うが、義務教育は年齢で区切られているからもう手遅れなんで勤労と納税の義務をはたせよと思うばかりである


最後自分の考えを書いておく

ユネスコ学習宣言

http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/unescogakushuuken.pdf

この中でも謳っている通り

学習権なくしては、人間的発達はありえない。

親の義務とは何か?就学義務なのか?と言われれば法令上はそうなる、あってる。

しかしながら、条約や法の精神が求めるところはそれでは足りていない

戦前ジュネーブ児童権利に関する宣言が行われ

児童は、身体的ならびに精神的の両面における正常な発達に必要な諸手段を与えられなければならない。

と謳った

第1条である

その具体的な権利の一つとして「学習権」が子供に認められた、だからこそICESCR 第13条にはこう書かれる。

教育についての権利教育人格の完成及び人格尊厳についての意識の十分な発達を指向し、人権基本的自由尊重を強化すること。

学習権とは人間的発達のために必要ものであり、自分が唯一無二の人であること、それと同じくらいに他者も唯一無二の人である、そのように世界認識するために必要ものだ。

BLMもそうだし男女の殴り合いもそうだが、自らの人権相手人権を守ることができる人間を増やすことが今、世界の抱える病魔を解決するための道だろう?そのためにも必要ものの一つが学習権なわけだ。

そして「権利」とは「環境」があってこそ初めて実質的意味もつ。絵に書いた餅じゃなくなる。

例えばこの世に男子校しかないのに「子女には学習権がある」なんて謳って終わりにしてたら絵餅だろ?

他の権利も全てそう、

コロナ対策で君たちには10万円受け取る権利をあげよう!ただし実施がいつかは決めていない、私の気持ち次第でそれは明日かもしれないし100年後かもしれない

とか言い出したら、なるほどボケてんのか、ってなるだろ。

ついに大麻合法化!!!

ただし国内での販売禁止するし国内での譲渡禁止国内での栽培禁止海外から持ち込むことも禁止

ってなってたらそれは実質禁止とかわらんだろ?

自由権であろうと社会権であろうと、「権利」を行使できる「環境」を整える事が「権利保障」であり、環境を奪っておきながら「お前にも権利はある」って言っちゃう人、自分学習権の行使できなかったんだねーって思うわ、可哀想なので哀れんであげる。

さてそういうわけで

権利」は「環境」がなければ何の意味もないんだ

まり「親の義務」として日本憲法でも義務化されているものとは法令上は確かに就学させる義務だ、

しかしながら、人類普遍法則である人権日本憲法要求する義務とは「子供学習権を十全に行使できる環境を整える事」であり

それこそが日本憲法に「三大義務」の一つして規定されている「親の義務である

2020-06-21

自分絶対的弱者だって主張する人たち※追記あり

私は多分マイノリティーだし、属性だけ見れば弱者だと思う。

でも学生時代いじめられたこともあるし、いじめたこともある。

先生に反抗したこともあるし、やんちゃな子を諫めたり先生に報告したこともある。

職場はいろんな自分を試して、あまり主張しないキャラ生活してみたり、

リーダーシップバリバリ発揮するキャラを演じてみたり、いろいろためした。

その経験からすると、結局、どんな立ち位置であれ視点を変えれば加害的な要素はあるのだ。

いじめられていた時は、自分の思い通りにならない時に不機嫌になってグループ楽しい雰囲気台無しにしていた。

いじめていた時は言わずもがな相手の子精神的なダメージを与えていただろう。

先生に反抗したことも、視野の狭い自分意見を振りかざして授業時間を削り、先生負担を強いていただろう。

やんちゃな子を諫めた時も、それを諫めようが諫めまいが誰も傷つかないはずなのに、規範を彼らに押し付けていた。

主張しないキャラでいることは、こちらの意思伝達コスト相手に丸々ぶん投げる行為でもあるし、

リーダーシップを発揮することは、チームの個々の利益(楽して稼ぎたいとかプライベートを充実させたいとか)を損ない、自分社会的評価を獲得することでもあっただろう。

 

そんな具合で、どの立場であっても加害性というのは多かれ少なかれ存在する。

にもかかわらず、twitternoteなんかで見かける、「自分絶対的被害者だ」と言わんばかりの未熟な主張を見ると共感性羞恥とやらを感じると同時に、社会悪を見た時のようなモヤモヤした気持ちがわいてくる。

私の日常にある似たもので言えば、会社の禿げた課長毎日鏡とにらめっこして、日本人なのにハゲててもクールナイスミドルですねという称賛を強要してくるのだが、そんなナルシズムと同じ気持ち悪さだ。

20代前半ならまだいい。あれぐらいの年頃は自分が一番かわいくて、自分が一番かわいそうだって思いたいものだ。

だけど40代主婦です!30代です!なんてプロフに書いている人が、誰にも言うことができなかった状況なの!

なんて錦の旗をブンブン振り回して自省をしない様を見ていると、彼女らが苦労するのはある種自業自得だと思ってしまう。

ちょっと前にはてなで本当にヤバイ奴らは風俗などですらセーフティーネットにかからないって書いていたけど、

まさにそういう人たちはたくさん存在して、ほんの少しの画力表現力が添加されているだけで、人間性としてはあまり関わりたくない、そんな人々たちが犇めいているんだなあと思うと、

やっぱり社会はまだまだまだ不条理で生きづらいんだろうなと、明日の出社準備をしながら悲しくなってしまった。

いや、この悲しさは明日出社しなくちゃいけないという憂鬱由来が8割だな。

憂鬱からこそどうでもいいことを嘆いてモヤモヤしているだけなんだろう。歯磨いて寝るわ。

 

追記偏差値40くらいの弱者

思ったより見てもらえてびっくりしている。

が、寝る前に勢いで書いたのでところどころ雑だなあと我ながら恥ずかしくなった。

ラブレター書いて朝起きて見返して赤面するのと同じ感覚だ笑

さて、私はたぶん絶対的弱者ではなくて偏差値で言えば40くらいの弱者だと思う。

記事中では自身絶対的弱者だと主張していないのだが、ブコメを見るに私は強者だということになっているので、

弱者というポジションに対する規範の狭さたるや。

せっかくなので、私の記事を見てもやっとしたり、攻撃されているという気分になった同じ偏差値40くらいの弱者の人にアドバイスがしたい

私は弱者を克服してはいないのだが、個人的感覚としてはだいぶ生きやすくなった

未だに人が多い食堂は利用できないし、バス電車に乗ると定期的に気持ち悪くなって降りてしま後遺症があってもだ。

不便ではあるが絶対的な不幸ではなくなった。

ここでいう偏差値40とは、本人の自己研鑽主観的な生きやすさが偏差値48~52くらいには上げることができる人を指したい

弱者の中にも努力でどうしようもならない人もいるし、努力をすればある程度は不便が解消される人もいる。

努力をすれば生きやすくなるのに、絶対的弱者に落ち込むことで努力をしない状態自分を固定してしまう人もいるだろう

だけど、最近の風潮としては弱者努力要求することはご法度だ。

その中にはそれでこそ生きにくさを解消できる人も大勢いるとしても。

弱者に甘んじるということは、一般の人から見ると権力行使としてとらえられる。

弱者である代わりに相応の規範要求される。

それはそれで生きにくいし、なんなら属性を明かさない方が生きやすい人も多いだろう

絶対的弱者になろうとした時期もあった。

けど、絶対的弱者椅子取りゲームのようなもので、そこでも目に見えない戦いがある

また、人は遠くの石油王より、身近な時給が100円高い人に憎悪がわくものだ。

弱者を少しばかり克服して、医者から薬が必要ないことを仲間に告げたときに、

陰でいろいろ噂を流されたり露骨嫌がらせをされたり人格否定をされたりと、

そこはそこでいいものでもないのだ。楽園なんてない。

からこそ、最近の風潮ではマチズモレッテルを貼られて見向きもされないかもしれないけど、

気持ち悪い話し方だと言われたら3日坊主を何回も繰り返して話し方を改善したり、

挙動おかしいと言われたら自分を録画したりして改善して、

生きやすくなった私のような例も示したいのだ。

もちろん、疲れた時に毒を吐くのもいいし、感情的になるのも大切なこと

だけど、研鑽でのみ救われるタイプ弱者はそれに加えて自省内省必要なのだ

だれもそのことは表で言わない。今なら袋叩きになるだけだから

そして、弱者自分の身を立てることだけを考えて、絶対的弱者に近づいてはいけない。

上述の通り足の引っ張りあい存在するし、何しろそこで他人配慮している余裕なんてないのだ。

同情している健康な人たちは、気持ちを注ぐことである種の消費をしているものだ。

内省自省の心がないと自己研鑽という選択にたどり着きにくい。

加えて、それを心得るだけで、ある種の人からは好かれるようになるのでオススメだ。彼らはいい人が多いので、少しばかり繋がることで本当に生きやすくなる。

 

こんな感じで、私は病名がつく障害を持っていて、

非正規低所得独身でも弱者の中の強者らしいので、強者強者らしく振舞いたいと思う。

自己憐憫はなるべく使い捨てて、性欲と同じようなものだと割り切って、

すこしスッキリしたら努力をするしかないのだ。

それだけが弱者ができる唯一の社会への復讐なんだ。

anond:20200621181060

貴方政治家になる権利行使するのを誰も止めてないんだけど

2020-06-19

anond:20200619192952

まあ暴力行使する力を備えている組織体がコアにならないと体制制圧を完遂できるクーデターなんて起こせないわけだから

まず暴力団は国体とズブズブだからむしろクーデター抑止勢力だし、

自衛隊もまあなんというか統制取れてるから向こう四半世紀くらいは暴れることは無さそうだし、

さすがに地方警察が国に楯突くってのも考えづらいし、

まあ最近調子乗ってる半グレ連中がチャイナマネーをもらってYoutubeやらtiktokやらSNSを駆使しながら扇動を始めるくらいしか思いつかないな

でも米帝さまは日本国内チャイナ勢力拡大監視にはわりと神経質ですぐ検察に芽を摘ませ続けてきた歴史があるから、そのへんが変わってこないとなんともいえんよな。ちょっとアメリカ国内で手一杯な感じで潮目が変わりそうな気もするけど2年もすれば持ち直すだろ。さすがにトランプは2期目なさそうだし

2020-06-18

前の選挙で誰に投票たかなんて覚えてない

10年前に投票できるようになってから選挙権行使しなかったことはないが、毎回投票日の朝に候補者一覧をみて誰に入れるか決めてる。

選挙活動中の発言は耳触りがいいだけで信用できないし、掲げている公約とか所属の党とか応援してる政治家とか、出身履歴とかしかみてない。

当日の朝に、出身校をみるに弱者への共感が弱そうだとか、福祉によりすぎてて現実的でないとか、ただの街の狂人枠だとかを感じ取って決めてる。

人が誰に多く入れそうだというのも考えるけど、深く考えすぎてもわからいから、基本的にはその場の直感けが頼りだ。

どの候補ダメそうなのでバランスをとるために対抗馬っぽい人を選ぶこともあるし、

どの候補ダメそうなので比較的マシそうなメインストリームの人に入れることもある。

そんな感じだから投票した人が誰だったか、夜の20時にNHK自民党勝利! のクソデカテロップを表示したらもうどうでもよくなるし、

夜に用事があったときは結果すら見ないでそのまま日常に戻る場合もある。

政治的信念がないまま選挙に行ってるので、単に若年層の投票率を上げる統計の一項目に貢献するだけの行為になっていることは否めない。

唯一投票した相手を覚えているのは、後藤輝樹だ。

政見放送話題になって知った口ではあるけれども、あれを見たときにこの人は現代アートであるなあと思った。

政治舞台芸術活動(?)をするというと、おそらく多くの善良な市民が眉をしかめるだろうが、

自分芸術という行為市民という概念よりも先行する場合がありうると思っている、

というか先行できないとすれば芸術というものを想定する必要がないと思う人間であるので、

政治世界舞台芸術活動すること・できることは知的にも社会的にも人間的にも重要な行いのひとつであると思う。

また、後藤輝樹のあれが芸術であるとするのをよく思わない芸術畑の人もいると思うが、それに関しては反論しないけれども、しか芸術だと感じたのだからしかたない。

マック赤坂とかN国党とかを芸術とは感じなかったが、後藤輝樹には感じたんだからしかたない。

ともかく後藤輝樹の活動を支持したいなと当時思ったのである

後藤輝樹の活動にたいしてどのように支持することがベストなのかを考えた。

彼が芸術活動を行う場は政見放送であり、それをするのに必要活動費は供託金なのだから

供託金返還されるよう応援の一票を注ぐことが、最良の活動サポートの仕方となるだろう。

もちろん絶対当選しないという前提の下で。

そう考えて後藤輝樹に投票したことを覚えている。

果たして前回の後藤輝樹はそこまでの得票を得ずに終わっていたのだが、投票先を覚えている唯一の候補者となった。

今回も、他候補者がどれもパッとせず、後藤輝樹の活動の精彩さが失われておらず、絶対当選はしないという前提が揺るがなさそうな空気であれば、

後藤輝樹のサポートに私の一票は使われるだろう。

あるいは、今回は百合子でもいいかなっていうカンジ。

2020-06-15

オンラインポルノの飽和によって忘れられる速度が速くなった

若気の至り撮影してしまい、今になって身内友人バレを恐れている人にはいい傾向な気がする

こういう「忘れられる権利」の行使の仕方ってあるんだなぁ(遠い目

朝日新聞などが報道しているけど

東京アラートがどうのこうのはいいんだけど

法的根拠まで書いといてくれないと

記者はわかるんだろうけど

その東京アラートとなづけられた行為法的根拠

アラートじゃわからいか

XX法第何条第何項のなにをどう行使するかと注釈はいるよ

法的根拠もないのに、政治家が口走るわけないだろ!というのはそりゃそのとおりだからいいんだけど

わからん

マルチメディア展開で作者がやめた(休止した?)鬼滅がコラボイベント

DBなんかもそうだけど、最初のうちは鼻が高かろうが、

次第に作者不在の状態で延々と続編や他の作品が作られてゆく気分はいかがなもんだろう。

鳥山は嫌がって自分映画を監修し始めたし、

ヤマザキマリ佐藤秀峰映画化の際に作者が蔑ろにされていることを暴露した。

勝手自分のものが何年も他人のものになり続けるのは不快じゃないのだろうか。

やすい金で買い叩かれた挙げ句権利は全て持ってゆかれる。

著作人格権行使するしかないが、よほどの大御所じゃないと煙たがられる。

イラストレーター加藤直之さん

銀河英雄伝説メカニックデザインSFマガジンカルドセプトシリーズカードイラスト

著作人格権行使して権利自分に据え置いてるんだそう。

2020-06-09

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-06-07

大阪デモ宣伝した有名人について

今日大阪でのデモニュース

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200607/k10012461691000.html

やたら好意的ブコメが多くて違和感を覚える。

大勢で密集してコロナ感染拡大のリスクを避けるために、この2ヶ月間ライブイベントも、スポーツ観戦もすべて犠牲にして近畿地方コロナ患者を0近くまで抑え込んだのに何てことしてくれてんだよ。

日本人の命はどうでもいいのかよ。

こういうデモについて社会問題専門家でない芸能人スポーツ選手が政治的発言するのは自由だと思うよ。

だけど、有名人政治的発言をする自由があれば第三者批判する自由もあるべきだし、

無自覚に自らの影響力を行使して社会に悪影響が出たならバッシングされるリスクは背負うべき。

こういうキレイお題目があれば影響無視して何言ってもいいって考えはすげー腹立つ。

Twitterハッシュタグ広めたり、動画コメント弾幕アピールとかほかのやり方考えろっての。

anond:20200607122647

基本的にアンティファ団体ではなく代表もいない。故にオリジナル存在しない

から『思惑はどうであれ』アンティファの名の下に「どんな手段を使ってでもファシズムを撲滅する」を掲げてその手段行使するのなら、それは全てアンティファである

そういう戦い方を選んだのだから、彼らは上記を甘んじて受けるべき

2020-06-05

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.人を殺すのが駄目だという、屁理屈を教えてください。

これを理解するために必要な考え方は「自由共存」だ。

この自由共存物理的に不可能である

誰かの自由が、別の誰かの自由と相反するからだ。

こういった問題公的権力でもって調整することを、いわば「規制」という。

ここでいうならば、「殺す自由」と「生きる自由」の衝突だ。

そして「殺す自由」が規制されているのは「生きる自由」の方を公的に支持しているからだといえよう。

だが、ここに屁理屈を足すならば、「殺す自由」は「生きる自由侵害する行為であるのと同時に「生きる自由保障されていなければ行使できないもの」だからだ。

「生きる自由」が保障されていなければ「殺す自由」も行使できないが、「殺す自由は生きる自由侵害している」という矛盾が発生しているのである

今日思いついたにしては、我ながらそれっぽい理屈だな。

ちなみに、これがゲーム小説など架空キャラクターなら話は変わってくる。

その存在に生きる自由適用されていないので、殺す自由行使しても侵害にあたらないわけだ。

このように、自由行使侵害臨機応変と手前勝手狭間で使い分けるのが、現代社会ノブレスブリージュである

もちろん昔の私のように、「そんなこと気にしてられるか」と考えている人間もいるが。

やらなきゃ、こっちがやられる。

Q.では近年の某ゲーム規制も、そういった自由の衝突中に、何らかの矛盾があるから踏み切ったのでしょうか。

いや、あれは単なる勇み足だ。

何かを規制するために権力が介入するのは原則として避けるべきだ。

なぜなら特定自由が、実際どのような、どの程度の損益があり、そして他の自由をどれくらい侵害しているか勘定しきれないからだ。

にも関わらず、それを「声の大きな人」や「多数決」などの権力闘争で決めてしまうのは前時代的だろう?

あれの場合、そういったプロセスすら杜撰から批判されているわけだが。

今回、学ぶべき教訓は「民意に沿っていなくても法は法。だが言い包められる程度の屁理屈すら捏ねられないならば、それは秩序として破綻している」といったところだ。

まあ私が政治家ならルールを作る前に、まずは民意画一的にできるよう支配するところから始めるかな。

2020-06-04

デモとか政治活動とか

昨日会社で帰休の話が出た。

当面給料半額、週休4日。

勉強しながらUberで日銭稼ぐだろうけど、それでも結構時間が作れるはずだ。

政治活動してみようかな。

興味のあるデモがあったらふらっと参加してみようかなと思ってる。

ずーっと選挙権なんて行使してなかったけど、そういう政治に対する無関心さが今のあれに繋がってるのかと思うと後悔もある。

別に遅すぎるということはない。選挙に行く、政治的な発言を恥ずかしがらずにする、(場合によっては)デモに行くって大事なのかもな。

2020-06-03

クソ会社有給消化も認めないらしい

退職したい、その前に有給消化させろと言ったら有給捨てるように誘導してくるんだけど

周りの迷惑を考えろ!だって

周りからずっと迷惑かけられてたのはこっちだよ

ブラックで取れなかったから40日近くあるんだが

2ヶ月近くの給料捨てろというのか?

法律上あれだけ変更できないと言われてるのにこんなこともわからないのか?

訴訟起こされて負け続けてるくせに

有給取ります、と宣言して退職行使ってばっくれようかな

2020-05-31

岡村さんと箕輪さんの違いは、相手にしている顧客の違い

岡村さんは芸能人から、万人に好かれなければいけない。

実際の岡村さんがどういう人であろうと、岡村さんを出すと世間のウケが悪い、と思われると仕事が来なくなる。

から岡村さんを使うとこういうクレームが来るよ、という行動を誰かが起こすことは明確にダメージになる。

一方の箕輪さんは、月額5940円のサロン収入がメインの人だ。

税抜5400円の月会員が1520人。

プラットフォーム手数料20%あるとしても、年間の売上は8000万円弱になる。

ちょっと前までは一介のサラリーマン編集者だった身分からすれば、この売上は圧倒的な権力だ。

これだけの権力があれば、世間から何を言われようとどうでもいいし、箕輪さんを目指したいと考える人間が山ほどいてもおかしくはない。

いい大学に通い、真面目にビジネス書を読んでMBAを取っても日系サラリーマンじゃ年収2000~3000万円が到達点。

それからすると、起業して成功したわけでもないのに年収1億というのは夢がある。

箕輪さんはそういう夢を売っているから、この権力絶対に維持しなければならない。

すると、発信は当然内輪向けになる。

内輪からの支持を失わないことに力点が置かれる。

から箕輪さんとしては、あんなのはしたことない、今まで通り俺についてこいと言うしかない。

たとえ世間からの支持を全く得られないとわかっていても、持論を貫くことが箕輪さんの利にかなう

これは共産党社民党が未だに議席を保持し続けていることに似ているかもしれない。

そう考えると、ネットは無力だ。

ネットで皆が箕輪さんにどれだけの非難を浴びせようとも、実数わずか1520しかいない箕輪さんの強固な支持者は離れないだろう。

箕輪さんがどういう人であるのかは少し調べればなんとなくわかるのだから、ここで離れるなら既に会員にはなっていないわけで、現在会員の人がこの程度のことで動じるとは到底思えない。

そして下手をすれば、この騒動で初めて箕輪さんを知り、そういう箕輪さんのスタイルを見て新たに会員になる人が出てくる可能性がある。

まり、今回のような騒動が起きたところで、実際の箕輪さんの権力は維持されるかむしろ増大の方向に動く。

文春で炎上して100万人の単位で人目に触れれば、その0.01%が会員になるだけでも箕輪さんの権力の源泉たる年間売上は500万円も増えてしまうのだ。

そしてそれを見た一部の人間は、やはり箕輪さんのようにやりたいように生きることが正しいのだと思うのだろう。

残念ながら、これから社会では箕輪さんの如き生き方をする人を制止することはできない。

ネットが影響力を行使できるのは、岡村さんのような旧来的な価値観の中で生かされている人に留まるというのは、なんとも皮肉な話ではないか

2020-05-24

SNS交通道路に例えるならその運転免許は何なの?

ある芸能人自身noteSNS法規制を求める内容を記載してた。

そこに挙げられていた例えに「交通事故を起こした運転手免停になる」というものがあった。

まり彼はSNS交通道路見立て著名人誹謗中傷リプライを送るアンチ交通事故加害者見立てていることになる。

ここで高卒ニート24歳の俺に1つの疑問が生じた。

――SNSにおける運転免許って何だろう?

暫く考えてみたが自分には適当存在が思い当たらなかった。

ネットでは古くからネチケットと呼ばれる公共マナー提唱されているが、これは人によって定義が異なる抽象的な概念だし、個別具体的な行為規定してるわけでもなく、ネチケットを広く包摂する法律存在しない。

限りなく妥当に近いのはSNS利用規約だろうかと思ったが、例えばTwitter利用規約にはこの様な一文がある。

――利用者は、本サービスの利用により、不快有害不正確あるいは不適切コンテンツ、または場合によっては、不当表示されている投稿またはその他欺瞞的な投稿に接する可能性があることを、理解しているものします。

字義通りに素直に解釈すれば、TwitterユーザーTwitterを利用することでいわゆる″アンチ″ の投稿によって不快な思いを受ける可能性さえも理解して利用すべき、となる。

仮にこれをSNS(この場合Twitter)の運転免許とした場合、「アンチ行為をしたユーザーからSNS発言権を奪うべきである」と唱えるユーザーから言動免許所持者として適切な言動と言えるのだろうか?

もちろんTwitter利用規約に関して言えば

―― 当社は、Twitterユーザー契約違反しているコンテンツ著作権もしくは商標侵害その他の知的財産不正利用、なりすまし不法行為または嫌がらせ等)を削除する権利留保します。

という一文も記載されており、具体的には各々のユーザーが「このツイート/アカウントユーザー契約違反している」と考え運営に報告し、その都度Twitterの各種ポリシーに照らして個別具体的に判断されて、仮に違反が認められた場合にはアカウントの凍結等々の判断が為される、というプロセスになる。

ちなみにTwitterユーザーなら既知の事実だと思うが運営判断杓子定規的ではなく現状ケースバイケースでかなり判断に幅のある恣意的ものになっていると思う。

なので仮に運営判断運営免許とすると運営に尋ねるまではユーザー免許の所持/不所持が判然としないシュレディンガー運転免許になってしまうのではないだろうか。

そして当然のことではあるが、仮に利用上でユーザーによる触法行為が行われた場合には、それこそユーザーの報告やTwitter運営如何に依らず捜査機関による捜査逮捕起訴等が行われることもあり得るわけで、このケースを例に準えるとSNS運転免許違反ではなく日本国運転免許違反妥当するのだろう。

正直な気持ちを書くと俺はSNS法規制を与えるべきではないと思う。

名誉毀損著作権侵害児童ポルノ投稿等の触法行為に関してはこれまで通り国内法で対処可能であるし、個別具体的な暴言等の″マナー違反″に関しても運営に報告してその判断を仰ぐプロセスが用意されているわけで、仮に運営裁定に納得がいかなければSNSの利用を停止する自由もあるわけである

SNSの利用が強制されたものでない以上始める自由も辞める自由行使できるわけである

自分にとって気に入らないSNSを取り巻く環境法規制を求めるのは自由だが俺は上記理由から全く賛同できない。

なおメディアを賑わせている自死された女子プロレスラーの方に関して書けば、彼女は出演されていた番組プログラム犠牲者なのではないかと思う。

リアリティショーだか何だか知らないが生放送でない以上当然事後に編集が加えられているわけで、そのことを思えば脚本台本が全く用意されていないとも考え難く、言うなれば彼女製作陣の指示に従って喜怒哀楽の演技をしていたら視聴者から嫌われ悪辣言葉を投げかけられて精神病み死を選んでしまったリアリティショーの犠牲者なのではないか、と思う。

赤の他人どの面下げて冥福を祈るんだ?という従前からの疑問があるので「ご冥福祈ります」と書くのは気が退けるが、一方で強い社会規範に締め付けられているのが俺という人間なので、ここは素直に「ご冥福祈ります」と書き込ませて頂く。

当たり前だが本当に死者の冥福を祈る気持ちはある。

俺は死者を差別しないポリシーなので麻原彰晃の死にも同様に冥福を祈ったわけで、木村花さんのご冥福祈ります

有名税とは何なのか?有名人特権階級

有名人へのネット上での誹謗中傷問題が取り上げられていますが、その中でよく出てくるのが「有名税」です。

税の取り立てが適正かどうかはひとまず置いておきますが、そもそも何に対する税なのか?


そうですね、知名度利益につなげていることに対する副作用のことを一般的有名税と呼んでいるのだと思います

しか知名度利益につなげることそのものは何らおかしなことではないことです。なのになぜ税が発生するのか。

一番言われがちなのが嫉妬とかそういうもので、それは確かにその通りではあると思いますが、全部ではないと思います

一番大きいのは何よりも有名人特権階級からだということでしょう。


いやいや特権なんか何もないよと言われるかもしれませんが、あります。というか、ありました。

インターネット以前の時代では、情報発信メディアから一方通行でした。

まりメディア発言できる有名人けが意見を発信できる特権を持っていたのです。

この時代に置いて、有名人は紛れもなく特権階級でした。

有名人一方的かつ当たり前のように特権行使し、一般人は何を言われてもそれを黙って聞くしかない。

ここから発生する反発作用がいわゆる有名税と言えるでしょう。


インターネットSNSが発展した現在では、この旧来から有名人特権比較的小さなものになっています。(ただしゼロではありません。)

しかし、長年蓄積された「特権行使」に対する鬱積は簡単になくなるものではありません。

SNS時代に叩かれがちな有名人は、特権権力行使を当然だと思っている世代の人が多いですね。


そしてもちろん、SNS時代にはSNS時代特権行使というものがあります

例えばツイッターではフォロワーという数字がありますが、これは影響力に直結します。

フォロワーの多さがメディア支配力になってくるわけです。フォロワーが多ければ多いほど、その権力行使できます

そんな権力はないと言う人もいるでしょうが、それは無意識化の権力行使にすぎません。

有名人政治的発言最近話題でしたが、もし一般人と同じように匿名であっても同じ影響力だったでしょうか?

有名人は高い影響力という権力を間違いなく持っています。ここを否定するのは真摯ではありません。


このいわゆる有名税知名度(=メディア権力)にかかってくるもの収入にかかってくるものではないのが有名人にとっては辛いものしょうが

そもそも知名度収入につなげられないのは当人マネジメント問題なので権力行使される側には関係のないことです。


権力行使したぶん、反発を受けるのは当然です。

なぜ自分たちが逃げないといけないのかと言ってる有名人もいますが、一般人と同じように匿名アカウントを作っていれば誰も何も言わないでしょう。

一般人と異なる権力行使自分意思で行っている。これがまぎれもない事実なのです。


ただし、それはそれとして相手有名人だろうが一般人だろうが違法行為違法行為です。

違法行為はやめましょう。それだけの話です。

有名税という概念が、相手有名人なら許されるという勘違いを生んでいるならそれは間違いというのも大事なことです。

有名税適法範囲内で徴収しましょう。また、有名人特権も適切に行使しましょう。

適度に憎しみ合ってちょうどいい空間しましょう。

つくづく首相にはなりたくないもんだな

毎日新聞世論調査によると首相支持率が急落しているそうで、つくづく首相にはなりたくないもんだな、とそう思った。

他の政策賛否はともかくとして、目下の最大の問題である新型コロナウイルス防疫政策についてもっと成功しているのは日本だろう。

にもかかわらず、首相仕事というもの民衆賞賛という形では報いられてはいない。

なぜ、日本政策が最も成功していると言えるか?

それは二つの厳然たる客観的事実によって裏付けられる。

一つは死者数の少なさと、今一つは我々の市民自由への当局による制約が事実上一つもないということだ。

この二つを同時に達成した国は、他に一つもない。

なぜこの二つに注目するべきか?当たり前すぎるかも知れないが一応振り返っておく。

まず、死者数。

感染しようがしまいが、結局は命を救うのがもっと重要だろう。

苦しい病気にかかりたくはないが、死ぬよりはいいし、感染しても症状がでないまま終わるのなら免疫ができるわけでかからないよりもいいかも知れない。出歩かれても困るが。

ちなみに超過死亡という概念もあり、国際的比較にはこちらの方が有効だという議論もある。

この指数で見ても日本の状況は、諸外国比較して優れていると言える。

第一、「真の感染者数」など把握している国は一つもない。

市民自由への制約。

もちろん、経済重要だ。だが、経済のために自由人権無視して良いのか?そうではあるまい。

市民自由は我々の自由経済がよって立つ基盤だろう。

我々は今日自粛」によってさまざまに不便な生活をしている。

これは政府命令されたからではない。

我々の一人ひとりが自発的にさまざまな自由行使を控えているのだ。

自粛警察とか同調圧力かいうのは瑣末な問題で、諸外国にもあるものだし、そもそも当局による行為ではない以上、政府による直接的自由の制約とは言えない。

緊急事態宣言にともなってそれらが生じたとは言えるかもしれないが、それは間接的なものであるし、ならば間接的な制約と直接的な制約でどちらが政府による自由への干渉の程度が大きいか?問うまでもない。

もちろん「自粛警察」による他者権利侵害非難されるべきものだが、実際にそれは本物の警察によって取り締まられている。

日本政府がここまでに行った国民に対する矯正措置はなにか?

マスク転売禁止と、医療機関へ分配するためのマスク供給業者から強制買上げ。

これらも市民自由への干渉と言えば干渉なのだが、例えばフランスのように理由のない外出を禁じる(移動の自由への明白な制約)と言った強硬ものとは程遠い。

ましてや一個の都市からの移動の手段を完全に封じるとか、スマホアプリインストールさせて接触者を全部特定させるとか、「検査拒否罪」で強制的にPCR検査を受けさせるというものではない。

日本以外の国で防疫に成功している国は、どこも市民自由をかなり大胆に犠牲にしている。

生命市民自由経済、これらは三つとも重要だが、少なくとも生命市民自由を守るという点でもっと成功したのは日本だ。

経済への影響は、どこの国もまだどの程度のものになるかは分からない。

ならば現時点では、日本のCovid-19対策こそが自由世界の模範であろう。少なくとも現時点では。

強調しておくべき義務を感じるが、日本成功は「市民自由犠牲にしないCovid-19防疫は可能である」ことを示す重要証拠だ。

では、我々の対策を何が支えていたか

自粛」というのは社会的かつ自発的行為なので、その主体は我々一人ひとりの国民だ。

我々の政府選択は「社会における接触を8割減らす」という専門家会議方針バカと言われようがアホと言われようがほぼ「国民への呼びかけ」のみで実現することだった。

そしてそれは成功した。

政治は我々の社会が育んできた専門知を信頼し、愚直にそれを実行した。

その途上で、俗悪なメディアに煽られた民衆PCR検査実施拡大を求めたが、首相は拡大するとは言ったものののらりくらりと躱してきた。

こんなものを真面目にやっていたら(おそらくはできたろうが)本当に医療システム崩壊していたろう。

さて、私が首相だったらと考えてみる。

なにをしていただろうか?

PCR検査を増やすとは言わなかったとは思う。足りないから増やせという発想ではシステムの別の部分を壊すことがあることを職業上よく知っているからだ。ただ、記者低俗ワイドショーを口汚く罵って舌禍を起こしていたことだろう。

マスクは配ったと思う。暇でバカ痴呆老人がやることが無いから街からマスクがなくなっている。あいつらに我慢させるためにとりあえずばら撒いたるわ。だがやはり舌禍を起こしていたことだろう。

経済について私は何をしていただろうか?少なくとも手続きが面倒だとかなんだとかっていう連中には「お前ら、その金が必要ってことは仕事がないってことだろ。面倒でもやる時間くらいあるだろ。忙しくてやる暇ないなら商売繁盛結構なことだ」と煽ってやはり舌禍だ。

2020-05-23

anond:20200523004850

典型例を想像して書いたからだろうが、違和感がいくつか。

中高をひとまとめにしてるが、公立中学進学校では居心地は全然違うはず。

公立中学はかなり下層の民まで一緒なので基本は修羅世界

進学校でも上位10%ならそこそこ優秀。とはいえ東大医学科には手が届かない。

名大学とぼかしてるが旧帝と東京私立じゃ全然違う。

地方中流家庭から東京私立結構つらい。

研究室って言うからには理系文系ならゼミと呼ぶ場合が多い。

サークル学業より先に来る時点でエリート層ではない。

理系なら就活はそんなに頑張らなくてもいろいろ内定もらえるはず。

そのまま大手企業というのは世間体なのか親の喜ぶ顔なのかわからんが、流されて選択権を行使しなかった。

どうせ風俗童貞捨てるなら大学時代に捨てておけば、早く次のステップに進めたはず。エロを極めるにしてもエロを捨てるにしても。

何がいいたいかというと、肝心なところで突き抜けたものがないんだ。

クラスメイトを逆転するなんて無理無理。

子供のころからボケーっとしてると言われてなかったか

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