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はてなキーワード: 高等学校卒業程度認定試験とは

2024-04-05

anond:20240405001829

かいことだけど今はもう大検大学入学資格検定)はなくなって、高卒認定高等学校卒業程度認定試験)になってる。

大検大学入学のための資格だったのに対して高卒認定高卒必要な各種資格専門学校にも対応したもの

年に2回8月11月試験があって、ちょうど4月1日から8月受験の出願が始まっている。

2020-06-25

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1548212

ポリコレ持ち出してる人までいて

子育てにも日本義務教育にもポリティカル・コレクトネスは何も関係ないでしょうがシアトルまで出向いたらポリコレ棒で頭でも殴られたのか?

他もここまで極端でないにしろ勘違いしてる人が多いので書いた。

まず法令の話でいうと

親の「義務違反であるかどうかでいえばこの親は義務違反だ。

ただし罰則を実行するかどうかは自治体に広範な裁量があるし、就学させる義務違反することに刑事罰は無い。

就学させる義務

納税の義務

勤労の義務

に並んで憲法に明文化された義務の一つであり

「三大義務」と呼ばれる

でも勤労の義務行使できてない人いっぱいおるやろ?

そう日中からブコメしてるお前らの事だよ

でもだからといって勤労義務違反しても刑罰ねえだろ?そういうことだよ。

以下ブコメから気になったやつを抜粋

親がどうにかしろってコメあるが、義務があるのは親だけじゃなくて、日本大人全てだよね?

からっぽのほうが夢は詰め込めるけど

日本大人全てにそんな義務はありません

から怖がらず地に足をつけて大人になろうな

義務教育相当」の教育を与えれば親の義務は果たされるはずなので、方法学校に限られない。

令和2年時点の日本ではNG

憲法で定める「普通教育」の範囲学校教育法で規定されており、一条校での教育に限る。

ただしICESCR第13条は学校に限ってはいない

また学校教育法は憲法と違って今までに何回も改正されているから、今後改正されんじゃねーの?

しかし、令和2年時点の日本ではやっぱりNG

なお余談だが、日本はICESCR第13条に留保をつけていて、高等教育を受ける機会均等と無償教育の漸進的導入がいまだ未実施

ただし民主党がここに関しては留保撤回済みで 自民党でも国として一度留保撤回したものもとに戻せない(韓国ならやるかもしれんが)

からといって出世払いという借金制度を「高等教育無償化」と言い出した自民党には呆れるばかりである

一応注釈をつけておくとICESCRでいう高等教育大学のことです。高校じゃないよ。

次、親の有する教育権、つまり子供教育を決定する権利の中に

「親の思う教育を施す権利」は一部しか認められていない

例えば親がナチスドンハマりしている人で

ナチス最高」という教育を受けさせたい!

とほざいて子供義務教育をさぼらせ、教育を施す場合子供学習権を保障できなくなるね、だから全面的」な教育権を親には認めていない。

他方、国や地方団体教師にも全面的教育権は認めていない、それぞれに一定権利がある、としている。

まりは親に義務教育"相当"の教育で十分とする権限は認められていない。

なお日本語を読み慣れてない人が

ナチス教育義務教育相当なわけないww」とか言い出しそうだが

線引問題はこの話の本質じゃないから大多数がNGとするであろうレベルを例にしているんだぞ

どんな教育法であれ親の考える教育子供学習権を侵害しないとされるか、合理的方法立法されていない、18歳時に高等学校卒業程度認定試験合格できりゃいいんじゃねえの?ならナチス万歳教育だって高卒認定取れるならOKなっちゃうだろ。いいのかそれで?そして繰り返すがこの点は話の肝じゃありません。

教育義務というのは小学校へ行かせる義務という意味なのかしらん

憲法26条を具体化した学校教育法で以下の通り定める。

第十六条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。

第十七条 保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校義務教育学校前期課程又は特別支援学校小学部に就学させる義務を負う

これは大事な指摘で

法令上は小学校に行かせる義務であっている

だが法の精神が唱えるところには足りていない

来させる義務を果たすのであれば叱るのではなく環境改善なりやることやってって話でいいのかな。

コメの中でこれが一番正しい。
子供には学習権を基にした国、教師地方自治体、そしてなによりも親に対して自分学習権の保障要求する権利がある。

子供学習権の保障は「第一義的に親」が行うことになっている、なのでまずは親に要求するのが子の通すべき筋であり、応えるのが親の義務でもある。

もちろん親からさら地方自治体や国に要求するのも権利関係としては正しい、正しいだけで現実的な解は別だけどね

ついでに学習権の要求ができるまで学習権について深く理解自己尊厳を守るための意識発達が行われたならその子供は褒め上げてあげるべきだし、みんなに自慢して良いと思う。

しかしながら「子供には就学する義務は無い」程度の浅薄をほめれるやつがブクマカに多数いて、おつむが中学生と同レベルな事はかわいそうに思うが、義務教育は年齢で区切られているからもう手遅れなんで勤労と納税の義務をはたせよと思うばかりである


最後自分の考えを書いておく

ユネスコ学習宣言

http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/unescogakushuuken.pdf

この中でも謳っている通り

学習権なくしては、人間的発達はありえない。

親の義務とは何か?就学義務なのか?と言われれば法令上はそうなる、あってる。

しかしながら、条約や法の精神が求めるところはそれでは足りていない

戦前ジュネーブ児童権利に関する宣言が行われ

児童は、身体的ならびに精神的の両面における正常な発達に必要な諸手段を与えられなければならない。

と謳った

第1条である

その具体的な権利の一つとして「学習権」が子供に認められた、だからこそICESCR 第13条にはこう書かれる。

教育についての権利教育人格の完成及び人格尊厳についての意識の十分な発達を指向し、人権基本的自由尊重を強化すること。

学習権とは人間的発達のために必要ものであり、自分が唯一無二の人であること、それと同じくらいに他者も唯一無二の人である、そのように世界認識するために必要ものだ。

BLMもそうだし男女の殴り合いもそうだが、自らの人権相手人権を守ることができる人間を増やすことが今、世界の抱える病魔を解決するための道だろう?そのためにも必要ものの一つが学習権なわけだ。

そして「権利」とは「環境」があってこそ初めて実質的意味もつ。絵に書いた餅じゃなくなる。

例えばこの世に男子校しかないのに「子女には学習権がある」なんて謳って終わりにしてたら絵餅だろ?

他の権利も全てそう、

コロナ対策で君たちには10万円受け取る権利をあげよう!ただし実施がいつかは決めていない、私の気持ち次第でそれは明日かもしれないし100年後かもしれない

とか言い出したら、なるほどボケてんのか、ってなるだろ。

ついに大麻合法化!!!

ただし国内での販売禁止するし国内での譲渡禁止国内での栽培禁止海外から持ち込むことも禁止

ってなってたらそれは実質禁止とかわらんだろ?

自由権であろうと社会権であろうと、「権利」を行使できる「環境」を整える事が「権利保障」であり、環境を奪っておきながら「お前にも権利はある」って言っちゃう人、自分学習権の行使できなかったんだねーって思うわ、可哀想なので哀れんであげる。

さてそういうわけで

権利」は「環境」がなければ何の意味もないんだ

まり「親の義務」として日本憲法でも義務化されているものとは法令上は確かに就学させる義務だ、

しかしながら、人類普遍法則である人権日本憲法要求する義務とは「子供学習権を十全に行使できる環境を整える事」であり

それこそが日本憲法に「三大義務」の一つして規定されている「親の義務である

2019-09-17

ファンは黙してBSBのインスタをフォローしろ

私の10代は「相葉くんと結婚できないこの人生とは」という苦悩と共にあった。

相葉くんがこんなに好きなのに、今までの彼氏は全員相葉くんより好きになれないというのに、テレビをつければ(当時はマジ売れてなくて深夜番組ばかりだったが)こんなに明るく私に笑いかけてくれるのに。話もできない、ましてや友達にもなれず恋人にもなれないなんて…。と、ものすごく絶望していた。10最後の2年間はほぼ引きこもりのような生活(認知症が始まったおばあちゃんヒモ)をしていたけど、その間は嵐のDVDを見すぎてMCリップシンクができるようになっていた。オタ友がいないので、善意高等学校卒業程度認定試験勉強を教えてくれている幼なじみに向かってバーミヤン喫煙席で嵐のモノマネ疲労し続ける日々。不安感で眠れない夜は、私と相葉くんが恋人同士の次元思考飛ばしてなんとか乗り切った。その次元では嵐のメンバーが私と相葉くんのリレーションシップを多大に祝福してくれていた。

そんな日々は専門学校に受かり、私が実際に触れる距離人物に恋することで終わりを告げる。ちょうど東日本大震災の直後、私は担当が「頑張ろう、ニッポン!」とか言いながら君が代かの如く日本の幻影のような郷里への思いを紅白で歌いあげる(もはや日本中が知っているが相葉くんは歌が下手)ことに耐えられなかったこともあり、自然相葉くんと私の蜜月は終了を迎えた。

その後、嵐は国民スター地位を確固たるものにしていく。本当に「見ない日はない」そんなスターになった。その昔24時間テレビ相葉くんが涙ながらに語った「みんなでトップになろう」の夢は叶ったように見える。

相葉くんは、嵐は、私の水様便かのごとくグズついた脆い10代を完璧に生き延びさせてくれた最高の恩人だ。身の回りで実際に迷惑をかけた親類友人知人と同じくらい感謝している。

活動停止の発表にはびっくりしたけど、それよりひとりも欠けずに20年もやってくれたことへのありがたみがすごい。

長いな。標題の件だ。ジャニーズ所属するタレント結婚を主とした「個人選択」のタイミング事務所コントロールされたりしてんじゃねーか?ってことは、ファンだけではなく世間の人も感じているだろう(もちろん私はパンピーなので事実は知らない)。

会社にとって所属タレント人材であり商品だろうか。“商品価値”が下がるようなことはして欲しくないと思うのは、まあイカレポンチの発想だし恐怖だが、そうなんだろう。

だがファンは違うだろう。ファンは、いやファンじゃなくてもだけど、ことさらファンは彼らの人生に口を出してはいけないだろう。誰と結婚するか、いくらの家を買うか、どんな今後を選ぶか、好き勝手言うのはあまりに格好悪いだろう。

その窮屈さが、嵐に活動停止を選ばせたとは思わないのか。その窮屈さは、翻って発言した自分ボコしてくるのではないか。「誰と結婚するか、いくらの家を買うか、どんな今後を選ぶか」。例えばそれは常連お客様に、営業先の顧客に、口出しされることか?

推し担当の熱愛が許せない人にオススメなのはバックスリートボーイズメンバーが開設しているインスタグラムアカウントフォローすることだ。もちろん文化圏が違って、ものすごくカップル文化の国の話だからそこはまた事情が違うとは思う。だがしかし、彼らは自分アカウント子ども写真を載せ成長を喜び、パートナーへの感謝を述べ、メンバーとの2ショット写真ポストしてくれる。

もちろんパートナー子ども写真を見せろ!と言う話ではない。彼らの歌や言葉人生が明るくなったり肯定されたのであれば、ファンは「口出さない」と言う方法で彼らの人生にせめて闇を落とさないことができる。嵐に幸あれ。愛してる。

2018-01-19

anond:20180115013925

昼間定時制高校はどう?

私の通っていた昼間定時制はこんな感じでした。

・通ってる人は、不登校だった人、高校をやめた人、スポーツ選手になろうとして高校に行かなかったが怪我等でリタイアした人。

・年齢層は15歳~22歳くらいが多かった。

単位制だった。好きな授業を大学のように自分で決めて学習できる。

時間割自由に組めたため、週4で通い、週3でフルタイムバイトすることができた。

文化祭運動会はなかった。修学旅行任意で参加率10%程度。

定時制なので大学入学資格検定(今はなく高等学校卒業程度認定試験に変わっている)を受験することが出来た。

大検合格科目を高校単位に読み替えできたし、高校単位大検免除科目とすることも出来た。

・昼間通えるので、夜時給の高い仕事ができた。

・男女比率とんとん結構可愛い子も多かったし、イケメンも多かった。もちろんアキバ系も。

運動部は1,2勝すれば全国大会へ行ける世界

・私から見てもバカが多かった。英語アルファベット26文字書く授業から。なお、書けない人もいる・・・

・それでも、数学3Cとか、保育とか、商業工業プログラミングなどなど、特化したければ難易度の高い授業も取れるし、その授業に来る生徒はガチで頭いい。

・3年間で卒業できる(大体の定時制は4年)

願書は余裕で間に合うよ。

でも、君、高校卒業してるんだよね。

はっきり言って大学のほうが楽しいぞw

俺は22歳で入学したし、大学2回目という人も同期にいた。

年齢隠してなかったけど、年齢を知ると、ストレート大学へ来てる人たちは急に敬語になるし、

先輩ですら、敬語になったりするものから必要なければ言わないようになった。

合コンしまくったし、いろんなイベントサークルに顔出したし。

そんでもって、高校時代とは違って、みんな頭いいんだよな。

高校と違って、今から大学受験とか、手遅れ感あるし、

いい大学狙えなさそうだから、1年予備校いくとか。

私は2回目の高校休学して、1年予備校通って、大検使って大学進んだけど、

1年で中高6年分の勉強は大変だったけど、予備校前と大学入学後の学力は段違い。

21歳も22歳も変わらないし、一度真面目に学力上げて、できるだけ上の大学狙ってみるのもいいと思うよ。

正直、大卒ってだけで、日本じゃ大分楽になれるからどこでもいいっちゃいいのかもしれないけど、

つのラベリング効果受けるから偏差値高い大学のほうが気分も待遇大分違うはず。

人生、やりなおすのに遅すぎるということは絶対ないんで、

本当に高校行きたいと思ってるなら、迷わず行くべし。

先のこと考えて生きてる人間なんて1割もいないんじゃないかと。

もちろん、考えて生きてる人たちは、ほとんど成功してる人たちだけど。

少なくとも、匿名掲示板でぼやいて、匿名で煽る人たちのネタになって、嫌な思いしてるよりは、

かに有意義だと思うよw

高校受験してみて、失敗したらそれはそれ。

2回目の高校に無事通うことになって、やっぱり気が変わったとしてもそれはそれ。

やって後悔するほうが遥かに有意義

もちろん、やってよかったと思えたら、大勝利

とらわれていることがあると人は成長が止まる気がしてる。

まずは、君の視界を晴らそう。

高校受験するんだ。そして、通うんだ。

予備校はいつでも受け入れてくれるよ。営利目的でやってる会社なのだから

大学行きたくなったら、高校辞めて予備校行けばいい。

21歳で生きてる意味・・・とか早すぎない?

とりあえず、10人恋人作ってから考え直してw

2018-01-05

まあ、古文漢文は要らないよね。ブコメスプラトゥーン差し替えると良く分かる。

古文漢文って、基本的には要らないよね。

昔オレがやらされたんだから、オマエもやれよ。

努力が足りないっていう精神論の土台になってる意味現代では「積極的廃止すべき」だとも思う。

ただ、オレの「要らない」ってのは、元増田の主張とは立ち位置が違う。

元増田の「人生を左右する受験必須とするな」という主張には反論できるんだよね。聞いて欲しい。

そもそも立脚点スプラトゥーンとの違い)

高等学校学習指導要領スタートにするのは同意してもらえると思う。

そうすると、古文漢文って「国語」の以下の6つの科目のうち2つにあたる。

古典Aと古典Bだよな。

からブコメの「漢文には○○という効能がある」と言うのは全部ダメで、

それを言うなら「漢文」を「スプラトゥーン」に置き換えても同じ論立て出来るよな?ってなる。

その論立てだと反論になってないってのは良く分かる。

だってスプラトゥーン短期間でPDCAサイクルを学べ、さらに非言語コミュニケーションを通じて素早くチームでの立ち位置を明確にして、彼我の戦力差からどのように地形を利用するまでを、なんとゲームとして楽しく学ぶことが出来て現代社会を生き抜く必須技法が学べる、とも言えるわけであって。

オレが思うに、元増田は、「スプラトゥーン受験科目に入っている世界で、それの意義に反発している」と同じなんだよね。

スプラトゥーンに意義があるのは判る。効能も確かにあるだろう、だがそれは受験科目に必須とすべきなのか?と言う。

なぜ漢文効能を謳うだけではダメなのか

とは言え、ゼロベースで積み上げ式で受験科目を考え直そう!という提言でも無かったわけだし、判り難いとも思う。

から、何故に「漢文には○○という効能がある」というのがダメなのかを説明する必要がある。

古典Aと古典Bの効能ではないから、なんだよね。

高等学校学習指導要領における、国語の中の古典で謳われている効能で説得する必要がある。

そこを無視すると「歴史イケメン口説くのに必須」とかと同じになっちゃうんだもの

そんなん教師は知ったこっちゃないし、オマエだけだろソレ、みたいなね。

その観点学習指導要領を読むと、もうブコメ効能とか的外れも良いトコだよね。

古典Aは古典に親しむ態度さえ育てば、一部法律古文っぽいのを読めるようになれなくても問題ないし、

古典Bは人生を豊かにする態度さえ育てば、読解能力が全くつかなかろうが関係ないんだよね。

本来問題にすべき古文漢文の話は、この学習指導要領における目標の部分であって

「態度育てるだけじゃダメじゃね」とか「態度こそが重要だ」みたいにならんとイカンわけよ。

そして、「古典に親しむ態度を育てるとか人生を豊かにする態度を、現代日本人生を左右しかねない受験科目に加える意義とは?」みたいな話になって無きゃ全く話しにならんワケですよ。

その上で、元増田意見には反論できてしま

オレは要らないと思ってるからそれは後述する。

ただなあ、元増田の「古文漢文人生を左右しかねない学力試験必須か?」には、オレは反論できる。

高校学習指導要領に定まっているから。

元増田も言っちゃってるじゃん。「"機会を与える場"としての中学高校否定するつもりはない」って。

じゃあさ、そもそも入試って何よって話ね。

大学受験における入学試験学力試験な。アレは何を計測しているの?

基本的には「高校卒業程度の学力があり、さらに追加で一定学力があり、出来の良い方から入れたい」ってことだろ。

要は「高校で学んだはずのことを、より多く吸収できてれば良い」ってことだな。

大学本来学力試験の意義から考えれば、高校でキチンと学んで基礎を身につけてきたかね?

知識人として育てる/育つに値する人物かね?って問われているわけだ。

「機会を与えられたら、余さず吸収できる人間か?」と問う学力試験において、高校で学んだはずの漢文が身について無きゃ、ほかも推して知るべし、と言われても仕方がない。

から高校学習指導要領に定めがあり、高等学校卒業程度認定試験でも問われる学力を、大学学力試験確認するのは、合理性がある。

元増田意見とは異なるが、オレは古文漢文はもう要らないと思う。

さて、高等学校学習指導要領に定まっている科目の全てが大学入試に要るわけじゃない。

保健体育、芸術、家庭とかね。チョロっと書いたけど、高等学校卒業程度認定試験ベースに軽重付けてるのが現状ってところだろう。

正直に言えば、ワリと古文漢文って入試では軽視されてるから、まあ比率としては現代では既にして小さくなってるとも言える。

古典に親しむとか人生を豊かにとか、いわゆる武家公家伝統から来た明治文化人みたいな教養を求めるのは、ちっと早いんじゃないかな、と。

帝国大学国家ノ須要ニ応スル学術技芸教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」の頃から残滓に見える、とも言える。

高い学識と深い教養を持った官僚学者を生み出すために、高等教育を施す場所という意義は、既に失われてはいいか、と。

から高等学校卒業程度認定試験から外すべきだと、オレは思う。

高等学校卒業認定試験学習指導要領に定めのある全科目を試験していない以上、試験している科目は学力として重視していると考えるのが自然だ。

大学入学資格検定の時にはあった家庭科廃止されたのも、趣旨としては同じだろうし)

高校では親しみ、それは高校で学ぶ学力とは別だ、と明確にすべきだろう。

まとめ

元増田の主張は、「古典(古文漢文)を受験科目に加えるな」だった。

それは大学側への要請だ。

増田への反論は、『大学として「高校で学んだ学力試験する」のであれば、国語から古典を除くのは不合理だ』になる。

オレの主張は、「古典学力の一部と看做すのは現代ではそぐわないので、まずは高等学校卒業程度認定試験から外すべき」だ。

学習指導要領古典目標をみても(保健体育や芸術目標意味合いとして近いのに)学力に含めるのは、現代高等教育の意義からするとズレがあると思う。

最終的には、芸術地理歴史の科目として古典を分類し直すのが、筋論としては適切なように思う。

論語を読むのは芸術だろう。漢文(訓読)を使ってきた長い歴史理解するなら地理歴史だろう)

法律文を読み下すため」とか「読解能力を上げるため」とか言うなら、まずは学習指導要領改定するところからだろうと。

そうじゃない実務的な面でだ!現実を見ろ!というのであれば、

入試程度の古典知識でその判定してるってマジで主張するつもりなの?とは思うなあ。

漢文問題法律文を読む適性を試験してますって真顔で言われたらその大学はお取り潰しで良いのではないでしょうか。

もちろん、古典に親しみ、人生を豊かにする態度すら持てないもの高等教育を受ける資格はない、という反論はありうる。

現代日本におけるトップクラスの実務家たる弁護士が、現代語の基礎たる古典程度追加で勉強して試験突破できないのであれば、その学力には疑問符がつくので日本しか通用しない教養であっても歴史的な意義から残すべきである、という主張もありうる。(科挙末期みたいになりそうだけど)

ただなあ、「漢文には○○っていう効能があるよ無知乙」みたいな主張は「スプラトゥーンには○○という効能があるので受験科目にすべき」ってのと同じだと思うよ?

anond:20180104132743

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

http://anond.hatelabo.jp/20150910215231

からの続き

自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。

僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。

いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。

そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語英語世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会政治・経済倫理、科学と人間生活化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しか高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省サイト過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。

まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。

英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。

次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。

日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。

公民は、現代社会、もしくは政治・経済倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。

理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。

科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙ラインだ。これは勉強必須だなあ。

あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須

まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。

え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもホントかんべんしてくださいよマジでマジで……。なんぞこれ……。1ミリわからん……。死にたい……。

マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分理系なのだとばかり……。マジかよ……。

嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。

まずは本屋で数Iの参考書立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。

参考書ドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。

算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである

算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。

そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。

つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実認識必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ

そのときバタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。

そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。

数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。

それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書パラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学ちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。

よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。

まずはまた本屋参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学ときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学ときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイト実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。

いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気ちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師あくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学物理実験映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端研究現場リポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。

よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽エネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。

さら日本史世界史数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。


試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代のものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。

高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。

次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたいしかしおかげで緊張はほぐれた。

英語TOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。

そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。

科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。

1日目、無事終了。

2日目。地理海外放浪ときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。

世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。

地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。

2日目も無事終了。

試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。

1ヶ月後、試験結果が届いた。

全科目合格だった。

それが先週の話。

そしていま、こうして増田に投稿する文章を書いている。

からこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。


あらためて思う。世界は巨大で、そして複雑だ。

数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。

あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。

方程式定理法則電気磁気エネルギー素粒子、宇宙、銀河太陽地球生命遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力支配、隷従、社会自由イデオロギー宗教民族言語貨幣、法、国家議会政党福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション条約為替貿易経済

時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。

そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。

人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。

だけど、それでも僕は、次のページをめくらずにはいられない。

それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム

未知の領域へ。さらその先へ

どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。

から僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。

たとえそれが、世界いちばん遠回りな世界一周の旅だとしても。

 
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