はてなキーワード: ナイスミドルとは
https://anond.hatelabo.jp/20220922130833
turanukimaru 名前書かれても良いよ!先の増田のコメントで「同じ人でもケースや立場が違えば別の意見になりダブスタではない」って人いたけど卑怯だよね!正しいことはどんな立場でも正しいもんじゃないの?あーすっきりした。
感想:他人に流されずに自分の考えを述べようとするタイプの人。やや自信過多。
好嫌:すき以上しゅき未満
書き手のことをちゃんと人間としてみてくれているのはいいけど、記事の書き手じゃなくてエアフレンドに語りかけがち。
自分が書いた記事についたブックマークコメントが、記事そっちのけで他のはてなブックマークユーザーのコメントに噛みつくものだった時に「このコメント書いた人間が3日間便秘で苦しみますように」という呪いをかけたくなる私から見てもこの人のコメントは嫌いじゃない。
技術に関しては一家言ありなのか辛口になりがち。私は技術のことわからないからturanukimaruさんが言ってることわからないけど、ちょっと怖いなって思う。
自分が詳しくない分野にはそもそも口を出さない。出すとしても控えめ。
増田などの言葉を知ってることからはてな歴は長そうだがはてなブックマークに毒されすぎていない。
ネトウヨを自称しているが安倍さんは嫌いっぽい。どちらかというと立憲が嫌いというのが主か。
プレステ3のゲームなんだけどさ、ざっくりいうと原因不明のウィルスが蔓延して、それにかかると100%死ぬから、感染者から身を守るためにナイスミドルが感染者から延々と走って逃げ回ったり、感染者殴り殺したり射殺するゲームなんだけど(説明が雑)、あの世界をコロナ禍に置き換えると、アメリカでも銃の売れ行きが伸びたらしいし、俺も身体を鍛えるべきな気がしてきたんだよな。
ラスアスプレイ済みの奴ならわかると思うんだが、あの世界は最低限3つのステータスを満たさないと生き残れない。
1つは延々と走り回れる無限の体力、これがないと感染者に捕まって感染してしまうし、大人数の感染者相手にする時はヒットアンドアウェイが原則なので、これも体力が無いと対処出来ない。どれだけ腕力があろうが、どれだけ銃の腕があろうが、パンデミックの世界で体力が無いというのはあまりにも無力だ。
2つめは腕力だ。銃の弾が切れた。武器がない。こんな状況コロナ禍ならこんなのいつでも起こり得る。そういう時に最終的に頼れるのは、自分の腕力だ。作中で壮年の主人公は6発の殴打で敵を殴り殺していた。終盤になるとリボルバーの弾を弾くヘルメットを被った敵が出てくる。そんな敵も6発の殴打で、しかも明らかに頭を殴って、殴り殺しているのだ。敵と戦う世界で腕力は正義だ。知能も、善行も、祈りも、コロナ禍の前では何も頼りにならない。頼りになるのは、最終的に自分を守れるのは、己の腕力だけだ。神は腕力に宿る。
3つ目は視線の届く範囲10メートル以内なら好きな所へ確実に投擲できる技術だ。これは落ちてるレンガやビンを投げて相手の注意を逸らしたり、相手を引き付けたりするのに必要で。100%の精度が求められる。コロナ禍において投擲のミスは許されない。間違えれば命取りになるからだ。正面から走って襲ってくる感染者にビンを投げつけるとどうなるだろう。怯むのだ。そして君に圧倒的な腕力があれば、反撃を危惧せず一撃でコロナ感染者を殴り殺せる。ラスアス経験者なら投擲のお世話になった人はたくさんいるはずだ。投擲をマスターしたら火炎瓶の作り方を覚えよう。君の生存確率がグッと高くなるはずだ。
俺はコロナ禍になってから、毎日10kmのランニングと、腕立てにダンベルカールに逆立ち等ヒッティングマッスルメインの筋トレ、公園で狙ったところに石を投げる練習をしている。
その結果、体重は4kg落ち、体脂肪率は28%から12%にまで落ちた。今まで悪かった健康診断の数値が改善され、初めて「異常なし」の文言を見た。
ナイスミドル!って感じの優しい上司と二人で車に乗る機会があった
俺は車社会の田舎に最近越してきたが、車に乗るのが怖すぎて頑なにチャリで通している
「この辺で自転車にしか乗らない人って言ったら、外国人か生活保護の人って感じだよ」
直後に「極端な言い方すると、だけどね」という注釈は入ったが、あまりに直球のディスで、マジで面白かった
ディスというか、まあそうなんだろうし、俺も正直チャリ暮らしには無理を感じる……ってことはじつはない
なんなら徒歩で行ける範囲にスーパーが3つはあるし、お出かけは絶望的だがインドア派だし、正直私生活において問題はゼロと言っていい
チャリだとかなり無理がある
通勤鞄で買い物はできん
ほかにバッグをもつにしろ、通勤鞄を自転車に放置して買い物をするわけにもいかない以上、かなり嵩張るジャマな荷物をもって買い物をせざるをえないわけで、つらい
車がありゃあ違う
車、移動する密室なので、超便利だと思う
速いし楽だし、危なくなければマジで満点
車に乗らないかん
その感じが強いですね
でも学生時代にいじめられたこともあるし、いじめたこともある。
先生に反抗したこともあるし、やんちゃな子を諫めたり先生に報告したこともある。
職場ではいろんな自分を試して、あまり主張しないキャラで生活してみたり、
リーダーシップバリバリ発揮するキャラを演じてみたり、いろいろためした。
その経験からすると、結局、どんな立ち位置であれ視点を変えれば加害的な要素はあるのだ。
いじめられていた時は、自分の思い通りにならない時に不機嫌になってグループの楽しい雰囲気を台無しにしていた。
いじめていた時は言わずもがな相手の子に精神的なダメージを与えていただろう。
先生に反抗したことも、視野の狭い自分の意見を振りかざして授業時間を削り、先生に負担を強いていただろう。
やんちゃな子を諫めた時も、それを諫めようが諫めまいが誰も傷つかないはずなのに、規範を彼らに押し付けていた。
主張しないキャラでいることは、こちらの意思伝達コストを相手に丸々ぶん投げる行為でもあるし、
リーダーシップを発揮することは、チームの個々の利益(楽して稼ぎたいとかプライベートを充実させたいとか)を損ない、自分の社会的評価を獲得することでもあっただろう。
そんな具合で、どの立場であっても加害性というのは多かれ少なかれ存在する。
にもかかわらず、twitterやnoteなんかで見かける、「自分は絶対的な被害者だ」と言わんばかりの未熟な主張を見ると共感性羞恥とやらを感じると同時に、社会悪を見た時のようなモヤモヤした気持ちがわいてくる。
私の日常にある似たもので言えば、会社の禿げた課長が毎日鏡とにらめっこして、日本人なのにハゲててもクールなナイスミドルですねという称賛を強要してくるのだが、そんなナルシズムと同じ気持ち悪さだ。
20代前半ならまだいい。あれぐらいの年頃は自分が一番かわいくて、自分が一番かわいそうだって思いたいものだ。
だけど40代主婦です!30代です!なんてプロフに書いている人が、誰にも言うことができなかった状況なの!
なんて錦の旗をブンブン振り回して自省をしない様を見ていると、彼女らが苦労するのはある種自業自得だと思ってしまう。
ちょっと前にはてなで本当にヤバイ奴らは風俗などですらセーフティーネットにかからないって書いていたけど、
まさにそういう人たちはたくさん存在して、ほんの少しの画力や表現力が添加されているだけで、人間性としてはあまり関わりたくない、そんな人々たちが犇めいているんだなあと思うと、
やっぱり社会はまだまだまだ不条理で生きづらいんだろうなと、明日の出社準備をしながら悲しくなってしまった。
いや、この悲しさは明日出社しなくちゃいけないという憂鬱由来が8割だな。
憂鬱だからこそどうでもいいことを嘆いてモヤモヤしているだけなんだろう。歯磨いて寝るわ。
思ったより見てもらえてびっくりしている。
が、寝る前に勢いで書いたのでところどころ雑だなあと我ながら恥ずかしくなった。
さて、私はたぶん絶対的な弱者ではなくて偏差値で言えば40くらいの弱者だと思う。
記事中では自身が絶対的弱者だと主張していないのだが、ブコメを見るに私は強者だということになっているので、
せっかくなので、私の記事を見てもやっとしたり、攻撃されているという気分になった同じ偏差値40くらいの弱者の人にアドバイスがしたい
私は弱者を克服してはいないのだが、個人的な感覚としてはだいぶ生きやすくなった
未だに人が多い食堂は利用できないし、バスや電車に乗ると定期的に気持ち悪くなって降りてしまう後遺症があってもだ。
不便ではあるが絶対的な不幸ではなくなった。
ここでいう偏差値40とは、本人の自己研鑽で主観的な生きやすさが偏差値48~52くらいには上げることができる人を指したい
弱者の中にも努力でどうしようもならない人もいるし、努力をすればある程度は不便が解消される人もいる。
努力をすれば生きやすくなるのに、絶対的弱者に落ち込むことで努力をしない状態に自分を固定してしまう人もいるだろう
だけど、最近の風潮としては弱者に努力を要求することはご法度だ。
その中にはそれでこそ生きにくさを解消できる人も大勢いるとしても。
弱者に甘んじるということは、一般の人から見ると権力の行使としてとらえられる。
それはそれで生きにくいし、なんなら属性を明かさない方が生きやすい人も多いだろう
けど、絶対的な弱者は椅子取りゲームのようなもので、そこでも目に見えない戦いがある
また、人は遠くの石油王より、身近な時給が100円高い人に憎悪がわくものだ。
弱者を少しばかり克服して、医者から薬が必要ないことを仲間に告げたときに、
陰でいろいろ噂を流されたり露骨に嫌がらせをされたり人格否定をされたりと、
だからこそ、最近の風潮ではマチズモとレッテルを貼られて見向きもされないかもしれないけど、
気持ち悪い話し方だと言われたら3日坊主を何回も繰り返して話し方を改善したり、
生きやすくなった私のような例も示したいのだ。
もちろん、疲れた時に毒を吐くのもいいし、感情的になるのも大切なことだ
だけど、研鑽でのみ救われるタイプの弱者はそれに加えて自省内省が必要なのだ。
だれもそのことは表で言わない。今なら袋叩きになるだけだから。
そして、弱者は自分の身を立てることだけを考えて、絶対的弱者に近づいてはいけない。
上述の通り足の引っ張りあいも存在するし、何しろそこで他人に配慮している余裕なんてないのだ。
同情している健康な人たちは、気持ちを注ぐことである種の消費をしているものだ。
加えて、それを心得るだけで、ある種の人からは好かれるようになるのでオススメだ。彼らはいい人が多いので、少しばかり繋がることで本当に生きやすくなる。
こんな感じで、私は病名がつく障害を持っていて、
非正規で低所得で独身でも弱者の中の強者らしいので、強者は強者らしく振舞いたいと思う。
2ちゃんにあった実況板にあったskypeで知らない人・国に安価で突撃リレーラジオ
DJ名はひろしの嫁で、
繋がりも薄くなってしまったけれど基本はPCを使ってインターネットをする時代で。
2019年の今と違って、youtuberなんかいなくてUstreamがちょっと出てきたくらいで、
今みたいに実名ありきでなくて、
世界中の知り合いでない人とも繋がることができる世界だったのかと思う。
だいぶ長くなるかもしれないけど、今日のことは記しておきたくなった。
2019年3月23日に心不全で亡くなったと彼のお仕事仲間の方から
facebookのメッセージを通して3月28日の夜に連絡がきた。
3月30日の13時から火葬場に行く前に斎場でお別れの会を開催しますと。
12年前のリアルな世界では、プロデューサーとして一流な仕事人と聞いていた。
でも、Skype上では酒、タバコ、女、鉄道、アニメが大好きで
すぐに下ネタに走るし、ド変態だし、セフレいるし、すぐにヤろうとかいうし、
お金持ってるはずなのに、たまに本当に金欠でお金貸してとか言って踏み倒すし、
強引でくずだなあwだと思っていた。
本名も知っている仲で、オフあったのも数える程度だったけど会っても同じ感じで
でもなぜか、嫌いになることができなくて、
猫が好きで、酔っ払ってすぐ仕事とはこういうものとチャットで語り出して
むしろ仕事の姿勢の話はほんと尊敬していて不思議な魅力のあるナイスミドルだった。
ここ5年くらいは全く連絡していなくて、
こないだつい3週間前に偶然facebookで誕生日のポップアップが出てきて
おめでとうとメッセージを入れたぐらいだった。
そんな彼が亡くなったと。
そんな彼の訃報が本当だったら?
12年前に、俺を呼べるくらい仕事で成功するいい女になれよ、と口癖のように
チャットでも、通話でも、オフで会った時も言っていた姿がよぎった。
嘘だったら、嘘でもいいし。
本当に最期なら挨拶したいと思って、今日、3月30日に横浜の斎場に足を運んだ。
もし本人が生きていてちゃんとした喪服で行かなかったら、
怒られるなと思って喪服も昨日急いで10着ぐらい試着して1着買った。
電車の中で、もしかしたら生前葬かもしれないとか考えたりしていたら目的駅に着いた。
話しかけると目的地は一緒で、彼に仕事を頼んでいたクライアントさんだった。
彼女も先日これからお願いしますと挨拶したばっかりで、びっくりなんですと。
そんな話をしていたら、斎場に。
受付して10mもしない先に彼の棺と思い出の品々があった。
お線香の匂いがして、棺の右隣にお母様とご親類の2人立っていて。
女性が2人泣いていて。
お焼香の仕方もおぼつかなくて、きたよと挨拶したけれど本人と顔をあわせるのが怖くて
棺の中は見れなかった。
棺の横にはサッカーのユニフォームの写真や猫を抱っこしている写真もあって、本人だ。と思った。
仕事仲間で今回の会をお手伝いしている方が
時間になったら献花とお見送りに向けて声をかけますと言われて待機することにした。
同じように待機している人20代くらいの2人組に話を聞くと、
4、5年前に知り合ってスポーツ関連の仕事を紹介してもらったんです。
お酒とタバコがだいすきで、仕事のオンオフがはっきりしていて熱い人でしたよ。と。
もう一人同世代の方とも話したら、
仕事に熱く、クライアント先で話し出したら10分ぐらい一人ノンストップなんですよ。と
笑いながら話してくれた。
12年前に私が思った印象とあまりリアルも変わらないんだな。と思った。
私も正直にネットで知り合った友達と伝えると、みんな意外そうな顔をしていたけど、
彼らしくいろんなことに手を出してるね。と笑っていた。
そんなことを話していたら、時間になってお母様のご挨拶があった。
お母様に挨拶させるなんて。
彼のお父様が若くに亡くなって、形見の結婚指輪をはめて大事そうにしていたことを思い出し、
なにやってんだと悲しくなってしまった。
ご親族がお棺を開けてYシャツにネクタイ、上着、彼の苗字が書いてある日本代表の青いユニフォームをかけてあげて。
マルボロだったり、ミニカーだったりを入れて献花の時に最期に顔を見て挨拶した。
昔と比べて白髪やしわが増えていたけれど安らかな顔をしていた。
ぽんさん、
相変わらずスーツが似合うね。
なんでか涙でちゃうなあ。
スカ凸のDJさんたちもきたがっていたよ。
リアルの人の話きいたけど、あいかわらず若い人への応援が熱いね。
喪服6万円のなんだけど、もっとちゃんとしたやつ買ったほうが長く使えてよかったかな?
昔、服を買うなら一流のやつを買って長く使えって言ってたもんね。
ちゃんと仕事できてるかな。ぽんさんがいういい女になれてるかなあ。
そんなことを心の中で思いながら最期のお別れをした。
霊柩車に乗って彼の棺はお母さんと、弟さんと彼女さんの3人と斎場を離れて
お別れの会は終了した。
どういった人選をされたかわからないけど、この場に来れてよかったと思う。
なぜかと言ったら失礼だけど、意外と彼が亡くなったことが悲しくて、
亡くなっても、なお人の死に慣れろよと、勉強させてもらっている気がする。
笑いながら、俺職場でも私生活クズだけど仕事は尊敬できますよねって言われんだよね。と
語っていたのを思い出した。
彼と色々12年前に話した思い出の中で一番印象に残っている言葉がある。
よく聞く「俺は会社の歯車だ」と愚痴るやつは歯車じゃねえ、会社にとっては埃なんだからと。
いま社会人として仕事をしている私の礎になっている言葉でもある。
実行できているかはわからないけど、これからもこの言葉を大切に仕事人として歩んでいこうと思う。
先に逝った飼い猫のポン太を撫でられているかな?
落ち着いたらまた、お墓に会いに行くね。
安らかにねむってね。
きこより。
結婚当初、妻はよく友人の話をしてきた。
最初は、お互いの事を知りあう為だと思って聞いてあげてたが、ある日それが溜まらなくストレスだったと気付いた。
「友達は毎年バリ島に行くの。誘われたんだけど行かない?」(いわゆるDINKS、一流企業に働く旦那は元鬱病で束縛系。自分大好きで一度会ったがメンドクサイ)
「友達の新居、凄く大きかったの。良いよね~」(2周り以上年上のジジイ(離婚歴あり)と結婚した女。金目当てじゃないだろうけど、散々楽した世代のナイスミドルの自慢とか面白くない)
こんなのが続き、適当に聞き流していたがどうしても残ってしまい、それが心の奥底に溜まっていた。これは甲斐性無しの自分への当て付けなのか?と
で、ある日キレた。
「そんな子無しで遊びたいんだったら良いぞ、でも子供欲しいんだったら難しいぞ。お前は遊びに行く時に、いちいち連絡や付いてくる夫が良いのか?」
「そんなどこの誰かも知らないジジイの糞みたいな家の話聞いてもなんも面白くないわ!地方の新聞記者?適当な事書いて金稼いでたんだろ。今60過ぎならな。」
と気持ちを吐き出した。もちろん妻は泣き喚いたけど、そんなの知らない。夫婦とは言え、会話の話題のチョイスが絶望的に間違っていたのだから。
それ以来くだらない話は出なくなった。その友達の話題は出てくるが、深くは話さない。
隣の芝生をうらやんでも良い事は何もない。本来は自分が聴いてあげつつ、気にせず心のゴミ箱に捨て去れれば良いんだろうが、性格上いつまでも気にしてしまう性質なので無理だった。結果、荒療治だが大元を断つ事にした。
たぶん人の話で勝手に気分悪くなったり、いつまでも気にする人多いと思う。相談すると「そんなの気にしなければ良いじゃん」と自己努力で解決しろと言われるのがほとんどじゃないか。でも無理だと思う。自分もあのままだったら間違いなく鬱病になっていた。とてつもない自己嫌悪に陥ってたし。それこそ相手からは「なんでそんな事で?」レベルの話で。
もし、同じように困っている人が居たら、話が通じる相手には話止めるように言い、無理なら付き合わないようにしてほしい。考え方の変更より逃避の方がはるかに楽で確実だ。夫婦みたいな今後何十年も付き合うなら尚更だ。
「キラキラしたリア充の世界が妬ましいだけだろ!」と言われたらそうなのかもしれないけど、こっちにだって見たり聞いたりする権利がある。「奥さん、話せなくて可哀想」って思われるかもしれないが、相手が不快に思う話を夫婦なら許されるってのもおかしい。
と、ここまで書いて、自分も妻に日々不快に思わせる言葉を言っていたことを思い出した。自己嫌悪半端無い。謝ろう、そしてもう言わないようにする。