2020-06-05

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.人を殺すのが駄目だという、屁理屈を教えてください。

これを理解するために必要な考え方は「自由共存」だ。

この自由共存物理的に不可能である

誰かの自由が、別の誰かの自由と相反するからだ。

こういった問題公的権力でもって調整することを、いわば「規制」という。

ここでいうならば、「殺す自由」と「生きる自由」の衝突だ。

そして「殺す自由」が規制されているのは「生きる自由」の方を公的に支持しているからだといえよう。

だが、ここに屁理屈を足すならば、「殺す自由」は「生きる自由侵害する行為であるのと同時に「生きる自由保障されていなければ行使できないもの」だからだ。

「生きる自由」が保障されていなければ「殺す自由」も行使できないが、「殺す自由は生きる自由侵害している」という矛盾が発生しているのである

今日思いついたにしては、我ながらそれっぽい理屈だな。

ちなみに、これがゲーム小説など架空キャラクターなら話は変わってくる。

その存在に生きる自由適用されていないので、殺す自由行使しても侵害にあたらないわけだ。

このように、自由行使侵害臨機応変と手前勝手狭間で使い分けるのが、現代社会ノブレスブリージュである

もちろん昔の私のように、「そんなこと気にしてられるか」と考えている人間もいるが。

やらなきゃ、こっちがやられる。

Q.では近年の某ゲーム規制も、そういった自由の衝突中に、何らかの矛盾があるから踏み切ったのでしょうか。

いや、あれは単なる勇み足だ。

何かを規制するために権力が介入するのは原則として避けるべきだ。

なぜなら特定自由が、実際どのような、どの程度の損益があり、そして他の自由をどれくらい侵害しているか勘定しきれないからだ。

にも関わらず、それを「声の大きな人」や「多数決」などの権力闘争で決めてしまうのは前時代的だろう?

あれの場合、そういったプロセスすら杜撰から批判されているわけだが。

今回、学ぶべき教訓は「民意に沿っていなくても法は法。だが言い包められる程度の屁理屈すら捏ねられないならば、それは秩序として破綻している」といったところだ。

まあ私が政治家ならルールを作る前に、まずは民意画一的にできるよう支配するところから始めるかな。

  • 人を殺すのが悪いなんて少なくとも法律家は言っていない 人を殺した植松青葉は死刑にすると法律に書いてあるだけだ 死刑を嫌がらない犯罪者を止める方法はない

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