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2024-09-25

長与千種ダンプ松本の髪切りマッチがブック破りのわけがない。

フィクションから、というのもわかるし、

ブックの話なんてレスラー本人や関係者から永遠に真実が出てくるはずがないこともわかる。

だけどあの重要試合がブック破りのわけがないだろ。

ストーリー上の信憑性を持たせるために、その前にブック破りの試合を見せて既成事実を作っており、

さらダンプ念書を書かせるみたいな演出もあったりするので、

「そういうこともあるんだ」と視聴者には思わせる工夫がされているのはヨシとします。

そんでそういうことが起こりそうな全女会社の体質というのも事実としてあるから納得はできる。

それでも、あの髪切りマッチがブック破りのはずがないんだよ。誤解しないように。

そういうことは絶対にないという信頼から長与千種という存在があったわけだよ。

最初から長与千種が負けて丸坊主になる。これが唯一無二のブックだった。

そういうアイデアを受け入れるプロレス頭の持ち主、天才長与千種であったと説明できるわけでさ。

はいっても、面白かったです。ゆりやん最高。ブル中野役の堀桃子さん最高。

2024-08-06

anond:20240806134222

フワは指原とかと付き合って一軍ヅラするのが鼻についてきた。

にぎやかし芸人です、精一杯盛り上げますので、という愛嬌武器にした下からスタンスができなくなって、そこをやす子に奪われた。

ゆりやんとかアジアン隅田とか尼神誠子とかコンプレックス芸人が必ず通る道だが、

誰もが渡辺直美のようにイメチェン成功できるわけもなく、どんどん居場所がなくなっていく。

やす子がかわいそう

「生きてるだけでみんな偉い」みたいなみつをだかみつるの亜流みたいな投稿をバズ狙いで繰り返す者が居り、それにいちいち信者みたいなフォロワーが「首がモゲるほど」同意を表明するみたいな予定調和的なかったるいやりとりはよく見るし、唾棄したくなる。いちいち水を差さないのは水をさすべきでないからではなく関わっても仕方ないからというだけだ。リアル知り合いがその手の拡散リツイートしてた時には何やってんのお前とは言ったことがある。

ところでしかやす子は100%の本気でそういう説教臭いバズツイートするタイプではない。実はアレでけっこう尖ったセンス芸人なのだ。半分素のまま・半分シャレでステレオタイプ純真・善人キャラに沿った行動してたら留保無しにそういうキャラ消費されるようになって売れたので、それもまた面白いかと自分からステレオタイプに合わせに行ってるフシがある。

気持ち悪い共感押し売りツイートに対する本気の唾棄の部分と、やす子があえてやってる部分も理解した上での身も蓋もないツッコミを合わせたものとして、フワちゃんのアレは別に意外性はない。

でもすぐにあっこれはダメだと思っただろう。「いい人がいいことを言ったら、悪い人が気に食わなくて罵倒した」という平板文脈しか受け取られないと。

DT浜田が大物タレント相手に「死ねばいいのに」といった身も蓋もない暴言ツッコミを発するときは、それが字面通りの本気の自殺教唆ではないんですよという事前の地均しがある。そういうわかりやす説明を省いてしまったという意味での「これはダメだ」である

浜田のそれも字面だけで本気の自殺教唆だと受け取る、あるいは受け取りたがる人が少なくない昨今である

空気を読めないのは正義!みたいな連中こそ異論存在すら認めない同調圧力でギチギチなんだけどな。

まあ世間的にはフワちゃんは単なる悪者で、アレは裏アカの切り替えミスだという平板まりない話としてのみ受け取られるのだろう。

消えるのかな。フワちゃんが消えるのは別にどうとも思わないが、そうなると一番損をするのは単なる善人で被害者という役柄を着せられるやすである

今後は一層、面白くもなんともない善人キャラとして消費され、やす子も早晩消えていくだろう。

タイマン森本とか見てみるといい。面白いし単なる善人じゃないから。

とりあえず純真天然バカキャラみたいなオファーに応じて足場を築いておいてそこから本当のいかれた味を出していく、ゆりやんみたいな感じで行けたらいいんだけどな。


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「いい子だし腐った芸能界に流されない気骨の人」みたいな勝手思い入れで持ち上げる、こういうの↓に潰されるんだ。

https://anond.hatelabo.jp/20240806022152

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自分なりゆきを案じるのはやす子の方だけでフワちゃんがどういう扱い受けても別に…というのは既述の通りだが

フワちゃんを全力非難する側はふだんあの程度の悪罵はあたりまえにやってたり攻撃発言用に裏アカ持ってたりするタイプも多いんだろうなとは思う。

フワちゃんはなんかポリコレづいたイメージもあったからざまあみろって思うやつもおおいだろうしな

ちょっと前にはフワちゃんが「気骨の人キャラで持ち上げられてたのである正義の人たちは飽きっぽい)

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「『きれいごとを言うのはつまらない、人前で死ねとかホンネをぶちまけるのがセンスいい』と言い張る、頭の古い人たちがいるんだよね!」みたいな単純な捉え方をしてる人はフワちゃんを許さないだろう。

でもそんな主張は元々ない。何のひねりもないただ単なる罵倒いじめがかつては商売になったというのはフィクションだ。そしてそういう悪しきお笑いに対抗する「人を傷つけないお笑い」という光の勢力が台頭してるというのもフィクションである。そんなものを目指してる芸人はいない。

お笑いというのはバカにはわからないものだ。エンタ五味プロデューサー非凡さは「全部わからなくてもいい、ふんいきで誰でも楽しくなれるのがいい」と、チンドン屋みたいなプリミティブな芸能の要素を復活させて見せたところにある。

その一方でお笑いはより精緻化している。M1なんか「ながら見」では何一つ面白さがわからない。

そして「善悪」というのは人間にとってもっと原始的な大ナタである

やす子は正しいから好き」という解像度世界が見えている野蛮人に、千万言かけても何かを伝えられる気がしない。

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バカにはわからない」とかに反応したらしく「自分けがわかってるというのか!」と反感を剥き出しにする人はいるが、そのなかに反論として見るべきものは皆無。「だったら〜〜するはずだろ!」←いまおんもでバタバタしてもロクなことないくらいの状況判断できないわけないだろ

お笑いイジメ商業化! でも◯◯さんだけは人を傷つけない笑い!」みたいなヒステリックなの、どうやったらブレーキかかるんだろうな

2024-05-12

詩とか俳句短歌について思うことメモ

もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事書類ばかりとなった昨今。

でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。

書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。

まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。

頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初感想だった。普通に文章だったからだ。

調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで

「韻」という言葉もその時初めて知った。

井上靖詩集を手に取ったのは、国語教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。

というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初詩集だった。

小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。

季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなもの短歌俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。

特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉ニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。


井上靖の詩のなかに

幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。

自分世界表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。

例えば、雪という詩がある。


 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

 こういう二行の少年の詩を読んだことがある。

 十何年も昔のこと、『キリン』という童詩雑誌

 みつけた詩だ。雪が降って来ると、

 私はいつもこの詩のことを思い出す。

 ああ、いま、小学校教室という教室で、

 子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。

 この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。

 勤勉、真摯調和

 そんなものともどこかで関係を持っている。

井上靖詩集運河」より

中学生の私は、なるほどと思った。

詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉なかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。

鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。

井上靖の次に手に取った詩集もよく覚えている。

武者小路実篤だった。やぱり散文詩だった。

当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。

いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。


ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。

山頭火面白い普通俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。

定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌エントリーポイントとなって、

新聞の俳壇や短歌欄に時々目をやるようになった。

いわばお勝手からこっそり入門したような形だ。

しか俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。

いつしか手にしていたのは、興津要解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。

剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。

エロい川柳結構好きだった。今でいうサブカルチャーだ。

その後は巴毎晩組み敷かれ

木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代川柳妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい

一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。

俵万智サラダ記念日ベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。

例えば、こんな一首。

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり

あさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部坂口弘収監中の東京拘置所から毎週のように短歌朝日歌壇投稿していた頃だ。

朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。

そして渡辺松男太田美和が常連投稿者として名を連ねていた。

風花って知っています

さよならも言わず別れた陸橋の上

渡辺松男太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇リアルにみていた人にしかからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱発酵すると詠んだりする太田美和。

生活で恋をしていた私は太田美和の言葉自分を重ね合わせた。


でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。

大学卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。

生活が一変した。

書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。

購読紙も朝日新聞から日経新聞に代わり、東洋経済となった。

世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。

山頭火武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接資格だ!という日々。

就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。

たまに思い出しては、現代短歌最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。

若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。


それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。

そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。

思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。

中年になっていいかげん自分限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。

ふと思い出すのが、最初に買った井上靖詩集

 ―― 雪が降って来た。

 ―― 鉛筆の字が濃くなった。

この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖感覚がとてもよくわかるようになった。


これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。

詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。

どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。

鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯子供の姿を思い浮かべる、という

文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワイン食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。

ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種ビンテージ気候土壌などさまざまな情報がある。

しかワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのとき話題、体調などに大きく左右される。

だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。

マリアージュという言葉があるように、ワイン一種調味料として機能するため、食べ合わせ重要だ。

またワインプロファイル情報あるかないかも味を左右する。

ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見ワインしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。

逆に偽の情報表現かに補完してしまえば、コンビニ販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。

ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的規律として表現することはできない。

詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。

井上靖が「小学校教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。

その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。

どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときメンタル、いわば偶然の力だと思う。

渡辺松男太田美和が並んで歌壇掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。

失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会

先ほど、卒業してから詩どころではなくなったと書いた。

そのとき自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。


ところで、先日、Yahoo芸能ニュースをみていたら、TBSプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人俳句先生から5点と酷評されたと報じていた。

お題は「文房具」で彼女が読んだのは

消しゴムが 白き水面に ボウフラを

というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。

ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人俳句酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組演出脚本としてはそれがオチなのだろう。

演出もさることながら、これは、他の出演者俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。

迎え梅雨 紙端に滲む 友の文字

虹の下 クレヨンの箱 踊り出す

天王山 黒ずむ袖に 薄暑光

薫風や 隣の君と 教科書

こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。

バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージ作品クオリティが補完されてしまうのだ。

しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。

消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月番組文房具からまだ気持ちフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。

ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。

それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。

いかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。

一方で白い水面(ノート隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。

ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。

と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ

ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。

また、どんくさいもの弱者がボウフラというノート上のより小さい存在視線フォーカスする、という手法小林一茶方法とも通じるところがある。

番組の評者は、この芸人俳句酷評したうえ、次のような添削をしたという。

しかすはボウフラみたい夏休み

夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。

しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組からね。

ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界一種ルッキズムだ。夏休みかいって勝手おめかしさせようとするんじゃねーよ。

そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつ動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語川柳で身につけたものだろうからゆりやん一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。

300円でおいしく飲めるワインもあれば、駄作でも楽しめる作品もある。そういうことだと思う。

2024-03-10

富山敬賞を佐々木望が受賞

第十八回声優アワードにて、富山敬賞を佐々木望が受賞

Sasaki Nozomu received the Tomiyama Kei Award.

ゆりやんしぃーばー

2023-12-30

anond:20231230034548

一人っ子だろうがブサイクだろうが太ってようが笑わせてくれる人間なら俺は大好きなのに日本人の女ってブサイクだと笑いのセンスすら皆無のやつが多いくて結局可愛い女の方がおもしろいんだよな。あれ何でなんやろ。ゆりやんレトリバーとか渡辺直美はかなりレアケース

2023-02-15

イニエスタゆりやんJリーグキックオフカンファレンス2023

見てないし、見る気もないけれど、ジジイなので、第1回東京国際映画祭テレビ中継した時の

大惨事を思い出したよ。明石家さんま片岡鶴太郎来日していた海外の大スターに向かって

当時流行っていた自分の持ちギャグ相手の反応を無視して執拗にぶっこむ国辱的な中継を。

結局、日本ではバブル時代のウジサンケイグループのノリをいまだに克服できてないということ。

昼間にやってる『ぽかぽか』なんかも、バブル時代ウジテレビのノリでサムすぎて正視できない。

第1回東京国際映画祭Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%A5%AD

プログラム

1985年5月31日午後、渋谷NHKホール常陸宮ご夫妻をお迎えして開会式が行われ[33][34][35]、

村田敬次郎通産大臣三木武夫元首相、鈴木俊一東京都知事政財界代表や[35][36]、国内外映画

関係者、各国駐日大使[17]、三船敏郎勝新太郎高峰秀子栗原小巻らが出席[35][37]。岡田真澄

>が司会を務めた[36]。瀬島龍三組織委員会会長鈴木俊一東京都知事などの挨拶後に『乱』がオー

>プニング上映された[33][38]。『乱』海外招待客100人を含む映画関係者2500人のみで、一般

>は入れなかった[39](1985年6月1日から一般公開)。ほとんどの映画人が絶賛したが[36]、『影武

>者』でトラブルを起こした勝新太郎が「いたずらに長い。見る人のことを考えてない作品戦闘

>ーンは見飽きた」などとこき下ろした[36]。同日夜に東京プリンスホテルでウエルカムパーティ

>が開かれ[34][40]、この模様の一部がフジテレビおもしろバラエティ』枠で生放送された[17][41]。

>司会はタモリ明石家さんま沢口靖子[42][40][43]。ハリソン・フォードブリジット・フォッセ

>ー、ジェームズ・ステュアートヘルムート・バーガーソフィー・マルソーなどの海外スター

>他[34]、中曽根康弘首相[33]、三船敏郎三橋達也安西郷子、司葉子仲代達矢宍戸錠吉永

百合石坂浩二ピーター島田陽子松坂慶子中井貴一片岡鶴太郎田原俊彦近藤真彦

中森明菜池田満寿夫佐藤陽子手塚治虫石森章太郎小森和子らと[36][40][41][43]、鹿内春雄

フジテレビ副社長頼近美津子結婚後初めて公式の場に出席した[40]。出席を予定していた黒澤明

>は欠席[17]。黒澤は御殿場で静養中で[44]、映画祭期間中も姿を見せず、来日した俳優監督や『ニ

>ューヨークタイムズ』や『ガーディアン』の記者30人から面会申し込みがあったが全て断った[44]。

>ウエルカムパーティでは、ハリソン・フォードがグラス片手に会場を回るなど[40]、有り得ない

>ような豪華なパーティであったが[40]、生中継構成が悪く、タモリ明石家さんまが司会をふざ

>けたり[42][45]、会場には海外からビッグスターが顔を揃えているのに彼らへのインタビュー

>なく、当時日本で人気があったマット・ディロンアメリカに訪ねたVTR流れる間の悪さで[45]、

マッチ中森明菜ステージ映画とは関係ない歌をうたい出したとき、招待客は何が始まったの

>かとビックリし、まわりをハラハラさせた[45][46]。フジテレビが当時、「楽しくなければテレビ

>ゃない」というキャッチフレーズを打ち出し『おもしろバラエティ』枠で放送したことで、新聞

>社に悪評の投書が殺到し[45]、好評がゼロという珍しい事態になり[45]、「ユーモアスマートさに

>欠けたドタバタ司会、日本には機知と弁の冴えでわかす芸人はいないのか」「日本語でくだらない

言葉外国人に言わせるな」「少ない時間映画関係ない歌を三曲も歌わせるな」「外国から大ス

>ターを集めながら、大切な機会を無にした」「まさに島国映画祭だ」など[45]、「時と場」をわきま

>えぬ企画などとマスメディアに叩かれた[47][48]。この日の開会式とウエルカムパーティを合わ

>せた費用は1億5000万円[39]。

2022-11-15

anond:20221115221346

その嫌いなジャンルユーザ含めて、全体でボリュームがあるからみんなのコストが安く・・・

擁護しようかと思ったけど「プロレスラー殺し」はさすがにないな。なんやのそれ?ゆりやんのヤツ?

2022-10-30

今なら俺ゆりやんで笑えるかもしれん

テレビ出てよ今すぐ

anond:20221030232422

ゆりやん、わるくないやん。

https://news.yahoo.co.jp/articles/10c359ba81e28678450a0ddb80b03801fecfd047

しっかり動けるようになるまで3カ月を要するといわれており、入院中の現在は、自力トイレにも行けない状態

これ3か月で完治ではないから、3か月後は、その場でじたばたするのが精いっぱいじゃないかな。

2022-03-28

anond:20220328235131

ゆりやんはそういう感じで見てない。お嬢様だなーって見てる

 

渡辺直美ブレイクするのは早かったけど

高校にも進学せず(努力家だけどお勉強は好きではない・得意じゃないみたい。まさか受験した上での不合格)

ずっとバイトしまくってNSC吉本総合芸能学院)の学費貯めた

TV出てブレイクするまでは夜の仕事もやって今の立場

中卒なのにアメリカビザ取れてNYマンションも持ってるってめちゃくちゃカッコいいだろ

 

ただ、まー、廃課金自慢と毒はないけどエゴサの神か発言で少し醒めたw

anond:20220328233715

渡辺直美を見ているとパワーを貰えるので自分の中ではちょっとしたアイドルだったけど

ゆりやんとかもそんな感じで見てるの?

2022-03-15

anond:20220315173033

youtuber信者みたいな価値観も持ち合わせてるのか

福徳芦屋出身だし関大内部だしマジの上級国民なのは認識してる

でも芸風的にたぶん外部のやつイジメてそう

ゆりやんとか岩尾とかも関大だけどたぶんジャルジャルみたいなやつにイジメられてそう

2021-12-23

今年の主なお笑いレース総評 前編

関西テレビ R-1グランプリ 優勝者 ゆりやん

今年はリニューアル初回ということだったが番組作りの何もかもが不評だった

審査員野田クリスタルハリウッドザコシショウが加わったのは良かったが古坂大魔王が2人目に99を付けるという暴挙があった

個人的にはかが屋賀屋と高田ぽる子のどっちかが勝ってほしかった ゆりやんの笑いは審査員が落とすべきでしょ

まぁ主題歌番組制作局、演出全てがクソなのでどうでもいい 寧ろクソみたいなのが優勝で良い

フジテレビ ツギクル芸人GP 優勝 金の国

2年ぶりの開催で納得の優勝だったのが金の国。もうフジテレビR-1を全部委託すればいいレベル演出も悪くなかった

司会は爆笑問題審査員は各局のプロデューサー演出を配置した。吉本に過度な忖度も入らないので一番フェアな大会ではないだろうか。

TBS キングオブコント 優勝 空気階段

去年からスポンサー審査員が変更になりユニットでの出場が可能になった。スポンサー審査員が変わっただけでこんなにも良い大会になるのかと言った具合だ。

空気階段歴代最高点を取って文句なしの優勝。審査員の講評も好評で素晴らしい大会になった。

フジテレビ ドラフトコント 優勝 チーム春日

初のユニットコントドラフト形式芸人を取り合って5人1チームでコントをやるという斬新な試みが行われた。

ガチガチの賞レースというよりはお祭り感覚といった感じで山内意識の差があったものの概ね楽しめた。

チーム春日優勝にネットは騒然としたが水川かたまり脚本力は凄まじく他チームのネタ作成者ベテランであったために斬新さで実力差が出てしまたかもしれない

残りは後日書きます

2021-12-18

anond:20211218020349

お笑い好きで会場来とるんちゃうかいとは思うけど、ワイもゆりやんとかで選ばれたら笑えへんかもしれんわ・・・

2021-10-20

anond:20211020063556

ゆりやん惨状を知ってるからじゃない?

痩せても駄目でしたーって

2021-09-30

個人的な好み

わざわざ読むような文章じゃないのでスルーしてください

Twitter面白い芸人さん、面白いネタ動画については積極的に呟いてるけど、面白さが分からない、好みではないと思ったものは呟きづらいからここを使わせてもらいます

ただ、自分にその人やネタ面白さがハマってないだけかもしれないし、その芸人さんやネタ面白いと思う人の意見否定したい訳ではないです

ネタを見た上で個人的もやもやしたところを吐き出したいだけなので、審査員気取りでもないし、これを見てもつっかからないでもらえるとありがたいです

今、過去キングオブコントを2015から2018まで見てて、その中で一番ついていけないなと思ったのがGAG

2017と2018に連続で出場してて、二つネタを見たけど、どちらもノリが古すぎてそこが気になってしまった

ネタ自体面白いし笑えるんだけど、何か全体的に古いのが気になっちゃって彼らのコント世界観にハマりきれない

昭和のノリにハマったらもっと好きになれるのかもしれないなとは思う

2019も2020も出てるみたいだけど、スタイルが変わってたりするのかな?

ザ・ギースの2015のネタは匠の力で生まれ変わらせた後のコント自体に無茶があるような気がしてモヤモヤが残っちゃった

匠の力でこんなにも生まれ変わりましたよという部分だけに集中できればもっと笑えたのかもしれないなと思う

あと、2018のネタモヤモヤも一切なくめっちゃ面白かった

2015のロッチの二本目のネタは既に有名だと思うけど、私もあまり面白くないかなと思った

多分だけど、あのコントがそこまで面白く感じられない理由コカドさんにボクシング王者の役があまり合ってないからじゃないかなと思った

ボクシング王者試合行きたくない駄々をこねるという設定自体面白いと思ったけど、ボクシング王者役があまりピンと来なかったから、どことな違和感があって最後までコント世界観に入りきれなかった

これも有名だけど、一本目は面白かった

2015のさらば青春の光ネタはスベってたけど、個人的には面白かったと思う

ただ、最初の種明かしの時の「兄ちゃん、まだ一枚も絵描いてないやん」をサラッと言い過ぎてそこで笑い損ねる感じがあった

この言い回しちょっと変えるだけでウケ具合が変わるんじゃないか素人ながら思った

2016のラブレターズ歌ネタは多分私の好みの問題であまり面白くなかった

2016のライスネタ面白かったけど、何故かあまり印象に残らなかった

2016のかもめんたるの2本目は後半からの展開がめっちゃ面白かったけど、「冗談どんぶり」の語感が微妙だなって思った

2017のパーパーは男の人の滑舌が気になってコント世界観に完全に入り込めなかった

2017のにゃんこスターはもう流行りが終わった後だからかもしれないけど、あまり面白さが分からなかった

流行ってた当時もあまり笑った記憶がないし、どちらにせよ自分の好みではないんだろうな

2017のアキナネタは怖い系のネタだったから笑うポイントいまいち分からんかった

2017のゾフィーネタは題材の問題で笑うに笑えなかった

深刻な状況でご飯心配ばかりするという面白さ、こういう駄目なやつもいるよねというのをネタでやっている面白さがあるのは分かる

でも、母親をメシ扱いというネタではもやもや感が拭えなくて笑えなかったな

2018はGAG昭和ノリはやっぱり気になったけど、チョコプラの二本目以外はGAGネタも含め、面白いネタばかりだなと思った

チョコプラの二本目のネタ微妙に感じたのは何でだろう

全く面白くない訳ではないけど、決勝であのネタなのは拍子抜けだったというか

審査員の誰かが言っていた通り小道具に頼りすぎだったのかなぁ

小道具ボケ(?)がそこまでピンと来なかったし

あと、横文字連発で置いてきぼりにされたような感じもあった

一本目は面白かった

ここからキングオブコント関係なし

M-1予選の動画で初めてトム・ブラウン漫才を見たんだけど、ツッコミの人が大声を張り上げすぎてて、好みのツッコミじゃないなと思った

いつもああいツッコミならトム・ブラウンネタにはついていけんなって思う

頭をつかむみたいな叩き方と漫才のつかみは好き

他のネタは見たことないし違う感じのツッコミもやってるならネタ全体も好きになれるかもしれんけど

ゆりやんバラエティ番組に出てるとき面白いと思うけど、ネタはついていけない

面白ポイントが分からない

もう中学生ネタは生きてきた常識を越えててよく分からない

ただ、一周回って好きになってくる感じはある

ドリフに挑戦みたいな番組ちょっと見たけど、やっぱり昭和の"痛がること"を笑いに変えるコントは心の底から素直に笑えないなって思った

相手にやり返す方法がどんどんエスカレートしていくネタは痛がってるしもうやめてあげてって思うラインさらに超えて痛そうなことをやるから見てて辛くなってくる

キングオブコント連続で見て、痛いことをしなくても、とんでもなく面白いネタはたくさんあると再認識してたから、ここまでひどいことをやる意味ある?って思っちゃったんだよね

全部見たわけではないか網羅はできないけど、洗濯バサミ、クワガタ竹刀あたりはもうやめようよという気持ちになった

もやもやが残ったネタ芸人さんについてちょっとずつ書いてたら、無駄に長くなってしまったけど、また追加するかもね

2021-07-23

イジリが差別ならそもそも差別を煽る人間メディアに出すな

イジリが出来なくなったから人々から差別が無くなったか

寧ろヒカキンのようなわざわざ気持ち悪いと云われにいくような顔をする人間ヒャダイン岡崎体育のような陰キャこどおじのように受け取る側に誹謗中傷を言わせるようなのが主流になってる ある意味炎上商法としては一流だ それらはクロちゃんと同じカテゴリにいる

違うのはSNS匿名掲示板のような正直に思った感情を云うだけでBANをされる可能性もある 視聴者はギャラももらってない

今までは演者同士でイジリイジラレがあって イジる側が視聴者が思っている差別心(正当性の有無を問わず)を代弁することで成り立っていた

だが弄りが無くなると視聴者はもうやられっぱなしである

先程挙げた人物子供に対するマーケティングを行っている 子供ウンコチンチンで笑い転げる ナチュラルレイシズムなのだ

ゆりやんやぼる塾の誰かさんに対してもそうだ 気持ち悪いと批判する人は単純に美的感覚に基づいているのであり それを笑っている人間の方が寧ろレイシストではないか

虐めは虐められる側にも問題があると私は思う

しか現実ではわざわざそれを思っても口に出せないことがおおい 倫理観が高ければ特にそうだ

陰キャ人間は虐められたと豪語するが 虐めっ子しか見えておらず 無関係とおぼしき人間も実際心のなかでは虐めたいと思っている可能性があるし 虐めっ子が代表となり虐めることで代弁しているかもしれない

一般社会や通行人などに対して容姿批判するのは流石に問題だが芸能などの広告業生計を立てている人間に対しては見る側の意思で全てが成り立っている

結局は炎上商法可能なので批判する人間はその炎上者の思う壺だ しかTwitterなどのSNSでBANされるのはおかしい もし誹謗中傷がどんな理由であれダメであるなら 差別を煽るインフルエンサー規制もしなければならない

2021-06-10

anond:20210610140147

ゆりやんゆりあんって書く人って一定数いるんだけど、字面違和感ないもんかな?

耳に聞こえた音をそのまま書いて、目は素通りしてんのかな?

どっちでもいいだろって言われれば、まぁ私は本人じゃないからその通りなんだけどさ

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