「代官」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 代官とは

2020-10-29

anond:20201029102127

30代官僚と仮定して、年収5-600万の30代未婚率が6.2%らしいから、大抵そんな待遇になったらめざとい女に捕獲されてるんだよ、婚活市場に出て来なくともね…

まりお友達は、それだけのスペックを無に帰すぐらいの難あり物件か、男性が好きか、まだ若いだけで30代になれば捕獲されるよ☺️

2020-09-14

何がムカつくと言えば

時代劇で言えば将軍クラス地位なのに、

「そちも悪よのぅ」

「いえいえ、お代官さまほどでは」

ぐらいの悪さばっかりしてるってことだ。

やることが小さい。

2020-09-12

ポリ黄門

――今日は一連の漫遊を拝見させて頂きましたが、最近の黄門様はいわゆる「懲らしめ(※目付による実力行使)」はなさらないんですか?

黄門「昔はそういう黄門も居たようですね(笑)今はコンプラ的に暴力は完全にアウトです。幕府の方からも厳しく禁じられています。」

――我々からすると懲らしめからの控えおろう、が定番の印象ですが、控えおろうも現在は行われていないようですね。

黄門「その通りです。威圧的に印籠を出すのもパワハラですから。印籠の提示最初に行います。」

――懲らしめを行わなくても領地経営は上手く行く物なんでしょうか?

黄門「そもそも代官の皆さんは普段から領地を上手に治められているので問題となるようなケースはほとんど無いんですよ。よく誤解されるんですが、皆さんがイメージするような悪代官は昔から僅かしかいないんです。領民に厳しく当たる代官はすぐに更迭されますので。」

――なるほど、幕領の運営は盤石なんですね!本日はお忙しい中、ありがとうございました。

黄門「こちらこそありがとうございました。」

2020-08-16

切腹を申し渡すとはいうが

っておもった。

死んでわびる必要はないが

これ

しなりをちゃんとよむと

死んでわびるのお代官様じゃない?

罪を擦り付けてるだろ

2020-08-08

異世界転生したら徳川将軍で悪い代官暴力でやっつける

なろう小説って水戸黄門もじゃん

2020-06-21

[]

みなさまごきげんよう

美濃焼ミュージアムに行ってまいりましたわ

代官坂崎源兵衛と根本焼」展では冠婚に使われた高品質目出度い焼き物根本焼が展示されていましたの

坂崎源兵衛は貧しい地域のために、この根本焼を興すことに励んだのですが

資金集めのための重税を恨まれ百姓5人に闇討ちにされて亡くなりました

でも根本焼は地域に根づいて明治になって大きく花開いたそうですわ

根本焼を焼いた人々は農業の片手間に焼き物をやっていたらしいのに

でも李白漢詩に造形があることが伺われる筆使いで詩を焼き物に書いているようで

源兵衛さんの亡くなり方といい何だか一筋縄はいかない人々ですわ

定番の西浦焼展も開催中でやっぱり朝顔型盃には惹かれましたわ

2020-06-12

anond:20200612065750

0.81に0.81をかけると1.00になるってこたえられたら、お代官様もでてこられないし、政権も末期に成るわそりゃ

2020-05-29

むちゃいうな

あれがカメラ

あれが警察

さぁ現金100万円です。

おうけとりください。お代官様。

・・・ 書こうと思ったけど いらないよね。

2020-04-15

anond:20200414081421

公務員特権おいしいです

僻んでる奴はどうして俺のようにお代官様になって越後屋から接待される身分にならなかったの

どうして若い努力して支配階級にならなかったの

まで読んだ

2020-04-13

孫正義氏のTwitterアンケート工作された件

「(政府は)徹底した休業と補償を即刻やるべきだと思う?」→「はい」が94%だったのに、たった数時間で30万票上積みされ「いいえ」が60%に!

ttps://yuruneto.com/son-higai/

ttps://note.com/ishtarist/n/nef6dcdda461e

30万ねえ

そういえば陸海空自衛隊と防衛職員を合わせると25万人程度なんだっけか

ブルーベリーフランペチーノ隊の正体がわかった気がする

阿部政権下で公務員給料は増え続けているもんな

医療機関が持ってないN95マスクを大量に持ってパトロールする警察

上級国民公務員様方にとっては、コロナウイルス赤の他人国民が市にまくっても、

代官様を厚遇してくれる安倍政権千代八千代に続いたほうがええよな

2020-04-02

anond:20200402193935

多分そういうリベラル水戸黄門降臨に期待してんだ

代官様は自分らをいじめるけど権力の頂点は庶民の味方になってくれるというイメージ

悪代官は嫌いだけどじつは葵の御紋の威光を否定する気はない

でも徳川家自分の意に沿わなくなったら尊皇攘夷に切りかえる

かように弱者にとって権力とは都合良く利用するものなのだ

からといって権力側が可哀相とは思わんぞ

連中だっていい思いしてるんだし

2020-01-30

anond:20200130063718

はっきり言おう

代官さまはお代官さまであることが仕事であり部長クラスでないと価値がないぞ

手が動かせ無いし下々の者ほど働いた事がないからだ

もちろん寡占化された分野にいるとか付加価値がほかに有れば別だけど(同業他社に移るとかその分野にいたとき経験を活かす)

正解は投資で安定して財を築くことだぞ

2019-11-17

吉良上野介の話

最初

吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)

三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。

 

 

吉良上野介は名君?

忠臣蔵で悪役として扱われている吉良上野介

近年「実は吉良上野介地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。

歴史秘話みたいな感じでテレビでも取り上げられるので、

吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。

 

 

で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると

案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。

 

 

恥ずかしながら私もそうで、

三河地方っていうのは知っていたのだけれど

漠然と、今の西尾市だろうと思っていると、

年配の西尾市出身の人から変な顔をされた。

 

地元歴史的経緯 

この辺には歴史的な経緯があるそうで、

そもそも三河に持っていた吉良上野介領地というのは

幡豆郡吉良庄の中のうち、八か村が飛び地の形であった。

いっても吉良は旗本なんで、そんなに領地は大きくない。

吉良は赤穂事件の後、三河領地没収されて

その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社旗本領地なんかに吸収されて

明治からは村の統廃合が続く。

(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような) 

 

 

その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町合併して吉良町生まれる。

(余談だが吉良には雲母の意があったという)

吉良町の中に、かつての吉良上野介領地も含まれてた感じ。

  

そして平成23年にこの吉良町西尾市編入合併される。

  

もともと西尾市には西尾藩というのがあったわけで、

歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで

古くから西尾市の人に「吉良上野介地元」と言われると変な顔をされたわけだ。

 

 

もう少し西尾市の人に話を聞いてみると、

んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、

吉良上野介時代に、西尾藩には土井利意という名君がいて

西尾藩領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので

大二重堤防を作って、これを防いだという逸話があるという。

 

 

こういう歴史上の逸話は、どこまで本当かどうかはワカランが

こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩地域の人にとっては、

吉良上野介地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。

 

 

名君の作り方

ただ近年、西尾市教育委員会とかが、

積極的に「黄金堤」などを吉良上野介の治績として

吉良上野介地域の名君として賞賛する教育西尾市の全域で行っているとのこと。

 

それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。 

(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)

 

調べてみると、

吉良上野介黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。

そもそも吉良上野介の治績を裏付ける文献や史料は無く、

どうも大正時代に作られた怪しい逸話が元になっているらしい。

 

 

残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で

しろ周辺とトラブルを起こしていたりしてる。

 

 

どうも旧吉良町との同化政策の一環として、

近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。

 

 

実際に吉良上野介が名君であったかどうかはともかく、

消えてしまった「吉良町」という名前を、

なんとか別の形で残そうという人の思いかも知れないね

 

でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて

教育を利用して子供達に広げるのはどうなのかなぁと。

 

 

また吉良上野介と同時代に、その地域

地震被害の救済に尽力したり色々と善政をおこなった土井利意や

堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブル調停もしている)

なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、

「らしい」という話しかない吉良上野介けが地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、

なんだかなぁって思ったりする。

 

 

吉良の赤馬

吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。

愛知県ホームページにも、

吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸天保年間に子ども玩具として作ったのが始まりです」

とある

しかしこの記述は、よく読むとあやしい

天保年間というのは、1831年から1845年までの間だ。

いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。

三河領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。

 

 

まり天保年間というのは、130年ぐらい後の話になるわけで

「領内の村に住んでいた村人」と言っても、

その時には吉良領は跡形もなくなっている。

昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。

 

 

実際の記録では吉良上野介三河領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。

直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、

まだなんとなくわかる気がするのだけれど、

百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、

わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。

天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。

  

  

調べると、さらに興味深い話が出てきて、

吉良の赤馬は近年になって愛好家から要望で、

商品に「白馬」と「殿様」というのが加わったという。

この時点では「白馬」なのね。

もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、

突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ

  

まりそもそも赤馬と吉良上野介関係なく、

「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。

 

 

もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、

色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、

愛知県をはじめとした自治体がそういうのに乗っかって、

曖昧根拠のまま紹介するのはどうなんだろうね。

実際、どうなんだろう?

このエントリーは「吉良上野介地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、

からといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。

(西尾藩領民洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)

 

  

んで、赤穂浪士研究している団体の中には、

「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。

 

吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。

 

 

それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。

少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して

へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。 

 

 

たぶんメディアとかでは広がらない話。

もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、

中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。

 

 

実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが

例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、

そこには話題性も何も無いわけだ。

 

 

この点は、なかなか興味深くて、  

「誤った情報」と「正しい情報」っていうのを比べてみても

必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、

広がりやすさには非対称性が生まれてる。

 

たぶん「地元では吉良上野介は名君」って話は

このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。

 

とか思ってたら、wikiかにもわりと詳しく書いてあったわ。

 

2019-11-12

警察捜査をするだけだし犯罪にあたるかどうかは裁判所で決めるっていう単純な話なのに、なんで逮捕の有無がどうとかいってるのか。

裁判所はお代官様が6とりしきる奉行所じゃないんだぞ?

2019-09-18

anond:20190918212141

🐕))これはこれはお代官様、こんなところでお会いするとは……。

🐇イヌさん……。」🐈))怪しいですニャ!!

2019-08-25

anond:20190825150903

代官様の数少ない髪の毛を引き抜くなんて恐れ多くてできません><

2019-08-15

anond:20190814202231

  1. 風が吹く
  2. 火事が起こる
  3. 棺桶が売れる
  4. 桶屋が儲かる

代官木材問屋が暗躍する裏で、桶屋がボロ儲けするのであった。

2018-09-21

anond:20180921224958

代官に仕える下っ端どもが、一揆の側に寝返ったんだろ

anond:20180921223520

自民党員は代官で、政治を知っている分悪い野郎が沢山いる。

当時の民主党員は、農民百姓一揆で城を落としたようなもので、いざ為政者にはなってみたけど庶民理想現実にするに至る経験コネ能力も不足、なかに集落や村レベルの見識で有頂天になった勘違い野郎スタンドプレイに走ったりもした。

江戸時代身分社会はまだ終わらない。

2018-07-02

【お代官さま(日本)、年貢がキツうございます

物価上昇に伴い所得が順調に伸びれば良いのだが賃金の上昇が少なく、スパルタンなお財布へ新たな税金刺客のように忍び寄っている‥

住民税」や「所得税」の定番2トップはもとより旅行へ行くと「出国税」。値段が上がった「タバコ税」、しれっと取られる「森林環境税」。

代官さま!これ以上、農民から年貢を取らないでけろ!

2018-06-17

感覚として国や県単位で好きになるわけない

愛郷心は旧代官支配地域だろう。一緒に一揆を起こした仲間たちだ。

2018-05-18

anond:20180517162500

室町時代の正長の土一揆や嘉吉の土一揆などの、成功した土一揆を見れば、

体制側に混乱がある状態で、戦慣れした人員を迎え入れつつ、数万人規模を動員できれば勝てる可能性があることが分かる。

ただ、そもそも一揆というものは、

一揆いっき)とは、日本において何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとすること

とあるように、かなり幅広い意味を含む言葉である

元増田が言うような、江戸時代の「百姓一揆」などは、確かに農民が中心だが、それにも様々な形態があり、

村長や村役人農民たちを指揮して領主圧政を訴えるものもあれば、

領主とつるんでいる村長や村役人農民たちが襲うものもあった。

また、その手段も、代官のところに押しかけて直訴するだけだったり、

逃散したり、酒屋や土倉を襲ったりと、バリエーションがあったわけで、

農民武器を持って武士と戦うだけが一揆ではないのである

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん