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2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-02-22

初対面で「オレのほうはもうコチコチさ」

「あるテレビ局の対談ではじめて会ったとき、オレのほうはもうコチコチさ。長島さんに憧れて野球をはじめたようなものから。その対談までは、まるで外からしか見たことのない人だったけれど、やっぱりすばらしい人だった。アクがないというか、人を引きつける一種独特の魅力があるんだね。なんなのだろう? 人間性かな? いや、やっぱりあの人の野球だと思う」(なんと言われようとオレ流さ/落合博満講談社

2023-05-18

市川猿之助ゲイ差別国家

市川猿之助さんを追い詰めたのは誰か。

もちろん未だにゲイ面白おかし報道する日本マスメディアとそれに扇動され好奇の目で芸を消費する日本社会それ自体だろう。

  

猿之助さんは独身の成人であり、どのような恋愛性愛を楽しんだとて余人に後ろ指を指される筋合いはない。

共に舞台芸術を作り上げる人の輪というもの一種独特の熱をはらもの

稽古上がりや打ち上げの際にアルコールも入れば一般人には馴染みのない関係性も生まれる。

  

もちろんそれが嫌だったという人の声は聴かれなければならないが

殊更に猿之助さんだけ悪辣加害者として面白おかしく書かれる必要があったか

猿之助さんが痛ましい自死を図った原因は遺書を読むまでもないし

そこにゲイ差別を見出すなという方が無理があるだろう。

  

何度不倫をし家族を裏切っても社会から許され続ける人間梨園はいくらでもいる。

中年になっても老人になってもセックス相手に事欠かない理由はきっと肉体的魅力だけではない。

彼等のケースでも明らかに知名度社会的パワーや金銭が背景になっているのに、

それをハラスメントと呼ぶかどうかは暗黙の社会合意によって極めて恣意的運用されている。

 

結局は「猿之助ゲイ」ということが本丸だったのだろうが、

未だに同性婚を認めるの認めないのという地点で議論をしているような日本だ。

伝統芸能を背負って立つ猿之助さんは特定相手と会いを育むことも家庭を持つことも出来なかった。

 

寂しさに負けず仕事の場にパッションをぶつけたりクローズドな営みを持ったりしていても結局はこのように晒され自死を決意するところまで追い込まれしまう。

「〇〇ハラスメント」だ「加害者」だ「被害者」だという口実は沢山作るが、

まりは男が男を愛したというその一点を問題としていることは誰の目にも明らかだろう。

 

このように不気味で冷酷な全社会イジメ体質こそが2023年ゲイ差別国家ヘルジャパン実相なのである

2020-03-03

anond:20200302233217

で、当人土下座会見ってw

中世ジャップランドとか言ってる奴のコメントがききてーな。

別に日本人朝鮮人よりクレバーだなんて思いもしないが

あの国体制が見せる、一種独特のすっとんきょうっぷりは一体何なんだろう

2019-11-26

AVの導入部分

最近ラブホテルに行くと、AVチャンネルについつい見入ってしまう。

中でも緊縛物とかのAVの、最初の導入というか、エロくないストーリーのとこ(たとえば病気母親もつ娘が叔父さんに借金しに行って「何でもしまから!」って言って監禁されるくだりとか、女子高生ヤクザ相手自転車事故を起こして「この示談金は身体で払ってもらおうか!」となるくだりとか、クレーム入れてきた客が昔いじめてた同級生で、服を脱いでお詫びするはめになるくだりとか)が好きだ。可及的速やかにエロそして緊縛電マ責めへと移行するためにかなり飛躍的かつ不自然な展開を見せるものの、一応最低限の理屈をつけようとはしている(つまりいきなり緊縛された状況から開始されはしない)ところに、一種独特創造性を感じてしまう。

から、冒頭からブラが切られるくらいまでのくだりを堪能したいのだが、一緒に来た人が延々口でするシーンや延々ピストンするシーンまで早送りするからまらん。

いつかいろんなAVの導入部分についてもっと真面目に検証考察してみたい。

自分自身も、ホテルで胸を揉まれるまでがクライマックスかな、という気はしてしまう。

2019-09-09

台風で大荒れの日のセックス

今朝の台風で思い出したこと

もう10年くらい前。当時僕は貧乏で築40-50年経ったボロアパートの2階でひとり暮らしをしていた。

ある日ちょうど今くらいの時期に当時住んでいた地域台風が直撃するとニュースなどで大きく報じられたことがあった。その日、本当は当時付き合っていた彼女と出かける予定だったけど、帰りに台風で大荒れになったら困ると予定を変更。家飲みをすることにした。

彼女は僕の家に来る途中のスーパーコロッケとか惣菜お酒を買い込んで、僕はその間に家の大掃除。僕のアパートはボロで隣の部屋のテレビの音が聞こえるほど壁が薄かったから、彼女が来ることはほとんどなかった。いつもは彼女の家に行くことが多かったけど、なぜかその日はうちに来ることに。

夕方5時くらいに彼女が来たときは嵐の前の静けさなのか晴れ間さえあって「出かけられたね」なんて話していたものの、晩ご飯を食べ始める頃には風が強くなり、12時過ぎには大荒れになっていた。あまりの風に雨戸も閉めた。

外は風の音がすごい。風がゴーゴーとなり雨戸はガタガタ。アパートの2階に住んでいて、屋根が飛んでくと本気で思った。そしてしばらくしたら停電。家に付けられる灯りといったら、防災用に買った小さな懐中電灯しかなかったか電気を付けると、聞こえてくるのは雨が雨戸を打ち付ける音と雨戸アパート屋根のガタガタする音だけだった。

そんな嵐の中、僕たちとはどちらからともなくセックスを始めた。雨風の音で自分たちの声はかき消され、普段より彼女は大きな声を出していた気がする。なぜかいつもよりすごく激しくセックスをした。あのときセックスが今までで一番燃えた。それはあの台風が作り出した大きな音と、小さな懐中電灯の明かりが一種独特雰囲気を作ったんだと思う。

今でも大型の台風が来て天気が荒れるとその時のことを思い出してセックスをしたくなる。

昨日の夜も風の音でなかなか寝付けず、隣に妻と子供が寝ている姿を見ながらそんなことを思い出し、夜中の2時にトイレで当時の思い出を胸にオナニーに勤しんだ。

ちなみに妻は当時付き合っていた彼女ではない。

当時付き合っていた彼女とはその後、結婚する話が出て相手の両親に会ったものの、その後彼女浮気が発覚。別れてしまった。

しかも別れ話の時にわかったのだか、浮気最初にしたのは台風の日だった。会社の人たちと飲みに行った彼女電車が止まって帰れなくなり、同僚と遅くまで酒を飲みそのままラブホに行ったらしい。

今になって思うのは、きっと当時付き合っていた彼女なかにも「嵐の日はセックスは盛り上がる」という関連付けがされたのかもしれない。

2016-05-03

はてな匿名ダイアリーって2chTwitterとは異なるネット文化圏なんだね

はてな匿名ダイアリー通称増田、今までたまに読むことはあったがそんなにどっぷり浸かるかの如く読んでたわけじゃないし、自分ユーザー登録したこともなかった

今まで2chTwitterには割と浸かってきたが、今回初めてはてな界隈文章をたくさん読んでみると、それらとは違う一種独特の新鮮味を覚えた

今日はてなユーザー登録してこうして人生で初めて増田に書き込んでいるが、長年インターネットをやってきても、自分の興味の埒外にはまだまだ知らない世界があるのだなあと思いました

2015-12-27

2015年セックスの振り返り

ちょっと早いけど。2014年のはhttp://anond.hatelabo.jp/20150110001952です。

  • 年上の熟女美人のA
  • twitter経由の人妻B
    • 結局、おそらく嫌われて、距離を置かれてしまった。構ってほしかったときに僕が気を使って、あるいは懐を広くとろうとして遠慮してしまい、放っといてほしかったときに構いすぎたのかも。すべて僕の勘違いかもしれないが、もう連絡は取れないので永遠の謎だ。「初代」さんより嫌われているかもしれない。本当に残念だ。
    • 彼女は「私はこれでいいの」と自分を貶めるタイプに僕には思えていて、そんな彼女を、いっとき失恋の傷から引き戻す手伝いができた気がしていて、嬉しかった。その後、ある男性の都合のいい便所女みたいなポジションに堕ちたがっているように見えた彼女に、その男性と会うためにシティホテルを取るならこうしたらいいよ、というアドバイスまでしつつ(ナナメに構えた色男ぶっていたのかな)、そんな逢引の日に晩ごはんを付き合って元気づけしたり、もっと自分を自信をもって出しなよ、とか励ましたり、ふところ広く接していたつもりだった。
    • 時に何を考えてるのか不思議なぐらい面白いことを言い出すびっくり箱のような女。さっぱりしていながら時おり見せる弱みのいじらしさ。すてきなからだ。自分では卑下するけれど、僕の好みから見たら美人毎日楽しいやりとり。そしておそらくとても良かった何回かのセックスの相性。
    • そんなうちに、本気で彼女を好きになってしまった。合計3週間ぐらいの間。自分もびっくりした。大人だから恋愛の手前ぐらいの「仲良しセフレ」で付き合うのが信条だったのに。ヤキが回ったのだろう。朝まで彼女のことを考え、真面目に好きになったと告白し、しっかり振られた。かつ、その男性のことは、決して自虐じゃなくて、ちゃんと好きなんだ、とも聞いた。であればそれは素晴らしいことだ。楽しくうまくやりなよ、とエールを送った。もろに「振られた」のはいつ以来だろう。もちろんやせ我慢もあるけど、やせ我慢すべきときがある。
    • そのあとまたご飯に行こうよ、と誘われて、じゃあ行くよ、とやりとりをしているうち、会いに来るなんて頭がおかしい、あっち行け、みたいにあしらわれて、このあたりも意味がわからなくて永遠の謎だ。こういうのは理屈じゃなくて、各自がどうしたいか、に尽きるからしょうがない。いったい自分がどう思われており、自分はどうしたらいいのか。情けないやら、気持ち悪いやら、これ以上彼女と関わると病む。僕も連絡先を消した。
    • それからしばらくして、出口と解決のない感情が折れて、2週間ぐらいの間、彼女を憎んだ。すぐ消したが、ひどいことも書いた。本当に悪いことをした。ただ、彼女には自分名前も何もかも教えてあり、つまり僕を社会的に殺せる核ミサイルボタンを渡してある。撃ちたければ撃てよ、と思っていた。いま思い返すと病んでいるなー。
    • 半年以上が経ち、いまは何かの折のきっかけに思い出す程度だ。その男性と続いているのか、他の誰かを見つけたのか、それとも婚外は卒業したのか。そのへんはわからないが、よき日々を送ってくれていると嬉しい。
    • ただ、恋愛とかセフレとかよりも、いい友達だと思っていた、そのともだちを失った残念さは、いまだにある。好きだったマーヴィン・ゲイを聴けなくなり、耳に入ると嫌な気持になる。これが「何かの折」であり、ひきづっている証拠だろう。
    • 一年後また振り返ってみよう。
  • twitter経由の人妻C
  • twitter経由の人妻D
    • スレンダー美人。2〜3年前に、彼女からの思いが(彼女にとっても)重荷になってきたのがわかって、距離をおいた。ごめんなさい。
    • ひさしぶりに連絡し、彼女も慎重に距離をはかりつつ、会いに来て、食事をし、次に会ったときに、抱いた。おそらく、Bに対してむしゃくしゃしていたものを発散したかったのだろう。ひどい話だ。ごめんなさい。
    • おそらく、彼女にとっても、僕に対して淀んでいた何かが吹っ切れたのかもしれない。互いにさっぱり連絡は切れた。これでよかったと思いたい。
  • twitter経由の専門職E
  • twitter経由の女子大生F
  • twitter経由のフリーターG
  • twitter経由の学生H
    • 知性、家庭、嗜好ともにとても特徴を持つ女の子。小柄で、美少女枠だ。お互いに、一種独特の信頼感と友人感がある。この人とは、年齢や性などをおいても、人として長くどこかでつながっていたい。
  • twitter経由の人妻J
    • 年代。いままで都合のいい女の立場しか経験がなかった。不憫。僕はこういうケースに弱いようだ。
    • 仲良しセフレ+α ぐらいにある。ややMなので、今後この扉を開けていいのか、どうするか考え中。
  • 今年のベストセックス
    • わかんない。長持ちから遅漏を超えて、逝かないことも増えたし、セックスに飽きてきているのかもしれない。
 
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