はてなキーワード: 連歌とは
外なエピソード
おもしろいことに、光秀の性格を窺わせる、菓子関連のエピソードが残っています。天正10年(1582)6月2日、本能寺の変で信長を討った数日後のこと。京の人々が光秀に粽を献上しましたが、光秀は笹の葉の包みもとらずに粽を口にいれてしまったそうです。信長を倒したものの、あてにしていた援軍もえられず、いらだっていたためでしょう。京の人々はその姿を見て、この程度の人物かと、光秀の器を見限ったそうです。(『閑際筆記(かんさいひっき)』より)光秀は和歌・連歌を好み、茶湯をたしなむ文化人でもありましたが、この時ばかりは動揺を隠せず、自分を失っていたのでしょう。
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/032/
これどういうことだろうか。
イライラして動揺してる姿が上に立つ器ではない、というエピソードなのだろうか。
説明不足だなあ。
着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。
ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽者であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽者であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。
天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀(津川三松)の屋敷を訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利の分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家の嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利の分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康も新田氏の分家を自称していた。
関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。
征夷大将軍に就任した家康に謁見した際、室町幕府第10代将軍・足利義稙から山名氏当主に贈られた羽織を着用して賞された。
有職故実や和歌・連歌・茶湯・将棋などの文化、教養面に精通していた。室町時代の名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府の上級旗本として存続させた。
「うきは皆 落ち穂還らぬ むつきかな」
これは幌生家の足軽大将、凹田米国衛門が直参の部下限定で開催した連歌会で詠んだ歌である。
非公開といえども彼は非常に多くの部下を抱え、その中には「草」も混じっていた(むしろ大草原は凹田家の常だった)から
その内容はあっさりと漏れ、武威ノ本で話題を呼ぶことになった。
季節や農業を詠んでいる歌に見せかけて、主家への不満を漏らしたと受け取られたのである。
知らせを聞いた中にはあの楠永玉秀の悪夢が脳裏をよぎった者もいたという。
出世頭の発言に、かたちの上では非公開とはいえ、幌生家中には動揺が広がっていた。
野次馬の中には、このような事態になった背景には、幌生家の家風があると指摘する軍配者もいた。
いまや武威ノ本最大の威勢を誇る幌生家が勢力を急速に拡張したのは、家臣同士を競わせる方針が寄与している。
その方針の厳しさは一時期などは目標以上に石高を伸ばせなかった家臣の人相書きを辻に張り出して屈辱を与えていたほどのものだ。
ゆえに武将たちは切磋琢磨し、兵たちも大将に恥をかかせないため必死に働いた。
それをいちおうプラスの側面とすれば、マイナスの側面として幌生家の家臣同士が出し抜くべきライバルに近い関係になってしまい、
お互いに支え合うことが難しくなる点があげられる。
それでも古参であり同じ戦場をいくつもくぐり抜けた戦友の関係ならまだ助け合うこともできるようが、
途中参加の家臣にとっては、いくら成果をあげていても、心細く不満を溜め込みやすい家風といえる。
もちろん、その家臣による性格の影響も大きい。
凹田米国衛門が相談できる相手としては同時期に幌生家に仕え始めた藍水軍の船大将、藍玉鈴が挙げられるが、
相談できる相手が極少数では相談して頼みの綱を失う恐怖もあり、ガス抜きも簡単ではない。
幌生家が厳しい負担に見合った厚遇を与えているつもりでも、傭兵上がりで経験豊富な武将の多い家臣たちがどう受け取るかはわからない。
連歌の会の会員さんですか
藪医者(やぶいしゃ)とは、適切な診療能力や治療能力を持たない医師や歯科医師を指す俗称・蔑称である。
同義語に庸医(ようい)がある。
古くは1422年に「藪医師」、1283年に「藪薬師」の記録がある
語源については、諺「藪をつついて蛇を出す」(余計なことをしてかえって事態を悪化させてしまう)からとする説、
「薮柑子」「薮茗荷」「薮連歌」など、似て非なる物に「薮」の字を冠するところからとする説や、
腕が悪くて普段は患者の来ない医者でも、風邪が流行って医者の数が足りなくなると患者が押し寄せ忙しくなることから、
「カゼ(風)で動く=藪」という説もある。
「藪のように見通しがきかない」医者という説も存在し、この説に基づき、藪以下の全く見通しのきかない未熟な医者を「土手医者」と呼ぶこともある。
また藪医者以下のひどい医者のことは、「やぶ医者にも至らない」「藪にも至らない」という意味を込めて「筍(たけのこ)医者」と呼ぶこともある[3]。
藪医者を人名になぞらえて、“藪井竹庵”(やぶい ちくあん)とも言い[2]、落語などで藪医者を登場させる時、この名を用いることがある。
最近花火大会の話をよく聞く、忙しいし誘うような相手もいないから行っていないんだけども
毎年一回は行ってるし見るのも屋台もとても楽しいんだけど、それと同時に悲しくて、寂しくて涙が出てしまうからつらい 別にトラウマとかがあるわけじゃなくてなんとなく物悲しいだけ
夏の風物詩のはずなのに夏の楽しい時間の終わり、儚さを感じる たぶん一瞬開いて消える刹那的な感じがなせる業なんだと思う 現実に戻らなきゃいけない虚無感も相俟って
周りに聞いても花火は綺麗なもの、楽しいものという認識しかないみたいで自分がおかしいんじゃないかと
でも連歌とかで秋の季語だったりするらしいし、お盆の送り火を思わせるものもあって 一部なりとも同じ感覚を持っている人もいるのかもね
お嬢様キャラとかゾンビとか男子&女子高生の制服だとか、イケメンの髪形や性格や台詞とか、眼鏡キャラとか、とにかく現代の漫画作品では類型化が甚だしい。
何かみえざる暗黙の「ルール」に基づくキャラクター作りや設定作りが蔓延していて、その「ルール」の中での成績の良さを競っているかのようだ。
気を衒っているかに見える漫画でさえ、キャラや展開にいつもの「ルール」が見え隠れする。
敢えて時代を限定すると、2004~2005年ころ、メイドブームの成熟期からこの傾向性が高まってきたような感覚がある。印象論だけどね。
「メイド」の「ルール」が蔓延し、他の記号の「ルール」もこの後あまり時をおかず普及した。あとツンデレとかもこの時期だよね。
時代の変化ってのはグラデーションなんだろうけど、それじゃあ書いてて面白くないから、あえて一つの画期を示したぞ。
本当は昔から「ルール」はある。ジャンプの新連載の1話目なんて、伝統芸能かと思うほどに構造が定形的だ。
もちろん、これは漫画と言うジャンルが成熟した証左だと言えるのかもしれない。類型化したキャラの方が解りやすく、人気や売り上げに繋がるのかもしれない。
私はコミックスで言うと既刊含めて年間3000巻くらい読む。こうした「ルール」に違和感も感じながらも、自分がかなり「ルール」に馴染んでいるともまた感じる。
「ルール」は漫画の基礎的なリテラシーと関連する部分も多いから仕方がないのかもしれない。
けれどそれじゃあ、「ルール」が強すぎる昨今じゃあ、絶対的な革新は起こりにくいのかもって思う。「ルール」内での洗練は起こっても。漫画と言う文化と言うか振る舞いが100年先に延命できるような革新。これは起こりにくい。
サッカーではハンドしちゃいけないのだけど、実は漫画ではそれは可能だ。ただしハンドを押し通すための実力が必要だが。逆に「ルール」に従うのは楽っちゃあ楽なのだ。
一時期、ウェブで無料で見られる漫画こそが「ルール」を逸脱あるいは超越しうる存在ではないのか、と思っていた。
だが最近、ウェブで個人的にやっていた漫画が雑誌の企画になっていったり、あるいは出版社がウェブマンガ部門を建てることが一般化した。
ウェブの在野の漫画と、商業に乗る漫画とがインターネットの歴史の中で距離を縮める結果になった。双方歩み寄った。
ということでウェブで無料で見られる漫画も、そのほとんどが今は「ルール」のなかだ。
それでもちろんいいんだけど、じゃあウェブで、タダで、個人的に表現する意味って何なのだろう? とふと思う。
私は「ルール」があっても愉しい。愉しめる。だから「ルール」だらけでもいい。だけど「ルール」は変転していってほしいと思う。そうでないと漫画は未来に残らない。
連歌なんかがそうだと思うんだけど、「ルール」が多すぎる。だからどこかで途切れて、今は誰もやってない。現代ではカラオケで「○○しばり」とかして意味的に繋がりのある歌を歌うばかりだ。
40年後くらいに、音痴が障害として認められるのではないかと密かに思っている。
音痴という表現は差別的とされ、「音ち」などの言い換え案がいくつか出た後、最終的には「広汎性音程障害」みたいな大層な名前がつく。
これにより日本発祥の文化であるカラオケが衰退に向かう。カラオケは音痴の人の人権を侵害するからだ。
かわりに伝統的な歌である和歌や連歌、俳諧が再燃する。みんな酒を飲んだ二次会とかで、季節の歌を歌ったり伝統的な和歌のパロディとかで盛り上がる。酔って短冊や掛け軸に自分の歌を書いたりする。
人間は公の場で放歌することをしなくなる。上手に歌を歌うことは、音痴の人への差別になるからだ。
メディアでは音程をほとんど気にすることのない歌が、当局の現在よりずっと厳しい検査のもと歌われる。
こうして人類の発展とともにあった「歌うこと」は人間の手から離れ、人間は進歩か退化かどちらともとれない新たな次元へ進んでいく。