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はてなキーワード: 意見交換とは

2017-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20170429163218

確かに批判を許さないのはおかしい。

しかし、自分が間違っていないと思ったら批判に屈しないのも言論の自由だろう。

お互い堂々と意見交換すればいいんじゃない

2017-04-21

80を超える祖母とうまくやっていけない


自分は、大学生自分祖母と一緒に住んでいる。

平日週五で大学に通っている。一緒に住んでいる祖母脳梗塞を一度患い、

言語障害がある状態比較ボケてはいなかったのだけどボケも始まってきている。

一緒に住み始めてのころは買い物行ってきてーと言われて行ったりしてたんだけど、

しばらくして、ベッドから二・三歩のトイレまで歩けなくなり転倒をするほど悪化した。

結局入院をすることになったが、一ヶ月で退院できた。

体に異常があるのではなくて、日常的な運動が少なくて再発すると医師に言われたので、

家族デイサービスを探して週五回(平日5日)運動するようにしようとみんなで決めた。

ただ、やはり週五回のリハビリ自由がかなりなくなってしまうので本人はかなり苦痛らしくしばしば休んでいた。

それでもなんとか週四回ぐらい行くように話をしていたし、退院してから治らないと嘆いているのを見ていられなくて、

公園リハビリに一時間連れ出したりしていた。

本人は嫌がったんだけど良くならないと嘆いていたデイサービスのほうで

初めて下肢筋力がついてきたと報告されて効果が出始めたんだな…と思っていたし、本人にもそう話してはいた。

ただ、リハビリデイサービスをこなすのは相当しんどいようでものすごい暴言を言われてしまった。

効果が出れば少しでも減らせると思ったのだが、話しても伝わらなくなっていった。

その後、言われたことに耐えられなくなってしまったので実家に戻った。

一ヶ月ほど自分が家を空けたがその時は週三回しか行かなかったみたいだった。

帰れと繰り返し言われたので、帰るからと言って準備をし、

これ以上はお互いのためにならないから一旦帰るねと冷静に伝えたが、

さっさと帰れという素振りを見せるだけで話を聞いてはくれなかった。

その後に母とデイサービスの視察にまた行き、細かくどれくらいの距離をやってるのかを記録して欲しいとお願いしにいったり、

風呂が狭くて嫌だと聞いていたので別の所に行けないか?と自分と母とケアマネージャーと話をしたりした。

その間も、しばらく帰らない方がお互いの関係のためでもあるし、自分の体は自分が一番わかっていて管理ができているというのが口癖だったので

しばらく経過を見ておこうと思っていたので二週間ほど戻らなかった。

その後、母と一緒に祖母の元に行く機会があったのだけど早く戻っておいでと言われた。

その時に、以前の暴言を言われたことを忘れられないのでもうしばらく戻らないと一度断ったが、

それから二週間後に新学期を迎える時期に戻ることになって

その時にお互いに尊重しよう、酷いことお互いに言わないようにしよう、週4回とりあえず行って少しずつ減らしていこうと話をした。

お互い納得の上生活してたんだけど、自分大学が始まってバタバタし始めた。

帰ってきて行ってるかどうか忙しくて聞けなかった。

月曜日は行ったのだけど、こけてあざができたらしく火曜日水曜日と休んでいたので

木曜日は行くように話をした。しかし、デイサービスの人が迎えに来なかった。

落ち着いてなぜ木曜日に行けなかったかを聞いたら、

ヒステリックになりながら何故かわからないわたしが知りたいと言ったのだけど後々調べてみると

こけてあざができたから今週は行かないと電話をしていたというのを後で聞いた。

金曜日はなんとか行ってくれたけど、週二回になってしまった。

今まで、祖母に寝たきりになって欲しくないし、入院の時はずっと弱気なことを言っていたので入院もしないようにと思ってきた。

ただ、何を言っても用事がある、血尿が出た、腎臓の石が痛い

(血尿入院していたときに一度だけで二度病院に車に乗せて行っている。

腎臓の石は年による小さいのがたくさんあって、直ちに問題はないとのことだった。)

と言って休み、それを言うとお前たちに言われたくないやここを往復している(狭い家の中を数回)と言うだけで全く聞いてくれなかった。

困り果てていたのですが、衰えを実感したのか話を聞いてくれる傾向が出てきていた。

そこで話をして母とも連携し、お風呂を変える、ヘルパー(家事をやってくれる家政婦さん)を週一回呼ぶという話が進み始めた。

その矢先に気が大きくなったのか私のことをグチグチと言ったり、行かないと駄目だよという言葉反論しだしたりして正直困り果てている。

祖母負担が大きいのは理解しようと努めていますし、大学にも毎日通っている。しかし、落ち着いてから仕事をしようと考えていても

仕事をしないことをなじられたりすることに関してはやはり納得が行かない。

効果がないとデイサービスに関して文句を私に言うのですが、その割には他のデイサービス体験や話を熱心に聞いたりもせずなのでこちらも

口調が荒くなって喧嘩になってしまう。

母はもう言わなくていいよ。自分しんどいことと嫌われる役をやるからと言ってくれるのですが一緒に食事する際にずっと愚痴を聞かされてしま

リハビリに行かないのでどうしても話をせざるを得ない状況が続いている。

どうしたらうまくやっていけるでしょうか。正直2日に一回ほど1時間話をしたりして疲弊しています

言ってもわからないので入院して歩行が回復してから戻ってきてもらうのが最善策なのかなとも思っています

アドバイスを頂けると嬉しいです。

追記 2017/04/22 4:39

もう見てる方いないとは思いますコメントブックマークありがとうございました。

しんどいなと感じていたので助かりました。

コメントに関して


親に任せて親の愚痴を聞いてあげるのがベストだね → はい言葉はきついですが言ってることは正論だなぁと。

最善策 → 自分は母と意見交換しますが自分意見100%通るわけでも何でもないので勝手に思ってるだけですね。

親が無能自分よりはるかに立ち回りと関係性作りがうまく、自分とは考えのプロセスなども違うので正直ものすごく尊敬しています

後々、母の言葉を思い返してみると祖母との関係などに関しても適切な視点対処策打ってるので自分とは比較にならないです。

まだ中学生兄弟関係が冷え込んだ父がいるので少しでも母の力になれたらいいなと思ったのですが、

自分が何かしても力になれないどころかこじれさせてしまうだけかもしれません。

悪化した時点で気づいてあげるべきだった → 本当にそのとおりなのですが、悪化し始めたときに気づくのって難しいと思うんですよね。

自分専門家でもないですし、祖母病気も全ては把握できていませんでしたし。

80代とうまくやっていける大学生の方が普通じゃねーわ 生きた時代が違いすぎるやん → ほんとにそうなんですよね。話題が乏しくなって愚痴を言ってたのかなぁとも考えています

id:aoi-sora ありがとうございます。認めてもらえたのは率直にありがたいなと。

id:takamurasachi 施設入所はかなり現実的になりつつありますはい自分人生優先で行きます

2017-01-11

宣言する

デジタルデトックスする

今日、いまからする

その前に増田のみんなに言わせて

から自分はネサフが大好きだった

とにかく検索した

自分気持ちや同じこと思ってる仲間をネットで探した

同じこと考えてるブロガー小町のおばさん、増田名無しさんがいて、安心した

そのうち耳を傾けすぎて、自分価値判断することもできなくなった

そして今や片時もネットや人の意見が手放せなくなっている

ブクマカはわかんないかもな

自分意見が、誰かの後ろ盾ないものなら、言えなくなるんだ

から考える力も落ちた

何をやるにも億劫だし、新しい仕事を始めるにも手が止まっちゃう

誰か効率的仕事段取りを教えてくれ、効率的スケジュールの組み方を教えてくれ、って日々悶々としながら隠れてネサフしながら仕事してるんだよ

ライフハック探しちゃうんだよ

もう疲れたんだ

自分自分価値を取り戻しに行く

自分1人で判断ができるようになるためにがんばる

つかこんなヘッポコ文章じゃなくて増田文学でも書けるようになったときにまた戻ってくる

そうしたらまた意見交換しよう増田たち

2016-12-19

自動翻訳は会話には使えない

未だに分かってない奴多いけどどれだけAIが発達したって自動翻訳は会話に使えないよ

発表だとか原稿を用意した上での意見交換だとか一方的に聞くだけ・話すだけなら使えるだろうけど

言語での会話は自分の脳を異文化にしないとできないからね

日本の文化のまま発言してそれを翻訳しても

それに相当する英語が無かったり無理矢理翻訳してもおかしなことになるだけで

伝えたい意味は伝わらないし会話が成立しないよ

「ただいま」

って言ってもそれに相当する英語は無い,っていうか相手はそんなこといちいち言わない文化から

「おかえり」

とは言ってくれないからね

2016-12-13

実際、非表示機能有効活用し尽くした高度なはてなブックマーカーは1つ上の階層にいる

下々の下郎たちが下らなく下品下劣話題を取って下等な時間の過ごし方をしているのとは反対に、

極めて有意義で理知的意見交換の場としてはてなを使っている高度に発達したブックマーカー世界がそこにある。

昔のはてなはこんな所ではなかった、思ったよりレベルの低いサイトですね、そう口にするのならば試しに手を目一杯動かしてみるといい。

そこにはもう一つのはてながある。

2016-12-01

ちょまど氏の炎上対応について疑問をもちました

はじめに

ちょまど氏、またはXamarinコミュニティ炎上について他の方が書いているブログを拝見しましたが、

思うところがあり書いてみました。

  

ちょまど氏が叩かれている内容としてジェンダー問題技術力が無いetc...といくつかあがっておりますが、

私は彼女の「MSテクニカルエバンジェリスト」としての対応が叩かれる原因では?と感じました。

理由は下記です。

  

炎上したコミュニティへの対応

  

事の発端は、Xamarinコミュニティ勉強会においてひとりの参加者ヒエラルキーを表すスライドを発表したことがツイッター流出

「ちょまど氏が書いたものではないか」と一人歩きしてしまったのが始まりのようです。

  

そして、ちょまど氏は「私が発表したスライドでは無い」というツイートをし、

その後当該スライドを発表した参加者謝罪リプライを送りました。

  

ちょまど@MS入社して8ヶ月 @chomado

ハッキリ言いますが、

私は「Xamarinするならまず人脈」などとは一度も言ったことありませんし、勿論 全くそんなことは考えていません。

私の不在中、そのような内容のスライドに私の名前が使われたらしいのですが、

私はそんなことは言っていません。

この話はこれでおしまい

山本康彦@BluewaterSoft @biac

.@chomado ぁわわ、そんな話になってたとは。すみませんm(_`_)m

この場でいっときます

それを言ったのは私です! 断じて、ちょまどさんじゃありません。

2016年11月26日 21:33

  

しかし、その謝罪リプライに対してちょまど氏は何のアクションも取っておりません。  

  

この対応ちょっとどうなのかしら...と感じました。  

  

ちょまど氏はMSエヴァンゲリストであり、自社プロダクトのXamarin啓蒙する立場の方ですから

どちらかというと今回炎上したコミュニティ主催者側の人間のはずです。

そんな方がコミュニティへのフォローもせず、迷惑を被ったとはい謝罪した方のリプライスルーってどうなんでしょう?  

  

このとき社交辞令だとしても件のコミュニティに対して何かフォローアクションをとっていれば

現在より炎上を抑えられたのではと個人的には思います

  

Xamarin広告塔」としての振る舞いについて

  

MSエバンジェリストであるちょまど氏ですが、

広告塔」としての立場もかなり大きいかと思います。  

  

今回の炎上Xamarinコミュニティへの批判、ちょまど氏にヘイトを向けるような意見も多くあり、

炎上の部類としては結構ネガティブだと思います

そのため、Xamarin広告塔であるちょまど氏は炎上を避ける・沈静化させる行動に出るだろうと普通は考えます、が…

逆に炎上に油を注ぐようなツイートをしてて謎です。   

  

特に、以下二点はいかがなものかと。  

  

擁護ツイートリツイートする

①のスルーもどうかと思いますが、一度沈黙を決め込んだのならそのまま触れずにいればいいのに蒸し返すのはまずかったかな、と。

しか自分への擁護ツイートだけリツイートするのではアンチから自己保身」とますます叩かれ、炎上が長引いてしまうことが予想できます

・法的措置を匂わすツイートをする

ちょまど@MS入社して8ヶ月 @chomado

さっき上司に呼ばれて、彼の提案により法務部に相談することになりました!

4:29 PM - 29 Nov 2016

引用は控えますが、個人攻撃ではない意見レベル批判ツイートはけっこうありました。

  

このツイートだけだと、何が原因で法務部に相談するのかわかりません。

憶測憶測を呼び、批判意見自体の萎縮(もしかしたらそれが狙いなのかもしれませんが)、

やがてはコミュニティ内外での意見交換不自由さへつながることになると思うのですが、それで良いのでしょうか…

  

   

以上、一連の炎上対応には残念ながらがっかりしました。

なぜ自社の製品の魅力を伝える役割の方が、製品内容と全く関係ない炎上に火を注ぐ行為をしてしまっているのか…

まとめ

広報エバンジェリストってどういった立場で誰に何をする仕事の人でしたっけ?

Xamarin製品を使っているユーザーのためにも、これから使うだろうユーザーのためにもネガティブイメージを広げない行動をするべきなのでは?

  

最後

ごめんなさい…最後駆け足になっちゃいました。

結果としてこの書き込み炎上に加担することになるのではと思いましたが、

世代の女としてちょまど氏を応援しており、一意見として書かせていただきました。

ちょまど氏にはますますのご活躍を期待しております

anond:20161129234656

2016-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20160731174717

https://anond.hatelabo.jp/20160731175620

元増田です。

返信ありがとうございます

ただ、主に盗作関係についてはやはり何度重ねて説明しても大事な所を読み飛ばされており、そのせいで全体的な話や意図も読み違えられたままで残念に感じます

①を読んでないからそういう返信になってしまっただけかもしれない、と少し期待していましたが、①を読んでも変わらなかったみたいですね。

やっぱり大好きな作品を納得いかない理由でけなされるのはストレスが溜まるものですからね。

とありますが、納得しやすいように理由説明しようとしてる部分をことごとく避けて言及しているから納得いかないのでしょうね…。


またそれぞれの部分にいちいち言及していく形式では文章が長くなりますし、同じこと繰り返すような状態に陥るでしょうから、先述の盗作関係において、改めて主張したいことを中心に言及しておきます

その部分についてはおりあそ氏も過去ツイートにて、原作から内容が変わることはよくあるので一期の改変等は問題ないというようなことを仰っているのを拝見しました。




しかし、改変の理由や経緯に不要盗作やらオマージュ願望が関わっていることが問題なのであり、そこを無視して変わるのはよくあることだからとか、盗作から何だと語られてもはてなマークが浮かびます。その説明最初記事でもしているのですが…。


ただ改変しただけであればまだ分かります。元々独立した設定や世界観がある作品を、別の既存作品になぞらえて変更する姿勢や経緯に問題があるということです。

また、お互い様主観で語らせてもらえば、アニメのにこや真姫、希のキャラクター設定原案に比べると全く新鮮味がなく、陳腐な設定に変えられてしまっており、到底好意的に許容できるものではありません。

原案のにこや真姫、希みたいなキャラクターは昨今においてはこの作品しか魅力を味わえない可能性の高い卓越性あるキャラだっただけに、勿体なさとやるせなさばかりを感じます。その上、くどいようですが変更理由が話作るの面倒で盗作たからだったという信じがたい怠慢な理由による変更と解釈で、そんなどう考えても擁護不能の状況を理由にならない理由を繰り返し用いてまでして擁護しようとしてしまう人のことは頭の中身をさばいて見てみたいくらい不可解です。


参考に、アニメ化以前にあったにこの性格議論の内容を見つけたので載せておきます

にこにーは腹黒か? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/117836

の中にある、腹黒(キャラを作っていたら)だったらありきたりでつまらないといった意見自分意見に近いです。

脚本家によれば、脚本の都合に合わせるために性格を改変したとのことでしたが、その「話の都合」というのが崇高なオリジナリティに溢れる都合だったり、意欲的な再解釈による改変とかであったりしたならまだ少しは分かります

しかし実際は安易盗作オマージュが絡んだものだったわけで、とても制作された作品はもちろん、制作における姿勢自体も最低限度の健全状態を保たれていたとは思えません。

そんな信じがたいほどふざけたものに巻き込まれて設定が消された本来キャラクター世界観を好きだった身としては特にですが、倫理的に考えても許容は推奨できません。

最大限、原案設定や原案ファン意思尊重検討した上でのものであれば、少しは溜飲も下がるかもしれませんが、そんな様子は様々な作品の展開や発言を見ても見受けられません。

2期においては原案公野先生アニメ以後に作った新たな設定を部分的に持ち出しては改変し汚すという喧嘩を売っているように思える描写が随所に見られます。(にこの家族設定や希の関西弁理由など)

また、制作側だけでなく運営側問題でもありますが、アニメ化以前から続いているシングルPVや音声ドラマなどは元々当然ながら原案の延長線上の設定が採用されていたのですが、アニメ以降はアニメ設定を元にした内容になってしまいました。

まり並行世界存在価値がそれぞれ尊重され維持されたとは言い難く、設定の侵食統一といえるでしょう。

ただでさえアニメ化以降に作られたスクフェススクパラなどのゲームではアニメ設定を基調としているわけですからアニメ以前から始まっているPVや音声ドラマくらいは原案設定を維持してくれないとフェアじゃありません。しかも何度も言及したように設定改変の理由には盗作等の問題が関わっているわけですから尚更です。

そういう意味でも、設定変更の経緯に問題があることはよくあるからとか許容範囲とかそういう風に安易に見過ごせるレベルではありません。そのあたりの理解を雑に行った上で設定の分かれ方を語ってしまう人が多いのもとても残念で呆れてしまう所です。


喩え話については、一応どれが何の喩えになっているか説明しておいただけであり、言い換え可能からと言われても理由になっていません。作品において何が大事なのかの考え方の説明などもこれまでしてきました。

アニメ作品において云々の話は前回あたりにしたメディアミックス云々の話に戻りますアニメアニメで、切り離して考えるとしても、設定統一侵食の件で切り離したかOKという問題にもならず、またそれらが安易盗作云々の健全と言い難い経緯を経て調理されているために作品を扱う倫理問題があるというのを、今回もそうですが何度も説明してきました。

「多少整合性に疑問があったとしても適当に補完できる程度の問題」これは絶賛派が大好きな理論みたいで、似たようなことを言っている人を沢山見かけます

批判や指摘について「多少」とか「細かいこと」と言う人が多いですが、その点が「細かい」所扱い、「適当に補完」できる所ではないということも長々とこれまでのやりとりの中で説明してきていたはずです。自身言及を避けたからといってこちらが説明してないことにしないで頂きたいです。

これはkato19氏とは別の所ですけどミュージカルから大丈夫、みたいなことを持ち出して整合性のなさや物語性のなさを擁護しているおかし人達が絶賛派には多いですが、ミュージカル冒涜しすぎだと思いますね。

批判してた人が急に歌い出したことをおかしいと批判してたとしたら多少はミュージカルを知らないのか、とかを持ち出すのも分かりますが、それ以外の所についての擁護ミュージカルから大丈夫というのは意味が分かりません。仮にそれが通ると仮定しても、ミュージカル演出自体が嫌いな人からしたら何も納得できないでしょう。その場合ミュージカル演出選択たこ自体を責めてるのですから

自分は他のアニメで用いられるミュージカル演出はむしろ好きなことが多いのですが、ラブライブ演出はそれが生かされてることがないので嫌いです。基本の物語の流れが死んでしまっている上で、ミュージカルっぽくして誤魔化しとけ、という苦し紛れな用いられ方が多くて白けるだけです。

それにラブライブ場合、そのミュージカル演出盗作元のglee由来ですしね。その他の演出劇伴音楽などを含めたgleeに影響受けたもの本来ラブライブ!作風に合ってるようには思えず、盗作云々を抜きにして見ても何もかもが噛み合わず滑ってる作品だなあという印象を受けます


話がズレましたけど、そのようなわけで、絶賛派が、批判者の言葉文章咀嚼しようとしないどころか表面すら理解しようとしない上でまともな理由を持ち合わせず「批判しないで下さい」「批判したらダメです」というようなことしか言えないのを見ていると、やはり作品どうこうについての理解や興味はないんだなと思いますし、ファンである自分状態しか興味がないんだな、とますます思えてきます


それと絶賛派が作品批判が広まるのを不思議なくらい恐れることについては、それは主に絶賛派が批判に対して反論することができないからというのもあるのでしょうね。

一方で、自分アニメラブライブの賛美ばかりが広まることを恐れていますラブライブのことだけならまだしも、あのような作品を良いと思ってしまうような価値観を持ってしまう人が増えることで、それに乗せられたクリエイタースポンサー等がラブライブ同様のどうしようもない作品ばかり作るように(作らせるように)なってしまったら、アニメ業界は何も楽しめるものが作られない世界になってしまますから、それはとても恐ろしいことだなと思います


結局、議論を交わした意味らしい意味があったのか少し謎ではありますが、個人的には意見を聞いてもらえた、考えてもらえたという証拠をこうした意見交換の形で残してくれただけでも意味があったかな、とは考えていますありがとうございました。

2016-09-25

行為後の「気持ちよかった?」と聞く現象

夜の営みの後に「気持ちよかった?」と聞くと、

日本だとだいたいのケースでドン引きされたり愚痴対象になったりするわけだけども、

どうやらアメリカでは、あれが良かったとか痛かったとか、

反省会レベル行為中についての意見交換を行うらしい。

 

参考:

http://anond.hatelabo.jp/20140317121734

http://b.hatena.ne.jp/entry/186748090/comment/fusanosuke_n

 

これってさ、アメリカレストランで食べてるときに、

わざわざテーブルまで来て「料理美味しい?」とか聞いてくる習慣と似てる気がする。

現在たまたま在米中だけどファストフードを除いてほとんどのレストランで聞いてくる感じ。

日本でこういう文化ってそこまで多くないよね。

  

セックス食事関係があるとかよく言われるけど、これもその1つなのかね。

2016-09-08

自然ママ改め蛮族系ママ

自然ママ医療従事者ではないがリフレクソロジーなどを手に職に持ち出産経験者が多く、大抵アメブロを愛用している。

講演会勉強会などを積極的主催、もしくは参加し常に意見交換共有を図ろうとしている。

Facebookでも活発にソースが不確かな情報を発信し、感動系のシェアも多め。

アメブロfacebookを見る限り最近までインターネットに疎かったようにも思える。

意識高い系の方が多いので英語サイトから引用し、自分翻訳情報を発信しているものも見受けられる。

ソース不明記事が多いが自分の趣向にあった記事真実として疑わず

そのかわり政府大企業が関わっているとみられる事柄には権力者陰謀だと疑って信じない。

ざっと書いたけど、自然ママって大っ嫌いなんだよね。

お布施祈祷を行えばガンが治ります!っていう宗教と一緒。

科学的根拠のないことを他人にまで勧めて本当はならなくてもいい病気になる。

しか自分じゃなくてそれが子供ってとこが宗教よりたち悪い。

子育てって閉塞空間での重労働で本当に大変なときって世の中で何が起こってるかもわからないんだよね。

今の若い人たちテレビよりスマホから産後大変な時期にちらっとインターネットで見たこと信じちゃうのってわからなくはないんだよ。

その情報ソース確認なんかできないよね。

でも今自分が信じてるそれ、本当なの?子供のためじゃなくて自然派してる自分に酔ってない?

SNSブログでそれが書きたくてやってるんじゃない?何もできない小さな子供に無理させてない?

とりあえずアメブロ自然ママを全部排除すれば、結構子供の命守れると思うんだよなぁ。

2016-08-16

情報商材を売る側が思う事

インフォトップとかで商材を売ってる側です。

最近副業ムックとかでこちらのお客さんも増えたところは喜ばしいのですが、

同時に、実績上がらないか詐欺だ、返金だと騒ぐ人が増えてきてるのも事実です。

ということで、ボヤキます

 

 

1・まずはノウハウ実践してほしい

確かに、販売時におまけやら特典を付けてます

でもそれは、ノウハウ実践サポートするためであって、それがないとノウハウ機能しないことはありません。

そのおまけばかりに気を取られて、こちらの配布スケジュールを変更しろとか、配布が数日遅れただけで返金しろとか、勘弁して下さい。

そういう人の相手をしてる時間もったいないです。

 

 

2・ほかの参加者の事も考えてほしい

購入者同士の意見交換の場を作ってます

こちらも、みんなに実践してもらった結果、うまく伝わってない部分はテキスト動画を変更したりする必要がありますし、

多くのユーザーが使うことで見つかるソフトウェアバグなどがあったりするので、大変助かっている一面があります

 

しかし、そこでたまにいるのが、商材を罵倒して「詐欺だと思い始めたけどもう少し頑張ってみる」みたいな人。

貴方ジャストフィットな教材じゃなかったのは100歩譲って謝るけど、それって公共の場でいう事かな?と。

 

少なくとも、10万円単位お金を払って、その商材の罵倒を見る権利を買いたかった人はいないはずです。

その方はお暴れになるのが収まらなかったので、こちらから公共相談窓口、弁護士と経由し、ご自宅に警告文をお届けしました。

テキスト上の暴言は、2ちゃんねるあたりでよろしくお願いします。

 

 

3・別にBE買わなくてもいいんですよ。

物事にはバックエンド(以下、BE)という、より高い利益率の物を売る営業手法があります

カミソリの替刃とか、プリンタの替えインクなんかが代表的ですね。

情報商材でもBEの手法はかなり主流の手法として存在してまして、これがかなり高額。

最初に3000円のちょっとしたものを買ったら、その奥に深ぁい世界が広がっていて、知りたければ30万円追加ね、という感じです。

 

問題は、これをやり過ぎてる業界で、アレルギーがる方が多いという事。

セミナーのお誘いのメールを出したら、ほぼ標準で

「BEの販売はありますか?あるのなら行きません」という内容の返事をもらいます

だったら来なくていいから。こっちも商売なんで、慈善事業セミナーやってるわけないじゃない。

 

それ以上にBEまではいらないなと思ったら、不要ですって帰ってもらっても構わないんですよね。

だってその場合必要性有用性が伝えきれなかった、自分たちの負けだもの

 

とりあえずセミナー見て、どんな目新しいことやるのかな?とか

自分にどんな役に立つことなのかな?って体験しに来てください。

気楽にね。

そのとき、かなり強引なBEの押し売りがあったら、そのセミナー開催者はヤバい連中ですが

そこまで強引なのはごく一部です。時間がないからと言ってすぐに帰ってもらえれば大丈夫です。

買うまで返さなタイプの人は、その場で110番かけて帰りましょう。

 

 

なんかね、情報商材ってちゃんと使えばちゃんと効果を出すものなので

もうちょっと気楽に見て、気楽に買ってもいいんじゃないかなって思います

あと、売る側も必死過ぎるのがいるので、そこは落ち着いてやってほしいなと。

LP(セールス用ページ)も、マジかい!?っていうのが結構ありましすね。

 

少なくとも自分は、これ一本で会社作ってやってますけど

部下が夏休みでぼやく相手がいないので、今日はここに書いてみました。

2016-08-06

ポケモンGO現代の縮図を炙り出している。

こんにちは夏休みがほしいポケモントレーナーです。

16年前、私はポケモン出会いました。初めては銀でした。その後黄と赤をやり直した後パールまで抜けなくプレイし、大学受験きっかけに離れました。

単刀直入に言いますポケモンGOは悪いです。現代問題という問題を根こそぎ掘り返してしまった罪があります

今も規制規制ニュースが流れ、それに対しネットでは悪い面ばっか取り上げやがってと批判が飛び交い、町おこし成功するなどの良い事例が担ぎあげられます

どちら側も馬鹿野郎ですよね。これ。

悪いことばかりで偏った報道というなら、良いことばかりも偏った報道ではありませんか。

表の体裁だけは綺麗に整えて、裏のごちゃごちゃした汚い部分は封じ込めておく。よくあるブラックな体質そのものではありませんか。

良いことばかり話しているのは楽でしょうね。だって問題が起きないんですもの。悪いことを伝えなければ世は動かないんですよ。問題を解消するにはどうしたら良いのか、って。

そこで、ここがややこしいんですが、そもそも2重3重に絡みあった問題なんです。

まずひとつ問題解決法を探るのにとりあえず規制する姿勢ダメ

ふたつ、すぐに良い奴らと悪い奴らにグループ分けして争おうとする姿勢ダメ

みっつ、自分は違うからとかなんとかぬかして持論をぶっこみ続けてるのがダメ

その他諸々。

学生さんたちの某シール何とかさんじゃないですが、なんでか意見交換だとか話し合おうとしないんですよね、いやもっとレベルに、会話しようとしない。

これは自分らが何言ったって変わらないっていう諦観があるのかもしれませんが、良いところと悪いところ両方伝えないといけないのに、なんで片方しか言わないんですかね。思考が1ブロックしかないんですかね。

あと厄介なのが、そういう思考の偏った連中のほうが圧倒的に声がでかいんですよね。困ったことに。しっかり考えてる人は、一部の地位権力ある人を除いて声に出さない。何故なら叩かれるから。面倒なのに絡まれから

日本人全体がこうなんですよね。ポケモンGOが出る前のターゲットオタクな人たちでしたが、あいつらもあいつらで叩かれれば吠えるし、吠えればその分引かれるんですよ。

言ったもん勝ちというのは許せないところはありますが、今の世の中そうなってるんですよ。反論してくるのを狙ってわざと炎上させてる記事もあるんですから

じゃあどうしたら良いかって?まず事を荒立てないこと。そして、叩くより叩かないほうが有益であると明らかにさせること。

いい例があるじゃないですか。参議院選挙オタク票と呼ばれた票を29万票もとって落選した結果、次の都知事立候補者がその票を取りに手のひらを返しましたよね。

ポケモンGOにしたって、鳥取県なんかは取り込むことで大成功したと言われますよね。

もちろん頭の切れるトップがいてこそこうなるかもしれないですよ。でもね、会話して、話し合って、その結果こうなったっておかしくないですよ。より良いものを求めて進化し続ける、それが人間なんですから

会話のできない相手とこれは無理なので諦めましょう。いわゆる敵国とか、今で言えば日本人同士でさえそうですよね。話し合いで解決しないことは殴りあうしかないんですよ。

根本的な解決策なんて、日本人それぞれの意識が変わること、なのでまず無理です。どうしたら良いんでしょうね。

人間はめんどくさすぎます。猫になりたい。

2016-07-31

会社悪霊がいる

うちの会社は何かおかしい。でも何がおかしいのか分からなくて困ってる。

悪霊に呪われてるとしか思えない。

待遇に大きな問題はない。(一番若手の私で月60-70万、有給は取りやすい、飲み会は基本会社の金など)

仕事内容もごく普通事務作業(高度な専門知識を必要とする業務も一部あるが、残り9割は慣れればどうってことない流し作業)

上司、同僚も普通(ちょっとクセのある人はいるが、普通のいい人が9割を占める。私はこの会社が4社目なので、その分母の中で比較することが出来るが、普通だ。むしろまともな方だ)

残業時間は30が平均、繁忙期は45になることもあり。ただし残業代は満額支給

問題なさそうだろ?上の条件だけ見れば応募者多数の企業って感じすらする

でも実態は違う。うちの会社ボロボロ人が辞めていく。万年人手不足。月に1人は誰かいなくなる。ちなみにうちは中小社員数30人ぐらい。

何がおかしいのか、誰にも分からなくて困ってる。悪霊がいるとしか思えない。

ちなみに私は辞める気ないです。

追記

コテカ調べて笑ってしまった。制服はなくて男性スーツ女性スーツあるいはオフィスカジュアルです 笑

宗教とか、新人を食べるおばさんもいない 笑

辞める人に聞くと「特に大きな理由はない、いい方の会社だと思う。」だとか、「他にいい転職先が見つかったから」だとか、答えになってない答えしか教えてくれない。(まぁこれはしょうがない。辞める人はもう関係いから、改善を求める動機がないため、悪い所を指摘しない。)

悪い所ももちろんあるが、

ボーナスが少なめ、家賃補助がない、退職金がない

•社内のコミュニケーションはかなり少ない(隣の席の人ともメールでやりとりする、会話がなさ過ぎてシーンとした中でキーボードを打つ音だけが響く)

ぐらいだ。

先週もまた1人、何やら辞める相談らしきものを上席としてるっぽい不穏な動きが見られ、「ブルータスお前もか状態

つーかこれ以上辞められて人数がこれ以上純減したら流石に仕事まわんなくなる。

入れ替わりが激しいせいで、毎週のように採用候補者面談やんなきゃいけないのも、新人仕事のやり方をレクチャーするのも、もう嫌だ。

採用して、レクチャーして、育てても定着しなきゃ結局何の意味もない。賽の河原で石積みしてるんじゃないんだから

悪霊よ消えてくれ、頼む。

せめて何を改善したらいいのか、私の枕元に現れていいから、ヒントをくれ。

8.2追記

社内で複数の親しい人と意見交換をした結果、要は仕事やりがいがないのでは、という身も蓋もない話になりました。

私のように別にやりがいとか求めてない意識低い人にはいいけど、意識高い人には耐えられないのでは、という。

かなC。解決策なんて本当になかったのね。

2016-07-10

真面目人間キャバで楽しめない理由

相手の女が真面目では無いからだと勘違いしているな?

それは違う。

それは真面目で融通の利かないタイプキャバに来ても真面目な話をしてしまう。

知識自慢なだけならキャストは頭良い!凄いと褒めてくれる。

しかしこのタイプキャストと本気で意見交換をしてしまうんだ。

残念だがここ5年、キャストは現役大学生社会人が多い。

まり意見を求められた場合きっちり答えてしまう。

話は弾むし意見も聞けるだろう。

しかし、無条件に褒めてもらう、無条件に認めてもらう等の本来の楽しみ方よりは満足感は少ない。

真面目人間キャバクラクラブで楽しめない理由は振っている話題が悪い。

2016-06-15

はてブで「意見交換」してるのってキチガイばかりかと思ってた

なんでヤフコメはてブ意見が間反対なんだろうか

個人的にははてブのほうが、民度が高いと思う

私のいる会社パソコンは、はてなブロックされているのに

ヤフーは見られる。そのため、暇をもて余した無能社員たちはヤフコメを読みふけって

ものの見事に典型的ネトウヨに育つ。

愛国心があるのは私も同じだが、他国への過剰な攻撃的な言動は正直いけすかない。

私はヤフコメを見ると心底不愉快になるので見ないで仕事する。

そんな私にとって居心地のいいのはなんといってもはてなブックマークだ。

ヤフコメの頭の悪い連中とは異なり、様々な意見交換のできる、話のわかる人々により構成されている。

おろかなヤフコメ住人や、世論とは違い物事俯瞰から眺めたようなコメント

三遊亭好楽並みに面白い大喜利

はいつも喫煙スペースで一人、はてなに張り付いている。

はてなを見ながら吸う煙草は格別だ。

すごく気になるんだがなんで、こんなにも利用層が違うのか。

2016-06-07

業界小話(コンサル編)

業界小話系に乗っかってみよう

訪問契約率20%のブラック企業の真っ黒な営業手法を書いてみる

http://anond.hatelabo.jp/20160526110823

・なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる

http://anond.hatelabo.jp/20160412234807 

リフォーム業者営業が仕組みや値段について書くよ

http://anond.hatelabo.jp/20160531150129

MとかBとかの外資系有名ファームでないけどわりかし有名なファーム経営コンサルタント

30代のマネージャー営業プロジェクト推進の両方をやっている。

コンサルとは

コンサルタント資格不要で名乗ろうと思えば誰でも名乗れます

なので様々な仕事コンサルタント存在しています

他のコンサルは知りませんが、経営コンサルタント簡単に言うとアドバイス業です。

学術情報であったり、他社事例であったり、自社ノウハウなどクライアントが知らないことを教えることが基本です。

ただし、知識をそのまま教えるだけではダメで、クライアントの状況を斟酌しながらカスタマイズしていくことが生きていくポイントです。

営業のやり方

弊社は基本、問い合わせとセミナーから営業活動が主流です。

問い合わせを増やすために、書籍記事執筆、講演などで会社名前自分の顔を売って問い合わせを狙います

また、自発的セミナーをやって見込み顧客を作っていき、手法説明業界情報などを餌に訪問して提案につなげます

成功率としては問い合わせの方が良いのですが、こっち思い通りには行かないので自発的営業します。

何度か訪問させてもらって意見交換して提案という運びになります

設備などに比べて効果がわかりにくいので提案・交渉の回数は多くなりがちです。

プロジェクトお金

見積基本的に人工です。活動を為すために必要人員と単価表で見積もります

社内で以下のような単価表があります(例はフェイクです)

クラス単価
アシスタント200,000
シニア400,000
マネージャー600,000

日数はクライアントへの訪問日程だけでなく作業日程を含めるルールですが、最近競争力が落ちてきたせいか作業日程分を取れない場合が多いです。

クライアントへの訪問日程は提案書に明記せずに総額で交渉します。

外資系に比べれば安めですが、コンサルを使ったことの無い企業では結構値段に驚かれます

交渉としては、値下げの幅にも寄りますが単純な単価の減額や日数減は行わず対象範囲を狭め結果として訪問日数を減らす方向にします。

プロジェクトの話

受注したら晴れてキックオフです。

アシスタントも引き連れてキックオフして、メンバーと具体的に進めて行き、適宜Pjtオーナーに報告しながら勧めていき、最後に報告会を行うのが一般的です。

進め方はテーマクライアントによって大きく異なり、先生となる指導型、プロジェクトメンバーとなり一緒に進めるを分担型、クライアントの手足となって作業をする請負型などバリエーションが有ります

弊社は割とタスク分担で進めて行くパターンが多いです。指導型は楽なのですがクライアント能力によって活動が進まなくなるリスクが高いので近年は少なくなりました。

請負型はクライアント次第な部分もありますが、好かれていません。

コンサル説明でも書いたようにあくまアドバイス業ですので、活動の結果にはコミットしません。

我々のアドバイスイマイチ場合もあるにありますが、成果が出ないときお客様活動量が圧倒的に少ない場合が多いです。

結構コンサル入れれば安心。後はコンサルがやると思っている方が一定数いらっしゃいますが、成否はむしろPjtメンバーにかかっていると思い直してもらいたいです。

アウトプットが定まりにくい内容のため、炎上リスク結構ありますので上手に着地させることも結構重要な力量です。

コンサルお金

弊社では固定給年俸に分かれます

若いうちは固定で、ある職位以上に上がると年俸制シフトします。

固定給でも成果や評価賞与金額にバラツキが出ますが、事業会社と同様で倍半分の世界にはなかなかなりません。

年俸制になると、売上比例なので売上が立てば立つだけ給与が増えます

年俸制は30台の前半から適用され、平均値としては1200-1500程度です。

弊社はトップファームに比べると一段階給与が安くその不満が社内には結構あります

客観的に周りのファームに比べると業務時間が短かったりするので、時給計算は悪くないと私は感じています

比較対象にもよりますが、やはり30代で1000万が比較的容易に出るので悪い給与では無いと思っています

終わりに

コンサルって全然違う世界に見えるようで、普通営業さんやシステム屋さんと同じようなことをやっている世界です。

ただし、投資も少ないし、少数精鋭なので給与が高いということです。

ご参考になれば幸いです。

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい③

http://anond.hatelabo.jp/20160413011603

映像だけ見て萌えているのか?』と思うのは誤解です。省略されているとはいえ引きつける構成演出楽曲すべてが一体となって表現されているところに感動があるのです。(補足3参照)


 京極監督は初めから劇場版を狙ってたわけではないだろうけど方向性TV1期から存在する事は明らかです。漫画小説では表現できないアニメならではの作品とする方向性

どのように構成演出楽曲が一体となって表現されているか説明して頂けないと解釈が難しいです。また、一体となっていないことを表すもつれが構成存在することについては、おりあそ氏の記事やそれに対する自分考察記事などでも言及されています。それを全部放り捨てて「一体となってます」と無理矢理言い張られても困惑します。

しかするとアニメならではの作品として表現したいという方向性が一環していてそのために構成演出楽曲すべてが一体となっているという意味でしょうか…。だとしたらその姿勢や結果に致命的な怠りが存在しているので問題があるという話を何度もしています。そしてそれは言い換えると全てを雑にやろうという意図がしっかりしているみたいな状態です。

劇場版でSDSのライブシーンで海未がいるはずの所に存在せず作画ミスだと物議を醸したことがありました。海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。

絶賛派はそれについても全体的な表現として問題ないからどうでもいいというつもりでしょうか。呆れるしかありません。


自分価値観絶対ではない


 それを理解しない増田は絶賛派を以下のように認識しているようです。

ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』なので、失敗作である現実から目をそらして『盲目的に賛美すること』しかできない人間 (かぎ括弧内引用/ 他筆者補足)


 まあひどい言われ方ですね(笑)

海外ドラマにのっぺりとした無個性二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌えて尊い』


 ため息がでます・・・私がどうして感動したのかはこのブログで5本も長文投稿をしたのでここで繰り返しません。でも読んだとしても理解はしてもらえないでしょうね。

自分価値観相手価値観絶対ではないのです。そんなことは発言する時の広く大きな前提です。その自己嫌悪の苦しみと戦いながら内へ外へと開いていくものです。

このように結局は絶賛派が批判派に対して主として持ち出すのはファンとしての立場の在り方的な話です。作品の内容を論じる場でそれを用いても、今まで論じてきておいて今さら何を言っているんだろう…?と思ってしまます

一時期流行ったように「それはあなた感想ですよね?」と返せば全てが解決するわけではありません。それは元も子もない大前提ですし、お互い様になってしまます

自分感想他者感想として言っていたなら問題あるでしょうけれど、互いに自分感想を真っ向から述べているはずの場です。

また、絶賛派の考えがその作品としての在り方を照らし合わせて見た時に論理的妥当性を欠いていて即時的で表面的な感想じみていることは、この記事でもずっと指摘してきていますし、そこを検討してみてほしいところです。

もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。


 増田の言うように駄作という現実から目をそらして感動したフリをしているのでしょうか?さすがに増田自分論理に無理があると薄々気づいているはずです。


 多くの人の感動させた作品であるという事実。それを受け入れられないとすれば『現実から目をそらしているのは増田の方である』というしかないでしょう。

洗脳だろうと幻覚だろうと感動したらしい人達が沢山いたことは確かでしょうから、そのことには一定価値があると思います

しかし、主に内容自体の在り方を主題として論じていたところで「お前が何を言っても感動した奴は沢山いるんだぞ」という内容自体考察から距離が離れた根拠を持ち出されても、たまたま都合がいい形で現れた現実に縋りながら、内容そのものという真実から目をそらしているように映ります。内容に対する真実の好きを手に入れたいと思わないのでしょうか。好きという状態さえあればいい、そんないまが最高だからいいのでしょうか…。


君、原理主義に陥る事なかれ


 自分価値観を大切にするのは良いと思います。でもその価値観を唯一絶対のものとする事は『原理主義』ではありませんか?増田の論は批評を超えて否定となっているように思います


 『アニメ化以前の作品が好きだ。劇場版はまったく理解できない』それはそれで結構じゃないですか。しか現実にこれほど絶賛している人がいる以上『自分には理解できないが別の価値観があるようだ』と受け入れるべきです。


 正直な話、私も増田の言っている事の多くは理解できません。だから『なぜこの人は本作の良さを理解できないのだろう・・・かわいそうに』となるのです。


 増田自分の好きなものポジティブに論じるべきでしょう。②の方はいくらかポジティブさを感じたし同意できる所も多いです。(あそこまで合っててなぜ結論が違うのか・・・補足7参照)


 私にとっても『駄作・理解不可能』な作品世間で絶賛されている事が多くあります。その度に自分認識不足自覚し考えを改めます


 増田本来は同じだと思いますしかし今回は不幸にもメディアミックス作品と言う事で感情的行き違いがあるように思います。初期派はおそらく強い矜持を持っているのでしょう。でもそれが原理主義に陥らないで欲しいのです。

確かに理解不能作品が売れたり評価されたりしている状態不愉快ものですが、人気がなくても好みなのでしかたがない。一方で人気があっても嫌いなのは好みなのでしかたがない。芸術はそういうものだと思います

どの現実真実により近いのかは分かりません。だからより感じて考えて主張して反応を見て…などという行為意味も生まれるのでしょう。

 『アニメ版の良さは理解できないけど初期作品はこんなに素晴らしい!』と言ってくれればアニメ版以降のファンも目を向けてくれるかもれません。一つがダメから全部潰れてしまえ!では悲しいではありませんか。


.

 私はラブライブ!とμ'sがいつまでも輝いていて欲しい。だからファン同士の対立否定ではなく肯定で終わらせて欲しいと思うのです。

投稿においては確かにアニメ以降の批判が多いかもしれませんが、それでも初期の良さも述べていますし、また、先にも述べたように絶賛派は平和ボケしていて余裕なので脳天気なことを言うだけでいいでしょうけども、肯定で終わらせられるわけがいくらいにラブライブというプロジェクトは致命的な問題が山積みなのです。

それを好きな人擁護する人が多いから問題ないとするのは思考停止です。犯罪はバレなきゃいい理論に似ています

自分現実的に考えて、作品是正されることや、社会的糾弾されることにはもはや期待していません。作品が終わる折に思い出を語るように純粋意見を発信する目的で述べています

純粋さと不純さどちらがいいとも悪いとも時によりけりではありますが、作品批判されたくないために内容の状態にかかわらず擁護するというのは不純です。内容自体に対して、また自分自身に対しても純粋でないために説得力が不足しています

今回は意見交換になってますが、元はただ作品内容の問題点感想としてただ述べているだけでした。

そのように純粋意見独り言のように発しただけの投稿を態々発見して頂き、読むだけでなく反応を返してくださったことはとても貴重なことで有り難く思います。そのような純粋な喜びは励みになります


補足など

以下は補足説明に対して述べます自分の補足説明にもなりますね。

*補足1*

はいメディアミックスなのだから、すべての作品がμ'sが出演する創作作品と考えるのが自然だと思う。それは原案者への冒涜になならないはずです。

名前とか見た目や声だけ同じμ’sでもキャラ作品内容が根本的な所から違いすぎるのでそれを乱暴に同一人物が出演してるかのようにまとめてしまうのは逆に問題があります

*補足2*

パクリである事と『つまらない』かどうかは関係がないので、その辺をあえて混同するのは論理として如何なものかと思っています

せっかく自分パクリじゃなくても滅茶苦茶つまらないからクソだみたいな身も蓋もない独断偏見を避けて説明したのに対して、まるでどこにでもあるようなパクライブ批判に対して反応するかのようにざっくりいかれてしまって残念です。

とりあえず配慮の足りてない意図から内容を歪め、配慮の足らない結果になってしまったことが問題なのですと繰り返し強調しておきます

*補足6*

「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味

ひどい皮肉ですね(笑)しろ私は『今が最高』の本来意味『時を巻き戻してみるかい?no no no 今が最高!』※(過去には戻らないの意)を、増田は『過去=初期作品』と捉えて『初期作品ではなく劇場版が最高!』と言われて怒っているのかと思いました。

もちろんその点にも怒っているというか呆れていましたが、その点は言うまでもないほどのことですので…。過去のことや積み重ねてきたものをしっかりと大事にしながら、今を成し遂げたなら今が最高もいい言葉になるんでしょうが、そうではないので残念でしたね。結局、大事原案とか過去とのつながりを普段どうでもいいと思っているくせに困った時だけメディアミックスを持ち出してみたり、黎明期声優のことに思いを馳せて声優を思いやれるファンを気取る程度のファッション的なファンにとって都合良く理由はないが今が何より良い気分だということと、積み重ねを感じているふりをできるということを表せる都合のいいフレーズになりましたね。


*補足7*

ラブライブ!PVは内容的にアニメキャラというよりアイドルPV二次元化であり』- ②より引用


私も近い考えですが、私は架空アイドルの『コミック化』『ノベル化』『アニメ化』『ゲーム化』『ライブ化』であると思います結論が違うのはやはり増田原案重視だからではないでしょうか。

架空アイドルコミック化~化…という作品なら特に珍しくなく、今に始まったことじゃないですから当時に期待するものとしては価値見出しませんでしたね。

実際公式がどうしようとしていたのかは分かりませんが、自分が当時の状態を見て想定し、期待した魅力ある展開の仕方はそれだったということです。

そこについては原案重視とかそういう問題ではありませんし、また、アニメ以降の在り方を評するならともかく、アニメ以降の立場から物言いでその点を論じるとかなり捏造に近いと思います

また、ここで原理主義的だとか原案厨や原作厨というものについても言及しておきますが、それらはよく批判されますけど、それが重視されるのは時により人により残念かもしれませんが当然だと思います

そこについては逆に原作を好きじゃない作品の展開について考えていた時に至った考えです。結局は原作が一番偉いから仕方ないと思わなきゃいけないんだと自分を納得させました。その作品をその作品たらしめるのは原作であって、原作者であるべきなんだろうと考えたのです。

まり原案原作こそ作品にとって最も重要アイデンティティとなり、軸となる要素ですから、その要素が消えて倒れてしまったら、もはや元とは無関係作品です。

実際アニメ以降のラブライブラブライブ無関係学生が歌って踊る作品としてならば積極的評価できる部分も増えてくると思いますが(それでも色々盗作などの問題点はありますが)、『ラブライブ!』として見たら間違ってもとても快い気持ちで見られる作品ではないということです。

カップヌードルカップヌードルで美味しいと思いますけどステーキ屋で高級ステーキを食べられると思いそれを期待して頼んだ時にカップヌードルが出てきたら快い気持ちになるでしょうか。

それをカップヌードルステーキと違ってただ肉を焼いただけではなく素晴らしい発明で最低限肉も入っていてステーキよりむしろ素晴らしいんだとかなんとか言われても一理なくはないですが困りませんか?

それぞれをそれぞれに例えたわけじゃないですが、自分が感じる納得できなさはそのような感じなのです。

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①

はじめに

返信有難うございます

また長くなってしまい、面倒臭い人間申し訳ありません。

レイアウト問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。

多少機械的になりますが、考察反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います


まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。

一応、どうしても楽しめない境遇可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さら相手感情思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います

また、「かわいそう」といえば、自分アニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。

そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。


ところで、

一部の批判派が熱心に批判を続ける事に対しては不思議に思っていました。

とありますが、自分記事投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。


また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。

勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります

おりあそ氏やkato19氏は自分考察批判を読んで、「自分記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。

個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判論理を受け止めてほしかったと思います特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。

様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。

例えると、本来議論平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います

結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります


批判派と絶賛派の勢力状態、それぞれのエネルギー根拠

次に、細かい内容について見ていきたいと思います

(批判派は)呪詛のように『失敗作だ』と唱え続ける事で感動した人たちの気持ちを削り未見の人に予断を植え付けています

とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログ書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます

おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。

悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。

また、普通は相反する立場相手意見を交わす際には自分意見相手意見比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分意見説得力の有無などよりも、相手意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります

そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分自分たちファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体評価を行う上ではズレが生じていると思われます

また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体スポークスマンのように便宜上賛美、擁護立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます


一方で、自分やその他の原案アニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見根拠概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います

その上で、

コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空アイドルアニメに出演している、そういうものですよね?

と氏の記事にも言及があるように、ラブライブメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。

原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメ声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます

それはつまるところ、「アニメメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。

実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからスルーしつつ、基本的ポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。

しかし、PVCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。

メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います

しかスクフェススクパラ、ドラマCDPVライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)

いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色から許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。

まり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスから許しなさいという理論説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。

また、アニメにおいて原案方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています

glee盗作騒動自分絶望アニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写凄惨状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品キャラクターを扱う上での倫理的善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります

絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深問題から目をそらしながらの朦朧とした感情論理から批判派の体験感情は全て妄想から目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。

仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品批判されたくないとか、好きな作品パッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。


内容に対する好きの根拠価値

kato19氏や自分思い当たる絶賛派の何人かもアニメ作品表現演出評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合表現曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品ラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。

先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来キャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています

ただ、絶賛派が作品物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品演出などが安易パクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…


たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人から好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠アピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます

kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠評価する根拠を読んでいると、その作品ラブライブという作品であることの意味価値殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案原作物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。

おりあそ氏の批判や先の自分考察反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。

絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います

そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現演出その部分だけを見て論じる第三者的評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。

その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。

高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナー建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストラン料理包括的意味でのファン評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質料理提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。

レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員いるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員ファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います

この例えにおいては料理の種類や味というのが作品物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出声優スタッフなどにあたるでしょうか。

2016-04-11

女に対する認識世代差は明らかに有る

http://anond.hatelabo.jp/20160411001639

不思議若い男の人はすんなりゴムプレイを受け入れてくれることが多くて、50代~60代ぐらいの男の人がゴム有にぐちぐち言ってくることが多い。老害って言葉が頭に浮かぶレベル

50後半以上の世代はAV世代情報がAVしかなくAVを鵜呑みにして育った世代

風俗で女が感じるとかいくとか真剣に思ってるし

女に対して上から目線で横柄で強圧的

AVみたいな喘ぎ声出すと真に受けて喜ぶ


これが30代20代の世代になってくるともう逆で

AVっぽい喘ぎ声や演技しちゃうと気まずそうに「そういうの大丈夫ですから…」って言われる

私を気に入って月1、2回通ってくれてた30前後くらいの男性

社交的な感じではなかったけどホワイトボードタイムで忌憚のない意見交換を出来る人だった


曰く

男性女性セックスあんまり気持ちよくないらしいことは知ってるしお仕事だと尚更なのはわかってます

  「だから本気で騙そうという意識迫真演技をされると申しわけないし緊張してしまます

  「しかし、勝手な話ですが、無反応だと寂しいのも確かです」

  「そこで考えましたが、控えめな演技か、演技っぽい演技をしてくれると嬉しいです」

私 「わかりました。 でも、それだとどうして嬉しいんですか」

男性「こちらの為に演技までしてくれる女性の優しさを感じることでリラックスできます

  「迫真演技には緊張した関係しかありません、不幸だと思うのです」 


なので「ん…」という程度の喘ぎ声を出したり

クライマックスの時だけ敢えてのポルノっぽい台詞を囁いたりしてた

事後に「ばっちりでした!ありがとう!」とか嬉しそうだったので満足されてたはず


その男性は2年前からポツポツ風俗を利用するようになった素人童貞だということも自分で言ってたし

女に対して力の抜けた認識対応だった


個人差はあるけどAV世代の男と今の20代30代の男は別の生き物に感じる

http://anond.hatelabo.jp/20160411001639

2016-03-11

何回も書いてっけどお前らがトラバしないからもう一回書くわ

本音至上主義はクソ

 

まず人間本音って要するに本能から

ウンコしたいセックスしたい肉くいたい金欲しい殴りたい壊したい寝たいサボりたい愛されたい。

それが本音から

でも本音だらけで世の中成り立つと思うか?

本当に本音が良ければそれだけで成り立つはずだろ。

まり答えはNO。

なのになんで本音がもてはやされるかといてば理由は2つある。

 

理由その1.メディアの影響

アダルトチルドレン向けのラブロマンスドラマオチ紆余曲折あって本音告白してハッピーエンド

完全に独創性のない脚本家責任なんだけどこれを繰り返しまくったおかげで、

恋愛脳は「本音」=「自分にとって都合のいい言動や唯一の正解」と解釈しだす。

本音で言ってほしいというから「お前食い方汚いよな」というと烈火のごとく怒りだす。

哀れスイーツ

 

理由その2.飲みにケーション

アルコールが入らないと意見交換が円滑に進まない幼稚な日本社会

社内におけるコミュニケーション成熟していないのを酒を借りて解消させようとする。

その場で本来共有できる情報本音を言ってもらえたから良くなったと勘違いした結果。

それは「本音」じゃなくて「業務上共有しなければいけない情報」であって本音ではない。

職場での本音っていうのはあいつ俺より業績低いのになんで部長あいつを評価してるんだよふざけんな、とかそんなん。

そんなんぶちまけたら終わるだろ。

 

人を労わろうとする、傷つけないようにするためには必ず嘘が必要だ。

自分に嘘をついてでも人のために犠牲になる、尽力する。

本音じゃなければ賞賛できないならウンコでも賞賛してろよ。

2016-03-01

シリコンバレーシリコンバレーうっさいね

あのな日本英語圏じゃねーんだから、おまえがシリコンバレーすげー最先端技術すげーとかゆってもな

グローバル展開へたくそから、もてあますんじゃ

そんなにシリコンバレーいうんなら、日本捨てて英語圏人間になれってマジで

世界マジョリティ積極的意見交換して協調性持って活動できない環境組織グローバルかいっても限界あるんじゃ

グローバルグローバルいいたいんなら世界で通じる言語最大公約数の一員になれまじで

いまのおまえの状況でなにいったって狭い島国世界からみてわけのわからん言語デスマスデスマスデスマーチゆってるピーポーなんじゃわかれどアホが

それがわからんならおまえはおっぱいバレーでも眺めて、あれは天然かシリコン判別してろって

2016-02-13

30歳ジャストで70歳の親の認知症介護に向き合わねばならんかもしれん

これが高齢出産の末路だよ!

と声高に言いたい部分もあるけれど、最近の人がする高齢出産は意外と平気だと思ってる

今の人はアラフォーでも十分若若しいし、働いてるし、スマホATMを使いこなせる

外との関係をしっかり持って、インターネットのように意見交換相談できる外界との繋がりもあり

それを使いこなす技もしっかりと持ってる(これ大事

母はずーーーーっと専業主婦で、趣味も無く(20年ほど前、引っ越す前はやっていた)

友達も出来はするけど遠くへ行ってしまったりで疎遠

機械系はもとから苦手だったけど、ガラケーメール画面まで行くのすら無理、電話をかろうじて受けるのみ

この先不安しかない、不安のない生活なんてないけど、不安名前をつけて目の前に現れた感じ

高齢出産した人は、とにかく自分健康にも気を付けて下さい

血圧糖尿病は体質もあると思うけれど、本人のコントロール次第で抑制できると思うので

私の母はこの2つのせいで認知症がグイグイ来てる気がする

教えても教えても新しい事を覚えない母を見るのがつらい

身体が悪くて寝たきりになってくれた方が良かった、とすら思ってしまってつらい

介護の辛さなんてそれぞれで、比較なんてできないのにね

増田から書きなぐりでいいか、と思ったけど取り留めなさすぎるなw

みんないつまでも若く健康でいて欲しいわ…

私は結婚出産とは縁のない人生になると思うけど(介護関係ないよ!)

元気な人達が多い国であってほしいな

2016-01-27

賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する

 

 

「私はブログを愛していました。毎日真剣コミュニケーションしていたつもりです。周りにはいつもブロガーがいました。トラックバックソーシャルブックマークで繋がっていたんです。オタクサブカル主義者もいたし、道化変態もいました。ユーチューバ―のおままごとと違って、正真正銘の道化変態です。

 仕事が終わると、いつもラップトップに張り付いてアンテナをチェックしました。寸暇を惜しまブログを読み、ブログを書きました。私にとってブログとは、自由になるための手段でした。彼らもそう思っていたでしょう。しがらみに揉まれず、率直な意見をぶつけあう空間誹謗中傷批判区別のつかない人間もいましたが、自由のうちにそういうノイズが混じるのは仕方のないことです。それでもノイズを我慢してブログを続けられたのは率直に意見交換ができたからです。

 ときには自分自身への囚われから自由になれました。私は一人ではなかったからです。信頼できるブロガーから批判になら、私は耳を傾けることができました。他者批判は、自分自身防衛機制を照らす小さな灯です。あまり利口ではない私と彼らでも、知恵を出し合い、意見を出し合い、一人ではたどり着けない何かをアウフヘーベンできました。私にとって、web2.0とはそういう経験だったのです。

 ときに讃えあいとき批判あいときに潰しあい、そうやってブログを楽しんでいました。土日祝日ブログを欠かしませんでした。アカウント生命を賭けた戦も何度もやりましたし、痴情のもつれがブログクラッシュさせるところも何度も見ました。人間の最も汚い部分から最も尊い部分まで、すべてがそこにあったのです。

 あなた達にはご理解いただきにくいところかもしれませんが、ほんらいブログとは自由なのです。ガンジス川ほとりのように。そして私も!彼らも!ブロガー!!だったのです!」

  

 『市民諸君、この者を戦闘ブロガーと認めるか』

 

 Yes

 Yes

 Yes

 

 『賛成多数、汝を戦闘ブロガー認定する。“獰猛危険”の烙印を施した後、はてなシティ引き回しのうえ、“ゲットー”での謹慎蟄居を命ずる。今後は市民に対するいかなるコミュニケーション許可しない。良いな?id:○○○○』

 

 「なぜですか!私はコミュニケーションがしたいだけなのです!自由ブロガーの!ブロガー自由をお認めくださいませ!」

 

 『ならぬ。汝ら戦闘ブロガーは、今という時には不要存在なのだ。命(アカウント)があるだけでもありがたいと思え』

 

 「どうして手斧を投げてはならぬのですか!どうして討論してはならぬのですか!」

 

 『討論など今のブロゴスフィアには要らぬ。

  やれ!』

 

 「や、やめ、ギョワーーーー」 

 

 焼きゴテが押し当てられ、男の額には“獰猛危険!”という烙印

 倒れ込み、牢に投げ込まれる男。

 見世物ブックマークする群衆

 勝ち誇った表情のシティ司法長官

 

 『市民諸君!また一人の戦闘ブロガーを適正に処分した!シティの平和は守られ、ますます繁栄するであろう!』

 

  ※この台本フィクションです。登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。

 

2015-12-21

正論を言うひとびと

(以下は,仕事における議論ではなく,もっとプライベートな場面での会話を想定しながら読んでほしい)

友人に何人か,「私は正論を言う」と自称するひとがいる。なるほど彼らの意見は明確で,聞いていて快いときも多い。他人人生の悩みなどについて無遠慮までにずかずかと,しかしはっきりとものを言う姿には清清しさを感じる。けれど「私の言うことは正論だ,だからあなた意見は誤りだ」とまで言われると,ムムムと思う。

似た例で,「私は正論を言う。だからひとから反感を買う」と主張するひともいる。これについてもムムムと思う。この『だから』には自己弁護的な,あるいは自己陶酔にも似た響きを感じるからだ。確かに,図星を突かれると無条件に嫌な気分になるひとも多く,その場合は「正論を言ったことで反感を買う」ことは名誉の負傷でもある。けれど,そうでない例――例えば私は,むやみやたらと強い口調で"意見"を言われると,ストレスを感じる。喧嘩を売られている気分になるからだ。あるいは,自分は間違っていると思う"意見"を,『正論=正しい論』と押し付けられれば,ムッとする――もあろうし,この場合は「正論を言ったことで反感を買う」というより「意見交換に失敗した」なわけで,断然不名誉であろう。

といったことを「私は正論を言う」と自称するひとびとに訴えると,「ねっ?だから正論は嫌われるのよ」と言われてしまう。

そもそも正論というのは,自称するものではないと感じる。自分自分意見を「絶対的に正しい」と主張するのであれば,それは傲慢ではないのか。「私の意見は私にとっては正しい。もちろんあなたにとってはどうかは分からない。けれど一理はあると思うので,参考までに私の意見あなたに紹介したい。その後の評価あなたに委ねる」というスタンスであれば理解はできる。あるいは私が勘違いをしているだけで,正論を言うひとびとはそういうスタンスでいるのだろうか。それにしては,言い方が些か攻撃的だが。もしくはあるいは,正論を言うひとびとにとっては自分自身正論を口にすることのみが興味の対象であり,それに対して他人がどう思うかというのはどうでもいいものなのだろうか。


(追記)

ああでも,Wikiで調べたら正論とは「多数が流されている状況に対する正しい少数派的意見価値多様化に対する堅くて古い感じのする常識意見、というニュアンスの評としての用法」とのこと(例外もある)なので,「決して間違ってはいない少数派意見」を言えばそれは自ずと正論になるのか。

なんかずるくないか,そんなの。

2015-10-27

誰がオタクと呼ばれ、誰がオタク自称たかオタク史で振り返る

はじめに

90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネット個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。

本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタク自称したのか、その変遷を整理することである

おたく」の誕生

第一回コミケ1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニア自称しており、オタクではなかった。もっと二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。

運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))

中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。

世間的な「おたく」の誕生

ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年宮崎勤連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラーアニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュインドアブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。

この時高校生だったあるオタクは次のように当時を述懐する。

オタク、かっこ悪い?」

そういう問い自体出なかった

オタクは格好の悪い生き物だ」

侮蔑され諦観

故に侮蔑され故に諦観

数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする

(中略)

おい あれ

アニメコミックだって

プッ

オタクだよオタク

ぎゃはははは

宮崎だよ宮崎

オイロリコン部ーッ

幼女さらうんじゃねーぞーッ

ぎゃははははははは

平野耕太, "すすめけん", 月刊少年エース10月号増刊 エース桃組(2004))

世間宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。

当時の高校生オタクにこうした罵声反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。

技術革新と濃度差の可視化

岡田現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。

80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価意見交換できる場は、不特定多数オタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。

そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察解釈を求めてネット活用された。ネット黎明期オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタク存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタク自称する者のズレは拡大していくことになる。

秋葉原聖地

エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者オタク化を助長し続けた。

他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。

コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原アキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。

そして2005年TVドラマ電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客オタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。

珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。

動画サイトによるオタク人口の拡大

2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法わず大量のアニメゲームといったオタクコンテンツを抱え込んでいく。

アニメ放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイト投稿された動画に必要な手間はクリックするのみであるオタクコンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。

またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメアフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報スキャンダルを把握する。その情報あくまアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定オタク的知識を有していることはまぎれもない事実である

こうした層はアニメマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタクコンテンツ情報収集必要コストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。

非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテコミュ障等と細分化し始める。

誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタク自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークル同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタク自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。

一方で2007年以降、AKB48握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。

オタク向け婚活パーティの登場から現在へ

細田守監督映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。

2011年アエルラアイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガアニメゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。

筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田オタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメ話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタク自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である

他方、携帯ゲーム課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメ興隆などから、グッズその他のオタク趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。

おわりに

アイドルオタクアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。

また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である

ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティ所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。

オタク論は死んだが、オタクが絶滅したわけではない。

オタク同士の相互理解の一助に、本稿が幾ばくかでも寄与できれば幸いである。

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