はてなキーワード: ソーシャルブックマークとは
これ「ソーシャルブックマーク」じゃなくて「どこでもオンライン掲示板」と「みんなで作ろう!今日のネットニュース」では
下までスクロールするたびに読み込むという仕組みはよくない。
何回となく読み込んだところまで読み進めていった後に「次はここから読む」ということができない。
一度電源を消してしまうと、また最後に読んだブクマまで何度も読み込まなければならない。
しかも訪問している人が積極的な利用者だったら、目を離している間に最後に見たブクマがどんどん埋もれていくので、どこまで読んだのか分からなくなる恐れもある。
まず俺の旧式パソコンだと、そうやって延々とページを読み込んでいく方式だとメモリが不足する。(togetterのコメント欄もそうだが、適宜別のページに区切れよと)
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動的に読むこむ方式ではなく、適当に数十件ずつページにまとめて表示し、ページ送りで次に進める方式のほうが使い勝手がいい。
登録されたのが古い順にソート出来れば、途中でやめるときはURLをメモしておくだけで容易に再開できる。
(古い順なので、後から次々ブックマークが登録されたとしても、自分が見てきたブックマークが置かれているページのURLが変わることはない)
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そういう仕組みのソーシャルブックマークはないものかな。既に誰かが作ってるなら教えてほしいものだ。
あの記事に対する反応に対して補足したいことをまとめる。
ブラウザのブクマ公開したのにコメントはおろか星1つ付かないんだが
https://anond.hatelabo.jp/20201127132423
まずSEO対策がどうのとか、Google Analyticsがうんたらかんたらと、事の本質を弁えていない的外れな親切心による書き込みが目立った。
公開媒体が「ブログ」だったというところに引っ張られ杉だろと。
元々あれって5chのダウソ板で検索能力が足りないと言われたことに対する皮肉として、「アングラ界隈のアーリーアダプター」という記事と1セットのものなんだよね。
だからその記事を増田で公開したのと同じように、ブックマークも増田で公開できることがベストだった。
そうすれば記事と公開されたブックマークが地続きなものとして認識されただろう。私をコケにしたダウソ民にも、人間それぞれ偏ったところがあるだけで、私が特別検索能力において劣っているわけではない、検索が得意な分野が別だっただけだということが理解されたはずだ。
だけども増田にリンクを何十個も連ねることはできない。これは後から知ったことだ。
そこで急遽はてなブログのアカウントをとってブログという場で発表したのだった。「ブログ」は単なる場・手段に過ぎない。
ようするに5ch民をギャフンと言わせるための一発ネタに過ぎないのだ。グーグルに登録しろとサイトデザインの所要期間が数ヶ月とか、的外れに程がある書き込みであること、ご理解いただけただろう。
条件が許せばその場はツイッターでもよかったのだ。でもツイッターの欠点は見過ごせないものだった。
ツイッターはスレッド機能を使えば長文も投稿できる。それならスレッドとしてずらづらとブックマークを載せまくることも出来ると思うだろう。
少し想像すれば分かると思うが、十、二十というツイートにまたがったものを見ること自体読みづらいに決まっているのだ。
ブログとしてなら1ページで済む(実際は3ページ=エントリ分投稿してしまったが)それだけの話だ。
自分の試みのユニークさには自信があった。自尊心が過大化したきらいもある。そこは反省したい。
でもだからこそ、やって来た反応を徹底的に打ち返すことで、あの試みの問題点のあぶり出しにつながった。
最初は数十分待ってやっと一件の「エントリ6つしかないお前のブログなんて誰もみてねーからだろ」という書き込みがついただけだった。
それに対して否定的な返信をし、次についた返信も否定するということを繰り返していくうちに、新規の書き込みが付く間隔が短くなっていた。
増田トップページに私の記事に対する言及が目立つようになった結果だろう。ここまでの過程には自惚れによるところもありながら、計算していたところもあった。
ホッテントリ入りして何百件とブクマがついてる記事は増田上での議論自体盛ん=トラバのツリーが複雑化しているものが多いなと思っていた。
以前漫画が男性向けや女性向けでカテゴライズされている合理性を問う記事をものしたことがあったが、それは70件ほどしかブクマがついてない。
(https://anond.hatelabo.jp/20200923144622)
そのときは私は元増田として増田上の議論に一切書き込まなかったのであった。
アーリーアダプターの記事にしてもそうだ。数件ブクマがついてもそこで止まる。
そういう記事と、百件を超すブクマがつく記事の違いは何か。ブクマユーザーの訪問者に増田そのものが香ばしくなっていることが印象付けられるような状態になっているか、否か、だと思った。
だから自尊心を満たす私利私欲のなかに、以前からの仮説を検証したいと思う冷静さを一つ、今回は元増田として積極的に議論に参加したのだった。
ここからはブックマークを公開するという試み自体について補足を。
はてなブックマークのようなソーシャルサービスの中で自分が訪れたサイトを公開するのと、ローカルに保存しているブックマークをあえて公開するのとでは意味合いが違うことは議論の中で何度も言った。
ほとんど誰も分かってくれない。議論に熱が入ってたあの状態では至らないところが多々だったと思われるので、ここでも改めて説明しておきたい。
ソーシャルブックマークは、口コミとしての役割・意義が大きい。それがリストとして他人に見られることが予定している。
そこらへんに自覚的になって本人はソーシャルブックマークにサイトを登録しているはずだ。むしろ他人に紹介するのが目的になってネットを散策するぐらいの人もいるかもしれない。
ソーシャルブックマークを「自分のための」「備忘録」として使っている人は少ないと思われる。他人のまなざしのほうが意図されている。
一方ブラウザのお気に入りは、他人に見せることが予定されていない。他人の目に触れないことが前提の空間だから、極めて猥雑になりがちだ。
それをありのまま、包み隠さず見せる。なんか昔2chでも「俺の画像フォルダが火を吹くぜ」みたいな企画が流行っていた気がするが。
ああいうのはは画像を見せつけることが主流だったし、企画のために用意された作為的なところを感じた。そうでないとしても、見せて支障のない一部のみを見せていた感じがした。
そうではなくブックマークをまるごと公開する試みがあったろうか。私は見たことがない。
ジャンルに分けろとか言う人がいるが、あれは登録された時系列順になっている。当人の興味がどのように変遷したのかの写し鏡になっているところに意味がある。
ジャンルに分けた時点でその有機性が崩れるのだ。ジャンルに分けることで利便に資する昔ながらの「リンク集」とも意義が異なるのだ。
リンク先がどんなところなのかを解説をつけろと言う人がいる。それもまた、ありのままで意味があるものに下手に脚色を加えることによって、総体としての価値を下げてしまうリスクを持つことだと思うのだ。
タイトルが説明的になっているリンクも多く、そこから想像を膨らませて生まれるときめきもあると思う。下手な解説は、むしろ邪魔だと思う。
名前だけが並んでいるところにこそ、正体不明のガラクタの詰まった箱を手探りで物色していくような、おかしみがあると私は思う。
むしろ最近は整理されたサイトが多すぎる。ワードプレスなんかで作った感まるだしのデザイン的に味気ないサイトだらけになっている。
APPによるはてなやツイッターのボタンがついてるならば役満だ。その二点セットを整えたサイトであふれかえっている。
反応してきた人の中に、タイトルから内容を類推できればそのサイトを知っていることになるという人がいた。
これこそ、画一的なデザインのサイトが横行していることになんとも思わない感性による考え方だと思う。
たとえば数学といえば、金沢工業大学のサイトが独習テキストとしてまとまっていることで巷で有名だが、小綺麗に過ぎる(それでもワードプレスは使ってないぞ)
でも同じ数学という内容でも「宇宙人の数学」なんてサイトはどうだろう。
内容自体は高階の微積分についての数学マニアの定理を集めたという、数学を趣味でかじっている人間からすればありがちなコンセプトだが、トップのバナーでタコが墨を吐いてるわ、宇宙をイメージした野山の夜空が背景になってるいるわ、おおよそ数学を内容としたサイトにはないデザインだ。「宇宙人の数学」というタイトル自体、遊び心があり、言い得て妙。ユニークだ。
ワードプレスで書かれたドストエフスキーの解説記事よりも、「どすとえふ好きーのページ」のほうが心が潤う。
こういうサイトは、画一的なサイトが氾濫した今にあって、目を浄化させてくれる、心のオアシスのような存在なのだ。
トレンドブログのように馬鹿丁寧にわかりやすいキャッチーなタイトルで人を釣っていくサイトが多い中では、少しでもユニークであること、あるいは不親切であるぐらいのものが、新鮮に映ると私は思う。
だいたいのソーシャルブックーマークは一ページに10件程度表示して、もっと見たいなら次のページに送ることを要求される。
その点でも、リンクを淡々と何百も列挙しただけのサイトは異彩を放っているのではなかろうか。
載せてあるブックマークにはリンク切れのものも多い。グーグルが2010年以前のサイトはインデックスから削除することを明言しているのだから、こうしたサイトの中にはもはやどんなキーワードで検索しても出てこないものもあるだろう。
インターネット・アーカイブには残っているかもしれない。しかし何の手がかりもない状態でインターネットアーカイブから私が今まで発見したレアなサイトを探し当てるのは現実的な時間の中では(そう志した本人の一生涯では)不可能だろう。レアなサイト、かつ、ある特定の趣味嗜好を持った人格が興味を見出したものの集まりとして、そのサイトを実際にアーカイブから閲覧するための道標、玄関口としての価値はあるだろう。
登録してあったサイトには、もはや今の自分にはどうやってそのサイトを見つけたのか分からないものもある。
goddes artstudioなんかそうだ。サイトタイトルで検索しても出てこない。自分でさえURLの直打ちとかでしか訪れることができないのだ。
ロロナのアトリエに「ギャンブルゲイン」という用語が出てくるが、ずばりこの言葉で検索しても、完全一致した関連するサイトがトップからずっと出てこず、6ページ目ぐらいでやっと攻略サイトの「ギャンブルゲイン」に関する解説を含む記事が出てくるということがあった。この複雑怪奇なキャッシュ構造では、サイトタイトルで検索しても当のホームページがトップに表示されないのもうなずける。
検索技術が昔より衰えていることはないはずだが、サイトを見つけ出す感性みたいなのは、一部変質してしまったのかもしれない。
検索は奥が深いのだ。タイトルから内容が類推できるから「そのサイトを知っている」ことになるなど、飛躍もいいところだ。まずそのサイトを検索結果に表示させるためのキーワードの組み合わせを提示してみろというものだ。
そもそも内容が類推できるって、たとえば「御金せびり」みたいなキャラクターの名前っぽいものがタイトルに入ってるからと、「これは漫画とかゲームに関するサイトだろう」と思えることが、知っていることになるというのか?
ある東大の博士論文を見たが、どんなに難解でも、それが数学に関することぐらいはわかる。だからとその論文について知ってることにはなりえないのと同じだ。
(http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=115520)
私に自信過剰のきらいがあるのは、検索の達人関裕二とかいう者の存在が尾を引いている。
達人などと自称するその人の本に書かれていたことの全てが、自分がごく自然に実践していたことだった。
その程度で達人と自称した本の出版が同業者の違和感なくできてしまうぐらいなら、自分は既に遥か高みにいると思った。当時高校生である。
学友からも君はマニアックだねと盛んに言われた。それは小中学校までの環境で言われるのとは意味合いが違う。いろんな地区の人々が集まっているのだから。
その皆からマニアックだねと言われたことをもって、全国から私はマニアックなサイト蒐集家だと認められると判断するうえでの標本しても問題ないと思った。
ネットに晒したことでお前は大したことないと言ってくる輩は、圧倒的なを見せつけられたことに対する負け惜しみに過ぎないとしか思えなかった。ネットに書き込む輩は偏屈なやつばかりだから。
世の中は、ある点において、誰かが一番に違いないのだ。あなたかもしれないし、私かもしれない。
でもサイト収集という点においては、単純な量とかではなくどれだけ見つけるのが難しいサイトを見つけてきたかとう総合的な評価尺度においては、(特に当時の)私が一番だと思う。
昔は感性もあったし、運も味方していたと思う。マニアになるには、情報がアンテナに引っかかるような運も、必要だと思う。
このような自負が回線を隔てた他人からは若輩者がイキってるように見えるのだろう。
しかし必ずしもそれが分不相応なイキリと決めつけることこそがおかしいのではないか。全くネットに触れすらしない人間よりは、ネットサーフィンに熟達してきて自負もある人間の方に、世界一のサイト蒐集家であるという点に関して分があると考えるのは妥当だろう。なぜかネット民はネットで露出する匿名の一般人とおぼしき人間がある点においても一番であることはありえないと考える。「能ある鷹は爪を隠す」ということわざに支配されてるのだと思う。
他人が世界一だと考えることを絶対に偽だと否定する希望的観測は、自分が一番だろうと考える穏やかな希望的観測よりもたちがわるいと私は思う。
薬膳のサイトがあると思ったら、有機化学美術館なんて化合物の模型を載せたサイトがあって、軍装の通販サイトあり、同人のサイトありと、ブックマークの内容は総体として縦横無尽の一言に尽きるといえよう。
登録されているサイトと内容が似たサイトは他にもあるはずだが、大事なのは、そのサイトの見つけづらさだ。
同じようなサイトでも、一朝一夕その分野に触れただけで見つけ出せるものもあれば、運も味方するほど長い間打ち込んでいなければ見つからないようなサイトもある。私が登録しているものの多くは後者だ。
(今更グーグルの検索結果も登録してるじゃないかとか揚げ足はとらないでもらいたい。)
昔の自分自身に所在を聞きたいサイトがあるぐらいだ。TRPGのサイトとか、旧日本軍の機密文書のサイトとか。前者は、タイトルに「白薔薇赤薔薇黄薔薇」とかあったのを覚えているので定期的にキーワード検索を試みるが、未だ出会えた試しなし。
はてブやってるオッサンなんてヤリモクしかいないからね。その筋ではヤレるソーシャルブックマークとして有名なんだよな
英語のWikipediaもそうだが、他にも、世界中のロケットを紹介しているサイトや、
培養肉のサイトなど、どうやって情報を集めて整理しているのか、と思うことがある。
先に整理方法だが、日本では、パソコンがなかったときは情報カードといったものが提案されていた。
パソコンになってEvernoteや、OneNoteあたりから、目立った手法がない。
はてブで管理はできない。deliciousのような他のソーシャルブックマークも同様だったのではないだろうか。
論文だと、古くはEndNoteだが、PubMedで閉じているときは良いが、全部を上手く管理できているわけでもない。
他の人はMendeley、Papers、Paperpile を使っているのではないだろうか。
日本語圏だけじゃなくて、英語圏を探せとコメントがついて終わるのだが、実際に英語圏で探そうとすると大変だったりする。
既にまとめてあるサイトがある場合はいいが、多くはそうではない。
アメリカ以外の国で培養肉参入している企業を調べよ、というお題が出たとすると大変だろう。
日本にいるとレファレンスサービスくらいしか思いつかないのだが、
はてなブックマークの inspire 元でソーシャルブックマークの元祖ともいうべき Delicious を買収して潰したライバル Pinboard を使いなされ!
コメントを社会に向けて公開するなら既出チェックぐらいしなさいよ、と思う
既出チェックする時間がないなら、自分だけが見える非公開コメントで書いて、後でチェックが済んでから公開すればいい
対策としては
"既出の意見をリライトするだけで、何ら新しい知見をプラスしていないようなコメント"
この手のコメントばかり公開するような人をリストアップして非表示推奨リストを作成すればいい
その作業を誰がやるのかというと
"はてなブックマーク上でネットリンチが行われていると感じている"人(anond:20191113191615)や
"多様性がなくなるのを憂慮する"人(anond:20200518220125)たちがやればいい
実例→「いきなりステーキ」コメント多すぎのブコメ欄 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1446877
「いきなりステーキ」の社長のお言葉張り紙と何が違うのか。 https://www.j-cast.com/2019/12/10374778.html?p=all
これが1番早いコメント
最後はファンに買ってくれとお願いするしかない辺りやってる事はいきなりステーキと同じ。それじゃあもう滅びるしかないねっていう
これは2番め
「それじゃあもう滅びるしかないね」の部分が新しい意見と言えなくもないのでまあセーフ
いきなりステーキみを感じる。 / アニソンDJが劇伴そっちのけでTVサイズ版のOP・EDの為に渋谷のTSUTAYAでレンタルしてるのは知ってるけど、それはあまり業界に貢献できてないんだろうな
3番目
新しい意見が入っているのでセーフ
5番目 アウト
6番目 セーフ
7番目 アウト
8番目 アウト
いきなりステーキかよ
9番目 アウト
10番目 まあセーフ
11番目 セーフ
12番目 セーフ
はてなはニュースサイトじゃなくてソーシャルブックマークサービスなのでソーシャルブックマークの概念が無いと来ることすらないものだと思うよ
良い記事には良いタグを、悪い記事には悪いタグをつけて、すべての記事を分類し尽くすことがソーシャルブックマークの意義だぞ。
あと、「個人ブログのソーシャルブックマークでは、筆者が望んでない議論や批判を書くな(その場から立ち去れ)」は暴論過ぎませんかね…。あなたが本当に常日頃そういうお考えではてブを利用してるなら、私に名指しで退場しろという前に、もっと指摘するべきブコメが(同じ条件下でも)いくらでもあると思うんですが。
なお、私は「ブログの筆者を含め、あれが16歳のキャラクターの表象であることに少しも引っかかりのないすべての人達」に向けて主張したかったので、独り言のつもりではなく、むしろ多くの人の目に触れてほしくてブクマしました。ので無論「個人の場だから何を書いてもいい」と考えているわけではないです。
指摘されている問題は、製品をリリースしている対象(この場合はバンダイスピリッツ)に向けるべきか、
もしくは、模型のレビューを性的な事を主眼に行っているブログに向けるべきでしょう。
筆者のブログは、模型のモデル(キャラクター)が高校生である事を必然としていませんし、可笑しく書くために情動的に書いてはいますが、その論点は「高校生の表象が性的に扱われること」ではありません。
しかも、ブ米に書いたように筆者は「ここで、「破廉恥だ!」「変態だ!」なんて感想を述べた瞬間に、そういう考え方をする機会は失われてしまう。」と、論点が異なる事を明言し、それと同類になり論ずる機会を失われる事を望んでいません。
しかし、読み手がどう受け取るかは自由と(私は)考えますので「主張されてる事は理解しますし」と私は書きました。
「退場して下さい」そして「一部、同意します」と同意は一部に限ったのは、著者のブログのブ米に書くべきではないからです。
トラックバックで貴方のブログで批判するのであれば、私は「退場して下さい」というブ米は書きません。
筆者個人のブログのソーシャルブックマークで、かつ筆者が望んでない議論、批判を書いたので、この場からは立ち去ってくださいと書いたのです。
ソーシャルブックマークのコメントも個人の場とする考え方もあるかと思いますが、
個人ブログのブ米で書いたことは、個人の家前の道路で叫んでいる事と同じと。
著者の他のエントリを見て頂ければ分りますが、造形に関してとても深い観察を考察を行われています。
今回のエントリも写真を見れば分りますが、明確に下着を撮影しているのは(いわゆるパンツを撮影している物ですね)2点で、
どちらも性的に撮影しているのではなく、そのつなぎの部分の自然らしさを注視しています。
性的に撮影するのであれば、フィギュアのレビューサイトなどの様に、顔が見える全体像や、下着をあおる様なローアングルの拙者になるでしょう。
著者の個人ブログである点(exciteの公式ブログは編集部の選定であって本人の申請では無い)
著者が高校生を性的に扱うのが目的でなく、模型の発展のアプローチを論じている点
なので、私はブ米で
本文読めばわかるが、トランスルーセントが主題になっている模型で、肌の質感や眼球の光彩を物理的に構成するだけではなく、衣服の下着をデザインするというのが論点。変態性を論じる貴方は退場して下さい。
まぁ、ブ米を書くお気持ちも分りますが、それによって(ブ米に書く事によって)不必要な論点が外れた批判で埋もれるのも問題だと思うんですよね。
※補足ですが、高校生の下着を記事の対象に挙げている時点で、のような事を言い始めてしまいますと、子供をモチーフとしたデッサンも、骨格、そして肉付け(いわゆる裸ですね)を主題とします。チャイルドポルノの問題があるので論ずるのは慎重に行うべきですが、主題に上げる事をNGにしてしまうと、多くの物が失われてしまいます。