はてなキーワード: ポケモントレーナーとは
ポケモン本編最新作のSV(スカーレット・バイオレット)が期待外れだった反動みたいなところもあると思うんだよね
ネットでは好意的なレビューも目立つけど、実際やってみると至る所にバグがあるし、あらゆる処理がもっさりしているしメニュー画面のUI使いづらいしオープンワールドの割に景色も特に綺麗じゃないし、とにかくゲームとして全く洗練されていないのがわかると思う
前作800時間やった俺も今作は5分に1回ぐらいのペースでそういった何かしらの要素にがっかりしながら何とかメインストーリーを終えた辺りで限界が来て(ちなみにストーリーだけはめちゃめちゃ良かった)、準伝説捕獲とかのやりこみ要素は一切手を付けなかった
そんな俺のようなポケモントレーナー達の心の穴を埋めたのがパルワールドだったのではないか
もしポケモンSVの出来がもっとまともだったらパルワールドはひっそり流行る程度に終わり、ポケットペアが調子に乗る事は無かったし任天堂と株ポケが動く事も無かっただろう
騒音上界規定は、その場における最も大きな騒音を発する人間を指す。
騒音上界規定の存在により、その場にいる別の人間の騒音レベルが上昇する。
それにより場全体が「それ以下の騒音ならば良し」とされる場になる。
騒音上界規定がいなくなると、全体の騒音レベルは著しく低下する。
下品な声を発する人間を指す。200人に1人程度の割合で出現。
2人以上の集団で出現しやすい。多くの場合騒音上界規定を形成する。
下品な声とは、誰を蔑んでいるのかはわからないがとにかく誰かを蔑むような声だったり、誰かを評価する話し方のこと。
声に人を尊敬する気持ちが感じられなかったり、周りを気遣っていない様子が見られる。
一時的に形成された人間社会の中では最も極悪な存在として位置づけている。
2つの選択肢がある場合に、良い側を意図的あるいは無意識にでも選択する動作のこと。
「良い側・悪い側と見たあとに振り返って良い側に行く」あるいは「悪い側・良い側と見てそのまま良い側に行く」という動作として顕現する。
良い側とは「空間が広い」「清潔そう」「歩きやすそう」「過ごしやすそう」であり、悪い側はその逆。
いちいち選ばない人間もいるし、事前に評価が終わっている場合もある。
逡巡することもある。「悪 vs よりマシな悪」から「より良い」を探そうとすると逡巡が発生する。
主に電車やバスで複数の空席が見受けられたときに、おのおのの席の座り心地をシミュレーション・評価して選択する動作のこと。
どれもお気に召さない場合は立ちっぱなしになったり、車内を移動することもある。
トナラーは若い女性の横を高評価判定して無意識的にでも積極的に獲得していく人物のことだ。性別を逆転した女性トナラーもいるにはいるがかなり少数派。
予想トナラー(まだトナラーにはなっていない)が現れたあと、予想トナラーが予想した眼球運動の後予想した席に予想した様子で着席した場合は感動すら覚える(トゥルートナラーの完成)。
その後に続く人々が十分多ければ、信号の色がなんだろうと全員渡り始め、事実上信号が機能しなくなる。
ただし赤信号で渡る人はそれほど多くはない。赤信号リーダーには大抵嫌な視線が向けられており抑止が働いている。
車通りがそこそこ激しい大通りで信号とは無関係に横断をする人間を指す。かなり迷惑で周辺にヘイトを溜める。
Pは点Pの意味。
横断よりも大回りしないといけない場合によく発生している。「歩道橋が高い」「横断歩道まで遠い」などがある。
およそ20人以上の移動する人の流れ。
20人程度なら「移動流体20」、100人程度なら「移動流体100」と呼称する。
移動流体には基本的に逆らうことができない。もし逆らった場合はかなり高いレベルの敵意を得る。
数が多くなれば多くなるほど凶暴。
男に多い。自分がその場で一番頭がいいと思っているのかあやふやな知識を開陳している。
後輩などの子分を伴っており、子分が頭脳マウンタラーを持ち上げることで成立している。
周りに聞こえるレベルの声でさまざまな情報を垂れ流す。企業の内部情報であることも多い。
内容に興味を持ったときはググったりするなどして特定を試みる。1000人に1人程度の割合で存在。
ほぼ静止しているが、直後の動作が予測困難な人間を指す。ブラウン運動をしている円柱として捉えている。
円柱は全然とんちんかんな方向を向いており、周りが目に入っておらず無敵である。
渋滞を形成する諸悪の根源。非常に多くの人間に悪影響をもたらす。
複数いることもある。複数円柱は一気に人の流れを鈍化させ、小さなテロリストの様相を呈す。
前方から道を塞ぐ壁のようにして歩く2人以上の人間のこと。権力闘争が発生している。
必ず序列があり、ウォール内の最も弱い者が道をあけることが規定されている(ゲートオープン)。また、最強をMaxウォール・最弱をMinウォールと名付けている。
Maxウォール次第ではウォールは即座に解消され縦列になる。そのとき、Maxウォール以外はMaxウォールに従属して縦列になる行動をとる。
Maxウォール主体のこの行動を「転置」と考えている。しかし美しい転置はなかなか決まらない。
なかなかゲートオープンしない場合もある。その場合はこちら側がMinウォール未満であるとされており、ウォール内部の権力闘争の道具として使われている。
ウォールは2層以上になっていることもある。
その場合、ウォールの後ろにいるウォールは「二軍」あるいは「ウォール・ローゼ」あるいは「予備戦線」と捉えている。
居酒屋等の前で集団でたむろし、会計待ちなどで多くの人数で道を塞ぐ集団。非常に邪魔である。
自分がなることも容易にある。その割に他人が会計待ち集団ジャママンになっていると邪魔だと感じる。
集団なので敵対されても複数で取り囲むことができるため、道を塞いでもいいと思っている。
会計待ち集団ジャママンの中に「邪魔になっているから避けて」と統率する人がいる。リーダー気質だったり酔っていない人物。
十分統率された集団は会計待ち集団ジャママンにならない。その組織のコンプライアンス度合を示す。
こちらが人間をよく見ているので、こちらが観察・評価していることに気付いてこちらからの評価を避ける人のこと。
幽霊遭遇者の行動パターンだが、まず目が見開き驚愕する。目線を下げ降伏を宣言。脅えながらこちらとすれ違う。
あたかもこちらが幽霊かのように接してくるのでわかりやすい。1万人に1人程度の割合で存在。
非常に高速に移動する人間を指す。顔が無表情あるいは真剣であることが多い。
服装は整っており頭脳明晰で収入は高そうである。まっすぐと前を見据え全力で最短距離を駆け抜ける。
意図的に進行方向を妨害すると、振り向いてギョッとした顔をしたあとスピードがやや落ちる。
しっかりと目を合わせてくる人。ガン飛ばし。ケンカの前兆。5万人に1人程度の割合で存在。
目が合ったらポケモンバトルだ。
理解不能な存在。次の行動がまったく予測できず恐怖をもたらす。
仮説が成立せず絶えず理を超えた動作を取り続ける。いわゆる "変" な人。
他者を完全に障害物だと捉え、その隙間をくぐり抜けるようにして動く子どものこと(ミサイル)
ミサイルペットPureは小学校低学年以下に集中する。ミサイルペットPureの視点から見ると大人は「足2つ」しか見えないからだろう。彼らにとって通行人1人とは「ゆっくりと動く2本の柱」である。
ミサイルペットPureには善悪判断は無く、恐縮した親も多い。
一方ミサイルペット悪の場合は小学校中学年以上であり、善悪判断を持っている。他者を品定めして、大丈夫そうならとことん騒ぐということをしている。
ミサイルペット悪は小学校高学年ごろに最盛期を迎える。その後徐々に落ち着き、数も少なくなり、大学生ぐらいで完全消滅する。
ミサイルペット悪のうち中学生ぐらいまでは、その親であるミサイルペアレンツによる「放牧」が行われている構造が多い。彼らは親の庇護下のもとで他者に迷惑をかけることを義務としている。
ミサイルペットが活動できる場は、ミサイルペアレンツが多い場(そのミサイルペット本人の親でなくてもよい)である。ミサイルペアレンツが少ない場ではミサイルペットは活動できない。
基本的にはPure / 悪のどちらの場合であってもミサイルペアレンツからの「放牧許可」「放し飼い許可」が行われているとき、子どもがミサイルペット化する。子どもはかなり敏感にその許可を感じ取る。
近年のアイドルゲーム見てもキャラデザに全く惹かれない。学マスもウマ娘もラブライブ、その他アイドルゲームのキャラクターには全く個性が無い。Vtuberも装飾だけ派手で髪型とか基本の形は無個性。それに対してポケモンに出てくるトレーナーは個性的で可愛い。何故これをアイドルゲームは出来ないんだ。
アイドルゲームはリアルに寄せて現実的なキャラデザにする必要あるんか?中途半端なんよ
二次元にしては無個性、三次元にしてはアニメすぎる。ずっと何がしたいんだこのジャンルは。
海外でウケてるゲームや漫画アニメのキャラクターはみんな個性的なんだしインバウンド狙うにしても学マスやウマ娘じゃ個性が弱い。
確かに、大人が子どもに問答無用でポケモンバトルを挑んでくる設定は、現実世界とは乖離していますよね。でも、ポケモンの世界はそもそもファンタジーであり、現実とは異なる法則で成り立っているんです。
ポケモンの世界では、年齢に関係なく、誰もがポケモントレーナーとして対等な立場にあります。これは、現実世界の多様性とは違う形かもしれません。しかし、ゲームの中だからこそ表現できる、一種の理想郷なのかもしれないと私は考えています。
現実世界では、年齢、性別、立場などによって、人との関わり方に差があるのが普通です。でも、ポケモンの世界では、そういった垣根を越えて、誰もが平等にポケモンと向き合い、バトルを通して絆を深めていく。それが、ポケモンの世界観が多くの人に愛される理由の一つではないでしょうか。
もちろん、ゲームの世界観をそのまま現実に当てはめるのは難しいでしょう。でも、ポケモンが提示する「誰もが対等に関われる社会」という理想は、現実世界でも目指すべき方向性の一つだと私は思います。
ポケモンは、ゲームというフィクションの中で、多様性のあり方を独自の方法で表現しているのかもしれません。それを一概に否定するのではなく、そこから学べることもあるのではないでしょうか。
攻殻機動隊の少佐をスカーレット・ヨハンソンが演じたときの事。
海外では「日本人の役は日本人にやらせるべきだ」って批判が出た。
非白人のキャラを白人化する——…ホワイトウォッシュという差別の一形態とのこと。
全身サイボーグの草薙素子少佐の見た目が日本人的かどうかなんて考えたことない。
今でも、そんな事はどうでもいいとしか思えない。
アニメや漫画をばかり見てきたせいか、日本人らしい見た目と白人の差が、そもそも分からんのよ。
皆さんは例えばポケモントレーナーの中からアジア系をピックアップしろ、と言われて出来ますか。
俺には無理です。
線引き出来ない曖昧な「らしさ」を頑なに守る必要がありますか?
マジョリティの画一的な美的基準の侵食からマイノリティを守るのが反差別とかいうけどさ。
別に混じっちゃってもいいじゃない。消えてしまって、何か問題があるのか。
俺には、不必要に空中に境界線を引いて、その架空のラインを実在の人の心の傷つきよりも優先して守る事の方が、よほど差別的に思えるよ。
敵キャラを何にすればいいかわからないので穴やトゲのような障害物を使う
マリオUSAで性能の違うマリオやルイージなどを使い分けられるように、ポケモンも何種類かの中から選んで使える。ステージごとに選べるポケモンが違って、
など
欲を言えばかわいいドット絵ポケモンが動き回る2Dアクションをぜひ見たい
マリオサンシャインみたいにポケモンの島民が住む島を人間主人公が訪れて探検するのもアリ(ただし冤罪はNG)
シンプルに格ゲ
主人公や登場人物をポケモントレーナーとするかポケモンとするかで迷うところ
ポケモンが言葉を話して文明社会を営むポケモンだけの世界はポケダンという前例があるので不可能ではない
マインクラフトのサバイバル部分とモンハンのキャンプ部分を合体させたようなもの
良い映画だった
この作品世界に行ってみたいと熱望したポケモンファンは多いと思う
これをゲームに落とし込むことができるならパルワールドの素晴らしい対抗になるだろう
他なんかある?
でもポケモンというゲームが他の追随を許さない良ゲーなのって、
あの、連綿と積み上げられてきたおびただしい量の種族やタイプやとくせいや性格や技やもちものやその他諸々を有していることで、
それによってデザインや立ち居振る舞いの説得力がつよまり魅力となってるわけだが、
それって本質的には「ポケモンバトル(対戦要素)」というコンテンツのために備わっているものじゃん。
だから多彩な戦略、独自の戦術が実現可能で、面白いとされているわけじゃん。
だからポケモンの本質って「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだと思うしゲーフリもそういうつもりで開発してるでしょ。
対人用のセッティングをするためのハードルも年々下がってるのは、そういう人口増やしたいから。
【そもそも論】増田で「対戦勢なんてポケモン人口の1%未満w」とか言ってバカにしてる人観測するけど、それってランクマ人口のことでしかないでしょ。
俺もランクマッチは回さないけど、息子甥っ子姪っ子、会社の同僚の子供なんかの接待でも、友人や義兄との遊びでも、オフライン対戦するよ。
身内バトル用のパーティをカジュアルマッチで回すことも有るし。
まあ増田やるような陰キャは放課後にポケモン持ち寄って旅パバトルする友達もいなかったからイメージ湧かないか。
とにかく、ポケモンの本懐は「ポケモンバトル(対戦要素)」なんだってば。
別にポケモンバトルしないやつは下等とは言ってない。図鑑埋めもせずにランクマ回してるやつこそが立派だとも言ってない。
キャラ萌えしていいしストーリーで泣いていいしサンドイッチ作ったりカレー作ったりしてろ。
ただ、トイレで手洗ったり身だしなみ整えても鼻の油拭いてもハゲ隠しても化粧してもいいけど、トイレの本懐はおしっこするところなんだから、トイレでおしっこしてる人をくさすな。って言いたい。
トイレでおしっこしてる人をノイジーマイノリティとか言うな。寝室で寝てるお前の枕元に2人以上で立ってカラオケしてやろうか。うるさいと文句垂れるお前をノイジーマイノリティ扱いしてやるからな。
てか、アンチランクマの人に限ってランクマの外にあるタイトル叩いてるイメージ笑
そんなに1%のランクマ勢が嫌いなら、ランクマのためにロムの容量食われてバグだらけになってるタイトルなんかやらずに、ピカブイやってなよ。
https://twitter.com/PokeMikuVOLTAGE/status/1707334340185833824
ドラゴンミクをデザインした大村祐介はポケモンBW(2010年)以降の特にキャラデザの方向性で強い影響を出してる人なんだけど、
(つまり杉森健のキャラデザ路線を引き継いだのが大村ということになる)
イラストを描いているありがひとしはロックマンのコミカライズなどでものすごく有名な人で
大村が子どもの頃から漫画を描いてた人だからキャリアとしては圧倒的にありがの方が上なんだよな。
元々ゲーム業界のグラフィッカーとしてキャリアを始めた人だからゲーム業界人としてもありがのほうがずっと長いし…
(嫁もあの古代祐三の妹だし)
まあ、ありががポケモンのデザインに参加し始めたのはXY(2013)以降でそのキャリアに限ると後輩みたいなものではあるんだけど、
ポケマスのタイトル画面とかポケモントレーナーのフィギュア原画みたいな公式からちょっとだけ離れた周辺の仕事はかなりありがが担当していて
そのモヤモヤを言語化しようと必死になって色々考えたんだけど、
鳥山明の絶頂期にアニメーターの中鶴勝祥がドラクエやドラゴンボールの周辺のデザインを担当していて(例:スーパーサイヤ人4、ドラクエ5のフローラなど)
その仕事ぶりは鳥山明本人に自分の原稿と見間違えるほどだと言わしめるほどだったんだけど、そういうのに似てるかなって思ってしまった。
これらの経験が社会人生活で活かせそうなのに活かせられなかった経験を 2つ思い出したので書き留めておく
RPG でパーティ構成を考える場合 物理攻撃や魔法攻撃、補助や回復などキャラクターの得意不得意を考慮して役割を決めると思う
しかし実際の仕事では 役割を配属順序で決めたりと 得意不得意と役割の不一致を感じることもあった
自分ならパーティ構成を考えるようにもっとうまくできるのに と思っても 入社したての平社員がどうにかできるわけではない
プロジェクトリーダーや部署長などの管理職にならないと その役目は与えられないからだ
しかし管理職になるには 不満など抱かずに波風を立てず周囲の好感度を上げることに専念しないとならない
心を無にして何年も耐えたのちに 仮に管理職になれたとしても そのロールプレイングを楽しむ精神は残っているだろうか
そういえば私がいた会社では 魂の抜かれた NPC みたいな社員が多くいた
不満を見ないふりして心を無にしているうちに NPC化してしまうのかもしれない
管理者はポケモンでいうとポケモントレーナーなので ポケモンに指示するのが仕事である
それを今までバトルをしてきたポケモンの中から選ぶのは無理があると思う
だめな管理者だと 指示はあまりせずに自ら実務してしまうが ポケモンをトレーナーにしたのだから
たまに「技術上がりの社長」などのフレーズを聞くが 任天堂の故岩田社長はプログラマーから
子ども向けのマンガ・アニメのストーリーで 主人公もしくは一匹狼を気取ったキャラがスタンドプレイに
走り 痛いめにあい 仲間と協力し合うことを学ぶ よくある展開がある
しかし私のいた会社では 隣や周囲の会話はあまりなく 一人ひとり課題に取り組み どつぼにはまっていたりする
もしかしたら私ならその問題解決できるかも と思い 勇気を出してぐいぐい声をかけたときもあったが
少年マンガなどでは主人公が気合や根性で困難を切り抜ける場面がある
そのようなシーンを山ほど見てきた私は 新卒で入社した会社での初めての繁忙期で 隔日で会社に寝泊まりして
業務に向かいながら 少年マンガで見たような「負けるなああ」「やりきるんだ!」「やってやるーっ」などの
その結果 繁忙期は乗り切ったものの プチうつが悪化しその後休職し退職した
春になるとよく 新社会人に向けた「つらかったら逃げてもいいんだよ」というメッセージを見かける
それに対して 逃げると逃げ癖がつく とか 逃げていいって言っても人生保証してくれないでしょ とか反対意見も見かける
私は 一生頑張れなくなってしまうくらいなら 辞めることになる会社での納期なんて気にせず
逃げればよかったとも思う(逃げ時がいつなのかは難しいが)
だから マンガでは気力で困難を切り抜けるシーンばかりでなく 作戦やアイデアや助力で乗り切ったり
撤退したことがいい選択とされる記憶に残るシーンももっとあったらよかったな と思った
私は ゲームやマンガ・アニメが仕事に役立たない、マイナスに作用した と言いたいのではなく
そしてファンの年齢層もすごい
まさに老若男女がポケモンを愛し、好み、様々なグッズ、ゲーム、アニメなどと親しんでいる
ポケモンsleepも登場し、ポケモンはもはや生活に溶け込んでいる、という人も多いだろう
我が家も例に漏れず、ポケモン第一世代の俺自身は相変わらずポケモンをやっており、小2の娘は最近ポケモンにドはまりしている
そうだよね、それみんな思っているよ
でも、ポケモンじゃなくとも、様々な魅力的な生物がこの世には存在しているし、ポケモンと同じく、トレーナーと心を通わせて、技を磨いて、勝負で戦う生き物もいる
枝に捕まえたカブトムシを歩かせ、友達のカブトムシとどちらが枝に残れるか戦わせるような遊びはシンプルだし、そこまでしなくともどちらが大きいか大きさを比べる勝負もしたことがあるだろう
もっと本格的になると、闘牛、闘犬、闘鶏などもあるし、タイではベタを使った闘魚もある
バトルをしなくとも、美しさを競う錦鯉や金魚の品評会もあるし、盆栽や菊、バラなどの品評会もある
このような、実在の生き物を一所懸命育て、競わせる遊びは、ポケモンゲームに負けず楽しいし、のめり込む価値はあると思う
では、最近のポケモンバトルと同じように、興行として他者の育てた生物を競わせる大きな大会があれば、ファンとして観戦し、それをもっと手軽に楽しめるのではないか?
金魚の品評会と異なり、できればトレーナーとの絆を感じる意思疎通があり、継続的にテレビで見れるような競技があるといいな
…あるんですよ、競馬って言うんですけどね
色も茶色から栗色、真っ黒、グレー、白もあるし、脚の色や額の模様なども馬ごとに随分違う
個人的には明るい栗毛がかわいいと思うし、美しさで言えばソダシに代表されるような白毛馬も最近は存在している
馬1頭1頭に持ち前のスピードやパワー、スタミナ、気性や性格のような、ポケモンで言う種族値のようなものが刻まれている
ポケモンの種族値というよりは、人間と同じ個性、特性かもしれないね
大回りコース向き、小回りコース向き、短距離向き、長距離向き、のような適性が馬ごとにあり、これはポケモンでいうタイプにあたる
さらにポケモントレーナーが頑張ってポケモンを育てるように、調教師がポケモンを育て、レベルを上げて、努力値も振ってくれる
そもそも、ポケモンでいう孵化厳選のような、出生ガチャも、牧場の人が頭をひねって最強の馬が生まれるように血統表を見て考えている
レースでは騎手と馬のコミュニケーションが大事で、これは本当に人馬一体となる勝負だ
馬は、ポケモンの技と同じように、スタートダッシュ、いい位置で折り合う、馬群をこじ開ける抜け出し、最後の末脚、並ばれても抜かせない根性、など、様々な特性や技を使って勝負をする
こうやって考えると、孵化厳選から育成し、実際のバトルまでするポケモントレーナーはマジで化け物だ
競馬で言えば牧場、育成、馴致、調教、騎乗まで全て1人でやるってことだし、オーナーブリーダートレーナージョッキーだな
競馬はギャンブル、のイメージがある人も多いと思うけど、別にギャンブル要素が100%ではない
賭けなくともスポーツ観戦として見ていれば楽しめる
スポーツ観戦、ポケモンバトル観戦的な楽しみがめちゃくちゃあることは知って欲しいなと思う
でも、見るだけじゃ足りないのよ、やりたいのよって思うかもしれない
そういう人は金魚のブリーディングとか菊の交配とかが競馬よりいいかもしれない
実際の馬の育成やレースに自分が関わることはお金的な意味で困難だけど、応援したい馬の馬券を買えば、本当に勝ってくれた時に自分にも賞金が出るようなもんで、喜びは何倍にもある
それじゃなんか違うと思う人は、一口馬主と言う手がある
1頭数千万円する馬を個人で持つことは難しいけど、それを数十人から数千人で分割して所有できるシステムが一口馬主だ
自分の出資馬が入賞すれば賞金は本当に自分にも分配されるし、馬券だとリターンがない4着以下でも、一口馬主なら賞金が配分される
応援する馬を見つけ、継続して見ていくことで本当に競馬は面白くなるよ
ポケモン好きな人は、わかってしまえば本当に競馬楽しいと思うんだ
ポケモン好きな人に競馬を浸透させていきたいなと本気で思っていて、ポケモン好きに競馬の普及活動をしている
あー本当に「考えて喋ってるふりしてるだけ」なんだなあ……まあキャバクラとかの技術もこれと同じなんだろうな。
遠目に見ていると完全に誤魔化されているんだけど、本人からしたら「僕の話ちゃんと聞いてくれてる!嬉しい!」なんだろうな。
でも冷静に考えると一部が完全にデタラメなんだよね。
「君の手を離さないよ ずっとそばに居るから」という部分は、ポケモンがポケモントレーナーに対する忠誠心や愛情を示しています。
こんなのあったか?
スゲーよ。
知らない奴は騙せそうなラインで知ってる人間からすれば嘘っぱちすぎる。
アカシア知らん人からすればほぼ同じ歌詞に見えるだろうけどこの2つはぜんぜん違うから。
生き物同士の関係において「どんな最期が待っていようと」⇔「もう離さない」というのは矛盾してる。
何故なら喧嘩別れがあるし、たとえばバイバイバタフリーなんて明らかに神回だけどあれは物理的に手を離したことで実現したわけで、ポケモンとの絆を歌っているのに永遠の束縛関係は違うんじゃねって一瞬なる。
「そういった過去が確かに存在したこと」だったら、未来に何が起きても変わらない。
この歌詞は「ポケットモンスターという作品とともに歩んできたあの思い出は、いつか「ゲームなんてくだらねーよなー勉強と投資と子育てしようぜー」になっても消えないんだよ」という意味。
たとえそこで昔ポケモンマスターだった人が「ポケモンwwwwwだっさwwwwこんなの大人になってもやってる奴知的障害者wwww」とか言って回ったとしても、子供に新作のポケモン買ったりしてるうちに「またやってみるか。GOぐらいだったら」となったときにちゃんと過去で待ってるよって意味だから。
「特等席で 僕の見た君を 君に伝えたい 君がいることを 君に伝えたい」の部分が完全に双方向になっていて、「君がゲームを楽しいと思って遊んでいるとき、ゲームはそれを楽しんでいる君のことを見ていたよ」っていう意味で、それぞれが「楽しいという気持ち」で確かに結びついていたことが、思い出という特等席でずっと変わらずにそこにいるんだって意味なの。
アカシアはね、今ポケモンが好きな人だけの歌じゃないの、昔好きだったけど今プレイしてない人も、おとなになった今は子供だましと見下している人も、全部全部ひっくるめて「一度でもポケモンが好きだった時間がある人」全員に向けて歌っているわけ。
ポケモンシリーズという長い時間の中、ずっといっしょに居た人もいれば、途中で離れた人、途中から入ってきた人、離れたあとずっと戻ってこなかった人、色んな人がいるけど、それでも誰も仲間外れにしないよ、だって君の中にも思い出の中のポケモンがあるんでしょ?って語りかけてくる歌なの。
この優しさがしみるわけよ。「25周年ありがとう!昔から好きだった人大好きだよ!裏切り者は黙って指くわえてろ」みたいな態度じゃなくて、「一度でも好きだった人に、その好きだと思ってくれた気持ちを思い出した欲しいな。今でも元気だよ。いつでも帰ってきてね。思い出の中にだけでもいいよ!」と言ってくれる歌なの。
それを歌詞に落とし込めるBUMPも凄いけど、BUMPにそんな歌詞を書かせたのはポケモンというコンテンツが取り続けてきた態度なんだよ。
この前仕事でそこそこ裕福そうなお客さんの家に訪問したんだけど、そこでの作業がひと段落着いたところで「お茶いれますね~」と言われて
こっちは「いえいえお構いなく~」みたいに軽く構えてたら、なんか茶道の道具みたいなのが出てきて簡単な茶道?みたいな感じで抹茶を出された。
客先だから下手なことも出来ないし。
(飲む前に器を眺めるんだったか…?)
(器についてなんかコメントした方がいいのか…?)
(足がしびれてきたけど正座のままだよな…)
とかいろいろな記憶を引っ張り出して全体的にふわふわしたままぎこちなく茶の時間は終わった。
こっちの作法がてんでなってなくても咎められるようなことはなかったけど、衝撃的だった。