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はてなキーワード: アウフヘーベンとは

2022-04-20

善意だったらどんだけ迷惑かけてもいいって人ばっかりの社会

迷惑をかけるくらいだったら何もしないほうがいいって人ばっかりの社会

 

なんでそう極端に振れたがるんだ

迷惑のかからない善意を目指す方向にアウフヘーベンしないのか

2022-04-17

僕の妻は感情がない(34話)の感想備忘録

https://www.pixiv.net/artworks/97652638

基本的には色んな作品ネタバレと、ただの連想の垂れ流し

ともかく、今回の話は凄かった

杉浦氏が「34話、うまく描けた気がする」「自分は34話みたいなお話が描きたいんだな」と言うのも良く分かる

ロボットの考えてた事を吐き出せてスッキリしたけど、もう自分の中に何にもないな…そろそろインプットしないとな〜」となるのも良く分かる

これを描いてしまうと、この先に何を表現すればいいのかが見えなくなってくるだろうな、と

とりあえず、私は私が感じたことを書いていくことにする

ネタバレ要素】

ちょびっツブルーピリオド物語シリーズライ麦畑で捕まえて、異世界迷宮の最深部を目指そう、風の谷のナウシカ、余は弁明ス


4コマ目】

「大切な友達自分を壊してくれって言ってるのよ」

真剣に聞かないでどうするの」

これ、本当にたまらないセリフですよね

最後コマセリフを聞いてから読むと、この時の気持ちが、もう伝わってくるようで

【5コマ目】

個人的に好きな所

ロボット」というのをある種の比喩である解釈した時

これは親による教育比喩でもあるなあ、と

【6コマ目】

「何か問題があるとしても家族で乗り越えてきたかったそうです」

ここは難しいところ

家族でやるのが正しいのか、アップデートという名の支援を受けるべきであったのか

答えはない

【7コマ目】

今回のメイン

表情も含めて、本当に苦しい

「ただ ロボットがすごく気持ち悪いの」

「不自然で何も生み出さないくせに 人間みたいな顔をしてる」

ひとつ残らずいなくなればいいのにって思う」

自分が何も生み出せないことを“気持ち悪い”と思い、自分自身の事を“不自然であると感じる

誰しも、同じような気持ちになったことがあるからこそ、このセリフは響く

ある種の特性・特徴を持ち、自分がその特性ネガティブに感じている時、“いなくなればいいのに”と感じるよなあ、と思った

「早く人間になりたい」と何度でも思うのだ

ひとにすがたを 見せられぬ

もののような このから

「早く人間になりたい!!」

――作詞第一動画文芸部 作曲田中正史「妖怪人間ベム



【8コマ目】

「私はずっとロボットを 町から追い出したいと 思っていました」

「追い出すということは その先で壊されることも あります

友達からって特別扱いするわけにはいきません」

後のコマを見てもわかるんですが、これもこれで本心なんですよね

久永先輩の誠実さ(フェアさ)はこういう形なんですよ

自分を偽らない、自分規律に従う

厳しく辛い道である

決して状のない人間ではないから故に

もう一つ言うなら、今回は一人の人間が持ち得る色々な思想・考え・立場をそれぞれの登場人物に振り分けているところが読み応えのある所だな、と

タチコマ会議を思い出す

【9コマ目】

「みんなのことが好きで ホイホイ入っちゃったところがあって…」

ロボットを追い出すって どういうことか 考えてなかったんです」

「あの子たち みんないい子で やさしくて 頑張り屋なんです」

人間と同じくらい… ううん! 人間よりずっと…」

自分(自分たち)と違う相手排除することについて、深く考えてこなかった”という自覚

これを吐露することがどれだけ難しいことなのか

杉浦先生の、本当にフェアな所はこういう台詞に出てきますよね

ロボット“をある種の比喩であるとも捉えている立場としては

この種の「良い子で優しくて頑張り屋で、純粋なんです」というセリフが刺さる

10コマ目】

「そのような社会で うまくいかないことだらけの 人間と深くかかわろうと するでしょうか」

ロボット人間から パートナーを 奪ってしまうんです」

ここが、この話の本質

自分にとって都合の良い存在”を希求する

頑張っていない人より、頑張っている人の方が好きだ

意地悪な人より、優しい人が好きだ

醜い人より、美しい人が好きだ

自分の事を理解してくれない人より、理解してくれる人の方が好きだ

自分を憎む人より、愛してくれる人の方が好きだ

至極当たり前の人だ

自分に害をなす人を、自分にとって“良いこと”がない相手をどうして大切にできるのだろうか

好き嫌いや損得は非常に大事観点

それをなしに、我々は我々を規定できない

その町には 誰もいなかったの

お家もあるし

から明かりも見える

でも 道には誰もいない

から中をのぞいてみた

ヒトがいた でもアレといっしょだった

ほかの家もみた

やっぱりアレといっしょだった

この町も ほかの町とおんなじだった

アレといっしょは楽しいから

ヒトといっしょより楽しいから

みんなはもう外には出てこない

この町には誰もいない

――CLAMPちょびっツ 第1巻」

最初は 好き好き言っててもさ」

パソコンみたく 自分に都合のいい相手が現れたら ぜーんぶ ひっくり返して なかったことにするんじゃないかって」

――CLAMPちょびっツ 第3巻」

これとか、これとか、これとか、これとか、これとかで考えていたことと近いな、と感じる

12コマ目】

自然だとどうして良いんですか

個人繁殖して 種を保存するために いるわけじゃありません

これは根本的な質問

「不自然で何も生み出さないくせに」への反論にもなっている

「裸も」

「裸を飾ろうとする 人間自由さも醜さも 全て愛しいじゃない?」

――山口つばさブルーピリオド 第5巻」

別に幸せになることが、人間の生きる目的じゃあないからな」

幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃいいんだし」

――西尾維新恋物語 第恋話 ひたぎエンド



【14~15コマ目】

いくら努力しても 振り向いて もらえない人は?」

死ぬほど頑張って 恋人友達も 出来ない人は どうするんですか?」

「一生孤独に 生きて行かないと いけないんですか」

「… 振り向いて もらえなくても 努力無駄に ならないはずです」

「久永さん 美人からそんな事 言えるんですよ!」

「頑張って 頑張って 頑張っても 誰ひとり 振り向いて 貰えない人に」

「それでも『成長できてよかったね』って言うんですか?」

「言います…」

「人でなし!」

ここはコミカルに描いているように見えて、凄く鋭い

物語主人公理想を語ることがあるが

皆がその理想に殉じられるわけではないということに通ずるものがある

そうはいっても腹は減るし、金は欲しい。人を憎むことも上昇を望むこともある。すべて人の業である

もとより、私は、こはれる。私は、たゞ、探してゐるだけ。汝、なぜ、探すか。探さずにゐられるほど、偉くないからだよ。面倒くさいと云つて飯も食はずに永眠するほど偉くないです。

私は探す。そして、ともかく、つくるのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを。然し、私だけは、私の力ではこはし得ないギリ/\の物を。それより外に仕方がない。

それが世のジュンプウ良俗に反するカドによつて裁かれるなら、私はジュンプウ良俗に裁かれることを意としない。私が、私自身に裁かれさへしなければ。たぶん、「人間」も私を裁くことはないだらう。

――坂口安吾「余は弁明ス」


【16コマ目】

文明が発達して それをしなくても済む人が 沢山増えました」

お腹を満たす事以外に リソースを割く事が できるようになった代わりに その過程で 無くなった仕事や大切な物が 沢山あったと思います

ロボットが居る事で 私たち必死に苦労しなくても 心を満たせるようになる」

「満たせない事で 苦しまなくて 済むようになる」

「代わりに失うものも たくさんあるでしょう」

「でも私は そうするべきだと 思います

「心が満たされた あとの社会

「その向こう側に 行けると 信じているからです」

ロボットと 一緒ならね」

ここがどうしてもこのエントリを書きたくなった所だ

以前に語ったように、人間は「自分でできることの増加」ではなく、「自分の周り(環境)」を変えることを志向して進化してきた

科学とは再現性学問から

究極的には、全てが自動で行われる「システム」となるかもしれない

その時、我々は、我々の意識は何を希求するのだろうか

その向こう側に行けるのだろうか

「信じているからです」と言いきる、その横顔が眩しい

機械も含めて、全ての存在(生命も含めて)に対する信頼が見える

「…………どの真実をだね?」

「あの時代 どれほどの憎悪絶望世界を満たしていたか想像したことあるかな?」

「数百億の人間が生き残るためにどんなことでもする世界だ」

「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気 おびただしい死」

「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害」

調停のために神まで造ってしまった」

「とるべき道はいくつもなかったのだよ」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

自分の罪深さにおののきます

私たちのように凶暴ではなく おだやかで賢い人間となるはずの卵です」

――宮崎駿風の谷のナウシカ 第7巻」

私は私のために生きる。あなたあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにこの世に生きているわけじゃない。

そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけじゃない。

私は私。あなたあなた

でも、偶然が私たち出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

――フレデリック・S・パールズ「ゲシュタルトの祈り

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

旧約聖書「コヘレト言葉




17コマ目】

ロボットが 初めて 二足歩行した時 感動したと 思うんだよね」

「? そうですね」

「で 次は段差を どう乗り越えるか 観たくなるでしょ?」

「歩行コースブロックを 置くでしょ?」

「私 ブロックになりたいの」

全然文脈が違うが、「ライ麦畑で捕まえて」を思い出す言い回し

「ともかく僕は子供たちがみんなこの大きなライ麦畑の中で何かゲームをしているところを思い浮かべるんだ」

「何千という子供たちがいてね、辺りには誰もいないんだ」

大人は誰一人いないんだよ。その僕以外はね」

「そして僕はすごく急な崖の端に立っているんだ」

「僕がしなきゃならないことは、子供たちが崖から落ちそうになると捕まえてやることなんだ」

子供ってのは走っている時には前を見たりしないから、僕がどこからか出て行って捕まえてやらなきゃならないんだ」

「一日中僕はそれだけをしてる」

「僕はライ麦畑の捕らえ人になりたいんだ」

バカみたいだってことは分かってるけど」

――J・D・サリンジャーライ麦畑でつかまえて」



【18コマ目】

「私の意見は 変わりませんが 皆さんの意見も 変えられませんでした」

「今回の件は保留ということにします」

地味に好きポイント

やはりフェア


20コマ目】

「そうだ 『勇さんを壊すべき』と 結論が出たら当然 壊さなければいけない」

「『壊すべきでない』と 結論が出たら 勇さんの内面否定することになる」

「どちらにしても 勇さんは救われない」

「どうすれば…」

やはり誠実だ

そして、ここのテーゼアンチテーゼが次のコマからアウフヘーベン布石となる

24-25コマ目】

あなたが誰かを 傷つけても」

「人やロボットを 殺しちゃっても」

自分を 殺しちゃっても」

「私は そのとき 一緒にいたいの」

あなたの代わりは 世界のどこにもいないから」

「殺していいって言ってます?」

「久永先輩 いいんですか? こんなの」

いいわけ ないでしょ」

「でも その 良くないことで 勇さんは救われたの」

これがジンテーゼとなる

否定肯定も、自分が認めがたいことも含めて、それ自体を受け止めてくれる他者

これが正に尊厳であり愚行権であり、ハーム・リダクション的でもあり、アクセタンである

ただあるがままを受け止めて貰い、その衝動も含めて「(肯定でも否定でもなく)存在承認」してもらうこと

「正しくあれ正しくあれと教えられっ、教えられた通りに正しく生きて正しく生きてっ、最期には正しいまま死んでしまってっ! やっとそれに気づきました! 正しくあれなんてそんな言葉、教えた人の都合でしかありません! ええっ、薄々とわかっていました! 正しい人ほど不幸になるってことくらい!!」

「だから、わたくしは思うのです。ええ、いまこそ、正直に申します。

 ずっとずっとわたくしは――間違いを犯したかった」

――割内タリサ異世界迷宮の最深部を目指そう 5章.庭師名無しの物語 207.光の理を盗むものとの遭遇」

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。

変えるべきものを変える勇気を、

そして、変えられないものと変えるべきもの区別する賢さを与えてください。

一日一日を生き、

この時をつねに喜びをもって受け入れ、

困難は平穏への道として受け入れさせてください。

これまでの私の考え方を捨て、

イエス・キリストがされたように、

この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。

あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています

そして、この人生が小さくとも幸福ものとなり、天国あなたのもとで永遠幸福を得ると知っています

アーメン

――ラインホルド・ニーバー「ニーバー祈り

あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです

天鵞絨の海にも 仕方のないことしか無かったら

あたしはどう致しましょう

――椎名林檎依存症




【27-27コマ目】

「みんなが」

「勇さんが 要らないって 言うまで 無くしたりしない」

大丈夫ですか?」

大丈夫じゃないわ」

「もう少しで友達を 壊さなきゃ いけなかったの」

もう、なんというか

ズルいと思う、このセリフ

これをやられたらもう何も言えない

2022-03-05

はてなとそのユーザーが嫌い過ぎるので同士を求めたい 追記2022/3/5 23時20分


巷で話題ブックマークサイトはてなブックマーク』についだ。

最初に言っておくと、あれだけ話題になるサイトを作り上げた株式会社はてなはすごい。そしてその会社出資している株主を責めたいわけではない。

ただ、俺には本当に合わないし、「だったら見なければいいでしょ」とか言い出すしたり顔のクソトラバケンカしてもしゃーないのでこの文章をいている。

まり、「ネットの使い方なんて人それぞれ」という前提のもと、それでも「こんなコメントが増えるサイトじゃねえだろ」という嫌悪感言語化し、満足したらアカウントを削除することで救われたい。

ブックマークよろしくねがいします。

繋がりたいもの気持ち悪さ

俺はバズった自分記事ブコメを読んでキレたし、その後話題になる度にブコメを読んで、読む度にキレてる。

なんでキレてるかって、はてなーの言いたいことが「おれの考えた最強の袋田叩きチャンスをお届け」だと思ったから。

無知ネット住民に本当の知識を与える」とか「建設的な議論による多文化交流アウフヘーベンを生み出す」とかじゃないわけ。

テンプレも風潮も、全部袋叩きに出来るチャンスを作る装置なんだよ。ポリコレ意識も、政治への問題提議も、全部リンチ装置

ちょっと前に、不幸なおじさんを暴走させて人殺しにまで発展したなんてニュースがあったけど、リンチを繰り返すだけのサイトなんだからそりゃそういうこと起きるよ。

言ってみりゃ、メンヘラ病院なんだよな。ネットモラル限界に挑みますってか。

はてなークズセンス

で、それ自体はいいわけ。人間が狂って事件が起きるなんてよくあることだし、そういういことが起きる程度の人口は十分なほどあるから

ここまでならただのインターネット2ちゃんねると一緒。

だけどさあ、それ見てキャッキャしてるブクマクズすぎて辛い。

マスコミオブラートに包んで散りばめた趣味の悪い個人情報を拾ってキャッキャッキャと考察まつり。

なぁ~にが「瞑想運動野菜の足りてないものの末路は悲惨だ。恐ろしい恐ろしい」だよ。人が死んでるんだぞ?

上のコメントが書き込まれたかは覚えてないけど探すのも面倒だ検証はお前らがやれ。

毎秒毎秒いい年齢の大人が寄ってたかって揚げ足取りしあってバカ騒ぎしてるのが本当にキツくて無理。

そりゃバズりまくっている話題なら皆一緒になって叩いてるから安全ですよ?1VS1000とかなんで。

だけどクズ民度エコチェン脳どもさ、その醜悪なムラの陰湿さを直視できてるの?自殺者を生み出す学校教室になっていることに。

一番嫌いなやつ

本当はもっと文章力高くして褒められたかったのだが、そもそも文章力褒められてもしゃーないのでこんなもんだろう。

で、俺の主張を読んだ上で「イジメが生まれるのは当たり前じゃん面白いんだから」っていう開き直った露悪趣味バカしょうがない。

サカナくんもそんな話してたしな。

ただ、「インターネットは始めてか?こういったリンチ楽しいから何十年もかけて発展したんでしょっw」みたいな老人会自慢のクソ古参気取りだけは許さん。

俺は「ポリコレ意識あるふりしてるいじめっ子」が死ぬほど嫌いなんだよ。面白くねえっつか見飽きてんだよそういう振る舞い。

次にお前が何て言うか当ててやるよ

「わかる」だ

わかる


https://anond.hatelabo.jp/20220304184302


追記

オッケー。

まずは予想通りの反応をありがとう

袋田叩き

限界集落アピール

・つまり好きなんだろ?

・他でやれ

プリントアウトして病院

・つまんない/わからない

タコピー

ああ見事だ。

今の所50コメントぐらいだが一通り網羅してるじゃないか

そして見事にその8割9割が予想通りのテンプレだ。

実に建設的だ。ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ

これぞはてなこれがはてなだ。

自分しか見えないものが見えている自称エスパーもいるのはちょっとサービスが良すぎるぐらいだな。

今ハッキリ分かった。

俺はやっぱりはてなが嫌いなんだ。

露骨釣り針だろうと喰らいついけっていう義務感に満ちた姿勢

誤字脱字弄るのが楽しいって信じ切ってるオヤジギャグセンス

自ら自分らの評価を下げることで批判ウヤムヤにしようって態度も

とにかく相手自分感情を揺らがせばそれが愛だと信じるストーカー気質

自分らで自分らを下げておいてそこを必死に守ろうとする帰属意識

すぐに狂人扱いしてレッテル貼って終わりの尻の穴の小ささも

やたらメンヘラだのADHDだの精神病院系の話題が好きなところも

気に入らない話が飛んできたら理解力を急に下げるところも

つまんねつまんね言ってれば封殺出来るっていういじめっ子キモイ連呼みたいな思考回路

読心術に目覚めたことのアピール

全部本当にいい加減もう見飽きたんだわ。

そしてそういうった気持ちで見るとよ。

いい大人がやるようなことじゃないなって気づいちまったんだよな。

するともう、ここには居られないかなってな。

最後

yP0hKHY1zj はてなユーザーの打たれ弱さなめんなよ

このコメントは実に的確だった。

俺もお前も打たれ弱い

打たれ弱いからこんなネットの隅っこの陰口の言い合いに必死なっちゃってるんだ。

そしてその弱さを認められないから、感覚麻痺させていつまでも同じことを繰り返すことをやめられないんだ。

『サージウスの死神』って小説を知っているか

『テスカトリポカ』の佐藤究がどういう作家なのかを知るための入門書として一部じゃ扱われている作品なんだが。

この作品ギャンブルにのめり込んで身を持ち崩した青年がその事実から逃げ続けるために更にギャンブルにのめり込む情景が描かれるんだがこれが実にいいいんだな。

なんで急にこんな話をしたのかっていうと俺はまさに俺たちのインターネット観がそうだと思うからだ。

自分プライド配当スーパーウンコレスバギャンブルに描け続けてはすり減らし続けるその姿だ。

レスバにプライドを賭け、負ける度にのめり込む。

その姿は緩やかな自死に身を委ねるギャンブラーのそれだよ。

『サージウスの死神』の主人公は、ギャンブルに勝つたびに気が狂っていき負けても気が狂っていき最後まで気が狂い続けるのさ。

俺たちだってまさにそうだ。

でも俺はこんなので行く所まで行こうなんて思っちゃいないんだわ。

そろそろ何個目かの崖が見えてきたしいい加減ブレーキ踏んでチキンレースからヨナラババイって気分なのよ。

ひとまず足を洗っておきたいんだ。

そのためには、自分は愚かなことに自分から突っ込んでいくことで自分麻痺させ続けているんだって現実をまずは認めないといけない。

その鏡としちゃお前らはよく機能してくれたよ。

チャチな揚げ足取り、効いてないよアピールのための「つまんねー」、ここは場末便所の落書きだぞ、なに必死なっちゃってんの、オウム返し、オヤジギャグ、謎の決め台詞、界隈定番の決り文句、お前らが今回したコメントの中で、俺が今まで似たようなことをしたことがないものはないよ。

全部クッソくだらねえと思うが、俺はそのくっだらねえことを間違いなく何度となく書き込んできた。

それが心底面白いと思ってたこともあるし、つまんねえけど馴れ合いいから付き合ったこともある。

伸びそうなブクマを急いで見つけて、テンプレ言い回しを早めに書き込んでトップコメになってスターを貰うのが大事だって本気で信じてたときもあったよ。

今俺のことをバカにしてるお前らだって心当たりがあるはずなんだ。

はてブコメント欄見て「さて、どうすればスターがもらえるだろう?」って一瞬でも首を捻ったことがあったらもう同類なんだ。

沼に浸かった深みは違っても同じ水源の水に身体が触れたのは変わらねえんだ。

科学的に考えると比重なんやらで実際の沼は成分が違うってことぐらい俺も知ってるよいちいちそういうツッコミを思いつくこと自体気持ち悪いなあ自分自分が。

成分の違いとかじゃなくて呪術的に同じってことだよ。

一部の宗教じゃ水に身体が触れたら清められると言うが、その逆で触れたら汚れる水があるってことだ。

そこに全身を浸してたっぷり飲み込んでいる俺たちは救いようがないんだけどな。

ガンジス川沐浴を繰り返してガンジス川の水を飲む奴らが全身寄生虫まみれなようにこの身体は毒への免疫に覆われすぎて穢らわしすぎると俺自身が知っている。

そこからいい加減足を洗うって話なんだよ。

宗教的な洗礼に使えるようなキレイな水なんてぶっちゃけこの世界のどこにもないと思うが、せめてこの沼から身体を引っ張り上げて別の場所で暮らそうってことだ。

そんでまあ最後にこんな話をしたってことだよ。

また明日な、ってことだな。

よく分かってんじゃねえか。

でも今回こそは最後のアバヨだ。

実際俺はこれでいくつか辞めてるからな。

古くはラグオル・FF11・VIPふたばちゃんねる・売りスレTorXvideosいい加減辞めなきゃいけねえと思ったものを何度も辞めてきた。

その一つを今回もするってことだよ。

どうせすぐに別の穢に染まるんだろうな。

そもそもだって別の穢に染まって暮らしてるけどな。

でもいい加減はてな卒業ときてえんだわ。

まあ結局の所は飽きたんだな。

そして、飽きたって気持ちで眺めてみるとだ。

ここはもうここに所属していることが誇れるような場所じゃなくなってたんだな。

はてなブログに書くだけ書いてブクマはしないとかならまだしも、ブクマカなんてもう辞めた方がいいんだってつくづく感じてんだ最近

はてブじゃ増田の方がはてブより酷いって風潮あるけどよ、ぶっちゃけ増田なんてもうとっくに目じゃないぐらい今のブクマカはキッツいんだわ。

ふと、自分匂いに気づいちまったんだなぁ。

こりゃよくねえなって。

あばよ。

お前らと遊んでるがのそれなりに楽しかった時期はあったぜ。

ニュースの副読資料を探すのに役立つサイトだって信じられた時期もな。

そもそもそれが間違ってたのかもだけどな。

2022-01-19

anond:20220119094104

アウフヘーベンとか学校で聞いた記憶はあるんだけどいつだったかな。大学でやったような。ドイツ語の授業だったかな。

2021-10-10

求む!人類有効な実行時間内で意見集約して結論を出す方法ヒューリスティックス可】

一般に人々は断定的に意見を言う。曖昧に見える意見重要度が伝わらないから。

けれど断定的な意見問題への理解が浅いことからまれ可能性が高い。

現実問題はあちらを立てればこちらが立たぬようなトレードオフ関係であることが多い。

そもそもトレードオフを超越できるような素晴らしい解決策があれば既に問題でなくなっているか…。

断定的な意見を言っているとき問題の全容を把握していないか無意識無視しているかもしれない。

はてブで見かけるコミュニケーションはそんなのばかりな気がする。

自分が思う重要事項へのアテンションを上げれば誰かがアウフヘーベンしてくれるみたいな意識がありそう。

それどころか複数アカウントスター連打してトップブコメを一方の意見だけで埋めるというような

アテンションDDoS攻撃みたいな状況になっていることもある。

何を社会問題とするか選択できるのがマスコミ権力の恐ろしいところという話は昔からあったものな。

現実でもそうだ。

全国フェミニスト議員連盟などという女性差別問題ではローマ教皇庁並みに権威ありそうな団体

何のロジックもない言いがかり言論圧力かけてその後まともな説明なしという状態

表現者にどうしてそのような表現にしたのか説明を求める側なのに議員さん方は質問に答えない。

全く馬鹿らしい。表現者という個人に万人に満足いくような表現を作って対話きるというなら

議員さん達も話し合って思想統合して与党野党統合して1つの政党になったらいい。

こう見ると国の最高機関でさえ意見統一することはできないことを前提にシステムを作っている。

ヘーゲル弁証法的な方法で瞬時に意見を一つに集約できるなら多数決や多数の政党なんて必要ないのだから

「人々には様々な意見があり、それを持ち寄って話し合い、意見を集約して結論を出し実行する。」

国の最高レベルでもそのプロセスが正しく行われているのか分からない。多分行われていない。多分人間には出来ない。

どういった方法議論して、どの辺で妥協するのが妥当なんだろうか。

2021-08-10

高市早苗総理誕生を妬むリベラルおじさんたち

女性の敵は「リベラルおじさん」である



Twitterで「#高市早苗総理に」がトレンド入りしていた。

クリックしてみると、高市早苗を称賛する日の丸アカウントと、罵倒するアカウントが出てくる。中には女性蔑視・性差別的なツイートもある。

批判的なツイートプロフィールを見る。ジェンダー平等を掲げるリベラル政党の支持者たちだった。とりわけ男性が多い。

こうした「リベラルおじさん」たちは、普段女性の味方のフリをしておきながら、女性トップに立つことを阻んできたミソジニストだ。

都知事選の前には、共産党小池晃が、小池百合子揶揄するツイートを書き込んだ。

オーバーシュートロックダウンアウフヘーベン止揚しましたの。オホホ」

言葉と言われる役割語を使って揶揄するのは、ミソジニー以外の何物でもない。

こうした例は数え切れないほどある。

この国のトップが「保守おじさん」からリベラルおじさん」に代わっても、ジェンダーギャップは解消されないだろう。

2ヶ月後に高市早苗が、ガラス天井を突き抜ける瞬間がやってくる。

初の女性総理高市早苗」の誕生を祝福できるかどうかが、リベラル分水嶺だ。

2021-07-29

anond:20210729144117

若もんは知らんかもだけど、日本共産党共産主義者のなかでは穏健派なのよ。だから、劇的な政策もないような気もするけど、テロルみたいなこともしないような、ダラダラしたマルクスのいう「資本主義の失敗と、その打開を可能とする共産主義」という超克(アウフヘーベン)を日本共産党は真面目にやる可能性が高くて、選挙の結果が政策に反映されるのも、景気サイクルの波が必要時間がかかるのじゃね?と思っている。それだったら、ケインズマクロ経済学で「ドッカン!」と景気の悪くなったとき投資ができちゃう自民党のが政策運用に強いと思うで。

anond:20210729151224

NTRものは愛が足りない。NTRれた男が(年下の)ビッチ師匠弟子入りして「テメーのセックスは下手だ!、とヤりながら頭突するシーン」を画がけない絵師が多すぎる。違うだろ、NTR の上には NTR を重ねろ。NTR れた女も「寝取られた男のテクに飽きてきて」、ビッチ師匠に鍛えられた NTR れ男と浮気させんだよ。セックス☆バトルだ。そんで「しゅごい、これがセックスなのね!、受精ちゃう!」ってシーンを入れろ。で、Re:NTR をして、元の鞘に収まるかと思いきや、男は師匠オマンコがチラつくのだ。それに、あのNTR女は「あのネトリ男のチンポで進歩したなかったマグロ女」にしか見えない。セックスがつまらい男が、刺激を求めてビッチ師匠のもとに「結婚してくれ」といって、ビッチ寝取られ男をアウフヘーベンさせて、NTR女はNTR男に戻って他人の子供を育てるという「究極のNTR物語は終える。なぁ、絵師たちよ、お前たちは「ペニス(をシコシコさせる)の商人」じゃないのか?NTR芸術だ。お前たちは【処女受胎】を、キリストを超える権利がある。超えて、俺に魅せてくれ!

2021-07-28

anond:20210728004650

プププ。まだお前、世界二元論で語れるという幻想かられているの?キリスト教ゾロアスター教の始祖『ツァラトゥストラ』が生み出した、アーリマンアフラ・マズダ二元論はニケーア公会議アタナシウス派勝利で4世紀には人類は克服してるの。ドイツ人は本当に不勉強で困る。ニーチェが「神は死んだ」とか嘆く以前に、キリスト教は「精霊」という存在を生み出すことで二項対立を防ぐ方法あみだし、ドイツ人のいうアウフヘーベンすることができちゃうことを発見したの。アメリカ人信心いか聖書を真面目に読んで、真面目に聖書を読めば避けられた問題を「科学する」なんて言わずに、嘘が見破られるの。不勉強理由に「科学する」なんてものを持ち出すからエリート共産主義者)は負けるんだよ。おバカちゃん

2021-07-18

サブカルオタクいじめ時代、その後

インターネットを覗けば、被差別意識を抱えたオタク怨嗟の声が可視化されるのは今も昔も変わらない。しかし、今その怨嗟が向けられる対象が「陽キャ」に属する人間像がほとんどであるように見えることを考えると、2000年代インターネットでは、「サブカル」に対して憎悪を燃やすオタク」が今より遥かに多く存在していた。当時、アニメ映画話題において、必ずといっていいほど、どれが「サブカル」でどれが「オタク」かという区別をもとにした戦争がよく起こっていた。しばしば、それらは必要性のハッキリしない、無意味区別だった。思えば、それらの怨嗟は、90年代以前より「サブカル」が「オタク」をいじめ続けてきた歴史遺産であったのだろう。では、今そうした「サブカル」への同時代的な怨嗟を耳にすることが少ないのはなぜか。21世紀カルチャーにおいて、「サブカル」と「オタク」は融合した。それには「サブカル」のファッション性が凋落していったことや、「オタク」が大衆化していったことなど、時代の変化が生み出したさまざまな要因が絡んでいると思われるのだが、なんにせよ、現代では、当時「オタク」と「サブカル」に分けられていた二つは、ほとんどその境界を失ってしまったのだ。ここでは、これが精確には融合だったのか、それともどちらかがもう片方に吸収されたのか、はたまたアウフヘーベンかといったことは問題としないけれども、少なくとも、あえてそれらを二分して、お互いに攻撃し合うものであるという風潮は、ほぼ消え去ってしまったのだ。その空気感を端的に描写しているのが映画花束みたいな恋をした』である押井守存在ガスタンク映像やらを介して惹かれ合い、文芸邦楽趣味共感し合う麦くんと絹ちゃんは、90年代的な枠組みにあてはめると、明らかにサブカル」のカップルだ。しかし、彼らは宝石の国ゴールデンカムイを読む。ブレワイを買う。シン・ゴジラをみる。ままごと(劇団)の舞台さえ観に行くような層が、同時にこうしたものをあたりまえに摂取するというのは、90年代の「サブカル」的な感覚ではありえない。まどマギ放送2017年だった世界線ならば、二人で一緒に最終回に釘付けになったというエピソードがあっても違和感はないだろう。物語の後半で絹ちゃん自分の好きなもの大事にしながら生きるために、謎解きゲーム主催するベンチャー企業で働く選択をする。ここで絹ちゃんに対比されるのは、物流企業に勤めることで激務に追われ、カルチャーのある生活から脱落してしまった麦くんである。この麦くんに対比される絹ちゃんやかつての麦くんを、「サブカル」かはたまた「オタクかに分類することは、ここではもはや意味がないし、その必要存在しない。文芸映画音楽舞台マンガゲームも、派閥意識などなくカルチャーに関わる層が、ここでは描かれているのである。繰り返しになってしまうけれども、二人が生きた2010年代後半には、カルチャーにおいて、それまであった「オタク」と「サブカル」という境界はもはやほとんど消滅して、仮にその区別を認めるとしても、好きに行ったり来たりできるし、そのことになんの咎もないという状況になっていたのである。いま、「サブカル」という言葉アクチュアルな響きがなく、古臭さを伴うのはこうした事情によるものだ。「当時のサブカル」という表現40代以上がすることに違和感を覚える層がいるとしたら、現代には「サブカル」という枠組みがあえて存在する必要がないということにその理由があるだろう。つまり、「サブカル」という言葉にはもはや、90年代以前に存在したらしい、そして2000年代ほとんど絶滅した様子である、ある種の人々、例えば、大衆文化回避するひねくれた心根を持っていたり、その一方で「オタク」を見下していじめるような心性ももっている、というのがピッタリなイメージの、そういったかつての人々に対する意味のみしか残されていないというのが、現在の状況であるのだ。

2021-06-27

カウンターカルチャー素人

カウンターカルチャーというのは、wikipediaに対抗文化と書いてある。サブカル一種であると。

私はカウンターカルチャー神話という本を読み、カウンターカルチャーを知り、そして否定的である

特に私が書きたいのは資本主義に取り込まれているカウンターカルチャーである

  

私は新人発掘や、素人応援する行為、またまだ人気の出ていない何かを応援する行為カウンターカルチャーに近いと思っている。

メインカルチャーに対して、つまり今人気がある何かに対して満足できない物足りない、または自分最初から関わりたいなどの気持ちがあるとき

そのメインカルチャーに対抗しうる存在を自ら見つける。

カウンターカルチャーには実際のところ、メインカルチャーの腐敗に対抗するとして、正しさのようなものも含まれているが、今回はそれは省いて考える。

今回、なぜこのことを書こうかと思ったかというと、いつか言語化したいと思っていたが、いつまでもはっきりと思い浮かぶものがでなかったので

曖昧だけど書いてしまおうと思ったため。

例えば、うっすらと感じているのは、なぜこんなものが人気になったんだ?と思うものは、

カウンターカルチャーの影響を受けている可能性があると思っている。

しかし注意しなければならないのは、なぜ人気なのかということに対しては、単純に理解する自分知識不足である可能性や

ヒットする階層が異なる可能性、時期がよかったなど、人気が出たことを単純な理由では説明はできない。

カウンターカルチャーが一部分として占めているだけだけかもしれない。

  

私がなぜ対抗文化を良く思わないか

それは一言で言ってしまえば、対抗先がいなくなると消滅してしま文化主体性が無く、継続性もないかである

文化の発展性から言えば、サブカルチャーがメインカルチャーになるような可能性をつぶしていると私は思っている。

ドイツ哲学アウフヘーベンという言葉があるが、否定することで発展するというケースが存在するか私は疑問に思っている。

仮にあったとしたらカウンターカルチャーメインカルチャーが発展するための踏み台である

残酷ではないだろうか?

私たちカウンターカルチャー応援してメインカルチャー攻撃する(と人は思っている)

しかし実際のところはカウンターカルチャーメインカルチャーになりうるとはだれも思っていない。

しろなったら不幸である。時限爆弾が起動(発火)するのだから

  

言いたいことがまとまってきた。

まりカウンターカルチャーで人を応援するのやめようぜ人類ってことだ。

しかし、こうも言えるかもしれない素人のただの思い付きがメインカルチャー匹敵するレベルに成長するというのは

ある意味幸せなことではないだろうか?

多分だが金も手に入る。(金ではなく地位名誉かもしれない)

本人やその集団にとっては幸せだが、巨視的に考えると私は不満だ。

  

私がさらに不満なのはサブカルチャーをメインカルチャー踏み台、または不幸な結末を迎えるために用意することだ。(自覚的なのか無自覚なのか分からないが)

ほとんどの人は自分応援しているコンテンツメインカルチャー匹敵するほど人気が出るなんてことは思わない。

その人たちは問題ない。

例えば、自分文化に刺激が足りないから、対抗文化を盛り上げようとか!

不幸になることが仕組まれている。

しかしながらこういったことはほぼ止められない。

なぜなら私もそうだが、カウンターカルチャーが大好きだからだ。

なろう小説もっと人気をでて日本小説文化に影響を及ぼすことを考えると愉悦を感じないだろうか?

アニメ映画だらけになっていることに何とも言えない気持ちにならないだろうか?

  

対抗文化なんてもの必要ないが娯楽には必要だ。

不幸になる人がいることが娯楽の一部であるからだ。

しかし本当は・・・マジで必要ない。

2021-02-21

弱者男性弱者女性アウフヘーベンしたらどうなるの?

とりあえず幸せはなさそう。

2020-11-02

努力矛盾である

 努力をする、という行為そもそも矛盾であって、人間努力をしないようにできている。更に言えば、人間努力をしてはいけないという命令を脳から受けつつ生きる。

 というのは、努力をする、という行為必要な時点で、それは努力するべき価値のない物事からである。夢中は努力に勝る、という言葉があるように、本来成功する努力とは無意識的なものである。つまり、「努力しなきゃ」という客観的観点と、有意義効果的な努力は不協和なのであって、「努力しなきゃ」とか意識してる時点で、貴方はその物事に向いていないし、もっと言うと、その物事に関して努力をしたところで極めて期待値が低く、恐らくコスト努力)に比してあまりにも小さなリターンしか手に入らないか、あるいは全くリターンが手に入らないか、最悪、リターンどころか自身マイナスしかならないということなである

 脳はそのことを知っているので、そもそも客観的に見て「努力必要」と感じた時点で自分の体にブレーキを掛ける。「努力必要期待値が低くあんまりやらない方がいいこと」なのである(それが我々人類におけるこれまでの生存戦略だったのだ)。本当に向いていることは「努力しなきゃ」とか考えるまでもなく体が動くし、特に意識なく精進していけるものであって、要は才能がない人間努力無駄どころかその人間の心身を蝕むことになるという厳然たる事実を脳は知っているのである。だからこそ脳は人の体にブレーキを掛ける。「やめとけ」と。だから、人は努力ができないのが普通なのだ。

 例えば、もし原始時代において、あんまり期待値が高いわけでもない試行を繰り返す個体努力をする個体)がいたら、周りの人は彼にこう告げるであろう。「お前そんなことしてないでもっと向いてることやれよ、コミュニティを存続させるために重要なこともっとあるだろ、あるいはそういうのはもっと向いてる奴に任せとけよ。コミュニティが存続しねえとお前も生きていけないんだから、お前がやるべきことは他にもあるってことくらい分かるじゃねえか」と。はい。明らかにこのような忠告は正しいし、正鵠を射ている。そういうわけで、「努力をしない」あるいは「努力と感じられるような努力はしない」が人間生存戦略となっているのである。これは極めて合理的なことで、人間は要するに努力できないように作られているのであるし、努力という行為人間生存戦略上の矛盾なのである


 とは言え、原始時代はともかくとしても現代においては、一人の人間期待値の低い努力をしていたところでコミュニティの存続には特に関係がないので、そういう「努力」が許容されるようになっている。しかしながら、「努力」と認識し「努力しなきゃ」と思っている時点で人間生存戦略矛盾していることには代わりない。脳は、そのような努力をしている人間に対して、絶えず命令を送り続ける。「やめとけ」「向いてねえぞそれ」「多分ほかのことやった方がいいと思うぞ」などなど。

 繰り返すが、そのため人間は脳の影響によって「努力」というものができない(やりにくい)のである

 才能のあるやつにはそういうことがない。あるいは、あったとしてもごく少ない。脳は才能あるやつにこう告げる。「その調子だぞ」「向いてるぞ、それ」「その研鑽期待値高えからそのまま続けろ」などなど。というわけでこの文章は才能のあるやつには向けられていない。才能のあるやつにおいて努力努力じゃねえので生存戦略において矛盾はない。彼はそれを殆ど無意識に行い続ける。多分ドーパミンとかそういうのも結構出るので、むしろ努力をやめることができなくなる。

 とにかく「努力しなきゃ」と考える時点で貴方は凡人である。脳としては「やめとけって……」の無限打診を続けるしかない。とは言え、そういう負のスパイラルに没入しても、原始時代においてはそういう期待値の低い試行をし続ける人間は下手するとぶっ殺されちゃうんだけれど、現代においてはぶっ殺されずにそのまま負のスパイラルを続けることができる。この文章は、そんな負のスパイラルを続ける人間に向けて書かれている。


 俺は凡人である。つまり努力をしている人間である期待値の低い試行を繰り返している人間である

 というわけで基本的には努力とかせずほかの事柄リソースを割いた方が明らかにマシなんだけれど、そういう合理的判断能力はとっくの昔に欠落している。

 さて、そのような凡人にとって、基本的努力というもの期待値が低く、努力なんてことはせず別の行動をした方が絶対いいんだけれど――アンチテーゼを敢えて唱えるならば、「凡人にも最高効率努力がある」というテーゼがそれに当たる。

 凡人――最も努力費用対効果コストパフォーマンス)が低い人間にも、その人間にとって費用対効果の高い努力というもの存在する。それは事実である。「努力矛盾である」という原初的命題テーゼ)を止揚アウフヘーベン)するために、このアンチテーゼを用いる。これによってジンテーゼを生じさせる。

制限された状態から効率の最大化を求める行為矛盾ではない」。

 これがジンテーゼだ。

 努力をしなければいけない人間は、能力制限限界リミット)のある人間である。よって、そのような人間の行う努力基本的効率が良くなく、あまり価値がない。これまでその事実を俺は言い続けてきた。とは言え、全く制限のない人間というもの存在しているかと言えば、それは誤りである。例えばチェス世界における現人類最強の人間ノルウェー出身のマグヌス・カールセンであるが、彼に比べれば、全ての人間相対的チェス能力制限を受けていると言ってもいい。もっと言えば、チェスコンピューターには流石に敗北を喫するであろうカールセンにしたところで、能力には制限が設けられている。つまり人間には万民において制限が、限界が、リミット存在している。

 となれば、基本的に我々の取るべき生存戦略は次のことになる。「制限のある上でいか効率よく振る舞うかを追求する」ということである。ここにおいては、次のテーゼも成り立つ。「制限の多い状況においてある行為可能ならば、制限の少ない状況においては尚更その行為可能であるし、制限の多い状態に比べればよりコストパフォーマンスも高くなる」というテーゼである。これは、ドラゴンボールにおける悟空重力トレーニング想像してもらいたい。重力が高い状態である程度のパフォーマンスが発揮できるならば、適正な重力下においては更に多くのパフォーマンスが発揮できるであろうということだ。

 そう、この場合の「重力」という比喩は、我々における一種制限、つまり「才能の無さ」と対応している。我々は、悟空重力において制限を受けるように、常に「才能の無さ」という重力に晒されている。そこにおいて我々は、常に脳から「やめた方が良いぜ」という圧力、その行動に対する一種重力を受け続けているのである。これは、寧ろ努力する人間に限らず、ほぼ全ての人間が常に晒されている恒常圧でさえあると言えるかもしれない。

 そう、人間は、基本的に、何らかの重力に晒されている。だからこそ、その強い圧力下において、強い重力下において行動することに慣れなければならないのである。そう、つまり、我々は努力をするべきなのだ。そうすることによって、重力の低い事柄、例えば自身における「向いている」事柄において、更にパフォーマンスを発揮できる可能性が高まるである

 ここから得られる結論としては、必ずしもある努力は、その努力している対象(例えばスポーツとかチェスとかその他の競技とか)そのものに対する努力ではないということだ。それは、重力それ自体に対して慣れるという努力なのである重力をある程度克服するという努力なのである。そう、努力対象を、自身の受けている恒常圧であるところの重力へと転換させること、そのことによって我々は初めて努力意味を見出すことができるのである。あるいは、重力のものを、つまりは才能のなさそのものを克服することによって、本来才能のない向いていない出来事に対しても、これまで以上のパフォーマンス発揮することも、決して夢ではないのである


 テキストとしては以上なのだが、些か抽象的な記述になってしまったので、具体的なアドバイスを一つだけ書いて終わりにしたい。

 人は脳によって恒常圧、重力を受けている。なので上手く受け流して重力を克服するしか、我々才なき者には道はない。


簡単にできることをする

 誰もが言っていることだが、難しいトレーニングをすることは脳の負担を増大させる。脳から重力を増大させる。なので、簡単なことからしなければならない。

 例えば、「あいうえお」と記述することは誰にだってできる。文章練習をしたいのであれば、毎日必ず「あいうえお」と書くことだ。そういうことから始めよう。

 毎日あいうえお、と書いていると、殆ど人間は次のように思う。「『あいうえお簡単すぎるわ」と。「何かもっと難しそうなことできるわ」と。ここにおいて、脳の恒常圧はやや薄れることになる。

 そうなったならば、相対的に難しいけれど比較簡単なことをすればよい。例えば、「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」から後を書くとか。あるいは、俺が実際に行ったトレーニングは、まずここに書いてある通り五十音を書き写すといったものであった。その後、脳の恒常圧がやや薄れたのを確認して、次のステップに移ったのだけれど、それは、昔暗記したとある小説のページをひたすら書き写すというものであった。自分の好きな小説のページを、同じページを書き写すのである。とにかく、物事簡単なことから始めるのが大切だ。誰にでもできることから始めるのが、一番脳の恒常圧、重力を騙すにはうってつけなのである

 簡単なことから始めよう。しかもそれを毎日続けよう。

 そうすることでしか我々は重力を騙せない。後は、毎日最低限栄養のある飯を食べて、ちゃんと寝て、人と会話をしよう。そんくらいである。

 才なき人々は、脳を騙して、重力を克服しよう。

 すると矛盾は消える。

2020-10-22

はてなー多様性

はてな多様性を認めたいと思っている人が多い場所だと勝手に思っていたけど、実際そういうわけじゃないなと思った。

誰かが、特に地位の高い人が、偏見に基づいた発言をするとはてなで袋叩きにされる。

その一方で、はてなでは多様性が認められているとも思えない。男女観、地域観など。だからこそ常にバズってんだ。

一貫しているのは、自分にとって合理的かどうかという視点物事を見ているところ。

この意見は私にとって合理的からあなたも私と同じようになれば合理的生活が送れますよ、と。

そして何かに縛られず自由選択をしたいと思いがち。縛られることへの反発がすごい。

合理的でないと判断した人の暮らしや考え方については否定する。

縛られている人を嘲笑う。

私がはてなに初めて来た時の印象は「口が悪い人が少ないなあ」と思って、なおかつ寛容なコミュニティだと思っていた。

他に比べると罵詈雑言が少ないのは今も良いポイントだと思っている。それは居心地の良さにつながるけれども、発言内容は極端な考えを持っている人が多く、そこで優劣をつけようとバチバチにやり合っているし、アウフヘーベンがもたらされているとも思えない。

犯罪行為のように明確に善悪がつけられるものはともかく、わりと価値観に優劣をつけたがる人が多いなあと思っている。

自分と違うライフスタイルの人を認めたり、折り合いをつけたりしようという意識特にない。

同じ考えを布教することで正義になろうとする。みんな同じ方向を向いている方が心地よいと。これははてなに限った事ではないのかもしれないが。

2020-08-29

ポジショントークのぶつかり合いでアウフヘーベンしようという気概のある人間が皆無であった

2020-07-03

anond:20200703064819

考えるまでもねえだろ。

ふたばなんJや売りスレよりは遥かに民度が上だからだ。

でも、個別板に比べるとこちらの方が民度が下だろうな。

所詮雑談系じゃけえの。

言うまでもないが、やっぱ人間少しでも民度の高い場所で過ごすべきだぞ。

そうしねえと少しずつ染まっていくからな。

クズと一緒に居すぎると自分までバカになる。

議論アウフヘーベンを起こすためにやるものじゃなく勝ち負けを決めるものになってくるし、流行りの定型文や煽り文句ばかりを自然と使うようになる。

少しずつ人間らしさが失われて、野良犬や虫けらみたいなその場の条件反射だけで動くようになるわけだ。

いっちまえばゾンビだよ。

お前もあんまりニコニコ動画だの爆サイだのには近づくんじゃねえぞ。

気づかねえうちに少しずつ、少しずつ、頭がイカれていって、感性が壊れていくからな。

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