はてなキーワード: 意見交換とは
人付き合いが嫌いな(というかめんどくさい)性格なので、ほとんど外に出たり、人と話すことをせず毎日過ごしている。大手マスゴミが嫌いだからテレビも新聞も見ない。
こんな俺が世の中できちんと生きていくためにはネットでの情報収集・意見交換が不可欠。2chや増田でどうでもいいことをあーだこうだと言い争っている時間も、他の人が職場や友達と雑談している時間と同程度には貴重で、必要なものだ。
むしろネットの方が効率が良いと思う。話題を周囲の人間に苦労して合わせる必要がなく、話題に合わせて人間を選べるからだ。物理的に近くなる人間は偶然の要素が強いが、ネットでは絡む人間(コミュニティ)を自分の意思で選べる。
俺にとってこの箱(PC)を通じてモニターに映る情報が世界の知の集合の全てだ。これからも俺の姿形関係ない意識の活動だけが、他人の意識と絡み合って鍛えられていく。ネットの時代に感謝したい。
まとめ民の餌→まとめアフィ
日本は多分、名無し仮名で意見交換するのを推奨したせいで、アホなことになっただけなんじゃないかな。
技術系の話な。
技術的なこと調べてて、知りたいことのスライドとか見つけるわけよ。
まぁやはりスライドだけだと読み解けないこと多いよな。
発表の動画見たいなーと思うけど、大抵ないよな。
この発表の時間、準備した時間をブログ書くのに使っててくれてたらなーと思うわけよ。
ブログはブログで別に書いてくれてる人もいるけど、少ないよな。
書いてるなら書いてるでスライドアップしたところにリンク欲しいし。
勉強会来いよという意見もあるかもしれんが、時間的な都合、地理的な都合で無理な人も多いわな。
クローズドで楽しめりゃいいと思ってるわけではないよな。もっと広範囲に発信したいという意図は見える。
勉強会といいつつ、あまり活発な意見交換もされていないようだし。
まぁ例えば経験談、失敗談なんかをスライドにするのはいいと思うのよ。そういう発表も多いよな。
ただ技術的な知識の共有をそういう形式でやるのはどうなのよって話。
利用規約に「ヒートマップ使って作ったデータは情報公開する」ってはっきり書いてある。
2万アカウント突破ってニュースが出てたけど、みんな、わかって使ってるのか?
ヒートマップの設定をするとき「当社が定める方法」ってがわからなかったし、有料版についても別途の利用規約があるわけじゃなかったから、有料版も公開されるっぽかったけど。
http://www.ptengine.jp/treaty/
-------------------------------------
1 利用者がヒートマップ機能を利用する場合、別途当社が定める方法で情報公開に関する同意する必要があります。
2 利用者は、本件サービス(有料版サービスを除く。)の利用により計測されたヒートマップページに関する情報を、以下に従って公開する可能性があることを承諾するものとします。
計測されたヒートマップページに関する情報は利用者同士、及び外部における活発な分析結果に関する意見交換、と知識共有の促進のために限定して公開します。
⑵ 公開される情報
公開する可能性のある情報は以下のとおりです。
(ページ上におけるサーモグラフィ化したクリック、視線、スクロールデータ等)
⑶ 情報の公開先に関して
計測されたヒートマップページに関する情報を以下に公開する可能性があります。
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利用規約に「ヒートマップ使って作ったデータは情報公開する」ってはっきり書いてある。
2万アカウント突破ってニュースが出てたけど、みんな、わかって使ってるのか?
ヒートマップの設定をするとき「当社が定める方法」ってがわからなかったし、有料版についても別途の利用規約があるわけじゃなかったから、有料版も公開されるっぽかったけど。
http://www.ptengine.jp/treaty/
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前回、兵庫県芦屋市における小学校建設の問題についての増田を書きました
http://anond.hatelabo.jp/20150401074440
これの続報です。
以前は、小学校の是非について問うものとなっていましたが、事態は変わりました。
まず、私の意見を先に述べておきますと、最終的な市の決定には従うより他ありませんので
今回小学校が建設中止となってしまったことに関しては、納得しています。
ですので、小学校建設が必要か、そうでないかは今回の議論の対象ではありません。
しかし、「教育」が「政治」のための道具として扱われていることが明白となり
その点に関して怒りを隠せません。
別に今に始まったようなことではないでしょうし、色々な所で往々にして行われている
ことではあるのでしょうが、黙って泣き寝入りするわけにもいきません。
以下、経緯を記載します。
http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/documents/ikenkoukankaihaifusiryou.pdf
これまでの経過、に記載があります。
平成8年1月 兵庫県企業庁が『南芦屋浜地区土地利用基本計画』を策定
・合計 約 27,000 ㎡を確保することについて記載
平成10年~ 10 年~陽光町,15 年~海洋町,16 年~南浜町,18 年~涼風町入居開始
平成20年 潮見地区と南芦屋浜地区の児童数がほぼ同数となる。(各約 240 人)
平成23年4月 南芦屋浜地区の児童数(316 人)が12学級規模に達する。
平成26年4月 建設公営企業常任委員会所管事務調査において,南芦屋浜地区の教育施
平成26年8月
~11月
『南芦屋浜地区教育施設用地幼稚園・小学校建設検討委員会』を設置
(8回開催)
件の小学校建設予定地は、兵庫県企業庁の所有になっており、開発時点で
芦屋市は、企業庁からはいつ学校を作るのか、という問いに対して、それに見合う児童数が
確保できたら、と回答を出しています。
上の経過のように、おそらくは企業庁から、当初言っていた児童数にとっくに達しているのに
去年の8月に急遽、学校設立委員会を芦屋市が立ち上げています。
市の教育委員会で議論が交わされ、学校を新設する方向で市長へ依頼報告が上がってきたようです。
そして、去年の12月の定例議会において、市長が学校建設を行う方針を発表します。
非常に急転直下な話です。
山中芦屋市長は元々、小学校建設を願っていたそうなので、渡りに船ではあったのでしょう。
その後、今年の2月に「地域住民意見交換会」という名の説明会が催されます。
http://www.city.ashiya.lg.jp/kanri/ikenkoukankai2.html
これには私も参加し、その際の発言も記載されていますが、ここでは市は学校建設は行う、と明言しています。
この時点では、いくつかの反対意見もあることが議事録から伺えます。
しかし、反対意見があろうが、市としては「建設する意思」は覆らないという回答がされています。
そして、今年の3月26日に芦屋市議会議員の3分2を占める、14人の議員による「嘆願書」が市長に対して提出されます。
それにより、翌日の3月27日に、山中市長は急遽、小学校建設の白紙撤回を表明します。
(なんとその同日に、前回もURLを貼り付けましたが消えてしまったようで
ビラが各地にまかれています。
http://i.imgur.com/xY8EpUk.jpg
これは嘆願書を提出して建設を辞めさせた議員が、建設を辞めさせた議員たちと、それに賛同しなかった議員という形で
名前を連ねて、地域にばらまいたものです。明らかに選挙を意識した動きであるのは明白です。
しかし、市長が翌日にすぐに白紙撤回するのがわかっていたかのような根回しのよさですね。
ビラはこの議員だけではなく、他の議員からも色々なものがまかれたそうです)
そして、昨日、4月6日に、今回の件に関する説明会が開催されました。
これが今までの経緯です。
そこに参加をしてきて、ボイスレコーダーで議事を録音してきましたので、必要であればYoutubeにでもアップすることは可能です。
ですが、おそらく市から今回の説明会の議事録が提出されるであろうのでそれまでは保留としておきます。
さて、同日に都合2回開催された説明会ですが、内容としては最初に市長から2分程度の謝罪の言葉があり
後は市民の皆様からの意見を頂戴します、と。ただ市民の愚痴を聞いて発散させて、事なきを得ようという
目論見丸出しの会でした。
この会で、多くの疑問が新たに湧く結果となったのです。
まず、山中市長が小学校建設を白紙撤回させた理由について言及した所
・市議会の3分の2を越える議員からの嘆願書が提出されたことを非常に重く捉えている
との回答でした。
我々が選出した市長と議員の総意が民意であることは理解のうちなのですが、
非公式な場での嘆願書により行われ、議論もすることなく議決を得ることもなく
「決定」に至ったことです。
しかもなぜこの時期に、選挙を目前にしたこのタイミングにそれが行われたのでしょうか。
これは、昨日の説明会に参加をした木野下議員もブログにて言及をしておられます。
http://blogs.yahoo.co.jp/urukino07/68394659.html
今回の14名の議員による白紙撤回を求める申し入れ書について、「議決に準じる。印鑑を押してあり、大変重い」と述べたことです。
じゃあこれから、議案を出す前に、この申し入れ方式をとれば、議会なんか開かなくても済むケースが山ほど出てくるのではないでしょうか?
予め、議員には議案を示し、賛成派・反対派がそれぞれ署名捺印合戦をして、多数を占めたほうが、「申し入れを作り、そこに署名捺印をする」。市長は、その申し入れ書を見て、反対が過半数を占めていたら、議会での論議をする前に撤回してしまう。
ある市民の方が、「議会で論議をしてほしかった」と発言されていましたが、まさに今回は、議会での議論をすることなく、市民的な大きな課題が市長の独断で決められ、議員14名の申し入れ書という形をとって白紙にされたということです。
それともう一つ。
山中市長はしきりに「行政は議会の決定に従うしか無い」と訴えていたのですが、
木野下議員の言うように、今後もそうやって嘆願していけば、決定されてしまうのであれば
Youtubeにもアップしている方がおられるようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=aKCjcM63AUA
また、次の疑問はこのようなものです。
教育委員会は浜風幼稚園廃園決定の際、単学級が複数年にわたることを理由にしていました。南芦屋浜においても、小学校を新設しても10年後には単学級になる見込みであり、また、既存小学校の学級数、児童数減少を招くことも明白です。市長は、統廃合はしないと言われるが、教育委員会のこれまでの単学級に対する考え方からすると現実的に統廃合検討の対象となります。
以上のとおり、巨額の建設費を投じた上、毎年多額の維持費をかけることとなる小学校は、建設後10年でその必要性を問われることが明確であり、その必要とする理由にも説得力が感じられません。南芦屋浜地区の住民からも反対の声が大きい小学校建設で、これまで市長が3期12年の間、道筋をつけてこられた行財政運営に対する市民からの信頼を損なうことのないよう、英断をもって、計画の白紙撤回をされることを強く申し入れます。
これは大きく分けると
という2点に集約されることになります。
1つ目の単学級化に関しては確かに問題です。
これから単学級になる学校を新たに敷設するのかという点には非常に納得はできます。
しかし、単学級化はここだけの問題ではありませんし、今日本全国で起きている問題です。
長い時間をかけて取り組んでいかないといけない課題でありますし、教育の観点で考えなければ
それに単学級を防ぐために、学校を市に1つにして家の近い児童も、遠い児童も全員に通わせるような
ことは現実的に難しいでしょう。児童の通学にどれだけの影響が及ぶかという点が置き去りにされています。
これは上でもビラを巻いている議員がいると伝えたように、口をそろえて「70億円」の無駄な公共事業
と言っています。
これは30億円の土地費用と、40億円の学校建設費用と言われています。
しかし、実際には兵庫県の他市の事例でも明らかなように、学校用地の土地を使うことは
兵庫県の企業庁のプランでありますので、定価である30億円で用地を売るということは考えにくいのです。
これは過去に山中市長も明言されており、実際には4億や5億くらいで土地を取得できると算段されていました。
学校建設費用の40億円もどんだけ豪華な学校を建てる見積なのかはわかりませんが、
単学級を見込んで小規模な小学校を立ち上げるのであれば、いくらでも縮小化が可能です。
しかしこれらの事実を無視して、反対派の議員は「70億円かかる」と言い切り、当該地域ではない
市民にそれを伝え反対票を集めているのです。
では今からでも、見積をやり直して学校を建設するかどうかの議論を再開できるのではないか、
との問いには「それはできない」の1点ばり。
これはもうなにかの力が働いているとしか思えません。
山中市長は、3月の時点で14名の議員から嘆願書が出ているので、
しかし、議員達は70億円かかると言い続けているわけですし、実際には
それだけの費用はかからないと知っても、本当に議会の決定は変わらないのでしょうか。
その点を重点的に多くの方が意見をしたのですが、山中市長は「無理」としか言わない。
このような決定には納得ができませんし、なにより市議と行政への不信しか残りません。
そして、この事実は多くの芦屋市民が「知らない」まま、4月26日に統一地方選挙が行われます。
3月に、対立候補として出てきた人がいるのですが、その人は政策に「小学校建設反対」を表明していました。
おそらくは、この市長選で山中市長が「小学校建設推進派」だと、この対立候補との戦いになるので
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007830055.shtml
70億円かからないのにです。
行政と市議が正常に作動していない状況で、市民が振り回されています。
特に昨日参加をした住民の多くの人は「兵庫県」と「芦屋市」と「不動産屋」がそれぞれ口をそろえて
「学校を作る」と明言したため、家を購入した、移り住んできたという人だったようです。
それは詐欺行為にも等しいのではないかと。
そして、参加した私の感想ですと、山中市長はとにかく「謝らされている」感じがしました。
トカゲの尻尾きりで責任だけ取らされているような感触を受けました。
一方、それ以外の議員は、一体何が起こっているのか、どうなっているのかと
闇を感じますね。
はてなブックマーク - 熱血先生26歳の死、労災認定 授業や部活に追われ…:朝日新聞デジタル
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASH324T4JH32PTIL01H.html
たまに登場する高校教諭増田です。ニュースとそれに対するコメントを見て感じたことや自分の考えの整理を書いておく。
学校外では部活動について多様な意見がある。「部活指導は外注すべき」から「やりたいスポーツなんて学校外でいくらでもやらせればいい」まで。
現場で働く個人としては、部活動は学校にはあるべきと考える。むしろ部活動はやりたい生徒たちにとって学校生活の大半を占めるくらい大切な時間であり、そういった場での同学校同学年の仲間たちの時間が人間形成に大きく影響する。あることに打ち込んで成果を出すという成功体験は学校外のクラブチームなどでできないわけではないけど、「部活動に打ち込んだ時間があって学校生活が充実していた」、「3年間毎日朝練をし続けたことがささやかな自信になった」というような経験のある人は少なくないと思う。もっと極端な例では、クラスでは仲間に弾かれて居心地が悪く、部活動が学校での良い居場所となり楽しい時間を過ごし、運動によりストレスの発散にもなるということもあったりする。
学校に部活動はあった方が良い。1年次は強制入部とかそういう変な学校もあるけど、やりたいという生徒たちには環境を用意してあげるべき。
教員の中には「俺は学校生活を部活動に捧げたし、部活動指導をしたくて教員になった」という人が教科問わずいる。そういう人たちは本当に部活動に力を入れている。10年くらいかけて「部活動を育てあげる」ということをやってのける。弱小で、チームとして何も出来上がっていない高校生たちを、何年もかけて、代の交替を見守りながら、練習に対する意識や指導者への礼儀、仲間同士でのコミュニケーションを教え、学校の特色とも言えるような部活動にしていく。
吹奏楽部なんて大きな組織づくりになるから本当にすごい。顧問は経験者であれど楽器は個々で違うので全てを指導できるわけではない。他校の顧問とのつながりから人脈を広げ外部の指導者を雇い、放課後や土日の練習に指導を依頼する。外注するだけでなく顧問ももちろん指導をするし、全体の演奏の指揮を執る。さらに顧問が行うのはそういった技術指導だけではない。生徒一人ひとりの性格を把握しパート毎にパートリーダーを決め、部長副部長とパートリーダーを中心とした組織づくりを行う。そういったリーダーとなる生徒たちには、リーダーとして必要なことは何かを考えさせる指導をし、また組織全体に、外部指導者に指導を仰ぐ態度や礼節を厳しく指導をする。そんな真剣な部活動の取り組みは、練習の中の躓きやそれを超える瞬間、コンクールでの成功の度に生徒たちにカタルシスをもたらし、かえがたい体験となる。このような指導を重ねていくと、部員全体が学校生活全体を通して凛とした(男子部員もいるがあえて全体にこの言葉を使わせてほしい)立ち居振る舞いをするようになっていく。そんなしっかり取り組む部活だから外部指導者を雇ったり楽器を修理する予算も下りる。運動部を指導しながら傍から見ていて、素晴らしい教育だなと思う。偉業と言っていい。
閑話休題。とにかく部活動を熱心に指導する教員は本当に熱心だ。そしてそんな教員を中心に、現状として基本的に部活動指導はその学校の教諭が行っている。
その現状について、最近は世間的に問題点にフォーカスされているが、まず良い面について述べておきたい。その良い面というのは、生徒たちと同じように、教員にとっても教室の外で生徒と関わる中身の濃い機会となるということだ。
教科の教員として、ある生徒を教室内だけで見ていても、どうしても一面的なことしかわからない。部活動の時間に好きなことに取り組んでいるときの表情は当然違うし、そういった場でも生徒とコミュニケーションをとれるというのは、生徒掌握や生活指導など様々な側面から大きなメリットを得られる。わかりやすいケースを挙げると、授業の時間の中で自分の部員に対し叱った後で部活動の時間にフォローをしたり、最近表情に陰りが出てきたようで気になる生徒に部活動の時間に声をかけて話を聞いたり、そんなことが可能なわけだ。
またそれは部活動顧問一人だけで行うわけではなく、教員同士の連携も図れる。教育活動はチームワーク。「〜〜部の〜〜君、今日授業中にちょっと俺にキツく怒られてるんで、ちょっと部活の時の様子見てまた後で教えてくださいよ」とか、「部活のときに他の部員と揉めてたんですけど、最近クラスでどんな様子ですか?」とか、教員側で生徒に対してできることの可動域がぐっと広がる。
おいおい厚かましい教師どもだな、と思うかもしれない。中堅上以上の進学校だとこんなこともまぁ少ないのだけど、レベルの低い学校だと生徒集団も辺に幼い傾向にあるのでこんなこともしょっちゅうである。
こういうケースもすごく多いのだけど、自分は縁あって全くやったことのない競技の部活動顧問になった。その時の場合はまぁ環境と部員数はそれなりにできていて(前顧問が築き上げたものだ)、それを引き継いだ形だった。どのように取り組んだかというと、生徒たちからすれば目の前の顧問はこの競技はでないわけだし尊敬なんか全然しない。なので少なくともこの人はこの部活に対して本気だと感じさせるよう取り組もうと決めた。まぁ若手であり身体も動くので用具を一式揃え、生徒たちに交じって教え合いながら、怪我をしたりしながら、そんな中で技術に関しては俺よりも高いところにある部長と教員としてぶつかり合ったりもしながら、部活動指導にあたった。放課後は勤務校の定時制課程で非常勤講師を引き受けていたけど、それまでの1時間だけでも着替えて練習して汗だらけになり、土日には他の学校との練習試合や合同練習を取り付けては毎日練習をした。それだけ自分の時間を犠牲にしても、礼節指導、チームの構築、どのように引っ張っていくか、どれもやりきれず、異動となった時には反省点だらけで、部活動指導の難しさを思い知らされた。それでも生徒たちは自分の異動を泣いて惜しんでくれて、最終的には良い経験をさせてもらったなというところに落ち着くことはできた。
今になって振り返ると良い思い出になっている。それもあって、件のニュースのノートの写真なんかは心が傷んだ。自分もあそこまではせずとも、部活動のファイルを作りそれを使って生徒たちとやりとりをしていた。しかしその反面、当時は本当に大きなストレスだった。自分がいなくても練習に真剣に取り組む土壌が作れない。叱ればふてくされる。俺だけの空回りか。仕事は楽しいけど唯一部活動だけがストレスと言える状態だった。
しんどい。やりたくもない。
初めから仕事の一つとして挙げられているのだから教員になる段階で覚悟決めとけ、というのがまぁもっともな声だとも思う。けれど我々は主に教科指導で賃金をいただくわけで、その上に部活動指導が重なることで定時内でこなせる業務量を軽く越え、その上で残業代は小遣い程度のみなし残業代となると泣くしかない。
そんな中で、顧問はその名の通り顧問という立場なので、まぁ部活動を自分の好きなようにすることはできる。変な話やりたくなけりゃ適当なお遊ぶ部活にしてしまえば良いわけだ。でもそこに集まる生徒たちは真剣にそれに取り組みたい子が集まるわけで、教員としてはそれには応えてやろうとなるしかない。それはこちらの気持ちとしてもそうである上に、採用自治体もそんな教員であれと謳っている。それなら土日の賃金なり振休なりを保障してくれ、と思う。
そんな中で実際の現場の雰囲気はどうかというと、部活動に関してはあの人すごいよねと言われる人たちがいて(先述のような部活動志向教員だ)、まぁあそこまではできないけど頑張ってるよという中間層とも言える人たちがいて、部員もいるのかわからない名ばかり顧問もいる。割り合いはまぁ学校の特色によるけどだいたいこんなもんだ。その中間層には自分のような素人なりにやっている顧問も多くいる。
そんな中でどうにかしてくれと思うのが、部活動志向のおじさん教員たちの押し付けがましい説教だ。ただの愚痴になって申し訳ない。けどブコメにもあるし言いたい。
まぁ部活動に力を入れてきた人すべてがそんな説教ったらしいわけではない。けれど一定数は「若いうちに部活動がんばらないでどうするんだよ」という考えのおじさん達がいる。俺は先に書いた通りに部活動をそれなりにやってきた自負はある。それでも部員数が減って燻っているさなか何度も飲み屋で説教を受けた。俺は分掌の仕事を全部後回しにして部活動を最優先にした。そのためなら残業をどれだけでもした。お前はどうなんだ。そこまで生徒とぶつかっているのか。
自分は自分なりに、生徒たちが部活動に臨むべき姿勢を考え、部活動を運営し、その結果の今であって、初めからやる気のない人間を集めてその部活を育て上げようみたいなビジョンははっきり言ってありませんよ。生徒がやりたくないならそれでいいじゃないですか。部活がやりたくて教員になったあんたみたいな人ばかりじゃないんだから押し付けないでください。それより同じ分掌のおじさんたちがろくに働かねーから俺が職員室にこもって学校運営の仕事ひたすらやってるんでしょう。
そんなことを何度も言いたくなりながらもビールと一緒に飲み下した。そうこうしているうちにその辺りの人と飲みにも行きたくないようになり付き合いは減らしていった。
ではそんな中でよく言われる、外注してはどうか、ということについて少し考えたい。
前提として先述の通り部活動がやりたい教員はいる。体育の教員なんかも「体育教員なんて部活動指導してなんぼやろ」という考えの人も多い。やりたい人はやって、それ以外は外注で補う形が良いのではないかなぁと思う。
ただ、技術指導に特化した人に丸投げというと、先に書いた教員顧問制度のメリットの部分が得られなくなる。名ばかり顧問としてでも名前だけは教員を配置した方が良いんじゃないかなぁ。その上で顧問や生徒の学級担任などの教員側と、外部指導員とで生徒たちについての意見交換ができるような場を設けるとかが考えられると思う。実際に学校ではスクールカウンセラーと教員同士が意見交換をするカウンセリング委員会みたいなものがあったりするし、そんな感じで。
本当はもう部活動要員を教員として用意してしまうというのが一番理想的だと思う。それぞれに与えられた役割に専念すれば良いし、同じ学校の教員として相互に教育活動に取り組むことができる。だけどまぁそれだけ地方公務員を増やすってのは無理なんだろうね。だから外部への外注なのかなぁと。
そして多分そんな風に環境が移行していけば、俺に説教をした部活動おじさんは多分また説教をしたくなる。若いんだから、身体が動くんだから、そのうちに生徒とぶつからないでどうする。おそらくそういった移行措置を採ったとすると、初めはそんな空気が流れるのだろう。
そりゃあそうだよ若いうちに生徒と距離の近いところでコミュニケーションをすることは教員としての力量形成に大きな影響があるよ。ただ過労で倒れる人が出ている中でそれを叫ぶのはもうだめだろう。だからまずその環境をなんとかして、その新しい関係で生徒と教員がどうやっていくかを改めて構築していくべきだろう。そう思う。
ただ、まぁそれも現実的ではないのだろうなぁ。これを実現するには莫大なお金がかかるし今の日本にそれをやれるほどの体力があるとは思えない。時代が代わり、生徒たちが代わり、昔の美談が悪しき風習となっていったまま残り、地獄はまだまだ続くなぁと思う。
ニュース記事のブコメに日教組への言及が散見されるのでちょっとそれについても現場から見た組合について少しだけ。
自分は組合員ではないけど、組合はありがたい存在です。組合が労働条件などについて交渉などの活動に取り組むお陰で我々の賃金や労働環境は少しずつであれ改善されています。休暇の取り方や範囲などの制度、女性や要介護者家族を持つ者にとっての労働環境、そういったものが守られているのは組合の取り組みの恩恵を受けられているなとは感じている。まぁ社会的に色々言われるし確かにねぇと思うところはあるので、少し言葉を濁してしまったりはするのだけど。
http://anond.hatelabo.jp/GreenTopTube/edit
結局、理屈ではなく感情で考えてしまっているのが自動車にしがみついてしまっている気の毒な自動車信者さんなんでしょうね。
主張には根拠が必要。資料へのリンクを貼って主張するのはネットでの意見交換の際に心得として大事ですよ。
根拠もなくうざいだのなんだのと放言してしまうようでは、あなたと貴方のような考えの人たちに正当性がないことを外に示す形になります。
30万以上もかけて免許という身分証明証を取得するなんて合理性のかけらもないでしょう?
写真付き住基カードやパスポートのほうが取得費用も安く、取得必要期間も極めて短い。
橋下徹と桜井誠の約7分にわたる「意見交換」へと感想はさまざまあるが、どれもしっくりこない。
【言論の自由】「橋下vs桜井」意見交換会を見て[桜H26/10/22]https://www.youtube.com/watch?v=vu0fpCZikIk&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg
まずは「論外」という反応から見ていく。
この動画で言ってることは結局「橋下は桜井誠の「在日特権」についての主張を聞かなかった」ということにまとめられる。そもそも問題となっているのは「ヘイトスピーチ」についてである。在日韓国人・朝鮮人を侮辱して、憎悪を煽る言動についての意見交換なのであって、「在日特権」について意見交換をする場ではなかったということを確認する必要がある。よって、私はこの種の意見を「論外」であると評価している。
てか、もともとチャンネル桜は、桜井誠を世に出したメディアでもあるんだから(途中で喧嘩別れにしたにせよ)、その辺をちゃんと清算すべきだよね。水島総氏は「ヘイトスピーチは情報謀略戦において不利に働く」と様々なところで、さかしらに言っているけれども、ようは「保守がみんな在特会みたく見えるようにつくられてしまうからやめろ」って言ってるだけである。水島氏のこうした発言はヘイトスピーチへの本質的批判には程遠い。「自分に不利になるからやめろ」と言ってるだけだから。
あと、「在特会とアンチ在特会を平等に規制する法律をつくらなければアンフェア」だと動画で述べているが、この点に関しても詭弁があることを述べ添えておく。問題となっているのは「ヘイトスピーチ」である。「ヘイトスピーチ」とは、特定の人種・国籍に対して差別を煽るような憎悪表現である。アンチ在特会にそのような発言は、明示的には存在しないはずだ。(アンチ在特会も「ヘイト」だ、という意見をよく聞くけれども、ヘイトスピーチについての基本的知識がないのだな、とそのたびに私は思っている)
中道左派に多い意見だと思う。おそらく国民の多くは、桜井氏の下品さに嫌悪感をもよおし、橋下氏の「公人」としての振る舞いに疑問点を抱いたことだろう。
橋下氏の発言には、たしかに同意できない部分がある。例えば「本当に政治的主張を行いたいなら選挙に出ろ」といった類のことだ。これは彼が昔から言ってたことだが意味不明。デモ活動は立派な政治的活動であり、直接に法整備を行うわけではないにせよ、国民意識を変えていくことで、ひいては国会にも影響を与えうるものであるから、立派な政治的活動である。こんなことは、グラムシのヘゲモニー論を引用するまでもなく常識で考えれば分かることだ。
こうした疑問点は様々あるにせよ、今回の橋下の綿密な行動に私は驚嘆した、というのが感想であった。橋下氏自身も述べていることではあるが、彼の行動はきわめて計画的であったとリアルタイムで見ていて感じた。彼はなかなか感情的には流されない人間であり、冷徹な人間性を見せる。そもそも桜井氏の今回の言動くらいで激昂して理性をなくしてしまう男ではない。「帰れ帰れ」という言葉もおそらくはじめから用意したものであっただろう。というのも、在特会が常々言っていた「朝鮮人は半島に帰れ」という言葉を模倣して、桜井氏個人に突きつけるという手法を橋下氏はとっているのだと私は理解しているからである。それから、より政治的に言えば、「ヘイトスピーチ」を行う人間を公人が思いっきり面罵した、という点も評価できる。ヘイトスピーチを行うものはこのように扱われても仕方がない、と世に流布した功績は大きい。
他方、桜井氏の行動について。彼の「激昂」も半分以上は作為的・演技的であっただろう。そもそも彼の「激昂」それ自体が演技的であるのだから、当然と言えば当然なのだから仕方あるまい(この点については「ネットと愛国」における西村修平と桜井誠の出会いについての記述を参照いただきたい)。しかし、彼の「激昂」は、残念ながら、その容姿・恰好からしても、多くの国民の賛同を得られるものではない。クレーマーそのものである。多くの国民は彼の言動に不愉快を覚えたことだろう。
桜井は自著がAmazonで一位になったことを喜んでいるが、それはあくまで一過性のものだと私は考えている。動物園にいるチンパンジーを見たがる好奇心以上のものではない。二三年の視点から見れば、この会談が自分に大きな打撃を与えるだろうことから目を背けているに過ぎない。
なお、こうした人物評にまどわされずに、あの場にいて、どちらかに組せねばならぬ、という当事者視点から見れば、100人中99人は橋下につくのではないかと思う。第三者的視点だけではなく、こうした当事者意識を持ってみることは様々なコンフリクトを見つめてみる上ではきわめて重要なことだろう。
したがって、「どっちもどっち論」に対して私は違和感を覚えている。
外山恒一はツイッターで「やっぱり私は桜井誠より橋下徹の方がはるかに嫌いだ。」と述べている。
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524541443637919745
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524558184594173954
https://twitter.com/toyamakoichi/status/524577760044277760
言葉数が少ないのでその真意は測りかねるが、外山氏らしい発言だと私は受け取った。外山氏は、世の中でヘイトスピーチに批判的になってきたのを見計うかのように、反ヘイトスピーチを大上段から罵る「パフォーマンス」をおこなう橋下氏の「したたかさ」に不愉快を覚えるのだろう。私は全力で同意をしたいと思った。それにしても、「橋下徹か、桜井誠か」という二者択一を迫られるような事案が出てくるとは、やはり悲しい出来事であるだろう。
法的にヘイトスピーチについて見てみたい。まだ日本にはヘイトスピーチを規制する法律はなく、日本国憲法第21条における「表現の自由」に抵触しないかどうかという慎重論も上がっている。しかしながら、これは国内法だけではなく国際法にも目を向ける必要がある。日本も批准している人種差別撤廃条約だ。この条約は、「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の民事訴訟においても注目されたことで記憶に新しい。京都地裁は「我が国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務づけられる」と述べ、大阪高裁も支持している。司法によって国際法の直接適応を受けるのには、立法府のだらしなさを私は思う所である。同条約4条1項では「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で除伐すべき犯罪であることを宣言すること」を締約国に求めている。しかしながら、日本は1996年に正式に批准してからもう20年近く経とうとしているのに、いまだに「表現の自由」を盾にして足踏みしているのは情けない。憲法98条2項に基づき、早く法整備を行うべきである。
日本国において日本人以上に「特権」をもっている人は存在しない、というのが私の意見である。もし日本人以上の特権を在日の人が持っているのだとすれば、具体的に教えていただきたい。
なお、私的には、むしろ「竹田特権」を告発したい。竹田恒泰のことである。彼は慶應大学で憲法学の講師をしていたというが、通常ではありえない「特権」がなければ、とても彼は講師になれる人間ではない。彼は修士号も持っていないし、学部時代に憲法学をおさめていたわけでもない。学術論文も一つもない。なぜそのような人間が大学で「憲法」の講師をすることができたのだろうか。これは「特権」以外の何ものでもないだろう。「特権」という言葉はこのように使うのである。
「増田さん、ここはこうなってるの分かります?ここはですね~」
「(遮るように)分かってますよ」
分かってるといって何が悪いのか
お前は教えたがり、そしてお前の思うとおりのやり方、手順を踏まなければ気が済まない人
親切心だとお前は言うが、ありがた迷惑だという事に何故気付かない
俺はお前の部下でも無い、操り人形でもない
本人が理解しているならばそれでいいじゃないか
そして唐突に年齢を持ち出してくるのは普段から年下だと舐め腐っている何よりの証拠
何より苛つくのは教える時に馬鹿にした言い方
何も分かっていないド素人もしくは餓鬼を相手にするような言い方で攻める攻める
そのくせ「仕事辞めないで下さいね」「仲良くしましょうよー」「衝突は嫌いですーやめてくださいよー」
「(都合のいい時だけ)増田先輩がやってくださいよー」
はぁ?
他所でのやり方を意地でも通そうとするその根性が全くもって気に入らない
こちらにはこちらのやり方がある
後から入ってきてこれは絶対こうしたほうがいい、あり得ないとこちらのやり方を全否定するような言い草は本当にイライラさせられる
そしてもってテメェの方が年上だからと言って一切譲歩しないそのやり口はなんだ
聞く耳を持たないならば意見交換などは無駄だからお前一人で勝手に仕事やってろという話
これだから年上の後輩って困る
50代となんてわかり合える気がしない
人それぞれとか言うけど今まで巡り会ってきた50代には碌な思い出が無い
http://anond.hatelabo.jp/20140706001632
のエントリー。どうやら私のことを言っているみたい。
ちょうど夕飯の準備も終わったところなので、思いつくまま書いてみようと思う。
確かに私の家はすごく厳しかった。
「女と言えども、東大にくらい行くのが当たり前だ。お前がやるべきことは勉強と、来たるべき時に備えて女を磨いておくことだ。」
そんなことを幼少の頃から言われ続けてきた。
あまり賢くなかった私は、そんな父の言いつけを忠実に守ろうとして、進学校に入学し、勉強に励んできた。
東大の理二を選んだのは、東大という名前がつけば父が納得してくれるだろうという単純な理由。別にどこでもよかった。
入学し、何も目的意識がない私にとって、東大の授業は何ら意味を持たず、ただぼんやりと過ごす毎日だった。
でも、旧友にはそんな姿を見せられない。単なる意地が、過去の私を掘り起こし、成人式での振る舞いをとらせた。
今考えると本当にバカみたいだけど。
そんなときだった。
だるそうにしていながらも、時々思いついたようにペンをノートに走らせ、またぼんやりの繰り返し。
興味が沸いた。
前期の授業が終わろうかと言うとき、ようやく話しかけることができ、そのノートの正体が分かったの。
でも、「知りたい」って思うことの本質っていうか、好奇心ってこういうことか、っていうのが分かった。
彼はどうでもいいと私が思うことでも、自分がやりたいと思ったらどこまでも進んで行っちゃう人だった。
まず初めて会った講義。彼の必修ではなかった。ただ講義名に興味があったというだけでもぐっていたらしい。
それからというもの、私も彼も、好奇心の赴くまま、いろんな講義にもぐった。
あの教授はこうだ、あの講義はこうだと意見交換を交わすうち、自然と仲良くなった。
付き合うというか、自然と一緒になった感じ。
もちろん、ドキドキすることもあったけど、日頃は何も構えることなく、自然体でいられたのがよかった。
そうなんだよ。自分のしたいことを思いっきりやること。そして、ちょっとずつそれを周りと分かち合うこと。それだけで、十分幸せを感じられる。
彼女はこういった。
”ご夫婦の写真を見ましたが、まあ平凡な容姿になっていました。勉強ができることにこだわった彼女は、結局世の中の幸せと縁遠い人生を歩むのでしょう。”
”勉強だけができることは人生の勝利には結びつかない。キレイであること、お金があること、コネクションがあること、人生で勝つために必要な要素はもっとたくさんあるのです。”
人生において、勝利ってなんだろう。誰かと比較することに意味はあるのかな。
幸せかどうかは私が決めるの。
容姿の優劣とか、世の中の幸せの定義とか、そういうのに左右されてはいけないと思う。
残念だけど歳を取れば容姿は自慢できなくなってくる。世の中の幸せの定義は、世の中の状況によって変わり続ける。
私は今、夕飯をもぐもぐ食べてくれる旦那と、あうあう言いながら一生懸命に笑顔を返してくれる娘が居るだけで幸せ。
それが、私が7年間でたどり着いた結論だよ。
佐用町に何があるのかなと思って調べたら天常教ていう宗教団体発見
御嶽信仰の一派らしい
よくいってたらしい豊岡市にも直霊教という御嶽信仰系の団体があった。ただ今は無いらしい
神道親導教というのが同市にあるけど御嶽系との関係はよく分からない
同系統は福岡市にはなかったが北九州市に神理教というのがある。
というのを踏まえてこのコメントをもう一度見て欲しい
「天に誓って嘘偽りはなく、現地で意見交換や政策の教示を受けるために訪問した」
あるいはあの独特なテンションを思い出しつつ次の文章を読んで欲しい
「御座(おざ)は講活動の中心をなすもので、御嶽を信仰する人々にとって共有化されたコスモロジーの上に具現化された儀式です。その儀礼は神霊を統御する力能を技術を獲得した前座と深いトランス状態になる訓練と高神との接触、交流の技術を獲得した中座という役割の異なる二人の行者が一組となって行われます。前座は御嶽の神霊を降臨させて、トランス状態になった中座の身体にそれを憑依させます。そして神霊自身に変化した中座が信者の依頼に応えて病気治癒や占いなどを行うという呪術的な儀礼です。」
安倍晋三という政治家を批判、無論良くない意味での批評を論じてしまえば、ネット右翼と称される連中から非国民とか在日朝鮮人に認定されてしまうほど
これには裏に言論封殺魔が潜んでいると思われる。
何を隠そう、安倍晋三は下野時代にはたびたび2ちゃんねる、ネット界の情報発信源の一つに降臨して様々な意見交換をしたことで2ちゃんねるの住人およびネット右翼ことネトウヨに広く期待されるようになっているわけだから、今回の一件においても彼らを煽動して都合の悪い情報や批判に蓋をしてしまおうとしているのであろう。
そうでなければ、何故にリベラル派を左翼と断定してしまうのか。あるいは、安倍批判そのものが日本人に非ずといった誤解がなされてしまうのか
この異常なほど熱心な安倍神教が戦争賛美をしても若い人には何の得もないことは、第二次大戦時に残った記録や史書、公文書からも明らかであるのに、却って国防のために戦争されるべきだと公言するのである。
それがなされれば、その足枷ともいうべき日米安保理は全く必要がないことになるばかりか、アジアの威信を取り戻すという名の下に行われた殺戮行為を正当化する大日本帝国時代を彷彿させるばかりではないか。
今となっては、中国も韓国も同情するに値しないが、少なくとも戦争できる国というのは、何も隣国に戦争を仕掛けることを危惧しただけでなく、先日韓国軍に武器を流すなど軍需産業を第一とした闇商人たる危うい将来を悲観しての表現である。
オレは政治的な意見や姿勢を明確に表明する代わりに、今後はノンポリであると明示することにした。
もうさ、右も左もどっちでもいいって。結局生き抜いていかないといけないわけで。イデオロギーで飯は食えなくね?
美容院でやってみろよ。隣のやつがこの夏流行るおしゃれボウズ100選とか読んでる空間で原発は今後どうあるべきかなんて言えるわけない。
放射能もさ、もうしょうがないでしょ。東北地方の人アンラッキーだったね。でも補助金やら雇用やら他の地域よりたくさんあげるから何とかやってよ。
東京の人もいつ直下型地震が来るかわからないから、来たらそれは受け入れて何とか復興するしかないって腹くくるからさ。
特定秘密保護とかもさ、法律で書いてある範囲でしか判断つかないでしょ今は。どんなに議論したって為政者次第だろうなと思う。解釈なんてどうにでもなるよ。
未来の子どもたちのため!言論の自由を!なんてほんとに考えてるの?自分のイデオロギーの充足のためじゃん。
日本のどんな極端な意見でもまったり薄味にする力をなめちゃいかんよ。35歳より下の不況しか知らない奴はほどほどのバランスとるようになってるから大丈夫だよ。
改憲とか本気でするつもり?軍隊持つの?自衛隊でいいでしょ。矛盾があるけどまあいいじゃん。外国からどっちかにせーよ!って言われてんの?
自衛隊が海外でそこまでしてやる必要なくね?てか自衛隊への志願者減るだけじゃね?オレの子供には自衛隊は偉いけどメリット少ないよとしか言えないぜ。
国を愛するとか、自分で決めた法律が必要とか、なんか変に熱くて濃くてやなんだよ。別に今のをちょこちょこ変えれればいいんだと思うよ。
韓国とか中国とか好きじゃないけど、どうしようもないでしょ。うわーないわーって内心思って距離置けばいいじゃん。
Facebookもさ、みんなで子供の成長写真とか同窓会の写真アップしてる横で、デモへの参加とか政府の横暴を許すなとか呼びかけられても引くだけだって。そういう場所じゃないよ。自分の良い面を抽出して表現し合う場所で、なんで意見言わないとイカンのか?デメリットしかない。超浮くわ。
ネット上で自由にイデオロギーの意見交換ができるような時代がくればいいですねって言ってる人、そんな場所、こういう匿名でしかありえないよ。
実際に知ってる奴がネットで熱く意見を述べてるのを見るだけでかなりゾッとする。今言う必要なくね?それ言うことで半分は味方になるかもしれないけど半分は敵になるんだよって思う。なんでわざわざそんなことするの?自分の意見を述べることってそこまで優先順位が高いことなの?
まああれだ。オレの言いたいのは、なるようにしかならないし現状でうまく適応するしかないんだから政治的な意見なんて意味ないぜってことだよ。
少しでもまともな「読書」をすれば、あなたの意見こそが100年前から使い回された古くさい批判だと気付くことができると思うよ。
それこそ、とても「自分の頭で考えた」意見には見えないけれど?
それに、もし「自分の頭で考えた」結果がその程度だとすると、あなたが批判する人たちは益々「自分の頭で考えたら、こんな低レベルな思考に陥るのが限界なのか…やはり本を読まなければ」と思ってしまうよ。正直、逆効果じゃないかな。
もしあなたが本当に「書物から得られる知識では現実の問題は解決できない」という主張に説得力をもたせたいのなら、あなた自身が「書物から得たのではない、人からの受け売りではない知識」を基に、現実の諸問題をばっさばっさと解決してみたらいいと思うよ。
ちなみに、東大生と意見交換をして初歩的な話しか出てこないのは、たぶんあなたが「そういう初歩的で基本的な教養すらない人間」と思われてるからだよ。つまり、東大生は一所懸命「あなたのレベルに合わせようとして、難しい話を避けている」だけってわけ。東大生って優しいね。それにしても「破戒」を薦められるとは……ぶっちゃけ中学生くらいの知能に見積もられてるよね。東大生の基準で。そういう人間に東大批判されても、まあ苦笑して「そうですねえ」くらいしか言うことないよ? 彼らとしては。
原発問題にしろ、在日特権の話題にしろ、東大生と意見交換をすると、島崎藤村の「破戒」の購読を勧められる等自身の意見をあまり口に出さない。
差別意識ないし選民思想を持ってはならないという考えが東大生の中に蔓延っているようだ。
相手に対して偏見を持ってはならないとしながらも他方では、その思想信条がどこかの本書からの請け売りであることを理解していない。
〇〇が言っているのだから、君も見習うべきだ!
それこそプロパガンダではないのか。
自分の意見を持たずに相手の請け売りをして、さも自身の考えであるかのように言葉を並べ立ててしまう。
東大生というのは、如何なる事情も本書が全て正しいと言わんばかりである。
例えば、島根県教委の一件で明るみとなった、はだしのゲンは政治プロパガンダが色濃く反映されているといった論であるが、
それは当然である。
被災を経験したために目の前で起こった事が何よりも真実であるとする作者の心情(思想)が本作に溢れているのである。
一方、反米思想や日帝批判を繰り返し煽動していった事もプロパガンダであるのは間違いない。
にも拘らず東大生という生き物は、作者の意見のみを反映し、あたかもはだしのゲンは被災によって悲しい想いをした、悲劇を繰り返さないためにも読まれるべきと転嫁したのである。
どうも自虐史観による戦後教育から、日本人は謙虚に生きなければならないとか近隣のアジア諸国に謝罪と賠償をしなければならない、それは本に書かれているからだという単純な理由から、そのような思想に傾倒しているように見えてならない。
いずれにしても、東大に通う奴はその思想が本の請け売りでしかない。
つまり実体を伴わない形式的な思想、プロパガンダを真に受けてそれ以外は全部虚構であるといった考えしか持ち合わせていない。
東京大学に通うと、例えば東日本震災時の地震は大した事がないとしたり津浪が起るはずがないとしたり、本に書かれていない事が実際に発生すると、謝罪より先に責任転嫁を率先して行う。しかしながら、それもこれも政府が悪い事にして、自らすべき事を政府責任として責任放棄をするのである。
偏見を持たない。
しかしそれは、本の請け売りであり自身の意見を持たない、没個性化した証明である。
未だに原発は安全であると、あるいは逆に原発は危険で廃炉すべきだとする誇大妄想をしてしまうのはそこにある。
すなわち東大に通うような奴は、(他人の政治的思想に汚染された)自身の意見が絶対的正論であり、それは本書に記されているという前提のもとに発せられたものである。
彼らは本をたくさん読むが、しかしながら、その本質を理解できていないのである。本はあくまで知恵を蓄積するためのツールである。
にも拘らずそれが理解できないのだ。
アホなの?死ぬの?
●意見交換のため府庁に来た女子高校生を相手に思いっきり論破。女子高校生を泣かす。
「大阪の財政を良くするというのは私たちが苦しむことなんですか? ちゃんと税金取ってるんだったら教育、医療、福祉に使うべきです」
橋下市長「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」(2008年10月23日)
「こんな猥雑な街、いやらしい街はない。ここにカジノを持ってきてどんどんバクチ打ちを集めたらいい。風俗街やホテル街、全部引き受ける」(2009年10月29日)
「日本はギャンブルを遠ざけておぼっちゃま、お嬢ちゃまの国になっている。小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、勝負師にならないと世界には勝てない」(2010年10月28日)
「普天間の司令官に「もっと風俗業を活用して欲しい」って言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍では禁止だ」と。そんな建前みたいなこというからおかしくなる」(2013年5月13日)
●ツイッターで
「なぜストリップに助成金はダメなのか。自称インテリや役所は文楽やクラシックだけを最上のものとする。これは価値観の違いだけ。ストリップも芸術ですよ」(2012年8月12日)
●市立桜宮高校の男子生徒が体罰を受け自殺した問題を協議する教育委員会臨時会議で
「クラブで勝つより大事なことがある。桜宮高校の入試を継続すれば大阪の恥だ」(13年1月21日)
●保護者に「もうあんまり、やってないの?」「僕と会えなかったら寂しい?」10代少女に「もうやったん?」などと言った公募校長に対し
誤解しないで欲しいのは、君の考え方に興味があるからディベートしたいだけで、悪気はないんだ。まず、その前提で意見交換させてくれ。
ビジネスニーズは既に高まっているんだよ。グローバル化が叫ばれて何年立つと思う?英語関連の商材も豊富だ。にも関わらず、日本人は英語ができない。もうこれは認めざる負えないよ。
これはね、日本人に出すと40万かかる仕事が、英語代行に1案件8万、中国制作会社に12万、合計20万で済むんじゃないかとか、そういう話を俺はしてる。
俺もそういう話をしているよ。でだ、英語代行の人は1案件8万だと食えないよね?独身者でも最低3案件は毎月確保しなきゃいけない。それでも24万だわな。
さて。英語が話せて中国の制作会社と連携できるコミュ力のある人が、果たしてその金額で満足できるだろうか?「もっと仕事取ればいいじゃん」って思うだろうけど、時間は有限だ。1人でカバーできる要領にも限りがある。
毎月、定期的に仕事を取りつつ、クライアントと打ち合わせして、制作会社へのフォローもしなきゃいけない。君はフリーランスとのことだけど、クライアントを月3件かかえつつ、外注に細かく要点を伝えてサイトを完成させる。おまけに経理も自分でやらないといけない。これって日本でやってても大変だと思わない?
あと、中国でもインドでも外注に出したとして、彼らが作ったものを全くチェックもせずにクライアントに納品することは有り得ない。少なくともテストはするよね?特に中国なんかはいい加減だから、確認しないとあとで困るよね。と言うことは、確認する時間も必要なわけだ。
さて。君は英語がペラペラで中国人と交渉できるコミュ力があって、Web制作の知識もあるとする。この仕事を月24万~32万(経費抜き)でやりたいと思う?
本を読んだり映画を観賞したりした後、日記がわりにちょっとした感想や批評を書きたくなることってあると思う。そしてときには、それを公開して作品について他の人と話し合ったりしたくなることもあると思う。
でも自分のブログ等でそれをする場合、自分がどんな本や映画を見るのかといった情報が読者に知られることとなってしまう。そんなの気にしないという人ももちろんいるだろうが、それは嫌だという人もそれなりにいるだろう。またそうしたやり方をする場合、どうしても自分が発信者で他の人は情報の受け手という関係になりやすく、対等な立場で忌憚のない意見交換をするということは難しいんじゃないかとも思う。
こうした難点を考えるとき、増田は誰が書いたかわからず、またトラバによって気軽に対等な意見交換をすることも可能であり、感想・批評の投下にきわめて適した場所ではないかと思うのだけど、そういうのはほとんど見ない。なぜ?何か理由があるのだろうか。
そこそこ見るけど
ディベートやディスカッション……議論が破綻してて形になってないのやすれ違ってるものもある
なのにも基本的なルールややり方のレクチャーについて声高に語る人はいないなあって印象(もしかしたらあるのかもしれないが。。。)
無論ネットならではの難しさも考えなければならないけど
まずは技術的な面を話し合えればもっといいものになるんじゃないかというのもあってもったいないなあと思う次第です
逆に話題をどう混ぜ返すか、どう荒らせばいいか、どう踏みつぶせばいいのかというのもわかるわけで
そういうのもわかれば前進する議論もあったのになー
そういう自分も労力とリターンとリスクを考えたら踏み出せないつまんない人間なんですがw
だれかエラい人やってくれませんかね(丸投げ)