はてなキーワード: 意見交換とは
どーも、デレステやってる志希Pです
前回も書いてる途中で投稿してしまった…しかも本文ゼロ!これはもう荒らし同様ではないか!?
後で消し方調べとこ…皆様すいません。そんな理由でその2は消すかも。
まあいいや。あと書いてなかったのは…
4つもあるね! 恥ずかしいね! ああ恥ずかしい! ミスの分だけ恥が増えるぞ!
ええい嘆いていても始まらん、続きカクゾー!
これね、志希っていうより、志希を評価するPへの言葉なんだけど。
まず、「頭が良い人」になる条件。知識や経験を活用できる人。出来ないのが俗に言う”馬鹿”で、繰り返せば出来るのが”凡人”、ほぼ失敗しないのが”賢者”ね?
※私なりの解釈。因みに賢者は「歴史に」学べるからね。故きを温ねて新しきを知るとか私にゃ無理だよ
で、志希の事だよ。
私もね、機械とか建築とかの専門知識は少しなら分かるし知識がある人から見たら言葉一つで違和感たっぷり、見るたびにイラついてもしょうがないと思う。
でも、そこじゃあないんだ、私が見て欲しいのは。
トワレ前ならともかく、今の志希は相手を理解する能力が格段に上がってる。ストーリーコミュ33話とか、ね
アドラー心理学とか読むレベルの人なら、「他とは違う」事に気づいたと思う。
そして、誤解しないで欲しい。「頭が良い」≧「勉強が出来る」という事を!
勉強は答えがあるし、知識はそれそのものが答え。つまり、誰でも辿りつける。頭が良いなら辿り着くスピードも速い。
でも、無い答えには辿りつけない。私の様な凡人は、生きている間に「地球が丸い」「太陽を中心に回る」そんな事には気づかない。
それに気づき、探究することが出来る。星の位置の変化から法則を見つけだす。それこそ「賢者」。
「賢者」が勉強が出来るのは当然。(知識が無きゃ出来ない事だし)でも、勉強出来るなら「賢者」?
勉強だけでいっぱいな人は、「天才」なんて呼ばれない。他と”比較して”「賢い」そう言われる事はあるけどね。
書き殴ってしまった…まあ、この辺りで。
これは、最初に書いた文章の内容とつながるかな?多分、早く終わるよ。
志希に対して、こんな評価が飛んでいた。
「コイツどう見てもサヴァン症候群だから」「コイツはADHDだろ」
サヴァン症候群は、能力が一つだけ高くて代わりにコミュ障とか…だったっけ?
ADHDは、確か多動性症候群かな。一つの事に長時間集中できなかったり、何時でも貧乏ゆすりしたり。
志希は他と衝突することもあるし、切り取ればまあコミュ障じみて見える部分も無くはない。(他のコミュみりゃ理解できるから見て)
ちょっと見れば分かるよ、志希は「出来ない」じゃなくて「嫌だからしない」娘だから。必要とあらば我慢できるぞー!
というかどちらかだったら、「あしたま」とか33話のコミュに説明がまるでつかん! アレは凡人もそうそう出来ん!
まあ、コミュ見て欲しいかな。イメージ回復するよ。きっと。多分。メイビー。
志希は、「子供にもなれる大人」なので。とってもカッコいいぞー。
ハイ、次行こう
〇ここまでを踏まえて、一ノ瀬志希の×人間関係〇二次創作について
よし、辿り着いた。
ここでは、主に二次創作について触れるよ。しきフレとかしきあすとかの作品。
何回か言ったけど、志希は「秘密のトワレ」以降かなり精神性が上がってる。
二次創作好きな人もこれで混乱したと思う。自分の傑作が、時間経って公式と比べるとまるで違う物に見えたハズだし。
※私は「秘密のトワレ」以降にss書こうとしたけど過去の発言との乖離に混乱して挫折しました。
でもまあ、それもいいでしょ。
私はトワレ以降の志希が好きだけど、その前も確かに志希。
人の気持ちが分からず他者を傷つけたのも、人の気持ちを理解し優しく振る舞えるのも志希。
どっちでも魅力はあるし、好きな方を採用しよう!そしてもっと志希書いて!
今回の文章ね、私見だらけだと思う。
出来る限り資料探して書いたけど、足りない部分は私の想像で埋めてるし。(1割無いよね?無いと良いなぁ…大体は資料に基づいて書いたから許して)
「抜けてる」指摘ならいい方で、人によっちゃ「気に入らん」もあるし。
でも、私はここまで自由に書いた。コメントする人も、自由に書いて欲しい。
そして賛成だろうと反対だろうと、コメントで出た意見の「封殺」はやめて欲しい。
ただの「意見交換」ならいいけど。相手を尊重するんだよ? ソンチョー。
相手に「ふざけんな!」ではなく、「お前はそうなの? 私はこうだよ! …貴様とは相成れんな!」
この辺が限界ラインかな?まあ皆、あまりケンカ腰にならないでくれると嬉しい。
ここでコメントする人は、多かれ少なかれ志希に関心がある人でしょ?
志希なら、ただのマウンティングとか見たら「…楽しいの?」とか言ってどっかに行っちゃうだろうし…だよね?(妄想中)
トワレ以降の志希は精神年齢で確実に私を追い抜けるポテンシャルあるし…
私は、志希から最低限失望されないようには気をつけてるよ…貴方はどう?
担当アイドルだしなぁ…私は気をつけた方が良いと思うけどなぁ…
終わり
見てくれた人ありがとう
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
創価二世の子供とその親達で集まって子供版の創価新聞を読まされる。
そして皆で記事を読んでどう思ったか意見交換。将来の夢を語り合い、池田大作先生が作詞作曲を手がけた子供向けのテーマソングを歌う。
あんま覚えてないけど、エンジン~全開とっびっだそーうー♪みたいなフレーズだけ頭に残ってる。最後は勤行(お教の読みあげ)で締める。
各地域にある創価学会の文化会館で行われる座談会?にも参加させられた。月一くらいで開催されてて、100人以上いたんじゃないかな。
池田大作先生の説法っていうのかな、ありがたいVTRが放映された後に全員で勤行をあげる。
100人以上の勤行は圧巻だよ。
勤行のクライマックスになると、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経…って延々繰り返す所があるんだけど、
あの大合唱は圧巻だよ。
そんじょそこらのコンサートや映画なんかよりいろんな意味で大迫力だよ。
中1の頃の年越し前の座談会に連れていかれた時は青年部の人たちがいて、
大学生くらいの美人なおねーさんやかっこいいお兄さんたちが私たちの前に出てベートーヴェンの第九を歌ってくれたんだよ。
最初はにこやかに歌ってるんだけど、途中から感極まって泣いてんの。
泣き笑いながら青春ドラマみたいに皆で肩を叩き会いつつ第九を歌ってんの。
その後は恒例の勤行で締めて、紅白餅もらって帰ったよ。
どうでもいいけど勤行の最後の南無妙法蓮華経の繰り返し読み上げって回数決まってなくて、その場の盛り上がりと、勤行のリーダー役みたいな人のさじ加減で決まるんだよな。
盛り上がってる時は10分くらい南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経繰り返すんだぜ。
逆に時間が無い時なんかは数回繰り返して終わり。なんか面白いよね。
日本人は議論ができないとかいう記事自体何度も見たことがあるし
別にネット限定ではないとは思うが特に日本人のネットでの意見交換は
自分の意見を相手にぶつける形式の物が主流になっている気がする
自分が今やっているのも自分の意見をぶんなげているだけだからあれだけど
対立意見を見つけては細かい部分を抜き出してマウンティングをしたり
自分の意見の補強を見つけてはそれを印籠のようにかざしてふんぞり返ったり
これがすべてとは言わないがこういうのがどうにも多くないか?
やり方次第でキャッチボールになるものをドッジボールに変えちゃうのは
ちょっともったいなくないだろうか
まぁ見てる分には面白いのは確かだけど
妻は何事も自分よりソツ無くこなせて、いつでも自分を助けてくれるので本当に幸せなのだが、羨ましいのと同時に一緒にいて少し苦しい。
子供をゆっくり育てたい、というお互いの希望で妊娠準備中の今も妻は家にいるし、これから2年程度は休職してもらう予定だ。
妻は家具や家電の説明書を読まなくても手際よく組み立てられるし、外食で食べた料理をレシピも調べずに再現したり、直感的に物事を把握する力がとても強い。
同棲中から洗濯物を干す時間や掃除や料理の時間が自分の半分くらいなのに、仕上がりはいつも向こうの方が上。家での動きを見ていても動線に無駄がない。テレビを見ていたり、人の話をしている時に、「〇〇なんじゃないかなぁ」とさらっと言った事が事実だったり、予測した展開が実際に起きたりする事が多い。
側にいて分かるけど、わからない事があればすぐに検索したり、把握、実行をしていて、その習慣からいままでの膨大なデータの蓄積があって、知らない事や分からない事に関しても見当のつけ方が異常に洗練されてるんだと思う。
年末調整の保険控除やふるさと納税の申請など、事務的な書類を揃えて申請したり、家計の見通しをエクセルで管理したり計算したりしている。詳細は教えてくれないけど投資信託や株の保有もしているらしく、年次報告の手紙が届く。
旅行や何か購入したりする時は妻が先に調べ物をした上で、選択肢を複数用意してくれて、ちゃんと意見交換ができるように自分を軽視しないような段取りまで考えてくれている。
懸念や不安の相談を自分にもしてくれるんだけど、「こうした方が良いのは分かってる」といって妻の中で解決策は用意されていて、「なんとかするよ、大丈夫」が口癖だ。
なんでもワンテンポ遅れてしまう自分の事をいつも「かわいい」と言って愛情表現も沢山してくれるのだが、
動物にむけた愛情のように感じてしまい、なんとなく同等の人間として扱われていない感覚がして辛い。
一緒に誰かと話していてもいつも気に入られるのは妻。分からない事があっても質問の仕方がうまかったり、素直な感情表現をするので店頭の係員から自分の両親、共通の友人に至るまで妻の事が大好き。
正直自分には過ぎた存在だと思ってしまうし、時々劣等感で泣きそうになってしまう。
確実に向こうの方が何をさせても上だとわかっているのに、それにぶら下がって甘えられるだけの度量のない自分、そして辛さを感じてしまう自分が嫌で嫌で仕方がない。
向こうが働きに出た方が稼ぎが良いんじゃないか、いっそ専業主夫になってしまうかなと思ってしまうけれど育児に関しても彼女の方が上手くできるだろうし、自分がどうしたら良いのかも分からないし、この辛さを理解してくれる人もいなくて辛い。
嫁探し?年齢的に、好きアピールは相手がそういうアピールをしてきてからの方がいい。
初対面から始まって「次ないな」or「お付き合いしてみようかな(お付き合いしたいではない)」まで行くのに会うところからスタート。年齢的に交際歴無しなら男からアピールはじめるとほぼ間違いなく相手がひく。「見た目だけで好きアピールしてるな」と思われてよほどスペックないと会ってくれなくなる可能性大。
②「好き」アピールから始めない。人としての信頼関係構築から。
③自分が話すときは1回30秒ぐらいまで。相手がその話題に意見や質問してこなかったら、その話はそれ以上続けない。相槌はカウントしない。(話題を変える)
⑤質問する。褒める。
詳細。
①寝癖、ボサボサは生活がだらしないと思われる。顔は肌が脂ぎってるとか口の端から泡出ないように。服はボロじゃなければ。靴は汚れて無ければ。あと口臭。口臭。
②最初から好きアピールしたら、見た目が良いから好きorヤリたいだけ感アピールになってしまう。2,3回会って、会話して、人としてお互い信頼が出来てきたら「恋人としてもお付き合いを"考えたい"」と伝えてからアピール始めた方がいい。この時、「お付き合いしたい」だと相手にとって重すぎて会ってくれなくなる可能性あるから、「お付き合いしたい」と言うのはもっと後でいい。(お付き合い「したい」を先に言うと次から会ってくれなくなることが多かった。会ってから半年後に言って一年後結婚したのが今の嫁)
③自分ばかり喋ってしまうと、女性はたいてい気を使ってその場は聞いてくれるけど、次会ってくれなくなる。
「あ、この子僕の話聞いてくれるタイプだ」とか勘違いしてしまいがちだけど、相槌や「すごいですね」だけだと赤信号。
なので話題30秒話して質問やお互いの意見交換にならなくなったら、話題を変える。
④ ③の逆で、相手に話を聞いてもらえると嬉しいからそれの聞く側にまわるだけ。女の子って結構色々な情報持ってて最初は苦痛だったけど話題に興味持つようになったら結構雑談力が上がった。マジおすすめ。
⑤相手の話に質問で返す。知りたいことを聞いてみる。兄弟はいるの?とか趣味とか。
お付き合いしたい女の子の事を知る。見た目で好きになっても中身がアレだと苦労する。依存系は苦手だったから、姉御肌系できちんと問題解決のために思考できる人かを見極めるかを気にして質問してた。
がんばれますだー!
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
私は君の発言を見ていて何か非常に気の毒になったので、余計な忠告と知りながら、敢えて書き込みをさせていただく。
いきなり不躾な質問をさせて頂くが、君は大学を卒業しているだろうか?
無論、大学を出ているから良いなどと言うつもりはないし、大学を出ていなくとも何も恥じることはない。
ただ気がかりなのは、どうも君が中学卒業程度の知的水準、つまりそういった言葉遣いと論理的思考力しか持ち合わせていないように見える点だ。
まず如何に君が有能であれ、人を侮辱するような言葉遣いは控えた方が良い。
君が賢いと思う人物を想像してみると良い。その人物は、人のことを低脳などと呼ぶだろうか?
また仮に人のことを低脳などと呼んだ場合、その人物は賢く見えるだろうか?
少し考えれば解ることだ。人を低脳と呼ぶとき、君自身が低脳であると告白しているようなものだと自覚した方が良い。
また君は発言の自信の無さを誤魔化す為に語尾にwなどと付けているが、これも誉められたやり方ではない。
一度wを外し、冷静になって君自身の発言を見直して見給え。どれだけ愚かな発言をしていたか知る良い機会になるだろう。
次に、論理的思考力を語る上において、具体的な事例を以て物事を抽象化し、さらにそれを類推して別の事例と照らし合わせるというのは極めて一般的なプロセスである。
いくら立派に見える論理を積み上げたとて、それを形而下の事物に当てはめることができなければ、机上の空論に過ぎない為である。
もし君が論理的思考力を持ち合わせているのであれば、君の掲げる理屈に正当性が認められるか、具体的な例を出して考えてみると良い。
それができないというのなら、その理屈はその場限りの出任せ、謂わば屁理屈であり、とても論理と呼べるものでないと認めざるを得まい。
無論何かと比較する場合、何から何まで同じであっては意味を為さない。適切な例を持ち出すというのも知性が試される問題であるが、君が他人の例示に納得いかないのであればその理由を明確にし、相応しい例を提示することをお勧めする。
そうすれば君も議論に値する存在だと認められるだろうし、罵り合いではなく、建設的な意見交換というのが成り立つのではなかろうか。
そもそも君が建設的な意見交換を求めていないのなら、仕方が無い。私の意見は見当違いであったろうし、もし君を不愉快にさせたのなら謝罪したいと思う。
江川紹子「おいTwitter、菅野完を永久凍結した理由を明らかにしにゃいと『言論プラットフォーム』としての責務が果たせにゃいぞ!」
https://togetter.com/li/1152419
Twitter民『「死ね」といっちゃいけないのね。じゃぁ「○ね!」』
Twitter『「○ね」も駄目です。』
・・・・
理由を説明し始めると、それを回避するための隠語が正当化され、それを禁止すると別の隠語を呼び、そうするとより禁止理由は抽象化され、どんどん言論の場が狭くなるか、または場が荒涼としてしまう。
だから、絶対に「理由」を説明してはいけない。「規約」を示すだけで十分だ。
Twitter は私企業が成功させた「言論プラットフォーム」だとは思うけど、意見交換の場の運営者は「寡黙な独裁者」でいる方が、利用者は安心できる面は強いんだよね。
そんなんは前提なんだよばかやろう
ここまではネタだすまん
おまえは当たり前のこと言ってるだけだが意外に理解されてない感じがするな
すべての倫理的な正当性ってのは、なにかを盲目的に真としなければつくれなくて、
お前の言う通り「実在する人」「自分から観測できる人」などの環境、
これらをふまえつつパワーゲームを行った結果、
「差別はいいけど区別は必要」とか言ってるやつを見ると反吐がでる。
(いや、それはそうなんだけどよく考えもしないでフレーズだけ言ってるやつも多い)
そこに境界なんてもんはない。
あるグループにはそこに属する者の帰属意識や連帯感が必ず生じるし、
「こうするべき」みたいに大上段に言ってるやつは
学がないことを露呈していて恥ずかしい。
存在しないけど、存在するかもしれない身長1mmの人間とかに配慮しなくていい理由。
そこに明確なものはなくて、結局のところ、そのグループがどの程度の勢力か、
それぞれがどんな心象ももつか、
そんな曖昧なことで決定される。
実のところパワーゲームなので、
声をあげたほうが強くなる。
でもな、
増田(いや、よくしらんが)やオレのような、
変化をもたらせないないんだよ。
変えていくのは、盲目的に主張するアホ共だ。
(変革者の全員がそうだって話じゃなくて、変化の大部分はそういう人間によって
つくられている)
# まぁ結局、日本の教育自体が何か絶対的な正しさがあるような前提で
# つくられている(「こうすべき」を押し付ける)傾向が強いから
# ってところが大きいと思っているので、個の責任ではないんだろうけど。
主に土日。某学生街の喫茶店(チェーン店)に読書目的で入ると、結構な確率で、文学かなんかの研究会の一群に出くわす。面子はいつも一緒。教授っぽい爺さん一人+助教っぽいおじさん一人+研究生っぽい20代後半の輩が数人。どういう集まりなのか詳しく知らないけど、聞こえて来る話しからすると、研究生っぽい輩達はどうやら、小説を研究したり自分で書いたのをナンチャラ賞とかに応募してるっぽい。んで、どうやら週イチでオフ会っぽく集まって「意見交換」をしてるみたい。
まぁそれはいい。悪い事じゃないし好きにやればいい。って話しなのだけれども、この「意見交換会」が超絶うるさいのよ。マジで。特に若いヤツ等。声のボリューム調整機能が完全に壊れててうるさくて相当ヤバい感じ。自分の小説のプロットに異論が出たりすると店中にこだまする声量の超早口でテーブルばんばん叩きながら反論を展開したりして、ケンカ始めそうな勢いで完全にキ○ガイ状態になる。しかもそんな「議論」の在り方になんかウットリしているの。ひとしきり「議論」が終わると「本気でぶつかり合う俺等一般人と違って至高」みたいな事をのたまいあったりして、ホント聞いてらんない感じになるのよ。
一度、あんまりにも苛ついたので、そいつらのとこまで行って「明らかに迷惑なので静かにして下さい」って言った事もあるのだけど、数分しゅんとするも少ししたら、また大声で「議論」とやらを再開しやがる。睨むと数分黙るけどまた戻る。店員にも何度かたしなめられてるのだけれども、効果は全然無い感じ。これを毎週繰り返しにやって来るのよ。まぁ自分もその店行かなきゃ良いだけの話しなんだけど、近所にあって土日はそこそこ空いてて便利なので何となく来ちゃって、結果鉢合ってヤな気分になったりして。
んで、思うのだけれども、文学やるヤツ等って皆こんな感じなのか?
傍目には只の社会不適合者、というかキ○ガイ集団でしか無いのだけれども、どう考えてもこんなヤツ等の中から素晴らしい作品を書くヤツが出て来るとは思えないのよ。てか仮に純文学に没頭する人間の多くがこんなノリのヤツ等ばかりだとしたら文学って結構ヤバいんじゃない?とか思ったりしたのさ。まあうるさい店に行くのやめれば自分的には特に問題無いのだけれども。
https://anond.hatelabo.jp/20170709001129
ジャンプのカラーイラストで水着が脱げかけた美少女が恥じらってるイラストに対する「子供に悪影響だから規制してくれ」という意見とこれを同一視する人がいてちょっと考えた
ジャンプは(大きいお兄さんやお姉さんが読んでることは置いといて)「少年(あるいは男児)向け」にカテゴライズされる雑誌で
「この手の少年向け雑誌に「お色気」要素が入ってくるのは昔からあること。今更規制とか言うのはおかしい。規制する前に親が正しい性教育をして子供に指導するべき」っていう意見が多数あった
自分も昔ぬ~べ~を読んでいて、それを母親に見られて「こういうの(お色気描写)は女の人を馬鹿にしている」と言われたことがあって
それ以来そりゃ単なる欲望の対象として見られる女性側からしてみれば人格無視されてバカにされたと思う人もいるよねと思うようになった
で、親がそういう意見を子供に伝えておくと子供のお色気描写への見方も違ってくるだろうし、いろんな視点が見られるようになるのは教育として有効じゃないかな
そういう意見交換があって子供が納得した上でお色気描写の多い作品を読むのを控えさせるのならいいと思う(一方的に取り上げるのはまた問題だから)
でもこのCM、お酒のCMって時点で20歳以上の大人に向けられたものなんだよね
このCM、会話の端々から伝わってくる「雰囲気」とか女性の視線とか全部を総合的に解釈するっていうもので、
そういう意味ではジャンプの水着イラストみたいなわかりやすい「お色気描写」とはちょっとコンテクストとして複雑になってる
個人的に「大人向け」ならば別に女性に向けてもいいだろうに、わかりやすく男性に偏ったプロモーションにした挙句あろうことか「地方の女ちょろいすぐヤれるぜ」とまでやってしまった時点で完全に女性からの視線を無視してるのが不快
あと、成人男性の場合、「こういう描写は女性への蔑視を含んでおり、性的対象としか見なさず女性の人格を否定するものである」ってことを誰から教わればいいのかなっていうのも気になる
CM制作側が単に「不適切との意見をいただきましたので削除しました」と逃げるのではなく、今回のCMの何が問題で自分たちにどういう視点が欠けていたのかしっかり明言した上で対応しないと、このCMを問題と思わなかった人が学ぶ機会が失われちゃうんだよね
人それぞれって言葉が議論の場でいかに無駄か。ほんと辟易するわ。
議論や意見交換の場、誰かが自分の考えを公表する場所で「そんなの人それぞれだろ」とか「人それぞれだからなんとも」とか言うやつなんなんだ。当たり前だろ
人それぞれっていう至極当然のことを踏まえて、みんな自分の意見を発信してるんじゃないのか。
ブコメとか見てても「そんなの人それぞれだろ」みたいなコメントに毎回、「よくぞ言ってくれた」といわんばかりにスターがたくさんついてて、その度に、またか、って思ってしまう。
この言葉のせいでどれだけの機会損失があるか想像できますか、見えない人を思いやることができる想像力豊かなみなさん。
このエントリーで言いたいこと:
人それぞれなどの1種のコレクトネスに議論が収束することは多くの機会損失を生み出してしまっている。コレクトネスは悪ではないがもっとそこを踏まえて言葉を発する潮流になってほしい。
今日の問責決議案、趣旨説明に先立って、自民党が時間制限を動議、趣旨説明15分、討論10分とのこと。官邸も必死で恥も外聞もないというところですね。ちなみに、この討論の発言時間制限を、議長ではなく、議員の動議による採決を本会議で行うことを発明したのも安倍政権です。牛歩戦術は、基本的に何度も繰り返されることで、議長が時間制限を発議する、というやり方だったんですが、中谷元当時の防衛大臣の問責決議案で、本会議で事前に採決を行うようになりました。
さらにびっくりするニュースが流れましたが、参院与党で、中間報告で委員会をスキップして、本会議採決を民進党に打診したとのことです。中間報告とは国会法に定められた、委員長が法案の審議経過を中間報告して、委員会付託を終了し、本会議案件にするものです。質疑を打ち切られたと、言論封殺とか吼えてた維新は、ぜひぜひ、会期延長での十分な審議時間を確保しろとせっついてください。お願いします。ここまでなりふり構わないとすると、刑法も合わせてやって、延長なしにする気でしょうかね。中間報告をさせる、という判断を参院議長が飲んだなら、野党は参院議長の不信任決議案は出せるんじゃないかな。でもここまで必死だとすると、一部で話題になってた、金曜に禁足令出して、土日の本会議開催もやりかねないなと思ってしまいますね。ふつうにやっても成立できるのに、ここまで必死に議論をスキップする理由が、加計学園問題を突っ込まれたくないから国会を閉めたいっていうのが絶望的に悲しくなりますが。ダメージコントロールがダメすぎやしませんかね。この件の強行は加計に比べて取るに足らない問題だと思ってんですかね。とりあえず今日出すなら内閣不信任案を衆院で出さざるを得なくなるので、これが狙いだといえば狙いなんでしょうが。トップがバカだからウソが連鎖して、全組織がダメダメになっていくのなんなの、旧日本軍を見習ってんの?牟田口&河辺リスペクトなの?ほんとにこの内閣むごたらしい末路を迎えてほしい(願望)。
衆院の強行採決のような絵が出ないぶん中間報告のほうがましだと判断したのかもしれないですけど、これはっきりって、強行採決なんかよりよっぽど異例だからね。わかりにくいかもしれないけど、マスコミはこの手続きの異常さをちゃんと報道しろよ。多分共謀罪の成立に調査結果報告ぶつけてくると思うよ。この内閣はメディアインパクトだけ気にして行動してるから。
この話書こうと思ってたら、ジャーナリストの布施祐仁さんがツイートされていました。
国会には、ある文書をないと報告した上で、内部ではデータ削除を指示し、「文書を流出させたのらお前だろ」「これは官邸マターだかは協力しろ」と取り調べ・自白強要を行なった事例。
東京新聞:統幕長の日米会談記録漏えい 陸自3佐が国賠提訴:https://t.co/dlS5XHxz6d— 布施祐仁 (@yujinfuse) 2017年6月14日
この件ね。この話の概要をさかのぼると、平成27年5月の時点で、小池晃議員が、安保法制が通った場合の訓練内容や部隊編成を自衛隊が検討し、書類を作成したことを、共産党がリーク文書を基に批判した際に中谷元大臣や安倍総理がウソにウソを重ねた末、最終的には、文書の存在も認めて、事前検討は当然だ、といった前段があったわけですよ。中谷さんはこのような文書の作成を指示もしてないし、存在も知らないとかうそついてたし、安倍さんもスケジュールありきで法案成立を予定していることもないとかすっとぼけてたのも加計学園の問題と類似しているわけ。
仁比
「そこで、大臣に伺いたい。ここに言う武力の行使の範囲を検討するというのは、法案成立後に、大臣がこれまで述べてこられたように、省内において検討を深化させ、統幕が中心となって原案を策定して定めていくと、そういう意味ですか。」
中谷元君
「これは、法案が閣議決定をした翌日、私が防衛省の内幕の幹部に対して、これを分析をし、また研究をするようにと指示をしたことに基づくものでございます。御指摘の記述は、統合幕僚監部におきまして、防衛、警備等の計画や共同計画に関しまして、法案成立後に検討していくべき課題を整理をすべく分析、研究を行ったものであると承知をいたしております。この防衛、警備等に関する計画及び日米共同計画の内容、その詳細につきましては、緊急事態における我が国又は日米両国の対応に関わるものでありますので、事柄上、性質上お答えを差し控えさせていただきます。その上で、御指摘につきまして一般論として申し上げれば、我が国の平和と安全に係る法制が成立をした場合に、当該法制の内容について、必要に応じ防衛、警備等に関する計画や日米共同計画に反映をするよう図るということは、私は当然のことだと考えております
ここで、まず防衛省の計画作成が、大臣の指示だったといってるわけ。当初は大臣は知らぬ存ぜぬ、そんな文書は確認できない、だったところも一緒。認めたあとは、「大臣の指示で作ったんです」っていう話にしたてあげてるのも、山本幸三が何もかも自分で決めたって言ってるのと似てる。
(略)
仁比
「略)河野統合幕僚長は、昨年の十二月十七日、十八日に訪米をされました。米統合参謀本部議長や陸海空、海兵隊の幹部あるいは国防省幹部と会談をし、日米同盟の深化などについて意見交換をされたと思いますが、これ、どなたたちと会われたんでしょうか。」
中谷
「河野統幕長は、昨年十月に就任をいたしました。昨年十二月に訪米をいたしまして、米国防省及び米軍幹部と会談、この情勢等について対談をいたしました。会った人については、ワーク国防副長官、デンプシー統合参謀本部議長、オディエルノ陸軍参謀総長、グリナート海軍作戦部長、スペンサー空軍副参謀長、ダンフォード海兵隊司令官、スウィフト海軍作戦部統幕部長と会談を実施をいたしておりますが、このときにつきましては、ガイドラインの見直しの作業とかそのときの進捗状況など、様々なテーマについて意見交換を行いましたが、新ガイドラインや平和安全法制の内容を先取りするような会談を行ったという事実はなく、資料で公表する内容を限定したという御指摘は当たらないものでございます。
仁比
「今大臣がおっしゃった今後の進め方という日程表で、統幕文書で八月法案成立とされていることが、聞かれもしないのに大臣がおっしゃるほど国会無視だと大問題になってきたわけです。私の手元に、独自に入手をいたしましたこの統幕長訪米時の会談の結果概要を報告する防衛計画部の文書がございます。河野統幕長は、十二月十七日、オディエルノ米陸軍参謀総長との会談でこう言っています。オディエルノ参謀長から、現在、ガイドラインや安保法制について取り組んでいると思うが予定どおりに進んでいるか、何か問題はあるかと聞かれて、統幕長は、与党の勝利により来年夏までには終了するものと考えていると述べているんですね。これは何ですか。政府はあれこれ弁明してきたけれども、大臣が分析、研究などを指示したという閣議決定の翌日から遡って、実に昨年十二月、夏までにと述べているではありませんか。大臣はどんな報告を受けているんですか。
中谷
「その御指摘の資料につきましては、私、確認をできておりませんので、この時点での言及は控えさせていただきます」。
仁比
「そんな報告も受けずに、先ほど聞かれもしないのに、先取りしてやっているようなことはないなんて、そんな答弁したんですか。それ、虚偽でしょう。」
(略)
仁比
「十二月の総選挙の投票日の僅か二、三日後の訪米です。法案の具体的検討も、あるいは与党協議もなされていないはずのそんな時点に、来年夏までにと決まっていたんですか、それとも統幕長は勝手にそんな認識を米軍に示したんですか。どっちですか、大臣。」
中谷
「今御質問いただきましたけれども、御質問をいただいている資料がいかなるものかは承知をしておりません。その点も含めまして、コメントすることはできないということでございます。」
仁比
「大臣、確認しますけれども、この統幕長訪米時のおけるって間違っていますけれども、統幕長訪米時のおける会談の結果概要についてという件名の提出年月日二十六年十二月二十四日付けの報告書、これ、存在するでしょう。」
中谷
「突然の御質問でございまして、御指示、御提示いただいている資料がいかなるものか承知しておりません。防衛省で作成したものか否かも含めましてコメントをすることはできないということでございます。」
仁比
「この内容について私は数々の疑問がある。けれども、そんな御答弁では質問できないじゃないですか。委員長、これ、事実を確認させていただいて、この文書の存在について確認をしてもらいたいと思います。」
「今の、私への何ですか。何を確認するんですか。」
仁比
「改めて申し上げます。この私が今申し上げている統幕長の訪米に関する報告書、これの存在を確認をしていただきたい、今確認をしていただきたい。」
どうです、そっくりじゃありませんかね。
「社民党の福島みずほです。河野克俊統合幕僚長の米軍幹部への発言は、立法府の否定です。憲法と国民に対するクーデターです。大臣、罷免すべきではないですか。」
「この件につきましては、資料の確認がございまして、その存在の有無を調査いたしましたが、当該資料と同一のものの存在が確認できなかったということでございます。」
「ただし、夏までに法案を成立させるという部分は言っているんでしょう。
中谷
同じ題名のものは存在したが、一字一句同じものは存在しなかったと言っているわけです。7日に公式に委員長に報告されたことになっています。11日には安倍総理も文書は存在しなかったと予算委員会で答弁しています。そんでもって裏では犯人探しをしてるわけ。この件は国会答弁では防衛機密ではないとされているわけですが、なぜか中央警務隊が出張って、家宅捜索までやってる。
仁比議員の質疑の翌日から、当該文書は、省秘に指定され、個人PCに持っているものに対して削除するように指示が出されたようです。
朝日記事
文書は15年9月、共産党の参院議員が、河野克俊統合幕僚長が14年に訪米した際の米軍幹部との会談議事録だとして提示。新型輸送機オスプレイについて、河野氏が「不安全性をあおるのは一部の活動家だけだ」と語ったなどと記されていた。安倍晋三首相はその後「示された資料と同一のものの存在は確認できなかった」と答弁した。
訴状によると、防衛省は大貫さんが文書を流出させたとして、休息を取らせずに約3時間、ポリグラフ検査を行い、約5時間にわたって自白を強要したと原告側は主張。機密に関わる部署から、行事準備の資料作成などを行う部署に異動させられたとしている。
「隠蔽(いんぺい)を図ろうということだと思った」。大貫さんは会見で、存在する文書をあわてて抹消するような指示を受けた時のことを振り返った。原告弁護団の弁護士も「南スーダンPKOの日報問題と同じ構図だ」と、自衛隊の隠蔽体質を批判した。
河野統幕長と米軍首脳の会談文書が国会で暴露されたのは、安保法案の審議が大詰めを迎えていた時期だけに、野党や世論の大きな反発を呼んだ。
訴状によれば、それまで誰もが見られた文書は、河野統幕長が文書の存否を「調査中」と語ったその日に秘密指定になり、二日後には削除が命じられた。文書は存在しないことになったはずだったが、厳しい追及はそれから始まった。おまえが流出させた犯人なのは間違いない-。警務隊は身に覚えのない罪を突きつけてきた。
仕事の面でも、情報本部内でそれまで所属していた高度な情報を扱う部署から、行事資料を作成する閑職へ異動させられた。警務隊からは「共産党関係の資料を出せ」「これは官邸マターだから協力しろ」といった言葉も浴びせられたという。
捜査の結果は今も伝えられていない。「事実上、犯人扱いされて、島流し的な異動もさせられた。国会では『文書はない』としながら、『流出させたのはおまえだろ』と言われ、腹立たしい」と大貫さんは憤りを隠さない。
この件は国賠裁判ですから、賠償請求のほうは勝算が低いでしょうから、事実認定のほうが大事です。ポリグラフ検査やるんだったら、中谷元、安倍晋三がされるべきだとおもいますよ。
桜井充議員は、すでに退職された人が、公益通報者保護制度で、個人攻撃から守られないのはおかしい、法改正が必要だっていってましたけど、それも大事だと思うけど、政府があからさまなウソを国会でついてるときに、内部情報を漏らした公務員を保護する必要性についてもっと当然に議論されるべきだと思いますけども。私の見解では、政府のあからさまなウソを告発することはたとえ法令違反が無かったとしても、労働者権利保護の一般法理で守られるんだと思いたいですが、前近代っぷりを遺憾なく発揮してる現政権下では、そういう当たり前のことが期待できそうに無いのが怖いですよ。
留年するやつはカスだと思う。そして留年するやつの中には一定数人生が充実しすぎて勉強なんて全くしないから留年するやつがいる。人生が充実なんて綺麗に表現してるだけで遊び呆けてるだけだが…
知り合いにも似たようなのが1人いた。
勉強なんて年寄りになってからでもいくらでもできる。知識なんて後から蓄えればいい。20代にしかできないことを今やる。そんなことを抜かしながらそいつはいつも意見交換会だの企業が主催する大学生向けのイベントだのばかり参加していた。いわゆる意識高い系といえる。なのに留年してるからギャップがすごい。
俺にすれば20代にできること(笑)って感じで大学では勉強しつつ、ほどほどに遊んで長期休暇には旅行してそれでいいと思ってた。
ある日の授業中そいつは隣で必死に自分達で主催する意見交換のポスターをPCで作成していた。再履修の授業でそんなことしてるのは本当の馬鹿だと思った。それ以外は何も思わなかった。
数日後、自習をするために図書館を訪れた俺は掲示板にそいつが作成したポスターが貼られてるのを見つけた。それは誰もが聴いたことのあるような企業や公共機関の作成したポスターに囲まれ、それでいてそれらに見劣りすることなく本人の名前と共に輝いていた。