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はてなキーワード: マイナスイメージとは

2019-07-19

KKOとべらぼうな金持ち

https://anond.hatelabo.jp/20190718170026

この増田トラバを読んでもブコメを読んでも、KKOますます殴られていると思ってしまう。

それで、自分と比べてしまい不幸な気持ちになって、本当の幸せ定義に躍起になってくる。

「それぞれの幸せ」を認められたくてたまらなくなってしまう。

から、「それぞれの幸せ」を認めるために、周りの人々に強者に対するマイナスイメージを植え付けたいという強迫観念に駆られる。

典型的KKO思考であろう。

でも、ふと思った。

強者マイナスイメージを植え付けることは「それぞれの幸せ」を否定することであると。

逆に強者リスペクトしたとしても、弱者を卑しめることには繋がらないのではないだろうかと。

それどころか、強者へのリスペクトという気持ちが、強者のみならず社会全体による弱者へのリスペクトを呼び起こすのではないだろうかと思った。

KKOによるべらぼうな金持ちへのリスペクトが、KKOへのリスペクトを生むということだ。

トラバブコメリスペクトを見たとき自分気持ちを眺めてみてそう思った。

しかし、1つ懸念がある。

世の中には搾取的な商売が星の数ほどある。

依存症から金を巻き上げたり、法の穴を掻い潜って人から大金を騙し取ったり、枚挙にいとまがない。

べらぼうに稼ぐためには搾取に手を染めなければならないかもしれないという不安に駆られてしまう。

もし搾取に手を染めているのなら、当然リスペクト対象からは離れてしまうのだ。

KKOとして生きていると、金持ち世界を知らないためにこのような漠然とした不安を拭い去れない。

そして、自分活動ベクトル高収入へと向けることに不安感を感じてしまうのだ。

KKOの中には少なからずこういった感覚を持つ者もいるのではないかと思う。

したがってKKOとしては、願わくば搾取のない世の中を実現したい。

社会貢献度と収入が限りなく綺麗な相関を描くようになってほしい。

そうすれば、べらぼうな金持ちを屈託のない気持ちリスペクトできるだろう。

ひいてはKKOへの十分なリスペクトも得られる社会になるだろう。

2019-07-07

かっこいい女の人が出てくる漫画

かっこいいお兄さんやおじさんやおばあさんが出てくる漫画はたくさんあるけどおばさんが出てくる漫画ってなんか自分の中で偏りがある。

だいたいヒスとか汚いとか若作りとかマイナスイメージで出てくることが多いイメージ

30代40代以降のおばさまが出てきて目標にしたくなるくらいカッコいいのなんかない?

今ぱっと思いつくのだとよしながふみ大奥かいいよね。ほかになんかないか

2019-06-04

ネットワークビジネスに救われてみてよ

友人がネットワークビジネスを始めたらしい。


儲けられないのは分かってるよ、仕事も続けるし

損はしない仕組みだから始めてみたんだ

皆で協力するから人脈作りにもなる

ネズミ講と違って合法だし、クーリングオフもできる

株?初期投資負担が大きいし、大損することもあるでしょ

しつこい勧誘もされなかったし、話しやすい子だったんだ

こういうビジネス抵抗のない友人を勧誘するつもり、当然無理強いはしないよ


友人はざくざくと砂利を蹴りながら、普段通りすらすらと質問に答えてくれた。インターネットどっぷりの自分とは違ってSNSもあまりやらない友人はそもそもネットワークビジネス存在を知らなかった。だからネットワークビジネスに対する世間マイナスイメージも知らなかったし、"なにも知らないくせに批判する人々"に対する嫌悪感を露わにしていた。

話の通じない無知人間に苛立つ友人を前に、最後曖昧に頷くことしかできなかった。

お節介しかないけれど、友人が加入したネットワークビジネスについてしっかり調べてまた話してみたいと思う。ハマらないですぐに辞められるなら別に良いと思うけど。

なにか良い方法はないのかしら

2019-05-31

anond:20190531023610

そうですよね…なんかつい最近、非常用ボタンは(電車を大きく止めるからダイヤ乱れるレベルで的な)押すものじゃないというようなSNSのまとめを読んだ記憶があって、フッとよぎっちゃいました。すみません、思い出してググったけどうまく見つからなかった。

それ読んだ時に「じゃあどうすればいいのか」まで突っ込んで調べておけばよかったんですけど、そんなものか…とマイナスイメージだけ残って、まさか遭遇するとは思わず、というところでした。偽善だとしても、大したことなかったとしても、その時できそうなことをする、できないなら口も手も出さない、なんですねきっと。私の行動に賛同してくれてありがとうございました。

2019-05-29

登戸の良い所

悲惨事件で一躍有名になった登戸。このままマイナスイメージばっかになるのも残念なので良いところを紹介したい

新宿に出やす

小田急マジ早い。多摩急行だって乗れる。千代田線も使えるので都心に出るにはマジ便利

家賃が安い

川の向こうが東京都狛江市)なので、比較して価格は安い。ぶっちゃけ和泉多摩川狛江喜多見に住んでまで東京都の冠は欲しくない。マジで不便よ、あの3駅

多摩川すぐ近所

もう目と鼻の先。ジョギング自転車趣味の人なら住まない理由がない。毎日走れる環境

ヘラブナ釣りが出来る

何故かある

美味しい店が多い

今回の事件現場から駅に向かったところにある神洲之華。

他にもピザのヒッコリーファーム洋食五線紙、量のラーメンハウス胡散臭い平安郷

意外とグルメな街だ

藤子・F・不二雄ミュージアムに行きやす

そんなに行かないけど

ゴミ収集がアバウト

結構なんでも燃やしてくれる

公正を期すために悪いところも

道狭い

車で走りにくい。駅前とか行きたくない

多摩川沿いのラブホ

車でも行きにくいけど、行く人いるのか?

スーパーはあるけど、総合スーパーが無い

食料品は買えるけど、日用品向ヶ丘遊園ダイエー頼み

しょぼい駅前ロータリー

ほんとしょぼい。駅直結のデカビルでも建てば良いのに

川崎立川は意外と遠い

南武線は基本ポンコツ。意外と遠いし、案外行かない。南武線で行くのは溝の口稲田堤

映画観に行くのが大変

基本は新百合ヶ丘レイトショーだと終電ダッシュ。歩けない距離ではないが、意外と距離ある

川崎立川は前述の通り。新宿が安牌だが、来月から一斉値上げ。世知辛い

銭湯無い

登戸の隣駅にはあるのに登戸には無い。(正確には中野島のは「あった」)

単身世帯いか銭湯あっても良いと思うが、残念

行政関係の不便

全部隣駅の向ヶ丘遊園にあるので、便利そうで不便。微妙な駅間。だから歩く。

免許の更新地獄

警察署なら良いが、二俣川だと地獄埼玉よりはマシだろうが、いい加減もう1個くらい作れ。向ヶ丘遊園跡地くらいに

進まない再開発

駅前ロータリーと被るが、本来デカイ道が南武線に沿って小田急側にも走るはずなのだが、頓挫している

小田急が高架化したら駅前全部ぶっ潰して道路通して欲しい

夜は寂しい

ロータリー多摩川沿いにある音楽スタジオバンドマンや近隣の大学生でうるさいが、それ以外は21時以降は至って静か。孤独を感じる

多摩川側は車は走るが人は居ない。本当に寂しい

どうしてだろう?良い所より悪い所がよく出るわ

なんにせよ、便利なターミナル駅なので一人暮らしにはオススメです。ギリ同棲か新婚まで。子育て川崎市・神奈川県ではするな

2019-05-14

アパシーシリーズを追うのをやめた話

(この日記は、アパシーシリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。

全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います申し訳ございません。)

1:概要

タイトルアパシーシリーズ」とは、1995年に発売されたSFCゲーム学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。

経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。

単純に考えて24もの間、この「学校であった怖い話」という作品応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。


尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。

その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシーシリーズ制作が開始される。

同人ゲーム小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。

また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSゲーム学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシーシリーズには該当しない。


2:自分について

ここまで「学校であった怖い話」「アパシーシリーズ」は長い間応援されてきたゲームシリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。

学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。

最初SFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。

後々になって「アパシーシリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシーシリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。

少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。


この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシーシリーズはもう更新されないだろうと思っていた。

それだけに、2014年小学館から小説学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。

更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。

知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。


上に「少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。

現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品であるアパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。

理由としては、極が発売される前のタイミングジャンルを離れたからだ。



3:CFについて、及びそれに関係して起きた問題

2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。

このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである


https://camp-fire.jp/projects/view/140712


支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。


このクラウドファウンディング、またその前後Twitter製作者のブログに対し、既存ファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシーシリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。

具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。


ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事作成された。

現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。

またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプラン支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザー発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。

そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。


二次創作ライン個人的見解

http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01


読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。

学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。

多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルファンは何を考えているんだ」といった内容である

そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事作成者も含まれている。

補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話ファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。

どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆ど学校であった怖い話を好きなファン達だ。

……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体ファンを指す。


この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。

プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。

しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。

そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル代表批判と取られかねない文章となる。

今回はあくまで私が「アパシーシリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記理由により詳細は省かせていただく。

またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。


なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。

匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。

二次創作がやりたくてゲームプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。

何故追うのをやめたかというと、「ブログ最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である


4:追うのをやめた理由

今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。

飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、

もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログ拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくま憶測に過ぎない。


ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通ファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。

自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシーシリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。

そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。

勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。

しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。

上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。

純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。

……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。

あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから


重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって自分のことを嫌いな人に自分創作物を弄られたくはない。

そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。

そうして私は学校であった怖い話アパシーシリーズから離れることにした。

しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去ゲームプレイする気も起きないだろう。


未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。

気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。


最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。

私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なから存在する。

あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人強要するものではない。

たとえ同じ状況であっても、二次創作を続けるか、ファンで居続けるかを決めるのは各個人で考えるべきことであり、

またそういった人に対して対処をするかしないかも作者が決める事であると考えている。

2019-05-11

40歳過ぎの転職活動ってさ

なんでそんなにマイナスイメージ強いの?

たとえば営業から事務職に変えたい時とか。

エージェントに言われたこ

20代のこれから若い方を企業はほしがっている

・同業種(営業職)での転職なら多少年収落ちてもあります

・離職して2か月経つんですか???早くしないと年齢的にも云々

失業手当で職業訓練???そんな事をしている間に年齢的にも云々

体力がきつくなってきたか営業から足洗いたいのに同じ営業で探さないと年齢的に厳しいだと。

年齢年齢年齢年齢。

20代の子たちよりも起点も要領も効くはずだが?生産性と年齢どっちが大事なの?

40代が扱いづらいから?年上の新人からこちとらそこ織り込み済みなんだが。へこへこいきますよ。

2019-04-30

中途採用にもインターンが欲しい

入ってからクソだった時のダメージが大き過ぎる。

試用期間に辞めてもマイナスイメージしか付かないし。

2019-04-24

anond:20190424142044

航空自衛隊宅間守のせいでKKOアスペマイナスイメージがついた

大昔の事件なのにいまだにKKO女児を襲うとか被害妄想されるのは彼の事件が原因

予備陸士長交番拳銃武装警察官を襲ったり 低能先生hagexを殺したり 

新幹線では185cmのリア充を殺したアスペもいるけどいまだに舐められる

強者男が何人しんだらKKOアスペ差別のない世界が来るんだ

2019-04-22

anond:20190422002528

流動するのが前提の社会からエリートでも転職マイナスイメージはない

から気軽に条件のいいところに切り替えるだけ

終身雇用廃止すればゾンビ企業は数年内につぶれる

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-04-14

anond:20190413114026

女子学生の置かれている現実

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生浪人生差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生合格率に対する男子学生合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやす大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。
ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

↑ 「統計的有意でない」というのは「差がない(=平等)」という意味ではありません。

統計大事です、それをもとに考察が成り立つのですから
↑こっちのセリフだわ

意味不明

女子学生男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

↑「医学部とそれ以外の学部女子の入りにくさに差があるというのには、何らかの原因があるのではないか」ということ。「背景にもっと大きな差別問題はある」からこそこの祝辞東大入学式にふさわしい。

事実、各種のデータが、
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

↑「女子男子より優れている」とは言っていない。「女子合格率が男子のそれより低いのは、女子男子より劣っているから」ではないと言っている。

女子受験生偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値正規分布に男女差はありませんから
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

↑ここは僕も意味がよくわからなかった。

男子学生以上に優秀な女子学生東大受験していることになります
↑まあ偏差値が高い順に受験していたらそうだよね。

↑そうですね。

第3に、4年制大学進学率そのもの性別によるギャップがあります2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

↑確かにから調査結果を引用してほしかった。

↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑ここは僕も意味がよくわからなかった。
↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ<<
↑確かに
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子から」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

↑「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」はつまり「翼を折られなければ羽ばたけたはずだった」ということ。

その一例としてマララさんとその父親教育方針を挙げた。

そうやって
↑どうやって?
東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン合同コンパ)で東大男子学生はもてます
↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

↑突然も何も、祝辞最初から女子学生男子学生一般化して取り扱ってきたでしょう。
性差別批判する文脈では当然です。

とは言え「東大男子学生がもてる」という言い方も差別的だというのはそうだと思います。「イカ東」みたいな言葉もありましたし。

東大女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生東大であることに誇りが持てるのに、
↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。
↑突然女子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?
なぜなら、男性価値と成績のよさは一致しているのに、
↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?
女性価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。
↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?
女子子どもときからかわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大であることを隠そうとするのです。
↑突然女子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?
東大工学部大学院の男子学生5人が、私大女子学生集団性的凌辱した事件がありました。加害者男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件モデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマ学内シンポジウムが開かれました。「彼女頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大男子学生社会からどんな目で見られているかがわかります
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということなレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。<<

東大男子学生は「他大の女は頭が悪い」と思っていそうってことでしょう。ここの部分で何を言いたいのかは僕もよくわかりませんでした。

東大には今でも東大女子実質的に入れず、他大学女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。
男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

↑実情を知らないようですが、そんなことはありません。東大女子が入れないようにしているのは東大男子です。

わたし学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等理念に反すると警告を発しました。

これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています社会に出れば、もっとからさまな性差別が横行しています東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。

学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教女性比率は18.2、准教授11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

↑なぜ?差別とはすなわち時代性でしょう。

↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

東大オフィシャルな場で東大批判をするのがいいんでしょう。「東大合格おめでとう!東大万歳」なんて祝辞気持ち悪すぎます

女性学のパイオニアとして

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?
↑これ普通に気になるな

↑確かに

日本の歴史に同性愛はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦研究でも、少女マンガ研究でもセクシュアリティ研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

↑第1人者を自称しているんですから、そうなんじゃないですか?

そして私を突き動かしてきたのは、あくことな好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。

学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

変化と多様性に拓かれた大学

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒教授安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重障害者である教授福島智さんもいらっしゃいます

あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境あなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会あなたたちを待っています

↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

私立医学部入試不正なんて差別の一例に過ぎないってことでしょう。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

↑「がんばっただけでは報われなかった。まわりの人や環境感謝しましょう」ということでしょう。こういう趣旨祝辞わりとよく聞きませんか?

あと毒親から逃げてきた人もいるかもしれませんが、ごく少数でしょう。この祝辞最初から最後まで「大多数の」東大生に言及しています

あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
↑これはまあそういう意見もあるよね。

↑そうですね。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます
↑だからなんだよ。ここから得られる教訓って何?

↑そういう人たちを助けてやれってことだよ!

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれ環境と恵まれ能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

↑そんなことは言ってないでしょう。ここでは「恵まれない人々を助けるための学問をやれ」ということではなく、どんな(分野に進もうとも)周りにいる恵まれない人々のことを慮る人間になれということです。たとえブラックホールニュートリノ研究しようとも。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者強者になりたいという思想ではありません。フェミニズム弱者弱者のままで尊重されることを求める思想です。
↑「環境能力に恵まれ東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズム弱者弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

東大生には弱者もいるし恵まれ人間もいるということでしょう。またある面では恵まれていても、別のある面では弱者ということでしょう。

↑まずこの Permalink | 記事への反応(1) | 15:59

2019-04-13

現役東大生だが上野千鶴子祝辞ゴミだと思う

女子学生の置かれている現実

その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生浪人生差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生合格率に対する男子学生合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやす大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。

ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

統計大事です、それをもとに考察が成り立つのですから

↑こっちのセリフだわ

女子学生男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部学科は他に見当たらず、理工系文系女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。

↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

事実、各種のデータが、

↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

女子受験生偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値正規分布に男女差はありませんから

↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

男子学生以上に優秀な女子学生東大受験していることになります

↑まあ偏差値が高い順に受験していたらそうだよね。

第3に、4年制大学進学率そのもの性別によるギャップがあります2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。

↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子から」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。

↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

そうやって

↑どうやって?

東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン合同コンパ)で東大男子学生はもてます

↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


東大女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生東大であることに誇りが持てるのに、

↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。

↑突然女子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

なぜなら、男性価値と成績のよさは一致しているのに、

↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

女性価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。

↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

女子子どもときからかわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大であることを隠そうとするのです。

↑突然女子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?

東大工学部大学院の男子学生5人が、私大女子学生集団性的凌辱した事件がありました。加害者男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件モデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマ学内シンポジウムが開かれました。「彼女頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大男子学生社会からどんな目で見られているかがわかります

↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということなレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

東大には今でも東大女子実質的に入れず、他大学女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。

男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

わたし学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等理念に反すると警告を発しました。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています社会に出れば、もっとからさまな性差別が横行しています東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教女性比率は18.2、准教授11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。

↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

女性学のパイオニアとして

こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?

↑これ普通に気になるな

日本の歴史に同性愛はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦研究でも、少女マンガ研究でもセクシュアリティ研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。

↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

そして私を突き動かしてきたのは、あくことな好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。

変化と多様性に拓かれた大学

言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、国立大学初の在日韓国人教授姜尚中さんもいましたし、国立大学初の高卒教授安藤忠雄さんもいました。また盲ろうあ三重障害者である教授福島智さんもいらっしゃいます
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境あなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会あなたたちを待っています

↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

↑これはまあそういう意見もあるよね。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます

↑だからなんだよ。ここから得られる教訓って何?

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれ環境と恵まれ能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。

↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者強者になりたいという思想ではありません。フェミニズム弱者弱者のままで尊重されることを求める思想です。

↑「環境能力に恵まれ東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズム弱者弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

東京大学で学ぶ価値

あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムシステムあいだ、異文化が摩擦するところに生まれからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学国際交流国内地域課題解決に関わる活動サポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけますあなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたし確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。

最後はいいよね。

総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

2019-04-05

anond:20190405235227

裁判所ネトウヨグルから無理だろ

それよりも元号を堂々と無視するとか

マイナスイメージつけて使われないほうに誘導したほうがいいんじゃないのかね

2019-03-26

次の元号に「安」の文字絶対に入らない三つの理由

新しい元号の選定と発表まで間もなくとなりました。

ネットテレビでは「安の文字が入るのでは?」という意見もわりと見かけるのですが、結構「入れられない」大きい理由があって「安」の文字はまず入りそうもないという事を今回書いてみたいと思います

 

 

一つ目の理由でかつ「安」の文字が入りそうにない一番大きな理由として、「直後の統一地方選挙への影響があまりにも大きすぎる」というのがあります

 

 

本当に意図的な物ではなくたまたま「安」の文字が入った場合でも、世間一般の人は「やっぱり安倍首相自分名前の中の一文字元号に入れたんだろうなぁ」と疑ってしまう人はかなり多く出てきてしまます

元々安倍首相好意のある人ならともかく、安倍首相が嫌いな人はそう考えるでしょうし、好きと嫌いがコロコロと変わってしまう層(これが一番多い層だと思います)は、元号に安の文字が入った場合、「最終的に複数案の中から元号選択したのは安倍首相本人だから、やはり自分名前の中の文字元号に入れたかったんだろうなぁ」と考えてしまうのは、ものすごく普通の事だと思います

良くも悪くも、元号の中に安倍首相本人の名前の中の文字「安」「倍」「晋」「三」が一つでも入ってると、かなり多くの人がそう考えてしまうと。

 

 

それだけですんだらいいのですが、元号発表後まもなく各地で統一地方選挙投票が行われます

この時自民党対立候補者達はどのような行動に出るでしょうか?

当然ですが、選挙演説ではこの元号の事で「安倍首相は森友加計問題の時のように、元号までもまた私物化している」と言い出すのはもう誰でも想像がついてしまますよね。

そして「そのような人物首相をやって、好き放題させてしまっている自民党あなたは支持できますか?」とも。

 

 

森友加計問題の時は、「政治私物化だ」という事で、一時的であれ支持率が大きく下落しました。しか結構長い期間支持率は下落したままでした。

元号の中に安倍首相名前の中の文字が入ってると、自民党対立候補者達はいっせいに「また私物化しているぞ」と言い出すのはもう目に見えていますし、「そういう人物に好き放題させている自民党応援できますか?」とやられると、有権者の中にはそれで流される人も結構多く出てきてしまい、統一地方選挙自民党候補者たちにとっては大きな逆風が吹いてしまう事になります

 

 

実際に統一地方選挙における有権者投票先もそれで大きく変わってしまます

元々安倍首相好意的で、「安が入ったのもたまたまだろう?」と考えている人ならともかく、そうではないかなり多い層は、「やはり元号私物化しちゃったのかな?」と考えてしまい、統一地方選挙では投票先の選定にもかなり影響が出てきてしまます

選挙は「その時のイメージ」で投票先を選んでしまう人がわりと多く、この数多い浮動票が一気に自民対立候補者に流れる事になり、自民党候補者達にとっては死活問題になりかねません。

 

 

この事を自民党上層部が予想していないはずはなく、その点でも「森友加計問題の時のように私物化だと騒ぐ人間が出てきて、直後の統一地方選挙自民党候補者達の大きな不利になりかねないので、元号安倍首相名前は入れさせない」と、自民党幹部から安倍首相にくどいくらい繰り返し念を押しているはずです。

 

 

そもそも安倍首相本人も、森友加計騒動の時の「私物化だ」と長い間国会マスコミ突き上げられて、支持率長期間大きく落ち込んだのには、もう本当に心底うんざりしているはずです。

「ああいうのはもう二度とご免だ」と。

わざわざ元号自分名前の中の文字を一文字でも入れて、それで野党や反安倍人間にまた「私物化だ」と長い期間やられ続けるのを安倍首相選択するかというと……。

よほどのマゾか、極度の馬鹿でない限りまず考えられないですよね。

 

 

元号に「安」の文字は入らない理由その二としては、「反安倍どころか、親安倍日本の伝統を重んじる(怖い)保守層絶対に黙っていない」「保守層の支持を大きく失う事になりかねない」というのがあります

自民党を長年支持してきたかなり純度の高い保守層(中には怖い方もいる)は、「安倍首相を持ち上げたい」のではなく、「日本の伝統を守ったり、改憲を実現できそうな人物をとりあえずサポートしたい」という感じで安倍首相一時的に支持しているにすぎません。

 

ところが、その首相元号私物化たかのように自分名前の中の文字を入れたらどうなるでしょうか?

日本の伝統を重んじる方達こそ「許せない」と猛烈に怒り出すのはもう目に見えています

そういう『怖い』方達が、「首相元号私物化した」と思うと、「・・・・お前、一体何やっとんのや、こら・・・」と一気に気色ばむ事になりかねない。

それまでニコニコ安倍首相を支持してきた人達でも、急に態度を変え、「てめぇ何やっとんのや?」「ふざけとんのか、こら?」となり、それまでの支持を掌返したようにやめて、いろんな安倍首相に不利な情報を流し出して、別の自民党議員への首相のすげ替えをやり出しかねない。

 

安倍首相自身それを理解してないはずがなく、「味方になったら頼もしいけど、敵にまわすと心底恐ろしい方達」の機嫌を損ねるような事をするかというと…。

 

 

 

最後理由として「安という文字は、良いイメージもあるが、一般の人にとっては悪いイメージもかなり強い」というのがあります

安という文字は「安心」「安全」「安らか」というイメージもある一方で、「安値」「安売り」「株安」など、悪いイメージがわりと強い。

「光」みたいにプラスイメージしかない文字ならともかく、マイナスイメージ結構多い「安」という文字は、実際に過去元号採用された事もあったものの、今の日本のあまり先が見えない状況では「マイナスイメージがある文字はできれば使いたくない」という事で元号には採用されにくいと思います

 

 

こんな感じで、三つの理由から「安」の文字は次の元号では採用されないと。

 

 

最後ちょっとネタばらししてしまますが、実は一つ目の話は私が考えたのではなく、去年年末自民党の後援者の方に聞いた話を元に書いています

何十年も自民党の後援者として頑張っておられたその方とは去年末お話する機会がありました。

ただの酒の席ではありましたが、やはり来年(今年)の改元統一地方選挙の話になり、その時に「元号安倍首相名前文字を入れると、それで自民を叩きだす人間が出てきて、直後の統一地方選挙で一気に自民党対立候補達に票が流れかねない。来年(今年)の地方選立候補者達側から自民党上層部には「くれぐれも元号では間違った対応をしないように」と念を押して押して押しまくっていると聞いている」と語っておられたのです。

 

さすがに地方統一選挙の事をすっぱり忘れて元号安倍首相自分名前の中の文字を入れてしまい、それで直後の統一地方選挙自民党候補者落選続出となると、「自民党上層部は一体何を考えているんだ!!」と内部から激しい突き上げを食らい、安倍首相の党内での支持率が一気に落ち込む事になりかねないので、次の元号に「安」の文字が入る事はまず無いでしょう。

 

 

結局、元号がいざ発表されてみれば、「安の文字が入るとか騒いでたのは一体何だったの?」みたいな、そんな感じで終わってしまうと思います

 

 

最後に、個人的にわりと適当元号を予想すると、「光」や「輝」など、今の先の見えない日本を少しでも明るくしてくれるような「プラスイメージしかない文字」を一文字と、それが少しでも長く続くようにと、「永」「久」「長」のいずれかの組み合わせが次の元号になるんじゃないでしょうか。

 

 

2019-03-24

[] #71-2「市長市長であるために」

≪ 前

クマ存在市役所人間たちも知るところであったが、草の根から花が咲こうとしているのなら穏やかではいられない。

市長、近隣でフクマという人物が、演説をしているのはご存知ですね? 彼が、次の市長自分がなると宣言しました」

秘書市長に、フクマ立候補したことを伝えた。

「つまり選挙防衛戦』です」

「え? 何ですか、それ」

市長困惑した。

なにせ選挙戦というものを全く経験していないからだ。

学校委員会みたく「やりたいという人間がいるのだからそいつやらせよう」というノリで決まったのが今の市長なのである

他に市長をやりたがる者が誰一人いなかったため、これまで必然的になっていたに過ぎない。

「この町の掟らしいです。立候補者が出た以上、しっかり選挙戦をしなければなりません」

「それで……私は一体どうすればいいのでしょう?」

「……投票の期日までに、何かやれることをやりましょう」


こうして俺たちの町は、久々に市長選挙で決めることになったんだ。

前半戦は、フクマが大きく有利といえた。

現市長無能です。例えば『超絶平等』。社会における平等という概念拡大解釈し、無理やり人々の足並みを揃わせるという無意味政策でした』

「そうだ、そうだ!」

クマ演説は一貫しており、巧みだった。

今まで市長がやってきたヘマを挙げて、彼が如何に市のトップとして不適格かということを述べていくのである

やや悪意と脚色の混じる主張ではあったが大本事実なため、市長に対して不満のある人たちの心根をくすぐった。

対して、市長自身理念を語っていくが民衆から評価は芳しくなかった。

『人々が手を取り合い、差別のない社会を……』

「ざけんな! あんたの言ってる“差別のない社会”ってのは、普通に歩ける人間松葉杖をつかせることだろうが!」

演説の内容は彼が普段からやっていることの延長線上でしかなく、逆にフクマ市長批判裏付けものにすらなっていた。

更に市長には選挙戦のノウハウもなく、周りに適格なアドバイザー存在しないという状態

それはフクマも同様だったが、市長のこれまでのマイナスイメージが大きなハンディキャップとなっていたんだ。

市長側が選挙活動で何をすればいいか右往左往している間に、フクマはどんどんリードを奪っていった。

「むぅ、フクマという人物富裕層でもないのに何であそこまで活動資金があるんでしょう」

「どうやら支持者が彼に投げ銭しているようですね」

「そんな金あるなら、税金ちゃんと払ってくれればいいのに……」


そんな事態を一市民の俺はどう見ていたかというと、漫然と澄ました顔で見ていた。

明け透けに言うなら、政治のことがよく分からないのでどうでもよかったんだ。

この町の歴史の1ページに載るであろう出来事だとは思うんだが、選挙ってものイマイチ関心がもてない。

総体的に見て一人一人の一票や、それに対する意識大事というのを理屈の上では分かってるんだが、どうにもピンとこなかったんだ。

ちなみに投票権のない弟はというと、圧倒的にフクマ支持者だった。

だって市長の『親免許制度』のせいで、俺たち家族は数ヶ月間バラバラだったんだよ。市長投票なんて有り得ないね兄貴だってそうだろ?」

「まあ、それはそうなんだがな……」

クマの言うことには頷く部分も多いが、それが彼を支持する理由にはならない。

弟は政治理解度メロス並だったので、その分別ができないのだろう。

俺も似たようなものだったが、それでも単純な人間じゃない。

かに市長は嫌いだし、明確な理由もある。

だけどずっと感情的になっていても仕方がないだろう。

政治のことばかり考えていれば生きていけるわけじゃない。

市長が誰になったところで日々の勉強捗るわけでも、シーズン毎の休みが増えるわけでもない。

食べる飯の味は変わらないし、バイトは楽しくないままだ。

秤に乗せるまでもなく、俺の日常にそれを思考する余地はないといえる。

から俺はごく個人的かつ意識の低い理由で、投票する権利放棄するという権利行使するつもりだった。

次 ≫

2019-03-16

VTuber引退でまた騒動〜朝ノ姉妹ぷろじぇくと〜

朝ノ姉妹ぷろじぇくとの朝ノ光、今日引退放送予定だったのが、運営側とのトラブルが原因で中止となった。

まーたかよ。もうこの手のゴタゴタあきたんすけど。

なんか「新しいお屋敷任務就くことになった」とか言ってた割に最後最後でこの終わり方は大人じゃない。

運営側にしても、こんなことになったら明らかにマイナスイメージなのはこの業界で何度も前例あったのに何も学んでないんだなとあきれ返った。

申し訳ない、馬鹿しか言いようがない。

で、残された朝ノ瑠璃どーすんの?

設定とは言え妹この有様で今の運営の下でこのままのうのうとやれるん?

やれるとしたらそのプロ意識、一周まわって見直すわ。

朝ノ光、運営共々、またVTuber界隈に汚点残したな、その罪は深いぞ、震えて眠れ。

2019-03-12

anond:20190312163619

アニメ監督として有名になるには作品が売れるのと同時に何かしらマイナスイメージの大問題を起こさなきゃならんということか

2019-03-02

anond:20190302150917

色があるんだからそれぞれ意味をもたせたらいいんじゃない


黄色スタンダードな☆色だし「いいね」扱い

青色マイナスイメージな色だから「嫌い」とかそういう系

赤色:目立つし拡散希望

緑色:これを参考にしてはいけません


てな感じで


そもそもスターって何色あるんだ?


2019-02-27

ダブルという概念への疑問とプリキュア

ハーフという呼び名ネガティブからダブルにしよう、という働きがある

私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ

そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも

少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフ言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツベースとし残り半分の割合を指すものメディアで目にするものも含め一般的ものであるように思う

同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプル客観的で図式的な概念であり、本来単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い

だがハーフネガティブなのだ、という

ダブルへ繋げる論拠として

単語として「半分」という意味である

そこから人として半人前だ、という含意の存在

あるいは血統主義から一方の国、この場合日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す

またそこから上記の「半分」の意へ発展させたもの

というのがざっと目に入った大方の意見だった

正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う

先にクォーターハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ

ハーフは「半分」クォーターは「4分の1」

彼ら、彼女らの言うネガティブである単語からマイナスイメージで言うならクォーターハーフより印象は悪い

ハーフが半人前ならクォーター人間が四分の一しか出来ていない、となる

ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない

繰り返すが言語的な用法としてハーフクォーター現実として連なっている

ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない

クォーターに通じない論理ハーフ解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える

クォータークアドラプルとでも言うのだろうか

だがダブル法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合意味での用法ではなくなってしま

アメリカクアドラプル(4倍)」では意味が通らない

それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーター日本アメリカダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいしま

日本トリプルアメリカシングルとすべきなのだろうか

単純にハーフ上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない

だがなぜかそうではないのだ

単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフ否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない

そもそもこのハーフに対する話は日本和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた

ただ日本のように単語自体ルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい

またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味ネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った

ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった

そういえば以前テレビ番組ハーフネガティブからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフアメリカ出身女の子アメリカでも普通に使う、言葉自体ネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した

ダブルハーフ海外で通じる通じない、という日本ガラパゴス意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった

それでもダブルを通じさせるためには略さず言う必要がある

さないのであれば、また略さないそれがそのままダブル意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフ否定的になる理由はない

ならなぜダブルなのか

調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本ミックス表現として使っている人も既に少なからずいるようだった

特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った

そこからの輸入でのミックスという表現なのだと思う

言葉としてハーフクォーターと平行して組み合わせる事も可能汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体ルーツの意を含ませる事自体も、ハーフダブル比較すれば難しくはないらしい

言語的にも、日本ガラパゴス言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる

違う言語から見て、初めて聞くハーフというそ言葉ネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う

そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう

言葉における現状を知りようがない状態での誤解に罪はない

そして誤解とはいえネガティブな枠で自身定義される、それ自体への拒否感も理解できる

だがその場合ハーフという言葉言語として、用法としてのネガティブさは認められない

問題日本独自略語和製英語が生む対外的な混乱による認識差異、ただ1点だ

だがダブルという新たな和製英語を使おう、と言う

そしてハーフ言葉としてネガティブから、と言う

ミックスではなくダブルなのだ

単語として、ハーフ基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える

実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフマイナス面が語られ、ダブルポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的ものに留まりハーフ差別的であるネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ

ハーフマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う

そもそもダブルが持つとする言葉ポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフマイナス面を示す事でのあくま相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う

賛同している多くもハーフネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある

それにしてもダブル肯定するという事は当然過去遡って差別的ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしま

多くの賛同者はただただダブルポジティブ!とやっているのだ

そのポジティブさはハーフという言葉相対的犠牲理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と

かに現実としてハーフという言葉ナショナリズムから悪い意味をのせる人間はいるだろう

しかしそれは今の通例としての言葉概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれレイシズムにその他大勢人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実用法とはかけ離れるレイシスト意図をその文化圏象徴のように語るのはそれ自体差別的であるように思える

その上でネガティブな印象に受け取るのは個人選択であり、本来意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない

自身自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する

ハーフネガティブから、というのは結局はそういう事なのだ

それら全部分かっていてもハーフという言葉ネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする

だが、それはあくま自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う

「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的しかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る

そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない

その人間意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定理由にした小さな悪意であり、自尊心アイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない

そして何よりやはり言葉としてあまり出来がよくないと思う

その人が言葉に持たせた意図やその言葉意味でなく、ネガティブだと捉えた自身根拠ポジティブになるためにその相手非難めく

近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う

少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュア男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た

そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた

画像男の子大和撫子パリジャンのダブルから、という言い方をしていた

しかしたら設定として、その男の子日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない

そんな可能性を示す、そこには何の異議もない

実際そのダブル和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた

現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう

だが、これはアニメ

この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う

女の子が口にしたハーフルーツ意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語用法そのままの意味ダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較ハーフダブルの印象へと繋げる

これはそのままダブル賛同者の論理のように見える

先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂しかない

そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身ルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフ使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える

だが、そこで略語としてのハーフ否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ

もしこの男の子ハーフルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現である理解しているならどうだろう

その場合、その子ハーフと口にした女の子差別的な要素をも含むネガティブ言葉無自覚にでも使った人間である意識の低さを指摘し、また同時に相手意図より自分が思う言葉意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる

そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ

言葉としての意義に悪者であるハーフ否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ

これはあくまで仮の話ではある

だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実

そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ

それは啓発なんてものじゃなく単なる大人の我だ

本当にとても理不尽言葉だと思う

今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュア男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現本来ダブルという単語用法ひとつとして使う時が来るかもしれない

だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う

そこにあるネガティブさを肯定する事は私にはできない

2019-02-22

トロフィーワイフってなんでマイナスイメージなん?

女はトロフィーアクセサリー扱いされることは忌み嫌うくせに、外見レベルの向上(自動的トロフィーアクセサリーとしての価値も上がる)に余念がなく、その変化に気付かれないことに不平不満を述べるというのはいささか自分勝手であると感ぜざるを得ない。

表現のしかたや程度の差こそあれ、男は誰でも「トロフィー」「アクセサリー」を手にしたいものなのだよ。

手にした自分価値ある相手を、どこまでも誇りたいものなのだよ。

そんな男の本質を女は理解しなければならない。

「女をわかっていない」などと憤る女ほどな。

それは媚びることでもなんでもなく、上手に生き抜くための女の知恵であり知性である

そしてそのような知性的な女こそ、男どもが最も好むタイプなのだ

こんなにも価値のあるトロフィーワイフってすばらしいと思うのだが、どうも多くの人はマイナス意味で用いているようだ。

単にトロフィーを手にすることができた男が、トロフィーとしてまんまと社会的地位経済力に溢れた男をつかまえられた女が、妬ましくて創り出しただけなのではないかという気さえしてくる。

解せぬ。

野党批判をやめてみてはどうだろう

政治の話。

もともと安倍さん支持派だったんだけど、何故か統計問題官僚庇ったりとか見てると流石にどうかなと思ってるんです。

いや、任期延期した時点でどうなのよと思ったりもしてたので、違う党に票を入れたりしてたけど、一向に変わりそうにない。

それで、何がこんなに支持されているのか。なんで野党がこんなにも支持されないのか。

もちろん過去政策とか色々あるのだろうけど、自分も思うところはいっぱいあんですが、そういうのをひっくるめて考えてたら

野党批判するのを止めたら支持率上がるんじゃないだろうかと思うわけです。

なぜそうなるか。

世の中って政治に疎い人が多くて統計問題でもあれってマジでやばいのにやばいって思ってない人が多いと思うんです。

そんな中、批判を強めるのはもちろん必要だし多いにやってもらいたいのだけど、興味ない人間から見たらどうでもいいと思っちゃうんです。

人が罵ってる姿って同意を引けないと思うんですよ。

もちろん、自分理解できることで批判してたらその効果は大いにあると思うんですが、いかんせん理解できないこと

興味ないことで怒ってる人と怒られてる人がなんとなく怒ってる方にマイナスイメージを持つものだと思うんですよ。

それにここ数年、あんだけ批判して怒っても何にも結果がでてないじゃないですか

テレビなどのマスコミ批判してるところ放送した方が視聴率とか世間の注目を集められると思ってるみたいですけど

みんな、多分もう飽きて、またやってるって思うぐらいです。批判すればするほど逆効果。興味なくすだけ。

そんな同じ手法をずーっと続けても意味ないと思うんですよね。

そこで、押してだめなら引いてみろと。

まり、もう批判するの止めて対案なり、自分たちの考えついた政策バンバン言ったらどうなのかなと。

今の政府が何してもどうせ、数の差で通るなら、そんなもの無視して自分たちのより良い案を提示するんです。

マスコミ批判するんではなくて、こっちの法案良さげですよ~って放送するんです。というか、批判がなければそれを放送するしかないですよね。

そうすると、自分利益ありそうなことが宣伝されてたら興味持つと思いませんか?

よくわからない法案止めるより、いい法案提示するって方がわかりやすいと思いませんか?

悪法はその後に廃止したらいいと思うんです。

この考え甘いですかね。それとも野党に期待しすぎですかね。

2019-02-16

関係性を志向するファンダムのこれから 前

 本稿では、現在の「ファンオタク」が「関係性消費」を志向するようになってきているという事象を踏まえ、その内部の「男オタク」と「女オタク」のジェンダー格差や、関係性消費の今後について多角的視点から分析を試みる。なお、本稿においての「オタク」は、二次元三次元を問わずある作品概念グループなどを愛好すると自認している人々のことを指すポジティブ言葉として用いる。拡散多様化するオタク文化は2次元と3次元の壁を超え、全体像画一的に語るのはほぼ不可能なため、ジャンルジェンダーに関する詳細については各部で詳細を補完したい。

1【現代オタクデータベース消費から脱却する】

日常系が売れるのは「関係性」を読み取れるから

 「日常系」は広大なオタク市場の中でもかなりの割合を占める作品群だ。基本的には複数女性キャラ日常生活描写した4コマ漫画が多く、それを原作としたアニメ2010年代以降各クールに2~3本は放映されている。基本的ドラマティックで壮大な展開や激しい戦闘を行わない、いわば反「セカイ系カルチャーともいえるだろう。源流としては美水かがみらき☆すた」(2004)や、なもりゆるゆり」(2008)などが代表的ものとして挙げられるだろう。00年代初頭から現代まで増加傾向にある「日常系」は、現在も各メディアで売れ続けている。この背景には、やはり弛緩した日常風景の一瞬・ごく短いセリフや1コマのシーンの行間を読む関係性消費への志向への高まりが一因であると思われる。日常系の「物語性のなさ」は、逆に巨大な「行間」を生み出し、そこにオタクが各々関係性や物語想像して消費することができるからなのではないだろうか。

・「行間を読む」相関図消費の“複雑さ”への萌え

 関係性消費について、2,5次元舞台での「リアリティ担保に参加しつつ、舞台裏も消費するファン」や、「タカラジェンヌの四層構造」(東 2015:96-98)*1 で取り上げられた「各レイヤーを横断し、その要素を複雑に融合させながら関係性を消費するファン」は非常に興味深い。これに似た位相にあるコンテンツに、「バーチャルYouTuber」が存在する。「バーチャルYouTuber」とは、2D3D二次元アバター現実の肉体の動きとシンクロトラッキング)させ、そのキャラとしてゲーム実況雑談配信などを行う人々の事を指す。そもそもYouTuber」の動画には前提とされる物語世界観はなく、その動画単体でも楽しめることが前提とされており、多くのバーチャルYouTuberも同じく、上記の「日常系」にも通ずる他愛もない放送を行っている。しかしここにおいて重要なのは、「日常系」を「実在人物が演じる」ことがコンテンツとして確立し、今流行していることである難波優輝は「Vtuberの鑑賞の構成要素は、パーソン、ペルソナキャラクタという三つの身体に分けられる。そして、ペルソナキャラクタ画像がつねに重ね合わせられ、かつ、パーソン/キャラクタとペルソナの層がそのつど関係づけられながら、装われるペルソナが鑑賞者の鑑賞の対象になっている」(難波 18:121)*2 と論じ、これを「Vtuberの三層構造」と名付けている。

そしてバーチャルYouTuberは、電子の肉体によって軽々と他のバーチャルYouTuberとの関係性を構築する。コラボ放送などでみられる仲睦まじい様子を、鑑賞者は「Vtuberの三層構造」を横断し、「彼/彼女らのパーソンのレイヤーでの関係性」が見え隠れする片鱗をSNS動画において意識しながら鑑賞しているのである。また、バーチャルYouTuber側も当然「パーソンを消費される」ことに対する意識を持っているため、現実世界でパーソン同士が実際に会い、その時食べた飲食物画像投稿する、それに対して「パーソン・レイヤーにおいても継続される強い関係性」を読み取れるようになる、といった事象もあった。これはまさにタカラジェンヌの四層構造における「芸名存在」におけるパフォーマンスと相似であり、その表象が3DCGやVR機器の発達によりさらに「オタク」向けに変化(美少女美少年だけに限らず多様化)したものではないだろうか。「日常系」と「関係性消費」の拡張であり、またジェンダー次元の攪乱への大きな手掛かりとなるムーブメントだと考えられる。

まり、「実在人物が裏に存在するという事実に裏打ちされた生々しい日常系関係性」が、液晶内のキャラクタバター動画配信という形態の手軽さにより、オタク関係性消費への志向次元を超えてさらに加速していくと予想できる。

2【やおい文化百合文化から読み解くオタクジェンダー格差

関係性消費における性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)の無意味

 前章で関係性消費への志向さら高まると予想したが、本章ではオタクジェンダー格差について女性向けジャンル男性向けジャンルという分類の持つ意味合いやその内部の消費形態差異があるのだろうか。

もちろんHL(異性愛文化を扱う少女マンガ少年マンガにおいても恋愛友情ライバルなどの相関図は存在するが、メインとなるカップル男女の恋愛関係がメインに据えられることが多い。一方BLGL文化ではそれ以外の登場人物関係性をより深く読み込み二次創作に落とし込む、あるいは理想の相関図を一次創作で描き出す。今後どんどん規模を増していくであろう関係性消費においては、性別によるジャンル分け(女性向け/男性向け)は無意味になっていくのではないだろうか。しかしここではあえて、わざわざラベリングされている「腐女子」と「百合男子」という言葉意味合いについて掘り下げ、BLGL同性愛ファン文化それぞれの特徴から考察してみたい。

・「腐女子特有の親密さ

女性オタク人文学社会学研究に関しては、特に腐女子論」か「ジェンダー論」による先行研究が数多くある。その中でも数多く散見されるのは、「主体的女性性的欲望解放」といった視座からの言説であった。特に腐女子論」と「ジェンダー論」を組み合わせた言説では、「自らの女性身体が侵されない安全領域において、性的表象を消費するためにやおい文化は発達した」といったもの存在する。しかし、現在においてこれらの言説に私は違和感を感じる。勿論そういった側面も確かに存在する(した)と思うが、現在日本混沌としたオタクカルチャーの中で女性オタクの中から腐女子だけを切り取って上記のように論じるのは既にごく限られた一部の事例においてしか適用されない理論であるように思う。

 今あえて「腐女子」を論ずるならば、私は「腐女子同士の関係性」に目を向けたい。腐女子であることによる世間からマイナスイメージ払拭しようとしたり、イベントSNSでの趣味スラングの共有による特殊連帯が、このコミュニティでは無数に形成されている。やおいコミュニティ特殊性について東は、「やおいを好む女性たちは、一様に異性愛から疎外されているわけでも、異性愛を拒絶しているわけでも、異性愛を欲しているわけでもない。彼女たちはただ、異性愛排除したところで成り立つ、女同士のホモソーシャルな絆がもたらす快楽を求めているのである。」(東 2015:236)と述べている。さらに、腐女子は扱う創作物特性セクシャルマイノリティに対する理解が深く、またホモソーシャルな絆から発展し、腐女子同士が交際していることなどもよく小耳に挟む。シスターフッドレズビアン連続体、ホモソーシャル関係性を含んだ腐女子コミュニティは、作品上においても現実世界においても強い「関係性」を追い求めている集団なのではないだろうか。

・「百合男子」はなぜ流行らなかったのか

 では次に、GLを愛好する男性オタクについて考察してみたい。残念ながら、男性オタクの先行研究は数多くとも、その内容は美少女キャラクタへの欲望コミケでのゆるやかなホモソーシャル交流などになり、「百合男子」単体にスポットライトを当てたものは見つけられなかった。なぜなら、GLというコンテンツ受け手ジェンダーによって大きくそ意味合いが変化してしま場合があるからである。そして男性GL愛好者は、「美少女キャラクタへの性的な消費」という使い古された言説の中に含まれ見えなかった存在であり、その消費の仕方は齊藤によって「腐女子との比較でいえば、男性おたくの『萌え』にとっては、関係性のプライオリティはそれほど高くない」(齊藤 2009:154)*3 と評されていたのだ。よって、ネット上でGLを愛好するファンは「百合厨」「百合豚」などと呼称され、その性別限定されていない。これはGLというジャンル男性けが消費することに対することが上記齊藤の言説のような文脈を帯びてしまうことに対する対策と、実際にファンの男女比がほぼ半々であるため、両方の理由によるものと思われる。逆説的に考えれば、「腐女子」という呼称流行ったのはBLというジャンル女性が消費することを蔑視されることに対するアンチテーゼとして、BLファン当事者たちが自らをそう名乗ったことに起原するのではないかとも考えられる。

 また、百合コミュニティにおける異性愛忌避姿勢は、腐女子コミュニティのそれに比べてはるかに厳格なものに感じられる。先に述べた「男性による女性キャラクタの性的消費」とは違うことを宣言するために「百合男子/厨」を名乗った男性オタクたちは、腐女子のようにホモソーシャルな絆を構築することはなく、二次元三次元を問わずして異性愛的な欲望を抑圧されるようになった。この構造腐女子ジェンダー論に見られた主体的な性消費の解放とは真逆の道を辿っており、非常に面白い点だと思っている。

関係性消費によるジェンダー越境可能

 こうして述べてきたように、同性愛コンテンツファン構造は非常に複雑で特殊ルールの基に成立している。しかし、上記性的欲望を抑圧される百合男子に関しては、百合というジャンルの男女比がほぼ同じであることに大きく由来するだろう。つまり、「同性愛コンテンツを扱うにあたり、そのファン異性愛忌避しなければいけない」といった暗黙の了解のようなものオタクの中で存在しているということである。これに関しては、創作物消費者セクシャリティは隔絶して考えるべきであるという立場をとりたい。そして、特殊連帯プラスにもマイナスにもなり得るBLファン界隈と、ジェンダー問題に揺れるGLファン界隈は、第一章で述べたバーチャルYouTuber関係性消費をモデルとして再構築されつつあると考えている。バーチャルYouTuber関係性消費は、非常に複雑なジェンダー攪乱が日常的に行われている。パーソンがシス男性ペルソナシス女性キャラクタがシス女性キャラ同士の「絡み」は、GLともBLともタグ付けをすることが難しい議論になってくる。しかし、その関係性に惹かれるファンキャラクタとパーソンのジェンダーを軽々と越境し、その複雑な「関係性」を消費することができるようになるのである。これに似た現象アニメ漫画においても進んできており、創作物受け手ジェンダー必要以上にファンを語るうえで関係づけられることも少なくなっていくのではないだろうか。

【続きと参考文献リスト

https://anond.hatelabo.jp/20190216024058

2018-12-21

公式解釈違いってやつ

ヒプマイ見ててヒプマイ民の人らが公式について行けないなら離れろって言われている。つらいし可愛そうだ。

私も過去同じような、というか何らかのジャンルにはまったことのある人は誰だって経験があるんじゃないだろうか。

公式が出している情報が全て。それが正義だし正しいのはもちろんわかる。

公式にしてほしかったものをしてもらえなかったとか、自分要望通りにならなかったとか。

でもそれは解釈が違うのではなく、要望通りにならなかったというのが正しい。

だって公式矛盾や塗替えを簡単に行ってしまうことがあるから

とはいえ矛盾や塗替えだけが悪いってことはない。

創作においては面白さが一番優先されるべきもので、矛盾ひとつないけれどあまり面白くないものよりはそちらのほうがいい。

多少の矛盾や辻褄合わせ程度なら気になることはないだろう。

公式から※訂正があればきちんと納得するのが大勢ファンだ。

ただそれがなんの意味もない変更だったらどうだろう。例えばとあるキャラがいつも身につけているネクタイの色に理由があったとする。

ネクタイの色について非常にシリアス理由キャラの設定に深みを出す過去があったとする。(誰かを偲ぶための喪服とか忘れないための色とか)

まるごと好きになったファンからしたら、その理由過去こそキャラのものだと感じる。ドラえもんのび太はセットでいるように、この2つが合わさってそのキャラという存在があるのだ。

けれど公式からだしているもので、その設定がなかったものにされたらどうだろうか。

キャラの深い過去だったネクタイの色はなかったことにされる。

それまでずっとその設定のそのキャラだったものが変更される。スピンオフとかあまり公式からチェックが入ってないとか、そんなものだったらまだ救いだろう。でも作者とか編集とかその人達からこのキャラのその設定暗いしぱっとしないから無くしていこう。

そんな思惑があったのかわからないけど何もなかったようにその設定が無くなったら。

単なるネクタイの色でもその理由シリアスで、キャラの成り立ちやら性格過去やらそういうのを詰め込んだ設定がまるっとなかったことにされたら。

それでも公式正義から、と言えるだろうか。

ドラえもん相棒のび太だけど、それじゃぱっとしないか出来杉にしよう。女受け良さそうだし。

もしそんな風に公式から直々に変更されたら、大多数の日本国民は受け入れるだろうか?公式の出しているもの正義なんだから納得しようって。

そんなことになってしまったときファンにが出来ることといったらもう不満を吐くしかないわけで。離れるファンをやめるっているのはもう成りつつあるわけで。離れてファンを辞めながら怨嗟の声を上げているのが正しい。ドラえもん出来杉相棒にするなんて、それじゃのび太との今までの絆はなんだったの?のび太を捨ててユニットを組んだ二人をこれまでのようには応援できない。だってのび太が可愛そうだしドラえもんもそんな人じゃなかったでしょうに。出来杉だって本人が悪いわけでもなかったのにのび太の代役ってことでみんなから恨みを買うだろう。全員が不幸だ。

のび太ドラえもん相棒交換なんてこれまでの認知度や実績を考えるとまず成されることはない。

しかしこれがそこまで有名でもない、とある作品の人気キャラだったらどうだろう。

一部の漫画アニメを見ている人たちからしたら人気があるけれど普段から漫画アニメも見ない人たいは知らない。そんなキャラだ。

公式編集がこれまでのキャラ相棒や設定なんかを変更して新しい冒険をしよう、もしくはサービスのつもりで(ヒロイン交代とか)そういうことをやらかしとき、だけど公式なのでやらかしとは言えないのだ。

これまでの過去を愛しているファンにとったらたまったもんじゃない。顧客が本当に欲しがっているものと重大な認知の歪みがある。

ヒプマイと並ぶ以上に私が同情するのは俺屍2だ。私はこのゲームファンではないができる限り批判されていることの意味を調べ、ゲームも実際に見た。

あれは一言でいうなら、既存ゲーム世界と設定の上に自分オリジナルキャラ総愛されを組み込んだようなものだった。

続編で出てきた全く知らない女キャラ過去ゲームの人気キャラたちが特に理由もなく絶賛し褒め称え、そのキャラが居なければ進められないようにシステムに組まれおり、かつ弱くて使いにくい。シナリオ破綻していると思える内容だった。なにせ諸悪の根源がその女キャラなのに、世界はその女キャラ中心に作られている。これでは感情移入とかも無理だろう。

公式から出された以上、どんなにひどくても公式と認めないといけない。ファンにとったらそれが一番つらい。全部なかったことにしてほしい。

続編とかスピンオフとか、そういうの作らなくていいから。

そんなに耐えられないこと?ならそこまでのめり込まきゃいいじゃん。って思う人たちもいる。だいたいライト層だ。確かに公式のやったことは好きじゃないけど、そこまで怒るような内容でもなくない?

こういう人たちはそもそもガチハマりしているオタクとは永遠に分かり合えないので、無駄議論する必要はない。

アイドル売りしている推し公式から出している高価なグッズを買うこともない人たちだ。※(個人見解です)お金をかけていることをマウントしたいわけじゃないが、公式はそういう層に狙いをつけてグッズを出している。そういう層を獲得するためにキャラを売り出している。(※個人見解です)だから何万もする香水とか、指輪とか、ネックレスとか。買ってしまうのがドハマリしているオタクだろう。

そしてそんなのを売っているんだからキャラクターにマイナスイメージをつけることもないだろうとか、暗黙の了解だと購入するファンは思っているわけだ。

今のオタク安心して貢ぎたいなと思っている。※(個人見解です)公式から引っくり返されるような設定の塗り替えや、後出し矛盾キャラマイナスイメージを出されることが何より辛い。そして刀剣乱舞やヒプマイみたいな情報の少ないジャンルは、背景や設定だけあればいくらでも深読み妄想ができるから、それも楽しいし好きで居続けることができる。

もちろん公式から出される設定の崩壊矛盾なんかがないのが前提だが。

長々と語ったが公式様に求めることは一つだけ。設定や背景や価値観コロコロ変えないで欲しいし、ガバガバな設定でもそれなりにまとめてほしい。

ジョジョの設定に矛盾があっても全く気にならないのは、キャラがブレていないから、というのをどこかで見たがほんとそのとおりだと思う。

キャラクターはその世界で生きているんだから現実世界思想価値観投影するならそれなりの説得力のあるエピソードを作って。

あとこのキャラは誰ともくっつかないって質問で答えたのに、読者の反応が見たかったってわざわざ他キャライチャイチャさせるとかサイコパスかよ。

2018-12-20

先日、推しだった人のソロライブでやるコーレスの内容が決まったらしくてTLにそれに関連するツイートが流れてきた。それで推していた頃にあったコーレスについての諸々を思い出した。

推しソロライブではMC中にコーレスが行われるのが恒例になっていたけれど、その内容はなぜか毎回、彼がアーティスト活動所属している某レーベルとは無関係の所で決められる。それに対して彼を推していた頃から非常にモヤモヤしていた。

コーレスの内容が決められているのはいつも某ゲーム情報ラジオ番組内で、元推しパーソナリティをしているとはいえレーベルとは全く関係がない番組内で決められることに納得がいかない。レーベル関係ラジオ等の媒体がないならまだ分かるけど、レーベル関係ラジオがすでにあるのに……。

パーソナリティをしてるのは元推しではないけど、ライブ前にゲスト回作ってもらうとかしてそこで募集して決められないものなのか?とずっと思っていた。

私がレーベルの外部で、というかその某ラジオ内でコーレス内容を決められるのが嫌なのはおそらく2ndライブでの出来事が原因なのだと思う。

2ndライブは初めて参加した元推しライブで、とても楽しみにしていたしある出来事を除けば実際とても楽しかった。アルバムの特典映像として収録されていた1stライブダイジェスト映像を見て、楽しそうだなーとライブでのコーレスに少し憧れていたから、2ndライブ当日にもコーレスをする流れのMCになり嬉しかったのに、そのコーレスが一部の行動によりまともにやることが出来なかったということ意外は……。

推しのコーレスライブごとに内容の変わるもので、前述の通り某ラジオファンからメールを元に決めてその番組内で発表される。

2ndライブでのMC中、本来なら会場には某ラジオを聴いてない人もいるだろうからと「自分がこういったらこう返して下さい」と内容を元推しが1つづつ順番に説明してくれている段階だったにもかかわらず、こういったら〜の段階で某ラジオリスナーらしきファンが返しの部分を言ってしまい、しかもなし崩しに最後までコーレスが行われてしまった。その後、公演の尺の都合なのかそれが本業でない元推しがまだ場慣れしていなかったからなのか仕切り直されることもなくうやむやで終わり。一部がフライングで盛り上がっただけになってしまった。

その後のライブでも似たようなことが続き、私が知っている限りではフライングせずまともにコーレスが行われた記憶はない。

3rd・4thライブはともにツアーで、私が参加した公演はどちらも最終公演だったので、その2公演に関しては某ラジオリスナーのせいだけではないかもしれないけど、某番組リスナーにも番組にも2ndライブの件だけで既に充分なマイナスイメージがついてしまったし、元推しファンのの一部にもマイナスイメージがついてしまった。

推しから離れた直接の原因はコーレスの件ではないけど、積もり積もったものの一部にはなってしまったと思う。

正直、レーベル関係ラジオではファンから内容を募集するにはスケジュールが合わないならファンから内容を募集するのはやめて元推し本人がコーレス内容を全て考えるとかして、レーベル関係媒体とかSNSで発表する形をとってほしかった。レーベルツイッターアカウントはその頃からあったし、元推し本人のSNSも今はLINEブログやってるらしいし。コーレスするのにも、見知らぬオタクが考えたものより推し(私にとっては元推しなっちゃったけど)本人の考えた内容でする方のが楽しそう。

というかいっそ事前に発表するの自体やめて、ライブ当日のMCでコーレスの内容発表すればフライング勢出さずに済むと思う。

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