はてなキーワード: 選挙演説とは
女性作家かどうか分かんねえけど俺が知ってるビッチヒロインをあげてくぜ
凄く良いビッチだ。友達の作り方がわからず性行為という報酬でしか人間関係を築けないビッチが、眼鏡イケメンクールで可愛い会長と友達になる物語だ。生徒会選挙演説のシーンは白眉。
主人公が「〇〇しましょう!」と言ったシーンはそうきたか!!!!お前は主人公の器だよ!!!と俺の中でかなり盛り上がった。
誌上ではケンコバとの対談もあり、そこでは「もっとビッチは感謝され尊敬されるべき」という自論が展開されていた。激しく同意である。
ロシア系JCビッチ。ビッチはビッチのまま、からかい上手な高木さん的な青春ラブコメが出来るのか?出来る!出来るのだ!
もともとエロ漫画のキャラクターが一般誌にビッチのまま殴り込んできた異色作。
あえていうが、サーシャちゃんも可愛いが、クラスメイトオタクくんの方がもっと可愛い。
城戸康裕、格闘技特有の過激な煽り文化に苦言「大谷翔平選手は絶対しない」「何とかしないと」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/encount.press/archives/451572/
元K-1ファイターでRIZINデビュー戦の城戸康裕が昨今の煽り(あおり)文化へ苦言を呈した。
今回、69キロ契約で木村ケルベロス颯太と対戦する城戸は、3週間で13キロの減量に挑んでいる最中だ。
それでも調子は良さそうでこの日もいつも通りじょう舌だった。
減量が1番の敵だったといい「K-1時代に10日前オファーというのがあった。
今回は82キロから69キロに減量。これはやるしかねぇと気合いです。もう後は、水抜きで余裕です」と振り返る。
まずねえ、この書きざまがおかしいんですよ。
なんか混同させるような書き方だけど、「過去に10日前オファーというのがあった」って話と今回とは何の関係もない。
城戸のRIZIN参戦は前から決まってて、今回の参戦も猶予のある通知だったはず。
「3週間」とか「13キロ減量」とかは城戸の都合でしょ?
というか、
13kg減量が大変だというならなんで82kgになってんだという話です。
更に重大な話ですが、相手の木村ケルベロス選手の試合体重は65kgなんです。
こういう競技で4kg差は相当です。
2階級下の木村ケルベロスが、城戸の69kgに合わせてあげてるカードなんです。
なのに城戸が自分有利な体重づくりを何かハードなことみたいに見せてたら、
それは飲み食い画像で煽るぐらいしたくなるでしょ。
「こっちは滅茶苦茶不利な条件でお前に合わせてやってるのに
お前が勝手に太った82kgから急減量することを男気みたいに出して来てんじゃねーよ
とまでは言ってないわけですが、言ってもいいと思います。
試合を盛り上げたいだけ。
んなことベテランの城戸が一番わかってるでしょ。
城戸の出身母体のK1だって会見でちょくちょく乱闘するような団体で
城戸が本気でこんなこと思ってるならK1居た頃にK1運営と談判でもすればいいでしょ。
そういうことをせずに対戦相手の若者個人をカマトトぶって咎めるっておかしくない?
もっと言っちゃうと年齢も18個違うんですよ。彼がまだ生まれる前から僕はもう格闘技をやっていて、最前線でやっているわけです。
直接何かをしたわけではないですけど、僕は大先輩なわけですよ。
これはもう本当に、何言ってんだと。
何歳差があろうが試合が決まれば殴って蹴って相手の脳揺らして骨やら鼻やら折る競技ですよ。
試合が決まってからはそんな敬老精神持ってられるわけないでしょ。
というか城戸はもう40代で、最後にRIZINに来て稼ぎたいなーぐらいの立場でしょうが、
こんなスカすようなこと言い出すの、滅茶苦茶嫌な奴じゃないですか?
年齢相応の度量がどこにもない。
例えばプロ野球で巨人軍の選手が明日対戦する広島のピッチャーに対して
『お前の球なんか止まって見えんだよ! お前なんか早く引退してしまえ』と例えば言ったらブチギレられるし、たぶん出場停止になる。
ただなぜか格闘技ではこれが許されている。これがね、俺ね良くないと思う!
大谷翔平選手、イチロー選手、松井秀喜選手、中田英寿選手がこんなことをするかって言ったら絶対しないでしょ! これはね格闘技の闇だと思っている!」
ボケなのでマジレスするべきではないですが敢えて真面目な話として受け止めるならば、
何十年と栄えたのんびり球技と、殴る蹴る人体ぶっ壊し合い競技。
試合数もまるっきり違う。
シーズン中コツコツとコンディション保って良いパフォーマンスを残せば年間何千万円~何十億貰える競技と。
年に3試合出来れば上等で一試合一試合自分の身体が壊れるのに1試合100万円も貰えない競技と。
同じな訳がありますか?
翔さんはやく怪我治してね。
「こんなことで俺は伸ばしちゃいけないと思っている。
魔裟斗さんだったり佐藤嘉洋さんに俺はちゃんと敬意をもって接してきた。
『おい、武田幸三!』って言うわけない。俺はこれ(過激なあおり文化)を何とかしないといけない!
俺はそういうことを言ってる人は完全に無視。これが1番鎮火するかなと思う。
一人一人がメディアを持ってて自分をプロデュースして発信できる時代と、
やることが同じなわけがないでしょ。
本当に完全に無視出来るならそうすればいいんですよ。
城戸の方が消えるだけだから。
というかもう選手としては消えかけてる城戸だからこんなことが言えるんでしょ。
そもそも格闘技のこれわけ分からない! サッカー選手、野球選手は絶対しないでしょ。『野球、サッカー、格闘技』にするためにはここが重要。
そういう運営したってはてな民みたいな奴等は絶対見ないですけどね。
「この城戸さんは常識があってナイス!」って無責任に拍手してるだけです。
こいつらももし見るなら喧嘩コントのブレイキングダウンですよ。
これ全部本心と言うよりボケのつもりなんじゃないかと思いますよ。
トラッシュトーク仕掛けられて「僕が何をした!」「何故怒られる!」とかボケじゃなければ何なのかと。
現代のネットトラッシュトーク第一人者平本蓮(K1出身なので城戸の後輩)がしみじみため息をついています。
13時間
ごめん
はっきり言わせてもらうね
一度も笑った事ない
13時間
いい感じの表現思いついた
学校でさ授業中とか無駄に声デカくてクソつまらないやついるじゃん
文化祭とかで誰も求めてないのに常にふざけてるやつ
陽キャってやっぱ俺無理やわ
陰キャであれ
13時間
ついでに言うと、有田芳生氏は『統一教会が聖地と言っているのをやめさせましょう』と言うニュアンスで使ったのだろうと思うけど、最初に田村淳氏が引用し、後に削除された立憲民主党公式ツイートは聖地を強調してるだけに終わっている。
https://twitter.com/atsushiTSK/status/1650299505034825729
有田芳生候補「この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。今度の選挙戦においても、統一教会と深い関わりを持った国会議員、地方議員がこの山口も含めて何もなかったかのように活動している。こんな現実を皆さん変えていかなければなりません」
https://web.archive.org/web/20230417045215/https://twitter.com/CDP2017/status/1647754214255509504
つまりこのこじれの一端としては田村淳氏がこの情報を見たのはこの立憲民主党公式ツイートで、この問題の納めどころとしては立憲民主党が公式声明で、下関市の人々へ風評被害を謝罪し、また有田芳生氏の選挙演説を正確性を欠く引用で炎上させて敗北させた事を自省するのが最適に思う。
日本では20年ほど昔にネットで真実と言う言葉が生まれ、それに染まった人物はネトウヨとされ、以来ネットで真実=ネトウヨ=デマは右派の専売特許とされてきたが、全く正確性を欠いている。
確かにその原型としてネットで晒されていたきっかけの情報は、韓国が反日教育を行っているとした画像や、そこから在日への憎悪を煽るように結び付けられたものであり、それに染まった人々の一部が、苗字にこの漢字が入ってたら在日、左右対称は在日、在日は出て行けなどただの差別的言動で煽動をし、それがネトウヨと呼ばれ、終いには在特会と言う形にまでなっていったのは事実だ。
何が正確性を欠いているかと言うと、同じ様な事象は右派に限らず往々にして様々な人々、集団に起き得る事象である事。
そしてそれに足る情報は別に真実でなくともなんでも良い。その人々にとって耳障りの良い、あるいは悪い情報であり、それに対する意志として自身を正義と定義出来るような事である事。
この事から『ネットで真実』と言う言葉やそれを右派と結びつけるのも正確性を欠くものであり、それがあって今日の日本の左派は自分毎として捉えられない、向き合えない問題があるのではないかと思う。
最近でもこの事には充分な事例がある。
一つは田村淳氏への高橋まこと氏による差別レベルの過剰な批判とそれに乗っかる人々。
きっかけは立憲民主党で有田芳生氏が山口県下関市での選挙において統一教会の人が下関は聖地と言っていた言動を選挙で持ち出して、下関は統一教会の聖地とし、更にはそれを立憲民主党公式アカウントがツイートした事。
これについて下関出身の田村淳氏は下関で育った人間としてそんな事実はないと否定し、風評被害を訴えていた。
そもそもただただ下関の出身ってだけで故郷の事なんざどうとも思ってない、腐れ芸人が、誰に言われたかは知らないが統一教会の聖地って言われていきなりの言だからさ^_^。とって付けた言葉だけどやっぱり選挙妨害なんだよなぁ〜。
有田さん頑張ってね〜。ま
残念です…高校生の頃からの憧れのアーティストにこんな汚い言葉を投げかけられるなんて💦萎縮してしまいます…お言葉ですが旧統一教会サイドが下関は聖地ではないと発信したことについてはどのようにお考えでしょうか?
ちなみに何度もつぶやいてますが…旧統一教会の問題や教団と繋がりがある議員については徹底追求してくださいというスタンスです。
萎縮してうまく伝えられないのですが💦僕は随分前に芸人を辞めてるので、表現するなら腐れタレントが妥当だと思います。
あと…もう一つ腐れタレントのTwitterをフォローして頂きありがとうございます。憧れのアーティストにTwitterをフォローしてもらえるなんて感激です。
これからもカッコいいドラム叩き続けて下さいね🥁応援しています!
最後に…下関、故郷のことなんてなんとも思ってないという言葉だけは撤回して頂きたいです。親も友達も下関にいるし、18歳まで過ごした大切な場所なので…
統一教会に関しては徹底追求してくださいとスタンスを述べている。
その上で、最後に、どうしても撤回して欲しいことを述べている。
そしてこれについたブコメが次だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/atsushiTSK/status/1651562080678596608
田村氏への過剰な侮辱はスルーされ、信者扱いでの批判が止まない。
この問題、そもそものきっかけである“下関は統一教会の聖地”と言う情報が、大多数の人はネットで拾った程度のものだろう。
先に挙げたネトウヨの始まりのエピソードでも、韓国は反日教育や政策をしていると言う情報がひたすらネットで上げられていた事がきっかけだ。
どちらも事実ではある、が、それを元に韓国人や韓国籍の人々を不当に悪く言う事が差別ではなかったか?
勝手な信者認定は、在日認定と何が違う?根拠や証拠があれば何を言っても良いのか?
手前勝手に山口出身者の心情をネットで拾った程度の情報を元にして決めつける事は、そんな簡単にスルーして良い事なのか?
対統一教会と言う正義、田村淳氏の交友関係から対自民党と言う正義に酔いしれてないか?
そもそも、自分の生まれ育った地域のことを、最近他所からやってきた人がネットで拾ったような浅い知識で適当な事言って居たら、そこに違和感を抱いたりするのは誰しもにあるような事ではないか?
立憲民主党だから、有田芳生だから、対統一教会だから絶対正義なんてのはありえない。
ついでに言うと、有田芳生氏は『統一教会が聖地と言っているのをやめさせましょう』と言うニュアンスで使ったのだろうと思うけど、最初に田村淳氏が引用し、後に削除された立憲民主党公式ツイートは聖地を強調してるだけに終わっている。
https://twitter.com/atsushiTSK/status/1650299505034825729
有田芳生候補「この下関って統一教会の聖地なんです。聖なる土地なんです。今度の選挙戦においても、統一教会と深い関わりを持った国会議員、地方議員がこの山口も含めて何もなかったかのように活動している。こんな現実を皆さん変えていかなければなりません」
https://web.archive.org/web/20230417045215/https://twitter.com/CDP2017/status/1647754214255509504
つまりこのこじれの一端としては田村淳氏がこの情報を見たのはこの立憲民主党公式ツイートで、この問題の納めどころとしては立憲民主党が公式声明で、下関市の人々へ風評被害を謝罪し、また有田芳生氏の選挙演説を正確性を欠く引用で炎上させて敗北させた事を自省するのが最適に思う。
今日も統一教会を責めたい筈の人々が統一教会を装備して統一教会関係者かどうかもわからない人を殴っている様は訳がわからなさすぎる。
草津の騒動について性被害調査は終えてその告発内容は否定されたが、当初この問題で加害容疑のあった町長や町長を擁護した人々への過剰な誹謗中傷は何も清算されていないと言う話。
群馬・草津町議の「性被害」告発をうのみにした人々が今すべきこと
https://www.newsweekjapan.jp/ishido_s/2023/04/post-5.php
これについてのブコメで、変わらず何の自省もなく、でもでもと言いたげな言い訳コメが散見されて仰け反った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.newsweekjapan.jp/ishido_s/2023/04/post-5.php
「なぜ町長の証言を信じられないと彼らは思ってしまったのか」まさにこの人の言うように「女性が性被害を訴えても黙殺してきた歴史が日本にある」からでしょ。魔女が一人出たために魔女裁判が復活しないことを願う。
こんな我こそは女性の味方とでも言いたげな言い訳もあるが、この問題は単に歴史における男性の性加害文脈で済ませて良い話ではないだろう。
この件に限らず近年フェミニズム界隈での炎上では幾度も繰り返されてる事からも分かる通り、女性が意に反する女性までも名誉男性と扱い火炙りにする事は全く反省されていない。
また、今も追及が続くColaboに始まるWBPCによる不正会計疑惑では、Colabo側の言い分では疑惑の追及は全女性への攻撃であり、攻撃者はミソジニーとされ、徹底してその言に不都合な“会計疑惑を指摘する女性の存在”や“会計上主張してきた内容との矛盾”は無視されている。
これもネトウヨと同じく、偏った情報から我こそは正義と目覚め、意に沿わない意見は無視して我を通す暴走型正義の典型だ。決して全女性の地位向上を標榜としたフェミニズムと言う善性なものでは全くなく、逆に悪性なものだ。
ラディカルフェミニズムと言うカテゴリーがあり、一応はそれに当たると言うのが適当だろう。
逆に追求の中心となっている暇空氏の会計疑惑追及以外の過剰な独善性による他者への名誉毀損や、本当にただ女性への攻撃として乗っかっている人々は歪んだ正義として同様に批判されるべき問題であり、それはそれで当事者間で訴訟などあって敗訴となっても然るべき判断と思う。
一応、あくまでこれは右派の専売特許だと言う事への反証として、左派的な人物でも見られることとして定義する事からその事例を挙げたまでであって、右派は正義と言う話ではない。
左派の人々はこうした話を見るとどっちもどっちだと批判するが、この話、右派か左派かなどと言う定義すら狭い。
要は誰でもどんな要素でも正義を抱く事はある。
大事なのは、先ずその正義を疑う事。その情報源の正確性はどうかとか、誤解はないかとか、行きすぎた批判とならないか踏み止まったり、事が終わった後に非であれば認め改めて行く事だ。
ネットが生まれ、その集合知から恩恵を得る事もあれば、どんな主張でも同調者が現れ正義が暴走し易いという側面もあり、この先の世のリテラシーとして『ネットで正義』からの脱却があって欲しいのでこれを書く。
昨日、私が住む和歌山県で、選挙演説中に爆弾が爆発するという恐ろしい事件が発生しました。幸いなことに、候補者や観衆には大きな被害はありませんでしたが、事件の影響で選挙戦は大きく揺れ動くことになりそうです。
警察は事件現場である公園を封鎖し、爆発物処理班が現場に駆けつけて鎮圧しました。その後、事件の詳細が明らかになってきました。爆発物は、路上で投げ捨てられたスーツケースに仕掛けられていたようです。また、現場からは、事件の犯人と思われる男性が逃げる姿が目撃されています。
この事件は、選挙戦において新たな激しさを生むことになりそうです。多くの有権者は、事件によって政治家たちの安全が脅かされることを危惧しています。一方で、事件をめぐる報道は、事件の背後にある政治的な思惑や利害関係についても注目されています。
私たちは、この事件をきっかけに、平和で安全な社会を築くために何ができるのか、真剣に考えなければなりません。政治的な対立や争いがエスカレートすることなく、民主的な選挙が行われることを願っています。
私の実家は大阪府k田市なんだが先日和歌山で行われた岸田総理の選挙演説で手製の爆弾と見られるものが投げ込まれるということがあった。その爆弾と見られるものは不発で終わったのだが、犯人は逮捕されてしまった。私自身何か起きるとすればg7だと踏んでいたので大変予想外で驚いている。私が中学校の頃、後輩の小学校でいじめられていた子がいじめっ子に復讐するために花火の火薬を調合して手製の爆弾を作り百葉箱付近へ呼び出したそうだ。もちろんいじめっ子はその呼び出しに応じるはずもなく、百葉箱だけ木っ端微塵に吹き飛んだ。それを聞いて爆弾製造はそこまで難しくないと感じていたので発明家を目指している犯人が爆弾を完成させられなかったことに正直驚いている。 まあいじめている方はいじめているなんて思ってなくて今回だって岸田総理自身も被害者だって総理自身は感じているようだ。この辺の認識のずれをなんとかしたいがまだまだ変わりそうにない。今回の事件の被害者は本当はいじめられてきた犯人自身だろう。
安部ちゃんが撃たれた事件があったのが去年の7月なので、あれからまだ9ヶ月しか経過していないんだよね。
それなのに同じような事件が起きたって、正直言って信じられないんだけど。
元首相や現首相の演説は多くの不特定多数の人達が集まって、中には山上のような危険人物が近づいてくる可能性もある。
演説場所から半径50メートル以内には人を近づけないとか、聴衆一人ひとりに手荷物検査を実施するとか、なぜ何もしないのだろう。
安部ちゃんのテロ事件で学んだことは「選挙演説は危険だ」ということなので、当然その対策は練っていると思っていた。
キッシーがかなり初期の段階で国葬の判断をしたのは結果的に勇み足となったわけだけど、まさかその後に、こんなに統一教会問題が炎上して国葬の是非にまで影響を与えると思っていなかっただろうから、当時を思えば致命的な判断ミスであったとも言えないな。近年で最大の権力者だった元総理が白昼堂々自作銃で暗殺されるという、日本史上に残る衝撃的な事件を受け、誰もが冷静さを失っていた時期で、総理も恐らくまだ冷静さを取り戻す前の決断だったのだろう。
自分は当初より、国葬だろうが内閣・自民合同葬だろうがどっちでも良いと思っていた。慣例通りなら合同葬になるけど、選挙演説中の暗殺ということを考えれば、公務員でいうところの殉職による特進のような形で1ランク上の国葬という判断もありかなと。なので国葬を行う根拠としての政府の説明にこの要素は欠かせないと思っていた。最近出た政府の公式見解にもこの要素が盛り込まれており、まぁ納得。
あとはもちろん法的根拠のところ。国葬について明示された法令上の規定はないとのことだが、それは合同葬も同じで、合同葬と同様の理屈で閣議決定でいけるとのこと。ひとまず法令に違反しないということはわかった(もちろん、法令で明文規定があるのが一番良いけど)。
はたして、ここ最近の最大の政治的な争点が国葬の開催の是非ということになったわけだが、もうお互い理屈ではなく後に引けない状況になっているので、どんなに議論しても歩み寄ることがないとわかっていて非常に不毛に感じている。政府がどんなに議論を尽くしても反対する野党の意見は変わる見込みはないし、野党がどんなに批判しても政府は撤回することはないことが見えている。論点もだいぶ出尽くしたし議論するだけ無駄、という状況である。
改めて考えると、やはり岸田総理が決断を早まったのかな、という気がする。新型コロナや物価高など、明らかに他に高い優先順位の政策について判断が求められる中、国葬にこだわって不毛な争点を作る必要はなかった。今後の改憲議論で世論を味方につけるためにも、国葬については妥協する、という戦略的な判断も必要だったのではないか。
とはいうものの、今更決まったことをウダウダいってても仕方なく、決断した以上は、国益にかなうよう海外要人に厳重な警護をつけたうえで混乱なく国葬を執り行ってほしい。
「後方の警備が難しい」と他党に指摘も… なぜあの場所で演説が行われたのか 安倍元首相銃撃 | 関西のニュース | ニュース | 関西テレビ放送 カンテレ
立憲民主党の関係者によると、ことし4月に泉健太代表が同じ場所で演説したいと申し出ると、警察から「後方の警備が難しい」と指摘され、断念していたことが分かりました。
そのため泉代表は、少し離れた場所で演説。警察から車の上で演説することや、車を防弾パネルで覆うことなどを要望されたといいます。
自民党や立憲民主党のような警護対象者がいない他の政党も、この場所での演説は注意を払っていたと言います。
要するにさ、
「安倍様の決定に反対するなんてとんでもない」
同意。
IT化とスマホの普及で情報がオープンになったことが大きいと思う。
いわゆる料亭政治のような密室の談合が、忌避される時代になった。
それと同時に、正義とはなにか、民主主義とはなにか、を、親兄弟からの言葉ではなく自分の目とインターネットで確認できるようになったので、
とくに若者にとってはもう昭和の方法は受け付けられないと思う。
2022-07-13
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。
安倍氏の痛ましい死によって、彼個人の死を超える、何か非常に大きなものが失われたような感覚に襲われた。もちろん、元首相の選挙演説中の銃撃である以上、単なる殺人事件ではなく「民主主義の危機」でもあるのだが、そんな表現さえ生易しく感じられた。その喪失感は何とも言えないもので、ふんわりとした不安とでも形容せざるを得ないものだった。
以下の記事で自民党と統一教会の歴史的関係を知り、この正体が分かったような気がした。
「勝共連合」から続く歴史、自民党は今すぐ旧統一教会(家庭連合)と手を切れ
この喪失感は昭和の完全終了によるものだ。昭和的ないかがわしさ、清濁併せ吞むというあの狡さが完全に終わったのだ。
上記の記事を読むと、何というか、次のような情景が浮かぶ。戦後の共産党勢力の暴力に対抗するために、岸信介氏など自民党の右派は反共の実力行使の手駒として統一教会を支援したのだろう。旧ソ連の崩壊や中国の資本主義化、近年ではベネズエラの惨状を見るにつけ、反共「政策」は確かに正しかったように思える。しかしそれは同時にカルト被害者をも産むものであった。まさに清濁併せ吞む昭和の一コマである。
時代は下り、安倍氏の代でも関係は続いた。安倍氏はそれほど積極的には統一教会と関わっているようには見えないが、しかしそれでもビデオ演説を送るなどしていた。
銃撃事件の本質は逆恨みである。これは種々の報道が出た後も揺るがない。安倍氏が統一教会に行ったことは、民事上も刑事上も何ら責任が問われるものではないからだ。
しかし一方で、安倍氏の振る舞いは国会議員としては無責任に極まりない。例えば彼が統一教会に演説ビデオを送ったことで、少なくとも信者には、統一教会には社会的信用があるという印象を与えてしまった。あまつさえ、上記の記事によると安倍氏に近い議員の中には統一教会に選挙支援を受けていた者もいるという。件の容疑者がこの状況を見て、どう考えるか。
正直、逆恨みする気持ちも分かる。こんなことは言いたくないが、どうしても因果応報という言葉が頭をよぎる。
繰り返すが安倍氏と彼に近い人たちの振る舞いには全く違法性がなく、今回の銃撃事件の裁判で情状酌量の余地としても一切考慮されないだろう(左派系の弁護士達がアベンジャーズみたな弁護団を結成し、安倍氏と統一教会との関係を執拗に指摘して死刑回避に全身全霊を傾けると思うが)。しかし安倍氏の政治的業績は、統一教会との関わりによって大きく割り引かれることは避けられまい。
昭和的な清濁併せ吞みは、もはや存在が許されない。振り返ってみるとここ十数年の種々の動きは、昭和を完全にお役御免にしようとしていたのではないか。例えば暴排条例による暴力団の無差別な排除、憲法9条改正による自衛隊明記。暴力団は古くは警察が使い、高度経済成長後は企業や民間人が使っていた「濁」であった。それは、治安維持や民事問題の迅速な解決という「清」のための必要悪であった。憲法9条第2項の文言を普通に解釈すれば自衛隊は違憲という「濁」になるのに、安全保障という「清」のためにスルーされた。
でもそれはおかしいでしょう。暴力団という「濁」は単に「悪」でしょ。東日本大震災で命を張っていた自衛隊を「濁」扱いするのは流石に申し訳なく、正々堂々と「清」の側に立たせるべきでしょ。そのような感覚が暴排条例や自衛隊憲法明記、そして今回の事件につながったのではないか。
昭和が完全に終わる。今後、昭和的な清濁併せ吞みに実は支えられていたアレやコレやが、突然崩壊するのを我々は目撃することになるだろう。