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2019-05-14

学歴コンプレックス研究概観展望津田容子)

【関心テーマ意図

日本社会は表向き実力主義成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学学者割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒肩書きのみでなく、大学知名度や質を重視する傾向が強まり受験競争さらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合学歴コンプレックスとして諸々の心理的社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体曖昧であるため、研究者独自概念言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。

【先行研究概観

学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者学歴に関連づけることで感じる、劣等感自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校主義」(野田,1996)といった学歴志向存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意から多浪仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者優遇する国公立大学至上主義下での私大学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会待遇でないと受け入れられない学歴保証希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折からくる無気力自尊心低下、不本意感に由来する不適応抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方のものに関わる問題存在示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックス継承家庭内学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。

【先行研究臨床心理学的意義と展望

先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自学歴観や学歴の持つ意味学歴認知思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。

津田容子引用文献>

安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデントアパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.

池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識大学自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.

伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.

吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.

文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得

野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.

鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.

渡辺良智(2006).学歴社会における学歴 青山学院女子短期大学紀要,60,87-106

引用元:東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース下山研究室 社会と臨床心理学―研究会活動から見えるその諸相―

アパシーシリーズを追うのをやめた話

(この日記は、アパシーシリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。

全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います申し訳ございません。)

1:概要

タイトルアパシーシリーズ」とは、1995年に発売されたSFCゲーム学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。

経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。

単純に考えて24もの間、この「学校であった怖い話」という作品応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。


尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。

その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシーシリーズ制作が開始される。

同人ゲーム小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。

また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSゲーム学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシーシリーズには該当しない。


2:自分について

ここまで「学校であった怖い話」「アパシーシリーズ」は長い間応援されてきたゲームシリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。

学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。

最初SFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。

後々になって「アパシーシリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシーシリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。

少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。


この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシーシリーズはもう更新されないだろうと思っていた。

それだけに、2014年小学館から小説学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。

更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。

知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。


上に「少なくとも1995年舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。

現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品であるアパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。

理由としては、極が発売される前のタイミングジャンルを離れたからだ。



3:CFについて、及びそれに関係して起きた問題

2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。

このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである


https://camp-fire.jp/projects/view/140712


支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。


このクラウドファウンディング、またその前後Twitter製作者のブログに対し、既存ファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシーシリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。

具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。


ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事作成された。

現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。

またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプラン支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザー発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。

そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。


二次創作ライン個人的見解

http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01


読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。

学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。

多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルファンは何を考えているんだ」といった内容である

そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事作成者も含まれている。

補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話ファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。

どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆ど学校であった怖い話を好きなファン達だ。

……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体ファンを指す。


この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。

プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。

しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。

そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル代表批判と取られかねない文章となる。

今回はあくまで私が「アパシーシリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記理由により詳細は省かせていただく。

またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。


なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。

匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。

二次創作がやりたくてゲームプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。

何故追うのをやめたかというと、「ブログ最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である


4:追うのをやめた理由

今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。

飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、

もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログ拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくま憶測に過ぎない。


ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通ファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。

自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシーシリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。

そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。

勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。

しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。

上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。

純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。

……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。

あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから


重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって自分のことを嫌いな人に自分創作物を弄られたくはない。

そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。

そうして私は学校であった怖い話アパシーシリーズから離れることにした。

しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去ゲームプレイする気も起きないだろう。


未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。

気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。


最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。

私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なから存在する。

あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人強要するものではない。

たとえ同じ状況であっても、二次創作を続けるか、ファンで居続けるかを決めるのは各個人で考えるべきことであり、

またそういった人に対して対処をするかしないかも作者が決める事であると考えている。

2019-04-12

大学在学中にアパシー(今でいうひきこもり)になった思い出

今日出身大学東大入学式ニュースになっていた。


私は在学中の卒業間近というところで進路や卒論自分存在価値に行き詰った。

家を出られなくなった、電話線を抜いたりもした、3年ほど家と近所のスーパーコンビニを往復する日々。

卒業できないと絶望したときもあった。

それでも根性卒論書かせてくれて卒業させてくれた学校

心も体もよれよれになりながらもなんとか今まで社会で生かしてくれている親や世の中には苦しみもあれど感謝している。


知っている東大生や東大院生の中には国家のために働いている人もいれば、誰でも知っている大企業で働いている人もいる、

中退した人もいれば、会社を興した人もいれば、結婚してパートやっている人も、消息不明になった人もいる。


入学式の日はキラキラしている、そして色々な出会いと別れもあるだろう、順風満帆人生かもしれないし、荒波にもまれて難破する人生かもしれない。

それでも一人一人の人生幸福をめざしてほしいし、自らが幸福を目指すことが周りに力を与えていく人生もあると思う。

2018-11-22

anond:20181122193933

誰しも最初から指示待ち人間だったとは思えず,おじさんにも活発に働いてた頃もあって

しかしこれまでの転職先で幾度となくその行動が否定されてきたのだろうなぁ

パワハラで脳が萎縮してワーキングアパシーになってそう

2018-03-17

アホの子教えるのは楽しかった

学生時代バイト個人指導塾講師をやっていて、座ってられない&話が聞けない中2とか、アルファベットのaとdとbの区別が付いてなくてbog とかdopple とか平気で書いちゃう中3とかを担当していた。

そういうレベルの子供でも、ちょっとした一言というかきっかけが見つかれば変わるし、偏差値27から50超のだいたい普通レベルまでもってくことは、片手間の個人指導大学生バイトでも割と難しくなかった。

逆に私にとっては、普通の子を出来る子にする方が簡単じゃなかった。本人に勉強への自発的意欲があって家庭の協力があれば偏差値60超くらいまではいけたけど、そこから先は元々の素養がないとダメかなぁという感じだった。個人的な体感だと65を超えるのは元々の素養が大きく左右するなぁと思っていた。

アホの子普通の子にする役目は、他のバイト講師仲間の誰もがやりたがらなかった。私はアホだったからそっちのが性に合ってたのもあるが、アホの子普通に近づけていくことで、どんどん目に見えて変わっていくのがすごく楽しかった。こういう言い方はあまり正しさがないとは思うのだが、アホを普通にする方が、普通を出来るにするよりも賞賛されやすかったし、本人からも周囲から感謝されやすかった。労力に比して賞賛感謝が多いバイトだなーとあまり倫理的でないことを考えていたし時給の昇給も早かった笑

アホの子へは、勉強理解を促すための教え方とか理解させ方以前に、取り払ってやらなくてはダメなことがある。

彼らは、勉強=キライ、怒られる、自分が惨めになるだけ、といった思い込みがある場合が多い。どうせ分からないのだから頑張るのは無駄、と思うらしい。で、Togetterでまとめられてた子のように無意識アパシー状態なる子が多かった。

なので、まずは、間違ってくれないと先生が困る、と言うようにした。

あなたが間違ってくれないとどこが分かっていないのか先生が探せないから、間違ってくれないと困っちゃうんだよー、と言う。でなぜその間違いをしたのかを、問い詰めるのではなく一緒に探していこー!というスタンスで接していた。

なんで間違ったの?と聞くのは子供たちにとっては死刑宣告に聞こえるようだった。この人も結局私を救ってくれる人ではない、と思われ閉じられてしまう。実際に最初の頃に担当した子供の中にはそうやって閉じられてしまった子もいた。

よく考えたら、間違ったところや間違った理由自力で分かったらアホじゃないし人の手助けはいらないはずだ。アホの子だって一丁前の中学生なのだから、できることな同級生女子大生()の塾講師にアホを晒したりしないでカッコつけたいはずだし、自分で分かることができるようになりたいはずだ。

aとdとbの区別が付かなかった中3には、なぜこの3つがごっちゃになるのかを見つけてやった。まぁ簡単なことで形が似てるからなのだが、彼は自分が混在させてしまアルファベット同士の形が似てることすら気づいていなかった。

aはアタマが短いけどdはアタマが飛び出してるかごっちゃになるんだよ!だから書く時にアタマ飛び出すか飛び出さないかに注意すればいいよー、と言っただけなのだが、次の週にはbとd問題勝手クリアしていて、普通綴り間違えなくなったし音読もできるようになっていた。

さすがにこの時は、私サリバン先生かよ!と図に乗ったが、26文字中のそれも比較的頻用するアルファベット3つが見分けられないまま放置されてりゃ勉強嫌いになるよなぁとかわいそうにも思った。もっと早く誰か気づいてやれなかったのかよーオトナー。

一次方程式で硬直する別の子は、単にxとか英語が突然出てきた!ずるい!と思考停止してただけだった。便宜上記号から怖がらなくてもいいと理解できた後は数学だけじゃなくて英語の成績も人並みになったし、英語の成績が良くなったら国語社会も急に頭に入るようになったと言っていた。

びっくりするレベルで出来ない子は、こちらが想像できない些細なところで驚くほど繊細につまづいているケースが多かった。だから学校先生から見落とされ続けてたか対応しきれなかったんだろう。あと、そういう子は大抵、家の環境はあまり良くない傾向は確かにあった。貧困家庭、片親、離婚再婚で家にいづらいとか。

そういう子が、アホの子から普通になることのインパクトは大きい。劣等感と、どうせここから抜け出せないという無力感と共に生きてきた子にとって、普通になるということは、普通の将来を考えられるようになるということだ。アホ高じゃなくて普通高校行ける、普通高校行ければまともな就職もできるんじゃないか?という希望だ。

私が面倒見たアホの子たちは2年間で6人いたが、高校行けないかもしれないところから普通レベル公立普通科や商業科に進めて、それぞれ今は会社員などをやっているらしい。地元から生徒のお母さんに会ったりして近況を聞けたのだ。

adb区別の付かなかった中3は、なんとホテル系の専門学校に進んで大手ホテルチェーンでフロントをやってるらしい。立派になって先生は嬉しいよ

2018-03-04

anond:20180304122642

なんでもかんでも鬱病認定するんじゃない。アパシーってのもある。

2015-08-08

認知症診断をめぐるもやもや

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150805/k10010179491000.html

上記を読んでのもやもやを書き出しとく。

  

認知症」というのは基本的に症状名であって、病名ではない。「認知症がある」といったときにその原因となる病気存在していなければならない(アルツハイマー病とか脳卒中とか)。

なので「アルツハイマー病の薬」はあるが「認知症の薬」というもの存在しない。

日本認知症を診ているのは主にneurologist(神経内科医)と psychiatrist(精神科医)。ややこしいが神経科というのは本来 neurology の和訳としてつくられた言葉だが、実際には psychiatry とほぼ同じ意味を指している。

この記事に出てくる老年精神医学会というのはほぼ精神科医の集まり。これを出すのであれば神経内科医の集まりである日本経学会もださなきゃダメだろう。

  

で、認知症とは何かということだが、

「一度正常に発達した知能が何らかの原因で減退し、そのために社会生活に支障を来す状態」

ということだ。これをみればわかるが正常と異常の境というのはそんなに簡単ではない。誰が診ても正常という人と誰が診ても異常という人はいるが、その中間層は簡単に判断できるものではない。さらに言えば知能は減退しているが、社会生活には支障を来さないという状態(これは軽度認知機能障害と呼ばれる)もあってややこしくなる。

ちなみに社会生活に支障を来すというのは、一つは対処行動がとれるかどうかということ。具体的には「この人を知らん町に放り出しても、ちゃんと周りの状況を判断して家に戻ってこれるか」ということ。こんなん、家族か周りの人間に聞かないとわからんし、ちゃんと線引きできんだろ。一応、CDRとか生活状況を確認するための質問票はあるが、やたらと時間がかかったり、そもそも細かい生活状況を把握している人がいなかったり、ルーチンで全員に行うのは難しい。

  

次に行く。「正しい病名はせん妄だった」とあるが、「せん妄」というのは症状名なので、基本的には原因というものがある(ただし、原因がよくわからず「年のせい」とせざるをえないものもある)。酒を飲んでせん妄になることもあるし、そもそもアルツハイマー病もせん妄の基礎疾患になる。これを書いた記者が病名と症状名をごちゃごちゃにしているからわかりにくいのだ。あと「病名:せん妄」とする精神科医にもいいたいことはあるがやめとく。

  

次。アルツハイマー病の誤診例で実際はうつ病だったとあるが、そもそもうつ状態というのはアルツハイマー病の初期症状でもあるだろうが!(ちなみにアパシーといって周囲への無関心、やる気のなさもアルツハイマー病の初期症状としてある)

ある程度症状が進行して画像でもアルツハイマー病に典型的な所見が出てくればともかく、初期の状態でうつ症状のあるアルツハイマー病とうつ病を厳密に鑑別することはできねーよ!結局、最初の時点である程度決め打ちして治療経過をみながら診断を考え直すしかない。「後医は名医」という言葉がこれほどあてはまる分野もないだろう。

  

最後認知症専門医の堀智勝名誉院長って誰かと思えば、脳外科の医者じゃねーか!全く専門家じゃねーよ。この患者さんは、たぶんコリンエステラーゼ阻害剤の副作用がでてて、それをやめたらよくなったというのはそうなんだろう。ただ、本人(もしくは家族)が何かを訴えて最初病院にかかったんだろ?そちらは結局なんだったんだ?それこそ鬱だったんじゃねーの?単なる健忘症だったってこと?

東京女子医の名誉教授を引っ張ってくるのなら、岩田先生を引っ張ってくるべきだろう。この人の方がよっぽどガチ専門家やぞ。

  

そもそも誤診とか気軽に言ってくれるなよ。誤診というなら正しい診断とは何か?ということが問題になってくるだろ。

この辺は臨床診断と病理診断の違い(最終診断というのは亡くなった後に脳をあけてみるまでわからん!)や、薬の問題アルツハイマー病以外の認知症を来す疾患の話などいろいろあるが、しんどくなったので終了。

2015-05-07

http://anond.hatelabo.jp/20150507231124

社会的地位(そんなもんもともとないし)を失ったのじゃなく、自分が拠って立つ価値観を失ったのだよ。

ほめてもらって育ったから、院生になってまで同じようにほめてもらいたいと思っている。

そういう人が、高学歴アパシーを感じている人には案外多い。

誰しもどこかで、刷り込まれた決別すべきであって、そっから自分価値観を得るものだと思う。

悩むべき時(今)思い切り悩まないと、きっと10年後も全く同じことで悩み続けてしまう。

2014-12-14

留置中に投票しそうになったの思い出した

投票行ってきてほっとしてる中、

留置中に投票しそうになったことがあったのを思い出しました。

2〜3日で出れるつもりで、弁護士さんも意見書つくったり、

裁判官時間外まで食い下がったりしてくれたのに勾留が確定。しか接見禁止

ぜんぜん出られる気配がないまま投票日が近づきました。

実は留置所でも投票不在者投票)はできるのを知らなかったので、

担当さん警察官)に知らされて妙に感動したのを覚えています

担当さんに「投票どうするー?」と聞かれて「します」って答えたら、

「えっ、ほんとに?」って言われたのも衝撃的でした。

留置は半分以上が外国人だったので(地域・時期によるでしょうが

投票する人は珍しいのかもしれません。

(でもみんな新聞は熱心に見てたかアパシーってわけじゃないのか?そのへんはよくわからない)

で、手続きのための書類に記入しました。

私の場合接見禁止がついていて、つまり文字を書いて通信することが禁止されていたので、

投票用紙に記入するのにも裁判所の許しを得る必要があったのです。

(その手続が面倒だから警察官が「えっ」っとなったのかも?)

開き直っていた私は「これも経験だ」と留置中の投票を正直、少し楽しみにしていました。

毎日ヒマでしたし。

ところが突然釈放が確定。

投票をする前に社会に放り出されてしまったのでした。

帰宅から何日かたったころ、そして投票日も過ぎたころ、

地方裁判所刑事◯部から特別送達が届きました。

接見等禁止一部解除決定」というお手紙でした。

いまも手元にあります

審査の上、法令範囲・・・不在者投票に関する投票用紙、

発送用封筒及び投票必要立候補者名等が記載された書面の授受に限り、これを解除する」

リビングで「遅いよwwww」と一人大声でツッコミを入れ、一人ゲラゲラと大笑いし、一人うわーんと大泣きしました。

・・・という思い出を投票日の今日に思い出したので、こちらに書いてみました。

この文章が誰の役にも立ちませんように。

そういえば、特別送達とやらは郵便屋さんが玄関越しに手渡す形だったのですが、

封筒にはばっちり「被収容者 ◯◯ ◯子」って書かれてて顔から火が出そうになりました。

あれ何とかならないのでしょうかね。

終わり

2013-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20130905185547

ツマんないと気づいた増田や、不良たちは受験を失敗する。何も考えずに親から言われたとおり勉強し続けた視野狭い君が一流大に行く。高校の時に気づかなくてよかった。確実にアパシーで詰んでたわ。

わかるわ…真面目系クズって言葉あるけど、そうそう。高校生くらいまではそういう姿勢でいいんだよな。「受身で親、教師の言われた通りに勉強してるだけの俺…何てつまんねえ人間なんだろう」と思ってて全然よし。個性なんて大学入ってから出せばいい。

あんたの親の世代からすでに無気力しらけ世代なんだぜ? 無気力・無関心なんてもはや多数派なんだからカッコつけたかったら逆を行ってみたら。

だよね。新人類ってやつ?古本屋でその頃に書かれた若者理解本読んだりすると、親も親で若い頃は「最近の若者は何考えてるかわからん」だの「チャラい」だの色々言われてたんだなぁ…と感慨にふける。

2009-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20090201181012

平和正義押し付けアパシーの原因になるだけならまだしも、

反動ファシズムを後押ししかねないんだよね。

2008-07-09

大学生における準ひきこもり行動に関する考察

2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・

引用

樋口 康彦

大学生における準ひきこもり行動に関する考察キャンパスの孤立者について―(富山国際大学紀要2006年3月号)

http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf

http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html



目的

健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。

筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生リクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。

就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業情報を集めています」と答える。

「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」

「はあ、危機感は感じますね…」

そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。

それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。

とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。

また心配した両親が一度、筆者と大学就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。

しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイル本質ひきこもりと何ら変わりはない。中学高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。

ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。

ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点矯正されたわけではないことである。就職活動職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋ひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。

準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。

大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。




準ひきこもり定義

一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会適応を起こす状態のこと。




通常のひきこもりとの違い

通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。


ひきこもり
  • 20 代までに問題化する。
  • 6ヵ月以上自宅に引きこもって社会参加をしない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている。
  • 本人は問題に気づいている。



準ひきこもり
  • 大学入学以前に問題化している。社会的に問題が顕在化するのは就職活動期もしくは大学卒業後である。
  • 大学には登校するものの、ほとんど社会参加をしない。他者との交流が極めて少ない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている場合と、気づいていない場合がある。
  • 自分が準ひきこもりであることに気づき、悩んでいる場合もあるし、気づいていない場合もある。








準ひきこもり学生典型的なコース

準ひきこもりルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。

大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビパソコンコンピュータゲーム漫画アニメなど)を延々と楽しみ自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋ひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。

就職活動をうまく行えない。知らない会社電話でアプローチしたり、OBOG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。

就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもり大学生の全てが社会適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。




準ひきこもり大学生の特徴準

ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。




(1)性格

■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもり男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。

社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。

精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。

孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがまま押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。

■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。




(2)知的側面(学習)

■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。

レポート卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。




(3)社会的側面

無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動アルバイトの類はしていないし、体育大会大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。

アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもり大学生よりはましである。

人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。

■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもり学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。

■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的ひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。

孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通大学生に見えるためである。

若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。

■全体的に見て、知的側面に比べて社会的側面が未熟である。




準ひきこもりの主な問題点

■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。

青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもり学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。

■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。




準ひきこもり学生の家庭の特徴

過保護で、親が甘い。子ども不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。

■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。

■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。




今後の課題

今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもり不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。

それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。

最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイトボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。

筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場生産現場農業、造園業関係仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。

将来、社会適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。




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