はてなキーワード: 五線紙とは
悲惨な事件で一躍有名になった登戸。このままマイナスイメージばっかになるのも残念なので良いところを紹介したい
小田急マジ早い。多摩急行にだって乗れる。千代田線も使えるので都心に出るにはマジ便利
川の向こうが東京都(狛江市)なので、比較して価格は安い。ぶっちゃけ和泉多摩川・狛江・喜多見に住んでまで東京都の冠は欲しくない。マジで不便よ、あの3駅
もう目と鼻の先。ジョギングと自転車趣味の人なら住まない理由がない。毎日走れる環境
何故かある
他にもピザのヒッコリーファーム、洋食の五線紙、量のラーメンハウス、胡散臭い平安郷
意外とグルメな街だ
そんなに行かないけど
結構なんでも燃やしてくれる
公正を期すために悪いところも
車でも行きにくいけど、行く人いるのか?
南武線は基本ポンコツ。意外と遠いし、案外行かない。南武線で行くのは溝の口と稲田堤
基本は新百合ヶ丘。レイトショーだと終電ダッシュ。歩けない距離ではないが、意外と距離ある
川崎と立川は前述の通り。新宿が安牌だが、来月から一斉値上げ。世知辛い
登戸の隣駅にはあるのに登戸には無い。(正確には中野島のは「あった」)
全部隣駅の向ヶ丘遊園にあるので、便利そうで不便。微妙な駅間。だから歩く。
警察署なら良いが、二俣川だと地獄。埼玉よりはマシだろうが、いい加減もう1個くらい作れ。向ヶ丘遊園跡地くらいに
駅前ロータリーと被るが、本来はデカイ道が南武線に沿って小田急側にも走るはずなのだが、頓挫している
ロータリーは多摩川沿いにある音楽スタジオのバンドマンや近隣の大学生でうるさいが、それ以外は21時以降は至って静か。孤独を感じる
多摩川側は車は走るが人は居ない。本当に寂しい
どうしてだろう?良い所より悪い所がよく出るわ
主にギターの弾き語りで使われるコード譜というものがある。歌本とも呼ばれる。五線紙におたまじゃくしが泳いでいる楽譜ではなく、歌詞の上にCとかFとかF#m7とかのコード(和音)が書かれているものだ。これとギターが一本あれば、絶対音感やコード理論の知識がなくても、弾き語りができる。フォークソングが流行していた頃には、重宝されたのだろう。昔は流行っている曲のコード譜を載せた雑誌が毎月出版されていた。「月刊歌謡曲」(ゲッカヨ)をはじめ「ソングコンング」「歌BON」などがあった。今はすべて休刊している。月刊誌ではなく歌手別や年間ヒット曲を集めた書籍としての歌本は今でも残っているようだ。
これらの出版物は、電子書籍に移行することはなく、今ではウェブで無料で見れるものとなった。速報性や検索性に加えて、カポタストを使った場合の転調に対応できる点も有利なのだろう。
代表的なサイトがJ-Total Musicだ。2002年から続く老舗である。
他に楽器.me、ChordWiki、U-フレットなどがある。
同様のサイトにコードスケッチ(ttps://chordsketch.com/)がある。U-フレットと見比べてみると、新着にまったく同じ曲が並び、コード進行も一致する。
楽譜.me(ttp://gakufu.me/)というサイトがある。「当サイトはディープラーニングによる楽曲分析を行うための実験サイトです。」と書かれているが、生成方法は謎でコード進行は正しいものとは思えない。サイト名は楽器.meとの誤認を狙っているのだろう。
これら二つのサイトは、Google AdSenseのIDが一致(ca-pub-9885680373061782)する。
コード譜は、耳コピにより作成される。コードを聴き分けて書き起こすのだ。そしてその解釈は一意ではない。
例えば長渕剛の「乾杯」のような元々ギターだけで弾き語られる曲であってもそうだ。
http://music.j-total.net/data/021na/001_nagabuchi_tsuyoshi/005.html
http://gakufu.gakki.me/m/data/DT08823.html
https://ja.chordwiki.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%9D%AF
http://www.ufret.jp/song.php?data=943
イントロや「君に幸せあれ!」の部分が異なる。採譜者の耳や感性によって変わるのだ。初心者が弾きやすいコードが選ばれることもある。
歌詞には著作権があるが、JASRACをはじめとした管理団体に委託されていて、利用するのは容易だ。そしてコード進行には著作権は適用されないというのが定説だ。料理のレシピと同じである。パクリOKなのだ。
コードの採譜には能力と労力が必要であり、無償ではない。昔は紙の本の売上で制作費を賄っていたが、今はネット広告収入で運営されるものとなった。違法でないからといって、他人の成果を横取りして利益を得ることは認められるものではない。
カラオケが広く行き渡りDTM環境が充実する現在でも、手軽で自由度が高くシンガーソングライターへの入り口でもあるギター弾き語りの愛好家は多い。この文化が廃れないことを望む。
多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定。
佐村河内のスコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的な技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。
これらとは明かに一線を画しているという事だ。
第一楽章、邦楽の静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたかも生物の細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。
第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力。
全く隙の無い構築力と完璧なオーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。
これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。
私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。
着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。
以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。
と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。
それは神憑り的な速さといった感じだった。
何やらスケッチでも書き写しているようだった。
10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。
氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。
その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。
写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。
氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。
後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。
注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。
遠い古からの声―長い間日本の風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式―からこの曲は始まる。
この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓の合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙なコントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要なポイントとなっている―。
やがて一本の竹のひびきは12本もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。
前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八の旋律と深い関わりを持っている。
譜面を見てみよう。
(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラが対応する。
(A')。
そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋の伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄のテーマが提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。
ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。
尺八がサキソフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したものは英雄のテーマのヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋にハーモニーのコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)
そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要な役割を果たす)(譜例4)。
二楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである。
(一楽章をソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)
三楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子、コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である。
メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……
以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。
引用者注:譜例3には『マーラーの交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきものも原文ママにしてある。
www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU
余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。