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はてなキーワード: 傾向性とは

2024-04-06

anond:20240406130324

MBTIとツイート関係分析するというのをどっかの大学がやっていたね

言語処理学会でもそういう発表があった

特徴語の分析とかやると結構傾向性が出てることがわかる

2024-03-10

anond:20240223154325

別に男性BL描いてる人もいるし、性癖性別関係ないでしょ

この手のコメント見かけるたびに思うのは、

関係ない」の意味をどう定義してるかが、最低でも

ゲイじゃないよりもゲイの方がBL描く傾向強いし、レズの方がそうでない女性およびmtfよりもGL描く傾向が強い、というような傾向性が一切認められない

ゲイしかBLを描かないのではなく、そういう性的指向(ここでいう性癖)がないやつでもゲイを描くやつも少しは、多少なりともいる

二通りの流派があるから、かみ合わないよなーと。

2024-03-09

anond:20240309145006

レスを解消したい」というのが

自分の性欲を回復させたい」の意味なのか、「相手の性欲を上げたい」の意味なのか、読み取り切れないのでいまいち理解しきれてないところがある。

かりに後者意味なら、男性側の「レスを解消したい」という思いは、ようは女性の性への関心の薄さを言ってるだけ?

でもそれは性差傾向性レベル問題なので、「解消したい」というより二次性徴最初からセックスレスだったというだけなので、そもそもセックスレス女性を選んだ男の責任なのではとも思える。

前者の意味理解しようとするとトラバの内容はちょっと理解ができなくなる。

最後の文も、年をとるごとに性欲が増して、パートナー男性の性欲の無さに悩むということなら、やっぱり後者意味だろうし。

しか男性の下がった性欲と女性の上がった性欲でとんとんじゃね?と思うので、「最後の文が大嘘」の裏付けになってるので、むしろ後者解釈がより正しそう?

2023-12-26

anond:20231226171330

まあ、絵自体は下手だろうなと思いつつ表現面白いからという感覚が皆無ってわけでもない。

https://www.pixiv.net/artworks/110374178

↑たとえばこれはモノクロページ見ると指とかが崩れてるというかこなれてないとは思うが、アウトラインタッチがなんか幅太で「もあっと」しててあまり見ない描き方で面白いなとは思う。

あとは決して非エロで数万ブクマ稼ぐ絵師と比べれば上手いわけはないという絵師もこの描き方が好きというのはある。

その描き方というのははっきり言ってしまえば、模範的画力を学ぼうとした結果の学習失敗例なのかもしれないが、その失敗例の具体的なあり方というのが作者個々に異なっていて面白いのかもしれない。

ようはこのおっぱいの描き方がエロい、今日はこの描き方の絵じゃないと満足できないと代えが効かないことがありえるのだが、それは、標準的画力定義からみて「変じゃないこと」からの逸脱の仕方がある種の傾向性を持っているからじゃないのかなと。

平たく言えば手癖かな。

んでもしその絵師が下手に向上心を働かせて今より絵が「改善」されてしまったら、そもそも私にとってのその作者にのみ見て取れる絵の個性は、「逸脱」によって実現していたのだから、もはや私には何の個性も見いだせない絵になってしまいうる。よくいるラノベソシャゲ絵師と同等になってしまって、そいつじゃなきゃいけない理由がなくなっちゃうんだよね。

絵なんで学んでない人のプリミティブな絵が面白いなどと軽々しくいうつもはないんだ。創作者でそういう人に限ってプリミティブという枠で見てもなんの個性も見いだせない魅力のない絵としか思えないのもあるから。さすがにそういうのには守破離だろって言いたくもなる。

ただ画力がないことを全否定しようとは思わないかな。

それに一般にはうまいとされない絵に「逸脱」を「良さ」として感じ取ることができる(手前みそな言い方だが)のも、一種の立派な感性じゃないのか。この種の逸脱は個々人に依存する度合いが高いために再現性が低く神秘的だなとも思う。アートの妙というのはさすがに言い過ぎか。

これは発達障害特有(俺発達障害なんだ)なのかもしれないが、絵自体を見る感覚がないわけではない。むしろ発達障害と診断されるような人間の方が人口としてもし多かったら、俺みたいなのが魅力的に感じる絵が社会的にも上手い絵(パースとかじゃなく感覚レベルで)とされてる可能性まであると思う。

追記

うまくなった?せいで俺が魅力を感じなくなった作家の例

上手くなる前の好きだった絵。バキュームベッドでの顔のつぶれ具合が醜すぎずちょうどよいぶちゃいくぐらいで抜ける。

https://www.pixiv.net/artworks/110374178

そのあと

https://www.pixiv.net/artworks/112869300

↑もうただのジェネリックきらら絵師なっちゃって抜けなくなった。半分見限ってる。うまさと引き換えに、バキュベッドの良さを引き出せなくなった「わかってない」絵師になってしまった感がある。

2023-12-05

漫画編集者大卒を据えると難しく考えすぎて本質を見失う

たとえば芳文社きらら系列雑誌は何冊もあるがあれは年齢層別に細かく分けてるつもりらしい。

まりちょっと世代の違いでも好きな漫画の傾向が微妙に異なるなどと思ってるということだ。

でも現に、出してるなかでより高年齢を意図した雑誌を想定よりも若い奴が多く読んでたり、その逆があるんじゃないか

ちゃん意図したとおりに、想定したターゲットが高い順に雑誌の読者層も高くなっているという傾向性は認められているのか。

もっと単純に考えればあんなどっちにしろ萌え系の作品編集方針試行錯誤したところで読者層の年齢なんかコントロールきっこないって思うよ。

ていうかそんな細かい年齢間で漫画の嗜好が異なるという観念自体虚像常識的に考えて個人差の方が全然大きいわな。

大卒から難しく考えてナンセンスなことを考えてるんだろ。俺を雇えよ。

2023-10-04

anond:20231004183532

コンテンツに群がるジャニオタショタコンって自分肯定してますやん

やっぱり感情論でしたね(これはレッテル貼りではなく、文章それ自体感情論要件を満たしてるのでその事実言語化しただけ。レッテル貼りりとはあることをしてる人はあることをしてるという傾向性からそいつもこうではないかと推測すること。これは推測ではなく事実言語化

2023-07-02

twitterはこれでよかったのではないか

twitterに種々の制限をかける現在の方が、twitter廃人やその傾向性いくらか持っている人にとっては、良い結果になったのではないか

twitter中毒性があるし、イイねやリツイートを欲しくなってしまう。考えも先鋭的になりやすい。ちょっと前だと呉座勇一さんのような事例もある。

私たちは全体的にtwitterに没入しすぎていたのではないか

外を散歩したり、読書したり、人と比べない何かをしたり、人の噂話から離れて、

朝焼け夕焼けや、都度の食事を、ネットにアップすることをセットにせずに、ただ愉しむこともまた大切なのではないだろうか。

もちろん災害時の情報収集など克服するべき課題はある。

ただ、電車を待つそのわずかな時間すらネットに奪われるのは、人生の悲哀ではないだろうか。

2023-03-15

アスペ不完全性定理(の証明)など理解できない

とは思いたいがいかにもアスペ知恵袋とかで一語でも間違った用語の使い方をしたらまともに質問に答えてようとしないウエメセ回答者は案外それなりに頭よさそうなんだよな。用語が間違ってると判断できるのは論理的に正しく難しい理論理解してるからこそだからなあ。

アスペ独りよがり比較的単純な論理しか理解できないって考えるのは傾向性としてはありえるが希望的観測の域をでないきらいもあるんだよなああ

2023-01-23

anond:20230122214243

本人は思考と思っているもの志向傾向性しかないことを示して状況を明確に説明しようと試みているのではないの?

2020-06-15

anond:20200615090019

何か問題が起きたときにどこまで個人責任にして、どこからシステム責任にするかは、結構曖昧システム問題があるとしてももちろん個人が免責されるわけではない。

ただ、完全に個人に原因を帰する場合、同じことが繰り返される。システム差別助長する構造がある場合、そちらを修正した方が効率がいい。

そして人種差別人間のものの心にプリインストールされている傾向性なので、よほど気をつけて組織を作らないと、すぐに人種差別が顔を出す。多分米軍は相当気を使ってる。

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

2019-04-15

anond:20190413114026

 私は現役東大生だが、

 「現役東大生だが、上野千鶴子祝辞ゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。

 ここには上野氏の祝辞https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。

 以下、引用中略は[……]、上野から引用は「」、上記はてなから引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。



ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?

 この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である女子医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。


↑ここまでの話をまとめると、私立医学部ではどうやら不正入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大医学部問題[……]で、東大入学式祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?

 東大は(権利問題として)特権的学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しか大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試不正無関係であるとは言えないだろう。


↑ここ統計データを示せよ。なんで女子差別されてる話は具体的な数字しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字さないんだよ。

 これは、追記

https://anond.hatelabo.jp/20190414151912

により推察されているとおりだと思う。


↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。

 女子学生偏差値のほうが上だというのは、東京大学受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値正規分布性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。


↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。

 大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計フィールドワーク社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。

 まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論誘導しているのだろう()


↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。

 そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。


↑てか普通に考えたら 第一女子安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ

 ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。

 ここで示されているのは、①女子安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。

 東大の「1.03」という数字不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしものではないだろう。


↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。

 確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である


↑どうやって?

 差別に満ち溢れた社会の中頑張って勉強してきて。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。


↑突然男子学生を画一化したなお前。性差別って知ってるか?


 男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。

 統計的傾向は個人説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体否定できるものではない。

 そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。



〜同様のため中略。極めて不毛。〜



↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。

 [どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通意味で)レトリックであろう。文学於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。

 高学歴男性批判なのだから、『彼女頭が悪いから』における見方一定価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから


男子サークルって書き方からして完全に男子悪者にしてるけど他大学女子競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能だってあるだろ。性差別か?お?

 そのような事例は、全体の傾向からして少数派である判断たからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子勉強が出来ると魅力が減るという偏見存在証明することになるという反論の二つが想定できる。


↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?

 原因ではなく、東大於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。

 “時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率データと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効データであれば問題なし。


↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。

 これも文意がうまく取れなかった。

 上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人スタンスによると思うので割愛。私の意見結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。


↑これ普通に気になるな

 気になりますよね。


↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれ環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。

 闘ってきた、ということは事実記述。恵まれ環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。


↑冒頭で不正がある話したの私立医学部だけだろ。

 不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。


↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?

 傾向は個人説明しない。

 加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである


↑これはまあそういう意見もあるよね。

 そうですね。


↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?

 学問の話だけではない。普段生き方価値観の話だろう。

 第一ブラックホール観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。

 この言葉は決して、能力の使途範囲積極的規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。

 そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから


結局東大生弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?

 おそらく全ての人は、あるところに於いて強者であるとともに、また別のところでは「弱者である。絶大な権力を持つ政治家社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱身体医者晒しいるかも知れない。東大女性だって社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実於いて強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。


↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?

 [「弱者である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?

 ……付言するなら、「弱者である自己否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから


総評として、全称記号任意記号恣意的混同によってデータ自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。

はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点から評価のつもりでも、科学世界を脅かすありふれた権威主義愚か者集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。

 統計根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問第一条件ではないし(科学方法論に於いて絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊しかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。

 それに、学問営為実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学看護学臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問日常接続しているはずなのだそもそも、このスピーチ学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。

 権威主義を警戒する姿勢は全く健全ものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯姿勢による対応だと思われる。

2019-03-12

anond:20190312220236

言い換えれば、その程度の「傾向性」があるという可能性に過ぎないということだろ。(それも未検証の)

2018-11-07

anond:20181106132747

子供は騙しやすいからな、色々な意味子供を守るため、

親も子供売春してるとか知ったら嫌な気持ちになるからやろうな。

親の気持ちを守るためってのもあるだろうし、と思わないでもないかな。

だけども、否!

私的には

市場の統制と秩序のために子供売春禁止になり罰則規定ができたのではないかと。。。

子供売春合法なら、というか売春合法になると困る人達がいるんじゃないかな?

性という市場はビックビジネスだし、誰でも参入できる市場だと困る人達がじゃんじゃかいるわけですな。

ビジネスの独占のために表向きに色々と罰則規定や取り締まりをしているのだと思います

子供売春もその流れのなかで取り締まった方がうまくいくってなったんじゃね?

んで、

今のような流れはになったのではないでしょうかと思います

結論

ビジネス市場の統制と管理のために今のような形になったのではないかと推測されまする。

後、

この手の記事嫌悪感を抱く人間基本的性的我慢している人達が多い傾向性があるなーと思ったかな。

2018-06-11

オタク】と【サブカル】の関係を無理矢理に図式化してみた

洋楽好きを「オタク」と表現するのは腑に落ちない。下の図式だと【サブカル】の側だろう。

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           【オタク】=五体投地         【サブカル】=つま先立ち(背伸び)

・[目覚める時期]  幼年期~少年期(ローティーン)     少年期(ミドルティーン)~青年期(ハイティーン)

・[価値観]     「生活保守主義?         「従属」は恥、「反抗」は善の《不良文化》? ※古くは映画館ジャズ喫茶

・[住環境]     実家暮らし?             独立志向一人暮らし、共同生活同棲)?

・[趣味と性体験]  童貞処女かは「不問」        童貞処女は「恥」

・[傾向性]     「ネット交流」で平均(没個性)化?  個性化、(他者との)差異化・差別化を重視・優先する「厨二病」?

・[ポリシー?]   オナニースイーツ集団アイドル?? Sex・Drugs・Rock'nRoll??

・[社会的認知]   非公認、未公認?           団塊世代が「数の力」で『若者文化』として「社会的椅子(地位)」を獲得?

・[服、下着]    母親が選ぶ(買う)           自分で選ぶ

・[兄弟姉妹では]  弟、妹の趣味             お兄さん、お姉さんの趣味

・[趣味対象と国]  自国モノに愛着国内志向)?     外国モノを崇拝(海外志向出羽守タイプ)?

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2016-04-19

漫画類型化について

お嬢様キャラとかゾンビとか男子女子高生制服だとか、イケメンの髪形や性格台詞とか、眼鏡キャラとか、とにかく現代漫画作品では類型化が甚だしい。

何かみえざる暗黙の「ルール」に基づくキャラクター作りや設定作りが蔓延していて、その「ルール」の中での成績の良さを競っているかのようだ。

気を衒っているかに見える漫画でさえ、キャラや展開にいつものルール」が見え隠れする。

敢えて時代限定すると、2004~2005年ころ、メイドブーム成熟からこの傾向性が高まってきたような感覚がある。印象論だけどね。

メイド」の「ルール」が蔓延し、他の記号の「ルール」もこの後あまり時をおかず普及した。あとツンデレとかもこの時期だよね。

時代の変化ってのはグラデーションなんだろうけど、それじゃあ書いてて面白くないから、あえて一つの画期を示したぞ。

本当は昔からルール」はある。ジャンプの新連載の1話目なんて、伝統芸能かと思うほどに構造定形的だ。

もちろん、これは漫画と言うジャンル成熟した証左だと言えるのかもしれない。類型化したキャラの方が解りやすく、人気や売り上げに繋がるのかもしれない。

私はコミックスで言うと既刊含めて年間3000巻くらい読む。こうした「ルール」に違和感も感じながらも、自分がかなり「ルール」に馴染んでいるともまた感じる。

ルール」は漫画の基礎的なリテラシーと関連する部分も多いから仕方がないのかもしれない。

けれどそれじゃあ、「ルール」が強すぎる昨今じゃあ、絶対的革新は起こりにくいのかもって思う。「ルール」内での洗練は起こっても。漫画と言う文化と言うか振る舞いが100年先に延命できるような革新。これは起こりにくい。

サッカーではハンドしちゃいけないのだけど、実は漫画ではそれは可能だ。ただしハンドを押し通すための実力が必要だが。逆に「ルール」に従うのは楽っちゃあ楽なのだ

一時期、ウェブ無料で見られる漫画こそが「ルール」を逸脱あるいは超越しうる存在ではないのか、と思っていた。

だが最近ウェブ個人的にやっていた漫画雑誌企画になっていったり、あるいは出版社ウェブマンガ部門を建てることが一般化した。

ウェブの在野の漫画と、商業に乗る漫画とがインターネット歴史の中で距離を縮める結果になった。双方歩み寄った。

ということでウェブ無料で見られる漫画も、そのほとんどが今は「ルール」のなかだ。

それでもちろんいいんだけど、じゃあウェブで、タダで、個人的表現する意味って何なのだろう? とふと思う。

私は「ルール」があっても愉しい。愉しめる。だからルール」だらけでもいい。だけど「ルール」は変転していってほしいと思う。そうでないと漫画未来に残らない。

連歌なんかがそうだと思うんだけど、「ルール」が多すぎる。だからどこかで途切れて、今は誰もやってない。現代ではカラオケで「○○しばり」とかして意味的に繋がりのある歌を歌うばかりだ。

伝統芸能も「ルール」が多く、一定リテラシー必要だ。だから歌舞伎や能や狂言は皆が愉しんでいるわけではない。

漫画もそうなってくかも。ま、今連歌を誰も行なわないことで困ってないから別にいいんだろうけど。

2016-03-23

一ノ瀬莉菜氏が未だに盗作スマホケースを販売している件について

再びこのような形で世間様に顔を出すことになるとは思っておりませんでした。

昨年の10月末頃から一ノ瀬莉菜氏による刀剣乱舞スマホケース盗作騒動で、一ノ瀬氏の擁護を行い、沢山の方々にご迷惑をおかけいたしました、

Twitterにて「さちよ」と名乗っていた者です。

一ノ瀬氏が盗作事実が明らかなのに再びオタマートで販売行為を続けているという事実を知り、文章を認めております

例の件では本当にご迷惑をお掛けしたと今も反省しております

騒動について詳しくは

http://mizushiroxxx.jugem.jp/

こちらのみずしろ様のブログをご覧ください。

現在、一ノ瀬氏が盗作ゲースを売っている様子

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/u/uu_n2/20160322/20160322234750.jpg" alt="f:id:uu_n2:20160322234750j:image" title="f:id:uu_n2:20160322234750j:image">

<img src="http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/u/uu_n2/20160322/20160322234751.jpg" alt="f:id:uu_n2:20160322234751j:image" title="f:id:uu_n2:20160322234751j:image">

結論から言いますと、彼女反省も改心も謝罪しません。

なので「一ノ瀬氏は盗作品を売っている」と事実を広め不買運動をするしかないのです。

みずしろ様のブログにも“謝罪言葉はないだろう”と書かれていますが、

何故そうなのか、これから説明させていただきたいと思います

殆ど感情論ですし、下手くそな手記のようになってしまうことをお許し下さい。

また、この文章盗作を明らかにするものではなく(相変わらず私はデザインについては明るくないので)

一ノ瀬氏が盗作ケースの販売をやめない、こちらが不買するしかない、ということを主張したいがために書かせて頂きます

まず、前知識として置いておいてほしいのが、一ノ瀬氏は虚言癖がひどく、また「役を演じているうちに自分自身その役になってしまう」傾向性のある人物です。

私が一ノ瀬氏と出会ったのは昨年に設立されたとある刀剣乱舞LINEグルちゃでした。みずしろ様が在籍されていたものとは別です。

一ノ瀬氏とは同じ歳で(今となってはそれも嘘か本当か分かりませんが)私の主観ですが当時はグルちゃで一番仲が良く、何度もSkypeLINE通話言葉を交わし合っていた仲でした。

まず一ノ瀬氏がこのグルちゃで今回の騒動について「色んな作家さんがTwitterブログで私に対して虚偽の疑いをかけている」と相談があり、彼女に言い分を把握した上で私が個チャにて

「これからどうするのか」と聞いてみたら「私が犯罪行為をしていないという証拠LINEスクショはいっぱいある。でもそれは機種変をしてLINEデータが飛んだ私の携帯のものではなく、善意の友人から提供物なので、そのLINEスクショ証拠として使ってしまうとLINE性質上、誰が発言したのか、このスクショは誰が提供したのかバレてしまう。それでその方にまたご迷惑がかるならば、私は犯罪者扱いされてでもいからこのまま消えます」と言うような回答が返ってきたので、それではあんまりではないか、と形は間違っていましたが私は必死擁護に回りました。

まず、騒動ですが

私が検証様(https://twitter.com/Tolovecase?lang=ja)が双方のスマホケースの透過画像を出して下さった後、すぐに謝罪文掲載したのは、一ノ瀬氏の虚言があまりにももうボロボロになっていたからです。

確かに検証様の画像は決め手として大きかったです。でも、もう自分の中で完全に一ノ瀬氏に対する信用を失っていた部分が大多数です。

例を上げます

一ノ瀬氏は「もう私はニトロ側に版権証をもらっている。後は発送されてくるだけ」と言っておりました。

私が「ではその発送通知なり許可が降りた時のメールキャプションしてTwitterなりに掲載したら、ニトロ側もこちらの味方だと分かってくれるのでは?」

と聞いてみたところ「私は1週間で全てのメールは削除するんです」と返されました。

まあ、違和感ありましたがサイバー対策としては有効かもしれないので何も言いませんでした。

(後から聞いた話ですが、版権証というのはネット上でやり取りするもののようで、そもそも版権証を取った、という話自体が嘘のようです)

次に一ノ瀬さんが

「そもそも私はpixiv登録自体メメ様が刀箱をアップした時はしてなかった。見れなかった」と主張してきたので

「でもpixivってアドレスさえあれば複垢いくらでも作れるし、そもそも登録してなくても作品見れますよ。証拠にならない」と諌めたものの、一ノ瀬氏は頑なに

pixiv登録時期がわかる時期をメールを遡って探してみる」と言っておりました。

うその時点で先程の1週間でメールを全部消す、って嘘ですよね。私もよっぽどバカですが、このくらいの嘘は流石におかしいって思います

その他、騒動最中、この件について相談を受けていた他のグルちゃメンバーさんには

「少しでもコストを抑えるために○○○印刷所を使っている」と言っていたのに

私に対しては「○○○印刷所は対応が悪いからやめた」と言っていたり、裏で一ノ瀬さんの擁護のために話し合ってる最中に「あれ?あの人言ってること違うくない?」とグルちゃメンバー同士でも非常に混乱しました。

そういうことも重なり、私は騒動最中は終始喧嘩腰でしたが、別に喧嘩がしたかったわけではありません。

とても仲の良い友達が虚偽の中傷を受けているという事実に耐えられなかっただけなので

こちらがその友達に騙されていたと分かった時点ですぐに謝罪文をアップしました。

それから、一ノ瀬氏のリア友さんとも連絡が取れる状態になり、一ノ瀬氏が頑なに「自分スマホケースを作るまで刀箱の存在を知らなかった」と言っていたのにも関わらず、リア友さんとのLINEグループの中での「このiPhoneケースほしす」といったような発言メメ様が刀箱を発表してから直後だったこともあり、リア友さんが謝罪文を書くという形で騒動が一旦収束しました。

友達迷惑がかかるから犯罪者扱いされて消える」って言ってたのになんなんでしょうね。

今考えたら当時成人もしてらっしゃらなかった年端もいかないみずしろ様を虚言で盾にして、弁解文書いた人なんだから何も感じてないでしょうね。

ここまでは、騒動の中で起きていた私の心境の変化みたいなもので、本当に下手な手記もどき申し訳ないです。

ここから一ノ瀬氏の虚言癖の酷さ、また一般常識が通用する範囲人間でないことを少しお話したいと思います

プライベートな話なので一例しかおしません。

まず、一ノ瀬さんはグルちゃに入った当時はプロフィールにも在住地が東京都と書かれており、実際グルちゃ内でも家の中のキングサイズの天蓋付きのベッドやボーリングできそうなリビング映画館かよっていう大きさのテレビ写メを様々載せておりました。

それでメンバーが「すごいすごい」とチヤホヤしてる内に一ノ瀬氏が「部屋いっぱい余ってるから遠征組のみんなはうちのおいでよ」と言ったような発言をするようになりました。

私自身、こんなセレブな方が私なんかと仲良くしてくれるって、お金持ちなのにいい人なんだなと思っていました。

で、実際そういう遠征なり東京の方に住んでいる方々が集まって遊ぼうという話になった時あたりに、急に

義母調子が悪くなり某地方の県に引っ越すことになった」

と言い出しました。それは仕方ないことだね、とみんな納得して彼女引っ越しについての悩みや義母との諍いなどの相談も受けていました。

まあ、もう皆様お分かりだと思いますが、一連の東京セレブ暮らしリア友さんの証言により全部嘘だということが分かりました。

一ノ瀬氏はその引越し先の某地方の県からは外に引っ越しことなど一度もないそうです。

部屋の内装に至っても全部嘘だそうです。ヤフー画像検索とかから拾ってきたんですかね。

他人からチヤホヤされたいって気持ちはもちろん分かります人間だってそういう一面を持ってると思います

でも、自分が実際持ってないもの、有りもしないものをひけらかせて、それで満足できるものでしょうか?

更に、ありもしないのに「部屋あるからおいでよ」など言うでしょうか?

確実に嘘を付いている最中トランス状態にかかってる虚言癖の持ち主だと思っております

彼女の中では、自分は「東京セレブ暮らしをしている私」になっていたんだと思います

更に、引っ越しをすると言う事実真実に見せる為でしょうが引っ越しについて有りもしない悩みをグルちゃ内で散々相談していた点から、「セレブで多才な私だけど悲劇のヒロイン」を演じることもとてもお好きなのだと見受けます

なので、今回のこの盗作騒動も、考えると怖いですが彼女の中では「スマホケースは一から自分で作った」ことになっているんでしょうね。

なので、彼女の口からきちんと謝罪なりを出させようと思ったら、良いドクターをどなたかが紹介してくれる以外ないと思います

タマートの発送地は大分県になってますが、いい病院ないんでしょうか。

その他、言い出したら嘘はボロボロでてくるので、私自身振り返ってみたら本当のこと教えてもらったのなんて銀行の振込先だけじゃないかって思うくらいです。

また、数珠丸のケースも一ノ瀬氏は販売してますが(一つも売れてませんが)あれは刀箱にないものなので一ノ瀬氏独自のものだと思いたいのですが、もし購入を検討しているお友達がいらしたら「殆ど作品盗作して販売してる作家だけどいいの?」と聞いてあげてください。

長くなりました。すみません

本当に、盗作証拠となるものではなく申し訳ないです。

纏めてしまうと、一ノ瀬莉菜氏はサイコパスレベルの虚言癖の持ち主!自分世界で生きてるから絶対謝罪も改心もしない!なのでこれ以上盗作ケースで被害を受ける方、また盗作被害を受けた被害者の為にも不買運動するしかない!

ということです。

最後の私の話をさせていただくと、「さちよ」アカウントを無断で消してしますみませんでした。

あの当時はまだ一ノ瀬氏側に人間が少しですが残っており「そもそもデザインに詳しくない人間デザイナーさんからケースを買うのだから、そう言う人間を納得させるようなブログの書き方ができなかった向こうも悪い」等、新しい火種になりそうな意見を色々頂き、「あの謝罪文が上がってる限りずっと謝ってなきゃいけない気分だから消してほしい」という意向を汲んで削除してしまった次第です。

こちらが加害者なのに申し訳ないです。

それでは、もうこれ以上、私が表舞台に出ないでよくなることを願って、締めさせて頂きます

長々とありがとうございました。

さちよ拝

2015-10-11

北海道増田投稿歴史

北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。

その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌創成川沿いに設置された。

当時は札幌農学校講師教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書回覧し、開拓使に勤める吏員印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的ブックマークを行ない、出身薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。

ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの政治社会に関するものがあり、それに対する道吏員コメント新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章ブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。

明治44年の後の大正天皇行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである現在雨竜町に大農場経営した蜂須賀茂韶しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道土地を所有したり工場経営する政府要人ブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。

大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事ブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦好景気経験した道民デモラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民記憶に遺されるものであった。

戦時中は統制政策のもと増田文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しか増田家やブクマ家は当局面従腹背うまいことごまかした文章ブクマを行ない、ネタ時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。

戦後民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体野幌現在地民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田さらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情資金面での苦慮により昭和29年増田執筆者公選制度頓挫北海道重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士スキャンダラスネタ増田小説えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界リードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。

2015-05-24

女性の上昇婚志向、男女の社会的平等社会の存続はトリレンマ

女性の上昇婚志向

 女性自分よりも稼得能力に優れている男性を、将来性まで含めたうえで配偶者に選ぶ傾向性

②男女の社会的平等

 男女間で所得水準に差異がみられない状態

社会の存続

 人口置換水準を下回らない出生率出生率婚姻率に依存

 社会的な分業を可能にするような低水準の世帯間所格差が実現している状態

上記の3つは同時に成立しえず、トリレンマ状態に陥る。

女性の上昇婚志向、②男女の社会的平等を優先する場合

男女の社会的平等が生じると、女性の上昇婚志向をかなえてくれる男性数が必然的に減少するため、

婚姻率に依存する出生率が減少する。

また、上昇婚志向により女性高所得者自分より低所得男性結婚しないので、

パワーカップルとウィークカップル二極化して世帯間所格差が拡大する。

②男女の社会的平等と③社会の存続を優先する場合

男女の社会的平等が成立している状態で、出生率を維持と世帯間所格差抑制を実現しようとすれば、

女性が上昇婚志向を諦めて、女性高所得者自分よりも低所得男性婚姻しなければならない。

①女の上昇婚志向と③社会の存続を優先する場合

女性の上昇婚志向をかなえたうえで、出生率の維持と世帯間所格差を実現させるには、

女性低学歴低所得化することで、婚姻率を維持し、高所得男性低所得女性という世帯を成立させなければならない。

2014-07-26

アニメカント博士課程無職」の組み合わせは犯罪関係がある

カント愛した元院生、存在感薄く 岡山・女児監禁容疑者:朝日新聞デジタル

監禁事件犯人が、阪大大学院博士課程でカントを中心とした倫理学を専攻していたという報道があり、

当初の報道では「アニメ好き」に焦点が当てられていたこともあり、

ネット上ではカント好きだと犯罪者になるとか報道しないのかね」といった皮肉が多く見られた。

確かに、何か単体のもの犯罪と結びつくという短絡的な発想は戒めなければならない。

アニメ好き」だろうが「カント好き」だろうが「無職」だろうが、それらを犯罪と結びつける報道はあってはならないだろう。

しかし、現実的に何か複数のものの組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべきではないだろうか。

この犯人場合であれば、「カントなどの倫理学哲学専攻」の「博士課程に行くも論文かけず、就職失敗」した一方で、「美少女アニメの愛好」という趣味を持つ人物であった。

これらの組み合わせは、明らかに今回の犯罪に結びつく心理的要因の大きな要素だったと言えると思う。

実際、哲学倫理学というのは、思考や常識の前提に対して疑問を投げかける学問で、かなり危険(社会性の逸脱という意味で)なのは事実である(「カント危機」という言葉さえあり、クライストはそれで精神を病んだ)

博士課程(しか阪大)に行って、それなりのプライドを持つに至る一方で、周囲がエリートコースを歩みながら、自分はまともな職を得られないというのは、精神的にきついのは事実である

美少女アニメというのが、現実のつらさを忘れさせてくれるもので、容易に現実逃避対象となり、それが現実対処能力を下げうる危険性があるのは事実である


もちろん、これら単体と犯罪を結びつけるのは戒めなければならない。

いわゆる「カント危機」と称される精神的危機を乗り越えて、独自の哲学思想を築き上げた哲学者思想家は枚挙に暇がない。

博士課程に行くも、周りはうまくいく一方で自分就職に失敗し、生きる気力をなくしてしまうも、その挫折を乗り越え、その後の自分人生を誇り高く納得して歩んでいる人は数え切れない。

美少女アニメを楽しむことと、現実社会とうまく付き合っていくことを両立させている人は、必ずあなたの周りに一人はいるだろう(隠しているかもしれないが)。

から、これらを犯罪と結びつけるステレオタイプ排除しなければならない。

しかし、これらの組み合わせが、今回の「少女監禁」という犯罪に至った心理的要因ではなかったか意見を述べることがタブーであってはならない。

事実として、複数の状況や要素の組み合わせは、共同体常識規範を乗り越えさせ、犯罪を犯す要因となるのだ。

僕はあの秋葉原加藤供述を読んだときにもそう思っていた。単体要因の「非モテ」でも、「母親との関係」でも、「職場でのトラブル」でもなく、それらの組み合わせが犯罪へと向かわせたのだと。

あるいは、また思ったのだ。「灘・ハーバード楽天」という組み合わせが悪いのだと。別に、灘や、ハーバードや、楽天が悪い訳ではないと。

どれか一つ、それが「公立高校」であったり、「慶応」であったり、「Google」であったりしたら、こんな女性トラブルを起こさなかったのではないかと。

ある単体の要素と、そこから人物判断をイコールで導き出してしまうのは、単なるステレオタイプである

しかし、複数特定の要素や経験の組み合わせというのは、明らかにある種の心理的状況を生む原因となりうる。それは事実である

__________________________________________________________________

<追記>

"容疑者は、他者を道具化したいとの傾向性を克服すべくカント敬愛していたが、ついに自己傾向性に負けた、とするのが妥当解釈容疑者カント親和性は明らか"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492910624356065281

"実際にカントはこういうタイプ人間たちに向けて倫理学を書いたとすら言えるのではないか。事件カント無関係風評被害と言ってる人はちゃんとカントを読むべし"

https://twitter.com/Sukuitohananika/status/492911628392742912

こういうのは匿名ダイアリーで言っても耳を傾けてもらえないが、実名哲学教授が同じようなこと言ってくれると信憑性が増すなぁと思った。

カント好きは犯罪者」と「犯罪を起こした彼の心理の中で、その行動とカントへの偏愛とのつながりがありうる」は全然違うんだよ。何か前者とともに後者タブーにする傾向が最近見られるのが好きじゃないのでこのエントリーを書いた。

そう、今分かったけど、この前者と後者が混同されつつあるのが嫌なんだ。あと、俺は偏見を生みたい訳ではなくて、同じカント好きとして、彼の心理を理解したいからこう言っている。

カント犯罪関係あるわけない」と簡単に言い切ってしまえる人は、彼の心理的状況を真剣に考えたくもないのだと思う。

博士課程まで行ったけど年も食って就職がうまくいかないだとか、カントへの偏愛だとか、アニメポスターを部屋中に貼るとか、彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣想像してみようとも思わないのだと。

彼が美少女誘拐を行おうと思った時に「傾向性」という言葉がよぎらなかった訳がないのだ。

もちろん、犯罪者の心理なんて理解したくも想像したくもないという立場はそれはそれでありだとは思うが。

から、僕は秋葉原加藤も、許されざる殺人をしたのは事実だけど、「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と僕は共感(empathy=in+pathosという意味で)してしまうのだ。

コメントを見ると、僕の表現ゆえだろうけど超誤解を生んでいるし、誤読から変なステレオタイプを生みそうなので、このエントリーは消そうかなと思ったけど、一応残しておく。

まりさ、ジョブスが言った「connecting the dots」に近い話なのよ。人はある特定の要素や経験を結んであるストーリーをつくり、自分自身を把握し、ある行動を起こす。

彼の中で、アニメカント就職できなかったことというのは、何らかの形で結びついて、あるストーリーができていると思う。

もちろん、彼の供述を待つ必要がある。でも、それは明確に意識されていないので供述されないかもしれないとも思う。これはインタビューしてみないと分からない。

とにかく、これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だろう。

もちろん、そのつながりというのは「恣意的」に行われる。経験は無数なのだから、どれをつないで自分ストーリーを作るかは恣意的だ。僕も勝手に彼のドットをつないで彼のストーリー仮説を作っている。

から、「アニメ好きで・カント好きで・博士課程無職」に加えて「恩人との出会い」というドットさらにつないで、挫折を経た最高の人生ストーリーを描いている人も恐らくいるだろう。あるいは「博士課程無職」を何らネガティブドットとして捉えない人もいるだろう。

どんなに否定的ドットの積み重ねにも、肯定的ストーリーを描く人はいるし、あるいは、肯定的ドット一つで人生展望ががらっと変わるというのはよくある話だ。

だけど、今回犯罪を犯した彼はどうだっただろうか、「カントへの偏愛就職失敗や美少女アニメ好きは彼自身の心理の中では少女監禁を起こすに至るような関係があったのではないか」と考えるのは、否定されることだろうか。

人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う

あと、カントは「他者手段としてのみならず、目的としてとらえよ」と言っているのは有名だし、傾向性に逆らえと言っているのは常識として書いたので、そこに誤解が生じたのかもしれない。

そんなカント言葉に彼がなぜ惹かれたのか、彼自身が善きこととは何かという問いを抱えていたからだろうか、最終的になぜカント言葉に従えなかったのか、などと考えるのは彼の心理を探る上で重要だろうとやっぱり思うし、それは哲学的な問いでもあると思う。

2014-04-10

あしフェチ覚書2

http://anond.hatelabo.jp/20140405141401

前回の続きです。私のあしフェチ遍歴を述べていきます

高校生の頃

高校になると女子スカートを短く履くようになります。もちろんこれにドキドキしてしまうのにはあえて贅言しません。

特にハイソックスローファーコンボは私の性的欲求を高めました。

男が履かない(私の知らない)女性ならではの世界がそこにはある。これに興奮したわけです。

更に、靴下を脱ぐ営為ですとか、素足でローファーを履くとか、そうしたあしを廻るダイナミズムにもとても興奮していました。

どんな脚に興奮するのか、その変遷

高校のころから今にかけての大きなパラダイムなのですが、自分が年を取るにつれてふっくらとした女性も許容できる、好きになって行くという傾向があります

脚に関してもこれが当てはまって、昔は相当細い脚も好きだったのですが、今ではふっくらとした脚も好きになってきています

勿論きれいな脚がいいってのが前提ですが、全体の傾向としてこうしたものがあります

ここから具体的な名前を出していこうと思います

高校生の頃ストライク範疇だった細い脚ってどれくらいかというと、今の芸能人で言うと小島瑠璃子くらいの脚です。

大人になった今では心配になるくらい細い脚なのですが、高校生のころだったら全く心を奪われていたでしょう。

高校同級生でもこれくらいの脚の子がいてついつい見てしまいました。


最近だと宮澤佐江の脚(の太さ)が好きな脚の範疇に入りつつありますテレビ東京の松丸アナだとギリギリきじゃない脚になります

好きな脚を具体的に

で、理想きれいな脚で言うと、ぱっと思いつくのがベッキーです。

身長は決して高くはないのですが、とてもバランスの良い、すらっとした中に女性らしい丸みもあり…といった感じで好きです。

一般的な傾向としてはキュッとした足首と引き締まったふともも、ふくらはぎであればだいたい好みになりますね。

最近のだとドコモDビデオに出演している石山杏奈小松菜奈なんかはかなりあしを顕にするシーンが多くてかなりいい感じですね。

あれくらいのバランスのあしは昔も今も大好きです。

そして多分あれは、あしのことよくわかっている人が作っているのではないかと思っています

バタバタさせたり交差させたり、ダンスさせたりとあしのことに通暁した人が作っていると感じます

https://www.youtube.com/watch?v=wd1BSx84HQQ

あとはどんな脚が好きか私の傾向性が解るように具体例に即して列記してみよう。

perfume

かしゆか>>>>のっち>>>>>>>>>>>>>>>あ~ちゃん

菜々緒:細すぎ。

HKT48松岡菜摘森保まどか:どっちも好き。

道重さゆみ:かなり好き。

桜田淳子(勿論若いころだ):超好き。

https://www.youtube.com/watch?v=zX0p03IYcKs

まぁこんな感じでしょうか。何か質問あれば聞いてください。

次回は好きな「足」の方を書きます。こっちの方がマニアックで恥ずかしいのですが、気合を入れて書きます

2014-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20140206194248

具体的にちょっと出してもらっていいですか。

その判断は何を基準にどのように行われたものなんでしょうねー。

なるほど、具体的に何年ですかねぇ。

そもそも非対称というのが曖昧な用法ですね。もっと明確に述べてください。

おっ、こっちへのケチ付けに入って来たね。

IQで判断できる根拠はどうしたの? ねえねえどうしたの?


あと「力の非対称」が曖昧意味が分かんないね

これ以上分かりやすく言えないよ。“判断力”の定義ならまだ分かるけど。

君にとってはIQで判断できるものだったんでしょ?

こっちにとってはそれだけでは判断しえないものだったんだけど。

いえ、個体の数値を具体的に出せばいいんじゃないですか?

平均値があるということは一個体に対する何らかの値があるものと考えますが。

いや、だからね、馬鹿だな本当に。

人間の成長に平均値を出すのは、人の成長が個人差がありつつ同じ方向に向かうからでしょ?

背が伸びる、体重が増える、というように。

障害はどうなの? どこに障害があってどのような症状が出、何が発達して何が発達不十分か、

人の成長のように傾向性があって同じ方向に向かうもんだと思ってんの?

あるなら平均値もあるだろうね。あると思うの?

ていうか君さっきからこっちがいくら比較対象になりえないと指摘しても知的障害者出してくるけど

全然詳しくないよね、ぼんやりしたイメージで語ってるよね?

まあなんつうか性の自己決定でぐぐってください。

2010-01-30

「わたし」が人をフィルタリングする、こと

http://anond.hatelabo.jp/20100129222703

最悪な夕食だった

いつもは自炊しているんだけど今日は面倒になったので途中駅で降りてご飯を食べてきた。そしたら隣の席に座ってた女性2人の会話がクソ過ぎて引いた。

彼女たちは最近行った合コンが最悪だったって振り返っているみたいだった。男性幹事高学歴を連れてくるとか言ってたから、2人はすごく期待して参加したのに、来た男性陣がぜんぜん高学歴じゃなくて、これじゃ詐欺だったと嘆いてた。彼女ら曰く「○○大って言っても○○学部だったらエア○○大卒じゃん。その学部で○○大卒とか言うなってのwww」とギャハギャハ笑ってた。こう書くとネタくさいけど、でもギャハギャハとしか表現できない笑い方だった。

なんていうか、合コンが残念な結果だったって話は良くあることだし愚痴ったっていいと思うけど、レストランとかで大声でする話じゃない。席変えて欲しかったけれど出された料理の半分くらいはもう食べていたし、仕方ないのでさっさと済ませてしまおう。そう思ってなるべく話を聞かないようほかの事を考えながら食事をすすめていたら、彼女らは何と「でもエア○○大卒の癖に私たちレベルと一緒に食事できたんだから向こうは感謝すべきなんだよね、本当は」って言った……。

もう、口にした文言どころか声質さえ覚えそうってぐらい引いた。そこまで言う彼女らのご尊顔を拝してやろうと思って(座るときにチラ見したくらいで、その時まではっきりと見ていなかった)隣の2人をよく見てみた。そうしたら、そこには30代前半かな?と思えるごく普通女性2人が座ってた。別に美女でも醜女でもない、どこにでもいそうな、(30代なのが合っていれば)年相応の女性たちだった。

え、と思った。

同僚とかにいそうなごく普通の人たちに見えるのに、なぜそんなに上から目線なの。感謝って、男性陣は何に感謝すべきなの。エア○○大卒って何。

久々に"本気で引く"って体感をした。ここ数分の会話は周囲もなにげに聞いていたようで、皆さんチラチラ2人を見ていたけれど、彼女たちは気にする様子もなくギャハギャハ笑ってた。

それなりに品のよいレストランなんだけれど、なんという胸糞……。

彼女たちの人となりが知れるな、と思った。加えて、出会いの芽を自ら踏み潰していってるのに気付いてないんだなとも思った。あんな会話を公共でしていたら周囲からどう思われるか、彼女たちには想像もつかないんだろうな。

叩かれるようなことを書くと、

自分も、まあ

「うーん、教養バックグラウンドがこれだけ違うと、腹を割ってしゃべろうとしても、微妙ニュアンスとか伝わらないだろうなー」

と思って、相手を「見くびる」ようなことは、私も内心では、よくしてしまう。

 

ただ、まあ、結局は、1対1で会話しはじめてから20分からそこらぐらいで、相手の雰囲気をみて判断することだ。

大学名とか、出身学部とかで判断をする、というのもその判断素材の一つにすることはよくある。

でも、それはあくまで、「腹黒い私」だということを一応は自覚しているし、結局は、判断材料の一つにしかならない。

 

会話をしてみる。

相手の反応を見てみる。

結局は、そこが全て。

  

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いままで私が付き合った人はみんな大学を出てないが、彼女らはみな、とても賢かった。

大学」というシステムによって認められることのなかった賢さは、あまりにも数多く存在している。

ただ、その一方で、三流大の人の多くが「???」となる話題でも、東大京大の知人は特に問題なく理解するとか、そういう露骨な事態が発生して悲しい気分になるようなことも、現実に、なくはない。悲しいことだけれど、傾向性とか、確率論的な話としては、それは確かにあるのだよね。

 

しかし、

そういう確率論的に悲しい事態を、積極的に肯定し、再強化してしまうような言説を採用して、その世界観の中で生きてしまう、ということはやはり悲しい。

社会はそこまで単純にできていないし、学歴によって人を判定する、という方法は、単に判断コストを少し低くするアクション以上のこととしては使えないし、使うべきではないとは思う。

学歴ヒエラルキーは、学歴ヒエラルキーを肯定するような言説を受け入れてしまう人の数によってその性質を強化させてしまう。

世間が、学歴ヒエラルキー意味をもっと「弱く」受け取るような世間でありえたならば、学歴ヒエラルキー意味も、実質も、大きく変る。

18才のときにどういう成績を取ったかということの意味も、たぶん、ある程度はあるだろうけれど、

それ以上に、

18才以後の日々を、どういう人と会話をして、どういう人と議論をして、どういうふうな楽しさを生きてきたか、ということは、おそらくその人のあり方を大きくかたちづくる。

でも、学歴キャリアによって、人の交流が分断されれば、人のあり方は、より大きく分断されてしまう。それは決して明るい事態ではないと思う。

 

事実である、ということを認めることと、

その事実を肯定するという態度を選択することは、

はっきりと区別されなければいけない。

 

でも、この区別を行うことの意味を「大学名」で人を笑ってしまう女性たちは、理解していないのだろう。

とても、残念なことで、とてもあたまのわるいことだと思う.

あたまのよい人が、恵まれない社会的境遇/キャリアにいる、ということはいくらでもある。

まえに、某えらい人が、「あれほどの人が、こんな三流大学准教授やってるなんてもったいない」とか言っているのを聞いていて、

それはそのとおりだな、と思いつつ、

その一方で、

「いやー、でも、この人の知性って、一流大学教授とかになるタイプの知性とはもっと別の知性なんだよなー。」とか思い聞いてもいた。

ものすごく専門的で、何がすごいのか素人にはさっぱりわからないけれど、本当にごく少数の専門家にだけにしか理解できないような、厄介なタイプマニアック専門性をもった人とかって、大出世するか三流で終わるかのどっちかだもんなー、とか思って聞いていた。

社会システムは、知性を峻別するための効率的な構造を、それほどきちんとした形でもっていない。

 

 

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話を逆の方面から見てみてみよう。

 

上記の記述は、結局はものすごくエリート主義である。

勉強すれば、いい大学に入れる」というような、「努力」が意味をなすエリート主義よりも、

より一層、どうしようもなく、タチの悪い恣意性に満ちていている。

「あたまがいい」とされている人が会話して「あ、こいつ、ちゃんと、あたまいいじゃん。」と思われた人しか、救われない。

とてもどうしようもないことを私は発言している。

東大だろうが、慶応だろうが、スタンフォードだろうが、ほんと、バカな奴は、バカ」という言説を支えることは

決して、ホメられたものではない。

「そういう、おまえさんは一体どれほど、頭がいいんだよ?ノーベル賞でも取れんのか?カスが。」

と、言われると、一挙に、ひとつ世界観が瓦解する。

 

「あの人は頭が良い」という感覚は、究極のところ、人々の主観に支えられている。

IQやら、偏差値などというのは、人々の主観を定量化するために、近代になって発明された中途半端な道具でしかない。)

誰かを良いと思い、誰かを悪いと思う。

それは結局、人をフィルタリングすることでしかない。

「わたし」という恣意的な世界観のうちに、他人を巻き込んでしまう。そういうことだ。

 

「わたし」によって恣意的に作られ、人をフィルタリングする世界観は、

決して、多くの人を幸せにするものではないだろう。

もしかすると、今の学歴システムよりも、遥かにタチが悪いかもしれない。実際、そうだろうと思う。

 

「わたし」が他人をフィルターするシステムと、学歴ヒエラルキーのような制度とを比較したとき、

学歴ヒエラルキーがいかに欠点を持ったシステムか、ということは知られているが、

「わたし」が人をフィルタリングするシステム欠点は、他の人には知られていない。

 

自らの人物鑑識眼に自信を持つ人は多いが、

多くの人の人物鑑識の自信は、それが、学歴システムよりもわかりにくく、複雑なシステムであることによって

批判されずに済んでいることによって保たれている場合も、多いだろう。

私は、自らのオリジナルな人物鑑識能力が、学歴システムと比べられた場合、

平均的には、質の悪いものであることを積極的に認めてもよいと思っている。

学歴ヒエラルキー」やその代替的制度としての各種の「キャリアシステムは、ものすごく欠点が多い。

今後、よりよく改善していくことが常に期待されるのでなければありえないほどに、ダメなところの多い制度だ。

しかし、それでも、今現在多種多様に存在している他のシステムよりも、相対的によく出来たところも多い制度であることは、認められてもよい。

たぶん、徒手空拳で戦闘をするよりは、近くの棒切れ拾って戦闘したほうが、ずっと勝率があがる、という程度のものとして、学歴システムは「マシ」である。

 

そのような制度と比べると、私の人物鑑識能力など、徒手空拳に等しい。

 

でも、私は、これからもオリジナルな人物鑑識能力採用し続ける。ほぼ間違いなく。

それは、「わたし」の人物鑑識のフィルターが、わたしにとって心地よいからに他ならない。

きわめてエゴスティックな理由から、採用し続けるだろう。

そして、私自信の見つめる世界が、私にとってよりよいものになるように、努力してゆくことだろう。

それは、他の人がよいことだと思うかどうか、ということとは、直接には交わらない。

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 

 

自由恋愛の相手、というものは、結局は「わたし」たちの話である。

それゆえに「わたし」に根拠を持たない世界観がそこで導入されるとき、人は驚く。

「え、ちょっと待って?あなたが好きなんだったら、学歴とか重要なの?」

と思ってしまう。

自由恋愛とは、そのような制度として構想され、社会的ぼんやりと共有されている。

それもあって、恋愛において学歴を問題にすることは、ひどく滑稽に映る。

「おまえら、なんなんだ」と思ってしまう、ということはそういうことだ、と思う。


まあ、こんなうだうだとした話をしなくても、「おま、何様wwwシネ、カス」で終了クオリティの話だとも思ったのだけれども、

なんか書いてしまった。反省


(長すぎて増田じゃねーな、と思ったので、こっちにも転載すた。)

http://d.hatena.ne.jp/maskin-monotonicity/20100130

fromはてぶ

id:okemos マスキン単調性を誤解している。あれはナッシュインプリメンテーションの条件だよ。

そうなのかー。ありがとう!

長文は他者拒絶つーか、なんか、ぼんやりしてると書いちゃうんだよね。習い性。ごめんよ…よく、長いって言われる…

id:katzchang 「「わたし」に根拠を持たない世界観がそこで導入されるとき、人は驚く」→驚くのは増田でしょ?

ごめんなさい。レトリックのクセが出ました。反省しています。

id:sagonohashi 付き合ってみてつまらない人間はいないんだと最近やっと分かった。(つまらないのは相手の心を閉ざさせてしまったという事)/みんな意外といい奴だし、意外と残念な奴だから先入観で好いたり嫌ったりしたくはないものだ

それはそのとおりだとおもつた。

でも、腹を割って話せる距離感を図るまでにかかる時間や、距離の取りやすさ・取りにくさ。相手に心をひらいてもらうまでに必要な「時間」はけっこう個人差が出るよなあ、と思った。そういうことを考えると、誰からも「はなしやすい」って言われる人ってすごいよね。

id:md2tak 個人的には自分がどれくらい頭いいか分かればいいかな。それが分からないと自分がどの程度の頭のよさまで判定し得るのか分からないから。

うーん、頭の良さって、そんなに単線的じゃないかも……。

ドラゴンボール的に「つよい」「よわい」がハッキリするというより、もうちょっとジョジョっぽいんじゃないかしら?。

2009-06-19

http://beta.anond.hatelabo.jp/20090614212937

創価にも地域差があっておどろいた

地域差というよりも、組織の中心者の個性によるところが大きいな。

同じ地域でも、中心者が交替するだけで、ガラッと変わってしまうことも少なくないし。

同じような傾向性の中心者が就任することが多いという意味では、地域性があるとはいえるけど。

2008-08-31

それでもAttribute=51は永遠に批判され続ける

Attribute=51についての覚書 - モジモジ君の日記。みたいな。

自己責任論へと引っ張っていく」ような傾向性を持っている、ということです。そういうところを注意したら、少なくともそういうところに反応しているネガティブコメントは減るんじゃないかなっ!と思います。

 減りません。グリに向けられている敵意は、まさに純粋なる悪意と呼ぶべきもの。『要は勇気自己責任』がゴリ押しだと叩かれているのはそこが一番やわい下腹部だからにすぎない。仮に彼が自分の強引さを認めて、態度を改めたとしても、アンチどもは矛先を別のパーツに変えるだけ。アンチのグリに対する憎悪は、もはや彼本人の人格そのものに向けられている。そうして幸か不幸か、グリはそのことを薄々理解しているフシがある。だから絶対的に両者は相容れない。一センチも歩み寄れない。理性や論理の誤謬がなんやかんや、というステージではない。

 ではアンチはグリをなぜ絶対に認められないのか。簡単だ。グリという存在と彼に付随する論理を受け入れいたら、アンチ自身が消滅してしまうからだ。ここらへんの問題は結構根深いものがある。何度も言われてることだし、アンチですら度々認めることではあるけれども、グリの持論の根幹部分は常識的に極めて「真っ当な意見」、つまり正論だ。しかし、ぁゃιぃあめぞう、そして2ch等の匿名掲示板日本ネット社会に撒き散らし、はてなにも深く根を張っている偽悪精神とも呼ぶべきその風潮は、本来はリアル社会のつまはじきものである弱者のための武装手段だ。要するに、オタクで、運動音痴で、あたまでっかちネガティブ思考の童貞のために醸成された空気脆弱アウトローである自らを「努力しなくて、矯正しなくていいんだよ」と肯定し、世間や常識の方を否定する防御装置。それが現在ネットで主流派面して居座ってる匿名文化、あるいはイナゴ文化サマだ。そういう意識が、アンチグリストたちの根底にはある。

 もちろん、ケツに.jpの国別ドメインがついたあまねく仮想スペースがヒネクレタ雰囲気に包まれているわけじゃない。実社会の礼儀や論理がそのまま適用される場所も多い。彼らはあくまで自分たちの縄張りで主流派面してるだけだから。ところがはてなは、そういった連中が本当に多数を占めてる場所だった。ダイヤが石ころ扱いされ、石ころがダイヤとして珍重されるような価値観逆転惑星はてな。そんな星に「キレイゴト」や「一般論」という錦の御旗を掲げて侵入してきたのがグリに代表されるポジティブ教徒たちだったわけだ。彼らは何を血迷ったか可哀想な負け(狂)犬ども再教育し、救済してあげようと考えた。

 だが、もとよりヒネクレたちは自分たちがダメ人間であることを理解していた。その上で、そのダメダメさ肯定してくれる居心地の良いネット空間にしがみつきたがった。救済など、欲してはいなかった。理解はすれども了解はせず。それがグリ一派にはわからない。ネットも所詮リアルの延長線上であると考え、リアルでの幸せなくしてネットでの幸せもありえないと信じて疑わない。何度も開催されるOFF会は、その信念の現れだ。

 これはもう、ほとんど宗教宗教のぶつかりあいなんだろうね。両者の辞書に「相互理解」の四文字は載っていない。当然だ。元々のスタート地点からして、全く別のところにいた人間たちなのだから。

 
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