はてなキーワード: 五感とは
ドラクエ最近やらなくなったけど、今日の映像見てやっぱり俺の思うドラクエとはもう違うなってなったのでしばらく引退する
まずさ、すぎやんはもう引退させようよ。枯れちゃってるじゃん、完全に。これは9ではっきりと感じ取れたし、スクエニもそう思ってるはずなんだけどさ。
そこで後継者育成を放置した(させてきた)スクエニが全部悪い。反省してほしい。
よく「堀井、鳥山、すぎやまの3人誰かが欠けたらもうドラクエじゃない」なんてガキの反論があるんだけど。
すぎやんは枯れてるじゃん、完全に。使いまわしじゃん、音楽。
堀井の方針はよくわからないじゃん。もうシナリオも書いてないだろうし。
この三人を抜きにしてドラクエを成立させることがスクエニの企業としての使命だと思うんだけど、小銭稼ぎで忙しいのか知らんけど刹那に生きてるのかな、この会社。
いや、これね、グラは良いんです。UIもたぶん悪くないんですよ。ドラクエだから。情けない手抜き移植するぐらいなら思い切ったリメイクは大歓迎。
ぶっちゃけると私がドラクエをしばらく引退しようと思っている理由の8割が音楽のやる気のなさ。
まさかあのムービーで東京都交響楽団の演奏流すなんて言わないよね。まさかね。
都響には悪いんだけど、あのグラでフルオケはない。ゲームにフィットしてない。
SFCの6をプレイした人ならよく分かってくれると思うんだけど、あのグラでフルオケ流されても困るじゃん?そういう感じ。
グラにはそれにあった音楽が当てられるべきで、そこを手抜きされそうな不安がある。
というか制作側が音楽で手抜いてるよね。「生演奏!」ってスゴそうなこと言ってるけど、実は手抜きの手法なんだよアレ。上手い手抜きの仕方だから文句は少ないけどさ。
とにかくグラが良い。あのグラなら4のリメイクも映える。ただし、ゲームって五感で楽しむ総合芸術なので、他の要素で台無しにされる可能性が大いにあり、そこだけが本当に不安。
12はよく分からん。はいはいって言いたくなるムービーとよく分からんボイスだけ見せられてもね。
==================以下 追記============================
いくつかのブコメに返信。
いってらっしゃい。ドラクエに限った話じゃないが、音楽は生が一番。CDとかMP3とかFLACとかに拘るよりも大事なところ。
ohchidani 個人的には、ドラクエはオープンワールド化するのが一番いいと以前から思ってて、ドラクエビルダーズでその可能性を示してくれた事はオールドファンとして涙が出るぐらい嬉しかった。ドラクエ、やるじゃんと。
それめっちゃ分かる。私はビルダーズ路線は当初否定的だったんだけど、実際プレイしてみて脱帽した。
これ近い例としてゼルダBotwがあるんだけど、こういう上手いリライトというか、既存の「らしさ」に寄り添ってなお昇華する作品は進歩的でありながらも過去との連続性を残せていていいもの。
KAN3 11はドラクエシリーズの集大成で、エンディングはドラクエシリーズ第一部完!って感じだったから12は色々と変えてくると思う。
ダークであるとか大人向けであるとかいう声明はあったわけだけど、それがすなわち成功に結びつくかっていうのとはちょっと違うよね。
例えば仮面ライダーアマゾンズっていう作品があったんだけど、あれ「今の平成ライダーじゃ表現できない過激なものも取り入れた」っていうことで楽しみにしていたんだけど、
実際視聴してみたら「いや、方向性はわかるけどそれ初期平成ライダーもやってなかったよね?というか仮面ライダーじゃなくても良くない?」みたいな感想になって。
確かにあの表現で仮面ライダーを見るのは新鮮だったけど、ファンが求めてた表現ってああいうのだったの?みたいな。
個人的にはもっとドロドロした感じなのかなあと。良くも悪くもスプラッシュだよね、アマゾンズは。その場の興奮優位で、後世まで語られるような持続性に欠けるな、と。
こういう視聴体験があるので、ダークすなわち手放し称賛というほどでもないんだよね。
これからFFと差別化していくにあたってドラクエには克服していく課題が多いし、その模索としては評価できる。
luege_traum 既に移植作では2Dにフルオケやってるので、むしろここまでリッチな2Dになるなら合ってると感じるけどな。つーか最近やらなくなってるなら既に引退してるじゃん。こういうのも引退詐欺というのだろうか。
carl_s リメイクDQ4の不満点の一つが『海図を広げて』(船の曲)にイントロ追加されて曲本体部分に到達するのに40秒くらい必要になっちゃった点(4章終盤の演出も変更)なので、「ゲームにフィット」の不満はちょっとわかる。
あれはヒドかった。ちょうどあの頃からフルオケ垂れ流しとゲーム音楽の境界が曖昧になってきたかなと。
補足しておくと、フルオケが悪いわけではなく、あくまで「フルオケならお前ら満足だろ?(垂れ流し)」みたいなやり口がクソだって話ね。
もちろんこれを解決するには相応のコストかかるから、判断として垂れ流しにしたい気持ちはよく分かる。
枯れてんだよ、残念ながらな。
人は老いる。老いては枯れる。この当たり前から目を逸らさずに、お前もやりたいことあるんなら若いうちにやっときな。若くないなら受け入れろ。
klaps ぱふぱふとか寒すぎるんで本当に辞めてほしい
あれが寒いのは、「ぱふぱふかと思った?残念!実は違いました~、いかがでしたか?」みたいなのを面白いと思って実装してしまうのが寒いのであって本当のぱふぱふは温かいぞ(真顔)
c_shiika 12の発売と同時に復帰しそう
できればしたい
知ってるけど、彼にドラクエの後継が勤まるかはよくわからない。ドラクエの音楽にはドラクエらしさである以前に「すぎやん節」と呼ばれるすぎやんの「様式」があるの。
ただ場面場面に合わせた曲が作れれば良いわけじゃない。
言っちゃ悪いけど、オケなら「ドラクエっぽい」とか思われちゃうなら、作曲家のネームバリューに拘る理由もなく、そこらへんの音大出た新卒に曲書かせりゃいいと思うよ。(一定のクオリティさえ保証できていれば誰でもいいって意味ね)
そういう個人の「様式」を他の作曲家が模倣できたとしても、それを馴染ませずに放置させてきたことに不満があるの。
すぎやんって割とクセの強い、個性の隠せない作曲家で、そういうところが余人を持って代えがたいところがあったの。
だからこそ後継者は誰でもいいわけではなく、次に繋ぐ襲名披露をしなければならなかった。
他にやり方があったとしても、ここまで放置したスクエニは自身の企業価値とIPの価値を損ねている。
lady_joker 私はドラクエほとんどやってないのだが「ドラクエ11 名曲」で検索するといい曲がヒットし、これを名曲だと評価するコメントも山ほどあるからすぎやまさんが枯れたというのは増田の勘違いだろう
33件で山ほどのコメントって言って良いのかは知らんが、枯れたっていうのはそういう話じゃないんだよ。
巻き込んでないし。自分から巻き込まれてきておきながらこういうバカバカしいブコメつけるバカを見るにつけ匿名って素晴らしいなって思うわ。
はあ?おばけなめくじみたいな人生送ってるお前に言われたくはないわw
このブコメに無料星つけるおばけなめくじフォロワーのidやばwえ、おばけなめくじのワナビーだったりする?w
こういうおばけなめくじのこうげきみたいなコメントが人気になっちゃうあたりがはてブのオワコンっぷりを物語ってるよね。
ちなみに「留保の可能性残してる」んじゃなくて現に留保してるんですよ。活動休止って言えば納得するか?そう書かないと納得できないか?可能性の話ですらありませんね。人の話も読み取れないのにクソダサコメント。ダッサ。鳥肌立つわ。
後継作品が気に入れば再開するし気に入らなければ再開しない。
そういう話にダサいダサくないとかいう基準を持ち出すところが最高にダサい。メンツ重視なくせにリアルでは職場にも家庭にも居場所のない趣味に生きる()中年男性みたい。
空腹の状態で食べものを口から胃に入れるとドーパミンが出る。この快感を「うまい」と表現するならそりゃすべての食い物はうまい。
でも人間の文化としての食事ってそれだけじゃなくて食べた後の「満足感」みたいなものも含めて成立・評価される。この「満足感」がわかる人には素晴しいもので、これを求めて特定の店やメニューをリピートしたり高い金を出すようになる。麻薬のような低レベル(バカにする意味じゃなくてレイヤー的な意味)の反応じゃないけど麻薬みたいな所があると思う。本当にうまいものって、満腹になっても食べ続けようとしてしまう。
これは人間の五感すべてを使って感じ取るもので低価格では実現しにくいし、消費する側にも理解できる程度の教育(知性・感性)が必要。
よく「何食ってもうまいのと、よりうまいものを知ることのどちらが幸福か?」みたいな議論があるけど、こういうカラクリなので俺は後者だと思う。よりうまいものを知っても、空腹時食事のドーパミンはなくならない。
ここのはてブロにテニプリの話しか書いてないけどハマって1年以上経ちました。アラサーです。忘れないように時々書き散らしてます。コロナ禍なのでアプリのテニラビずっとやってたらランクが350ぐらいになりました。えーすけさんより上手い自信がある、多分。
最近主人公校じゃなく、氷帝vs立海のいわゆるスピンオフ新作アニメがU-NEXTで前編後編公開されました。氷帝推しなのでもちろんのこと氷帝を応援しています。
とりあえずネタバレに配慮して感想を書くと、跡部の2年生教育がすごい。失敗しても次負けるなとか良くやったとか涙は取っておけとか、マイナスのこと一切言わないんですよね…。3年生に対しても叱咤激励がうまいのなんの……長から退きつつもカリスマ性は衰えず。
勝敗ぼやかてるけど氷帝より立海が強いのは当たり前なのでまあそういうことなんですよ……………。
立海も教育すごくないわけじゃないけど三強はほぼ放任主義で赤也は勝手に強くなる、ってみーんな思ってるんですよ。ジャッカルという最高の男は2年の次期部長玉川くんを育てるために試合を譲ってくれた訳ですが、ジャッカルと丸井がちゃんと先輩してくれてていつも感動します。赤也のことも可愛がってるし、サンタ信じてる赤也を守ろうと必死です。かわいいよ。詳しくはテニラビ2020のクリスマスイベントを見てね。
ちょっとテニプリ齧ってる人に向けてなんですが、跡部のテニススタイルってめちゃくちゃ偉そうなんですけど、ああ見えてすごく泥臭いんですよ…。描写シーンは負け多いですし……。あと今回さらに進化が加速してしまうので笑ってしまうかもしれない。「踊ってもらうぜ!」って感じの派手派手脳筋テニスを見てください。
幸村は魔王五割増です。越前に負けてるけど負け知らずです。なんか今回見たことない顔します。パワーSって感じ。幸村は派手な技は無いんですけど、本当にただボールを返してるだけで、ついでに五感が奪えちゃうだけなのでめちゃくちゃ強いです。この部長たちもある意味対比なのかな〜そうだね〜。
赤也くんは最近本誌で頑張ってるので語るまでも無いんですけども、日吉!日吉若を!見てください!2年部長のアグレッシブベースライナー神経質な面もあるが常に負け向きで虎視眈々と正レギュラーの座を狙って……いま部長になりました。試合で散々負けたし、跡部が負けるところも見てたし、成長のタネを撒かれ続けて、とても大きくなりました。なるほど若くん。
はぁ〜立海のベスフェス行きたかったな〜〜チケット先行参戦が遅かった……………
おわり
なにかいいことだとおもったりおもしろいことだと自分がおもってることをする人ってなにをどう注意してもダメだとおもうんだよね
冷蔵庫に入ったらダメっていったら冷凍庫ならいいのかとかおでんのスープならいいのかとかそういうのがダメだっていってんのわかんないのかなってとこあるよね
というかむしろしてないこととかダメなことをしてもいいんじゃないかって思考になってそう
そういうのを斬新なアイデアとかおもっちゃってるとこってまともなことをどこまでも教え続けてもそのたびに「そうじゃなかったらオモシロイんじゃない?」とかいいだすよね
それをほんとうにボーダーこえたところだけダメだって折檻してもそれはそれってまた違うところでやらかしそうなのは想像に難くないよね
極端な話だけどさ
手足をもいで五感をうばってもたぶんそういう気持ちってなくならないんじゃないのかなっておもうんだよね
そういうのって人権とかいうものって感じするけどその人権そのものから迷惑行為が発生してるってこともいえなくもなくないよね
人権があるとか人であることがそういう創造的な行動をしてるみたいな
大義名分としては文字として聞こえはいいけどひどく迷惑な話だよね
実際に手足をもぐとか物理的に攻撃とかあからさまにダメージをうける部分を狙っての攻撃とかそういうのは無理筋だよね
だときれいな言葉でダサいとか受け入れられないとかいいとおもったかもしれないけど私たち一般としては全面的に受け入れられない否定するしかない最低の考えだったとか間接的にこっちが突っぱねるのがいいよね
五体が満足でも心が折れたらその人権のなんとかみたいな行動がなにもできなくなるよね
その迷惑行為をやめさせたいっていもってるその目的はきれいに達成できるんじゃないのかな
そうじゃなかったらほっとくと絶対またどこかで迷惑行為するでしょ
そうなるの見逃せってそうなったらそうなったで被害者が発生したらそのとき考えようってそれストーカー規制法ができる前の警察の対処じゃんね
実際に物理的な被害が発生してからはじめて調査をしましょうっていうのよい文化だったか考えたいよね
いまもその文化を残して継承していこうってなってるか考えてみたいよね
再犯するのが放置されてるのってもう教師による未成年者への変態行為くらいだよね
あれも実際に子供が被害届だしてないと人権とか問題なしなんだからいいっていうならいいとおもうんだけどそうなのか考えたいよね
それをやめさせるのに手足がなくてもあきらめないっていうのはもう実際にそういう人がいるのでわかるよね
じゃあそうできる体があるのにしない人やできない人がいないのかっていったらいるよね
そういう人になってもらいたいからそうなるように攻撃するんじゃないのかな
攻撃がダメだって言うならそういう迷惑な行為をする人に首輪をつけて監視をする人をつけてくれるのかな
その人が再犯する前にとめてくれる人が常についててくれるなら今回はしょうがないって次回はその監視役の人に責任をとってもらうってことでもいいかもしれないね
いまのところやっぱり被害者を減らすためにはそういう根本的に歪んでる人をまっすぐできないなら折ってしまわないとほかの人たちが折られていくのを容認してるのと同じことになるんじゃないのかな
エヴァ や 理解ある彼くん や 関係性萌え に乗じて 人生観 や 人間 について語りたい増田がいるようなので新しく増田を作りました。
タイトルの『人間とはなにか?それ以前に "自分" とは何か?』に入る前に、大前提としておさえて欲しいことがあるよ。
↑ 上記はおさえられている前提で話を進めるよ でないとタイトルに入れないので
スコープの大き過ぎる問いなので、ここでは、サピエンス:理解する、知っている、知恵のある とは? に限定するよ
増田の考える、"理解する" とはなんだろうか?人間以外の生物やコンピュータは理解することはないのだろうか?
増田の考える、"自分" とは何か? 自分は身体のどこにあるのか?指し示して欲しい。
ちなみにこれは既に答えが出ているので先に答え書いちゃうね。頭を指し示してもそこに "自分" は無い。
身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無だ。もっと言えば自由意志が存在しない。
過去の "自分" と今の "自分" は組織からして物理的に違う。
人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理がある。
記憶は五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない
(いわゆる"忘れる")
早い話が人間は、身体も記憶も連続していない。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い。
日本生物物理学会も “材料的には生命と非生命の物質の間に本質的な違いはありません.それでは,「生命」と「物質」の違いはどこにあるのでしょうか?“ とか言ってる。
そしてその生命現象を人類はいまだに理解が出来ておらず、生も死も非常にモヤっとしたものだ。
"未だ生を知らず、焉くんぞ死を知らん" (まだ生についてよくわかっていないのに、どうして死のことがわかろうか)みたいな?
たとえば、食肉処理場から、食用に解体された(お肉になってるので臨床的には当然死んでいる)の 豚🐖の頭部を使った実験。
[Nature]Pig experiment challenges assumptions around brain damage in people
https://www.nature.com/articles/d41586-019-01169-8
[日本語記事][Nature ダイジェスト]死んだブタの脳を体外で数時間生存させることに成功
どうしよう、日本語記事のタイトルの通り、食用に解体されお肉になった豚🐖の脳🧠が復活しちゃったよ?
> 研究チームは、BrainExに組み込んだブタの脳が6時間でどの程度回復できるかを調べた。
> その結果、保存液を注入しなかった対照群の脳の細胞は崩壊してしまったのに対し、
> BrainExに組み込んだ脳では個々の細胞や部位の構造が保存されていた。また、ニューロンや他の脳細胞が正常な代謝機能を再開したことや、
> 脳の免疫系も機能しているらしいことが分かった。さらに、BrainExに組み込んだ脳から採取した組織試料に通電したところ、
> ただし、高度な脳活動を意味する脳全体の協調的な電気的活動パターンは全く見られなかった。
> 研究チームによれば、そうした高度な機能を復活させるには、電気ショックを与えるか、もしくは、もっと長い時間にわたって脳を溶液中で保存し、
> 酸素供給がない状態で受けたあらゆる損傷から細胞を回復させることが必要だろうという。
>
> すでに、BrainExを使ってブタの脳を最大36時間生存させている。
さて明確に活動を再開してるのだけどこれは "生きる" のかな?"死んでいる"のかな?
「我思う、故に我在り(Cogito, ergo sum)」
「私は在る、私は存在する、これは確実で ある。しかしどれだけの間か。もちろん、私が思惟する間である。
なぜなら、もし私 が思惟することを完全にやめてしまえば、おそらくその瞬間に私は、存在することを まったくやめてしまうことになるであろうから」
とか言った人もいたが、実際的には "自分" という存在は気のせいだ。
だが、増田は 『自分なんて気のせいだから自分があるように振る舞うのはやめろ!!』 と他人に言われて従う?従わないでしょ?
ーーーー・・・以上で前振り終わりで、本題に入る。
1−4を踏まえて、増田にとっての "人生" とは? (人生観を語るのが好きな人が好きなワード "成長" や "大人" や "希望" や "救い" とかでもいい)
社会的なごっこ遊び (Social Pretend Play) じゃないヤツで頼むね。
五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージを表現する一種の記号である。
言語は想起のための指標である。それは経験や知識の曳き手であって、イメージのリアリティではない。
書くことは、他者とのコミュニケーションが可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである。
口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気を悪用して、メディアやミームに感染させる一種のツールである。
インターネットを通じて他人のイメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンスな方法を使っているので破綻している。
自由や幸福は、自分の手に負えないものを無視することで得られる。
これは古代ギリシャの哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。
松井秀喜がこのストイックな哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。
言語の美点は、話し手が意図した通りに「もっともらしい」ものを人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。
そもそも言語の誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である。人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。
それは例えば、お金や権威などの暴力の一種であったり、感情という人間の状態の一種であったりする。
すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである。
それだけでなく、活版印刷やインターネットの技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。
それと引き換えに、宗教の絶対性を広めることで、言語習得のデメリットである上記のような制御不能な事象を打ち消そうとする試みがなされたのである。
上記の記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報を相互参照して、ご自身の結論や否定の判断にお任せすることにします。
エピステーム
精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要な概念が提唱されています。
エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコーが造語した言葉である。簡単に言えば、私たちの認識が形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たちの経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たちの経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたときに知識となるのです。
そもそも「精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?
インゲニヤトーレ
12~13世紀のヨーロッパでは、労働組合の倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争に対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トールである。インゲニウムは、今日のエンジニアの語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。
レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのものを描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法が必要だったのだと思います。
ピクトリアルジオメトリという幾何学的技法があります。ガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
先ほど、面白いツイートが私のTLに流れてきたので私見を述べる。
『新聞、月5,000円も払って昨日のニュースが紙で届くってやばいな』(原文ママ)
このツイート自体は確か面白いな、と一笑に付したが、そのツイートには大量の同意・賛辞のリプライがぶら下がっていた。
"5,000円で油を取る紙を買っている"
"ぼったくりだ"
やはりこういう意見は少なくないな、と気づかされる一方で一つの疑問が浮かんだ。
"この新聞批判をしている方々の何割が自分の金で新聞を購読している、ないし購読したことがあるのだろうか?"
夜討ち朝駆けという言葉は古い価値観かもしれない。しかし、身を粉にして社会の情報そのものを自らの五感で直接インプットし、それを文字でアウトプットする。そんな自分の仕事にやりがいを感じ、自身のジャーナリズム精神にも誇りを持っているつもりだ。
それでは「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」と言いたいのか、と聞かれると答えはNOである。
インターネットメディアの急速な発展と共に情報が世界を巡るスピードは目に見えて早くなった。
地球の裏側で起きていることがリアルタイムで手元の端末で確認できる。
何十年も前の『正確・早い・多い』という新聞優位性を持っていた情報の三種の神器は既に別媒体(主にインターネット)に負けているのだ。
実際に私も
こんな記事を書きたいからこういう方からこんな話を聞きたい、と結論ありきの取材を行い結論ありきの記事を書いたこともある。
上司からこういう紙面を作れ、と命令を出され自分が紙面に載せたい情報を翌日に回したこともある。
新聞記事には、偏向とまではいかないまでも記者自身や会社自体の色眼鏡を通したバイアスがかかっているのだ。
しかし、「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」わけではないにしろ「読む価値があるか」と言われれば声を大にしてYESと叫ぼう。阿呆でなければ。
なぜならば、新聞紙の必要性を語る上で最も大切なのは、その色眼鏡の良し悪しだからである。
新聞は、政治の右派左派、経済の支持不支持、社会記事の着目点。会社によって特色があり、多くの記事は記者の名前が載っている。それぞれの記事が会社としての社会的責任と個人としての社会的責任を抱えた上でなんらかのバイアスをかけられて掲載されている。
自分で直接見聞きしたものを除いて、新聞・ニュース・SNS・人伝の情報に至るまで。
全てがその経路の中であるいは削られ、あるいは付与され、或いは歪められるのだ。ここに例外はない。
(手前味噌ではあるが)優秀な能力を持った記者が他にはない一次ソースから仕入れた情報を提供する。
色眼鏡を通しての内容であることを理解さえしていれば極上の情報であることに違いはないだろう。
さて、私が言いたいのは「新聞を取れ」ということでは断じてない。
なぜならば、そもそもその色眼鏡に対して価値を置いていない人間(以下、阿呆)には新聞というのは豚に真珠もいいところだからだ。
阿呆はいいように削られ付与され歪められた情報を信じ哀れにも踊らされる。新聞を読んだとしても、新聞に踊らされるだけだ。
TwitterでもFacebookでもYahooニュースでもまとめサイトでもYouTubeでもテレビでも新聞でもなんでもいい。
あなたが情報を入手しているツールはどれほどまでに信頼できるものなのだろうか?
そもそも新聞の特長を情報の正確さ・スピードだと考えている人間にはどれほどの情報リテラシーがあるのだろうか?
私が投げかけたいのは、そういうことなのだ。
さて、こういうのは自分は大丈夫だ、と思っている人間の方がよっぽど危険だ、というのはよくある話で。
「なるほど、確かにその方面で働いている人は正鵠を射た発言をするなあ」
そもそも、この記事の冒頭に引用させていただいているツイートのリプライ欄には、新聞が不要だとする内容と同じくらい、新聞の必要性について肯定的な意見を述べているツイートがあるのだ。
いったい、この記事を読んだ内の何割が
と疑問に思い確認し、
とそれを検証しただろうか?
改めて、私が言いたい情報リテラシーとは、そういうことなのだ。
阿呆は鏡の向こうにいる。
ちなみに、そもそも私は新聞記者だ、というのも真っ赤な嘘である。
以上。
すべての人間は連続していない存在 (過去と今と未来では完全に別の存在) やで
人間の記憶は同じだから連続した存在(同じ存在)とするのもだいぶ無理がある
記憶は五感を伴うものであり、身体の組織が違っていれば、思い出しても当然感じ方は違うし、
(似たような環境で育てたとしても完全に同じ個体にならない理由がまさにこれ)
そもそも記憶のインディックスを失い、正しく記憶を読み取れなくなるかもしれない
(いわゆる“忘れる”)
早い話が人間は、自我云々以前に身体も記憶も連続していない。少なくとも、連続性を保証するものは何も無い
そういう話じゃねぇんだわ、物覚えと記憶の読み出し能力が落ちてて凹むって話なんだわ〜なら
ストレスが原因かもよ
謎の返信がついている。
>何度も言う通り今回の話の発端は「あなたの考えていることがわからない」と言われた牧師の話なんで、
>その話を展開していった果てが「考えてることがわからないと言われる前に何とかしろ」ということになるなら、
>この手の話って不毛なんだなって思う
これは、僕が、自分の言う「ラポール」作りができていなかったようだ。
まず、その点は反省する。
ツリーの議論を読む限りでは、牧師さんのカレーの例で、牧師さんが「何と答えれば」正解だったのか?
という意識になっているような印象を受けている。
「正解じゃないこと」を話したために、相手の反応が悪くなって・・・・。
少なくとも自分が昔そうだったので。
毎回正解は違うんだよね。
そう言うと、「そんなの覚えられないよ」って話になるかもしれない。
「毎回正解が違う」のは、「相手が伝えてきたこと」をベースに作る必要があるから。
(「相手が伝えてきたこと」は、相手自身にとっては100%当然のこと。それをベースにしたメッセージは、当然受け入れられやすい)
「おうむ返し」はそのための1つの型に過ぎない。
そのやり方を身につければ、そんなにやることのバリエーションはない。
感情や五感で感じたことを付け加える時もあるけど、それも汎用性が高く、パターンは少ない。
お互いに意見の相違が起きにくい、ざっくり表現で返すことがポイント。
難しいことではないんですよ。
頭悪そうに見えるお兄ちゃんが、口から出まかせのようなことを言いながら、
お客さんや、上の人に気に入られているのを見るじゃない?
やっていることは、きっと複雑ではないんですよ。
うまくいくコミュニケーションをするには、他の人が開発したコミュニケーション・パターンを
(自分で考えてしまうと、相手の反応が読めないことから、毎回迷ってしまうので・・・。少なくとも自分はそうだった)
一通り情報は伝えたと思うので、またじっくり消化してもらえれば幸いです。
某日、仕事が早く終わったため、何かやることを考える。晩飯を食うには早く、すぐ帰るのも面白くない。帰りの電車で何かないかと探っていると風俗街のある駅が次の停止駅だった。思い立ったが吉日、ソープに行くことを決めた。この時点でノープランである。とにかく目的の駅で降りたはいいものの行くべき場所も何もわからない。道端でググって紹介サイトを巡り良さそうな店を探し、昔の記憶を頼りに「そういう区画」を目指す。縁がないと思っていたが「そういう区画」特有の暗さの中に目立つ明るさのおかげで掘り当てることができた。
初ソープなので無難に60分で22k。店はおっぱい重視で系列店もある規模も小さくないという初心者にしては悪くないところを選んだと思う。足を運んでドアを開ける。今まで見たことのない向こう側はピンク色だった。
あれよあれよという間にテンションの高い黒服に説明をされながら女の子を選ぶことに。写真とその他数値を見つつ選べた。ここで表示されるパラメータ、実物と違うやつだ。顔も加工がありそう。本物がモビルスーツみたいな人かもしれないこともある。これらはTwitterで学んだ。写真と数値の補正を脳内で解除しつつ、よさそうなOさんを選ぶ。運良く一番待ちも短く、入浴料を払ってから30分ほど待ち。
待合室に入ると30-40代の男性が3人ほど。平日の夕方、ちょうど仕事終わりたてか?彼らは呼ばれた瞬間、そそくさとこの部屋を去っていく。わかる、見られたくないもんな……。目の前のテレビは大統領選のニュースをずっとしていた記憶がある。俺の心は初めてのソープでこんなに緊張しているというのに、アメリカのトップなどどうでもいいのだ。この時の緊張具合といったらない。以前、気まずさとか気持ちの問題で全く勃たなかった事があったのでトラウマになっている。今回もそうなれば金払って何しに来ているかわからなくなってしまうので友人へのウザ絡みLINEでテンションを普段に戻しにかかる。「いきなりソープ来た報告をする狂った人間にどうコメントしろと言うのだ」と一蹴された。
お手洗いを済ませ、少しすると番号を呼ばれた。向かう先ににOさんがいる…。廊下に出るといくつかの確認。運命の瞬間。「はい、ではごゆっくり〜」とスタッフの掛け声とともにカーテンが開けられる。「どうも〜Oです!私で良かったですか?」顔を向けるとカーテンの奥にはカワイイ系のお姉さんがいた。モバマスの誰とか言われても履修してないしテレビは数年見てないので例えろとか言われてもわからないが可愛いと思った。細くはないくらいの体型で好み。服うっす。おっぱいでっか。見ていいんか?倫理観おかしくなるぞ?電車でも目の前に女性がいたら目を逸らすし近寄られたら逃げるくらいの気概でいる俺が見てもいいのか?
敬語の抜けないたどたどしい挨拶を返すと差し出される手。これは何だ?戸惑っているとどうやら手をつないで移動するようだ。指を絡めて、一歩を踏み出す。どんな距離感で行けばいいのかわからない。初めてのソープであることをネタにすることと手が冷たいことをネタに無言の間を埋めつつ、部屋に向かう。
初めて入った部屋は異世界だった。寝床と風呂場が合体した部屋は普通の物件にない構造なので常識の違うパラレルワールドに迷い込んだかと思った。しかもここで本番までするわけで。倫理観の壊れた世界に来たのかと思ってしまう。
湿気と倫理の高低差にやられている間にそそくさと服を脱がせてくれる。Oさんと身長差が結構あるので上は自分で脱ぎ、下は脱がせられた。下を脱がせられるのはいつ頃ぶりだろうか。親よ、俺ソープで服脱がせられてるよ。
今度は逆に脱がせる。パッパと済ませ、ブラジャーもホックを外して。ブラジャーのホック、構造が見てわかりにくい。外すのに力入れていいんですか? おっぱいでっけ〜。外した瞬間にかさが増したかのように広がるおっぱい。でっか。これ見てていいんですか?でけえ。スタイルも悪くない。ちょうどいいくらいの肉付きでむしろ好きなくらい。なんかいい匂いするし肌もきれいだし世の中にこんな生き物いるか?という気持ち。五感で生と性を実感する。
お互いが裸になった段階で二人で風呂場へ。といっても2歩歩けば風呂場である。バスタブ、シャワー、そしてあの椅子がある。流されるままに噂に聞くスケベ椅子に着席。スケベ椅子そのものは別のところで座ったことがあるので初めてではない。玉袋が宙にある感覚が面白い。
泡で身体を洗ってもらう。体を洗われるのも何年ぶりか。全身ということでちんこも含めて洗われる。それはそれとして、手持ち無沙汰なのが困る。手を動かせば胸に手が当たるし。いやこのあとそういうことするんだろうと思うけどそういう雰囲気ではないし。仕方ないのでめちゃめちゃおっぱいを見る。でけー。ロケット型、とか呼ばれるタイプだと思うが、生で見ると構造と動きからそういう形になるのも納得する。重くて密度があるのだろう。
この辺までの雑談で自分と年が同じことが判明(20前半)。ちょっと話しやすくなる。雑談の内容はとりとめのないもの。「仕事帰りに思いつきで行きたくなって初ソープ」とか「一人〇〇で何かする行動力がほしい話」とか「冬に入るから上着のお金がほしい話」とか「お店の子みんな仲いい話」とか。思ってたより普通に日常してるんだな、と思いつつ。
バスタブに浸かりつつ歯磨きとうがい。実家みたいなムーブだが、目の前には体を洗うOさん。動作と光景による日常と非日常のコントラストが美しい。後からバスタブにOさんも入ってくる。俺の図体がでかいので足でマルを作り、Oさんを囲むようにして密着、絡むように二人で入る。狭くねえか?これ大丈夫なやつ?やわらかいけど。この間もちまちま雑談。話すのが好きじゃない俺に対してOさんは話すのが上手い。気まずくなりたくない俺が開いた間を埋めようと話を振ってもほどよく返してくれる。会話のキャッチボールの返しやすい場所に玉を投げてくれる。ちらっと大変そうな話もした。
そしてこの段階でちんこは全く反応していない。とてもエロい環境にいるのは間違いないし実際そう思ってはいるけど勃たん。申し訳ないしもったいないよ…。前日全く予定に入れていなかったので普通に昨日シコったのも良くなかったか?
プレイの希望は「初めて」をタテに攻めてもらうことに。ベッドで横になり、Oさんが上からかぶさる。この時点でOさんの陰毛がないことに気がつく。胸を見過ぎ。キスから始まり、体重はかけてもらいつつ(好き)乳首舐めと手コキ。きもちえぇ……。俺は強めに扱いてもらうのが好きかと思っていたが、ゆるくしてもらう方が好みだったのかもしれない。そもそも普段の自慰圧が強すぎたのか。勃ってきてからそのまま咥えてもらう。 体で感じる柔らかさと刺激でちんこも元気になる。あんなに「いや、俺は清純派だから」みたいな顔してちょこんといただけだった息子が存在を主張する。自我の芽生えか?それもそう、ちょっと顔を下に向ければいい匂いするしくちゅくちゅ音するし全身にほどよく圧かかってるしすごい光景がある。性の宝石箱である。途中でおっぱいを触らせてくれと懇願。やわらけ〜。こんなに柔らかくてモチモチしたものある?安心感しかない。片乳を乳首舐めさせてもらいながら片乳揉む時間で一生を埋めたい。
ほどよく中断してフェラの続き少しと本番。慣れた手付きでテロテロ(このオノマトペが最適)とゴムをつけ、挿入。あったけえよ……。挿入の感覚を口頭で説明するのは難しい。ちんこがヌププ…と包まれていく。どちらかというとビジュアルを楽しむやつかもしれない。胸も一生揺れてる。騎乗位で足を開いてもらいつつ腰を振ってもらう。耳元には吐息がかかる。天井のシミを数えていると終わってしまう。景色を目に焼き付けた方が良かったが、インパクトが強すぎて逆に忘れた。
一度止まって、再びちょっと触らせてもらいつつ感動。肌も綺麗だし体のメンテ大変なんだろうなとか考える。Oさんも手コキで続けてくれていたのでちんこも全然余裕だった。開始前の心配は杞憂であった。
ちょっと出そうな感覚があったため、ペース配分の意識のため報告。すると突如競馬の最後の追い込みの如く腰の振りを早め、深くまで腰を落としてくる。え、自分今から射精するんですか?急にガチ射精させるモードに切り替わった。腰の運動がうますぎる。もうちょっとのんびりと行こうと思ったがこれは耐えられない。唐突すぎて「えっ!?ごめん!!!」と大きめの声を出して腰を抱えて奥に入れさせてもらいながらそのまま果てる。めっちゃ出た感覚を残してしばらく繋がったままでいてくれた。
それはそれとして唐突に出そうになった謎の驚きでちょっと声が大きくなってしまった。それに射精の瞬間に謝るのもなんかやばいやつな気がする。でかい声については謝った。
終わったけどここから何するんだろうか……。ちらっと見た時計は微妙に時間がある。大体のソープレポはあまり事後の話を書いていなかったのでここからは未知のエリア。終わりにはベッドで添い寝してもらいつつちょっとおしゃべりをする。手を繋いでもらいつつ足を絡めて抱きついてくれた。人肌を感じるのも久しぶりだ。「初めてで緊張してたけど普通に楽しめて良かった」と伝えると「普通の兄ちゃんって感じだったしわかんなかったよ」と返され、まだまだ俺も人として生活できる権利はあるなと安心するなど。他のお客さんの話とか帰りの話もしていた気がする。聞いてまずいことは無かったが、知らない世界があった。
そんな感じで雑談をしているとタイマーが鳴った。馴染みの深いカラオケの内線コールと同じ音だ。音を聞いてOさんが起き上がり、そそくさとシャワーの用意を始めた。ベッドに入る前の流れと同じように体を洗うようだ。先ほどより軽めに洗い直す。股間周りのみさっぱりするように少し念入りに。洗うためと言えどもイった後に触られるやつ、明確に性器を触りにきている感が強いのでまた別の趣がある。体も拭き服を着る。人がシャワーを浴びているのを直に見ながら服を着るのも新鮮である。
荷物を整理してお金を払って退室。致した後の虚無の時間に財布から出る野口と漱石は重みが違う。部屋を出る。帰りも手をつないでカーテンのあったところまで戻る。服を着て自分のにおいが戻ってきたこともあり、Oさんの甘い匂いが引き立つ。長い階段を降りていくと現実との境目が見えてきた。「またきてね?」「もちろん。ありがとう」などと社交辞令をしつつキスとハグをして出た。『キスとハグをして出た』などとあっさりした一文で済ませるべき事象ではないのだが、感覚が麻痺している。受付には最初に見た黒服の人にアンケートを差し出されたので記入し、そそくさと退店。外にはすっかり冷えこんだ街の空気と外套からふわっと現れるOさんの移り香がそこにはあった。明日もがんばろう。
・「行くとなんか変わるよ」というのをどこかで読んだがあれは嘘。陰の者は陰の者
性的まなざしの根源。男は何を見ても性的な妄想を抱く生き物なので視覚を奪うしかあなたの安全を保障する方法はありません。
あなたがお気に入りのシャンプーの香りも、男にとっては性的興奮を掻き立てる興奮剤にしかなりません。今すぐ全ての男の鼻の穴を塞ぐ必要があります。
声優に彼氏が発覚した時「耳に精子がかかる」と発言したオタクが居ました。女性の声それ自体が性的に受け取られてしまうのです。男は耳が聞こえないようにすべきでは?
触覚
痴漢が後を絶たないのだから言わずもがな。触覚を持った男が自由に街をうろつくなんて信じられない。自分の胸か尻に両手を接着してしまえ。
味覚
ハイヒール舐めて興奮するんですよ信じられない。舌を抜けばいいとおもう。
あぁ、これで安心して街を歩ける。
https://anond.hatelabo.jp/20201020160713
観光というか旅行の定義って人によって本当に違うから一概にどうこう言うのは難しいと思う。
俺はバックパッカーをやってたので海外旅行=気ままに1人で放浪という認識だったんだけど、世間的にはハワイやグアムのようなリゾート地で家族と贅沢に過ごす的な認識の人が多数派らしく、ギャップに驚いたことがある。
そんな中でも、万人に共通する旅行のエッセンスがあるとするならば、それは「五感で味わう非日常感」なのかなと思う。
どれもこれもオンラインでは体験できない、現地に行かなければわからない非日常の感覚だ。
結局のところ、こういう何かしらの違う文化にふれられれば、特別なことを何もしなくても、価値ある旅の経験になっていると思うのだ。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
妻:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の妻とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から妻が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
妻はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は妻に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ妻に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、妻からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるので、妻自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、妻のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、妻にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに妻はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その妻の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が妻の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで私が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、妻が寝てる時はリビングで、妻が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
妻はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、妻はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
妻は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、妻からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を妻の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、出会い系で男を漁ったり、ホストにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や妻からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
妻から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も妻の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった妻が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒っていいだろ?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、妻の言動の方がアダルトチルドレンぽい、妻があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。妻からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は妻も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。妻はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今ホストにいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると妻は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった妻に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
私:都内の外資系に勤務。トータルの年収は800万円ぐらい。貯金は数百万円程度。
夫:今年の4月まで派遣社員。年収300万円いかないぐらい。4月から鬱病が発症して休職、6月には退職して治療に専念中。
今の夫とは去年春から付き合い始めて、去年秋に同棲開始、今年夏に結婚した。
今年の4月から夫が鬱病になり、とりあえず休息してもらわないとダメだなと思った。
なので、仕事も家事もしなくていい、とりあえず休んでほしい、やりたいことだけをやってほしい、お金がかかるものなら、私に言ってくれれば払うと伝えた。
最初の方は、「せめて家事をしないと申し訳ない」とか言って色々やってくれてたんだけど、実際は相当負担だったらしく「やっぱりやりたくない」と言われ、「やっぱそうだよね」と受け入れてそれ以降は私が家事をやってた。
夫はほとんど貯金がなく、傷病手当だけが唯一の収入源だった。(毎月申請しなきゃいけないけど、手続きが面倒で2ヶ月ぐらい申請してなかったぽいけど)
生活費は全額私が支払い、それとは別に毎月5万円は夫に渡してた。(生活用品の購入分も含む)
こんな感じで、できるだけ夫に負担をかけないよう私なりにサポートしてたつもりではあったんだけど、夫からしたらサポートどころか、逆に精神的に追い詰められてる気分になってたらしい。
私は共感能力が低く、相手がなにを考えてるのか察することができない。だから、相手に質問して考えを探っていこうとするんだけど、それが相当キツかったらしい。「なんでそう感じるのか」「なんでそう考えたのか」って私が質問しまくるから、夫自身が言いたいことが言えないと。質問するのはいいことだという考えが根付いてたから、夫のその意見にハッとさせられた。以降は気をつけるようにしてるけどなかなか改善できない。というか、質問すること以外で相手を知る術を持ってない。
あと、夫にかなり甘えてしまっていた。すぐ不機嫌になって態度に出したり、ちょっと何か言われたらすぐ家を出ていこうとしたりした。
3回ぐらい、壁にモノを投げるという行為もしてしまった。そういうことをするたびに夫はしっかり話し合って、解決しようとしてくれた。その夫の優しさに甘えきってしまってた。まるで小さな子供が母親に甘えるみたいに。
恐らくアダルトチルドレンの傾向があるから、そこは今カウンセリングとコーチングで改善しようとしてる。少なくともモノを投げる行為は金輪際しないと誓ったし、抑えられてる。けど、その事実が夫の心に深い傷を残してしまった。
あと、日中の過ごし方もまずかった。私は今年2月から在宅勤務になったんだけど、私がオンラインミーティングしてるときに気を遣わなきゃいけないのが苦痛だったぽい。結構高性能なノイズキャンセリングイヤホン買って渡したんだけど「なんで俺が我慢しなきゃいけないんだ」って言われて拒否された。1LDKで2部屋しかないから、夫が寝てる時はリビングで、夫が起きてきたら寝室で仕事するようにしてみてもやっぱり話し声が聞こえるのがキツいと言われた。結局、私が個室のネットカフェに出向くようになった。
夫はHSP体質らしく、五感がかなり繊細らしい。それと鬱が相まって、私の言動が相当キツいと感じていたらしい。
あと、鬱病になってしばらくしてから、夫はスピリチュアルな方面にハマっていってた。自分には大天使がついてるとか、今この部屋に白天狗がいるとか、言うようになってた。スピリチュアル系の動画を見せられ、動画で言ってる内容を理解できたかどうかよく問い詰められた。
夫は、そういう世界の素晴らしさを私に理解してほしかったみたいだけど、私は大天使も白天狗も見えないから理解しきれなかった。
こんな感じで、夫からは、私の言動によってどれだけ辛い思いをしているのかを都度言われ、それに対して何とか解決しようと試みてはいたんだけど、なかなか改善できてなかった。
そして、9月のある日、遂に、もう離婚したいと切り出された。とっくの昔に限界を迎えてるし、私があまりに幼稚すぎて、結婚相手として見られないと。そもそもそんなに好きじゃなかったけど付き合ってと言われたから付き合ったとか、自分よりも家事のレベルが上の人じゃないと嫌だと思ってたとか、いろいろ前提を覆されることを言われてもの凄いショックを受けた。
ひどく動揺してしまい、1分でも早く家から出たいと思って、その場ですぐ14日分のホテルを予約し、荷物をまとめて今度は本当に家を出てしまった。
家を出ている間の生活費として、結構まとまったお金を夫の口座に振り込んだ。
スキンケア用品、服、スピリチュアルグッズ、健康グッズを買いあさり、風俗やメンズエステにも何回か通ったらしい。占いにも行きまくってた。
SNSの投稿や夫からの報告で散財状況を知ってかなり心配になったけど、それでストレスが発散できてるならいいかなぐらいに思ってた。
私がホテルから帰ってきて、改めて話し合ってもやっぱり離婚したいという意志は変わっていないと言われた。私も諦めて離婚届にサインした。
夫から、現在は支払い能力がないから、当面の生活費としてまとまったお金が欲しいと言われ、まあ渡してもいいかなと思ってた。
ただ、離婚が決まって、それぞれが別々に生きていくとなった後も夫の散財はひどくなる一方だった。鬱病になる前からそれほど収入の多くなかった夫が、鬱病が回復して再就職したとしても収入が激増するとは考えられない。完全に私からの援助を前提にしたお金の使い方をしていた。
と、ここまで書いてきた話を、信頼できる友達に打ち明けたところ、「普通に、もっと怒ってよくない?」と言われた。私の自罰意識が強すぎて、すべての責任が自分にあるから、何をされてもしょうがないと思ってる節がある。もちろんモノを投げるなどの幼稚な行為は良くないから改善していくべきだと思うけど、だからと言って全面的に自分だけか悪いと感じる必要はないんじゃないかと。コーチングの先生からも同じようなことを言われた。
そこで、あれ、もしかして私だけが悪いわけではないのか…?と気づき始めた。
鬱病患者への接し方は誰にとっても難しいものだから気に病む必要はない。生活費をすべて負担し、働きながら家事も引き受けてる時点でかなり頑張っている。そこから更に離婚後の生活費まで払う必要ないのでは?とアドバイスされ、確かにそこまでやる義務はないなと感じてきた。
むしろ、夫の言動の方がアダルトチルドレンぽい、夫があまりにも求めすぎなのではないかとも言われた。夫からはずっと、私が幼稚で人間性に問題があると言われ続けてきたけど、実は夫も大して差はなかったのかもしれない。
そうやって友達に話を聞いてもらって、離婚後の生活費はやっぱり払わなくていいかもしれないと考えが切り替わってきたその日の夜。夫はどこかに出かけていたんだけど、深夜にいきなり「今お店にいる。今すぐ飲み代として10万円振り込んでほしい」と電話してきた。
少しも悪びれることなくそんなことを言ってきて、怒りで頭がどうにかなりそうだった。
とりあえず10万円振り込んで、今後一切お金は渡さないと伝えた。
すると夫は裁判起こして慰謝料請求すると言い出した。もう裁判でも何でもしてくれって感じ。
この1ヶ月ぐらいで別人のように豹変してしまった夫に対して、もう未練も何もない。必要以上に自分を責めず、今回得られた教訓を活かして生きていこうと思う。
例えば歌詞とか小説とかにおいても、そもそも受け手の立場にとっては他人のことなんかわからないわけである。尾崎豊が歌詞を書いたって、俺には尾崎豊の人生のこともなにもわからないし、なんで亡くなったかとか、マジで15歳でバイク盗んで走ってたかとかもわからない。なぜなら俺はそんなことをしたことがないから。これはきっと15歳でバイクを盗んだ人間にしかわからない「経験」だし、20歳になった今バイクを盗んでもそれとは違う。なんなら15年間尾崎豊という人間を生きていなければわからない歌詞であるのに、そこに人気が集まったのは、「なんとなくわかる」という自分を持っている、もしくは作り上げてそこに投影したからではないだろうか。では作り上げた自分という人格に価値があるのか。
「文章」を理解するのは大変に難しいと考えている。ハグやキスといった身体的コミュニケーションに比べて明らかに難易度が高いのは、目に見えないからだろう。受け取り手の感性に多く順応するために最も適切なコミュニケーション方法は五感に依存するものと比例している。たとえば本のなかでも絵本は最大限に五感に攻撃している。絵と文章、読み聞かせなど、幼少期に「自覚」の獲得に必要な感性に訴えるもので、人間はそこから物心をつけていくわけだが、そこに協調性というノイズが入るせいで感性はやがて鈍ってゆく。
人間は所詮動物であるため、種の保存という目的さえあれば何の問題もなく活動を行えるはずだが、そこに思考という足枷がかかる。人間は考える葦であるが、考えなくてはならない葦である。この葦は協調性、多様性といった様々な性質を持たざるを得ない葦である。本来必要ではない、無駄な思考であるこれらを動物にとってプラスにとるかマイナスにとるか。それもまた一つの多様性というノイズのひとつになる。
詩や文章という他人の知識や語彙に依存したメディアが発展するのは特に人間的でもあり、前時代的でもあると考える。人間が思考した結果が他人への依存であるならば、思考したことは無駄であると一蹴できるからである。なぜなら思考は内的感覚への訴求であり、それもまた自らの知識や語彙に依存しているからだ。他人から受け継いだ知という感性を自らに受け止め、それを発展させることに意味があるとすると、それと矛盾するからだ。その矛盾と戦う人間たちは極めて無駄であり、また自然であると考えるのである。こんな「文章」を書いている自らについて。