はてなキーワード: ジャーナリズム精神とは
ジャニーズ事務所の記者会見で拍手した様な連中はどうしようもない奴なんだろうなと思ってたら
https://twitter.com/myyanagida/status/1708751066391785551
https://twitter.com/myyanagida/status/1708815136830697749
https://encount.press/archives/521973/
私自身も無意識に拍手をしていた。視聴者から一括りに「メディアは偉そうだ」と思われたくなったし、「そんなルール無視、配慮なしの昭和スタイルはもう止めにしてほしい」と思ったからだ。
これ言ってるのが今まで一番近くにいて問題を見逃してたエンタメ業界取り扱ってた側の編集長っていうのがもう終わってる
何このトーンポリシング?この大問題でそんな事気にしてる場合か?状況分かってないだろこいつ
こんなキョロ充で記者としてのプライドなんて欠片もない情けないキョロ充共が周囲で壁になってくれてたんだから、ジャニーは好き放題出来たんだろうな
先ほど、面白いツイートが私のTLに流れてきたので私見を述べる。
『新聞、月5,000円も払って昨日のニュースが紙で届くってやばいな』(原文ママ)
このツイート自体は確か面白いな、と一笑に付したが、そのツイートには大量の同意・賛辞のリプライがぶら下がっていた。
"5,000円で油を取る紙を買っている"
"ぼったくりだ"
やはりこういう意見は少なくないな、と気づかされる一方で一つの疑問が浮かんだ。
"この新聞批判をしている方々の何割が自分の金で新聞を購読している、ないし購読したことがあるのだろうか?"
夜討ち朝駆けという言葉は古い価値観かもしれない。しかし、身を粉にして社会の情報そのものを自らの五感で直接インプットし、それを文字でアウトプットする。そんな自分の仕事にやりがいを感じ、自身のジャーナリズム精神にも誇りを持っているつもりだ。
それでは「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」と言いたいのか、と聞かれると答えはNOである。
インターネットメディアの急速な発展と共に情報が世界を巡るスピードは目に見えて早くなった。
地球の裏側で起きていることがリアルタイムで手元の端末で確認できる。
何十年も前の『正確・早い・多い』という新聞優位性を持っていた情報の三種の神器は既に別媒体(主にインターネット)に負けているのだ。
実際に私も
こんな記事を書きたいからこういう方からこんな話を聞きたい、と結論ありきの取材を行い結論ありきの記事を書いたこともある。
上司からこういう紙面を作れ、と命令を出され自分が紙面に載せたい情報を翌日に回したこともある。
新聞記事には、偏向とまではいかないまでも記者自身や会社自体の色眼鏡を通したバイアスがかかっているのだ。
しかし、「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」わけではないにしろ「読む価値があるか」と言われれば声を大にしてYESと叫ぼう。阿呆でなければ。
なぜならば、新聞紙の必要性を語る上で最も大切なのは、その色眼鏡の良し悪しだからである。
新聞は、政治の右派左派、経済の支持不支持、社会記事の着目点。会社によって特色があり、多くの記事は記者の名前が載っている。それぞれの記事が会社としての社会的責任と個人としての社会的責任を抱えた上でなんらかのバイアスをかけられて掲載されている。
自分で直接見聞きしたものを除いて、新聞・ニュース・SNS・人伝の情報に至るまで。
全てがその経路の中であるいは削られ、あるいは付与され、或いは歪められるのだ。ここに例外はない。
(手前味噌ではあるが)優秀な能力を持った記者が他にはない一次ソースから仕入れた情報を提供する。
色眼鏡を通しての内容であることを理解さえしていれば極上の情報であることに違いはないだろう。
さて、私が言いたいのは「新聞を取れ」ということでは断じてない。
なぜならば、そもそもその色眼鏡に対して価値を置いていない人間(以下、阿呆)には新聞というのは豚に真珠もいいところだからだ。
阿呆はいいように削られ付与され歪められた情報を信じ哀れにも踊らされる。新聞を読んだとしても、新聞に踊らされるだけだ。
TwitterでもFacebookでもYahooニュースでもまとめサイトでもYouTubeでもテレビでも新聞でもなんでもいい。
あなたが情報を入手しているツールはどれほどまでに信頼できるものなのだろうか?
そもそも新聞の特長を情報の正確さ・スピードだと考えている人間にはどれほどの情報リテラシーがあるのだろうか?
私が投げかけたいのは、そういうことなのだ。
さて、こういうのは自分は大丈夫だ、と思っている人間の方がよっぽど危険だ、というのはよくある話で。
「なるほど、確かにその方面で働いている人は正鵠を射た発言をするなあ」
そもそも、この記事の冒頭に引用させていただいているツイートのリプライ欄には、新聞が不要だとする内容と同じくらい、新聞の必要性について肯定的な意見を述べているツイートがあるのだ。
いったい、この記事を読んだ内の何割が
と疑問に思い確認し、
とそれを検証しただろうか?
改めて、私が言いたい情報リテラシーとは、そういうことなのだ。
阿呆は鏡の向こうにいる。
ちなみに、そもそも私は新聞記者だ、というのも真っ赤な嘘である。
以上。
何か事件や事故が起きるたびに、ネットではマスコミの横暴さや酷さが鬼の首を取ったように取り上げられ拡散される。
被害者への対応や現場での振る舞いなど、確かに、もう少し控えろよと思う事はある。
しかし、マスコミに対するここ最近の総叩き、マスコミ相手には何やってもいいんだという風潮も冷静にならないとやばいと思う。
マスコミをマスゴミと呼び排除したその先にあるのはなんなんだ。
左か右か極端な方向からしか物事を捉えられないネットメディア。
それらだけが生き残った先に、まともな情報が見つけられると思う?
テレビ局や新聞社が持っている組織力や資金力というのは権力云々ではなくて、時間をかけて取材をするのに必要なお金や人の多さでもある。
ちょっとした事件事故を取材するのにどれだけのお金と労力がかかるだろうか。
もちろん、個人であれば組織に縛られない自由な取材、発言が出来ることは大きいだろう。
しかし、大手が発信する情報の責任は、個人による発信の責任の比ではないから、相当の正確さが求められる。
それから、テレビや新聞で報道をやりたい、ドキュメンタリーをやりたいと、その道に足を踏み入れた現場の人達は、少なからずジャーナリズム精神をもっているわけで、それは要するにお前らと似たようにどちらかと言えばリベラルな人達が大多数なんだよ。
それを忘れてはいけないと思う。
他社との競争で取材が過熱してしまうのは、構造上、仕方がない部分もある。
そこについてはメディア同士で取材のルールを厳しく作り直した方がいいと思うし、
結局は個人の問題もあるから、本当に救いようもないクズも業界には沢山いるだろう。
だからといってテレビいらない。ネットで十分とかアピールをしてどうなる?
それは個人の自由だけど、テレビ見ない事をシンプルでスタイリッシュな生き方みたいな感覚で公言する人多いけど、なんなんだろ。
よくメディアを揶揄する画像として出てくる、シルエットの画像あるけど、
なんか、例のガルパン叩き事件が脅迫沙汰になったらしいので、思ったことを少し書いてみる。
『実話BUNKAタブー』という月刊誌はホントに毒にも薬にもならない雑誌だ。だからこそ、一昔前の2ちゃんねるに入り浸っていた者からすれば、懐かしい匂いを感じてしまう。そりゃあ、『2ちゃんねるぷらす』なんて雑誌を発行していたコアマガジンのことだから、重度のねらーも1人か2人はいると思われる。あのころの2ちゃんねるを知らない連中が編集部のアカウントに凸している光景を見ると、これも時代の流れなのかな~、なんて思ったり。
「2ちゃんねるはオタクの巣窟」なんて思っている人が果たしてどれだけいるのか知らんが、勘違いしないでほしいのは、2ちゃんねるで多数派を占めているのはオタクではなくネトウヨである(今もそうだが)。当時の2ちゃんねるは、今では考えられないほどオタク叩きが激しかった。初音ミクがデビューしはじめると「気持ち悪い」と叩き、らき☆すたブームで鷲宮神社にオタクが大挙して押し寄せた時はニュース番組のキャプ画が転載されまくって嘲笑の対象になったり、電車男がドラマ化された時なんか「電通の陰謀」という書き込みが頻繁にあった。いろんな意味で、あのころはみんな尖っていたんだよ。
だいたい、『BUBKA』みたいなキチガイ雑誌を発行していたコアマガジンがまともなジャーナリズムを追求するはずがない。昔も今も2ちゃんねる的なノリで雑誌を作っているのだから。ほとんど「まずい」という感想しかない食レポなんて2ちゃんねるの誹謗中傷精神そのものだし、定期的に掲載される街中やイベントのDQN晒しage特集なんて完全に全盛期のニュー速VIPだ。そんな99%の2ちゃんねらー精神と1%のジャーナリズム精神で成り立っているのが『実話BUNKAタブー』である。
たぶん、編集部の中では「ガルパンはいいぞ」なんてのは「CLANNADは人生」と同じレベル扱いされていると思う。そういう一流サラリーマンにもオタクにもなれなかった中途半端なオッサン編集者が作る雑誌なんて完全に時代の流れに取り残されているので、みんなが生温かい目で見守っていくしか対策法はないんじゃなかろうか。