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2019-04-19

ワイルド萩生田の件から

消費税増税延期をめぐって信を問う可能性なんて話を萩生田氏が発言するなどしている( https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041800634&g=pol / https://www.ytv.co.jp/press/politics/32768.html )。そんなところで再び思うのだけれど、仮に野党が勝つことで政権が入れ替わることに期待するにしてもしないにしても、これはあくまで先の民主党政権ときに指摘されていた、日本官僚機構根付問題与党政権関係に基づく問題というのはそのままになっている中での話だということだ。

どんな政治的立場の人にとっても、その部分に手をつけない現政権には、将来の国家運営資する期待を持ちようがないはずである

まりごく挟視野的な期待で「自分は賭けに勝てる」と信じているものたち以外にとっては、この問題に手がつかないまま早数年を経た現政権への実際的・長期的な魅力はないまま、しかし現政権はその立場を維持しつづけているのが現状だろうということだ。

そんな中で、現政権の「お友達」的な姿勢は、もともとの官僚機構問題与党政権との関係問題を避けようとする中で(当然だが、管理機構政権関係政権与党との関係についての問題は現政権にとっても問題であるわけだから、彼らなりに何らかの対策を講じているのだ)公文書問題などさらに別の懸念問題点を生むばかりだ。彼らはこの問題に関しての革新的方法論を示すどころか、日本の政治機構への負の遺産を積み上げる大活躍を繰り返しているばかりである

これは言い切っても間違いではないと思うのだが、現政権には、たとえ第何次との数字を重ねたところで、官僚機構与党政権との問題改善する力も意思もない。つまり、現政権自身チートによる「勝ち抜き」を信じる存在のものであり、将来に通じる政策に取り組もうとしてしかしまだ果たせないなどという「美しい」存在では決して、ない。チート思考である以上、現在ルールへの自負や敬意があるわけではない。彼らにとってのルール構造というのは、ただ単に「勝ち」に関する、自身が信じる合理性材料であるというだけの話だ。

しかし(この点がこの文章における嘆きの中心なのだが)現政権・現与党がこの問題に手をつけなければ、問題先延ばしになって他からそこにコミットするルート方法もない。私自身、民主党による政権交代とその失敗から数年を経てやっと言い切ることができるようになったのだが、しかしこれが現状であるようなのだ

まり、現政権にとって代わろうとする勢力があったとして、彼らはまず最初に失敗を約束されているということだ。構造的に政権交代を果たしたとしても、その同じ構造によって、失敗を運命付けられているのだ。

制度的には、ついには国民不利益として司法権に訴えるという方法が考えられるものの、一票の格差問題についての弱腰さを思えば、司法もまた現状では、限界を訴える存在ひとつなのかもしれない。つまり今のところ、ここに大した期待は持てない。

そのような構造と現状の前で、選挙によって可能になる最大の現与党への働きかけというのは、現政権にお灸を据えるといったごく可愛げのあること以外に何も無さそうなのである。これは同時に、野党による前向きな政権交代に期待したところで、この負の構造を引き継ぐことになるその新与党仕事自体には、そもそも構造的に期待できるものはないという話だ。

この点は、現与党もこの社会マスメディア論壇も、民主党政権の失敗や民主党政権への大きな落胆を彼らのパーソナリティ押し付けることで自身立場を得ており、よって、ほぼ意図的に、これが私たちが共有する構造上の問題であるとか継続した論点であるというふうには扱われていないと言えそうである

このことは、現与党に任せたい仕事に関してより良い質を期待する層にとっても、まったく同じく、大きな問題であるしかし、実際にはその是正を促す方法がないままになっているのだ。

ではその限界を分かった上で、仮に近い将来政権交代が起こり、今ある限界のままその政権が失敗に終わるとして、そのことを私たち社会が予定された正しい敗北としてポジティブに受け止めるようなことは可能か? といえば、これはまず無理であるとも感じている。選挙で負けた現与党以上に、その新政権への参画者たちは傷つくことになるだろう。

その後の無法を思えば、現政権の敗北に期待するのがそら恐ろしくなるという意見があるとしても、私はそれを責めづらく感じる。

天皇陛下野党http://diamond.jp/articles/-/13434

イケノブ http://agora-web.jp/archives/1668593.html

いまの政権民主党政権の、官僚制をめぐる「意外な共通点https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57386

民主主義の良さとは間違っても、やり直しがきくこと https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/yoshida-toru

われわれとしては、解散を堂々と受けて立つ用意がある(福山https://twitter.com/fuku_tetsu/status/1118781710437474305?s=21

2019-03-11

オリンピック北朝鮮を参加させないことについて左派陣営が噴き上がってるけど、オリンピック理念に反するといっても北朝鮮オリンピック理念を共有してないからなあ。

単純に実際的問題として制裁中は北朝鮮選手入国できないというのが大きいと思うけど。

2019-01-12

「男体への恐怖」を正当化する差別主義者多すぎやばい

トランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?」(anond:20190110110456)のブコメメタブ差別主義者多すぎてやばい

これ、書き方は悪いかもしんないけど気持ちはわかる。相手が強いから怖いっていうのはちょっと違くて、例えば女湯に小学生男児が入ってきたら嫌なんですよ。男の子は何歳まで?とか話題になったりしたことあるよね。

トランス女性男性じゃなくて女性なんですが。なんで男の子の話が出てくるの?(もちろん身体的に男の子であってもシス男性とは限らないのだが)

差別を無くすにはLGBT以外の人間犯罪被害に遭っても仕方ない。我慢しろ」とか言ってるホームラン馬鹿がいて笑った 女は黙ってレイプされてろってか? どっちが差別主義者なんだか

当たり前だけどLGBTの人も性被害に遭うし、もっと言えばトランス女性シス女性よりも性被害に遭いやすいという統計があるんだよねえ。トランス女性女性専用スペースから追い出そうとする人は「トランス女性は黙ってレイプされてろ」と思ってるってことでいいの?

あと犯罪被害に遭った人が訴えるとか反撃するとかを否定してる人どこにもいなくない? 犯罪を犯していないトランス女性排除するのはおかしいって主張してるだけで。この2つの区別がつかないならそりゃもうご立派な差別主義者ですわな。

恐怖云々は置いといて、身体的特徴で分けるべきと思う派。(ただし身体的特徴で分けてしまうと半陰陽の人は救われないんだけれども。)現在システムに内心の性別を適合させるのは、運用が難しすぎる。

身体的特徴で分けたら「おっぱいついててちんこがないけど性自認男性で男の格好をしている」人が堂々と女子トイレを使うようになるわけだけど、「ちんこついてておっぱいがないけど性自認女性で女の格好をしている」人が女子トイレに入ってくるよりそっちの方が安全だという感覚がまるで理解できない。

この話題痴漢や専用車両のあれこれと一緒でそもそも問題は変質者なのに結局全部女性側に被せられてるのが見ててもやもやするわ 黒人置換えで女性白人側に置くのまで同じ(T女性をどっちと言いたいわけではない

対立軸は「女性男性」ではなく「シス女性トランス女性」やで。シス女性トランス女性との対比では間違いなく白人やで。

トランス女性レズビアンレイパーかいるかもしれないしな。全ての人が全てを受け入れるのは無理だし、この不安はあって当然だと思う。

シス女性レズビアンレイパーとかもいるかもしれないし、もっと言えばヘテロセクシュアルシス女性でも他人に加害しないとは限らないので、シス女性にも不安を感じた方がよいのでは?

中国人犯罪を犯したら「中国人恐い」と言いつつ日本人が犯した犯罪では「日本人恐い」と言わない人みたいな。犯罪者と自分たちを同一視されないっていうのがマジョリティ特権なんだよね。

高校男子トイレの前に何故か良くいる下級生がいて僕がトイレに入ると後からついてきて隣から股間凝視してくるということが何度かあって怖かったのを思い出した。そういうのは我慢しないと差別になるんだろうか。

迷惑行為をする個人を警戒するのと迷惑行為を「するかもしれない」とある集団をくくって排除するのは全然違う話だと思うんですが差別主義者にはこんな簡単なことがわからないんですかね。

日本人うざい。死ね」みたいなこと言ってる韓国人のAさんがいたとして「このAさんという個人クズだな」と思うのは正当だけど「韓国人クズだな」と思ったら差別だしそれを口に出したらヘイトスピーチでしょ。

脊髄反射で善人面する輩が多いな。若い女性が「性自認は男です」と男湯に入ってこられたら俺は嫌だけど。公衆施設身体的特徴と性自認のどちらを優先すべきかは、ポリコレ棒で一発殴って解決するほど簡単じゃない。

性自認が男ならその人は若い男性だろ。胸がふくらんでてちんこがついてなかったとしても。

こういうこと言う人って、結局トランス女性男性を「女/男じゃない」って思ってるんでしょ? だったら性自認尊重するフリなんてやめてそう言えばいいのに。自分差別主義者です、って。

なんで批判されてるのか。女湯に男体が入ってきたら発狂するわ。ただでさえ少なくない女は男体に痴漢されまくって常時厳重警戒態勢なのに。女湯の時間削ってLGBT専用の時間に充てるってんなら賛成するよ。

数十年前の南アフリカとかアメリカ南部かに行ったら喜々として人種隔離を支持してそう。そもそもLGBT意味わかってなさそうなのもウケる(Gがなんの略だと思ってるんだろ)

難しいなあ。とりあえず肉体が女性ならいいんじゃない?女湯にちんこはまずい(同時に男湯にまんこはまずい)でいいと思う。性欲の満足感以外でそこまでして銭湯利用したい気持ちもわからない

あったかいお湯に浸かってリラックスしたい、っていうごくごく普通の願望がトランスジェンダー主語にした途端に「下心がないならなんでわざわざ銭湯に行きたいの?」って言われちゃうの、典型的差別主義だよね。トランスジェンダーが湯浴み好きでなにかおかしいのか。

いつものフェミ叩きが男性恐怖症の意見フェミ意見をごっちゃにして嬉々とフェミ叩きしてる。本当は誰も感染していなかったハンセン病とは違い実際の風呂トイレ性犯罪被害にあった人が多数泣き寝入りしている

それ、悪いのは性犯罪者じゃん。性犯罪を犯していないトランス女性排除されてよい理由はどこにあるの?

これってはてなーには男性が多いから、男のことが怖い女性結構多いということが理解されてないのだと思う。あと女湯とか女トイレに見た目が男の人が入ってくるのは普通に恐怖だよ。

twitterだと女性の体に生まれ女性ボーイッシュな格好で女子トイレに入ったら警備員呼ばれた事案みたいなのがちらほら報告されてるわけだけど、その女性は髪を伸ばしてスカート穿くべきだったのかな? 女性解放運動の精神はどこにいっちゃったんだろう。

実際的にこういうケースがあるんだよな… トランスジェンダー受刑者女性刑務所で性暴行カレンホワイトのケース https://1ovely.com/transgender/ /嬉々としてフェミ叩き女叩きしたいだけのブコメトラバの嵐だ

はいはいカレンホワイトtwitterで「私は女子トイレシス女性に加害されたことがある」という証言が出てきてるんだけど、カレンホワイトがいたかトランス女性排除するのに妥当性があるというならシス女性加害者がいた以上シス女性女子トイレから排除すべきですね?

ブコメ

zyzy なら「かつて殺人した者への恐怖で次も殺すかは分からない殺人者を拉致監禁する差別正当化するな」で刑法が要らないし、家に鍵かけるのもアウトだし、国境がある事自体外国人への差別なので国自体を無くさないとな

個人属性区別がついてないの典型的差別主義者の思考やばいし、犯した罪に対する刑罰と防犯と称して罪を犯していない人を排除することとの区別がつかないのもやばい。頼むから人権とか差別かについて学んでくださいと言うしか

type-100 「工事済みでないと女湯には入っちゃ駄目」ぐらいは仕方ないと思うけどね。それ超えて属性個人混同してたり、開き直って我が儘を言う連中は流石にね。

風呂場の外で女性として生活している未オペのトランス女性風呂場だけ男性側使えっていうのも理不尽だよなって思います。仮に女性友達に対してカミングアウトしていて、一緒にお風呂に入れる仲だとして、未オペってだけで「はいじゃあ友達と別れて男性側行ってください」ってのはあまりに酷でしょう。

まあ、だから多くのトランスジェンダーの男女は「オペするまで公衆浴場自体に入らない」(anond:20190111030811)って選択をするんでしょうね。それは実生活を円滑に回すための我慢なのだろうけれど、そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけで。

mumero "そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけ"<これ違うと思う。一部を尊重するために大部に我慢を強いるだけの構図でなく、お互いが納得するようなあり方を一緒に模索するのが大事だと思う。

一部を尊重って、別に特別扱いしろとは言ってないんだけどね。「トランス女性女性なんだから女湯に入る権利はある」って言ってるだけ(もちろんトランス男性男性である以上男湯に入る権利がある)。

少数派が多数派と対等に扱われることで多数派が不満を感じるのだとしたら、その不満は差別なので我慢してくださいとしか言えない。差別感情我慢することは市民として当然の嗜みでしょう?

rirukarinka 女湯に関しては「女に対して生殖可能な体」を置くのがまずいとして、性自認証明としてのオペと、オペ済みであれば区別しないことが許容ラインなのでは/不本意生殖をされる恐怖をトランス女性は持ってるのかな…

生殖可能だろうが不可能だろうが性暴力は脅威だろうと思うんだが、想像力ないにもほどがあるでしょ。性犯罪者は月経の有無を確認した上で女性を襲ってるわけ? 何度も書くけど、トランス女性だって暴力に遭うんだよ。生理の来ていない幼女被害に遭うように。子宮を摘出した女性被害に遭うように。彼女たちは望まぬ妊娠危険がないから恐怖感を一段低く見積もるべきだとでもいうの?

RIP-1202 全裸でくつろいでる時にチンコついてる人に襲われたら妊娠させられるリスクある。チンコ付きがなしに襲われても妊娠はない。その1点。見た目ガチムチおっさんでもチンコなかったら別に怖くはない。

妊娠リスク」を基準女性を分けるのなら、いっそのこと「妊娠できる人専用」とでもすればどうか。未オペのトランスジェンダー女性のみならず初潮前の女児とか閉経した老婆とか卵巣を摘出した若い女性とかが排除されるかもしれないが、「妊娠可能性の有無」がそんなに重大な問題ならその線に沿って分けるのがいちばん合理的」だろう。

妊娠できなくても襲われれば痛いし苦しい? そうだね、知らなかったかもしれないけど、トランス女性も襲われれば痛いし苦しいんだよ。なんで自分たちが女湯でトランス女性に襲われる心配はするのに、トランス女性が男湯で男性に襲われることは心配しないの?

sysjojo 男体のトランス女性とフリをする男の見分けがつかんのが怖い、ってのが大きいと思ってたけど。 理解たからといって納得できるかは別とは思うけど。 知ってる人ならまだしも銭湯リラックスできなくなりそうだねぇ

それ、「ゲイが同じ銭湯で入浴していたらケツを掘られるかもしれない! 怖くて入浴できない!」っていうのとどう違うんですかね。まあ、その差別感情を表に出さないなら別に構いませんが。

zire この話題女性の分断を目論む一部の扇動者がとことん悪用しそう。商売目的の人、ストレス発散目的の人などにおもちゃにされ何一つ良い結果を生み出さず終わりそう。よくあるパターンとはいえ非常に不愉快

女性を分断しているのは「トランス女性は女湯に入るな!」「トランス女性は『女』ではない!」と主張する一部のシス女性と一部のシス男性なんだよね。

tamtam3 生物的特徴のオスメス判定で良くない?と思う…精神100%オスメス、きっちり別れてる人間なんて居らず大半はどっちつかず。となれば精神的オスメス判定は、オス成分○%メス成分○%の存在無限存在しかねない…

生物学上のオスメス判定にもグラデーションがあるんだけど。半陰陽とか知らない?

aquatofana 「シス女性トランス女性の対比」はその通りだけど、トランス女性権利を守った結果シス女性権利侵害された場合、今度は出生時の性別によって女性の間に差別生まれる。から両方を配慮せなならんのでは。

トランス女性女子トイレや女湯を使ったとしても(というか、現に使っているんですが)、シス女性女子トイレや女湯を使う権利は何一つ損なわれません。黒人白人と同じ施設を使っても白人権利が何一つ脅かされないのと一緒ですね。不愉快? ああ、それが差別感情ってやつですわ。今後のために覚えておくといいですよ。

「今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる」って、いや既に差別はあるんですが。シスジェンダートランスジェンダーあいだにね。まさかトランスジェンダー差別されてないとでも思ってたんです?

vkara 男体への恐怖じゃなくて、トランス自称して加害を目論む男が入ってくる隙ができることへの恐怖。だからと言ってトランスまで追い出そうとは思わないけど対策必要

これほんと不思議なんだけど、なんで「トランス女性自称してシスヘテ男が入ってくる隙ができる」ことを心配する人たちは、「トランス男性自称してシスヘテ男が入ってくる」ことを警戒しないの?

仮に「生物学的な性に従ってトイレ風呂を使うべきだ」とするじゃん。トランス女性男子便所使うようになったとするじゃん。

そうすると、必然的女子トイレや女湯の脱衣所にトランス男性が入ってくることになるよね?

シスヘテ男の性犯罪者が「トランス女性のフリ」をしようと思ったら、女装とか色々としないといけない。でも、「トランス男性のフリ」なら準備は何も要らないんだよ。「心は男なんですけどトイレは生まれ性別の方使わなきゃいけないんで」って嘘をつけばそれで済む。どっちの世界が男の犯罪者にとって都合が良いかは明白でしょう。

ちなみに、トランス男性ってこういう人たちも含むからね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Buck_Angel#/media/File:Buckangel_cowboy.JPG

https://en.wikipedia.org/wiki/Chaz_Bono#/media/File:Chaz_Bono_by_Gage_Skidmore.jpg

こういう人たちが、生まれつきちんこがないというだけの理由で堂々と女子トイレや女湯に入るのは怖くないの? トランス女性を怖がる人たちの「怖い」の基準わからん

smoothtooth 手術前のトランス男性で、男湯に入りたい人は少ないだろう。危険だし不快な目に合う可能性が高いから。手術前のトランス女性も同じなら、それは「差別する女」以前に「加害する男」の問題では。なぜ女だけの話に?

自分のことを女性だと思っている人が男湯に入りたがらないって、当たり前では。女だから女湯を使いたい以上の理由必要だろうか。

go_kuma 例え言ってることが正しいとしても、言い方がな。攻撃的な物言いは反感を買うだけで聞く耳を持たれない。もっと優しく諭して欲しい。反感を煽るのが目的なら話は別だけど。

トーンポリシング」で検索検索ゥ!

トラバ

銭湯温泉の女湯には女性だけじゃなくて女子児童未成年の子供たちもたくさん入浴してるんだよね。

そんなところに男性器がついた方がいるっていうのはどう考えてもダメだと思う。

これは男体が怖いとかそういうことではなくて、心に傷を背負わせる可能性があることなんだよね。

未成年トランスジェンダーのことはどうでもいいの? 彼ら彼女らは手術できる年齢に達していないから手術しようと思ってもできないんだけど。「お前は『本当の女』ではない、だから女性施設を使ってはいけない」と言われるトランスジェンダー児童の心の傷はどうでもいいの?

だいたい、低年齢のトランス女性女子児童だろうが。そうやって都合よく「女性」「女子からトランスジェンダー女性排除するなよ差別主義者、って話なんだけどね。

2019-01-04

ネット他人をどう攻撃するかでそいつコンプレックス透けて見えると思う

例えば、Youtube他人を「ガキ」とか煽るやつは、年齢とか人生経験の薄さがコンプレックスなんだろうなーとか。低能云々は、能力に関してコンプレックスあるんだろうなーとか。

挙げた例はテンプレなんで当てはまらない事も多いと思うが、人には他人自分を同一視するバイアスがあるので、他人がどう見えるかは結構そいつ本質如実に現してると思うのね。

特にネット他人攻撃する時にそれが顕著に出ると思う。

「お前は〇〇だ!」って顔の見えない奴に言ったって、そいつがどういう人間なのかなんてネット越しにわかるわけがない。つまり空想上の姿を相手に重ねてるに過ぎないわけで。実際的外れな事言われること多いしな。

目に見えない相手にどんな虚像を重ねるかなんて、コンプレックス体現されてて然るべきなんだよ。

そう考えると、ネット上で見えない相手攻撃してる奴って自分コンプレックスをめちゃくちゃ周りに晒してる無防備な奴ばっかなわけで、「理論武装趣味」みたいな感じの割に脇が甘いよなー・・・と思う。

2019-01-02

地獄とは他人のことだ」 anond:20190102192504

愛も芸術も娯楽も技術も生きるだけならすべて「要らない」ものやぞ

ワイは哲学微塵も興味が無いけど、強いて言えば、サルトルアドラーならありやな

人間本質はあらかじめ決められておらず、実存が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界意味づけ行為を選び取り、自分自身意味を生み出さなければならない」

人間はだれしも自分のおかれた状況に条件づけられ、拘束されているが、同時にあくまでも自由存在である。したがって、どんな局面においても人はその状況の限界内で自由に行動を選択しなければならないし、自由選択した以上は自分の行動に責任を負わねばならない。」

疎外とは外的条件によって自分の主人でなくなること

例えばマルクスは、疎外という言葉を、外的条件によって自分の主人でなくなること、事物奴隷になることの意味に使っている。

マルクスでは、資本主義制度の下での労働です。初期のサルトルはごらんのとおり、「まなざし」なのです。

したがって、マルクス場合は疎外の克服のためには社会変革が必要となるのですが、

初期のサルトル場合は、意識の変革、意識努力が求められる。


それにしてもサルトルはなぜまなざしを向けられることを他有化と考えるのか。

考えの筋道はこうです。

私はまなざし世界に向けることによって世界意味構成し、所有していた。

ところが他人まなざしが出現すると、今度は他人が私の世界構成し、所有し、私の世界は盗まれる。

そればかりか、他人が私にまなざしを向けると、私についての評価相手に委ねられ、自分自分のものではなくなってしまう、と。

しか他人いるかぎり、

そして他人自由であるならば、

私がこうした他有化を蒙(こうむ)るのは当然のことです。

そこでサルトルはこれを「自由受難」と呼び、「人間の条件」と考えている。


http://textview.jp/post/culture/22918

実際的対処として

意識高い系の強み弱みを診断するヤツ受けると良いと思う

ボランティア創作活動すれば良いんじゃないか

生活保護があるので死ぬことはないぞ

2018-11-23

anond:20181123161405

話しにならないよ。

企業と金持ちは溜め込む存在だとしたところで、溜め込んだお金(つまり資産)に課税すればいいだけの話であって、儲ける行為所得)や支払う行為(消費)に課税するのは逆効果しか無い。なぜなら、課税されない行為は「溜め込んで使わないこと」だって誘導しかいから。

そちらが言ってるのは「溜め込みなさい」って言う誘導しか無いんだよ。「株式課税しても意味はない」のひとことで、意味の無さを回避できると思ってるのがちゃんちゃらおかしい。資産課税は出来るんだよ、固定資産税贈与税相続税実際的意味では資産課税だ。インフレは最も有用資産課税ひとつ形態でもある(だからインフレ重要なんだ)。

どんなに言い訳しようとしても、資産スルーして利益課税しようとする、それしか課税の方向はないって誘導するのは、資産家のポジショントークにすぎない。

2018-10-26

仮説:キモいことが政治的に正しくないのでは。

最近のラディフェミの主張でとかくよく萌えている燃え絵界隈の話だが、

ずっと思ってたのは、なぜ好き嫌いのことを正しさで語るのかが理解できないという点だった。

誰にだって好き嫌いはあるし、どんなに頭で良くないと分かってたって生理的嫌悪感を抑えることがどうしてもできないってことは仕方ないと思う。

また内心の自由範囲内であればどれだけ口汚く罵ったって構わないし、

名誉毀損差別にならない範囲内であれば、その好悪の表現もあったって良いはず。

ただフェミの主張はそれどう考えても100%好き嫌いだよね?って内容でも、

やれ不適切だのゾーニングしろだのリクツをつけて排除しようとしていた。

これがどうにも理解できなかったのだが、

ふと表題の仮説が頭に浮かんだところ、あーそもそも前提が違ってたのかな、と。

キモいもの存在不適切で正しくない、というのが彼女らの主張なのではないのかなと。

そしてキモさというのは単なる生理的嫌悪感に留まらず、

性的加害の温床と不可分に結びついているという思想なのかなーと。

キモオタを犯罪者予備軍視する手合も多かったんだが、こう考えると納得である

キモさはお気持ちに留まらず、実際的性的暴力内包しているという考えの人が一定数いるのでは、

というのが今回考えついた仮説だ。

2018-10-24

anond:20181024190944

>何回も言うけど、聖なる開祖様に近いから謎の正統性パワーで効果があるとかそういう話じゃないよ。

釈迦もっと能力のある最高の先生から効果があり、それを釈迦ほどの能力の無い人が中途半端理解アレンジすればどんどん効果が減ずるという実際的な話。

この根拠がねぇっての。

更に、ケースバイケースで生きてるわけなので最善手は違うの。

あと、僕は仏教だけに依存するわけじゃないんでね。

https://anond.hatelabo.jp/20181024185633

で、各人が懐疑的に試して何を持って判定するの?

あなたに合わせて言えば、苦しさが減ったかどうか確かめてみるといい。

効果があるかに釈迦からいかいかなんて微塵も関係ないし、僕は重きをおいていない。

何回も言うけど、聖なる開祖様に近いから謎の正統性パワーで効果があるとかそういう話じゃないよ。

釈迦もっと能力のある最高の先生から効果があり、それを釈迦ほどの能力の無い人が中途半端理解アレンジすればどんどん効果が減ずるという実際的な話。

釈迦超人から釈迦に近ければ効果があるはず。は宗教

そこがなんか堂々巡りなのはあなたに何らかの怒りが生まれて話を聞かない態度になってきてるからじゃないか

例えばあなた釈迦を超えた能力があって、釈迦の教えの不完全性と改善案提示できて、それが確かめられて確かにそうだとなれば、自分釈迦を捨ててあなたメソッド採用するよ

でも釈迦を超える人が現れないので釈迦ディフェンディングチャンピオンなだけ 圧倒的な

だけど釈迦の教えを守ることは大事でしょう?

なんで大事かが問題で、正統だからではなく最も優れているか

極端に言ってしまえば、「真の釈迦の教え」なんてものはもう無いよ。

釈迦この世にいないじゃん?

アインシュタインが死んでも彼の発見アイデアは残ってるでしょう?

俺は今苦しんでいるやつに正しい答えを出せる方を正しいとする立場なので、

から一番効果があるのは釈迦の教えであってその劣化アレンジではないという話なんだけど何を突っ張りたいのかわからない。

例えば伝統的なものより効果のある瞑想メソッドを開発したのだということなら発表してほしい。試してはみるから

から、僕が上げた3人はどうかと言いだしたんだ。

まりあなたがコレクションしたその三人にあまり感心しない態度を示したから腹が立ったということなの?

でも小池龍之介なんて当然「仏弟子」であって、釈迦より優れてるなんて大胆な主張は小池自身夢にも思ってないと思うけど。

別に小池が良い悪いではなくて、小池なんてどうでもいい人でしょう。小池自身自分仏教史上の重要人物だなんて主張しないのでは。

2018-09-30

無能新人無能上司よりたちが悪いのではないか

9時始業の会社玄関を、いつも9時15分頃にくぐる。そこから3階の実験室にある自分デスクまで、別の部署の知らない誰彼に適当挨拶をしながらだらだらと歩いていく。カバンからセキュリティカードを取り出して実験室に入り、同じ部署の別グループが毎朝ミーティングをしているテーブルを無言で通り過ぎる。進捗報告だかなんだかをハキハキと語り合う彼らの向こうにある自分達の実験ゾーンに入って行き、窓側のデスクに座った後輩Aに背中越しに聞こえるか聞こえないかの声で、「はざっす・・・」と一応の挨拶をする。かすかに返事のようなものが聞こえたり聞こえなかったりするのを感じながら、俺は自分デスクにだらっと座ってPCを開いて電源を入れる。だるい速度で起動するPCの、だるい速度で起動するメーラーを立ち上げて新着メール確認する。0件。まあだいたいこの頃はメールは何もない。それから俺は出退勤アプリなる謎のソフトを開いて9時出勤と打ち込んで送信する。そんな朝が俺のこの頃の日常だ。

俺はそれから自分たちのグループスケジュール確認する。ミッション完了期限は1か月後、それに対して進捗は100%を表示している。もう終わっていた。毎日確認してみても、俺たちの仕事はとっくに終わっていて100%から変化しない。すべてが順調であったわけではないが、見積もった実働時間を1.6倍でスケジューリングして開始した俺たちのミッションは、そのまま見積もった実働時間通りに工期を終え、要求される仕様の1.3倍の性能を実現していた。報告を受けた上司は、「おつかれ。まああとは適当キャッチボールでもしといて」と言ってにやりと笑った。キャッチボールって何なのか、俺には良くわからなかったが、それ以降俺たちはそれぞれが毎日好きなことをして過ごしている。

そんな俺たちのグループには2年目の若手がいた。過去形なのはそいつがもうグループから抜けたからだ。そいつは何というか、高学歴であったが、いわゆる仕事が出来ないやつだった。最初のうちは笑って許せたミスも、2年目以降いい加減にだるくなってしまった俺が、そいつに任せる仕事を徐々に減らしていったのは、俺の器の小ささでもあるが、よく言えば仕事クオリティに対する責任からでもあった。

いつからか分からないが俺は彼を馬鹿にするようになった。暗に明に。どうでもいい仕事しか任せないし、そのどうでもいい仕事すら期待する成果を上げられない彼を、グループ内でネタにしてもいた。あいつ、いらないよな。っていう雰囲気が、グループ内に浸透していった。そして彼はいなくなった。

実際に彼がいなくなってから、俺たちのグループさら生産性が上がった。要因は、なにより俺たちのメンタルヘルスが一気に安定したことにつきる。俺たちは成果に貢献できない彼の尻ぬぐいや愚痴時間を割く必要がなくなり、まさに生産的で専門的な成果に集中することができるようになったのだ。若手教育に配分する時間が減ったわけではない。彼の替わりに1年目の新人が参加することになったからだ。新人は真っ当な奴だった。真っ当とは何かといわれてもうまく説明することができないが、彼は実にテキパキと失敗と成功を繰り返しながら成長していく。そんな彼を教育する俺たちのメンタルが以前に比べてまったくのオールクリア状態なのは言うまでもない。

俺は思うのだ。無能新人無能上司よりたちが悪いのではないかと。そこに倫理的問題があることを俺は十分に認める。しかし、むしろ、そこに人間として守るべき道理のようなものがあるが故に、よりたちが悪いのではないかと。俺たちは苦しんだのだ、とまでは言わない。しかし、実際的に俺たちはその時、生産性を落としていたのだ。そして彼が去り生産性は再び向上したのだ。無能上司のせいで生産性が落ちるとき、それは無能上司責任がある。そう叫ぶことに倫理的な痛みを俺は感じない。だが、この場合はどうだ、俺は2年目の彼を糾弾してよいのか、良くないのか。いや、良くないのだろう。彼は無能だった。そのことに俺たちの責任を認めないわけにはいかないからだ。俺もまた無能上司だったのだ。だが俺はいまでもそのことを認めることができないでいる。それは俺の心の痛みか、羞恥心か、あるいは別のもっと簡単な何かのせいなのだろうか。

2018-09-29

新潮45を実際に読んだ人ってどれだけいるの?

ここまでヘイト扱いされてる小川杉田両氏の件について疑問を述べるとすぐ右認定されるけどみんなあれちゃんと読んだ上で批判してるの?

あの記事は「言葉遣いがひどい」以上のものではなかったぞ。

言葉遣いがかなり稚拙だったってだけで差別肯定もしていないしLGBT排除しろなんて書いてないぞ。小川氏が誤読っつってたけど主張を誤読されたのに憤ってるのはけっこう同情するものがある。あれは「差別的」であって「差別」ではないか差別主義者認定されたらそりゃ人間なら怒るのが当然だよ。

痴漢が云々はあれは書き手代替表現における「ミス」であって論旨は政治的社会的私的領域を分けて議論しようといった内容だったぞ。あれはLGBTのことを語っているようで実際的には語っていない文章だった。ようするに議論が深まったろう系の文章だったわけだ。

まぁ杉田氏のあれは制度設計を考える政治家としては最低で公共理念に反する内容だったわけだがあれも彼女なりの間違った「リアリズム」なんだろう。けっこう典型的な低次の現実感というか区別的というかまあなんにしろ褒められたものではないが。

そんなことよりこれらの記事の反応がもう絶対おまえらあれ読んでないだろって内容ばかりでなんつうかそういう文章を読まないでイデオロギー的に反射で批判する空気のほうが大問題のように見えてしまったよ。新潮45はい試金石だった。文章を読まない人が批判するその直列乾電池みたいな逡巡のない反応はやばいと思うよ。こういう立場の人にはこうこうこういう反応をするみたいなプログラム的に何かをいうそ世界のほうこそを警戒するよ。

だってあれ1万部も出てないんでしょ。ニュースになってから買おうとしても買えなかったし。メインの購読者は老齢の保守層ネット民であれをニュースから知っていたとなるとかなり少ないはず。自分ネットの反応が気持ち悪いと思って図書館で読んでみたけどそこまでしてる人もなかなかいないでしょ。

まず読んでから批判しようぜ。まぁ言葉遣いがひどいけどあの方々は文章を読むかぎり「差別主義者」ではないぞ。すくなくとも。

2018-09-15

anond:20180915063826

それもそのとおりだ。俺が言ったのは「今日まで太陽が昇ったので明日も陽は昇るだろう」ということに過ぎない。

議論は俺の負けだ。責任概念仮想的なもので、罰が最も効率的機能するポイント意味する、と捉え直すこともできる。部分的自由意志放棄する方針は実際に有効たりうる。たとえば痴漢アルコール依存症での犯罪を免責し、代わりに治療強制する、というのもありかもしれない。自由意志を信奉する立場として、人間個人主体性尊重するいまの社会のあり方を誇らしいと思う一方で、思想ドラスティック改革した方が実際的被害者は少なく…社会全体の幸福の総量は増えるんじゃないか、という迷いはある。

2018-09-10

弘法は筆を選ばずの格好良さに憧れて迷走

大坂なおみの優勝で、ラケット市販の物というので、かっこいいなって思った。

この弘法は筆を選ばず的なかっこよさについつい憧れてしま

エースパイロットでもカラーリングだけ違うけど量産機乗ってるみたいなキャラがいい。

昔、BackTrackというペネトレーション特化型のLinuxディストリビューションがあったでしょ

それはKali linuxが後継になったんだ。

ペネトレーションテスト向けOSってニッチな奴だけど

ワナビーは憧れてた人が多かったんよ

なんか中二心をくすぐる雑誌とかで紹介されたりしてさ。

で、痛い話なんだけど

kali linuxに取って代わったあとも

BackTrackっていう名前はかっこいい名前のまま憧れててさ

そのワナビーコミュニティの中では、時代kaliみたいな雰囲気になってたんだけど(皆ちゃんと使いこなせてないけど)

「俺は使いやすいからあえて古いBackTrack使ってっから」って言ったりしてさ

完全のあれよね。古いシステムだけど技でそれを補う的なストーリー演出してたよね。

実際はリポジトリも閉じちゃってバージョンアップできないし、カーネルバージョンも何年も前のやつで止まってるのよね

でもそんな実際的不具合は使いこなせてないからわかんないわけよ。

ぶっちゃけOpenSSLとか古いまんまだから、当時の新し目の暗号スイート使えないしさ。他にもブラウザも古いしさ。

自分脆弱性満載のままで使ってるわけよね。

ペネトレーションテストするOSペネトレイタブルな状態ってすごい恥ずかしいよね。

まあ、当時はそんなのもわかるはずもなく、間違ったかっこいい演出しちゃたけど、あれは笑われてたなと思うよ。

はじかしぃ

冒頭の大坂なおみとは全然関係ない話になっちゃったけど、昔話思い出しので、吐き出しといたよ

2018-09-07

anond:20180827112915

女性専用車両は「アファーマティブ・アクション」ではないよ。実害の出ている被害者隔離するだけのごく実際的対策に過ぎない。

アファーマティブ・アクション」で議論があるのは、それが「白人の多い会社いくら『公平に』選考したつもりでも、黒人は雇われねえだろ。公正な状況(人口比と同じ)にするには無理矢理黒人を雇わせるしかねえだろ」という理屈で、まあ、それが本当に社会をよくするのか、効果的に機能するかは二の次の、かなり乱暴施策からだよ。その施策が実際にどのように機能するかについては、確かに議論があり得る。

でも、女性専用車両はとりあえず物理的に「男性から女性への痴漢被害」をなくすわけで、これは分煙と同じく単なるプラクティカルな「対策」に過ぎない。分煙した方が客が増えるという判断飲食店が「分けた」だけなのに、痴漢被害に悩む人々に対して「優遇だ!」と騒ぎ立てるのはほんと痴漢の仲間しか見えないからやめた方がいい。まあほもの痴漢がこんな目立つあほみたいなことしないとは思うけどさ。

もしどうしても女性専用車両をやめさせたいなら、たとえばこれがミソジニーミサンドリーに基づく「社会的分断」を生む危険がある、人と人とはもっと信じ合わなくてはいけないのです、ラブ&ピース、みたいな主張にしたらいいんじゃないかな。それなら、もう少しみんな話を聞くかもしれない。あんな不気味なおっさんがむすっとして女性専用車両に乗ってたらキモいだけだよ。それよりも、いっそみんな裸で電車に乗るようにしましょう。そしてもしちんこ立ったら即ひきずりおろしリンチから、みたいな主張をした方が受けると思う。

まあ、実際の痴漢ちんこ立ってないという話もあるけど、すくなくとも今より鉄道内の雰囲気が明るくなって、痴漢する雰囲気じゃなくなるのは間違いないと思うな。というわけで、私はヌーディスト専用車両の実現を主張するものであります。まあオレはヌーディストじゃないんだけどね。

anond:20180907021735

「死んではいけない」というのに違和感がぼくはありました。死にたければ死ねばいいし、生きたいなら生きれば良い。

社会に貢献というのは本質的義務ではなく、実際的義務な気がします。本来 "生きていなければならない" 義務はないと考えます

ただ、「生きている資格がない」と思い込まされて自殺に追い込まれるのは間違っていると思います

2018-08-29

anond:20180829185836

高校に行ったかどうかとか大学に行ったかどうかってのそのもの純粋に、直接実際的問題になるというよりは、

その業務知識の土台となる基礎的な知識技能があるかどうかってことだと思うんだけどな。

もちろん中卒でもその基礎があるなら別に構わないし、実際中卒でもそのへんの大卒よりも資格必要仕事してるようなのはいる。

だけれども、むしろ高校というシステムが無いとその土台を構築できない能力人間というのは現実としているわけであって、

そういう人にとってはあまりに早く「専門的」なことをやらされてもついていけないだけなんじゃないかなあと。

そりゃもちろん知識とかではない単純作業感覚的な効率化とかならまだわかるけど・・

2018-08-05

5億年ボタン

5億年ボタンってのは一般人唯物論観念論どちらを支持してるかってのを簡単お手軽に実際的問題として聞くものなんだよ

2018-08-03

そもそもなんで医師免許イコール医者として最大限尽くさねば、になってしまったんだろう。命にかかわる職業からどうこうってのはもちろん分かるんだけど。

医師免許が与えられた人間の内何割かが医者になればそれでいいとか、そういう形式だったら入学の時点でどうこうは起きにくいものだと思える。

現実として、基礎研究医などの医師免許が厳密には不要だけど実際的には医学科卒であることが求められる職業もあるけれど、

医師免許すなわち医者として最大限、はそういう職種への人材不足もつながるわけで。

レベル意味もぜんぜん違うけど、教員免許なんて大量の免許だけ持ってて教員でははない人間生産されている。

その中では、教育学研究に携わったり、教育系の企業就職して免許取得のための勉強を生かしている人もいる。

女性教員は寿退職するかもしれんから教員養成課程に女は少なめにするとか、そういうことがおきないのはどうかんがえてもやはり、

免許が与えられたからといって全員がその職に就くわけではないという構造であるからだと思うんだが。

いまさら社会構造をかえれないからどうしようもないけど、やっぱり免許があればすなわち臨床医師、って構造のものに無理が来ているのではないかなあと・・。

2018-07-29

人格人権尊重されるのは当たり前か、という話

なんだかいつの間にかかなり鎮火したLGBT案件だが、個人的には大した意見は無くて、「社会的コストが許せる範囲配慮すればいいのでは」程度のものだ。

 

ただ、ふと思うのは、LGBTの人々の人権問題を扱うのはいいとしても、マジョリティの人々の人権がどれくらい保証されているのか、という点だ。

 

マジョリティの人々の人権がそれなりに保証されているのならば、LGBTの人々への配慮もそこまで大げさな話にもならないと思うのだが。

 

そもそも個人的体験を言わせて頂くならば、二時間越えの満員電車通勤などは自分自身に対する明らかな人権侵害である、と感じた時があって、

自分生き方方針にも少し影響を与えたこともあった。

実は、マジョリティの人々もそれほど人権尊重されていないのではないかと。

 

もちろん、特急電車ビールを飲みながら通勤している人もいるし、給与身分保障社会保障などの方が大事だ、という人もいるだろうから

一概には言えないとは思うが。

 

労働問題というか、実社会を生きるということは、実際的な話として、その人なりの武器のようなもの肩書きや実務能力政治能力コネクションのような)

尊重されるのであり、人格人権尊重はその次というのが現実だと思う(好景気の今でもそれは変わらないと思う)。

大抵の場合ペーペーが何を言ったところで、会社組織において大した意味は持たない。

 

とすると、「人格人権尊重されるべきである」というよりも、「最低限度の人格人権保証されるべきである」というのが現実的な落としどころに見えるが。

 

学生学者も含めた「自分人格人権尊重されるのが当たり前」だと思っている人生を送ってきた人が、「人格人権尊重されるべきである」と言っているだけで、

実は、地に足に付いていない言説だった、というのが本当のところであるようにも見える。

 

例えば、Amazon低賃金労働者ハードワークは英国ドイツも含めた各国で問題になっているし、だから日本はとか、中世ジャップとか、言うつもりも無いが。

2018-07-28

anond:20180728000231

もともと持ってる能力って言われても、

正直LGBT人口生産能力としては言い方は悪いけど、現実的には持ってないみたいなものじゃん。

人間は誰でも、税収を増やすために、人権蹂躙にあたるレベル労働をさせれば厳密にはできないことはないのだから

そのレベルまでやらないのなら生産性が低いとかいうことになりかねない。

少なくとも社会全体の議論でいうなら、

厳密いえばできないことはない、とかではなくて、実際的に実行可能かどうかを見たほうがいいのではないのかなあと。

それで実際的に実行可能ではないひとをどうこうしようとしたって、あまり現実的利益がないし

それこそ「生産性のない」議論な気がする。

2018-06-29

はてなブックマーク改善するたった一つの冴えた方法


「人気のコメント」を決める基準はてなスター採用しないこと。

これだけだ。

はてなスターは、何の意味もないから気軽に付けられて、

殺伐としたブックマークコメントをほんわかさせるはずのものだった。

しかし、「人気のコメント」を決める、という実際的意味を持たされたことで、

すっかり「気軽に付けられないもの」に変わってしまったのだ。

「全てのコメント」で見れば罵倒コメントがまばらにあるだけでも、

たかだか10人か20人がそれにスターを付けただけで、

まるでブックマーカーすべてを代表する意見に見えてしまう。

さらには、自演互助特定傾向のコメントを押し上げている、

といった見方もされるようになった。

また、「スター乞食」と呼ばれるようなユーザーが出てきて、

明らかに価値などないような記事大喜利をして、

ホッテントリに押し上げることが増加している。

ソーシャルブックマークとしても危機的な状況にあるのだ。

「人気のコメント」欄と「はてなスター」はもはや争いの火種しかなっていない。

いまここではっきりと機能を分離し、

はてなスター純粋に「何の意味もないシステム」に戻さなければ、

はてなブックマークはそれこそ廃止に追い込まれしまうだろう。

2018-06-25

幸色のワンルーム』について、弁護士太田啓子氏の記事に思うこと

幸色のワンルーム』(以下、「幸色」)放送中止騒動について、弁護士太田啓子氏の記事を読んで思ったこと。

この日記は、以下の記事を読んでの感想である。筆者が、他所での議論ほとんど追えていないことについては、ご容赦願いたい。

幸色のワンルーム放送中止批判の嵐……弁護士太田啓子氏が「誘拐肯定」の意味を語る

http://www.cyzowoman.com/2018/06/post_190588_1.html

以下では、当該記事の内容について適宜要約し、筆者なりの疑問点を整理していく。

【元記事の要約①】「幸色」放送中止への批判として、『ルパン三世』や『名探偵コナン』は放送中止にならないのに、なぜ「幸色」だけが、というものがある。この批判に対して、太田氏は、現実における殺人犯誘拐犯の認知の違いを説明することで応答している。すなわち、殺人犯自身行為殺人である認識している一方で、誘拐犯はその限りではない、という。また、この認識の違いは、これらの犯罪行為を受け止める側の人々の認識の違いと並行している。

→<①への疑問>太田の応答は、“現実における殺人犯自己行為殺人である認識しており、それを受け止める側の人々もそうなのだから殺人にまつわる番組放送したところで問題はない」というものであり、確かにルパン」や「コナン」が放送中止にならない理由説明しようとはしている(内容の是非は置いておいて)。しかし、この議論から導き出せるのは、せいぜい“誘拐テーマ殺人よりも注意して放送すべきである”程度のところまでであり、副題の「なぜ殺人OKで、誘拐NGなのか」はミスリーディングである

【元記事の要約②】太田氏いわく、『幸色のワンルーム』は、加害者一部の人事件に抱いたであろう妄想作品にしたものであり、「実在被害者に対する中傷のものだと思う」という。

→<②への疑問>言いがかりに過ぎない。

【元記事の要約③】太田氏は、ドラマ公式SNSの“盗撮ハッシュタグ”に触れた後、「公共電波に乗せるのは、表現者社会的責任を伴い、おかし社会規範を作ることに寄与することは、やはりやってはいけないと考えます」と述べる。

→<③への疑問>“盗撮ハッシュタグ”に眉を顰める気持ち、そして“公共電波に乗る表現には社会的責任が伴う”、という点には同意できる。ただ、もっと議論されるべきは、“「幸色」の表現者が十分な社会的責任果たしていない、と言えるのかどうか”という点である問題は、瑕疵の有無ではなく、その大きさなである太田氏の記事では、この点についてあたか自明のことであるかのようにほとんど触れられておらず(太田氏が、別の場所議論しておられるのであれば、申し訳ない)、実際問題、この点についてほとんど議論がなされないまま放送中止が早々に決定されてしまった。

【元記事の要約④】誘拐被害者は「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」。しかし、今の日本社会では「女性被害を訴える声を歪曲して捉える空気が強すぎる。このような空気社会の中で、『女児誘拐したが実はその女児はその「誘拐」を喜んでいた』という言説を肯定的に描くことは、女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか。」

→<④への疑問>まず、「助けを求めなかったからといって、誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない」についてだが、“必ずしもあり得ない”という意味なら同意できるが、“絶対にあり得ない”という前提であるならば、疑問である。“人間が何を望んでいて何を望んでいないかはっきりとひとつに決定できる”という素朴すぎる人間観は置いておいて、実際のところ、実親から虐待から逃れるための緊急の避難が、結果として誘拐事件というかたちをとってしまうケースはままあるように思われるからである(筆者は、それを肯定している訳ではない)。ただ、「誘拐犯と一緒にいることを望んでいたということではあり得ない(というのが常識になるべきだ)」という太田氏の見解は、客観的事実認識というよりはむしろ弁護士としての倫理を加味したものであるように思われるし、そのこと自体に対しては、筆者は敬意を表する。次に、「女児誘拐についてのそのような歪んだ認知肯定し強化することにならないでしょうか」であるが、これに対しては、“それは本当なのか、本当ならどれほどのものなのか”“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という二つの疑問が浮かぶ。前者の疑問は、そのままの意味で、「幸色」の放送によって“歪んだ認知の強化”が本当に起こるのか、起こるとしてそれはどれほどの強化なのか(微々たるものではないか)、という疑問である。また、後者の“それは果たして放送中止に足る理由なのか”という疑問は、もし「幸色」によって引き起こされる“強化”が微々たるものであるならば、それは「幸色」の表現者が果たすべき社会的責任範疇を超えているのではないか、という疑問であるそもそも社会というのは、何かひとつドラマによって大きく変わったりするようなものではないだろう。もしそういうことがあったとすれば、それは社会のなかで変化への準備が潜在的に進んでおり、作品最後の一押しになったということにすぎない。そうだとすれば、個々の表現に過敏に反応する態度は、社会本質的領域から目を背けた盲目的な“水際作戦”であり、また作品への“責任押し付け”になりかねないようにも思われる。

【元記事の要約⑤】表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」。『表現の自由への弾圧』という批判的外れであり、太田氏は、公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしているのだという。

→<⑤への疑問>表現の自由は「公共空間で何をやってもいい権利ではない」、という点については同意であるしかし、繰り返しになるが、もっと大事論点は“「幸色」は本当に許されない表現なのか”ということであり、元記事では、その点について一方的議論しかなされていないように見える。放送中止批判している人々も、太田氏と同様に、「公共空間のあり方や、社会規範の作り方の話をしている」ことは明白であり、「『表現の自由への弾圧』という批判的外れ」という応答は、それこそ的外れ揚げ足取りではないか

【筆者の意見とまとめ】

 「幸色」放送中止騒動について、筆者が問題視しているのは、公的権力による弾圧ではなく、むしろ私的検閲>と呼べるようなものである公的検閲によって作品発禁になった、という過程ではなく(すなわち、行為主体の種類の問題ではなく)、あるイデオロギーによって「幸色」が放送中止に至った、という実際的な結果に注目しなくてはならない。元記事には「作品が“世間にどう受け取られるか”を熟考することも重要とあるが、「幸色」を放送中止に至らしめた“世間”とは、決して“世間一般”のことなどではなく、特定イデオロギーをもった少数の人々にすぎない。少数の人々から批判テレビ局が過敏に反応し、“本当に許されない表現なのか”を議論する機会が十分に設けられないまま、放送中止の決定が下される。“事実上は”の次元では、特定イデオロギーによる“世間”を無視した検閲が行われているのである。それが果たして公共空間のあり方」として正しいのだろうか?

 ここまで筆者は、「幸色」の表現瑕疵はそれほどまでに大きいのだろうか、という疑問を発してきたが、一方で、「幸色」の表現にはプラスの面もたくさん存在するだろう。生きづらさを抱える少女少年希望を与える(例えそれが幻想にすぎないとしても)ことはもちろんのこと、適切にテロップを入れるなどすれば、虐待問題への啓発にもつながる。そんな大きなことを言わなくても、普段何気なく接してる表現いかに我々の人生を豊かにしているか、考えるまでもないだろう。表現瑕疵ばかり取り立てるのではなく、“望ましい表現”か“許されない表現”かの二分法に訴えるのでもなく、光る部分にも目を向けていくべきではないだろうか。“100%良いもの表現)”というのは、それが人間の営みにおいてほとんど存在しないということもあって、薬にも毒にもならない(ただ筆者は、そんな“何の役にも立たない”ような表現にも、発表の機会が与えらるよう願いたい)。

 「幸色」は、本当に“許されない表現”だったのだろうか。そして、<私的検閲>が事実機能している現在の状況は、果たして公共空間公共表現の場として、望ましいものであると言えるのだろうか。

2018-06-05

anond:20180605012347

当方介護施設勤務的な者なので、

結果として、仲いい夫婦として残った性質だけから生存者バイアス」で語ってしまうと思う。

夫婦の両方ともに人格的に優しいんだろうと思える性格と、

(今の高齢者で当時の社会常識かもしれんけど)家庭内での役割分担ができていて、優しさゆえの割り切りができてるんだろうなと思かう。

実際的ホントに仲睦まじくお互いに想い合って過ごされてるんだけどな、

それでも、よくよく聞いてみるとな、彼や彼女にも不満はあるんよ。

「(旦那は)実は朝食に出てくる漬物が好みじゃないんよ」とか、「(妻は)夜中にふいに起きる旦那TVを付けたり、早朝に新聞取りに行って起こされてしまう」とか

でも、「その漬物は体に気を使ってくれてるもの」らしかったり、TV情報の「起きてすぐ動いたほうが健康に良いらしい」みたいな相手自己弁護を受け入れてあげて

お互いやってきてあげた結果が今につながってんだろうと思うわ。

それだけが秘訣とは言えないし、もっと若い頃には喧嘩もあったかもしれないし、

その喧嘩些細な理由となって別れてしま夫婦もいるんだろうとは思う、

それでも「優しい人たちなんだろうな」って思える夫婦が多い気がするわ。

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