はてなキーワード: 折檻とは
母子家庭だったけど4歳の時に母親自殺したから育児ってしんどいんだと思う
「こっち見て」って言った後で飛び降りた俺への悪意しかない死に方
その後母方の祖母に引き取られたが、延々俺の両親への悪口言って俺にも折檻する
母親は家出して中卒で水商売だか風俗だかで働いて、在日の客の男と結婚
すぐに離婚してあげくに自殺した恨みをネチネチ言われて本当に嫌いだったので
中学上がるタイミングで暴力を理由に祖母が育てるの嫌がって父親宅にたらいまわし
父親は邪険にせずかなり愛情注ぐタイプではあったが、いる時は過干渉だし、いない時は仕事で地元帰ってて1ヶ月いないのもよくあった
父の家は一人暮らし用マンションで個室がなく、性に目覚める時期なのに父親が抱きしめて寝たがる
リビングに仕切り入れて隅を個室っぽくしたがその導入ですら「家族なのに」とごねて不機嫌になった
父親は子供の頃に同胞集団と一緒に来日して狭いスペースに大人数で寝泊まりしてたらしい
日本で育ったから細かい部分の価値観があわず、親という実感も持てない気味の悪い外人と同居させられて不運だった
父方親族は来日後の事業に成功して父親も社長やってたので金銭的には不自由がなかったが
小遣いの多さがなければとっくに父親殺してたと思う
そんな声がどこからか聞こえたが、俺が知っている中で最も同和の話に近いのが一時期ネットを折檻した韓国人優遇の話なのだから仕方ない。
結局のところ、あの頃散々叩かれた「ごくごく一部のやたら優遇されている韓国人Ⅱ世Ⅲ世」というのは、同和の一種だったのだろう。
戦後のゴタゴタなどで韓国人を差別してきた歴史を持つ地域に深く関わる行政が、差別主義者としての自分たちの状況を小手先で誤魔化そうとし続けてズブズブの関係になっていったわけだ。
なるほど、ネトウヨとして暴走し大学や親や初めて入った職場で煙たがられながらも必死に勉強し続けた知識が今になってようやく役にたった。
利権を一度認めると、「利権を一度認めてしまった」という情報を世間から隠すためにずっと利権を認め続けることになる。
これが民間企業だとふとした業績の悪化によって「これ以上は耐えられない!」と吹っ切れることもあるし、倒産と共に膿が一気に地域一帯へと流れ出すこともある。
だがこれが公共となると中々倒れない。
何よりもそういった利権を黙認するかしないかの判断が自分たちの利益に一切影響しないという役人の立場が「とりあえず面倒臭くなさそうな方向で」というインセンティブを強く働かせるわけだ。
結果的に日本中に同和優遇・外国人優遇を始めとした様々な「元被差別階級」に対する優遇措置が行われ続けるわけだ。
恐ろしいな。
フェミニストもどきの連中がい前も何度も新たなルートで繰り返している恐喝と全く同じやり方だ。
何千年前に生み出されたのか知らんが、全く持って人類に寄生するのによくできた方式だと思う。
根絶やしにする方法があるとすれば、優遇措置をしてしまった人間を捌きすぎないことだろう。
だがそうなると今度は裏で繋がりを持ったままにして利益を折半してチャンチャンとなりかねないわけだ。
難しい。
とあるラピュタの考察で「ラピュタ人がラピュタに戻らなかったのは地上での生活の方が幸福だったから」とある。
でも、彼らは地上でそれまで支配していた人々に報復されるのを恐れ、谷で隠棲生活をしていたと考察している。
ここで矛盾が生じる。
「地上での生活が空中都市での生活より幸福だった」ことが「ラピュタ人が隠棲生活を送った」ことと結びつかない。
考えて欲しい。
文化、最新のシステムを備えたモダンな住宅やマンション、質の高い医療、質の高い教育…
例に挙げたのは港区で得られるもののほんの少しだが、そこに住む人を幸福にしてくれる。
…
ない。
劣等感、苦痛、閉塞、僻地の質の低い医療、教育という名の折檻と支配…
ラピュタを東京都港区とし、ゴンドアの谷を岩手県西和賀町だとすると、ラピュタ人が疫病の収束後にラピュタに戻らなかったことを説明できないのだ。
だって、例えば深刻な疫病で東京23区に住めなくなり岩手県や鳥取に避難したとする。
疫病がなくなって元通りに暮らせるってなったとして、100人いたら120人が東京23区に戻るじゃん。
この点についてすっきりとした考察を持ってる人いる?
婚約者の母親が認知症を疑うレベルで怒りっぽく、一度怒ったら喚き散らして相手が謝るまでやめないことはもうわかってた。
そろそろやっと入籍というタイミングで、私に気に入らないところがあったらしく「結婚は認めない」「もしするなら事実婚にしなさい」とまた喚き散らした電話が婚約者と私にかかってきた。
その後は「涙が止まらなくて心が苦しくて眠れない」という泣き落としのメッセージが届く。いつものことだった。
他親族とも話し合い、こういうことを言われて正直会話にならないから関係構築は不可能だと思う、私は顔を合わせることはできないと意見したらそれで通った。
最初は婚約者も、婚約者親族も「増田さんと婚約者の母親はもう会わなくていい」ってことに同意していたのに、次の日になって「入籍日は親族みんなでランチしましょう」という連絡が来ていた。
それについて婚約者は断ってくれたものの、いつかは自分の母親と仲直りして欲しいと言われたけれど、私の両親についての罵倒も、激しい物言いで事実婚にしろ、婚外子を産めと言われたことは一切忘れられそうにない。
本当は婚約者に気持ちを汲んでもらいたかったが、やっぱり母親のことが大切なんだろう。私との和解をいつかさせるつもりでいるんだと思う。
このままいつか、婚約者と婚約者の母親が会い続けたら、私が悪者で、ひどい人っていう認識が2人の中でできていくんだと思う。
そうしていくうちに、私は婚約者からも嫌われて、仲の悪い夫婦になったりするんだろう。
こんなに大好きな人他にいない。心の底から愛してる。でも多分、これはいつか私が嫌われて憎まれる結末を迎える結婚だと思う。
さみしいな。
苦しいけど、婚約者の母親に歩み寄れなかった自分も悪いんだろう。
本当は私のために怒って欲しかった。事実婚や婚外子なんて考えられないってその場ですぐ、怒鳴ってでも怒って欲しかった。
収入もある。私の名義でマンションも買うだろうし、子どもだって欲しい。
同棲時代の生活費と家賃は全部私が払った。婚約者の借金だって肩代わりした。
食事も掃除も洗濯もした。全部喜んでくれた。愛してるから嬉しかった。
さみしくても、苦しくても、生きていかないといけない。
これでもまだまだ大好きだと思う。婚約者の母親と揉めるまでは本当に心底愛していたし、すごく仲が良かった。
今は少し、疲れている。
母親のことが大事なら、もうそう言って私のことをふってくれればいいのにな。さみしいな。
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【追記】
仕事をしたり、信頼できる友人に相談していたら色々なコメントがついていてびっくりしました。
コメントの全部がそうなんだよね…と納得いくことばかりで、やはり多くの人の話が聞ける増田は助かります。
女です
隠してたつもりはなく、文体もいつもの自分のしゃべり口調で書いたので性別については特段書かずにいました。
借金の理由は色々あって、生活苦やストレスによる散財、仕事の経費です。
ストレスによる散財とは、婚約者の母親が何か気に入らないことがあれば1時間ほど彼を折檻するので、その後に起こります。
彼はフィジカル的には武道もやっていてかなりマッチョなのですが、幼い頃からそういった肉体的・精神的虐待をされていたので逆らえないそうです。
婚約者の父親が自殺したのもあり、婚約者と婚約者母はずっと同居していました。30数年、これが繰り返されていたということです。
また、折檻のあとは彼の母親が泣いて謝って、一緒に死んでくれ、お前がいないと生きていけないと泣き落としに入る最悪の虐待ムーブに入ります。
交際当初は「うちの親はちょっと変なんだ」と言っていたものの、他人である私が婚約者の実家を訪ねてお茶をしていても折檻は始まるので、本当に頭がおかしいんです。
上記の虐待の状態を見て、とりあえず揉めずに穏便に私の家に婚約者を同棲させようと急ぎ動きました。
1年ほど、たまに実家に帰る際は私が同行すること、また虐待が始まったら私も割って入ることを約束に同棲生活が始まりました。
縁を切ると言っても、生きて肉体がある人間とは物理的に縁を切るのは難しいと判断しました。
逆上されても危ないため、穏便にことを済ましている最中です。
同棲生活も問題なく、また私が金銭的に少し余裕があったので借金の肩代わりや、生活費を出していました。
これは恩着せがましい書き方をしてしまいました汗
婚約者をかばうつもりはないですが、実際にトラバコメントの通り「金銭的な献身さは評価されにくい」は感じています。みんなそんなもんなのかな〜
>結論
色々と揉めたのですが、一旦私は婚約者の親とは接触しないことに決めました。
本当は虐待を受ける彼を見ていられなかった、今後もあれが起きたらどうしようと考えただけで心臓が痛いのですが、彼曰く増田ちゃんみたいな女性が割って入る方が怖いから、増田ちゃんは今後接触を避けようという提案でした。
自分がされるのは辛くないか、と聞いたらしんどいけど、これからは365日のほとんど全部を増田ちゃんと過ごせるから平気だと。
年に一回1時間の折檻を受けるくらい、この幸せと比べたら全然平気、30年間毎日これだった時と比べたら余裕だとのこと。
私はその年に一回も耐えられないと思って揉めたのですが、実際に縁を切るには消息を絶ってブラジルにでもいかないといけないと思うと現実的でないと判断しました。
また、彼は仕事柄職場がネットですぐわかるので、苗字で検索すれば一発で居場所はバレます。
とにかく今は彼の母親を怒らせないように、また、接触機会を減らすことに尽力しています。
ここ数日は私のスマホに怒り叫び電話が来たり(三連休で暇だったようです)、彼も私も仕事で疲れている中、改めて彼の母親のことで揉めてしまい、つい増田に書いてしまった次第です。
皆さまのご意見は全て参考になるものばかりで本当に助かりました。
ありがとうございました。
残された祖母は茫然自失状態で、結局私の母が喪主をしていた。とにかく大変そうだった。悲しむまでもなくやるべきことが押し寄せてくる様は。故人に近しい筈の人間が悲しむ暇もないってどういうことだよ、という感情を禁じ得なかった。
ところで、祖父母と母の関係性は、あまり良くなかった。孫だった私にとっては優しいおじいちゃんおばあちゃんだったが、まだ幼い私が祖父母の家で甘やかされると、明らか母は不機嫌になり、祖父母の家から帰ると私はよく何かと理由をつけて折檻を食らっていた。最近、お互いが歳をとったことでようやくいろんな感情に収まりがつきつつあったようだけど、たぶん祖父に対しての母の感情は、結構複雑なものがあったように思う。
でも、祖父は急にいなくなってしまった。家族葬だったとはいえ親族や集落(ど田舎なので)の人たちが焼香や弔問に来て思い出話をしていくし、喪主なので親族代表で母は挨拶をする。死んだ人のことは誰も悪く言わない。母も無難な挨拶をした。通夜、火葬、葬儀を経て、勝手に残された人たちの思い出話の中で、「良い人だった」というラベルが祖父に貼られていくのを見ていた。先述の通り私にとっては優しいおじいちゃんだった。でも、わだかまりを持ったままの、娘だった母は、勝手に綺麗なイメージに書き換えられていく祖父像を、どう見ていたのか気になった。
そしてタイトルの話。
祖父母と母の間にいろいろあるように、お察しの通り私と両親の間にも、いろいろある。今は距離を置いて暮らしているし、たまに電話で話し、たまに実家に帰るくらいの距離感でいられるから穏やかだけど、特に母と私は、一つ屋根の下で暮らすには絶望的にたぶん合わない人間だった。許せてないことがたくさんある。でも、この距離で落ち着いている今いちいち掘り返すのは面倒くさい。
でもいずれ両親がなくなったら、喪主をやるか、兄弟に喪主を託せても弔いの場にはいなければならない。その時葬儀に来た人たちが勝手に両親に「良い人だった」のレッテルを貼っていくのだろう。もちろん「良い人」成分も間違いなく私の両親だろうが、それでコーティングされた中身に、結構さんざんな目に遭わされてきた。それを知らない人にはなかったことにされてしまうし、死んだ人のことを悪く言う人はいない。
私はたぶん、それに耐えられない。
https://anond.hatelabo.jp/20230130001756
増田の気持ちもわかる。大学の先輩が飲酒運転で人をはねたことがあるから。
とはいえ、大きな事故じゃなくて、道路に横になってたおっさんを、轢いて、他の人に怪我とかはなかった。
轢かれた人は、後で亡くなっちゃったんだけど。(酔っ払って道路で寝るの、本当に危ないよね)
そこからが大変だった。
判明したのは、部活のみんなに警察から「居場所を知らないか」という連絡が回ってきたからだ。目撃者がいたらしい。
先輩は、俺と同じ武道系の部活の人だったんだが、そこの部長が「警察に見つかる前に探せ!今日中だ!」って大号令をかけて、部員全員で探す羽目になった。
まあ、当時は飲酒運転はそこまで重い罪じゃなかったんだけど、やっぱり自首と逮捕で重さが違うのは俺でもわかったし、
人を轢いた先輩も、子供向けの武道スクールとかで一緒にボランティアしてて、すごいいい人でお世話になってたから、俺も部活のみんなと探しに出た。
俺はバイクを持っていたので、単車を持っている同期と一緒に外に出た。
実家周り、パチ屋、よく行ってたラーメン屋や雀荘、銭湯なんかも周ったけど、マジでどこにもいなかった。
しかも、途中で、ヤバメの連絡が来た。
みんな、不味いと思った。そのへんの人ならともかくとして、警察は身内案件の時はやたらとやる気出すものだ。警察OBの先輩ともよく話していたので、よく知っていた。
同時に、実は俺達は、先輩を見つけたくない、というのもあった。
ひき逃げの先輩は強かったのだ。身長は190cm近く、ウェイトも100キロ近くて、明●大のラグビー部と路上でモメた時も、相手の頭をカチ割って場を収めた、なんて話もあった。
当然ながら腕は全国クラスなだけでなく、あんまり言うと流派バレるかもしれんが、「喧嘩の時は急所を狙え」と教わる所なので、金的とか目つぶしを普通に狙ってくるはずだった。
正直、手負いの熊を捕まえる方がまだ気楽だ。(そういう意味でも、警察より早く見つけたいんじゃね、と話した記憶がある)
3,4時間はめぼしい場所を探して途方に暮れた俺達は、近くのコンビニで酒を買って、どうするか作戦会議、と称して休憩していた。
見つけるのも、嫌だし、仮に警察が先に見つけてしまった場合、連座で俺達も部長から罰を受ける…当時は冬。寒空の下、酒を飲む手が震えた気がする。
正直、酒の力抜きだと、すくみ上ってしまって、本当に殺されてしまうかもしれない、と思っていた。それほど先輩は強かった。路上で戦うのはごめんだった。
だが、日頃の行いが良かったからか、『先輩が見つかった。すぐ戻ってこい』という連絡があって、俺達はホッとして、大学までバイクを走らせた。
そこからが大変だった。
先輩は、なんと寮の友人の部屋にいたのだ。
(寮で何をしていたか、という話は2パターン伝わっていて、1つは部屋の隅でガタガタ震えていた、というもの。もう1つは麻雀してたよ、というもの。俺は流石に前者だと思っている)
「なんで、すぐに見つけられなかったんだ!」と部長が俺達を叱責して、大学の校舎の周りを2週させられた。
まあ、そんなことは別に些末なことで、部長が何故、先輩を探していたのか。その理由が理由だったのである。
ああ、と思った。部長が、大学の女の子を引っ掛けて、先輩と一緒にスノボ旅行に行くはずだった。しかも、その翌日の土日に。
女の子達に、自分の後輩がこれなくなった、と言わせる気か!と部長は怒髪天を突かんばかりに、激怒していた。
そういうことになった。
2人は、そのまま長野県のスキー場まで出かけて行った。しかも、人を轢いた先輩の運転で。運転する方も運転する方だが、乗る方も乗る方である。
どういう気持ちだったのだろう、と今になると思うが、当時は折檻が大したことがなくて、全員ホッとしていた。
それからが、大変だった。
(発見者の部員が署まで同行し聴取を受けたのだが、『なんかこいつ、変な日焼けしてね?』と質問され、笑ってはいけない事情聴取状態になって、大変だった、という話もある)
そして、女の子達と楽しい時間を過ごして、スキー焼けの後でパンダみたいになっていた部長は宣言したのだ。
1人のノルマは100人だった。部員は全員、大学でクソ寒い中、大声で署名をかき集めることになった。
正直、先輩が見つからずに、部長たちにボコボコに殴られた方がマシだったんじゃないか、と思うくらい恥ずかしかったし、時間の無駄だと思ったし、最悪だった。
まあ、その甲斐あって、先輩は大分緩い刑、つまり執行猶予つきで済んで、その後の就職活動等にも影響が出ない、という話で落ち着いた。あと、ついでに報道もされなかったはずだ。
(部長というか、その部活が法曹筋に強い人だらけだったし、警察OBも沢山知り合いなので、手を回したんじゃないかという話も聞いた。署名の意味とは…?)
今では、その部長や先輩たちとは繋がりはないとはいえ、学生時代はもうすこし血生臭くて、それよりヤバい事件が2,3個起きていたので、増田を見るまで、その話をすっかり忘れていた。(嫌な思い出だったのもあるが)
とにかく、人はみんな、そういう思い出を抱えたりして生きているのだ。あんまり自分を責めないで良いと思う。
ていうか、結構有名大学の話なので、当時、署名してくれ!とムサい男達に頼まれた人もいるかもしれん。その節はすまなかった。
この場を借りて、謝罪したい。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
生家は漁師を生業としており、親父は一般的にイメージされるガハハと笑うような快活明朗なタイプで、根性論が大好きだし息子娘問わず鉄拳制裁なんて日常茶飯事だった。
ただ一応は男女の線引きがあったような気はしていて、女兄弟は納屋に閉じ込められる程度の折檻は受けていたものの、男の俺のように木へ吊るされるとか海へぶん投げられるみたいな折檻を受けていたようなことは無かったように記憶している。
親父は子供をハチャメチャに殴り倒すみたいなことは無く、鬼の形相で強力な一撃を食らわし「反省せい!」とか「何やっとるか!」みたいに檄を一言放って作業場や寝室に籠もるというような人だった。
その後にお袋や祖父母が何が悪かったのか説明をしはじめて「お父さんに謝りに行こうね」と説得されて謝りに行くのが常だった。
まぁ冷静に考えると幼児の頃から高校生になるまで常に「強力な一撃」と感じたということは、おそらく年齢や体格に合わせて力加減をしていたのだろうと今なら想像付くが、当時はそんなこと気付かないので、ただただ親父が激怒するほどの大変なことをしてしまったのだなと思っていた。
俺の妻が妊娠したとなったとき、親父は気分が良くなったのか酒の進みが早く酔いが回って口が軽くなったのか「あのイタズラ坊主が」と言っていたのが実に印象深い。
そして「男らしく振るまえ、力の使いどころは考えなきゃいけない」と続いて、最後は「男の暴力は凄く大事なものだ、大切なものなんだ、宝物なんだ、その意味を考えろ」と言った。
はてなで過ごすと暴力なんてものは絶対禁忌で、どんなことがあろうと、例えそれが正義であれ悪であれ行使すべきものではない、何なら暴力は絶対悪と思いたくなるが、俺の親父は「暴力は宝物」と言う。
その価値観の違いに混乱するけれど、親父が亡くなって子供がある程度大きくなった今ならば親父が何を言いたかったのか何となくわかる。
男にとって暴力とは最後の手段なのだ。
大切な人々を最後、極限的に守らなければならないときに行使するのが暴力。自然が先祖が神が人間の男に与えた大事にとっておかなければならないのが暴力なんだ。
だからこそ、暴力をみだりに行使することは非難されるべきであり、だからこそ宝物なんだと俺は思う。
親父が強力な一撃を放ったあと作業場や寝室に籠もってしまったのも今ならわかる。
息子をぶん殴るなんて何と心苦しく、そして愚かな行為なのか。それ以外の選択肢を取れなかった自分が何と情けないことか。
酔った勢いではじめて親父が理想と考えていた男親の姿を知ることが出来た。
親父は折檻を適切な教育とは思ってなかったんだ。ただそれしか方法が思い付かなかったから咄嗟にやっていただけだった。
俺はもしものとき暴力を行使できるのか。
そうならないようにすることが本当に大事だけれど、暴力によって息子を静止し、そして暴力によって息子や妻を脅威から逃がすことができるんだろうか。
たぶん俺の親父は躊躇せずやれるだろうけど、息子である俺はどこか躊躇してしまうだろうと思う。
幼少期に親父が俺へ対して「俺からは力の強さを、お母さんからは優しさを継いだ」と評価してくれたけれど、俺は親父よりも肝っ玉が小さいので優しさというのはオブラートに包んだ表現だったんだろう。
暴力を考えること、暴力の行使とは実に難しい、俺は度々そう感じる。
この増田は、孤独で気が狂いそうだ(https://anond.hatelabo.jp/20220116164742)の続編である。あの時心配してくれた皆さんにご報告をしたいと思って書いた。
私は32歳の女で、生まれつき発達障害があり、父との共依存関係に悩んでいる。
結論から言うと、父とは家を別にすることになった。別居先は、空き家になっている築45年の父方祖母の家で父の持ち物だし、経済的に自立できるまでの間、生活費の一部は父に出してもらうし、1日に1回は父から電話がかかってくる。とても自立とは言えない。それでも、別居だ。別居なのだ。自由だ。
相談支援専門員さんの件はどうしたかというと、父から離れたら、一生生活保護で、治安の悪い地域のボロアパートだねと言われて、ビビって逃げられなかった。ごめんなさい。
中学受験をして入った私立の中高一貫校は、生徒みんなが旧帝大の医学部を目指すバリバリの進学校だった。毎日、大量の宿題が出た。
両親は、
・時間を作らないお前が悪い
と言っていたのだが、それはゲームやインターネットの実質的な禁止だった。
私は鈍臭く、しばしば他の生徒から文房具を投げ付けられたりしていて、何だか勉強に身が入らず、成績が学年最下位付近をさ迷っていた。
ある日、私はどうしても我慢ができず、宿題が終わっていないのに、こっそり母の部屋からゲームを持ち出してやってしまった。すぐにバレた。父はいつも通り「誰がお前みたいなゴミを養ってやってると思ってるんだ。親の言うことが聞けないなら、今すぐ売春婦にでもなっちまえ」と怒鳴った。私を叱る時の決まり文句だ。父が私を押さえ付けて、母が私の頭を何発も殴った。
折檻が終わって、私は自分の部屋で一人になった。むしゃくしゃして、何か壊してやろうと思いながら部屋を見回した。家具やぬいぐるみを壊すのは可哀想でできなかった。代わりに、自分の腕や脚をカッターナイフで切り付けた。今思うと、カッターナイフでやってよかったと思う。カッターナイフで血が出る程度に切ったところで、跡は残らないからだ。
翌朝、傷を見せるでもなく隠すでもなく、朝ご飯のパンを食べていると、両親が傷に気付いた。「見ろよ、あの厨二病。自分が可哀想だとでも思ってんのかね、受ける」と両親は私を指さして笑った。
両親が心配するような期待はしていなかったけれど、喜ばれるとは思っていなかった。アホらしくなって気持ちが冷めて、その後自傷行為はしなかった。
ちなみに、この話を中3の時の担任にしたら「リスカを止めてくれるなんてなんて素晴らしいご両親なんでしょう!感謝しなきゃね!」と一人勝手に感動してうっとりしていた。
その時の、両親に怒鳴られ、殴られ、笑われる夢を見た。カッターナイフの刃が腕に入っていく感触も蘇った。
朝起きて、もう父と暮らすのは無理だ、と強く思った。父と一緒にいると、父がどんなに優しく親切にしてくれても、すごく苦しくてモヤモヤする。その正体を見たような気がした。
その日、私は父を拝み倒した。しばらく、おばあちゃんの家に住ませてください。どうかお願いします。お父さん、ごめんなさい。嫌な夢を見て、死にたくなりました。と言った。父はめちゃくちゃ動揺していたが、死にたいと言った私の勢いに押されて、別居する上に経済的援助をするという、無茶苦茶な条件を飲んでしまった。父のための家事を放り出すのに、お金を請求するのは自分でも無理筋だと思ったが、通ってしまった。あと、父は身内が生活保護になるのは困るみたいだ。
こないだジュンク堂で立ち読みしたギャンブル依存症の本が役に立った。ギャンブル依存症の夫を持つ妻は、治療のお金を夫の親に出してもらいましょう。1ぺこり300万円です。頭を下げてお金をもらいましょう。私はこれを読んで、生き残るためにプライドや気まずさを捨てよということだと思った。
とりあえず、半年分の生活費を私の口座に振り込んでもらった。汚い生き方だ。でも、死ななきゃいいんだ。
今はB型作業所だけど、父と離れたら健康になってもっと働けるかもしれない。そうしたら、いつか自分のお金で全て賄える日が来るかもしれない。そう思っている。