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2018-10-06

anond:20181006202832

なくもないんだよなあ。

まり現実に近い世界高校生とかがセックスすると生々しくなる。

リアリスティック描写が売りの青春小説か、完全にエロにふっきれた作品しかなくなる。

そこへ行くとファンタジーだと描写を盛り込みやすい。

2018-04-08

「オッサン物語」のキモ

有能なオッサン生意気なガキをやり込める物語って気持ち悪い。

正確に言えば、少年向けの、少年主人公とした物語ファンタジーとして否定し、「オッサン物語」をリアリスティックものだとして持ち上げている人々が気持ち悪い。

冴えないオッサンが有能なガキに叩きのめされる。これが現実だ。リアリティだ。冴えないオッサンが勝てるのは冴えないガキを相手にした時だけだ。そしてそのガキはやがて年を経て冴えないオッサンになるのだ。

オッサンオタク現実を受け入れて、ファンタジーとして「オッサン物語」を楽しみなさい。

2017-09-15

anond:20170915162855

北朝鮮が直接日本を狙ってきた場合Jアラート間に合わないか意味無い」みたいなリアリスティック風な事を言う人が、似たような非武装話せば解る論みたいな事も言い出すのが、人間の複雑な所だと思った。

2016-12-06

グラフィックリアルさはなんのためにあるのか?

グラフィックリアル度がゲームシステムリアル度と乖離した時、システムに対するリアル度の低さという違和感ゲームお約束として脳内処理してしまうのが通例であるなら、その場合グラフィックの精細さはなんのために搭載されていると感じるのでしょうか?

わたしは、あまりグラフィックが売りのゲームというのをやったことがなくて、それでも例えば平面スクロールマリオなら、WiiU映像とかをみていると、別にこんなに立体感のある映像でやらなくても、ファミコンマリオの絵でもゲームの楽しさは変わらないんじゃないかなあと思うことがあります。もちろん実際やってみれば敵やキャラクター挙動かわいいかったり、エフェクト気持ちよかったりと思うのかもしれません。任天堂ゲームはそういう部分を楽しくつくろうとしていると感じますポケモンがいつか立体になったのをみたときも、結局コマンドの出し合い合戦なのだからと思ったのですが、やはりポケモン挙動が増えるとかわいいし没入感がありますよね。

一方でグラフィックリアルさを売りにするゲームって、もっとリアリスティックというか、映画的というか、業界の人たちがどのように言うのかわからないですけど、そういうのって任天堂的な表現とは違って、現実の模写がいかにできているかという部分に価値があるのかなと思います。そうするとなると、例えばターン制のコマンド出し合い合戦ゲームシステムだとしたら、これも、やったことがないので、実際やってみるとわかることがあるのかもしれませんが、リアリスティックキャラクターたちの映像でそのゲームシステムをやることに、特別な喜びが感じられるのでしょうか。ファミコンドラクエのような画面に置き換えたとしたら消えてしまう、そのグラフィックリアルさによって得られる恩恵特別にあるのでしょうか。そこのところがピンときません。

2016-02-14

男性女性のどっちがオプティミスティックなのか

自分男性だが、過去に付き合ってきた女性の事を「現実を全く知らない人だな」と思うこともあれば、「冷淡なリアリストだな」とほぼ半々で思っている。

最近は、性差関係なく、それまでの人生での幸せの量、愛され具合などで変わるのではないかと思っている。

概して愛されて育ってきた人、チヤホヤされてきた人はオプティミスティックであり、その反対はダークサイドを否応なくみているので冷淡なリアリストの傾向があると思う。

自分はどうかというと、正直半々でリアリスティックな部分と、前広に考える傾向も大体、半々で状況によりけりで、付き合ってきた相手からも、その見方でどっちにも指摘される。

どちらと付き合うほうがいいのかというと、これまた難しいというのが本音

リアリストの方が現実的だが、正直付き合っていて、話をしていても「つまらない」の一言に尽きる。何のために人生を生きるのか分からないのだ。

例えば子供がほしいというと、収入が…とか、うちの両親多分介護出そうとか、そういう話に終始しがちである

一方でオプティミスト楽しいが、「それでいいの?」と思うことも多く、晴の日に傘を準備する発想がないので、それはそれで結婚考えると負担が大きい。何しろ人生、何もせずとも楽して生きてきているもんだから、彼らは。

はて。どうさ。

2015-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20151022124446

横だけど、うは~って感じ。

「敵」 (筒井康隆

http://www.pu-hiroshima.ac.jp/~takahasi/teki.htm

主人公大学を退官した一人暮らしの男。彼は老醜さらけ出すのを潔しとせず、蓄えが尽きたら自ら命を絶とうと決意している。この小説の前半部分には、老境をいかに生くべきか、自分なりの考えに従って生活を律っしながら生きる主人公生活ぶりが細部にわたって事細かにリアリスティックに描かれる。

 ところが後半部分になると、主人公が参加しているインターネット上のメーリングリストを通して正体不明の「敵」が北から攻めてくるという情報が流される。このあたりからこの小説はにわかにSF的・幻想的になってくるのだが、これをリアリ スティックに読めば主人公ボケ症状に陥ったと解釈することが出来る。

2015-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20150318005353

こちらの意見同意かな。最後違和感も含めて計算づく演出だと思う。

日本画的な描写と昔話的な世界観で展開されてきたラストに、リアリスティックなあの地球を持ってくるからこそ、インパクトカタルシスを感じるんだと思う。

せめて当時の古地図に見て取れる、ゆがんだ日本列島や、巻物に描かれた俯瞰図のテイストを素に描かれた、

山や緑や街が、墨絵の雲の向こうに消えてゆく様な風景を描くべきだったろうと思うのだが。

こちらの発想の方が正直凡庸な感じがするな。

2014-04-28

http://anond.hatelabo.jp/20140428183650

ほー、まったく同じこと言ってるんだね。

勉強不足なのは認める。だけど、こういう安部首相の側面をネット含むメディアは報じてないのは問題だよね。

だって、今回報じる場合に「2007年と同じ主旨で」って書いたメディアはあるのかな。あるなら教えてほしい。

こんなこと言ってたって、ほとんどの右派左派も知らないんじゃない。ブッシュときか。そのときスタンスは変わってないって感じなのかな。

右派が知ってたら、河野談話を責める同じ勢いで責めてるだろうし。左派は、右派を「安部は認めてますけどw」って煽ってるだろうし。

安部首相慰安婦問題に関しては、かなりリアリスティックになれるって感じなのかな。

やっぱなんだかんだ強制連行の部分が問題になるよなぁ。"Forced"と"abducted"の違いの誤解とかあってきついんだけど。

そこで争うより、やっぱ米軍韓国自身の慰安婦の問題も含めて「人権問題」として扱った方がうまくおさまると思う。日本けが炎上しないという意味でも。

海外への伝え方がやっぱり日本は下手だと思う。海外メディアもかなり酷くて、河野談話に関する調査するって話も「1993 apologyを取り消そうとして、反対に合ってやむなく止めた」って報じてるから

そういうところが俺は不満で、でも海外メディアではなくて学術研究だと日本側の言い分も客観的検証してくれてるものもあるって発見があったってことを伝えたいって主旨ね。

2013-05-12

ウサギィについて、いくつか

2015年4月2日追記

何とは言わないが、ひとつ区切りが付いたタイミングなので、追記する事にした。

元々このエントリー2013年5月2日に書いたものです。

ウサギィが社外のエンジニアを安く買いたたいた件が、じわじわ話題になっていた当時、僕の経験を元にウサギィ社長と会った話を記した。

 

それから2年が経過しました。

今、ウサギィという会社は変わっているかもしれないし、昔のまんまかもしれない。

ただ、僕の観測範囲で記すと。

会社引越をした。ウェブサイトリニューアルした。

ウサギィ社員Rubyイベントで見かけるようになった。そして社員執筆したRuby書籍も、良く出来ている。

HTML5 Japan Cup 2014では、ECサイト賞と花王賞を獲得した。プロダクトも素晴らしいと思います

HTML5+画像認識(HTML5とか勉強会LT) - SSSSLIDE

2015年5月19日さらに追記

画像解析の機能を分離したサービスリリースされた。大変よく出来ている。

最先端の画像認識技術が簡単に試せる『画像解析できるマン』をリリース致しました。(2015/5/19)

 

Googleウサギィぐぐると、公式サイトの次にこのエントリーが表示される。

申し訳ない。という気はさらさらない。当時書いたこエントリーを覆す気はないし、当時僕が感じた社長ニヒリズムと態度は、すこぶる不快だった。

が、あのとき社長が言い放った「何も話す実績はないし、聞かれても話す事はない」という状態ではなくなったと思います

(別に守秘義務を破れと言っているのではない。来客に対して、品定めするような目でありながら、己の手の内を明かさず、悪辣な態度に腹が立ったのであるいくら守秘といえど、ものには言い方がある。)

今のウサギィには、いくつかの公開された実績があるし、コミュニティでの活躍もある。

これからも頑張って欲しい。ウサギィの今後を、応援してます!!

 

追記はここで筆を置き、以下は2013年5月当時のままとする。

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http://anond.hatelabo.jp/20130510163712

 

で、ぶっちゃけ。1ヶ月10万円でエンジニアを買い叩き働かせたって話はどうなのよ?

id:ssig33さんが「山岸和利の話」というエントリーを公開しているから、

彼についての技術力とか、金額妥当かどうかは、そっちを参照。

ssig33.com - 山岸和利の話

 

もしドラ作者なら怒りでブログが爆発するレベル(あ、ドリンクは出ました)

それはともかく、僕も昔、ウサギィ見学に行ったけれども、良い印象を持たなかった。

とにもかくにも、社長の態度が悪いです。見くびっていたのでしょうね。

こちらの技術力とか、経験とか、雰囲気を見て、下に見る感じでした。

僕は別に黙ってただけなんだけどね、開発経験

非常に失礼な応対だったので、同行者がいなければ、さっさと帰ろうと思ったほどです。

イラツキ半分、どうしようもないなぁ半分という微妙きもちで、彼らの会話を見ていました。

それでいて「ウサギィでは何を作っていらっしゃるんですか?」と問うと「守秘義務から」って、何も言わぬし。

そんな会社に、なぜ自分の実績や経験を話さなければならないんだ。って気分になりました。

いや、守秘義務守秘義務だけどさ。君らの手札を見せないで、なんでこっちの手札を見せる必要があるんだろうね。

それとも「コイツには手札をチラ見させる必要もない」って判断をされただけかもしれませんが。

 

そもそもこちらは、ウサギィ守秘義務案件を聞いて、どうこうしたい訳ではない。

お話のとっかかりというか、コミュニケーションとして「どんなお仕事しているのですか?」と尋ねるのは、「今日はいい天気ですね」と同等レベルだと思う。

要するに気を遣っているだけなのだ。それに対して「守秘義務なんで」の一言シャットアウトは、さすがにコミュ力低すぎてびびる。

守秘義務職業倫理が結びついている、医者弁護士だってもっとましな返答をする。

どうせ僕以外にも多くの人が同じ質問をしているだろうから、トークスクリプトを考えた方が良い。

何故あんな会話応対をして平気だと思えるのか、謎である

 

ウサギィって、何やってんのよ?

小規模ベンチャーありがちな技術至上主義的な考え方を持っていらっしゃるようでした。

でもさ。はっきり言って、飛び抜けて技術力持ってる。って訳じゃないよね、ウサギィ中の人

もちろん、得意不得意分野はあるだろうけれど。

何か専門分野の特許を持っている訳でも、それに相当するような研究開発をしているわけでも、

特定の業種に特化してソフトウェア開発しているわけでも、不特定多数の人に使われるソフトを公開しているわけでも、

オープンソース世界バリバリ活動しているわけでもなく(WikiRails機能紹介があるくらい)

何やっているかと言えば、いろいろな会社の社内ツールとか作ってるんだよね?ウサギィって。

どんな会社が何で食ってても良いとおもいますよ。

でもさ、ウサギィ規模の会社が、外部非公開&守秘義務縛りの社内ツールしか作っていないって、結構つらいんじゃないかな?

7年(だっけ?)も会社やってるのに、訪問してきた人に、1つも話す実績がないって、なにやってきた会社なんだよ。どういう契約なんだよそれ。

そりゃ、お邪魔しても海鮮丼食べておしゃべりして帰るしかないよ……。

別にコンサルタントみたいなこと言うつもりもないが、会社として軸足持った商品開発した方が良いんじゃないでしょうかね。たぶん。

ウェブページ業務内容書いてるけど、多すぎでしょう。

その全部がプロフェッショナルとして価値提供できているんだろうか。あの人数で?

もしそうなら、すごい逸材ですね。かずー氏も町裕太社長も。

それから。会話でも採用情報でも、「デザインデザイン」ってやたら言ってるけれども、

ウサギィウェブサイトは何年前のデザインセンスだよ!!!!リニューアルしてこれかよ!!!!

いくらペーパプロトタイプで裏側設計デザインしても、表向きの表現力がないなら、ただの残念ウェブサイトです。がんばりましょう。Adobeも月額5000円で使えるんだし。

えーっと。技術力がある人って、ウサギィみたいなことやっている会社に魅力を感じるんでしょうか?どこに?

2013年9月27日追記

ウェブサイトリニューアルしてました。この増田を読んでくれたのかなぁ。おーい、かずー氏、みてるー?

今風になって、なかなかシャレオツだと思います。さすが、ソースコードも綺麗です。

まぁ、この記事を書いた当時は糞ダサかったって事で。

2013年9月27日分追記ココマ

 

悪いコトばかり書きすぎるのもアレだ。かわいそうだ、うん、ごめん。さて業務について良さげな点を記そう。

開発環境の構築&業務フロー最適化については、しっかりしていると思いました。

こういうの、小さい会社ほど小回りがきく分野ではありますが、誰かが旗を振って導入しないと難しい。Gitとかペーパプロトタイプ導入とか。

別に珍しい手法を取り入れている訳ではなさそうだけれども、ちゃんと業務が流れているんだなと一目で分かった。

大きな会社であっても、ダメな所はてんでダメ。その点、ウサギィ業務フローはしっかりしてるように見えた。

そのあたり、かずー氏の得意分野なのでしょうか。

これが出来ている会社だと、従業員が増えた時の進化が早くなります

渋谷あたりでソシャゲ作ってる弱小ベンチャーとかでよくある話ですが、

アプリがヒットしてエンジニアを大量採用したものの、情報管理連携が取れなくて死屍累々って例は無数にあります

しかし、もしかしたら。ウサギィにはそういう問題とは無縁かもしれません。

いつかウサギィに主軸事業ができ、会社が大きくなる時、比較スムーズに開発業務を拡大できるのではと感じました。

 

ウサギィTwitterで有名だけどさ。

Twitter宣伝道具。広告費がないからTwitterで人を呼んで、優秀な人材を集める」

と言っていましたし、まぁそれもひとつ戦略なんだろうな。と思うものの、

人を安値で買い叩いてるっていうなら、もちろん感心はしない。

まぁ、そこはあまり僕の知っている範囲じゃないから、控えるけど。

 

「私、ウサギィで働きたいんです!!」

ウサギィインターンやらで行く学生が、僕の周りにいたら、止めるねえ。

今回の噂もあるが、それ以上に、ウサギィ体制が整っていない会社だ。

ウサギィ社長が言っていた「女性こそ、プログラミング能力を身につけるべき」という考えや

独立志向思想(Independentな考え方)は、大変結構なことと思う。

しかし、それをサポートする体制は、到底あるとは思えない。

せいぜい、ベンチャー企業の中身をちょこっと覗かせて、場所提供して、終わり。ってレベルでしょう。

この業界女性エンジニアというだけで、大した技術力や経験がなくても、引く手あまた。

教育してくれるところも、資金があるところも、いろいろあるからね。

ウェブサイトで「ウサギィ女子力!!」とか書いちゃってるけれど、女性エンジニアタマゴは別にこんな会社に行く理由はない。

結局のところ、ウサギィは何をやっているかからない、すこしTwitterで人気な、零細企業なのである

まぁ、それを魅力に感じて働きたいという人は、行けば良いと考えますが。職業選択の自由です。

 

 

 

蛇足で、個人的意見しかないが。

ウサギィウェブサイト見た時も、直接話した時も思ったけど、

ウサギィ人達がよく使う「おもしろいことを、仕事にしたい」って、なんなんだろうね。

僕には、君たちの考える面白さが、分からなかった。伝わらなかった。

直接話したかずー氏も町社長も、リアリスティックニヒリズムに満ちた発言ばかりだった。

Twitterでは、クール知的キャラクターうつるしかリアルで会うと、ただの尖った思想コミュ症ではないか。

君たちに実際に会って「ウサギィ面白いクールだ」って感じる人、どれくらいいるんだろうか。

起業家がみんなキラキラ夢を語る必要もないけれど、

経営者役割って、一緒に働く人に、なにかしらの夢やら目標やら、見せるものじゃないかな。

そういう点で、ウサギィってどうなんだろうね。

ステッカーを大量に配りまくるのも、Twitterで知名度得るのもいいけど、

本気でブランディングしたいなら、もう少し考えた方が良いんじゃなかろうか。

君たちの目指す"おもしろさ"って、なんだい?

 

まとめ

あ、海鮮丼、美味しかったです。ありがとうございました。

ウサギィの今後を、応援してます!!

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (3/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

1 - 2 - 3

翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。

彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである

村上ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツアイロンがけしている、など)が

突然非日常不思議電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。

言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、

たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。

村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界あいだで翻訳をしている。

平凡と奇妙、自然超自然田舎と都会、男と女、地上と地下。

言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ

村上の車の後部座席に戻ろう。

私たちは東京を離れ、ベッドタウンに入った。

多くの企業本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。

およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。

木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。

靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。

自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。

同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。

(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)

オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。

山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。

室内のもう一つの棚には村上人生と作品にまつわる思い出の品々がある。

彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニーウォーカーを描いたマグカップ

はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。

壁にはレイモンド・カーヴァー写真、グレン・グードのポスタージャズ巨匠の肖像がいくつか。

村上もっとも好きなミュージシャンテノールサキソフォンスタン・ゲッツ写真もある。

私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。

村上はヤナチェクの「シンフォニエッタ」を取り出した。

1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である

作品で示唆されるとおり、渋滞で聞くにはまさに最悪の音楽だ。

それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。

同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。

村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。

「一度だけそれをコンサートホールで聴いたことがある」

オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」

彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。

シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」

シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。

彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。

「The Many Sides of Gene Pitney」。

カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。

村上は13歳の時、このレコード神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。

針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初ヒット曲「Town Without Pity」。

劇的な、ホルン即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。

若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」

終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。

1Q84』というタイトルダジャレである

言語をまたいでオーウェル引用したものだ。

日本語では、9は英語のQのように発音される)

1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。

彼は読み直したといい、それは退屈だったという。

(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)

近未来小説は退屈なものばかりだ」と彼は言う。

「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマックマッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」

1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」

オーウェルに親近感を覚えたかと尋ねた。

オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。

ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分政治好きな人間だと思うけれど、政治メッセージを誰かに向けることはない。」

はい村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治メッセージを大々的に言明している。

2009年、批判のなか彼はイスラエルエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルパレスチナについて語った。

この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本原子力行政を批判した。

彼は、福島第一は二度目の核災害だとした。

一度目はまったくの被害者としてだったが。

バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。

「僕は99パーセント小説家で1パーセント市民だ」と言う。

市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」

演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。

人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。

「これは日本にとって転機になると、日本人ほとんどが考えていると思う」

悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」

その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国モデルケースとして見ているのか、と尋ねた。

アメリカはもはやモデルケースだとは思われていないと思う」

「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」

地下鉄サリン事件阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。

地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。

彼は深さのメタファーを多用することで知られる。

登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。

(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。

彼は自分創造性も、深さとしてイメージするという。

毎日机に向かい集中力に満たされたトランス状態の中で、村上村上キャラクターになる。

それは、自らの無意識洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である

「僕は東京に住んでいる。ニューヨークロサンジェルスロンドンパリのように文明的といっていい世界だ。

 魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。

 魔法リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。

 書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」

執筆しないとき自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。

彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。

彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。

人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。

実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。

1995年サリンガス事件があったとき村上被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、

その結果を分厚い2冊組の本として出版した。

のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語翻訳された。

この会話が終わったとき村上ランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日ランニングを通して学んだ」と彼は書いている)

彼のランニングスタイル個性の延長のようだ。

身軽で、安定していて、実践的だ。

たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。

それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。

そんな言い方をした理由はすぐに分かった。

というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。

もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、

地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。

道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。

そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。

まるでどこかの村上世界にある無限階段のように。

上へ、上へ、上へ。

しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。

海ははるか下に見えた。

それは秘められた巨大な水世界日本アメリカあいだの、人が住まない世界だ。

その日見たかぎり、水面は静かだった。

そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。

大通りのサーフショップ漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。

空気は湿っていて塩のにおいがした。

私たちは並んで浜まで走った。

村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。

セミについても話をした。

何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。

私がおもに覚えているのは、村上の安定した脚のリズムだ。

走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂エアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。

数分後、庭から迷い出た変な生物が私の視界に入ってきた。

最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。

が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。

飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。

最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。

見たことがないほど変な蝶だった。

浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、

私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。

それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。

蝶が去ってまもなく、村上階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。

見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分ボトルから水を飲み、私を見上げて言った。

日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」

2011年10月21日

1 - 2 - 3

2009-02-13

書評: 中村彰彦・山内昌之黒船以降 政治家官僚の条件』(中公文庫

 あまりに面白いので休日に半日を費やして読了した。

単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。

 しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。

 経済視野から薩長会津を比較してみると、京都守護職を越前松平春嶽から押しつけられた会津松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都島原遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士京都人から嫌われ、薩長はすかれた。

なぜか。長州竹島経由で、薩摩沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。

密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。

 本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。

水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬栃木あたりに逃げ、その末裔現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。

結局、水戸藩の“正義”の史観徳川幕府を毀した。

 

本書は、薩摩長州歴史意識政治構造科学天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。

たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。

山内教授は「オーストリアハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川薩長が二分するアイディア存在を告げる。

イギリスオールコックなどの歴史観世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセス西郷大久保坂本邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。

また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリアハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。

 脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島指宿の「伝承館」でみたパリ万博記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博薩摩徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。

 薩摩は「薩摩琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。

 もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。

福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。

福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。

他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。

 

 さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカロシア日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。

 シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府フランス薩摩英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。

 しかし幕末徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。

 市場開拓を狙うドイツ人武器商人だったスネル兄弟は河井継之助長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。

 ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。

 しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。

 それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本精通しているのだろう。

 もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。

 山内がいみじくも「後書き」に書いている。

国際会議で、オスマントルコ帝国解体過程やイスラム政治歴史と、日本近世近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。

 最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授主観だから、その部分は聞かないことにする。

2008-08-09

11年目の少女革命ウテナ

先日、まとまった時間ができたので何かテレビシリーズを頭から終わりまで一気に見ようと思い、少女革命ウテナを視聴しました。テレビ放映から11年目にして初見です(確か当時は耽美的な装飾が苦手で敬遠していました)。

見終わって感じたことは、見た目とは裏腹に伝わってくるメッセージは非常にリアリスティックでとても興味深かったです。

以下に少女革命ウテナから私が受け取ったメッセージについて備忘録もかねてつらつらと綴ってみようと思います。ちなみにあえて他の人の感想を一切読まずに書きます。それと映画版は未見です。

少年少女の住む世界

少女革命ウテナ舞台は学園です。物語はすべて学園の内部で終始し、学園の外というのはまったくと言って良いほど描かれません。全寮制であるという設定を鑑みても、例えば、生徒達の里帰り的なエピソードが挿入されても良いですし、修学旅行もしくは海水浴などのエピソードを入れても良いはずです。

しかし、少女革命ウテナはそれをしなかった。

それは現実少年少女たちが、事実その通りだからです。少女革命ウテナ舞台設定は少年少女たちが価値観、交友関係すべてが学校に規定され、そこから逃れられない様子を現しています。

少年少女たちにとって世界とはすなわち学校なのであり、現代社会においては例外はほぼあり得ない。

不登校であろうが、それは学校から遠く離れた海水浴ではなく、学校内部で殻に閉じこもる引きこもりでしかありません。

少年少女たちはどこまで行っても学校から離れることはできないのです。だから少女革命ウテナでは学園の外が描かれることがない。

少年少女にとって世界の危機とは何か

この作品の登場人物たちは、現実の私たちがそうであるように、皆が他者とのコミュニケーションで悩みを持っています。

作品の中盤にあたるエピソード郡は、すべて脇役がコミュニケーションの問題に直面し、葛藤することに充てられます。

それはひどく個人的な問題ですが、学校世界である彼ら彼女らには、コミュニケーションの問題とはすなわち「世界の危機」へと拡大解釈される。親の庇護の元にある少年少女らが直面する問題とは、コミュニケーションしかない。

この作品では「世界の危機」に直面した少年少女らは危機を解決するために剣を手に持ち、主人公ウテナ決闘をします。そこで唱えられる言葉は「世界革命するために」 。

世界革命」とは、彼ら彼女らにとって「世界学校」の「危機=コミュニケーションの問題」を解消すること、つまりは「自分の理想的な環境を手に入れる」ことです。しかし、主人公ウテナによってことごとく打ち砕かれます。

この「主人公は絶対に負けない」というアニメ的なお約束は、何を現しているか。

彼ら彼女らは行動は周囲の人間を変えようとするものです。自分は変わることなく、周囲が自分にとって最も望むべき形の接し方をしてくることによって革命は完了する。

絶対に完了しない革命は「周囲の人間は変わり得ない」という現実を現しています。一人の人間意識を変えることすら難しいのに、多数の人間を自分の思い通りの思考形態にし、好ましい位置に配置する。そして、その関係を維持する。そんなことは不可能です。

では、この作品の放つメッセージは諦観に満ちたものなのかというと、そうはなりません。

決闘に敗れた人間は作品内において、破れた=理想的な環境を手に入れることができなかったにも関わらず、どこか以前よりも晴れ晴れとした表情になります。それは破れることによって「他者は変えられない」ことを知り、「自分自身を変える」しかないんだと気づいたからに他なりません。

他者や環境は変えられないけれども、自分自身の考え方や振る舞いを変えることはできる。それによって理想的とは言わないまでも、少しの改善を見込めることはできる。

少女革命ウテナはこのメッセージをひたすら繰り返してると言って良いでしょう。

少年少女世界の狭さ

物語の終盤、学園を支配する理事長との決闘を終えたウテナは、学園から姿を消してしまいます。そして、学園内の人間からその存在を忘れ去られてしまう。

そして、この作品のヒロインである姫宮は学園から消えたウテナを探すために、自らも学園を去り列車に乗って旅に出るところで物語は終わります。

このシークエンスは言うまでもなく、少年少女らの世界の狭さを看破しています。

他人は変えられないから自分を変えよう、自分が今いる世界がすべてではなく容易に外に出ることができるのを知ろう。

これが少女革命ウテナから私が受け取ったメッセージです。

 
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