はてなキーワード: プレッシャーとは
わかる。超わかる。
でも、俺バカだからさ、周りには話し合わせて「マネージャーなんてやりたくないけど、給料上げるにはそれしかないよね。」とか言ってたけど、ちょっとやってみたかったんだよね。昔からそういうとこある。サークルの幹部にもやりたいなと思ってたけど実際やってみて後悔した。
会社のマネジャー職も、なってみたらマジで辞めたい。でも一旦もらってしまったら4万円/月の手当でもなくなると困ってしまう。子供達もそろそろ塾とか…
妻は専業主婦。働いてくれない。家事も万全とは言えない。専業主婦なら分業なんだから全部やってほしいし無理なら働いてほしい。妻には特別な学歴や職歴があったわけでもないし、俺がお願いして専業主婦になってもらったわけでもない。「子供ができたわけでもないのに仕事は辞めないでほしい。」ってお願いしたのに、まだ俺も低賃金だったのに専業主婦になってしまった人。子供がいない頃は短期間パートはしてたっけ。
会社の同階層の人達は、みんな揃って「マネジャーやりたくない。できることなら辞めたい。自分たちが心底そう思っているから部下でマネジャーやりたがるやつはいない。」って言ってる。たまに俺みたいなバカが現れても、しばらくすると現実を知って辞めたくなるし鬱になる率が滅茶苦茶高い。
裁量なんてないのに責任だけ放り投げられて、現場からの苦情と上司からの丸投げの板挟み。ただ、上司がひたすらに無能なのかと言うと、上司は上司で結局は中間管理職でしかない。よく働いているとは思うよ。大嫌いだけどな。信頼はしていない。偉そうなヤツは全員嫌いなんだよ。
まだ歴史のない若い会社で、長くいる人間の待遇を上げないとみんな辞めてしまうから、手当をつけるために階層を増やしたのよ。
でも、新設された中間管理職に昇格してその仕事だけをするわけじゃなく、グループ長的な今までの職務は兼務なのよ。どう頑張ったってプレイ9:マネジメント1くらいしか時間は取れない。そんで自分のグループと動き方が違うところこマネジャーにさせられるんだから、そりゃ残業や休日出勤になるさ。そんで監査で詰められるからサビ残になるじゃん。最悪だよ。東芝のチャレンジと同じ。1人の社員に何重もの仕事と責任を押し付けて、どう考えても無理なのに残業時間は削れとプレッシャーかけられて、サビ残がバレたら懲戒ですよ。
警察庁の統計では自殺の背景として男女差が大きいのは「経済・ 生活問題」と「勤務問題」なので結局男は働いて金を稼ぐものという認識があるからだろう。
これ、自分も「男性の方が世帯の家計を支えている場合が多く、そのプレッシャーがあるから自殺率が高い」と思って調べたんだけど
前々から何度も話題に上がる女性は管理職になりたがらないという議論であるが、
それは「女性が管理職になりたがらない」ならば逆説的に「男は管理職になりたがる」のか?と言えば、
それが甚だ微妙と思わざるを得ないのだ。
いやホント、私は男で、同性の知人と話していても「管理職になんてなりたくねぇ~」
と言った男が増えているのを肌感覚で感じる、特に若い世代は「管理職になりたくない男」が増えていると思うわけだ。
「男も女も管理職になりたくない」ようになっているのではないか?ということだ。
考えられる原因としては主に3つ挙げられる。
多くの部下の面倒を見ないと行けないとかより上の人間からのプレッシャーとか
もう単純に色々大変そうだから。
給料はそりゃ増えるかもしれんが、大変さと天秤にかけたら
給料安くてものほほんとできるヒラのがマシかな、と思えるから。
亭主元気で留守がいいな時代であれば、
男は一家を養うためにとにかくバリバリ働いて稼がなければならない重圧があった。
男はとにかく給料あげないと!と思うインセンティブが無くなるのも必然であろう。
まさに夫婦どちらもヒラで一家をやっていけるというスタイルが当たり前になれば、
そりゃ管理職になりたくない者も増えるだろう。
これが一番大きいと思う。
所謂男は男らしくの重圧であるホモソーシャルが弱体化してるからだ。
それこそ昔は「男はとにかく会社のトップを目指さなくてはならない。
といった規範があったのだろうが、現代はそんなのアホくさいと思う男が増えている。
というか男が迷いなく管理職を目指せる理由なんて、ホモソ的重圧以外あんのか?て話である。
いやもうホントね、「女は管理職になりたくない」って話ばっか上がるけど、
それ以前の話として「男も女も管理職になどなりたくない」ようになっている現実があると思うわけなのよ。
もちろん管理職といってもピンキリだしなりたくなるような魅力的な管理職もあるだろうが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269632237259870801
「構成が上手い!」「トリックが凄い!」みたいに絶賛されてるけど
作者が用意した理屈より先に読者の目に入る描写、そこが全然ちゃんとしてない。
これはどうかと思う。
全てのネタがばらされたあとでも各描写と真相との整合性が全然ないので
トリックによっていろんな伏線がピタッと収束したというような感心や快感もない。
あの真相が意表を突くのは、それまでの描写によって刷り込まれた無意識の理解からは有り得ない真相だから。
ちゃんと各要素を整理せずに読んでると「意表を突かれた感」がトリックによるものだと勘違いしてしまう。
以下具体的に言う。
最後の反応とか見るに、この親はお兄ちゃんもまほちゃんも可愛がってる。
出来のいいお兄ちゃんを良く見過ぎていたとかプレッシャー掛けちゃってたっていうだけで。
そうなるとまほちゃんのあの全身のあざだらけはなにごと?
え?よいご家庭の子がなんでそんなことやってて、なんでばれてないの?っておかしさ。
親には一緒にやってるor黙認してるような不穏な伏線はないのに
お兄ちゃんが妹にあんな露骨な虐待をやってたという真相はおかしいでしょ?
描いてる側は「巧みな構成で虐待という真相を隠してました」って言いたいのかもしれないけど
構成が巧みと言うより同居者である親にそういう描写が何もないから読者はその可能性は消してるわけでしょ。無意識の裡に。
なのに「虐待でした」って言われると「えっ?」って確かに意表突かれるんだけどそれはトリックの凄さじゃなくてむしろ杜撰さでしょ。
読後に「この親の設定や描写どうなっとるんや?」という矛盾が残る。
(ラストでぱっとお姉ちゃんとまほちゃんのエモに世界を閉じるのはそこに気付かれないための逃げ切り法として見ればまあまあ上手いけども。)
そもそも痕でバレるバレない以前の話で
なんでまほちゃんは「お兄ちゃんにぶたれてる」って親に言わないの?
なんか親に言えないような性的虐待の暗喩だよみたいな話を始めちゃう?
親の虐待に日々をおびやかされている子なんだよね?
そうなるとなんでこんなに終始強キャラのオーラをまとってるの?
そのせいで色々まほちゃんや読者からのミスリードを生んでるんだけど
この強キャラオーラの理由が最後まで説明出来てないから「トリックです」とはならないんだよね。
親もいないのに部屋まで入り込んでるからだよ。する?そんなこと。
お姉ちゃんの行動がただのクラスメートとして不自然だから彼女に見えてるだけで、これは叙述トリックの巧みさでもなんでもない。
プリント押し付けられて仲がいいわけでもないむしろ嫌ってる男子の家まで行ったら、ドア越しでプリント渡してパッと帰るよね。
2回目はもっとひどい。
元からクソ野郎だと思ってたけど妹を虐待してて暴力癖まである奴だとほぼわかった。
なんでそんな奴の家に平然と一人で入っていけるの?またしても親もいないし。
引き続きお兄ちゃんの彼女かなにかに見えるのはこのおかしい行動のせいなんだよね。
この行動が出来るのはせいぜいお兄ちゃんの彼女、それもお兄ちゃんのことを色々見透かして性格が強くて精神的に支配してるような彼女。
お兄ちゃんのようなああいう性格と世間体の奴が虐待を暴かれて問い詰められたら逆上するよね。
小さい女の子日常的に殴ってるような奴が同級生女子から非難されたり殴られたりしたらどうすると思う?
別にそういう場面に慣れてなくてもそれぐらいの想像はつくはずなのに
おねえちゃんは終始なんの緊張感もなく堂々と振る舞ってるし
何の怖気もなくパンチで圧倒する。
この展開も確かに意表を突かれるけど、これはトリックが凄いとかじゃなくてみんなの行動がおかしいだけじゃん?
なんでおにいちゃんはあれだけクズなのに何の反撃もせずされるがままなの?
とりあえず口を塞ごうと思ったらお姉ちゃんを殺しちゃって大惨事とかになるよね?
「お兄ちゃんの彼女」→「異様に強キャラ感のある変な女」→「母親に虐待されてる女」→「強キャラ感じゃなくてマジで強い女」になってるけど、
それぞれが見え方の問題ではなく行動自体がおかしくて、その理由が結局説明出来てない。
これもうトリックとかミスリードとかじゃなく単に滅茶苦茶なだけでしょ。
キャラがぶれてるという言い方すら生ぬるい。
まほちゃん視点で年上のお姉さんが強キャラに見えてたとかじゃなくて、
クズお兄ちゃんを精神的にも暴力的にも圧倒してるからマジで強いだけだし。
何故一ミリも取り乱さず撥ねつけて帰れるのか、
全部説明なし。
こんなのをトリックの中心部に置いたらそれは構成やトリックとしては0点でしょ。
「酒乱ぽい母親」より「どうしようもないクズで弱い者への暴力癖のある同級生男子」の方が怖くないとか弱いだなんてこともないだろうし。
小学生同士のいじめに介入するお姉ちゃんとかならこの強キャラ感や圧倒力でもいいかもしれないけど。
これはまほちゃん視点どうこう叙述トリック的にどうこうじゃなくて
単に出来が悪いだけですぜ?
(『響』みたいに女子高生主人公の胆力と暴力をテーマとした漫画なら違う評価になるけど、
あくまで構成力やトリック的なものを評価させようとしてるのであればと言う話ね。
(ちなみに『響』はテーマである暴力描写については真摯だったので素人女子高生が正面からパンチ一発で相手を昏倒させるなんて場面は一度もない。
響がお姉ちゃんの立場だったら、リビングの重いもの握って洗濯機の音に紛れて忍び寄り背後から頭にガツン→崩れ落ちたところに顔面蹴りだと思う。殺しかねないけど確実に反撃能力は削ぐ。)
別に、頑張って構成して絵を描いて1本の漫画を仕上げた作者に対しては1ミリも悪意的なことを言いたいわけじゃないのよ。
けど読者サイドについては、これを「構成が見事」とか「四季賞級」とか言う人達はどうかと思うのよね。
あなたたちは流し読みの雰囲気しか受け取ってないレベルだよね。
それでまた腹立つんだけど
こうやってものすごく雑に読んで雑に褒め上げる読者が
ちゃんと読みこんだうえで「これこれこうだからうーん、いまいち」っていう読者よりも
「素直な良い読者」であるみたいな言い方をするじゃん。
んなアホな。
もうすぐで社会人5年目が経とうとしている。
1年目は最悪の部署につき、パワハラのオンパレードで毎日泣いてたがなんか乗り切れた
2年目は異動になり前の部署よりいい感じだったが人の顔色見て仕事してた
3年目は人がいなさ過ぎて残業オンパレードだがこの時が1番平和
4年目は
・頼れる人がいなくなり同期と後輩だけで
全員若く、女性ばかりの職場なのでお局がイキるわお局同士でバトるわ互いの愚痴と同期と後輩の愚痴を聞かされる
・人がいないから出勤出来ないか色んな人に聞いて回るが申し訳ない気持ちや頼みすぎと言われそうで(と言うか思われてると思う)怖いのがある
・同期の家庭環境や身体や後輩が心配で体調不良で休めないしどうしたら職員全員残業しなくていいか考えるのに必死になってる自分
・1年目にいた部署が全く人がおらず部内応援に駆り出される、ミスしたら終わるプレッシャーともち暖房効いてないので極寒。足の怪我が治ってないので立ってるのも痛いが我慢
4年目やばくね?マジで今年なんなんだろうな
将来の不安なのか分からないがモヤモヤが全く取れない。職場のこと考えたり行くだけで気持ち悪くなったり苦しくなったりする。
今月に入って体調不良が続いてる、以下の通り
・お腹の不調
・吐き気
・息苦しさ
・体のだるさ
・勝手に涙が出てくる
でもこのままの人生でいいのかってのも思っている。
自分には夢があるし夢のために仕事をしてお金を貯めている(自覚がないかもしれない)
叶えるために行動は一応しているがめちゃくちゃ焦っている、歳だけ取っていくし本当に叶うのか怖い、無駄に1年を過ごしたとも思っている。
今の世の中夢で生きていけるのだろうか
しんどい、叶えたいのに、夢で生きていたいのに
何から何まで自分でやれよと思っているし今年に入ってから手伝いが出来なくなってきてる、家にいても何もできない。はぁ
今日もどこも人がいないので部内応援と残業をしたが終わりがけに涙が出てきてトイレで泣き喚いても止まらず
Aは特に慌てずゆっくりとした口調で「どした?」と聞いてくれたしうんうんと相槌もしてくれたしAの悩みも話してくれた。
マジこう言う時焦って聞いてくるやついるけどマジでやめてほしい、もっと不安になるから
話してたら上司に大丈夫か?と聞かれてビビった。お前いたんだって思ったけど大丈夫です〜って軽く流しておいた。
電話切った後に帰ったら一緒に散歩するか?って言われたけど断った。
極寒の中にいたし今日は寒過ぎたので断ってしまった、ごめんな。でも嬉しかったぜ。
また一緒に散歩して話し合いたい、多分また泣くと思う。
一時あ、縁か切れたなこれ。と思った時はあったが今でも話したり会ったりしてくれるのでこんな自分と仲良くしてくれてありがとう。死ぬまで一緒にいたいよ(重過ぎ)
あと次、会った時はハグさせてくれ人肌が寂しいんだ。
個人的には、森喜朗はそこまで嫌いじゃない。森をバッシングしている人たちの方が苦手。
森の発言自体は確かに女性差別だが、それはいい意味でのいい加減さの裏返しでもある。どんな馬鹿な意見でも、それこそ差別的な発言でも、それ自体が咎められることないという安心感がある。森も話は長く、広い意味でのパワハラがないとは言い切れないが、論理や正義で人を追い詰めるようなことは決してしない。差別や偏見丸出しのあけすけな物言いも、ネット反フェミのようなネチネチした暗さや屁理屈は一切なく、明るくておおらかである。
それに対して、森をバッシングしているリベラルな人たちを見ていると、この人たちの前で差別的なことを言ったら一発アウトだな、というプレッシャーを強く感じる。「自由に物が言える社会」という場合、うっかり差別的なことを言ってしまう人がいることも否定できない。もちろん、その都度謝罪、反省すればいいと言うのかもしれないが、「あいつは差別的な発言のコード・文法もわかってない馬鹿だ」というレッテルは残り続ける。だから、たとえリベラルなフェミニストが会長になっても、森が仕切る会議とは異なる意味で、おそらくはそれ以上に、「自由に物が言えない」雰囲気が残る可能性が高い(上野千鶴子のように暴言上等な人は例外)。
残念ながら、日本人の多数派は女性差別的なフレーズを何も考えず自然と避けることができるようになるまで、意識や言葉遣いが洗練化されていない。「女だから」「男だから」を過度に一般化した、差別の一歩手前のジェンダーバイアスに基づく議論は、テレビやSNSで目にしない日はなく、芸人の女子アナに対するセクハラ芸も依然許容されている。人々に自由に物を言わせたら、無自覚な女性差別があちこちから出てしまう社会であることは明らかである。だから、一般論ではなく現実において「自由に物が言いたい」という欲求のある人は、森のように偏見を無邪気に垂れ流す人のほうに話を聞いてもらうことになる。このジレンマをどうするか…。
ジジイ達は自分たちが間違ってるなんて死んでも思わないだろうけど
社会から自分たちの価値観が跳ね除けられる、もう自分たちが考え方や主流じゃないんだってのを
気色ばんだけど何も言えず押し黙らせる事ができそう。
対抗カードができて本当に嬉しい。
https://yt3079.hatenablog.com/
◎日本人は毎年数十万人単位で急減の一方で、移民(外国人住民)は毎年増加(コロナ渦で数年はずれるが)を続ける
→日本人と移民の人口比逆転は時間の問題「40年後の40才以下の3人に1人は移民?」
(出生率に変化がなければ、将来の人口動態もほぼ推計通りになる)
◎約90年で人口が半減するスピード(しかも子供が少なく老人が多い)。人種単位の持続性の観点では有事であり、危機的非常事態。それなのに対策は後手後手
→例えば、ウイルスの蔓延は現在進行形で悪化のスピードが早く、人権を制限してでも効果的で思い切った対策をとる機運も生まれやすいが、少子高齢化はダメージの時間的スピードが遅いために、切迫感が低く、結果、対策が「常に」後手に回る。
◎現状の育児支援中心で自由意志に期待した少子化対策は30年以上、毎年失敗の連続。政府自治体の対策の対象世帯である「産みたくても産めない人。結婚したくてもできない人」はどれだけ存在するのか。被害者感情に流される対策は効果が出ていないのが現実。
→本当はお金ではなく、大変だから子作りをしたくない。面倒だから結婚したくない。だから育児支援で保育所をいくら作っても、育休を増やしても結婚に結びつかず、子供は増えない。(平均年収の倍で待機児童のない東京都千代田区の出生率は全国平均以下)
◎出生率低下の要因は未婚率の上昇と多産の減少。その原因とされる「格差拡大説」はどこまで正しいのか。
→独身に低所得者が多いのは「原因ではなく、結果」。1970年代までは、低所得者(年収200万円以下)でもほぼ結婚して子供がいたが、現在は戦時中よりもはるかに低い出生率。日本を含む先進国は生活が多様化しており、コスト要因の結婚の必要性と優先順位の低下により、低所得者から結婚を回避するようになった。
◎子作りしたい人への環境支援ではなく、子作り「したいと思っていない人」に子作りを促す対策が重要
→既婚者の完結出生児数は約2人であり、現実として子作りをしたい人は支援に関係なく、子供を作っている。問題は出生率低下の要因である未婚者の急増であり、結婚を諦めている人、意欲に乏しい人にどう働きかけるかがカギ。結婚は個人の自由だが、その自由により、社会の持続性を大きく損ねている。
◎動機に働きかけ効果だけ求めた少子化対策は次の通り。「3大義務同様に子作りの努力義務化の指針」「第3子以降に1000万円超など、多産ボーナス」「子作り負担のなく福祉を受ける40才以上の独身は増税(実質的独身税)」
→早婚に金銭的メリットが生じて、相手の理想ハードルが下がり、これまで結婚できなかった層も結婚相手の対象に。育児放棄など社会問題の増加より、少子化放置で起こる社会問題の方がはるかに深刻。消費性向の高い育児世帯と若年人口が増えれば内需が復活。
◎少子化対策の失敗は、効果でなく倫理的視点(受け入れられやすい育児支援のみ)で選ぶから失敗する。本来、負担の大きい子作りに対し、反発のない対策は効果も期待できないはず(作用反作用の法則)。先祖の多大な負担があったからこそ、現代人が存在する。現代人が身勝手な倫理やモラルで負担回避を正当化すれば、将来世代は先細りの一方。
→目的(少子化解消)は手段(人権に問題があるが効果を見込める対策)はを正当化するのか。メリットがデメリットを上回れば導入すべき(人が減り続ける悲惨な社会になっても、子供を作らない自由意思尊重が大事なのか? 倫理観や同義性の遵守より、手段が受け入れ難くても「問題解決を優先」すべき)
★本稿のポイント
少子化対策の「思い込み=(人権やモラルは少子化解消よりも重要)」を解消し、少子化対策にのみ人権やモラルを我慢すれば、効果的な対策を実行でき、少子化問題は解決可能。昔の子沢山を成立させていた周囲のプレッシャーや後継、労働の担い手などの子供が生まれる要素が無くなった現在、「法律一本の施行」で制度を作り、子作りに動機を与えて出生率の上昇に繋がる具体策を提案する。それを実行するには、いかにしてハードルとなる人権や倫理観を我慢してもらうのかの説得が少子化対策の本質にして、本稿の最大のテーマだ。少子化が解消し子供が増えれば、内需が復活し日本経済も回復する。本書では、このままの少子化状況が続いた場合の日本人に訪れる悲惨な運命とそれを回避するための、効果を優先した対策を提案、解説する。
〜〜〜〜〜〜
近代社会学の祖オーギュスト・コントは「国の未来は人口構成で決まる」と見抜いたそうな。人口を減らしながら常に高齢者が多い逆ピラミッド状の人口構成では、衰退は避けられません。合計特殊出生率1.36(2019年)と低迷を続ける日本。このまま人口が減り続ければ、国の発展以前に現日本人が将来的に存続できなくなります。存続できない可能性が高いのではなく、日本人の出生率が2を切り続ければ将来的に存続できなくなるのは物理現象です。それに対し、どこか他人事の日本社会と政治に問題意識を投げかけたいと思います。
問題は解決するより、発見する方が困難です。個人も組織も、自ら気づかない潜在的な問題により、傾いていきます。少子化問題は極めて深刻な問題にも関わらず、政府の少子化対策関連予算は先進国の中でも総予算に占める割合が低く、口では声高に危機感を高めていると言っても、財政支出の観点からは本気度が極めて低く、問題視していないレベルと明確に言えるでしょう。2019年末に決まった26兆円(真水4.3兆円)の経済対策でも少子化関連には1円も使っていません。使い先は電線の地中化など。。
現状の少子化対策は育児支援など環境整備の観点しかなく、30年間も同じような方向性の政策しかとられておらず、改善の兆しが全くないのに、「地道にやるしかない。環境整備が大事だ」と言い続けています。一方、日本人が減り続ける中で、近年の政府は実質的な移民政策に大きく舵を切りました。100年後の日本列島は日本人と移民の混在する国になっています。さらに、それ以降も出生率が大幅に回復しない限り、容赦無く日本人は減り続ける一方で移民の割合は増え続け、その時の日本国籍のルーツは海外由来になっている可能性が物理的に極めて高くなります。公用語が中国語などに変わっている可能性も十分あるでしょう。
そうはならない為の少子化対策。現状の育児環境改善策以外にも、視点を変えれば効果のある対策はあるはずです。出産育児は個人の権利に関わる問題ですが、残念ながら環境支援だけで結婚、子作りの有無を自由意志に委ねた現在の少子化対策では増えていない現実があります。それを改善するためには、より、子作りの動機付けに導く政策が必要であると考えます。しかしそういった対策は、個人の自由意志に反する可能性のある対策であり、モラルや倫理観の問題で実行に大きな障壁があります。しかし、動機付けの対策に有効性があって少子化が改善される可能性があっても、現代人のモラルや人権を優先すべきなのでしょうか。その優先順位がどうあるべきか、問題提起したいと思います。
少なくとも現状の育児支援中心の対策より、効果が見込めそうな対策を、モラルや現代人の自由や権利を理由に放棄してもいいのか。現代人のモラルや価値観はその人種の存続や持続性以上に重要な価値観なのかーー。
このように、少子化対策の具体策だけでなく、タブー視される少子化対策問題に対し、「どう向き合って、どう考えるべきか」。そういった観点を問いただすような内容になります。現在出尽くしている対策や論点とは違った観点と具体的な対策を提案し、実効性のある少子高齢化対策に繋げたいと思います。
【要点・トピック】
現状の少子高齢化が改善しないまま、実質的移民の外国人労働者を受け入れ続けると、いずれ日本人と移民が「人口比で逆転」する事になる。日本人の為の日本ではなくなり、多民族国家に変わる。日本人と外国由来の国民・住民の人口構成逆転に繋がる現象はすでに進行しており、人口構成比の逆転は時間の問題。不可逆になる前に手を打つべき。
政府、自治体の育児環境支援ばかりの少子化対策は結果が出ておらず、失敗との結論付けが必要。国民の自主性に任せれば、少子化は進行する一方。少子化の構成要素である未婚率の高まりは少子化現象の原因ではなく結果。日本を含む先進国が直面する少子化の原因は文明化による価値観の多様化で、結婚と子作りの優先順位が下がった事による晩婚化、非婚化が進んだ影響。現状の育児支援中心の対策の方針を「大幅に変えないと」今後もさらに日本人は減り続ける。子作りの動機付けをアメとムチの両面でやるくらいでないと解決は難しい。効果的な対策を打てば「翌年から」出生率は著しく反応する事が過去の事例からも分かっている。子供が増えだし、出生率が2を越えれば、日本の将来は明るい。
モラルや倫理観、自由意志を優先して、負担感のある少子化対策をせず、現状の効果が上がってない対策をなおもやり続け、その結果このまま滅びるか、逆にモラルや人権をある程度我慢して、有効性のある対策を実行し、安定した持続性のある社会にするかーー。
続きは以下にて
https://yt3079.hatenablog.com/
◆このまま人口が減り続けると、どうなるのか
政権に関係なく、労働や消費の担い手不足という現実問題に対応するため、政府や経済団体は、外国人労働者という形態で、実質的な移民(国連の定義では1年以上住む外国人)の受け入れをさらに推し進めるようになるだろう。実際、2018年の「骨太の方針」でも外国人労働者受け入れ拡大の方針が決まり、2019年4月には改正入管法が施行された。彼ら外国人が高齢者になった時、どうなるか。もちろん追い返す事はできず、いずれは外国人移民の高齢化問題も出てくる。
このまま、日本人の人口減少分を外国人で補おうとすると、コロナ渦で数年はずれ込むだろうが、基本的には時間の進行とともに、日本人と外国人の比率が相反し、やがて逆転することになる。この点ははるか先の未来の事として、ほぼほぼ論じられていない。このままでいいのだろうか。すでに東京都内ではかつて外国人が多かった街は新大久保と観光地くらいだったが、今や主要繁華街で昼夜問わず、その割合は静かに増え続けている感がある。
◆出生率の数字は「人口が減っていくかもしれない」危険指数ではなく、数値が2.0を下回る状況が続けば「いつまでに人口がゼロになるか」の確定年数を導ける指数。内戦中のシリア、アフガンや北朝鮮より先行きが危ない少子化日本。
出生率を人に問うても、いまひとつ危機感が薄い。出生率低下と言っても、「人口がゼロになる事は無いだろう」「単なる警告信号のような数字だ」と、漠然と認識する人は多い。しかし、出生率の1.41という数値は男女2人の親から約30年後の次の出産サイクル時の出生数は1.41人しか生まれてこない計算だ。これを分かりやすく1人に置き換えると約0.7人になる。1年間の出生数が87万人(2019年出生数)だとすると、この世代が、第一子を生む頃の30年後は87万×0.7の約60万人、その30年後は約42万人。その30年後は約30万人とどんどん減り続ける。そんなバカなと思うかもしれないが、実際、第二次ベビーブームの1973年は209万人の出生数で、彼らが出産適齢期になった30年後の2003年あたりは不景気の影響もあって、出生率が1.26程度まで減っており、その結果、113万人と親世代の半分程度の出生数に落ち込んでしまった。団塊ジュニア世代は就職氷河期世代で不況と重なる運の悪さがあったが、現実的に、出生率が2を切ると、容赦なくその数値の割合だけ、出生数は減り、人口が減り続けるのである。
この危機感の無さには、「出生率」と言う単語にも問題があるのではないか。2018年に国会を通過した「働き方改革」も「残業代カット改革」なら法案は通らなかっただろう。それほど名前は大事だ。言葉は悪いが「人口半減期」のような数字で、出生率を人口が「半減する期間」で示した方が分かりやすいのではないか。例えば、今の出生率が続くと人口の半減期はおよそ80~90年だ。つまり、2100年ころには日本の総人口は6000万人に半減している計算だ。今の出生率が続いた場合に、半減するまでの期間を書いた方が、危機感は伝わり易いだろう。
内戦のシリアやアフガン、独裁政権下の北朝鮮ではいずれも出生率が2を上回る。いくら、内戦や政治不安で経済状態が悪くても、それにより大規模な内戦に発展しない限り年間1万人も死亡する事はない。しかし、日本では団塊世代が平均寿命を迎える2030年頃は年間170万人程度の人口減を経験することになる。そして、今後70年かけて日本の総人口が6000万人に減少すると予測されている。結果的に早く滅びる国がいい国と言えるのだろうか。
◆現日本人が外国人(実質的移民)に徐々に置き換わり、日本人はやがて少数派に転落して、いずれゼロになる・・・100年後に純粋な日本人は消滅へ。アメリカではすでに16歳未満で白人が過半数割れ。
「移民が来ても、混血化するから日本人の血は残るはず」というのは大きな誤解である。出生率が2を割っていれば、人口減少は続き、その減少を補うために、時間の進行とともに、外国人移民が入り続け、日本人の血はゼロになるまで混血化しながら希釈化され続けていく。
2020年6月には国勢調査局の統計を基にAP通信がまとめた情勢によれば、アメリカではすでに16歳未満で白人人口が初めて半分を割ったという。流入が急増するヒスパニックや黒人、アジア系に対し、白人人口が増えなかったためだ。アメリカでは1990年に75%だった白人の割合は2020年現在は60%に急減。たった30年で約20%も人種割合が低下したことになる。さらに2045年までに白人人口が半分を割るという推計がある。白人の出生率が2を切り続けて増えず、白人人口がゼロに向かい減っていく一方で、ヒスパニックとアジア系の流入がその穴を埋めているためである。アメリカの出生率は2を上回っているが、それはヒスパニックを中心に移民の出生率が高いためである。現在、アメリカは多民族国家だが、そのうち白人が減り、やがて黒人とヒスパニックだけの国になり、逆に多様性は少なくなっていく可能性が高い。
優しい!失敗したり完璧にできなくても許してくれるので、無理することなくほどほどでも大丈夫!と思える。
今後もお互いに甘えすぎずに、でも優しさを持って過ごせたら良いなと思う。
色んなことに詳しいし、私の知らないことをたくさん知っている。
新しいことに出会った時も理解して適応するのが早い。噛み砕いて説明してくれるので助かる。
些細なことで褒めてくれるのでうれしい。
かわいいと言われるの、昔は恥ずかしかったけど今は素直に嬉しい!
不満がある時は言葉にしてくれる。
結婚してすぐの頃、「機嫌が悪い時に物に当たるのは嫌い!」と喧嘩した記憶があるけど、最近はそういうこともなくなった。
仕事ができる!って言いたいけど彼のやっている仕事を詳しく知らないので……。
普段の仕事だけでなく、登壇や執筆もこなしているし、ずっと勉強を続けているので凄いなあと思う。
プレッシャーに負けずに頑張っていてかっこいい。
彼と一緒にいると楽しい。楽しすぎて話し込んでしまい、たまに夜更かししてしまう。反省。
一緒に料理したり、運動したりする時いつも笑ってる気がする。波長が合う。
仕事で疲れたときに「休憩ー!」と言って抱きしめてくるのがかわいい。在宅勤務最高!
彼が私に甘えてくれるのがうれしい。
生真面目ではないけれど、faithful、trustworthyって感じ。
信頼できるし、それが一緒に過ごす際の安心感につながっている。
私の趣味も、周りにいる人間の趣味も否定しない。倫理に反する事には意見を表明するとは思う……。
彼が興味なさそうなことでも、私が真剣にやってるのを適度な距離で見守ってくれるのが好き。
子どもたちを大切にしてくれてうれしい。
2/6(土):4242キロカロリー
おジャ魔女どれみを見ながら※1皿洗い
夜:もずく酢、ピロシキ、とんがりコーン、マーボー豆腐、鶏のから揚げ4個、酒(氷結3本、バーリアルのビール二本)、たこ焼き10個
2/7(日):2913キロカロリー
昼:ぶりの塩焼き、キャベツ千切り、キムチ、ソース焼きそば(2.5人前くらい)
夜:マーボー豆腐、もずく素、とろろ芋、ご飯、キャベツ千切り、ソース焼きそば
土曜日の朝計測をしたところ、体重が82.4キロ、ウエストが88cmだった。(1月時点でウエストは90cm)
↑の通り真剣にはダイエットはしていないけど、一応結果は出ている。日常的な運動は大切だ。
長距離のウォーキングを行い、疲れ果ててからパンを買うのにハマっている。今週買ったのはカレーパンとクランベリーパンとピロシキだ。全部最高だった。カレーパンは揚げたてだったので我慢できず歩きながら食べてしまった。そこまで衝動を抑えられなかったのは久しぶりだった。
土曜日に酒を飲みすぎたのか、日曜は気分が落ちていた。”焼きそばをドカ食いしたくなる日は結構参ってる”というバロメーターがある。ずーっと社会人やるの嫌だなぁって気持ちが膨らんできている今日は、まさに参ってたかなぁ。まぁ、お風呂入ってちょっと気分が上を向いてきた。
第 7 話 ハナちゃんの健康診断 - おジャ魔女どれみ# - 作品ラインナップ - 東映アニメーション
ハナちゃんの健康診断回。合格不合格があるらしい。。魔女界って不思議。。
犬猿の仲だったイカ族とタコ族の二人が恋に落ち、子供(あたりめ子ちゃん)を産んだ家族も健康診断に参加している。子供があたりめのところで滅茶苦茶笑った。
どれみたちは「人間が魔女の子供なんて育てられない」という目と戦い、イカ・タコ・あたりめは「この子が健康的に育たないとイカ族とタコ族の関係が悪化しかねない」というプレッシャーと戦っている。こういうプレッシャーと戦って子育てしている人は多いんだろうな、って感じる。
マジョハートは嫌なやつとして出てくるけど、ちゃんとサポートしているいい奴だ。
あらゆる赤ちゃんを眠らせる「ルミナスの子守歌」は魔法よりも魔法だとも思ったけど、タケモトピアノのCMとか砂嵐とか、似たようなものあるね。こういう"魔法"を探すのも子育てなのかなと思いました.
第 8 話 時間を超えて、おんぷママの秘密を探せ! - おジャ魔女どれみ# - 作品ラインナップ - 東映アニメーション
いつも大人なおんぷちゃんが珍しく荒れるところから始まり、珍しく親に甘えて終わる回。トラウマを救うために夢で救ってあげる、っていうのが結構好き。
新型コロナ感染症は、ようやくワクチンが開発されたものの、今年度中の感染終息は難しいだろう。
オリンピックの開催は絶望的だと分かっていても、表立って言うことは許されない立場だ。
マスコミから開催の是非を問われても、俺は話をはぐらかすしかない。
そんなある日、JOCの会合での冗談混じりの発言が、猛烈な批判に晒された。
所詮はマスコミと民衆が騒いでいるだけ。俺はただ責任を果たすだけだ。
気付けば俺は、あらゆる職責を外され、引退に追い込まれていた。
3ヶ月が経ったある日。悲願の東京オリンピックの中止が昨日、正式に決定した。
振り返れば政界に入って50年。
少し前までは、誰もが必死に俺の予定を取り合っていたのだが、
引退した上に新型コロナ感染症が終息しない中、誰も俺に会いに来ない。
1人で馴染みの店でしこたま飲み、いつもよりはるかに早い20時に店を追い出されてフラッと道に躍り出た。
眩い光に晒される。ちょうどよく車が来たようだが、止まる気配はない。俺は元首相だぞ。止まれー
聞き覚えのある声。
まだ耄碌しきっていない脳が神速で働き、30秒で状況を理解した。
これは、まさか。
夢かもしれない。
にわかには信じられないが、秘書に確認しても、やはりそういうことのようだ。
だが。
俺は今、かつてと同じ壇上で原稿に従い、同じ言葉を話そうとしている。
しかしながら、これから語る言葉は、以前と別の意味を持っている。
思えばここ数年、人前に立つのは幾度とあれど、ここまで自分の心を込めて、物事を語ったことはあっただろうか?
柄にもなく、緊張している。
やらねばならないことは膨大だ。それでも、日本のために。人類のために。
「・・・日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね・・・」
自動車産業が日本の屋台骨だから下請けになってもらっては困るという理由で反対する人がいるのはわかるけど、ぶっちゃけワクワクしない?
トヨタに足りない物がバチっとはまる感じがして。
てかAppleのコストカットとトヨタのコストカット、どっちの方が厳しいんだろう。
トヨタのエンブレムだと300万にしかならない車がアップルのエンブレムをつけたら500万でも売れるようになりそうだから、たとえ同じレベルのプレッシャーがかかったとしてもアップルのコストカット圧のほうが楽そう。
てか、トヨタがAppleカーを作るって要は最初から大量生産できて、品質が守られているテスラってことでしょ?
最強なのでは。
敢えてキャッチー?と思われるタイトルを使ったのは、沢山のはてな民に見てもらって、もし何かいいアイディアがあれば本気で教えてほしいから。
タイトルの通り、俺には、無職でニートで引きこもりがちな友達がいる。
そいつは新卒で入った会社が、典型的なブラックだったので、半年で体壊して実家に帰った。だからパラサイトで所謂こどおじでもある。その後、地元でちょこちょこと派遣や短期のバイトをしていたようだが、ここ2年程は多分完全な空白期間。前述の体調不具合については、精神的なものも含まれており、今回のコロナに対しても結構気が滅入っているようだ。その結果、多い時でも外には週一くらいしか出ていないとのこと。それも近くのコンビニで荷物を受け取るとかその程度。
俺とそいつは高校時代からの友人で、もう10年以上の親友だ。お互い地方から私立一貫校へ入学したこともあり、学生の時は毎日のように遊んだ。アニメ見て、ピザ食って、アニソンカラオケして、騒いだ。お互い女の子に縁がなくて、二人ともちょっとダサくて、でもそれでもいいやと思えるくらい楽しかった。会社に入ってからは俺が地方転勤になった関係で、直接会う機会は減っていたものの、くだらないオタクのラインはずっと続いていた。
でも、ここ半年くらい、それこそ芸能人の自殺が立て続いた時から、そいつのツイッターにドキッとするような文章が散見されるようになった。
「将来のことを考えると、本当に死にたくなる」とか
「なんで生まれてきたんだろう」とか
「親に申し訳ない」とか、そういう文。
俺には直接言ってこないよ。ラインのやりとりはいつも通りくだらないし笑えるやつだ。だから、「最近どう?」ってこっちから仕事のことや悩みを聞きたい気もするんだけど、そいつのご両親も同じようなことを聞いてるらしく、「そのすべてがプレッシャーだ」って、ツイッターに書いてるのを見ちゃうと、なんだか核心に触れるのが躊躇われて、ただ定期的にくだらないラインを送ることしか出来ていない。そいつから話してくれるのを待つのがいいと信じてるんだけど、こないだ来たのはゆるキャンの感想だった。
なあ、はてな民。俺がこいつに出来る事ってなんだと思う?こうやってラインを送ったり、送られてくるのを待ったり、それだけしかないのか?
ほんと、自分の無力さが嫌なんだけど、向こうが助けを求めてきてないんだから、俺に出来るのはその程度(って思うのは悲しいけど)と割り切るしかないのか?
でも俺、怖いんだよ。いつかこいつがふっと消えちゃうんじゃないかって。頼むよ、死なないでくれよ、本当。俺が今までどれだけお前に助けられたと思ってるんだ。だから、何か出来ることがあるなら教えてくれよ。
本当ははてな民じゃなくて、お前に直接聞きたいよ。俺はな、このコロナが収束したら、二人で本当にキャンプ出来たらって勝手に思ってるんだ。だから、ちゃんと生きてほしい。そんでまずはキャンプ道具、一緒に買いに行くところからはじめようぜ。
その辺は教育ではなくて、社会の変化の問題なので、どうにもならないね。
例えば「経済力があればよい教育を受けられる」なーんてことは有史以来一回も変化したことがないよね実は。なのになんで増田が経済力と教育力にプレッシャーを感じるかというと、「成功」の定義のほうが変わっているからなんだよね。
実は母親だという増田自身が、エリートにならない人生は失敗だ、などという思想に染まり切って、疑いすらしていない。高卒で手に職つけて工場の職人か農家か漁師になって嫁さんをみつけて幸せになりなさい、みたいな人生を負け組か一部の特殊事例と決めつけている。
無理もないよ。だって世の中がそう言ってきてるんだもん。
そして世の中がそう言ってくるのが一理ある程度には、社会の現実がそうなっている。
教育が生存戦略に特化している、との指摘のほうは、なかなか的を射ているけど、基本は同じだね。
今の子供はサバイバル競争を念頭に入れて生きているとされるが、昔からそうだった。
ただ、家業ってものがあった時代には競争と生存なんて考えなくてよかったんだよな。農家の息子は農家に、貴族の息子は貴族になればいいし、そのレールが用意されていた。でも現代っていうのは、自由の名のもとにレールを取っ払った時代だ。まあレールを走るのはうんざりする面があったから無くしたことは望まれていたのでそれはしょうがない。
でも、家業とか持たないや人たちはもとからサバイバル人生していたからね。
あるいは増田が家業を用意することだってこの現代普通にできる。自由に選択して生きるってことを自明の前提みたいに社会に言われて、それをそのまま信じてるから、そうじゃない選択肢もあることが目にはいらなくなってると思う。
まあ、そうはいっても難しいわな。現実から言えばやっぱり自分の代で家業つくるなんて無理かも。
でも願望をかなえたいと思っているのが増田で、だから経済力や意識力の差で悩むんだよ。
可愛い子には旅をさせよ、親は無くとも子は育つ、ある程度まではだけど、そういう認識こそが増田には必要とされているんじゃあないかな。ある程度、虐待にならない程度まではの話だけど。
それは「社会は容易に親に子離れをさせてはくれない」ということだ。「子どもの“成功”は親次第」というプレッシャーもハンパない。
国内最高峰と言われる大学に複数の子どもを入学させた母親の育児法(学習時間を捻出するために母親がドライヤーで髪を乾かしてあげると文字で読んだときには仰天した)はメディアでもてはやされるし、天才児の親、成功者の親は幼児期の教育法を紹介する。「スマートチャイルド」を育てようと、意識の高い親の多くは必死だ。
受験に特化した塾はますます専門性を高め、合格するために正解に最短距離でたどりつくための効率よい学びを提供する。そして、効率の良い学習法に巡り合えた優秀な子どもたちは、「子どもの能力を伸ばす」と評判の人気校に集まっていく。
子どもが勉強をし続ける根気があるかどうか親が自信を持てない場合には、経済力によって下駄をはかせる方法もある。私の知人では教育理念にほれ込んだ小学校に子ども2人を受験させるために「高級車1台分」の塾費用を払った人、のびのびとした雰囲気の学校に通わせるために3人の子どもの教育に年間800万円かけていると噂されている人もいる。
子どもの人生の選択肢を増やすためには、経済力、情報収集能力、育児リソース(実家のバックアップ体制など)がモノをいう。
ちなみにこのような傾向は、日本だけに限らない。
「“良い”教育=経済力」の構図は、多くの国で顕著になっている。
仮に自分の成育歴が育児に影響するのなら、男も女も農作業にいそしむ貧しいムラで適度に放っておかれ、勝手にやりたい勉強を見つけ、先生がすすめてくれた奨学金によって今よりずっと学費の安かった国立大学になんとか進学できた自分は、子どもを放っておく以外の方法を知らない。子どもにご飯を与えて抱っこをして体を使って思い切り遊ばせ、今日を無事に終えるための「ケア」はできるが「現代の教育の正解」を提供することができない。
学校の先生は昔のように「君の偏差値なら、このくらいの学校を受験しよう」とはアドバイスしてくれないから、親が主体的に学習塾を選び、進路選びをサポートしなければならない。
良い大学に入り、良い会社に入れば、一生安泰だと考えられていた頃には、学歴競争が過熱していた時代もある。多くの父親が「企業戦士」に徹する陰で、「教育ママ」が奮闘していた家庭もあっただろう。
一方、現代の「良い教育」とは、子どもが自分らしい人生を歩み、人生の選択肢を増やすための「生存戦略」という一面がより色濃くなっているようだ。そして、その戦略には金もエネルギーもいる。親と子が一体化して、教育のための情報収集をして、親が子どもを鼓舞し、叱咤激励し、共に進路を選んでいく必要性がある。
結果、平等と仲良しが建て前の教室の中で、子どもたちは、見えない競争に常にさらされている。
教育系メディアで、成功体験とともに頻出する親の言葉だが、はっきりいって、そんなケースはほとんどない。
教育基本法では「教育の機会均等」の条項に「すべての児童生徒に同一の教育を与えることを意味するものではなく、個人差に応じる教育を施すものである」という補足がある。この「個人差」が「経済力の差」「親の意識の差」となっている現実がある。
https://anond.hatelabo.jp/20210130130504
(おしまい)
と、思ったらしまえなかったー!
伏線回収をまたしても忘れた!!
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
もし仕事を辞めることになって収入が絶たれた場合の生活プランを生活保護まで含めて覚悟あるからっていうのを書き出してみたらいいんじゃないかな。
そこまでなっても一緒にいてくれるということがわかれば、多少救われるだろう。
その夫氏の気持ち、めちゃくちゃわかる。俺かと思ったわ。自傷行為こそしないけども。
「旦那が主夫になって妻の自分が働き始めたら男の責任からくる大変さがわかった」
というような内容の投稿があったけど、まさしくその男の責任っていう部分じゃねえかなあ。
そういう状況って多分女の人が思ってる以上にプレッシャーは掛かるんだよね。
家を建ててない俺ですら「家ほしい」って言われるたびに胃がキリキリするもん。
で、その状況で「辞めていいよ」って言われても、じゃあ生活どうすんねんっていう。
自分が働き続けなきゃ今の状況を維持できないのに、そんなこと言われても愛想笑いしかできないんだよ。
どれくらいの収入があるのかわからないけど、生活に余裕がないと余計にね。
プレッシャープレッシャーって言うけど、だからと言って妻や子が枷になっているのかというとそれは違う。
あくまで俺の話だから話半分に聞いてほしいんだけど、妻や子どもってもちろん大変な面もある。
だけどやっぱり精神面を支えてくれる大切な存在だから枷だとは思わないんだよね。
家族を幸せにしたい、美味しいもん食わせたいし、楽しい思いもさせたい。
枷ではないけど、家族を支えなきゃ、ローンを返さなきゃっていうプレッシャーはある。
だからこそ、やり場のないストレスを自傷行為として発散しちゃうんだろうなあ。
だけど簡単には辞められないし、転職だって様々な側面から考えるとうまくいくとは限らない。
職場環境なんかは入ってみないとわからない部分もあるしな。くじ引きみたいなもんだ。
しかもこのご時世だからな。比較的転職が多い方な俺も、今はちょっと避けたいと思うもん。
だから、多分その夫氏からしたら現状は八方塞がりなんだと思う。
せめてそういうプレッシャーから解放される時間が少しでいいから欲しいんだよ。
もちろん、毎日夜一人にしてとは言わない。週に1回、あるいは2週に1回でいいから、
一人でいられる時間があるだけでもだいぶ心に余裕ができるんじゃないかな。
家族に内緒で有給を取っちゃうっていう方法もあるにはあるんだけど、
例えば妻が体調不良で子どもの世話をしなきゃいけないなんていうことも想定すると、
なんつーか、頑張れって月並みなことしか言えないのがもどかしいんだけどさ、
話聞いて、要望を受け入れてあげてほしい。
もちろん、なんでもかんでも無条件で全部受け入れるんじゃなくてね。
それくらいなら平気そうだなっていう範囲でさ。