はてなキーワード: キロカロリーとは
・カレーと牛丼のカロリーがとにかく凶暴。グラムあたりだと家系ラーメン(スープ完飲時)すら軽く凌ぐ勢い。
同じくグラムあたりだと、意外と豚骨ラーメンは幕の内弁当なんかより低カロリー
・筋肥大を目指すなら低重量×高回数。筋力強化を目指すなら高重量×低回数
・「HIIT数分で1000キロカロリー消費!」
これはなにがどうあれ完全なウソ。これを平気で言い触れるYouTuberの罪は重い
・ジム行くなりしてフリーウェイトに取り組まない限りはデカくはならない。
ブルースリーみたいに筋肉ムキムキ(※デカくはない)←これで頭打ち
・体重の増減は例外なく摂取カロリーと消費カロリーのバランスで決まる。
例えば、
「2500kcal摂取の2000kcal消費というカロリーバランスの生活を続けてきたけど、〇〇という食品を積極的に摂ったから、△△というサプリを欠かさず飲み続けたからみるみる痩せていきました!」
はありえない
・タンパク質1gあたりの価格については粉のプロテインが他の追随を許さないほどコスパ最強。
タンパク質1gあたりのカロリーの低さについてはイカや砂肝や鶏ムネ・ササミや粉のプロテインやほっけが最強格
・筋トレ系有名YouTuberでステロイド経験者はとてつもなく多い
なので①10kgのダンベルカール15回5セットを毎日②10kgのダンベルカール15回5セットを週3回、では①は筋肥大のスピードで②に永遠に追いつけない。
「休息しているあいだに傷ついた筋肉が修復されてもりもりとデカくなっていき~」は迷信
どのくらいデブかというと、
155.5cmの身長に対して95kgのウエイトである。ちなみに女だ。
紛うことなきデブであり、将来的にも健康の心配がされるデブである。
それでも勝手に体力には自信があった。
オタクイベントで2万歩、3万歩歩いてもピンピンしているのだ。
それってアドレナリンのおかげですよ、とは思いつつ、しかし体力はあると思いこんでいた。
やべぇ、フライパン持ってられない。
皿に盛り付けるために、片手で持って中空で維持していたフライパンがフラフラする。ダジャレかな?
オタクイベント以外、やたらめたら疲れまくるのは、それはもちろんデブのせいだと思っていた。
運動場のラインパウダーこと石灰の袋(20kg)が2袋も体についている。
そんなもん、重いに決まってるじゃねーか。疲れるに決まってるじゃねーか。
そう思っていた。
さて、詳しい人はそろそろ「お前の気持ちなんかどうでもいいから、体脂肪率出せや」と思っている気がする。
155.5cm 95kg 体脂肪率40%
すると、どうも平均以上にムキムキなはずになってしまうのだ。
でも、やっぱり計算上は筋肉量もあるし、大丈夫な方のデブなのか?
あすけんの女とも付き合ってみたが、な~んも気にしないでとりあえず記録だけ入れるという生活をしてみたところ、1日1500キロカロリーしか食べなくて、むしろあすけんの女に食え食えとせっつかれるぜ。
な~んだ、そのウチ減るのでは?
あー安心した!
何も!
状況は!!
結局筋力なんてものは、私にはなかった。
あまりにもウエイトがありすぎると、どうやら計算上の筋肉量は多くなってしまうらしい。
なんで分かったのかといえば、そう、いわゆるジムに通うことにした。
オタクらしく、フィットボクシングやリングフィットアドベンチャーでどうにかしようと思った時期がワタシにもありました。
増田は一軒家に住んでいるが、家族からの生ぬるい視線に負けてしまった。
ゲームで元気に動くデブは、理解を得られなければ家族からでも白い目でみられるのである。
「またやんの? 今日もやんの?」的な態度がツラい。
デブに偏見なく付き合ってくれるのは、月に1回遊びにくる甥・姪くらいなものである。
実はまだギリギリぽっちゃりレベル(66kg/体脂肪30%)のときにジムへ行っていたことはあるのだが、インストラクターのデッカイ兄ちゃんから「コツコツ通っててエライっすね」と物理的にも口調的にも上から目線で言われたときに、何故だか「なんかもう!ヤダな!!」と思ってしまった。
当時の自分を擁護するなら、仕事でしんどかったとか、仲の良かった同僚が転勤したとか、天候とか、ホルモンバランスとか、まぁ色々悪かったのかもしれない。デッカイ兄ちゃんは会員を励まそうとしてくれたのだとは思うのだが……メンタルヘルスの不可思議な部分である。
そんでもって仕事をリタイアしたときに、それまで明日の朝起きられるのか不安ということで不眠を抱えていて毎日3時間程度しか眠れない日々を送っていた影響もあって、3ヶ月くらいガッツリ寝て、寝て、寝まくって寝て……というような生活を送っていた。
学生時代は運動部だったし、体力測定は常にトップクラスを走っていた自分だが、あの時、筋力は大幅に落ちていたんだろうなとは思う。
難しい話でなく「入院・安静による筋力低下」ということである。
おかげさまで、自分はまるまる3ヶ月程度の眠りの後、運良く超絶スッキリ大復活することができたのだが、寝ていた結果の筋力低下については全く考慮していなかった。しかも寝まくる前はメンタルがボロボロだったので自分の体の調子がどれくらい変わったかなど、当然のように全く分からない。
このあたりで、どっかジムとかリハビリっぽいところとか行ければ良かったのだが、当時まだ二十代だったのでそんな発想はなかった。
自己流でやっていたのだが……
今から振り返ってみると……以前から摂取タンパク質が足らなかった。
ニク、高いじゃん。
でもどこでも買えるようになったのマジで便利だよね。
あれよあれよと10年経って、プラス30kgで今現在ということである。
あすけんの女からもタンパク質が足りないと言われていたが、マジでそこまで足りないと思っていなかった。
今回のジムで高い体重計に乗り、骨格筋率を測定してびっくりである。
21%だった。
女性の骨格筋率の標準範囲は25.9%~27.9%(オムロンヘルスケア)、つまり25.8%以下は「低い」に分類される。
すごい、体重計乗って「低い」って判定されることがでぶの自分にも起こり得たのか……
そして現在の体力を振り返るために、体力測定も行った。
結果、体の柔軟性以外はすべて同年代の平均以下だった。
わー!すごい!体力測定系で平均以下の判定もらったの初めてかもしれん!!!
という、間違った興奮の元、インストラクターさんにとてもいい声で元気ハツラツ、
「すごくショックです。体力を取り戻すために頑張ります(キリッ」
と答えていた。
指導の一貫でタンパク質はコレくらい食べるのがいいよ!という表をもらったので眺めてみたら、現在自分が摂れているタンパク質は必要量の6割強というところだった。
うーん、それはね。衰えるよね。
思ったよりタンパク質足りてないデブ、動く筋力を作ることもできずに加速度的に衰えていたという話でした。
幸い牛乳は好きだし、プロテインで足しつつジム通いたいと思う。
ChatGPT4くんに色々聞いてみた
例
・極度の貧困国の低所得層の人々は、1日あたり1000キロカロリー以下の摂取量を持つことがあります。このような低カロリー摂取は、栄養失調、免疫力の低下、成長障害、学習能力の低下、労働生産性の低下など、さまざまな健康問題や社会問題を引き起こします。
・世界保健機関(WHO)によると、極度の飢餓状態の人々は、1日あたり約400キロカロリー以下の摂取が報告されていることがあります
・日本の第二次世界大戦後期の苦しい時期、特に1944年から1945年、日本政府は配給制度を導入し、一般市民に対して食料を配分していました。
1944年当時の主食である米の1日あたりの配給量は、おおよそ300グラムでした。これにより、大人1人あたりの摂取カロリーは、おおよそ1,500キロカロリー程度だったと推定されています。(300gは2合でカロリーでいうと1100kcalくらい)
色々な感想。距離は片道10kmで平坦な道。クロスバイクに乗ってる。だいたい40分くらいで付く。
まずそんなに痩せない。20km/hで走って消費カロリは400キロカロリーくらい消費してるらしいけど、体感としてそんなに無い。
ペダルをずっと漕いでるわけではなくて、流してる区間もあるからだろうと思う。
最初の二か月で77kgから73kgまで痩せたけどそれ以上は体重落ちない。明確にダイエットしようと食事制限していないからだろうけど運動による消費カロリはあまりあてにならない。
痩せたいなら食わないことだ。
次にそれなりに危ない。
都市部を走る数キロ区間は朝はそれなりに車もバイクも多い。車道を走ると横すれすれをトラックに追い抜かされるし、歩道は人が多くて危ない。
急いでる車が曲がってきて巻き込まれそうになったりする。
ルート上にバス停と地下鉄の駅があるからエスケープルートとして利用できるけど、時間のロスは発生するから自転車で通勤するときは早めに出て余裕がないと、パンクや雨で遅刻の可能性がある。
最後になにより飽きる。
もう一つはあえて遠回りして河川敷を走るルートがあるけど、朝は向かい風が凄まじい。一度走ったけど普段40分で着くところを1時間かかった。
帰り道に夜に走ろうとすると無灯火の自転車が突っ込んできたり、全身真っ黒な服のランナーが飛び出して着たり危険すぎた。
100日程度ずっと同じ道を同じ時間帯に走ると飽きてくる。
ここで全力で濃いでもここで信号につかまって止まるんだろうなーとか完全に理解した。
たぶん自転車通勤をする理由として「運動不足解消」というのを挙げるひとがいるだろうけど、安全と効率を考えるなら電車で通勤してジムで走るなり筋トレしたほうが良いと思う。
いろいろ辛さが限界だった
ぱーっと気晴らししてうさを晴らしたい
しかしもはや酒も受け付けない
で、結局やったことと言えば
マーガリンとメープルシロップを挟んだ甘いパンケーキ1袋2個入りを夕食で全部食べる
さらには腹が減ってもう深夜であるにも関わらず、くるみとレーズン入りのフランスパンをまるっと1袋700キロカロリーを一気食い
とかそんなもんだった
そんなもんではあるが、もうずっと節制していたので、これはこれでずいぶんと思い切ってはいる
夜中までネットしてて変に目が冴えているのは、久しぶりに飲んだまともな濃度のカフェインコーヒーによるのかもしれない
メラトニン5mgに鉄分ダブルストレングスに、他にもまあいろいろ
自暴自棄になっていろいろやっているつもりなのだが、もういい歳であり無理も効かず節制生活も長いため、無茶とか無理とかができない
無茶とか無理とか、思いついて実行できる範囲がめちゃくちゃ狭い
道長は『源氏物語』の主人公である光源氏のモデルとも言われています。
そんな「平安貴族の代表格」である藤原道長ですが、晩年は「ある病気」に苦しめられながら最期を迎えたことが知られています。
糖尿病と言えば、現代では有名な生活習慣病の一種です。病気としての知名度が高まったのはつい最近のことですが、その病気自体ははるか昔から存在していました。
そして平安時代の貴族は白米を主食としており、食事も豪華なものでした。藤原道長も、その溢れる栄華を象徴するように美酒美食に明け暮れていたといいます。
彼ら平安貴族は、食事における盛り合せの美しさや品数の多さを重視していました。現代のように、栄養バランスを考慮しようという頭はなかったと思われます。
例えば、道長は「蘇」という、古代のチーズと呼ばれる食べ物を好んでいたといいます。
もっともこの蘇は、チーズといっても発酵はしておらずキャラメルのようなものだったため、非常に高カロリーでした。
手作りの蘇
その蘇を、道長はハチミツや甘栗と一緒に食べていたといいます。
しかし、100グラムで400キロカロリーはあったとされる蘇を、そんな風に好き放題に食べるような生活を続けていたのでは、身体がどうにかなってもおかしくありません。
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。
毎週日曜朝8時30分からの放送を楽しみにしていたデリシャスパーティ♡プリキュアが終わった。
デリシャスパーティ♡プリキュアはごはんをテーマにしたプリキュアで、お米がモチーフのキュアプレシャス、パンがモチーフのキュアスパイシー、麺がモチーフのキュアヤムヤムに加え、18話からはデザートがモチーフのキュアフィナーレも参加した4人のプリキュアと、個性豊かなサブキャラクターたちによってストーリーが繰り広げられる。
最終話を見た後、誰の誕生日でもないこの日に合わせて購入したキャラデコパーティーケーキを頬張って、アラサー女は声を上げて泣いた。
プリキュアシリーズは開始から今なお根強い人気を誇っているため、毎週放送の度Twitterのトレンドに関連用語が入る。私がデリシャスパーティ♡プリキュア(以下デパプリ)を知ったのも、次のプリキュアがデパプリになるという発表がトレンドに入っていたからだ。
キャラデザがべらぼうに可愛いと思った。プレシャスに一目惚れした。プリキュアは昔少し追っていて、いつの間にかやめてしまったが即再開しようと思った。仕事と家の往復しかない虚しい1週間に楽しみができるのは非常に良いことだ。それに日曜日に早起きができるとなかなかQOLが上がる。
摂食障害と言うには私の症状は軽いものだったと思う。そも未診断だし、なりかけと言った方がいいかもしれない。でもそうでない人と比べると自分の異常性は明らかだった。思考も発想も認知も歪んでいた。進んで骨と皮になりたがるのはやはり異常なのだ。それに、今だってそういう考えが完全になくなったわけではない。
きっかけはダイエットではあったが、直接のきっかけになったのは親友の存在だった。
親友(以下Sとする)は学生の頃からの付き合いだった。Sは無自覚の拒食症みたいな奴で、一日一食カロリーメイトだけ食べて生きてるような奴だった。同い年で身長は平均ほどあったが、体重は小学生のそれだったし、生理も止まっていた。太ももからふくらはぎにかけての曲線がない棒のような自らの脚を撫ぜ、もっと細くなりたいと言っていた。吐くとスッキリするからと頻繁に吐いていたら吐きグセがついて、食べたものがすぐ戻ってくるようになったとあっけらかんと語っていたこともあった。しかし遊びに行けば人並みに食事をしていたし、ヘルシーなものよりジャンクなものをよく食べていたので、私はSを病気とは思っていなかった(偏食だなあとは思っていた)。
私たちは性格も趣向も正反対だったが、一点だけすこぶる気の合う趣味があったのでそれで仲良くなった。
Sはどこか厭世的で、人間という生き物が嫌いな奴だった。"生きる"という行為そのものを嫌いっている節すらあった。自分の名前を嫌い、本名にかすりもしないあだ名で自分を呼ばせた。夜を好み、自由を好み、意思も感情も存在しない無機物を好んだ。かと言って死にたがっているわけでもなく、自分大好きナルシストで、常に楽で楽しそうな方に漂いながら刹那的に生きている奴だった。早い話が厨二病を拗らせていた奴だったのだが、それがさまになるくらいには顔が良く、雰囲気があった。
対する私はちょっと少女趣味を拗らせているだけの平凡な女だ。どこにでもいるような普通のオタクだ。ダイエットをしていたと言っても「痩せたーい」と言いながらお菓子を食べてたまに気が向いた時に運動の真似事をする程度のかわいらしいものだった。私から見ればSは非凡以外の何物でもなかった。私にはSのような後先考えない行動は怖くてできない。Sと会話していると考え方の違いに驚くことがとにかく多かったし、自分にないものをたくさん持っているSに憧れていた。
そしてSが、ふらふらとあちこちのコミュニティを転々としているSが、唯一私のことは好ましく思って離れずにいることに、私は浮かれていた。いつの間にか、Sが私の親友であることが私の自信になっていた。
アイドルに認知された、みたいな。どこにでもいる普通の女の子が超絶イケメンに気に入られる系の恋愛漫画のヒロインになった、みたいな。そんな気持ちだった。
平凡で普通の私でもSといればその枠からはみ出せる。Sが私を特別にしてくれる。
この人の隣に並べるような人間になろう。
最初のうちは、食事の量を減らせばスルスルと体重が落ちていった。減っていく数字はモチベーションになり精神安定剤になった。前よりも自信を持って可愛い服が着られるのが嬉しかった。空腹は水を大量に飲んで誤魔化した。いつも腹が鳴っていた。毎日SNSのダイエッターを見て試せるものを片っ端から試した。サプリの類も試したが便通が良くなるだけでほぼ効かなかった。そうこうしているうちに摂食障害界隈にもたどり着いたが、自分はこの人たちとは違ってうまくダイエットができていると思っていた。こうはなるまいとも思っていた。結果なったわけだが。
そのうち体重が減らなくなってきた。焦りと自己嫌悪で発狂しそうだったが、どこまでも平凡な人間である私には発狂すらできなかった。家にいるより外にいた方が気は紛れたが、誰かと遊ぶと食事が付き纏ってくるのが憂鬱だった。毎日、道ゆく他人に「私って痩せてますか」と肩を引っ掴んで聞いて回りたい気持ちでいっぱいだった。Sと遊びに行くのは何よりも苦痛だった。Sと並んで歩くと私は世界一デブみたいに思えた。すごく惨めで早く痩せたかったが、体重はずっと停滞していた。SNSで摂食界隈を見に行く回数が増えた。自分と同じような人がいて安心するのと同時に、安心する自分を嫌悪した。私は病気じゃないのになんで病気の人を見て安心してしまうんだ、Sだって私と遊んでいる時は普通に外食しててあんなに痩せてるんだから病気じゃない、食べて吐いたら痩せて当然だ、そうじゃないからSは特別だし私も特別になれるんだ、と自分に言い聞かせた。しかしこのあたりの時期にSに吐き癖があることを本人から聞かされた。この頃には私の頭はだいぶやられていて、Sはあくまで特別な人間で、Sを摂食と認めてしまうと私も摂食になってしまって私は特別では無くなってしまう、なんて思考回路になっていたので、吐きダコとかもないし逆流性食道炎なのかなあとか呑気に思った。
でもぼんやりと心のどこかで、やっぱり吐かないと痩せられないのかなあとも思った。
私は嘔吐恐怖症だ。
他人でも自分でも身内でも、フィクションでも聞くのも見るのも無理だ。職業柄字面だけは慣れたが話題に上がることもしんどい。ノロウイルスが流行る時期になると恐怖しかない。
摂食界隈には過食嘔吐の人が圧倒的に多い。菓子パンとか惣菜とかを大量に並べた写真を過食材と言ってアップしている人をよく見た。病気で苦しんでる人になんてこと思うんだとは分かっているが、私はこの人たちが羨ましかった。あんなに好きなだけ食べてるのに吐いてるから太らない。私だって吐ければもっと食べたいものがいっぱいあるのに。吐ければ今よりもっと痩せられるのに。私だって吐きたい。吐けさえすれば。恐れている嘔吐が甘美な響きに聞こえてきた頃が限界だった。
コンビニに行った。スーパーに行った。何軒もハシゴした。今まで我慢してた食べたかったものを全部買って、両手に大きな袋を持って、気になってた食べ物を片っ端から注文した。全部食べた。美味しかった。少なくとも舌は美味しかったと記憶していた。だからこれは病気じゃない。全部美味しかったから私は病気じゃない。病気だったら美味しいなんて思わないから。病気だったらもっと苦しいから。そう思った。
終ぞ一滴も吐くことはできなかった。
Sとは絶縁した。
デパプリの放送が始まったのは限界を迎えていたそんな時だった。やっぱりキャラデザがべらぼうに可愛くて、動いて喋るプレシャスは最高だった。1000キロカロリー程度のパンチじゃ私は倒れないなと自嘲した。
ただ、子供向け作品だからなのか、食というテーマと連動しやすいダイエットについての話が全くなかったのは非常に有り難かった。
デパプリは、素材の生産者や家族の食事のあり方まで、食というものをとことん丁寧に描いていた。出てくる料理もどれも美味しそうだった。真剣に食と向き合って作られた作品だと心底感じた。
プレシャスは、ゆいちゃんは、いい子だった。明るくて活発で好きなものに真っ直ぐで、優しくて仲間思いで、いつもみんなの中心にいて、それが当たり前で、この子がいる場所はそこしかないと思わせるような子だったけど嫌味がなくて、見ていて気持ちの良いくらいの主人公だった。誰かが立ち止まった時、どの方向を向いたらいいか考えさせてくれる、いつも導いてくれていたのはゆいちゃんだった。この作品の主人公はゆいちゃんしかありえないと思うけど、圧倒的な先導力で引っ張るタイプのリーダーというよりは、すぐ隣にいてくれる友達のような子だった。デパプリは遠い世界、自分と関係ない世界で起こっている話という感じがあまりしなくて、毎週、ゆいちゃんとその友達とで作られていくストーリーの中に、私が居ていい場所が用意されているように感じた。ゆいちゃんもゆいちゃんの周りの人たちもみんな優しくて、あたたかかった。毎週友達の話が聞けるようで楽しみだし楽しかった。
ゆいちゃんが大切にしていることや、みんなが大切に思っていることに特別な事は無かった。小学校や幼稚園、あるいは物心つく前から教わっているような、誰でも知っているようなことばかりだ。特別に何かの能力が優れているとか、他とは違う突出した何かがあるとか、多くの人が持っていないものを持っているとか、そういう事を特別扱いしていなかった。
異端を求めた。大多数とは違う存在になろうとした。死に向かっていけば、みんなが見ている方向と違う方を見ていれば、違う存在になれる気がした。私がしていたのは生の放棄だ。
食事を嫌った。食べることを、食べ物を美味しいと思うことを、何かを食べたいと思うことを嫌がった。食べたらまた生きてしまうから。美味しいと思ったら、また食べたくなってしまうから。
お腹が空くことは、食べ物を食べることは、満腹になることは、卑しい行為だと思い込んだ。生にしがみつく、浅ましい行動だと嫌悪した。
本当は食べることが好きだった。
全部全部大好きだった。
ずっと忘れていた。忘れようとして蓋をしていた。あんなに好きだったことなのに、どうして忘れてしまったんだろう。どうして嫌いになってしまったんだろう。忘れたくなんてなかったのに。嫌いになんてなりたくなかったのに。食べることが好きだった。大好きだった。好きなものを好きな自分のことが、好きだった。嫌いになる必要なんてなかったのに。何よりも自分が自分のことを、特別だと思っていたのに。
やっと思い出せた。
忘れちゃいけなかった。
誰よりも食べることが好きな彼女だから、食べることを大切に思っていた彼女だったから、「ごはんは笑顔」という言葉を信じ続けていた彼女だったから、毎週毎週真っ直ぐに、一年間伝えてくれたのが、彼女が、和実ゆいが、キュアプレシャスになってくれたから。私は大切なことを思い出すことができた。この作品に出会えて、本当に良かった。