はてなキーワード: 一輪車とは
待ち合わせは十時。駅前で、彼女はほぼちょうどの時刻にやってきた。
待った?と聞くので大丈夫と答えた。
実際俺が来たのは十五分前で、誤差のようなものだった。天気は小春日和で風が心地よく、今日は公園でお花見をしようという話になっていた。
駅から公園に向けて色々と話ながら歩き、昨今亡くなった著名人のことが話題に上がった。
彼女も氏の著書を嗜んでおり、◯◯は名作だよねと朗らかに語った。そして「こんなに早くに死ぬなんて思わなかった」という。俺はすぐにそうだね、こんなに早くに亡くなるなんて。そう付け加えるように言うと、彼女はニュースで死んだって聞いたとき本当に驚いたと言った。俺は閉口した。
その後も歩き続けていると古書店が目に入り、気になったのでちょっと寄っていい?と尋ねるといいよというので少し寄ることにした。
引き戸を開けて中に入ると開店してまだ間もないためか人の姿はなく、こじんまりとした店内を悠々と歩くことができた。純文学の並ぶ棚を見つけると立ち止まり、隣で彼女が「埃くさいね」と言った。奥から咳払いが聞こえる。何も買わずに店を出ると公園まではあと僅かで、そこまでは黙って歩いた。
公園に入ると喧騒に溢れ、お祭りのようになっていた。数多の人でごった返し、車屋台が何台も出店している。人々は忙しなく笑い、桜の周りはスマホに囲まれていた。賑やかだねと彼女がいい、俺は頷いた。中央の方へと歩みを進めると平らな空間に輪が広がり、歓声が上がった。輪の中心ではスーツ姿の男がジャグリングをしており、俺たちも輪へと加わることにした。男の大道芸は歓声を糧に難易度を上げていき、最後には一輪車に乗りながらボウリングのピンでジャグリング。失敗なく終わると拍手が鳴り響き、隣で彼女が失敗したらもっと盛り上がったよねと小声で言った。
俺たちは場所を移し、木々と人々の間に僅かな隙間を見つけるとそこにシートを敷き、何か買ってこようか?と彼女がいう。いいよ、一緒に行くからと伝えると前方を指差し、すぐそこだからいいよと屋台の群れを指した。俺は二千円を渡し、腰を下ろした。スマホに目をやり、歌声が聞こえてくる。舞い散る桜に顔を上げ、振り返って先を見るとステージがあった。歌はカントリーソングのようであり、澄んだ声が公園に響く。おまたせ、と声をかけられ前を向くと彼女が立っており、腕に袋を引っ掛け手にはビール。そのうちの一缶を受け取りながらお礼をいい、彼女も腰を下ろした。
俺たちは焼きそば等を食べながらビールを飲み、午後の桜に微睡んだ。そうしていると公園内の放送が聞こえ、落とし物の案内が耳についた。彼女はビールを口に、空にすると言葉をはいた。昔、小学生のとき、お祭りで財布の落とし物があって取りに行ったんだと。へぇ、と俺は言った。彼女は笑って、その財布、私のじゃなかったんだけどねという。それから焼きそばを食べた。
俺は飲み物を買いに立ち上がり、ビール二缶と水を二本買うとシートに戻った。既に夕方で、彼女は脚を伸ばして座っていた。少しずつ帳が降り、さけのにおいが辺りから立ち込めていた。ステージの方に人が集まりはじめており、行ってみようと彼女が言った。ステージ上には若い男がいた。後ろにはDJらしき人物がサングラスのなか肩を揺らして目の前の機材を操っている。客層はショートケーキのように二層に分かれ、ステージ前の彼らは身を乗り出すように揺れている。後方にいた俺たちはじっと音楽に耳を傾けていたが彼女はゆらゆらっと身体を離すと前方の層に加わった。俺はその場に残り、周りと同化する彼女の後ろ姿を見守った。
気づけば十九時になろうとしていた。周りには人が溢れ、昼間よりも多くなっていた。陽気な笑い声と、酔っぱらいのダンスが目に入る。そろそろ帰ろうか俺は彼女に声をかけた。もうちょっといようよと彼女は答えた。わかったといい、俺は水を買いに行った。戻ると彼女の姿はなく、動揺し慌てて辺りに目を凝らしているとトントンと肩を触られ、振り替えると彼女がいた。その手にはビールが握られ、…ありがとうと言ってひとつを受けとりながら下を見ると彼女の片足は裸足だった。
35歳男。バスや電車が加速減速したり曲がったりするたびにフラフラグラグラしてたたらを踏んじゃうの恥ずかしいからなんとかしたい。
当然吊革や手すりには掴まってる。でもフラついちゃう。なんなら両腕で抱きしめるようにしっかり掴んでても揺さぶられてたたらを踏んじゃう。
膝を少し曲げるとか、立つ向きを色々変えてみるとか、足先を少し開くとか、肩幅に脚を開くとかネットで見かけたのは片っ端から試したけど、どうやってもフラフラしちゃう。
女の人や小学生の子でもビシッと立ってる中で俺だけフラフラしちゃうのすごく恥ずかしいのでなんとかしたい。
何かコツとかあるのかな? それとも筋力や体幹がゴミすぎるせい?
ガキの頃からずっとフラつく。運動経験は一切ない。運動する習慣もない。170cm/58kg。階段の上り下りどころか普通にしばらく(30分以上)歩くのもしんどい。体幹はチン毛。
「サンチン!!!呼ッ」は試したことあるけど大して変わらんかった。あと35って言ってるだろうが。たたらを踏む以外なんて言えばいいんだよ。おっとっと♡ってなっちゃうってか。いろいろ教えてくれてありがとう。もっとください。あと俺も文学部。
「よろける」は言われてみればあ~ってなるがあんまり使わないな。ふらつくなら使うけど、俺が想定してた「体がフラフラして、足も踏んばりが利かずにおっとっとっとってなる」=「たたらを踏む」がベストって判断。1冊に必ず1フレーズってほどじゃないが小説とかには結構出てくるぞ。
「足の指でつかむ」ってのはやったことないけどなんとなく言ってることは分かる。分かるが、バス乗ってる30分弱ずっと足先に力入れてるの辛すぎないか?たぶん5分もできない。
あと進行方向に向いて立つっていうのは混んでる車内でやるのは実質無理。
「体重移動」ってブコメも多かった。たぶんこれはデカい要因だと思う。しがみつくのに必死で重心?を移動するなんて余裕がなかった。まず自分の重心がどこにあるのかなんて全然わからん。自転車は乗れる。スケボーも一輪車も乗れない。
ジムだの筋トレだのはダルいからやりたくない。創作じゃねえわボケが。誰もが増田大好き男女論に興味があると思うなよカルト野郎。
なぜか俺を女認定してる妙な奴が何人かいるが長年ネットやってて女認定されたのは初めてで困惑してる。ネカマやっててお前男だろって言われたのは死ぬほどあるけどな。ネカマのやり過ぎで女性性が文章に滲み出てきたのか?
> ふくらはぎが、手で作る輪より細くないか確認してみては。
これどういうこと?左右の手の中指と親指で輪をつくって、ふくらはぎの一番太い部分でも輪が切れないか試すってことか?手デカくて指長いから1~2cmくらい余裕もって輪っかの中に入るな。
当時住んでいた家は北側道路の家で、南側には子どもが遊ぶには申し分ない広さの公園があったのだけど、その公園は完全に別市の管轄だったから、本当の本当に最南端にある家だったんだと思う。今はもう取り壊されて無くなっちゃったけれど。
わたしには、公園を挟んで向かいのアパートに住んでいる同じ歳の友達がいて、小さい頃からよく遊んでた。
わたしの家からダッシュで1分もかからない距離のアパートなのに、彼女はわたしと住んでいる市が違って、同じ小学校には通えなかったんだけどね。でも、一番仲の良い同級生だったから、学校が終わってからは各々家にランドセルを置いて、公園に集合して暗くなるまで一緒に過ごした。
お互いの家を行き来してDSで通信することもあったし、少し歩いたところにある本屋さんでファンシーな文房具を見たり、駄菓子屋に行ったりもしてた。狂ったように2人で手を繋ぎながら一輪車で回り続けたりとか。身体測定の結果を見せ合って、やばい!ダイエットしなきゃ!と公園をずっと走ったこともあった。
学校が違うからこそのメリットもあって、相手の素性を知らないからこそ、恋バナを包み隠さずにできたりもしたな。あとは、わたしの小学校にはない図書室の本を貸してもらったりとか。本当はよくないんだろうけど、ちゃんと返却期日までに読んで彼女には返していたから、たぶん大丈夫。
本当に仲の良い友達だった。自分の通う小学校にも友達はもちろんいたけれど、彼女だけは別格だった。今思えば、彼女はわたしにとって親友だったんだろうね。
でも小学校5年生になるタイミングで、わたしは家庭の事情で引越しをすることになった。同じ県内ではあるんだけど、それなりに離れたところ。小学生が電車を乗り継いで遊ぶには、少し難しいくらいの。
彼女と別れるのは寂しかったし、引越し直前には2人してワアワア泣いてた。当時の連絡手段って手紙しかなかったから「プロフ帳に書いてくれてた住所に手紙送るねぇぇ」とか言いながら、本当にずっと泣いてた。
小学生の手紙なんて、本当にしょーもない学校の話に、しょーもないイラストを添えただけなんだけど「会いたいね」とは、お互い、いつも文末に書いていた。とはいえ、気軽に会える距離ではなかったから、現実的ではなかったんだけど。
そうこうしているうちに中学生になり、わたしは剣道部に、彼女はバスケ部に入部して、土日も練習や試合で忙しい日々を送るようになった。お互い休みの少ない運動部に入部してしまったばかりに、行動範囲は広がったというのに、会う時間を作ることができなかった。
そのまま徐々に文通の頻度は減り、受験生の本番である中学3年生の夏頃、「受験やだねー、志望校どうしよー」「とりま勉強がんばろーね!」というような、何気ないやり取りを最後に、ぱたりと彼女との連絡は途絶えてしまった。
それ以降、彼女とは一切連絡を取っておらず、どこで、何をしているのか、何も分からない。
わたしは社会人になった。高校・大学をストレートで卒業し、就職をしてから今年で2年目となる。
文通をしなくなってから、彼女のことなど思い出すことなく過ごしてきた。しかし最近、不思議な縁があり、なんと彼女が住んでいた市に赴くことになったのだ。
用事があったのは彼女の家から少し離れたところだったけど、車を走らせたら大した距離ではない。まだ住んでいるだろうか。きっと住んではいないだろうな。とはいえ、懐かしい景色見たさもあって、わたしはGoogleに例の公園までの経路を表示させて向かった。
辿り着いてみると、そこには思い出深い公園だけがあった。彼女が住んでいたアパートは、形こそかろうじて残っているが、どうやら今はアパートとしての機能を無くしているようだった。
というのも、かつて彼女が住んでいたアパートは、今現在コミュニティスペース・ワークスペース、またはカフェなるものとして提供されているらしいのだ。流行りのリノベーションを受けたアパートは、築年数を感じさせつつもおしゃれな建物となっていて、地域の人たちがつながる場として賑わっている。そのときは子連れのお母さま方が楽しそうに過ごしていた。
彼女はどこに行ったんだろう。
真っ先にそう思った。アパートがアパートでなくなったことなど、わたしは知りもしなかった。一体いつから?順当に考えれば、彼女も、彼女のご家族も、引越したんだろうとは思うが。
唯一わたしに残されていた彼女の手がかりが、今や地域活性化の拠点となっていたことで、わたしはもう二度と彼女には会えないのだと再認識せざるを得なかった。彼女の今を知る術は、本当にもう何もない。
またいつか、生活を続ける中で、わたしはふと思い出すのだろうなと思う。
小学生の頃に、近所にすごく仲良くしていた親友がいたこと。その親友とは引越しと同時に疎遠になり、今はもう連絡の取りようがないこと。
そうして、きっと考える。菜々子、今どこで、何してるんだろうって。
隣(近所?)に住む人が子供の声がうるさいと苦情を入れて廃止が決まったそうだ。
「子供は騒ぐものだから」「自分も子供だったのに」「もう少し寛容になっては」と、
番組のスタジオにいる人達も、廃止された公園の地元の方も、無関係の東京で路上インタビューに答えた人も全員口を揃えて言っていた。
私の近所の子供達も、我が家の前で遊ぶ。我慢はしているが、ボール遊びは本当に無理。
ドアや窓にボールが当たると、「バシンッ!」という音が室内にすごく大きく響いて、毎回びくっとなる。
子供達も、例えばドアに向けて思いっきりボールを投げている訳ではない。
ドッジボールだかサッカーだかで、受け損ねたボールが速度を落として、我が家のドアに当たっているだけで
外で聞いている分には大したことない音にしか聞こえないのに、室内で聞いていると本当に大きく響く。
それが無理で、自治体や子供会のお母さんたちと話し合った結果、『ボール遊びは禁止』となった。
ありがたかった。
鬼ごっこだのかくれんぼだの自転車に乗るだのする分には全く何とも思わないし、注意をした事もない。
ボールやフリスビーを使った遊びは止めてほしい、鬼ごっこやかくれんぼや一輪車など、は好きにしてください
と子供会にも言ってある。
勿論うるさいけれど、静かに遊ぶなんて無理な話だし、ボール遊びを我慢させているのだから
こっちも我慢はしなければと思っている。
一度注意をしたら、我が家はピンポンダッシュをされるようになった。
誰がやっているのか玄関の監視カメラに全部映っているので判ってはいるが、とにかくされるようになった。
どうしてそっちでしてくれないんだろう。
子供達も禁止されていると理解はしているようで、大人が通りがかると
ボールを服の中に隠して、大人が通り過ぎると、また出して遊んでいる。
学校から帰ってきて、15時過ぎから遊び初めて、夜は19時近くまで遊んでいる。
私が子供に恵まれなかったから、お互い様というように思えないんだろうか。
子供がいれば、違ったんだろうか。それは関係ないか。私がそういう人間なんだろうな。
ボールが庭に飛び込んできて、庭が荒れ、それを取りにやってきた子供達が
植栽を踏み荒らしていくと言っているそうだ。
気の毒だなあ、でも廃止が決まって良かったなあ、
私の住む所もボール遊びだけはやめてほしいなあ
「子供の遊び声をうるさいと思うようなさもしい心をどうにかした方がいい」
というようなことを言ってた。
細かい所は覚えていないけれど、子供の声をうるさいと思う人間はさもしいと言ってたと思う。
さもしいというのは、心が汚くて卑しくて、浅ましいという事なんだそうだ。
私は心が汚くて卑しくて浅ましいんだそうだ。
つらいなあ…
繰り返しになってしまうけれど、ボールやフリスビーで遊ぶのを止めてほしい。
それ以外の遊びに文句なんて言った事ない。
ボール遊びは禁止だけどボールとフリスビーは別だからフリスビーは良いでしょと真顔で言わないでほしい。
さもしくてごめんなさい。
でもお願いしたい。
「女性だけの街」の元ネタと「優しさ」資源の話
https://note.com/aozora_aoina/n/n9a98e5d8df24
ブコメにも散見するけど「現代では腕力を伴わない機械がある」論が見えてないのは「その機械は男性が使用することを想定している」んだよ。
ホントに機械がある論者はマジで何もわかってなくて、例えば街インフラを整備するのに必ず出てくる機械である「パイルバンカー」の重量が一体いくらくらいなのかググってすら居ないだろう。
パイルバンカーは質量と加速度を用いてコンクリートやアスファルト、岩石などを砕くという性質上から機械自体の重量はある程度担保されておくべき機械であり、一般的な女性が扱える重量まで落とし込めばパイルバンカーとしての機能性能は実現しにくくなるのは明白。
パイルバンカーの問題を何らかのカタチで解決したとしよう。
じゃあ次は砕いたコンクリートやアスファルト、岩石を運搬するために登場するのは一輪車(ネコ車)だ。
一輪車はその性質上、重心が高くなるので意外なほどバランスが悪く、運搬するにはかなりの腕力が必要になってくる。
男性であれば腕力と体重の重さから何とかバランスを取っていられるが女性であれば非常にキツイ仕事になるのは想像に難しくない。
一輪車も機械化すりゃ何とかなるって? その機械化新型一輪車は一体いくらするんだ?
男性は古来より労働の基準としての地位が(半ば強制的に)与えられており、古からの経験則で男性へ最適化されたコストの面で効率的な道具を扱え、女性が担当するよりも低コストに道路工事を行えてしまうんだよ。
女性が作る道路は現状だと男性が作る道路よりも高コストになる。ここから目を反らしてはいけない。
さぁ社会へ目を向けよう。
労働環境・道具・時間etc...世の中には様々な労働があるけれども、アナタの知っている労働の中に「男性が基準として設定されている」要素はいくつもあるはずだ。
その要素から目を反らし、女性のみの街を作ろうなど笑止千万、無謀無策無責任と言って過言じゃない。
良いか?よく聞け!
女性が女性だけの街を作ろうと訴える前に女性が先ず訴えなければならないことは労働のジェンダーレス化だ!
女性は社会へこれまで半ば強制的に男性の心身を労働の基準として置いてきてしまったことを認め、社会全体へ存在するあらゆる労働環境・道具・時間をジェンダーレス化せよと訴えなければ女性だけの街など作れないんだ。
男性の心身を基準としたパイルバンカーではなく性別によらないパイルバンカーを作れと社会へ訴えなければならない!今のパイルバンカーは女に扱えないからと訴えなければならない!
今の一輪車は女に扱えないからと訴えなければならない!
インパクトドライバーも重い、ゲンノウも重い、ワイヤーコイルも重い、作業ベルトも重い、大型特殊自動車の座席までは高すぎ、小型船舶の原動機のグリップは短すぎ、電柱は風が吹き荒れ、金属鋳造工場は熱く、工事警備員は通行車両に轢かれそうで危ない!
女だけの街なんて無理だと言われカッとするんではなく、男性基準の労働に怒りを示せよ!それが女だけの街作りに繋がるんじゃねーか!!!
男の仕事を楽に容易に軽くすることが女だけの街作りへの道であることから目を反らすんじゃねーよ!!!
わかってねーなマジで!!!!!
心身能力の高い女性へ心身に高負荷な仕事を任せれば良いという主張は「男性は女性よりも平均的に屈強だから心身に高負荷な仕事を半ば強制的に負わせる」のと何も変わらないじゃないか!
これこそがジェンダーバイアスの正体なんだよ!お前らのそういう素朴さにバイアスが掛かっていることを自覚しろよ!!!
まさにジェンダーロールの追認であり、男性基準の労働の容認であり、女の子だから文系大を半ば強要することであり、運動部だからブルーカラーを半ば強要することであり、その素朴さは女性が働きにくい社会にしている根本的原因だとハッと気付いてくれよ!!!!!
はてなーですらバイアスの掛かった素朴な認識が散見する現状をしっかりと認識してくれ!!!!!
本州のどこか
兼業農家の息子
anond:20210921082503とそのブコメに共感しないので
田植え、草取り、稲刈り等、作業に出た日は日当(8000~12000円)が出る
できた米は現金で生産組合から購入(8月に何俵買うか注文する)
1人でやりたい変わり者(ケチが多い)、
地区ごとに散布スケジュールは決まっており、洗濯や窓を開けないよう注意を促すため、全戸に配られる
共同所有だと融通が利かなくなる
この辺が理解不能
今のラジコンが壊れたら次はドローンになるかもしれないが、ぶっちゃけどっちでもいい
軽トラに自動運転つけてボタン一つで家まで帰られたら困る、歩いて帰りたくない
そんな事より、苗の積み込みをどうにかしてくれ
研究レベルでしょ、各地の複数の田んぼでやってないの?バカなの?
水門の管理なんてニュースバリューないけど、昔からあるし導入も進んでる
数年前まで電卓叩いて紙に書いてたが、事務作業のシステム化の営業が田舎でもボチボチ来る
農家の省力化はめちゃくちゃ進んでるんだよ
ふた昔前ならコンバインからトラックに米を移すのも30kgの袋を人間が運んでたが、そんな風景は消え、
どこ行ってもコンバインからトラックに直接入れるのが当たり前になった
運転免許を持ってるので、三輪車に乗ったり一輪車を押す年寄りもほとんど見かけなくなった
機械化と自動化を分けたがるのは外野の人間で、省力化と価格こそが命
鳥獣害対策と河川の管理はマンパワーが必要で、地区住民の協力が欠かせない
住民の手から離れた農業に協力する義理もないし、営利事業者だと最低限しか行政も頼れなくなる
旦那本業:500万、妻パート:100万、田んぼ:200万でそれなりに豊かな暮らしができる
製造業は何千、何万、稲作は40回のネタ元は経産省の役人の人類はまだ2000回しか作ってない発言だと思う
近所のインドネシア人の同級生の家に向かって複数人で「インドネシア帰れ」って言ったことがある。
その子の誕生日会に招待してもらってケーキ食べたこととか、一輪車の乗り方教えてもらったこととか、毎日同じごっこ遊びしたこと。
その子のことは、嫌いだったり嫌いじゃなかったりしてた。
だから意地悪をしたり仲良くしたりを繰り返していた。
やってること完全にいじめだし人が泣いてるのになんで罪悪感がなかったんだろう。複数人でやってたからかな。
周りの人間が自分と同じことしてたら、自分が間違ってることに気が付きにくいんだと思う。
たまたま進学先が違ってすぐ疎遠になったから、大ごとにならなくてよかった。運が良かっただけだ。
いじめ加害者を擁護するわけじゃないけど、多分、本当に自分を悪者だと思っていない人が多いんじゃないかな。
だから周りの大人が庇ったり隠蔽しようとしたら駄目だと思う。余計に自分が悪いと思えなくなりそう。
もう遅いしここで言っても意味ないけど、ごめん。
「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラの一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」
日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。
そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。
ある日彼は
「お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」
と口にした。
『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』
となっていた。
その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。
『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』
と。
そして本番が始まった。
・小芝居
・組体操
・一輪車
・クイズ
・モノマネ
などの芸を次々と披露していく。
『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』
と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。
『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』
そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。
「Aくんがまだ残ってるよね?」
「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」
「Cくんやった?」
何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。
「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」
私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。
これが意味する所は、
『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』
である。
「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」
なるほどね。
それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。
教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師と場所を入れ替わる。
見えない……。
とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気をクラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。
元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。
そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。
「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」
一週間ごとの晒し上げタイムが定番となったまま冬休みへと突入していった。
もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。
「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」
もちろん、何もない。
私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。
『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』
という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。
だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。
今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。
季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。
卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。
『まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』
と思いながら教師の話を聞いていた。
話が頭に入らない。
隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。
この話はここで終わる。
ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたときの空気は今でも忘れられない。
ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。
それを使って大学時代はコンパをし、社会人になってからは飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。
なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。
隠し芸文化はクソだ。
以上だ。
オチはない。
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。